自己啓発と私 - カウンセリング諸理論を概観して-

私は以前、『カール・ロジャーズ - 晩年の目覚め, “プレゼンス(存在)”-』という記事を書いた。


実は何故、これが書けたかと言えば、私はこれを書いた時、産業カウンセラー養成講座という7ヶ月の実践コースに通っていたからである。


月3~4回のペースで無理なくカウンセリングや心理学の一般的な教養について学び直すことが出来た。


座学でカウンセリングの一般教養を学び、実習で、カール・ロジャーズの来談者中心療法、傾聴の技法を体験していくコースである。


先日、その養成講座の最終日で、打ち上げで、他の参加者と無事修了したことを祝ったばかりである。


その修了式の際に面白いことがあったので、それは後で綴りたいと思うが、今回、非常にまとまった時間をこれらの学習に費やすことができ、有意義な時間であった。




元々私はカウンセラー志望であり、この道こそが私の進むべき道だと思っていた。


高校を卒業して大学受験に失敗して、一浪していた時に書店で見つけた元早稲田大学教授の加藤諦三氏の教養本で、エーリッヒ・フロムやカレン・ホルナイなどの新フロイト派、フロイト左派と呼ばれる人々の理論が紹介されていた。

そこで、弱気であるのに強気に振る舞おうとしたり、自分の本音や本心、ありのままの姿とは別の自分に必死に強迫的になろうとする複雑な心理状態が説明されていた。

この時点で、自己概念と自身の体験を一致させる(自己一致)というロジャーズの概念について出会っていればよかったがこの時点ではまだ知らなかった。

然し、この加藤諦三氏の本との出会いは、稲妻のように私に衝撃をもたらした。


本屋で立ち読みしながら、私は過去においていかに自分が本当の自分ではない自分になろうと無駄な努力を続けて来たかということを悟ったからである。

周囲の人間の期待に応えて、自分ではない自分を演じたり、振る舞ってしまうという努力についてそれがいかに無益で、害のある行為であったかをその一冊で理解できたからである。

その本屋で本を買わずに本屋を飛び出して、私は嗚咽を上げて泣きながら家路についた。


こうした衝撃的な気づきというものはしばしば自己啓発セミナーでもたらされるもので、実際、後日、私は自己啓発セミナーに参加した際に同じように嗚咽を上げながら泣いている人を何人も見たことがある。


それらの人たちもまたそのセミナーで初めて自分の人生を完全に変容させてしまうような新しい概念に出会い、自己洞察(気づき)を深めたのである。


参加するのに数十万円かかる自己啓発セミナーと比べれば、私の本屋の立ち読みでの衝撃的な気づきは、その効果や価値に対して、随分、安上がりで、コストパフォーマンスの良い体験と言えるかと思う。


この一浪当時は、私はジョージ・アダムスキーのUFO著作集にはまって、東京タワーの下で行なわれていた日曜定例会に参加したり、チャネリングというものに興味を持ったり、精神世界へ興味を持ち始め、自己探求の旅が始まっていた。

そして、この頃、精神世界を探究すると同時にこの浪人中にクリシュナムルティーやラジニーシの著作に出会って、本当のありのままの自分になるということの概念を深めていった。


今思えば、エリク・H・エリクソンが言うモラトリアムを経験していたと言える。



そうした体験があったため、1年目はただ皆が大学に行くから自分も行くといった形で、目的意識の乏しい受験生活を行なっていたが、一浪中にそうした衝撃的な体験があったため、進路を心理学に変更し、私は将来的には心理学のプロになるのだと決めた。


将来的な自己イメージは、クライアントに心理カウンセリングを行っているカウンセラーとしての姿である。


不思議なことにそのイメージはそのまま実現するのではなく、ジョーティッシュの鑑定師という形で実現したのである。



心理学を学習するようになって、精神分析が私の最も関心のある分野であったが、特にアンナ・フロイトの防衛機制という概念が非常に気に入った。


人間は日常的に自我が自分の欲望に直面したくない為に様々な防衛機制によって、その直面化を避けるのである。


抑圧、投射、反動形成、置き換えなどなどである。


そして、学習をすすめるうちに自己愛性人格障害(ナルシズム)のメカニズムを解明し、健全な自己愛の発達過程について研究したハインツ・コフートの自己心理学が私の関心に最も適合するテーマのように思えた。


