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小室哲哉引退について

2018 1/22

小室哲哉が1月19日午後に記者会見を開き、週刊文春にスクープされたA子さんとの不倫騒動のけじめとして作曲家としての引退を表明した。

会見では、妻であるKEIKOの介護生活について赤裸々に語り、また突発性難聴など身体の衰えや才能の枯渇などを訴え、これまで作詞、作曲家としての活動に対する限界を感じていたようだが、今回の不倫騒動をきっかけに引退への決意に繋がったようである。



引退を表明した現在、小室哲哉は、土星/木星期で、マハダシャー土星期の最後のアンタルダシャーの時期である。

このマハダシャーロードの土星とアンタルダシャーロードの木星にトランジットの土星と木星がリターンしている特別なタイミングである。

つまり、土星と木星の両方が同時に出生の配置に戻ってくるタイミングとは、誕生してから60年後(60歳)である。


これを世間的には『還暦』と呼んでいるが、土星と木星が誕生した位置に戻って来るタイミングとは一つの周期の終わりであり、人生が一区切りついたということである。



土星は、ラグナ、月から見て、9、10室支配のヨーガカラカで、8室に在住しており、8-9、8-10の絡みが見られる。


9室とはダルマハウスであり、人生の目的のハウスであり、喜びやインスピレーションを表わすが、それが8室に在住して失われている。


そして、10室の支配星が8室に在住しているので、仕事の行き詰まり、中断(すなわち引退)なのである。


木星は8、11室支配で6室に在住しており、これは今回の不倫騒動などに見られる対人関係上の依存関係を表している。


おそらくこの木星は、看護師のA子さんの表示体ではないかと考えられる。


医療の専門知識を持つA子さんに頼り、お金を支払って、サービスを受けるという関係性がこの6-8の関係である。


7室支配の火星が12室に在住し、その火星に木星がアスペクトしている為、KEIKOが入院する病院に見舞いにも来てもらったということではないかと思われる。


このアンタルダシャーの木星のディスポジターである金星がラグナロードで6室支配の金星であり、それが7室に在住している。


従って、A子さんから医療行為を受けながら、同時にパートナー関係のような要素が出てきたと考えられる。



今回、マハダシャーロードの土星は8室に在住し、アンタルダシャーロードの木星は8室の支配星である。


そして、土星が8室にトランジットし、木星が8室の支配星にトランジットしているため、8室にダブルトランジットしており、また木星と土星は10室や2室にもダブルトランジットしている。


8室と10室にダブルトランジットが形成されているため、今、これだけ世間の注目を浴び、人生の挫折とも言える状況に陥っているのである。


小室哲哉の引退とは、今回の会見を見ても分かるように挫折としての引退なのである。




小室哲哉は、会見の中でも語っているように1993年~2000年ぐらいまでが、全盛期で、2000年以降は、事業の失敗や巨額の借金、創作活動における産みの苦しみなどに直面している。

ちょうどマハダシャーが木星期から土星期へ切り替わった頃である。





ナヴァムシャ(D9)を見ると、木星は9室支配で5室にアスペクトしており、4、11室支配の金星と相互アスペクトして、4-9、9-11のラージャヨーガ、ダナヨーガを5-11室の軸で形成している。


1993年~1995年末ぐらいまでの木星/金星期が最も輝いた時期である。


マハダシャーロードの木星とアンタルダシャーロードの金星が相互アスペクトして、ラージャヨーガ、ダナヨーガを形成している為である。





そして、ダシャムシャ(D10)を見ても木星は5、8室支配で10室に在住し、3、10室支配の金星と5-10室で星座交換している。


このマハダシャー木星期に小室哲哉は、多くのヒット曲を世に送り出した。


特に木星/金星期に送り出したのである。



ダシャムシャの5室と10室で星座交換している配置は、小室哲哉がクリエイターであり、作詞、作曲家であることを表している。





5室は音楽を表わし、金星は音楽の表示体である。


この5室に在住する金星と星座交換するマハダシャー木星期に小室哲哉の作詞、作曲の才能は、最高のパフォーマンスを発揮した。


然し、マハダシャー土星期になると、土星は6、7室支配で5室に在住しており、創作活動(5室)に奮闘(6室)をもたらした。


アイデアが出て来なかったり、音楽が思うように生み出せない苦しみをもたらしたのである。



結局の所、2001年5月5日以降のマハダシャー土星期に入ってからは、小室哲哉はずっとこの調子なのである。


最も創造性や才能を発揮した1993年~1995年末、そして、2000年ぐらいまでの作品と比較されてしまい、その時の作品よりも良いものが生み出せないという葛藤が常に付きまとっているのである。



これが小室哲哉自身が会見の中で語っている才能の枯渇の問題である。



然し、土星は5室に在住している為、才能の枯渇に悩んだとしても楽曲を作り続けなければならないのである。





これは2020年5月5日以降にマハダシャー水星期に移行した後でも同じである。


水星は2、11室支配で5室に在住している。


従って、今度はお金を稼ぐために曲を作り続けなければならない。



小室哲哉のダシャムシャの5室を見ると、金星、水星、土星、火星が集中し、金星は木星と星座交換している。


この射手座に集中する惑星が、小室哲哉の才能を表しているが、土星や火星が絡んでいる為、シンセサイザーなどを使ったテクノサウンドなのである。


そして、非常にテクニシャンであり、万人に広く受け入られる楽曲を作ったという意味で、その才能は、同じく5室に惑星が集中している三島由紀夫や村上春樹と似ている所がある。

素朴ではなく、技巧的で上手いのである。


然し、小室哲哉自身が、曲がヒットした頃から20年以上が経っているので、才能が枯渇し、自分でも飽きてきている、みなさんも飽きてきていると、悲しいことに自ら率直に述べている。


つまり、最も自分が創造的であった頃の自分を模倣する段階にまで到達してしまったということではないかと思われる。



水星は出生図でも5室の支配星で、8室で、9、10室支配の土星とコンジャンクションし、ナヴァムシャでも3、12室支配で、10室で、7、8室支配の土星とコンジャンクションしている。



