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斉藤幸平著『人新世の「資本論」』について【更新】

2022 2/09
斉藤幸平著『人新世の「資本論」』 (集英社新書) が、2021年の読書大賞1位を受賞し、40万部を突破しているという。



このタイトルの「人新世」(ひとしんせい)という言葉は、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが唱えた言葉で、人間の活動が地球の表面を覆い尽くした年代という意味であるそうだ。


先進国の大量生産、大量消費のライフスタイル(「帝国的生活様式」)を続ける為に発展途上国から資源やエネルギーを収奪し、環境破壊などを外部化し続けて来たが、既にもう外部というものは存在せず、気候変動や環境破壊による問題は、先進国の人々を悩ませる事態にまでなって来ているというのである。


気候変動や環境破壊について言えば、ポイント・オブ・ノーリターン(引き返し不能点)がもうすぐ迫っているが、生半可な対策では、気候変動を止めることは出来ず、SDGs(持続可能な開発目標)もグリーン・ニューディールもジオエンジニアリング(地球温暖化を抑制するテクノロジー)などを使っても気休め程度にしかならず、資本主義による経済成長を止めて、脱成長コミュニズムに移行しなければ、気候変動を食い止めることは難しいのだという。


カール・マルクスは、当初は、西洋中心の進歩的歴史観により、資本主義を推し進めれば、いつかは社会主義に移行すると考えていたが、生産力の発展こそが人類の歴史を前進させる原動力と考え、資本主義の発展は社会主義に至る為の必要な段階として見なしていたという。


然し、晩年のマルクスは、自然の代謝活動やエコロジーなどに関心を持ち、ロシアの農村共同体などのアソシエーションが、持続可能な共産主義社会をもたらす可能性について考えていたようである。


斉藤幸平によれば、マルクスはさまざまな文献を読み漁りながら、社会主義における持続可能な経済発展の道を模索していたが、資本主義のもとで闇雲に生産力の向上をはかっても、それは社会主義への道を切り拓くことにはならないことに気づき、資本主義での生産力上昇を追求するのではなく、先に社会主義に移行して、そのもとで持続可能な経済成長を求めるべきだと考えるようになったのだという。


初期のマルクスは、プラトンからヘーゲルに至る理想の青写真(神)に至ろうとする西洋中心の進歩的歴史観に立っており、資本主義や科学技術の発展を推進していくことは正しく、生産力が発展すれば、人々に十分に行き渡るだけのパンが得られ、それによって共産主義社会が実現すると考えていたのである。


然し、現代社会は、生産力が十分に発展したにも関わらず、経済格差は広がり、貧困が生み出されている。


従って、この理論は、ほとんど説得力がないことが明らかになっている。


富裕者が儲かれば、経済活動が活発化することで貧困者にもそのおこぼれが滴り落ちるという、トリクルダウン理論があるが、その理論も嘘であることが明らかになっている。


斉藤幸平によれば、資本主義は、コモンズ(公共財産)を破壊し、それを私的に食いつぶすことによって、利益を得ており、それは人々が無料で利用出来た潤沢な共有財産からの収奪によって成り立っているが、資本主義は、原始的蓄積の段階でそれを行なったのではなく、資本主義は常にそれを行なっているという。


資本主義は、コモンズを破壊し、人々から潤沢さを奪うという点は、正しく、資本主義によってかえって人々の生活は貧困化していることは間違いないと言える。



また斉藤幸平は、科学や資本主義の発展によって生み出された環境破壊などの問題は、更に資本主義を加速し、科学を発展させることによって乗り越えていけると考える楽観的な「加速主義」を批判している。




「加速主義」とは、wikipediaによれば、政治・社会理論において、根本的な社会的変革を生み出すために現行の資本主義システムを拡大すべきであるという考えである。


私は以前、『資本主義の共産主義化について』というコラムを書いたが、そうした観点は、斉藤幸平が批判する「加速主義」の観点であると分かった。



「加速主義」は、資本主義の技術革新の先にあるコミュニズムにおいては、完全に持続可能な経済成長が可能になると主張するのである。



カール・マルクスも共産主義に至る途中の段階で、資本主義の推進が必要であると考えていた点において、「加速主義」の兆候が見られるという。



また私が以前、紹介した『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』(ピーター・ディアマンディス&スティーブン・コトラー 土方奈美訳)は典型的に「加速主義」の立場である。