特にハインツ・コフートが臨床的に記述した変容性内在化(transformative internalization)という概念に私は強く惹かれた。


それは父親や母親の鏡映機能を通じて、自己の中に父親の強さや母親の優しさといった性質が取り込まれ内在化していくというプロセスである。


健全な家族関係の中でこのプロセスが正常に進めば、健全な自己愛や自信を持った正常なパーソナリティーになるが、このプロセスに失敗すると、誇大自己を抱えてはいるが、過度に他人からの評価に振り回されやすい、自己愛性人格障害(ナルシズム)に至るのである。


このパーソナリティー障害は自己の過大評価と過少評価の中で揺れ動くのが特徴である。


他人からの評価に敏感で、自分を高く評価する人間を高く理想化するのである。


従って、自己愛人格障害の独裁者というものは、自己の周囲にイエスマンを集めて、自己愛の中に埋没してしまう。


まさに「裸の王様」状態である。


アドルフ・ヒトラーがこのような自己愛性人格障害ではなかったかと言われている。


この自己愛性人格障害(ナルシズム)は、名前こそ人格障害と付けられているが、健全な人格と紙一重であり、例えば、競馬や競輪の選手や、アイドル、サッカー選手などのスターにのめり込んで同一視(同一化)する大衆的心理にも表れている。

他人を自己愛延長物として体験する同一視のメカニズムとして多かれ少なかれこの心理状態が顕現する。



メラニー・クラインは、母子の太古的な一体状態から自我が分離固体化していく過程についての臨床経験から対象関係理論を構築したが、乳幼児は、自分の欲求にうまく応じる母親を「良い乳房」、欲求にうまく応じない母親を「悪い乳房」として、全く別の存在として分離して認識するのである。それらを同じ1人の母親として認識できない。


従って、「良い乳房」と「悪い乳房」が統合された安定した対象像が得られないため、他人との安定した二者関係を築くことが出来ない。


この発達段階への固着は、統合失調症(精神分裂病)の発症原因と考えられている。



一方で、これよりももう少し後の発達段階での固着は、境界例、境界パーソナリティー障害と呼ばれており、やはり、他人からの評価に振る舞わされやすく、自己評価が安定しない。


症状の深刻度としては、統合失調症(精神分裂病)と自己愛性人格障害(ナルシズム)の中間ぐらいである。



そして、この次の段階に該当するのが、自己愛性人格障害である。



統合失調症(精神分裂病)---境界パーソナリティー障害---自己愛性人格障害---健全なパーソナリティー



発達段階への固着を古い順に並べると上記のようになる。




自己愛性人格障害とは、父親や母親の鏡映機能を通じて、自己の中に父親の強さや母親の優しさといった性質が内在化するプロセスにおいて何らかの失敗があったと考えられている。


つまり、この段階で外傷経験があり、この段階への固着があるために誇大自己イメージを抱えていたり、過度に他人からの評価を求めてしまうのである。


現代社会では、父親不在の世の中で、母子関係が密になり過ぎてしまい、この関係を適度に切断する父親の機能が働かない為に変容性内在化の過程が上手く進行しないのである。


変容性内在化の過程が上手く進行するには万能の自己、太古的な誇大自己が満たされない適度なフラストレーションを必要とする。


従って、誇大自己を抱え、他人からの評価に依存する未熟な人間が多くなっており、社会に出て上司に怒られると直ぐに会社を辞めてしまったり、自分はもっと重要な仕事を与えられるべきといった過度に主観的な過大な自己像を持つ若者も増えていると言われている。


また年下の男性と年上の女性のカップルというのも増えていると言われている。


あるいはその逆もあるかもしれないが、これは母親の鏡映機能をパートナーに求めるまだ大人になりきれない未熟な男性が母子関係の次のステップアップとして選択できるハードルの低い恋愛だからである。