土星期と比べて、良くなったとは言えない配置である。


基本的にこの土星期の19年間に行ってきた楽曲作りを更に水星期になっても続けていかなければならないということではないかと思うのである。



小室哲哉も今は過度の失意の中で、『引退』の言葉を口走ったが、結局、音楽の才能を持って生まれてきた以上、今後も音楽以外のことは出来ないのではないかと思うのである。



それが小室哲哉のマハダシャー水星期である。







因みに小室哲哉は、2008年11月4日に大阪地検特捜部に5億円の詐欺容疑で逮捕されている。


全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を関西地方在住の個人投資家男性と締結し、前妻のASAMIの著作権使用料の差し押さえを解除する費用として、5億円を受け取ったが、実際には、著作権の一部は譲渡済みで、実際には著作権を持っていなかったことから、投資家から刑事告訴された為である。


この時、小室哲哉は土星/金星期である。


何故、この土星/金星期に刑事告訴されたのか考えると、マハダシャーの土星とアンタルダシャーの金星は絡んでいないため、土星からの金星の配置が重要となる。


土星から見ると金星は6、11室支配で12室に在住しており、6室の象意が確認出来るため、投資家から刑事告訴されたのである。


また11室支配の金星が12室に在住しているということは、この時期、小室哲哉は出費が激しくて借金の返済などに苦しんでいた時期である。


この配置からは、そうした小室哲哉の経済的な苦しさが伝わってくる。


金星はラグナから見ると、1、6室支配であり、ディスポジターは12室に在住し、12室支配の火星からアスペクトを受けている。


従って、6室の象意、12室の象意が強調されている。



また凶星のマハダシャーの時期にそれと絡まないヨーガカラカのアンタルダシャーの時期は悪いという有名な法則がある。


金星はラグナロードで、生来的吉星でもある為、良さそうに思うが、この場合、金星は悪いということである。



木星/金星期は、小室哲哉は1993年~1995年末の楽曲がヒットを飛ばした最もブレイクした時期であった。


従って、アンタルダシャーの金星期は一見良さそうに思えるが、然し、マハダシャー土星期におけるアンタルダシャーの金星期は良くないのである。


これについては私もその当時はよく分かっていなかったが、土星と金星が絡んでいないため、土星からの位置関係が重要となり、金星は土星から見て6、11室支配で12室に在住するその配置の象意が強く出て来るのである。


また土星/金星期は、土星/土星期のように働くということも機能していると考える必要がある。


但し、土星/土星期として考える場合、パッと見では、どこにも6室の象意が出てこない為、小室哲哉が刑事告訴された(6室)象意はどこにあるのかと考えてしまう。


然し、土星のディスポジターが8、11室支配の木星で6室に在住している為、ここで6-8の絡みが生じ、また木星は11室の支配星でもある為、不正な(6-8)利得(11室)が生じたと考えることが出来る。


従って、ここでは、土星から見た金星のPACからも説明できるし、また土星/金星期を土星/土星期のように考えて、土星のディスポジターの理論で説明することもできる。



また土星/金星期の場合、アンタルダシャーの金星は、アヌラーダに在住し、土星を支配星とするナクシャトラに在住している。


従って、この場合、マハダシャーの土星の方が優勢に働くと見なすべきである。


そうすると、土星のディスポジターの理論で、8、11室支配の木星が6室に在住することによって刑事告訴を受けたと考えることが出来る。



音楽家として成功した木星/金星期の場合、マハダシャーの木星は天秤座に在住して、金星の星座に在住している為、アンタルダシャーの金星が優勢に働いたと考えることが出来る。


従って、木星の配置が本来持っているはずの8-11室支配で6室に在住する凶意は、それ程、発揮しなかったと考えることが出来る。



このように小室哲哉の木星/金星期と、土星/金星期の比較というのは、非常に興味深い研究テーマである。



小室哲哉は成功していた1993年~2000年のマハダシャー木星期に総資産が100億円を超えていたが、浪費家で、金遣いが粗かった。


ロサンゼルスへの渡航費に2000万円かけたり、ベンツやフェラーリを30台以上所有し、プライベートジェット機を保有。


売れたアーティストには高級外車やカジノで豪遊するなどしていたそうである。



これは、木星が8、11室の支配星であるが、6室に在住して、7、12室支配で12室に在住する火星と相互アスペクトしている為である。


11室の支配星が12室の支配星と6-12室の軸で、相互アスペクトしていた為に入ってきた収入を全て浪費したようである。


その際、7室支配の火星が12室に在住しており、配偶者による出費という象意もあり、前妻の慰謝料への支払いもあったが、また後に再婚したKEIKOも小室哲哉の浪費癖を諌める感じでもなく、この配置からは一緒になって豪遊したのではないかと考えられるのだ。



この木星期に海外事業にも投資したが、それも失敗して、70億を超える負債を負ってしまったようである。


この配置も7、12室支配で12室に在住する火星と、8、11室支配の木星が相互アスペクトしている為に生まれた出費である。



木星が結局の所、6室に在住して12室にアスペクトしているためにどれだけ稼いでもその稼いだお金を豪快に使ってしまうという配置のようで、金は常に不足し、借金体質であったことが理解できる。


そして、金に困ると、月利5%も取るような高利貸しのような人物からお金を借りるという無謀な行為も行っている。



その高利貸しのような人物への金利の返済に充てるために巨額詐欺事件を起こしてしまったようなのである。



おそらく木星期の途中で、借金に頼っての豪遊生活を送っており、木星期の間は収入もあったため、問題はなかったが、土星期になって収入が減ると、金利の支払いに苦しみだしたということである。



8、11室支配で6室に在住する木星は、6-8の絡みがあり、お金が絡む貸し借りの人間関係、支配と服従の人間関係を表しているのである。



それで、この時期、前妻への離婚慰謝料を背負い、海外の事業で負債を抱え込み、高利貸しの負債も抱え込んだのである。



これがマハダシャー木星期の実態である。



つまり、収入が良かった木星期に後に苦しむことになる種は播いていたといえる。



逆に言えば、6-8の絡みをヴィーパリータラージャヨーガとして捉えれば、借金をして豪遊ができるという配置であると言える。






・金銭感覚が普通でない人のチャートの特徴とは


つまり、こういうことが言えると思うが、金銭感覚が普通でない人(浪費癖が激しい人)のチャートにおいては、必ず、11室と12室が強く絡んでいるのである。


11室と12室が星座交換しているような場合であれば強力である。


そして、6室(借金)と12室(出費)の軸が強調されているはずである。




・8室の凶星


また8室に凶星が在住している場合、7室から見た2室である為、パートナーにとってのマラカハウスとなり、パートナーの健康を損なう配置である。



KEIKOが2011年10月24日にくも膜下出血と診断された時、ダシャーは土星/太陽/土星期であった。



土星は蠍座の7室をラグナとすると、3、4室支配で、マラカに相当する敏感さ(※3室[8室から見た8室]を支配している為)があり、マラカの2室に在住している。



従って、小室哲哉の9、10室支配の土星は、ヨーガカラカで、2、5室支配の水星とコンジャンクトして、5-9、5-10のラージャヨーガを形成し、一見良さそうに思えるが、8室に在住している場合、土星や水星が支配するハウスの象意が傷つくと共にパートナーにとってそれは良くない配置であることは無視することが出来ない。