そこには様々なテクノロジーの発展が、例えば、工場で野菜や人工肉を生産して食糧問題を解決し、臓器を細胞から生成し外科手術で老化した臓器と交換するような再生医療により人間の寿命も大幅に伸びるなど、約束された輝かしい未来をもたらすビジョンが描かれている。


そして、それは人工知能の発展に期待し、シンギュラリティー(技術的特異点)の到来を待望するのである。


知識人の多くの人々がこの「加速主義」の立場を取っている。



然し、斉藤幸平は、「加速主義」を唱える人々は、資本主義が好きであり、結局の所、生産力至上主義なのだという。


斉藤幸平は、加速主義への批判において、「加速主義は世界の貧困を救うためにさらなる成長を求め、そのために、化石燃料などをほかのエネルギー源で代替することを目指す。だが、皮肉にも、その結果、地球からの掠奪を強化し、より深刻な生態学的帝国主義を招くことになってしまうのだ」と結んでいる。




然し、私は、斉藤幸平の『人新世の「資本論」』を読んでいて、この「加速主義」批判が、今ひとつ説得力に欠けると考えている。



西洋中心の進歩的歴史観は、フェビアン協会などの社会主義の進歩的知識人などの考え方であり、神智学協会の第二代会長アニーベサントなども協会員である。



双子座が象徴するフリーメーソンの基本的な考え方であり、近代科学というのは、双子座がもたらす自然を改変する性質がもたらしたのである。



フリーメーソンであれば、皆、「加速主義」になると考えられる。



斉藤幸平が批判するシリコンバレー資本主義というのが、その典型である。



フリーメーソンであれば、気候問題や環境問題に対して、技術革新による問題解決を諦めたりしない。



むしろ、そこにこそ、唯一の救いがあると考えるはずである。



例えば、原子核融合などの技術革新による新しいエネルギーの取得は、それを意味している。



もし新しいエネルギー源が発見されたら、原子核融合は、二酸化炭素を排出しない為、気候変動問題は解決し、それ以降は持続可能な経済成長が可能になりそうである。



従って、もう少し「加速主義」に期待してもいいのではないかと思えてしまう。




斉藤幸平が、主張する脱成長コミュニズムというラディカルな主張では、市民によるアソシエーションが生産手段などを所有し、共同管理して、資本主義を止めることが必要なのだと書いている。



またGAFAといったプラットフォームも共同管理すべきものだという。



その為にグレタ・トゥーンベリの環境保護活動のような、あらゆる市民運動が必要だと書いている。



これは明らかに水瓶座の理念の優等生的な発言である。



斉藤幸平はまだ若く、純粋なだけに世界の最先端で、アソシエーションを形成して、環境問題に取り組んだりしている優れた人々しか見ていない。



然し、私は、市民によるアソシエーションが、生産設備などを所有して運営するというのは、かなりハードルが高いと思わざるを得ない。



特に日本では、市民革命なども経験しておらず、上から指示されて働くことに慣れており、自分から進んで、他者と対等なコミュニケーションを結んで、そこで何の問題も起こさずに何かを共同で運営管理していくといった難しいことは出来ないと思うのだ。




そのような知識があり、能力がある人は、株式会社を作って、自分と自分の身内や家族で運営していくというスタイルを取ってしまう。



地域住民とか赤の他人と、そう簡単にアソシエーションを作れるというのは幻想なのである。



また生産設備もアソシエーションで管理すると、誰の所有物でもない為、メンテナンスなどが行き届かなくなる場合もある。



アソシエーションを築くには、常識を備えており、利己的でない、成熟した人々が必要だが、社会はそういう人間ばかりではなく、ほとんどが自分の自己中心的な利益を第一に考えて、その為には他人の事を顧みない人間でかなり溢れている。




フェイク言論やヘイト発言などをしたり、地球温暖化詐欺と主張するようなポピュリズムの人々で溢れている。




従って、生産設備を市民によるアソシエーションが所有するというのは、もっと人間が進歩して、成熟した先にある未来ではないかと思える。




普通の一般市民は、力のある人物の下で、その指示に従って活動するように自然に収束していくと思うのである。




従って、神智学では、霊ヒエラルキーという概念があり、来るべき未来には、霊的なエリートが前面に出て来て、人類を指導するという考え方があるのである。




それは結局の所、エリート政治であり、全く純粋で対等な民主主義ではないのである。




GAFAの経営者たちも世界の選りすぐりのエリートたちであり、そうしたヒエラルキーのいずれかの段階に準ずる人々であり、世界やコミュニケーションのあり方を変えようというビジョンがある。