所謂、マザコンの男性が増えているというのは、このコフートの自己心理学で説明可能である。



私はこの当時、まだ新しかったコフートの自己心理学を学習し、学生時代の宗教活動などで良い人間関係に恵まれたことなどから、変容性内在化を転移によって再体験することができ、自己愛性人格障害、神経症の症状をクリアすることができ、健全に近い状態にまで発達を遂げることが出来た。


こうしたことから、私は心理学に関しては、難解なコフートの理論を理解するだけの才能があると自負を持つに至り、こと心理学について話す時の私は、誇大自己的で鼻のつく自慢げな態度になってしまい、人に不快感を与えるようである。


これこそが自己愛パーソナリティー障害的な振る舞いである。


こと心理学の分野については、私が最も得意とする分野であるだけに過度に他人の評価を求める自己愛的な未熟な自分が出てきてしまうようである。


私は心理学を学習してきたといった話を人に聞かせる時、その相手が途中で、困惑気味な嫌な顔をするのを何度も見てきた。


おそらく私が何か話している最中に自慢げな誇大自己的な態度が表出するためだと思われる。



実際の私は、心理カウンセラーのプロとして生きる道は、途中で断念せざるを得なくなってしまった。



当時、神経症に苦しんでいた私は、大学の授業に参加することが出来ずに宗教活動に入り浸っていた。



そこで業(修行実践)を行ない、何とか、その状態から抜け出す努力をせざるを得なかったのである。



それだけが、生き残る唯一の希望だった。



その当時の主観的状況について人に言っても理解してもらえないかもしれないが、異常な危機的状況にあり、私なりに言えば、生と死をかけた闘いを行なっていたのである。



大学の自由過ぎる人間関係、お行儀のよい講義や距離感のある教授陣、そうしたものは私にとっては何の助けにもならず全く無意味だった。



授業に参加しないので、大学の単位を大量に落として、2年半も留年する羽目となってしまい、本当は更に心理療法などの知識を深めたかったが、経済的心理的な理由から、強制的に社会人となるしかなくなったのである。



以後、私はフリーターのような形で社会に出て仕事を転々としつつ、ITエンジニアといった仕事に辿り着き、全く自分に才能が見出せない業界で、仕事を続ける羽目になった。



話を産業カウンセラーの養成講座に戻すが、そうした以前の経験があったので、私は内心、心理学など私の得意分野であって、他の人よりもよく知っており、自分は既に講座を受ける前から内容はよく分かっているという少し他の参加者を下に見るような気持ちで参加していた。


私は知識、経験において他の参加者よりも圧倒的に上回っており、そこで教えられることは私が既に知っていることであり、その知っていることを再確認しに行くだけであるといった態度である。


然し、実際に講座を受けていたこの7ヶ月は、私にとって学生時代に取りこぼした多くの知識を再度、深く吸収し理解する為の貴重な時間となった。


特に実習の方は、まさに養成講座自体が、カール・ロジャーズ自身が晩年に活発に行っていたエンカウンターグループそのものであった。


指導者は一応いるのだが、カール・ロジャーズの民主的な考え方に沿っており、指導者は「先生」と呼ばれて権威づけされずに「さん」付で親しみのある感じで呼ばれるのである。


参加者同士が、お互いに相手の話を傾聴し、人の存在が鏡のようになって、自分の内面を深く探究することが可能なのである。


つまり、自分と他人のどちらが劣っているか優れているかといった競争的な考えではなく、全ての人に異なった背景、違いがあり、人は皆、人生の旅人であり、等しく価値のある存在である。