8室で土星と水星がコンジャンクションしているが、この土星と水星は度数も近く緊密にコンジャンクションしている為、ナヴァムシャでも同じ10室に在住している。


蟹座ラグナにとって、土星は7、8室支配で10室で減衰しており、3、12室支配の水星とコンジャンクションしているが、対向には2室支配で4室で減衰する太陽と相互アスペクトしている。


然し、ここには全くラージャヨーガは形成されておらず、しかも吉星の絡みもなく、木星からのアスペクトもない状態である。


減衰する土星と減衰する太陽の相互アスペクトは、ニーチャバンガラージャヨーガであると言われ、また土星は8室支配で減衰している為、パラシャラの例外則によるラージャヨーガ的な働きが期待できるがここで、それが何を指すのかはよく分からない。



これらの例外法則を考慮するよりも先にケンドラに在住する減衰した凶星で、何もラージャヨーガを形成しておらず、吉星の保護も働いていないという点を考慮すべきかもしれない。



従って、マハダシャー木星期とマハダシャー土星期のギャップが非常に大きいのが小室哲哉のチャートである。



2000年代初めに週刊誌にて、小室哲哉の落日が揶揄される記事が掲載されたが、それはマハダシャー土星期への移行が始まった時である。



小室哲哉は、まもなくマハダシャーの土星期が終わろうとしている為、まもなく19年の歳月が経過しようとしている。



(参考資料)

小室哲哉会見の100分全記録「5年前から男性的能力なく、男女関係ない」「単語でKEIKOと会話」
上田耕司 2018.1.19 23:18 週刊朝日

小室哲哉が19日午後、記者会見を開いた東京都港区のエイベックス本社には150人の報道陣が集まった。たった1人で着席した小室は頭を深く下げた後、静かに話し始めた。支離滅裂な言い分、意味不明に思えた発言も多くあったが、なるべく発言のままにお伝えしていく。

*  *  *  報道により、KEIKOやファンのみなさまにご心配おかけしたこと、相手の方にご迷惑をおかけしたことをお詫びすると同時に、僕なりのこの騒動のけじめとして、引退を決意しました。

 話を2009年までさかのぼらせていただきます。僕は事件で有罪判決(懲役執行3年、猶予5年)を受けました。そして2011年10月、妻の突然の病気(くも膜下出血)。予期せぬことではありました。因果関係もお医者さまにもわからないんですけど……。

 幸いKEIKOに身体的な後遺症はなかったのですが、脳の方にちょっと障害が残りました。少し、欲がなくなってしまったりとか、僕から見て、女性から女の子という、すごくやさしい性格になったのかなと初期はそう思いました。

 一番、ショックを受けたのは、KEIKOは歌手ということで大きな存在だったと思うのですが、残念なことに音楽に興味がなくなってしまって、カラオケに誘ったり、音楽のインターネット番組を見せたり、CDを聴かせたり、僕なりにいろいろと誘ってみたのですが、音楽に興味を持つということは日に日に減ってきました。

 今年で7年目になるんですが、初期の頃、何とか無理やりレコーディングスタジオに連れて行き、KEIKOの心境を僕が歌詞にした歌を何とか録音したことがあります。未発表曲になっておりますけど。それ以降は「もういいよね」ということで、ほぼ歌うことということはなくなりました。それが現状です。

 これも恥ずかしい話なんですが、今は彼女は小学4年生くらいの漢字のドリルとかが楽しいみたいです。すべてがそういうレベルでは全くないですけど……。

 そういう中で、夫婦として、大人の女性としてのコミュニケーションが日に日にできなくなってきています。

 電話や会話がだんだん1時間から10分、5分、3分みたいな間しかもたなくなっています。

 非常にかわいそうだなという気持ちもあるんですが、そこをあきらめてはいけない。それが精神的なサポートということなんだと承知の上だったんですが、何度も繰り返しの質問であったりとかで、3年前からちょっと疲れ果ててしまっていたところはあったとは思います。

年々、仕事が増えて、少しずつ音楽に向かわなければいけない時間が増えまして、僕がずっとKEIKOのサポートをするのは不可能なこともありまして、スタッフたち、家族の支援がないと、仕事が追いつかなくなくなってきたという状況が2、3年前くらいから始まったと思います。

 1年の2カ月、3カ月に分けて、実家と僕とスタッフが分担してサポートしていく方向でやってきた。音楽をしたいとか歌いたいということではなく、毎日どうやって、起きて、食事をして、余暇を楽しんで、どう寝るかという日々でのKEIKOのサポートをしてきたつもりです。

 2年ほど前、1カ月ほど仕事が忙しかったということがあり、僕はなぜかわからないですけども、C型肝炎になりました。結局2人でいると、お互い闘病みたいな形になってしまい、当たり前ですが、KEIKOは普通の家庭の奥さんではないので、僕の看病、見舞い、言葉をかける、という行為はなかなか難しい状況で、1人で闘病をしていました。

 病気の中でもテレビ(出演)であったりだとか、音楽創作は続けてしまいました。その間にKEIKOが何を思っていたかというのは想像の域です。

 おかげさまでC型肝炎が陰性になりまして、仕事に復帰した2016年くらいから、病気の副作用もありまして、突発性難聴に近いものに僕がなりまして、現在も左の耳がほぼ聴こえないです。

 今もキーンという音が鳴りっぱなしで、ストレスだろう、ということしかわからないみたいです。診断書によると、ストレスによる摂食障害、それから睡眠障害みたいなことで、8月に入院を1人でしました。