全く利己的に自分の利益だけの為に振る舞っている訳ではない。




GAFAの創業者になるような人物たちの能力を過小評価して、そうした人々が苦労して作り上げた企業を市民のアソシエーションの管理下に置くといったような考え方はあまりお勧めできない。




市民がそれらのインフラを共同所有して管理しようとしてもあまり上手く管理できないのではないかと思われる。




一部のエリートが市民の意見を聞きながら、迅速に意思決定するような仕組みの方が、民主主義ではないが、必要なあり方ではないかと思われる。




何故なら、民主主義に任せていたら、一部のポピュリストのせいで、何も決定できなくなるからである。




フェイク言論やヘイト発言などをしたり、地球温暖化詐欺と主張するような人間がかなりの数いるような世界であれば、民主主義は衆愚政治に陥ってしまい、また市民によるアソシエーションも会議が紛糾して、何も意思決定できなくなる。




そうすれば能力があって指導力のある実力ある人々は、そんな人々に付き合っている暇はないと考えることになる。



リバータリアンの米国IT富豪ピーター・ティールは、民主主義なんかに付き合わされるのは御免だと発言したという。




またそれだけの能力がある人であれば、政府が放っておく訳はなく、政府の何らかの諮問機関に招聘されたり、何らかの政府の立場で、働くことになると思う。




従って、純粋に市民のアソシエーションの管理下で、インフラや生産設備などを管理維持するというのは実現しないのではないかと思う。




今の社会のメリトクラシーの問題とは、能力があるなしの違いで、人々が高い地位に昇るか低い地位に甘んじるかが決まってしまうのだが、それは全く平等に決まるということである。(但し、メリトクラシーは階級の固定に利用されているという批判もある)



そうすると、やはり、能力がある人が、意思決定するようになってしまう。



何故なら、それをする為の能力があり、そうする資格があり、それが自然なことだからである。



私自身は、シリコンバレーの強欲なエリートたちが、本当に人類を桃源郷のような世界に連れて行けるのか疑問に思っていた。



霊ヒエラルキーの最高の段階にいる人々は、私利私欲のない人々であるが、シリコンバレーの資本家たちはそうではなく、かなり強欲な人々である。(然し、それが人間の自然な本性である)



資本主義の枠組みの中で、企業を大きくしたいし、より資本を増やしたいと考えている。




斉藤幸平の今回の著作の中では、「メリトクラシー」の問題が全く論じられていなかったが、人は能力の面で、平等ではないのである。



従って、能力に応じて、就ける仕事や立場が決まってしまうが、その辺りのことが全く論じられておらず、斉藤幸平は、民主主義の大切さを主張し、貧しい人のコモンズへの権利を主張するが、民主主義とは、能力主義を開放し、人を能力の高い、低いに差別化してしまうという残酷な一面を見ていない。




従って、エリートは自分の能力に見合ったものを要求するし、自分が創業して大きくした企業を簡単には、市民によるアソシエーションの手にいだねたりはしない。



エリートは高額な報酬を要求するし、それは程度の問題であるが、ある程度は合理的である。



資本主義の仕組みを活用して、企業を起ち上げ、株式を何百倍、何千倍の値段に釣り上げて、富豪になるというのは、やはり能力である。



一般市民には、その能力がないから、一般市民なのだ。




エリートに我慢しろというのは、中々難しいのである。



従って、一般市民の生活を楽にし、安定させる為にベーシックインカムを支給したり、エリートたちと開いてしまったその差を埋める手続きが必要である。




斉藤幸平の議論では、「加速主義」を生産力至上主義であるとして批判しているが、成長よりも分配の方が大事であり、一般市民にコモンズを取り戻すことが必要であるというのは事実である。




その為に資本主義による経済成長が減速するのもいいことだと思う。



然し、社会主義的な統治が進んだ後には、最終的には、原子核融合や太陽光発電などの技術革新により、無尽蔵にエネルギーが得られる潤沢な未来がやってくることを期待している。