そうしたことが頭ではなく、体験的、実感的に分かるといったセミナーである。


人には様々な人生があり、そこで様々な課題やドラマに直面しており、自分が体験できないような体験をそこで行っている。


そうした他人の存在は、自分を映し出す鏡であり、そうした他人を通じて、初めて自分の姿を見ることが出来るのだから、他人はかけがえのない存在である。


そして、この協会には単に知識だけの頭でっかちな人間ではなく、全く社会的には無名の本当の実践者たちがいるのである。



私は講座に参加する前は、少々知的に尊大な態度であったかもしれないが、講座が終わる頃には全く謙虚な気持ちになっていた。



これだけ様々な人生を開示してくれて、自分の人生の洞察を助けてくれたのは、他の参加者のおかげなのである。



それは少し拡大して考えれば、それは全ての人間関係に言えるかもしれない。



社会を構成する全ての人々が自分とは違う人生を歩み、何らかの課題やドラマに直面する価値のある存在である。



私にまだ強固に残存していた心理学の分野では他の人間よりも優れているというこの歪んだプライドは、まさに今回、捨て去られた。



知識や才能よりも重要なのが、実践やつながりである。



その中で培われた経験や創造が本当の成果である。



様々な人生の様々な経験とその経験から掴んだ実践知は、優劣や甲乙をつけがたく、それは等しく価値のあるものである。






この経験をしている現在、私の9室(グル、真理)には土星がトランジットしている。



カール・ロジャーズは、月、太陽、土星、水星が射手座に惑星集中しており、典型的な射手座の人物である。


ロジャーズの人間観は、アブラハム・マズローと共に人間性心理学に属するものであり、生命体の中にある実現傾向を信じる楽観主義的なものである。


まさしくこれは射手座の考え方である。


ロジャーズは、厳格なキリスト教プロテスタントの原理主義の家庭に生まれ、両親は、飲酒やギャンブルを禁じ、ダンス・観劇なども認めず、家族間の強い絆を求めて、勤勉さを要求したようである。


原罪という自分を拘束し条件づける考え方を嫌い、そうしたキリスト教の道徳観念から逃れて自由になることが青年期のテーマであったようだが、然し、それにも関わらず、ロジャーズの楽観主義はキリスト教的である。


キリスト教は魚座の宗教であるが、魚座から見た10室目(行動のハウス)には射手座が位置しており、射手座はキリスト教徒の振る舞い方を示す星座である。


それは人生は自由に変えていけると信じる楽観的な世界観で彩られている。




この9室の射手座に土星が通過している時に私はロジャーズの養成講座に参加することになり、ロジャーズの教えを学ぶことになった。


このタイミングは、ロジャーズにとっても特別なタイミングなのである。


ロジャーズは月、太陽が射手座に在住し、土星も射手座のため、土星がリターンしているからである。



この養成講座は、座学で、教授陣、経験者から直接、講義を聴けるのは今年が最後で、来年からは全てインターネットによる通信制になるようである。


実技自体は、これまでのように行われるようであるが、座学が無くなったため、講座の期間自体は、大分、圧縮されるようである。


そういう意味で、私が講座を受けたタイミングはこれまでのやり方の最後のタイミングであったようである。



言わば、締めくくりのタイミングと言ってもいいのかもしれない。



射手座は自己啓発の星座であり、一言で言えば、養成講座とは、自己啓発セミナーそのものである。



私もこれまでに自己啓発セミナーに参加した経験があるが、実際に体験的に意識や考え方の変容を目指すのは、ダイナミックな射手座のアプローチである。



それは極めて実践的である。



射手座の自己啓発セミナーでは、参加者の存在自体が、他の参加者の体験となるような体験共有型の工夫が施されている。



それはカールロジャーズが晩年に盛んに実践したエンカウンターグループそのものである。




カウンセリングの技法としては様々なものがあるが、もしカウンセラーやコーチング、どんな分野でもよいが、教師(講師)になろうと考えている人は、カウンセリングの諸理論を学ぶことが必須である。


何故なら、木星は教師(グル)の表示体であるがその木星が最も自分の星座で強力(ムーラトリコーナ)になるのが射手座だからである。


火の星座であり、ダイナミックに人生を変容させることを目指すのが射手座である。


一方で、魚座の場合は、スピリチャルや宗教的な特徴が出て、道徳的宗教的な教育になり、また蟹座だと保護者的、滋養的、育成的で、幼児教育とか、母性的な教育、保守的な安全志向のアプローチである。