 A子さんを含む複数のお医者さま、看護師のみなさま、そういう方の協力を得ることが日増しに増えました。退院をしましたが、不規則な生活もありまして、通院のみでは治療は不可能な時期もありました。都内はいろんな場所にお医者さまが往診してくれる環境ですから、そういうのを利用させていただき、何とかしようとしてきました。

 順調に戻れたなという感じなんですが、耳鳴りがまだ治ってもいないですし、すぐ熱っぽくなったり。

 その中で、報道されたA子さんは早朝、病院の昼休みであったりとか、時には深夜イベント終了後であったり、ホテルとかに往診に来てくれることが度々、増えてきました。

 自宅でKEIKOがいる時にも往診には複数回、来ていただいてます。ついつい雑談につきあってもらったりとか、確実に僕の甘えなんですが、つきあってくださった。点滴もあります。すべて薬事法に基づいた医師の指示にもとづいたものです。そういう日々が17年のはじまりから後半くらいまでですかね。

 看護師さんという立場から少しずつ自分のこともお話していただくようなことがあったりして、仲のよい一番信頼できる人になっていきました。看護師さんが施術をするということで誤解を与えてしまうことは当たり前であって、そこにスタッフの人間であったり、いろんな人がいてくれることも多々あったんですが、誤解を招いてしまいました。

 記事にもあるように時間が長すぎるんじゃないかとか場所も怪しいんじゃないかということになっているのは当然だと思います。先ほど、C型肝炎ということをお話しましたけれども、当たり前ですが体調不良で来ていただいていて、女性として来ていただいたことは一度もない。精神的な医療サポートをしてもらった。

 それから、非常にお恥ずかしい話なんですけれども、僕が男性としての女性を呼び込みたいというような欲求というものとはちょっとかけ離れていまして……。

 心から本当なんですが、男女の関係というのはまったく考えてないです。ありません。誤解を生じさせてしまいましたし、男女を想像させるような環境も多々あったと思います。これをみなさんが使っている言葉を使わせていただきますが、不徳の致すところ以外にはありません。申し訳ありません。

 体調不良は本日も変わらず、残念ながら耳鳴りがどうしても治らなくて。仕事も納期が3日、1週間、締め切りも滞りまして、小室だからこんな音を作ってくれるだろうという期待に応えられるか、ということも2017年秋から、自問自答する日々でした。

 1週間、悩みに悩んでやり直しみたいな日々もありました。10年前、20年前では考えられなかったことなんですが。期待に応えられるレベルなのかな。正直やり直しやり直しということも増えてきました。簡単にいうと不安、自信のなさということが日増しに増えていきました。KEIKOにも簡単な言葉でしたが悩みを言いました。もう音楽に興味がない人になっているので、「そうなんだ」というくらいだったのかなと思います。

 そういう事情で、(A子さんに)ついつい相談ごととか、17年から18年の年末年始、特にそうなってしまいました。奥さんはピアノのフレーズを聴いても30秒ももたない。それで依存がA子さんの方に強くなってしまいました。

 そうしたタイミングで週刊文春さんに報じられ、僕から言うと戒めみたいなことなのかなと思っています。

僕は裁判所で執行猶予付きの有罪判決を言い渡され、裁判官から頑張るんだよという叱咤激励を受けまして、そのときの判決を見た時のような気分を文春さんの取材を受けた時、抱きました。

 罪を償うとともに、自分の身体的な限界であるとか、この音楽界、エンターテイメント界に僕の才能がほんとうに必要なのか。もはやここまでだな。音楽の新しさみたいなものを作れるものがあるのかな、という自問自答を続けてきました。(週刊文春に)報道していただき、僕は音楽の道を退くことが私の罪滅ぼしであると思いました。

 年末、自分が作り上げた楽曲の中でも愛着がある楽曲もあります。自分でも出来栄えは良かったな、いいんじゃないかという曲もあります。エイベックスにとっても非常に大事な曲もあるのかなと思います。他のレコード会社のアーチストの方にとっても大切な曲もあったのかなと思います。そういう楽曲は生きていって欲しいなと思います。

 僕のものではなくて、歌う方のものなので。そう思えば思うほど、僕の今のふらついた考え、自信のない考え、かんばしくない体調。そういうことでのネガティブというか、あまり明るくない状況みたいなのが、影響がいってしまうのが今の僕が一番、望んでないことです。自発的な音楽活動は本日をもって退こうと思います。

 ほんとは芸能人になりたかったんじゃなくて、音楽をやりたくて始めた。自分もヒット曲をつくる人間なんだと思ってやっていたのではなく、好きな音楽をやれたらいいなと思ってやっていたのですが、90年代の自分でもまったく想像もつかない(CDの販売)枚数であったり、売り上げであったりとか、そういうことによっての過信、慢心があった。

 それから20年以上が経っているので、枯渇している能力、自分でも飽きてきている、みなさんも飽きてきているのに、認識の甘さがありました。

(週刊文春の)取材を受けてまだ5日しかたっていません。今後の生き方は少し時間をいただいて、KEIKOとのことを含めて考えていきたいと思います。勝手な苦渋の決断ではあります。今回のお騒がせした中での僕なりの償いはこれが精一杯です。

 これからどれほど生活水準とかそういうことが下がったりとかははかり知れません。まったく、わからないですが、ただ、こういった場所でみなさんから注目していただけるようなことはもしかして、これが最後かなと思っています。実直に受け入れようと思っています。TMネットワークから始まって35年になりますが、ほんとうにみなさんありがとうございます。心から感謝しています。

〈これ以降、記者団からの質問が続いた〉

――具体的に引退を考え始めた時期は?

 ダメなのは左耳なんですが、どうしても耳鳴りが今も消えなくて、難聴なのかはちょっとわからないんですが、それで音楽が作れないことはないんですが、体調がそれによって非常に悪くなったりすると、介護の方のご苦労ははかりしれないんですが、僕も多少、端くれかなというところがありまして、両立することの限界を感じたのは(昨年の)8月ですね。自分の気持ちを持っていたのと、みなさんにご迷惑をおかけしたのとで、(引退を)決断しました。

――引退はいつから?

 自発的なこれをやりたい、あれをやりたいという音楽活動はきょうから退こうと思っています。それでも責任があるんじゃないかやってくれということはやろうと思っています。

――A子さんとは現在も連絡を取っていますか?