そうした大規模エネルギープラントなどは、主権国家がより包括的な国際的組織の監視の下で運営していくべきものではないかと思われ、資本主義による管理には向いていない。



事実、現在、原子核融合の研究開発は、各国の協力の下で進められており、これは一企業が独占するような技術ではなく、各国が共同で管理していくような類のもので、その運用は、社会主義の下での運用が向いているのである。



またエネルギーが無尽蔵に得られる社会とは、誰も生活必需品やお金が不足しない社会であり、斉藤幸平が言うように資本主義では稀少性が重要であるが、誰もエネルギーを独占できない為、エネルギーは売り物にならなくなる。



その時に資本主義が終わるのである。



春分点が水瓶座に向けて移動している為、将来的には資本主義は終わり、社会主義に移行していくと思われる。




現在、必要なことは戦争などを起こして、これまで築かれた成果を破壊したり、台無しにすることなく過ごしていくことで、気候変動や環境破壊で地球が破壊されないようにすることである。



その為に一旦、斉藤幸平が言うように資本主義は、スローダウンさせ、労働時間を減らして、皆、働かず、その代わり余暇を増やして、精神的に余裕のある生活をすべきである。



新型コロナウィルスの蔓延によって、医療関係者などは非常に忙しい一方で、労働力が不足して、経済活動がスローダウンしたり、労働時間が減っている人も増えている。



こうした自然災害によって資本主義による経済活動を減速させられているのである。



アメリカではインフレが起こっており、コロナの給付金を貰い慣れてしまい、誰も働こうとしないそうだ。



金融緩和で溢れかえったマネーは、インフレを引き起こし、株式市場などに流れ込むしかなく、資産バブルが起こっている。



資本主義は、もはや自滅しそうな兆候が表れており、これで株式市場が暴落すれば、もう資本主義を維持していくのは難しいので、社会主義に移行しようという話になりそうである。




それが、今、土星が水瓶座に入室していく直前の状況である。



水瓶座は、共産主義、社会主義の星座であり、そうした議論が、増していくことは明らかである。




因みに斉藤幸平のチャートを作成すると、水瓶座で木星と月がコンジャクトしており、ガージャケーサリヨーガを形成しており、永続する名声と記憶力を示している。






水瓶座の木星は、ウッタラカーラムリタによれば、高揚しているかのように強い配置である。



現在、この出生の木星にトランジットの木星がリターンしており、斉藤幸平にとって、今、このタイミングこそ、資本主義をやめて脱成長コミュニズムに移行することを提言するタイミングであった。



最晩年のマルクスの思想に着目し、気候変動の問題をマルクス主義に結びつけ、資本主義の存続は不可能であると言い切っている。



リベラル左翼と呼ばれる社会民主主義政党が、資本主義の枠組みの中で社会保障や再分配を行なうという中途半端なものとは一線を画しており、斬新な発想であった。



然し、水瓶座というのは、平等(正義)にこだわるため、市民のアソシエーションによる生産設備やインフラの共同管理という考えに行きつくが、それは、苦労して起業し、自分の会社を創り上げた創業社長の権利を侵害するのではないかとも思える。



そういう意味で、水瓶座には、リバータリアンの視点から見ると、非常に恐ろしいものがあるのである。



斉藤幸平の場合、木星と月は、吉星であり、コモンズを奪われて貧困で苦しむ一般市民に同情する非常に優しい意見であるが、もし水瓶座に凶星が在住した場合、それは一気に強制力を伴う、暴力的な共産主義革命思想に変容するのである。



資本主義をやめようというのは、ラディカルな思想で、水瓶座が凶星によって、表現された場合、共産主義革命と官僚による全体主義的な管理の思想に早変わりするのである。



【2022年2月4日追記】

この本を読んで、斉藤幸平の気候変動に対する危機意識、西洋の哲学やマルクス主義についての理解、資本主義についての洞察、コモンズについての認識については感心し、市民がコモンズを奪われて貧困化していることについても事実その通りだと思ったが、資本主義を廃止して、GAFAなどのプラットフォームや生産設備などを市民のアソシエーションによる共同管理、共同運営にするという意見には賛同できないと思った。