特に射手座の自己啓発セミナーは、カール・ロジャーズやアブラハム・マズローの人間性心理学派、そして、『夜と霧』のヴィクトール・E・フランクルの実存主義的アプローチ(ロゴセラピー)、精神分析の影響を受けている。


実存主義的哲学は、物に関しては、プラトン哲学が言うように実存よりも本質が重要であり、そちらの方が真実在であるが、こと人間に関しては、実存が本質に先立つという考え方である。


個別の物にはその鋳型となる本質があっても個別の人間にはその鋳型となる本質はないのである。


従って、個人の選択や態度、解釈といったものが決定的に重要であり、未来を創造する鍵なのである。



セミナーの進め方としては、まず精神分析的なアプローチで過去を回想し、記憶をよく調べて過去のトラウマ、固着点などへの洞察をもたらし、それに気づいたならば、それを現在の積極的な行動によって再体験し完了させる。


そして、その上で、実存主義的に未来を発明し、創造できるという人生観を獲得するのである。


もし個別のカウンセリングで、クライアントの自己洞察を深めるのを手伝えないならば、こうした自己啓発セミナーの集団カウンセリングにおいても不可能である。




実存主義哲学は、環境は変えられなくても主観を変えることは出来ると考え、それが決定的に重要だと考える。


従って、人間の積極的な自由意志や自由選択、思想などが、自由に人間の未来を創造していくという考え方である。


そうした実存主義哲学は、射手座の発想と非常に親和性が高い。つまり、木星の拡大発展的、開運的アプローチなのである。


だからこそ、自己啓発セミナーでは実存主義哲学はセットで付いてくるのである。


そうしたことで、実存主義哲学は、サルトルが提唱し、当時の社会を自分たちの自由意志で改革するというマルクス主義、労働運動などを支持する理論となっている。




その後、クロード・レヴィストロース、ソシュールなどのフランスの思想家により構造主義が現れて、社会というものは、言語や文化のレベルでルールが決定しており、自由に選択したり、創造できるものではないとの見方を示した。


例えば、レヴィストロースの親族の基本構造、縁組理論などは、ジョーティシュのハウスの理論で説明可能である。


縁組とは、お互いの家族集団が、女性を持参金(財産)付きで、贈与し合う仕組みなのである。


それは2-8の軸で表され、ホロスコープによって構造的に決定していることを示している。



従って、構造主義によれば、人間には無限の自由はなく、無意識や言語、文化によって構造的に決められており、その理論は運命学的なのである。


自由よりも自由でないこと、運命が決定していることに注目する。



それは水星の分析的アプローチなのである。



従って、構造主義などのフランス現代思想というものは、水星が表示体である。


例えば、最近の「『ドイツ帝国』が 世界を破滅させる」で日本でも有名になったエマニュエル・トッドなどは、人口統計と家族構造などによって、世界の未来を予測している運命学者のような人物である。


ソ連の出生率が低いことを見て、ソ連の崩壊を予測したようである。


フランスの知識人というものは、水星が表示体になっている。


未来を予測するということは運命が存在することを意味しており、運命論的なのである。



そして、ジョーティッシュは、水星やケートゥなどが表示体である。


ジョーティッシュも運命が決まっていないことよりも運命が決定していることを緻密に研究していく分析的アプローチである。


然し、水星は分析は素晴らしいが、物事を変化させたり、変容させるという発想はない。


従って、分析するだけで開運はしないのである。


ムフルタなどの開運的アプローチもあるが、それらは木星的、射手座的な発想である。



西洋占星術は、キリスト教文明の影響を受けたため、拡大発展的、開運的で、また木星や射手座の影響を受けて、人生は自由に創造できるという考えをベースにしている。


そのため、西洋占星術で、惑星やハウスを見るということは個人がより良く選択し、行動するという意味での個人の自由意志のために活用するという発想である。




私が日頃、行っているジョーティッシュの鑑定において、ダシャーやトランジットによって起こる事象を当てることにこだわるアプローチというのは、水星の分析的アプローチである。