 事務的な連絡はせざるを得ないのでとってはいます。誤解を招かないように今後はいましめ、しっかりしていきたいと思います。

――今回の一連のことはKEIKOさんにはちゃんとお詫びをし、納得してもらっているんでしょうか。

 話はしてあります。納得しているかどうかは今お話させていただいた通りで、しっかり向き合って理解をしてもらえるかというのはこれからです。

――A子さんと腕を組んだりだとか、ベッドで一緒に寝ましたか、と文春に質問されて「そうですねはい」と答えてますが、どういう関係でしょう?

 僕の体調不良で来ていただいている方で、一般の男性が女性を招くというものとは確実に違うと心から言えます。不徳の致すところで誤解を招いた形になってしまった。長い時間続けてもらったりだとか、そういうことだと思います。

――精神的な支えということもあったんですか?

 かなりありました。ほんとにお恥ずかしい話ですが、5年、6年前から普通の男性としての能力というのがなくて、精神的なものの支えが必要だったと思います。

――KEIKOさんにどのように報告したのですか?

 非常に特殊な例だと思っておりますが、簡単な単語でこういうことだと、「ごめんね」とか、「わかったよ」ということであったりとか。「やだな」とか、ほんとに短い言葉のやりとりを昨日までしていました。この会見が(午後)1時からあるということも昨日、話しております。ゆっくりと、これから目を見てしっかりと話していきたいと思っています。

――KEIKOさんは「わかったよ」と言った?

 今、ラインみたいなものがあるので、「わかったよん」みたいな感じ。一般の奥さんとはちょっと違うので、どのくらい理解してくれているのか。過去、何回か時々、正常になる会話ができる時が年に数回あります。その時に「私、普通じゃないよね」って言ってくれる。

――離婚も考えているか。

 僕は女性というよりも、今の子どものようなKEIKOの方が愛は深くなっています。

――夫と妻という関係は今後も続けていく?

 はい、「旦那さん」という言葉を使ってくれる時もあります。

――医療行為とは具体的にはどういう薬ですか?

 こういった公共の場でしっかりお話するのが難しい。病院の診断書に基づいた医療行為だと思います。

――A子さんと知り合ったのはニンニク注射をした時なのか?

 そうですね。初期はそうです。

――今もそれを必要とする状況?

 いや、今は違うと思います。今はC型肝炎からストレスになって難聴であるとか、非常に全体がだるかったりとか思考が鈍ったりとか体力の補給が一番メインだと思います。入院中も2日、3日点滴をし続けているという状況なので。針は刺さっていっぱなしです。点滴を一日中。2泊くらいという言い方をされるみたいですけど、針が刺さったままでも、そのくらいし続ける。

――どなたかに相談されたのか?

 たった1人の判断です。誰にも相談していません。最初からずっと自問自答。

――A子さんの自宅にまで行っていたそうですね

 他のお医者さま、看護師さんはどうしようもない。僕が動くのならやれる。成立できるということでほんの数回うかがっています。

――A子さんに対する感情はどういうふうにお感じになっていますか?

 非常に甘えていたと思いますし、助けていただいた。感謝しています。申し訳ないという思い。

――体調不良ということですが、今後はKEIKOさんも介護が必要です。

 何はともあれ、ホントに頭の中が混乱していて、どうしていいかわからない、正直。どうやって守っていくか、考えなければいけないが、今こうやってお話している報告が先だなと思ってお話している。今はまったく頭が混乱していてどうしていこうかなという気持ちです。

――夫婦間で少し距離をとって、ストレスのない生活を考えていますか?

 現代病といえばそうなのかもしれないですけれども。非常に四方八方から前にも後ろにも右にも左にも動けない状態がずーっと続いたので。今ほんとにキーンという音がずっとしているんですが、これもわかってもらおうとしても難しいと思うんです。これが消えるのかという疑問もあります。

――今回のことでA子さんは何て言ってましたか。

 見守っていると。きょうの会見を。

――引退のことはお話になりましたか?

 はい、しました。もったいないと言ってました。

――音楽生活を振り返って?

 93年、94年から2000年くらいがブームだったと思うんですけれども。それが、一番基準になりまして、それを超えることはできないですし、それを下回ると期待に応えられないという感覚ですね。あの時代の曲は素晴らしいねと言ってくださる方が一番多いので。そのレベルというのは時代の流れもありますが、あれを基準にしてしまう。そこから上じゃないと。枚数ではないんですが、それとの比較というんですかね。何かこの時代、何をもってミリオンセラーというのか、数字が定まってないので、それを模索するというのは難しいんですけど。

――A子さんには愛情に近いものなんですか。

 どうなのかな。作詩でも愛という言葉を使うことが多いんですけれども、あまりに広すぎて、例えばですけど、KEIKOも最初の時には恋愛感情ではなかった。globeという、ボーカリストとしての愛情だったし、結婚してから恋愛感情というものは当然あったと思いますし、病気になってからはそういった愛情ではなくて、無償の愛という言い方なのかわかりませんけど、何がどうあれ、いとおしいというような愛情であったりとか。ひとりの人でもそれだけ変わるので、この短い時間で表現するのは難しい。

――安室奈美恵さんが引退すると発表しましたが。安室さんの引退は小室さんに影響があったのか。

 安室さんの引退宣言というのは非常に理解はすぐできました。美学というか。美学を貫くという意味では、非常に素敵だなと思います。自分もいずれ素敵な形で身を引けたらいいなと思いました。まだ1週間足らずの決断ですので、何までが許されて、何までが許されないのか正直、自分で判断ができてないんですね。お騒がせした、それを償うという図式しか今ないです。

――小室さんは満身創痍。この先、KEIKOさんと引退後、幸せに過ごしていく気力はお持ちですか?