それよりもアメリカのシリコンバレーの資本家たちが目指している「加速主義」で何とかなるのではないかと思った。


私は、蟹座に月と太陽が在住しており、水瓶座は8室になる為、アソシエーション的な人間関係は苦手であることから来る感覚でもある。



企業を自分の努力で創業して、大きく育てた経営者から、一般市民のアソシエーションが、その企業を奪い取るというのなら話は非常に恐ろしいものだと思った。


然し、資本家だけが株式によってその企業を所有するのではなく、従業員や一般市民も株式を取得して承継するというのなら、まだ分かるかもしれない。


例えば、その会社で働きもしない資本家が、株を所有するだけで、あまりにも大きな配当を受け取るのは禁止といったことはありだと思う。


経営者とも従業員とも地域社会とも全く関係のない資本家がほとんどの株式を持つというのは、非常に強欲すぎる。


つまり、富を生み出すインフラや労働力からなるシステムを資本家だけが所有するというのは、非常に不公平である。


(資本家が株式を所有することで、他人の営み、活動、人生を丸ごと買えるという思想が不道徳である。逆に言えば他人の人生を支配し、他人の人生を丸ごと買おうとするなら株を買うことが有効である。)


その代わりに株式は、創業者がかなり多くの割合を持ち、従業員たちで、残りを分配するといった仕組みであれば納得する。


株式会社の株式の何%かは従業員などそこで働く人たちが所有する権利というのを法律で定めてもいいかもしれない。


また資本家は株式会社の株式の何%までしか取得できないというのを法律で定めてもいいかもしれない。


ただそれを法律で定めるためには中国のような国家社会主義的な独裁的な政治力(強制力)が必要となる。



資本家にとっては、創業者も、経営者も一つのコストに過ぎない。


資本家は株を持っているだけで、高額な配当を受け取るが、本来、企業とは、創業者や従業員、地域社会のものではないかと思う。


企業が、創業者や従業員、地域社会の役に立つものであるためには、それらの人々が株式を所有しなければならない。


株を持っているだけで他人のふんどしで、飯を食うような資本家たちは、明らかに楽をし過ぎている。


然し、その株式市場の仕組みは、双子座が生み出したものであり、それはフリーメーソンの星座であり、株式市場の思想とは、フリーメーソンそのものなのである。


因みにフリーメーソンというのは、ユダヤ人の宗教のようなものであり、また株式市場の仕組みなど、資本主義の現在ある形は、乱暴に言えば、ユダヤ人が作ったのである。


それを資本家たちが放棄できるのかということである。


その双子座の核心部分、資本主義の核心部分を双子座が放棄できるのかということである。


中々、自分からは放棄できないと思われる。


然し、例えば、ウォーレン・バフェットのような人物が、自分に課せられる税金が少なすぎるのでもっと多く取るべきだといった発言をしている所を見ると、資本家自身によって、その改革案が受け入れられる可能性が残っている。


ダヴォス会議で言及されているステークホルダー資本主義というのは、企業とは資本家だけの所有物でなく、労働者や地域社会の住民など全ての利害関係者のものである為、その利害関係者全員の利益になるように資本主義を改革するという考え方である。


そこでは、企業が株主の利益だけの為に生産活動を行なうというあり方にメスが入るかもしれない。


そういう考え方により、資本主義の現状の株式を発行する仕組みに変更が加えられるなどの形で、改革は行なわれる可能性が存在する。


企業を創業した創業者の先見の明や能力は優れており、その創業者が企業の株式を多く所有するが、そうしたことには正当性が存在する。


またその創業者の能力やビジョンを見極め、その事業に投資して、必要な資金を供給した投資家が、事業が大きく成長した時にその配当を受け取るということにも合理性が存在する。


然し、その限度の問題というものはあるかもしれない。


従って、会社の株式の発行に関わる商法などの法律の見直しや、銀行システムによる信用創造によって市場にマネーを供給するという現状のマネーシステムの在り方などが改革されることで、資本主義をやめるなどと言わなくても現状を改革できるかもしれないのである。


斉藤幸平が言うように、企業は市民によるアソシエーションが所有し、管理するべきだという発想には、資本家や創業者がリスクを冒して事業活動に投資し、社会を改革し、イノべ―ションを起こすような力、時代を先取りする能力や手腕に対する評価が含まれていないのである。