そして、私がジョーティッシュのダシャーシステムなどで確認したことは運命の強固な存在とカルマの存在である。


ジョーティシュで起こる事象が当てられることは、カルマの存在、運命の存在の証拠である。



私が強調するジョーティッシュによるコンサルテーションの大きな効用は、クライアントの認知や人生観に対する効果である。


人間の心は既に起こった過去やまだ来ない未来の間を行ったり来たりして、彷徨っており、落ち着きがないのである。


100%現在に集中することが出来ない。


然し、運命がほとんど変えられないことを理解し、受け入れると、過去にこうしておけばよかったといった無駄な後悔、そして、過去の修正された未来への継続である未来を先取りした不安や心配(条件づけ)といったものから解放されるのである。


そうした無駄な精神の運動から解放されて、100%現在に没頭することができる。


その目指すところは、ヨーガの効用と同じで、100%現在に没頭することである。



つまり、その目指す所は、運命を知的に理解して諦めて受け入れること、そして、悩み(マインドの運動)からの解放であり、悟りを得ることである。


ジョーティッシュで光の知識の恩恵を受けるということは、小さな悟りを得ることに例えられる。



ジョーティッシュで運命を分析し、それを伝えるということは、カウンセリング技法の中では、アルバート・エリスが創始した論理療法(REBT法)に近いアプローチである。


論理療法では、心理的問題は、出来事や刺激そのものではなく、それをどのように受け取ったかという認知を媒介として生じると考え、悩みの原因はその非合理的な信念(irrational belief)に問題があると考え、合理的な信念(rational beleif)に置き換えるように論理的に説得する技法である。


その非合理的な信念を合理的な信念と比較検討し、非合理的な信念には根拠がないことを説明し、合理的な信念に置き換えるように説得するのである。


それは知的で論理的なアプローチである。


例えば、ジョーティッシュで交際があまり上手く行かず、中々結婚出来ない人がいるとした場合、チャートの惑星配置を見た時に特定のハウスに凶星の影響があるから中々上手くいかないのだと説明する。


それらは過去の多くのチャートを検証した上での統計的な事実である。


ジョーティッシュの法則自体を理解する姿勢で、それらの説明を理解すると、思い通りに行かないことに対して、無執着の姿勢で取り組めるなどの効用が生まれる。


それは水星の分析的なアプローチであり、認知や信念を変えることによって、その人を無駄な葛藤や執着から解放し、そのことで、より幸福につながる心理的態度をもたらすのである。


仏陀が言ったようにあらゆる悩みの元は、欲望が原因なのである。


欲望を捨ててしまえば、あらゆる悩みから解放される。



仏陀(ブッダ=水星)は水星が表示体であり、知的に理解した人、悟った人の境地を表わしている。


その認知が変容したことによって、現実の受け取り方が変わり、結局の所、現実そのものも変わると考えることが出来る。



私自身、学生時代に神経症で、関連妄想的なものに悩まされた時、そうした妄想は合理的でなく、根拠がなく、リアリティーがないということを何度も自分自身に説得し、それらに対処したものである。