 みなさんの前でお話するというエネルギーだけで今精一杯。1人になって、どのくらい涙が溢れ出るのか、何てことを言ってしまったのだろうという悔いが出てくる可能性は十分にあると思います。悔いなしなんて言葉はひと言も出てこないです。

〈会見の終了間際、スタッフが「みなさん、長時間ありがとうございました。これで会見を終わらせていただきます」と 150 人の報道陣につげると、それをさえぎるように、小室は「最後に一言だけ、すいませんです」と言って話し始めた〉

 僕たった一人の人間の言動などぜんぜん、日本であったり、社会が動くとはまったく思ってませんが、先ほども言いましたように、高齢化社会に向けて、介護の大変さであったりとか、それから社会のこの時代のストレスであったりだとか、少しずつですけれど、この 10 年でふれてきているのかなと思っているので、こういったことを発信することで、この日本を何かいい方向に、少しでもみなさんが幸せになる方向に動いてくれたらいいなと、心から思っております。微力ですが、少し何か、響けばいいなと思っております。ありがとうございます。

〈小室がそう語り終わると、スタッフが「それではこちらの方から退場させていただきます」と言い、小室は退場。本当に会見が終了した〉

* * *

 小室は今後、1月24日に武道館で浅倉大介との音楽ユニット「PANDORA」としてのライブを行い、2月6日のNHKの「うたコン」には生出演する予定だという。

(本誌・上田耕司)

※週刊朝日 オンライン限定
参照元:小室哲哉会見の100分全記録「5年前から男性的能力なく、男女関係ない」「単語でKEIKOと会話」
上田耕司 2018.1.19 23:18 週刊朝日
5億円詐欺事件

2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を関西地方在住の個人投資家男性と締結。前妻のASAMIが著作権使用料を差押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った。

しかし実際には仮契約段階で既に著作権の一部は、エイベックス・エンタテインメント・バーニングパブリッシャーズ・ライジングバブリッシャーズといった音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに印税を受け取ることが慣例となっている)されており、小室には著作権がなかった。だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった。

このため男性は地方検察庁に刑事告訴した。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握。当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日午前7時40分頃に大阪地検特捜部は小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で逮捕した。なお、前日に大阪地検特捜部から任意出頭の要請を受けたため新大阪駅前のシティホテルに滞在しており、逮捕時はみのもんたの朝ズバッ!など一部の朝の情報番組が特別編成となり、逮捕容疑の解説とホテル上空の空撮映像を交えてホテルエントランス前から連行される様子を生中継していた。

11月21日に起訴され、同日に保釈保証金3,000万円を支払い保釈された。

2009年1月21日に大阪地方裁判所にて初公判、3月12日に第2回公判が行われる。第2回公判直前の3月10日、解決金を含めて6億5000万円をエイベックス・グループ代表の松浦勝人がポケットマネーで立て替え、被害者に完済した。被害者側に謝罪の手紙を送っているが受取りを拒否されている。なお、この被害者に送るつもりだった謝罪文は第三回公判の際に、小室自身により読み上げられた。被害者側との示談交渉においては、情状証人として出廷した松浦は「示談を申し込んだが“できない、誠意が足りない”と弁護士から聞かされた。“誠意が足りないとはどういうことか”と代理人に尋ねたら“お金だ”と聞き、非常にショックを受けた。」と証言したが、被害男性は「そのようなことは一切言っていない」と否定し、「民事裁判で和解が成立して決着している。」と話している。なお、SNSのmixiでは2008年11月から「小室哲哉氏の復活を願う会」というコミュニティが457人を集めたり、mixiのサポートを受けての紙ベースの署名活動も行われていた。(署名TVでも行われていた。)さらに小室の母親やマネージャー、弁護士の了解を得た上で署名活動と平行して裁判所への提出もありうるという大前提で小室に対して手紙を書く「小室哲哉さんへの手紙」という活動も行われていたりと、復帰待望論が起き、小室の減刑を望む動きは、音楽業界や音楽業界関係者からもあり、実際に減刑嘆願書を出した音楽業界関係者もいた。第3回公判は4月23日に行われて結審。

2009年5月11日、大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、弁護側・検察側共に控訴はせずに、同年5月25日午前0時をもって刑が確定した。

(wikipedia 小室哲哉より引用抜粋)
参照元:wikipedia 小室哲哉
吉田麻美が激白「小室哲哉さん、慰謝料と養育費を払って」
2005/09/12 11:59 ナリナリドットコム Written by コ○助

2002年11月にglobeのKEIKOと入籍し、現在は幸せな結婚生活を送っていると言われている小室哲哉。本 業の音楽活動のほうはイマイチ盛り上がりに欠け、「5年前に2億5,000万円で購入した愛車のベンツを1 億円以下で売りに出している」と近況を伝える週刊誌もあったが、今度は前妻の吉田麻美が週刊ポスト の取材に対して「慰謝料と娘の養育費を払って下さい」と激白している。離婚時に取り決められた慰謝 料と養育費を払えなくなったほど生活が困窮しているのか……と勘ぐられてもおかしく無さそうなこの 話題。吉田麻美がどのようなことを語っているのか、少し見ておくことにしよう。

「2002年の離婚当時は、私への慰謝料の額についていろいろ報じられました。慰謝料は10億円、という 報道もありましたが、そんな大金ではないし、一括で支払ってもらう取り決めにもなっていませんでし た」

「離婚の際、小室さんが、慰謝料として私と娘が住むためのマンションの賃貸料、そして娘が成人する までの養育費をそれぞれ月払いの分割で払うことで決着しました」

「昨年8月から家賃の振り込みがストップし、さらに、養育費の支払いもなくなってしまった」

昨年8月からとなると、かれこれ1年間に渡ってマンションの家賃と養育費が支払われていないことにな る。このタイミングで吉田麻美が週刊ポストの取材に答えているのは、最近になってマンションを追い 出され、9月末に引っ越すことになったのが大きな理由のようだが、今春から「Asami」の名前で歌手活 動を再開したことも、少なからず関係してそうだ。

週刊ポストはこの件に関して、小室哲哉の個人事務所に対しても取材を行い、回答を引き出している。 それによると、昨年8月から双方の弁護士が慰謝料などの条件について見直しを進めており、具体的な合 意には達していないものの、「金銭に関してはちゃんと支払っている」と吉田麻美の言い分と真っ向か ら対立する回答。どちらが正しいのかは分からないが、KEIKOと結婚して新しい家庭を築き、CDの売り上 げ低迷により収入が減っていることが、なかなか慰謝料と養育費の支払い条件の変更について合意に達 しない大きな要因になっていることは間違いなさそうだ。