もし起業して新しい事業を創業するような力のない一般市民のアソシエーションが、企業を所有するようになったら、その事業活動はたちまち上手く立ちいかなくなる。



現状維持の保守的な考え方や怠惰や惰性などが蔓延って、その企業活動に硬直化や死がもたらされると考えられる。



例えば、バガヴァッド・ギータのトリグナの考え方においても、鈍性(タマス)よりも激性(ラジャス)の方が優れているという認識がある。



つまり、鈍性によって支配されやすい市民(タマス)よりも野心的で貪欲な起業家(ラジャス)の方が社会を推進する力を持っていると考えられる。



従って、市民が権力を持ち、創業者が苦心して育て上げた事業を創業者や資本家から取り上げて、市民のアソシエーションが所有するという考え方は、斉藤幸平の考え方が、従来の共産主義革命思想に容易に堕する危険性を持っている。



そうした従来の左翼思想は、反対するだけの活動に堕し、激性(ラジャス)に支配された資本家や経営者たちの行き過ぎた活動を抑制する働きは持つが、一般市民とはそもそもタマスに支配されている為、物事を創造する力に欠け、技術革新をもたらしたりする力に欠けている。



もし本当に効果的な左翼活動家であるなら、起業家精神や経営者の発想が必要であり、具体的に社会に新しい仕組みを生み出すようなダイナミックな創造性が必要である。



反対するだけの左翼活動は破壊するだけで何も生み出さないというのはこれまでに経験された教訓である。



それは必要ではあったかもしれず、それが生まれた必然性もあったのかもしれないが、反対というのは目的やゴールにはならない。



つまり、存在しているものは全て正しいという理論が有効である。



資本家や起業家が支配する世の中であるのは、それだけ資本家や起業家が創造的で力があったからである。



労働者が労働者であるのは、創造性や力がないからである。



その現実は厳然として存在しており、社会がメリトクラシーによって、ヒエラルキーが生成されるというのはある程度、仕方がない。



例えば、神智学では、これから来るべき社会においては、霊的貴族が出現すると言われているのだ。




然し、原子核融合などの技術革新によって、エネルギーが無料になり、エネルギーの稀少性が失われて、エネルギー(お金)を得るために誰もどこかの誰かの下で従業員として働こうと思わなくなったら、それが資本主義の終わりである。


資本家たちが、エネルギーを無尽蔵に生み出せる原子核融合の建設に反対し、それを妨害する理由というのは、現在、気候変動や環境問題で地球存続の危機にある今の段階では、見出しにくい。


その技術を独占し、それで儲けたいと考えるかもしれないが、それで稼ごうとしても、そのエネルギープラントで電力が無尽蔵に生み出される為、資本主義の競争原理によっても、電力の価格が安くなって無料に近くなり、エネルギーが無料で得られると、誰も労働しなくなってしまう。


資本主義とは、労働力という商品を使って、商品を生み出す仕組みであり、労働者に商品を作らせて、労働者に割高な商品を購入させるという仕組みである。


その商品から生まれる利益は、常に商品を作るために使った労働力のコストよりも高い。


労働者に支払う賃金とは、商品の売上高とは何の関係もないのである。


労働者に支払う賃金とは、実は、労働者が最低限生活を維持するのに必要な額に抑えられている。


家賃を支払い、食費、ガス、水道、光熱費などを支払って、明日また会社に出社できないと、労働力を使用できない為、それが維持できるくらいの金額は支払われる。


労働者への給料とは、そうした労働力維持の観点から支払われるだけのコストである。


労働者に商品を作らせて、労働者に商品を購入させるというサイクルは労働力からエネルギーを搾り取る仕組みである。


そのサイクルの中に労働者が留まろうとしなくなる時、それが資本主義の終わりである。


最近、アメリカでインフレが起こっており、アメリカの労働者が大量にばら撒かれたコロナ対策の支援金により、誰も労働しようとしなくなり、労働者の時給が5000円ぐらいに暴騰していることを考えると、資本主義のメカニズムというのはそれなりに合理的に働いていることがよく分かる。


つまり、エネルギーの技術革新が起これば、資本主義の価格競争のメカニズムによって、資本主義が終ってしまうということである。


従って、原子核融合の技術開発の最前線で働いている科学者の仕事というものは、非常に重要なミッションであり、今、流行っている宇宙開発などよりもずっと重要である。


この重要なミッションが滞りなく進行する為に一般の人々が、原子核融合の可能性を知り、それに対する教養や認識を高めると、それが速やかに進行する為の世論や期待が醸成される。


そして、そうした成果を破壊し、台無しにするような戦争などが起こらないように注意しなければならない。



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