それは、自分の問題に知的に取り組む態度であったが、それは論理療法に近いのではないかと思われる。


そうしたアプローチも有効であったかもしれないが、やはり援助者の存在というものも重要である。


結局、自己の状況を共感し、理解してくれる助け手の存在というものは重要である。



論理療法は知的で論理的な人には非常に有効な療法であると考えられる。


然し、クライアントが知的で論理的でなく、論理よりも感情を優先する人であったら、論理療法はあまり意味がない。



その場合は、相手の感情に共感し、それを受け止めるような木星的なアプローチが有効かもしれない。


またそのような人は、運命が自由意志でいくらでも変えられると信じていた方が、心の健康にとって都合がよいのである。



また自由な選択で未来を切り開けるという考え方自体が、クライアントの感情を癒す要素である。


木星はリアリティーを妥協なく正確に分析することではなく、感情に対処することが目的であるから、詳細は不正確でもよいのである。


一方で、水星は知的な啓発を喚起するために妥協なく分析し、徹底的な理解を目指すのである。



つまり、感情や動機づけには木星のアプローチが有効であり、知的啓発には水星のアプローチが有効である。



私の鑑定に来られる方、特にブログを読んで鑑定依頼をされる方は、水星の分析的なアプローチを求める方が多いようである。



然し、だからと言って、感情や動機づけの部分にもアプローチできなければ、カウンセラーとして不足である。



私は水の星座である蟹座に月と太陽が在住し、木星が山羊座10室から蟹座4室にアスペクトしているためか人の感情に共感することもある程度、出来るのである。



今回の養成講座では、そうした自分のクライアントに対する木星的なあり方の質を高めてくれたのではないかと考えている。



分析し、理解するのは水星で、それを伝えるのは、言語で論理的に説明すればよいのである。



但し、相手の感情に共感し、相手の感情を癒し、楽観的、積極的な人生観にモチベートするには、自分の木星としての存在性を高めなければならない。



然し、木星と水星のアプローチは、全く性質の違う2つの惑星であるため、しばしば衝突するのである。



両方を上手く共存させるということは中々難しい。



知性を立てれば感情が立たず、感情を立てれば知性が立たずということである。



私のホロスコープでは水星の方が木星よりも強い為、どうしても水星のアプローチが優勢になるようである。



従って、アルバート・エリスの論理療法というものは、非常にしっくりくるアプローチである。



日頃、特に意識しなくてもこのようなアプローチを行なっている。



然し、カール・ロジャーズの来談者中心療法というものは、非常に木星的なアプローチを考えさせられる技法である。



来談者中心療法では、特にカウンセラーがクライアントに問題の答えや解決を与える訳ではない。



ただクライアントに傾聴し、クライアントに寄り添って存在するだけで、クライアントが自分で洞察を深めて問題解決に至るのである。


それはカール・ロジャーズが”プレゼンス”という言葉で表現したようにカウンセラーの存在自体が問題解決をもたらしていくのである。


それは木星には”問題解決”という象意があり、この”プレゼンス”という概念は、明らかに木星的な働きであると言ってよい。


つまり、カウンセラーはクライアントに対しては、存在全体で、”木星”であらねばならないということである。



この認知を扱う論理療法から認知行動療法が発展し、短期療法(ブリーフ・セラピー)やNLP(神経言語プログラミング)などが出てきているようだが、これらは解決志向型アプローチと呼ばれる。


またフリッツ・パールズのゲシュタルト療法などもそうである。


ゲシュタルト療法は、人間性心理学の一つに位置づけられている。



催眠療法家のミルトン・エリクソンの弟子や共同研究者たちが短期療法(ブリーフ・セラピー)を開発していったようである。


短期療法では「例外の質問」「ミラクル・クエスチョン」などでクライアントの認知に積極的にアプローチしてクライアントの短期での問題解決を図る。


つまり、認知に働きかけるという意味では水星的であるが、クライアントに積極的な変容をもたらすことを意図するという意味では木星的
なアプローチである。


但し、水星のように疾患の原因を分析的に追求するようなことは行なわない。



つまり、水星と木星の良いとこ取りをしたようなアプローチである。



日本では苫米地英人がCIAの洗脳技術などに言及し、この分野での盛んな啓蒙活動を行っている。



苫米地英人氏が進めるルータイスの教育プログラムなども基本的には、この流れのものだと思われる。


認知を短期間に変容させて、その人の行動変容や問題解決を目指すのである。



催眠療法家のミルトン・エリクソンは、魔術師と呼ばれ、クライアントとのほんの一回の面談だけで、クライアントの無意識に新しい認知を埋め込んで行動を変容させるような仕掛けを施すことが出来たようである。