ちなみに、この週刊ポストの記事では吉田麻美が小室哲哉と交際に至った経緯についても語られている 。

「(小室哲哉とのユニット『Kiss Destination』として)99年1月に活動を開始したのですが、ちょうど その頃、小室さんから告白されたのです」

「最初は『遊ばれてるのかな』とも思いました。当時は華原さんと付き合っているといわれていました から」

「結婚から5か月ほどたったころ、そろそろ私が出産のために入院しようかという時期でした。女の勘で すが、私にベッタリだった彼が、突然、よそよそしくなったのです」

「(彼の浮気相手が)KEIKOだとわかった時には、全身がわなわなと震え出したくらいです」

ほかにも交際時から結婚、離婚に至るまでのエピソードがいくつも紹介されていて、裏話的に「へぇ〜 」と思うような内容になっている。そちらにも興味がある人はぜひチェックを。

10か月と、かなり短い夫婦生活だった小室哲哉と吉田麻美だが、すでに双方が弁護士を立てて協議をし ている以上、場合によっては法廷闘争に発展……なんてこともあるかもしれない。泥沼にならないこと を祈るばかりだ。

☆小室哲哉の結婚遍歴

1987年 「キララとウララ」のキララ(本名:大谷香奈子)と結婚
1992年 香奈子夫人と協議離婚が成立
2001年 元「dos」、「Kiss Destination」の吉田麻美と結婚
2002年 麻美夫人と協議離婚が成立
2002年 「globe」のKEIKO(本名:山田桂子)と結婚
参照元:吉田麻美が激白「小室哲哉さん、慰謝料と養育費を払って」
2005/09/12 11:59 ナリナリドットコム Written by コ○助
小室哲哉、涙の引退会見「悔いなし、なんて言葉は出てこない」
2018年1月19日 18:18 音楽ナタリー

雑誌「週刊文春」で看護師との不倫疑惑を報じられた小室哲哉が、これを受けて本日1月19日に東京・エイベックスビルで記者会見を実施。本日1月19日をもって、音楽活動から引退することを明かした。

「週刊文春」が報道した記事は、小室が通院していたクリニックで親密になったシングルマザーの看護師を自宅などに招いて共に過ごしたという内容。小室は会見場に集まった約150人の記者やカメラマンに向かって「妻であるKEIKO、家族、ファンの皆さまにご心配をおかけし、ご相手の方にもご迷惑をおかけしたことをお詫びします」と挨拶し、「言動が支離滅裂になるとよくないから」と昨晩書いたというメモを見ながら、「僕なりのこの騒動のけじめとして、引退を決意しました」と語り始めた。

彼はまず、2011年にくも膜下出血を発症して療養中のKEIKOの現状について説明。現在は身体的な後遺症はないものの高次脳機能障害によりあらゆる欲を失ったとのことで、「KEIKOは歌手として大きな存在だったと思うんですが、残念ながら音楽への興味は日に日に減ってきています。カラオケに誘ったりCDを聴いたりしても興味を持ちません。最初期に無理やりレコーディングスタジオに連れて行って1曲歌ってもらったけど、それ以降はもう歌うことはなくなりました」「夫婦として、大人としてのコミュニケーションが日に日にできなくなってきています。電話をしても、最初は1時間話していたのが10分、5分、3分とだんだん間が持たなくなって、自分も疲れ始めてしまったところがあります」と話した。

2009年に詐欺罪で執行猶予の判決を受けたのちも、エイベックスのおかげでいろいろな素晴らしい仕事をもらい、「それまで当たり前だと思ってた仕事が当たり前ではなかったと気付き、本当に幸せな日々でした」と語る小室。しかし3年ほど前から仕事をしながらKEIKOをサポートすることが不可能な状況になり、スタッフからの支援がないと追いつかない状況だったという。そんな中、小室は仕事での無理がたたって2017年夏にC型肝炎を罹患。夫婦2人が共に病気療養中という生活になってしまったが、小室は「芸能活動を縮小して、もう少し2人の時間を大切にするべきだったのかなとも思ったけど、ついつい皆さんの期待に応えようとしてしまった」と音楽活動は続行していた。小室はその後、C型肝炎は陰性になったが治療の副作用で骨折し、さらにストレスが原因で突発性難聴に。現在も左耳がほぼ聞こえず、常にキーンという耳鳴りがするという。そして彼は8月に入院し、複数の医者や看護師と邂逅。治療を経て退院したものの、生活が不規則なため通院できない時期があるため、早朝や深夜のイベント終了後、滞在先のホテルなどで急に具合が悪くなったときに時間と場所を選ばずに往診してくれる、今回報道されたクリニックを利用するようになったという。

普通の雑談をすることがない状態が何年も続いていた小室は、この往診で彼を担当した不倫相手と報道されている看護師との会話を通して「メンタルケアと言うときれいな言い方ですが、なんとなく容認してもらってるのかなという気持ちになりました」と説明。相手も、あくまで看護師という立場で自分の話をするようになり、2人はだんだん親密になっていった。これについて小室は「お医者さんと2人になることは多々あるのですが、女性の看護師さんなので誤解を与えてしまうのは当然だと思います。一緒にいる時間が長すぎるのではないかと怪しむのも当然だと思います。でも、女性として来ていただいたことは一度もなく、男女の関係というのはまったく考えていないです」「彼女が精神的な支えになっていたのはかなりありましたが、そこに一般の男性が思う女性への感覚はありません。本当にお恥ずかしい話ですが、この5、6年は男性としての能力がなくなっています」と釈明し、誤解を招いたことに対して「不徳の致すところ、重々承知しております。世間の皆さまに不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」と謝罪した。

また彼は最近の音楽活動について「耳鳴りがどうしても治らず、10年前では考えられなかったことなんですが、楽曲制作が滞り、締切を3日から1週間ほど遅れるようになりました。特に歌手の方に提供する曲は悩み、やり直しをすることも増えています。そうしてやっとの思いでできあがって、すぐ次の仕事という日々が続きました」と語り、60歳を目前にして不安や自信のなさが日増しに大きくなっていることを明かした。KEIKOがピアノ演奏を聴いても興味が30秒と持たない状況だということもあり、小室はそういった悩みを頼りにしていた看護師に相談していたという。今回の「週刊文春」の報道について小室は「年末に、こういう事態が起きるだろうという胸騒ぎがしていました。思っていたんですが、彼女への依存が非常に強くなっていました。もうここまでだなと思っていた矢先に『週刊文春』さんが来たので、これは自分への戒めみたいなものなのかなと思いました」とコメント。同誌の取材を受けたときのことを「2010年に僕は裁判所にいました。そのときに裁判官から判決を聞いたときのような気分になりました。罪があれば必ず償い、罰を受けなければいけない」と振り返った。