それは新しい洗脳と言っても良いほど鮮やかな作業である。



このように現在の技法は認知を元にして、行動変容、問題解決を目指す短期アプローチが注目されている。




全てはアルバート・エリスの論理療法から始まったと言ってもいいかもしれない。


wikipediaによれば、アメリカの1982年の臨床心理学者への世論調査では、その分野に大きな影響のある人物としてフロイトを抜いて2位に選ばれたようである。


1位がカール・ロジャース(来談者中心療法)で、その次である。





結局、ジョーティッシュのコンサルテーションで何をしているかを評価するとすれば、それは究極的にはクライアントの認知にアプローチしているのである。


決して、開運の技法を教えたり、宝石を処方したりする為ではない。



通常、世間の大部分の人々は、運命がほぼ決まっているというこの圧倒的な形而上の真理について知らないのである。


運命やカルマの存在を書物を読んで本当かどうかと論じているようなレベルの話ではなく、実際に体験的に知るということである。


それは、アルバート・エリスの論理療法に近いものがある。




クライアントの認知や世界観が変わることに大きな意義があるのである。


従って、過去の出来事を鮮やかに当てるというのは、非常に良いことである。


それらは既に起こった事実だからである。


それらに言及してもあまり大きな害はない。




然し、クライアントの未来に言及する時にそれらは洗脳となり得るので注意が必要である。


最近の認知を扱うメソッドは、短期で結果を出す認知工学であり、悪用される場合、洗脳の道具と化すのである。


認知をもたらす前にその認知は科学的に正しく、倫理的にも正しい認知でなければならないのである。




つまり、最近、流行の短期療法(ブリーフ・セラピー)やミルトン・エリクソンの催眠療法やNLP(神経言語プログラミング)といった解決志向型アプローチは、若干、技巧的であり、操作的である。


クライエントに問題解決をもたらす新しい認知を埋め込むような積極的、操作的なアプローチである。


従って、CIAの洗脳技術に言及した苫米地英人氏が、この分野の積極的推進者の一人である。



カール・ロジャーズの来談者中心療法は、もう少しクライアントの内部にある実現傾向を信頼するのである。


カウンセラーは何かの認知を積極的に埋め込むといった操作的な技法ではなく、クライアントの内部の実現傾向、すなわち魂が問題解決を行なう力を信頼し、そこに寄り添っていくだけである。


クライアントの内部で気づきが生じ、自己概念が変容していくのである。


それは基本的な人間観の違いとして現れていると考えられる。



水星は信じるとか信頼するといったことは苦手である。



むしろ性悪説的に疑う傾向があり、悲劇的なほどの現実主義者である。



然し、その現実主義的な徹底的なマインドが、遂にはマインド自体の働きをも俯瞰して、悟りをもたらすと言える。



それではジョーティッシュを実践する人は何を目指せばよいかと言えば、やはり、まずは運命のほとんどは決まっているということの深い理解と諦め(諦観)と悟りである。



そのことによって、無駄で有害な希望的観測、期待、マインドの無駄な運動、過去と未来との往復運動(これらを総称して欲望と言ってもいいかもしれない)を捨てることである。



これを水星の分析的アプローチによってもたらし、その上で、変わる可能性がある部分について最大限の積極的肯定的な世界観の提供である。



そうした意味ではやはり実存主義的なアプローチが良いと考えられる。



そして、実存主義というのは、主観の持ち方で、人は変わり、運命は変わるという思想である。



その主観というものは認知のことであるから、合理的で有用なあらゆる可能性に開かれている肯定的な認知を持つ必要がある。



それをカウンセラーの”プレゼンス”によって、クライアントにもたらすのである。



特に何かを積極的に説得したり、伝えるということではなく、結局の所、カウンセラーが信じていることが自然とクライアントに伝わっていく。



あるいは、カウンセラーの”プレゼンス”によって、クライアントの認知が変容していくと言ってもいいかもしれない。



カウンセラーの人間観、人間に対する信頼や人間理解が、クライアントに伝わっていく。



教師あるいは、カウンセラーというものは、単に話すことの内容(言葉)だけではなく、その人物の話し方、身振り、振る舞いなど、存在の全体が何かを伝えるのである。



従って、カウンセラー自身の木星としての存在性が伝わっていくだけである。



カウンセラーが知っていること身に付けていることが勝手にクライアントに伝わっていく。



特に技巧的に認知を埋め込んだり、認知を操作するのではなく、何も教えずして教えるのがカウンセラーである。



そして、クライアントは自らの実現傾向によって認知を修正する機会を捕えるのである。






















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