引退について小室は「自分が作るものは本当に優れているのか、めまぐるしく変わるエンタテインメント業界で自分の役目は何があるのか、自問自答を続けているうちに、引退という言葉がどんどん頭をもたげてきました。グラウンドの真ん中でスポットライトを浴びながら『おつかれさま』と言ってもらう、野球選手の引退セレモニーの夢を見たこともここ数カ月はありました。自分の甘さから、そういう環境ではなく、決して勇退とは言えない状況で引退することになってしまいましたが、自分の行動による罪を償います。『報道された』と言うより『報道していただいた』と言う感じです」と涙を浮かべながら胸中を吐露。「音楽の道を退くことが私の償いですが、つい最近まで作ってきた曲は自分の子供のように愛着があります。エイベックスにとって大事な曲、ほかのアーティストにとって大切な曲もあったかなと思います。そういう楽曲はこれからも退かず生きていてほしいなと思います。曲は僕のものではなく、歌っている方のものなので。自分の行いで楽曲に影響が出てしまうのは僕が望んでいないことです」と願いを口にした。

今後については「現在引き受けさせていただいている仕事があります。そういう方々とはまだお話をしていません。もし望まれるのであれば期待に応えるべく仕事を全うしたいと思いますが、自発的な音楽活動は本日をもって退こうと思います」とコメント。今後の身の振り方は時間をかけて考えていきたいとのことで、音楽以外の活動に関しては「まだ引退を決めてから1週間足らずなので、どこまで許されてどこからできないのか、まだ何も判断できない」と発言を控えた。また、「僕はバンドをずっと続けて東京ドームをいっぱいにしたような人間ではないので、どういう方が僕の曲をいいと思ってくれているのか正直しっかりはわからないんですが、ソーシャルネットワークの時代なので、その方たちの声は目にすることはできますので、読ませていただきたいと思っています。その中から今後の答えが出てくるかなと思います。『なんでもいいから、生き恥晒しても音楽作れ』という世論が何割あるのか、その数字に従いたいかなと漠然と思っています」と、将来復帰する可能性がゼロではないことも示唆している。

そして彼は「僕は芸能人になりたかったわけではなく、音楽家になりたかった。ヒット曲を作りたかったのではなく、好きな音楽を作りたいと思っていた」と自身の音楽人生を振り返り、現状について「90年代、自分でも想像の付かない枚数を売り上げましたけど、今は能力は枯渇していき、自分でも飽きてきている」「ブームだった90年代に影響がありすぎて、『あの時代は素晴らしかったよね』と言っていただけることがほとんど。あの頃が基準になってしまっているので、それを超えることはもちろんできないし、下回ると『レベルが下がった』と思われて期待に応えることができない」複雑な思いを語った。

記者による質疑応答では、引退についてKEIKOにどのように報告したかを聞かれ、LINEで「ごめんね」「わかったよん」という簡単な単語でのやり取りをしたと説明。なおKEIKOは年に数回、スムーズな会話ができるようになるとのことで、そのときに彼女は「私、普通じゃないよね」と話すという。KEIKOとの離婚を考えているのかについて聞かれると「女性というよりも子供のようで、今のKEIKOのほうが愛情は深いです。離婚という大人の言葉が浮かんでこないです」と答え、1人で引退を決めたのかという質問に対しては「たった1人の判断です。誰にも相談していません」と回答。「この35年で音楽活動で一番うれしかったこと、つらかったことは?」という質問には「一番は非常に難しいけど、90年代に書いたヒット曲をみんなが楽しんでくれる姿を見るのが幸せです。一番つらいのは今日です」と返し、「引退後、幸せになっていこうという気力は持っているか」と聞かれると、彼は「今は皆さんの前で話すエネルギーだけで精一杯です。会見が終わったら涙があふれ出て、『なんてことをしてしまったのか』と悔いる可能性は正直十分あります。『悔いなし』なんて言葉は出てこないです。ただ、今日この環境だからそう思っているだけで、例えば自分の誕生日にラストライブをしたり、楽しく勇退できる環境だったら『悔いなし』と言えたんでしょうが。遅かれ早かれこうなったので」と言って切ない表情を浮かべた。

スタッフが会見の終了を告げると、小室はそれを遮って最後にひと言「僕1人の言動で日本の社会が動くとは思っていませんが、高齢化社会、介護、ストレスだったりの問題について、少しずつですがこの10年で触れることができたので、こういったことを発信することで、何かいい方向に、皆さんが幸せになる方向に進んでくれたらいいなと、心から思います。微力ですが、何か響いてくれたらいいなと思います。ありがとうございました」と挨拶した。
参照元:小室哲哉、涙の引退会見「悔いなし、なんて言葉は出てこない」
2018年1月19日 18:18 音楽ナタリー
小室哲哉の引退会見で同情派が急増! さじ加減が難しい“行き過ぎ”取材
文/佐々木博之(芸能ジャーナリスト)2018/1/19 週刊女性PRIME

 『Can’t stop 不倫(fall in) love』というタイトルに思わず「うまい!」と唸ってしまった、小室哲哉の不倫報道。

 新春2弾目の『文春砲』は、

「それほど大きな騒ぎにはならないだろうと思っていた同業者は多いです。なぜなら、小室は週刊誌が追いかけるほど旬の人ではないし。

 それに相手の女性も有名人じゃないし、小室が浮気をしないと思っている人はいないでしょう(笑)。そもそも男性読者は同性の不倫に関して、寛容というか、興味がないですからね」(写真誌記者)

 ところが1月19日に小室が緊急記者会見を開いたことで流れが大きく変わった。彼は会見で、釈明・謝罪だけでなく、同時に引退を発表したのだった。

「記者やレポーターは不倫に関して突っこんだ質問をしようと構えていたのですが、引退という重大発表があったため、どうしても質問はそっちに向いてしまいました」(前出・スポーツ紙記者)

 さらに、彼は、妻の介護と自身の病気でストレスがたまり、今も耳鳴りが治まらないという悲惨な状況が明らかになり、

「引退がショックだったのか、彼に同情してなのか、涙声で質問している記者もいましたね」(芸能レポーター)

 小室を責める声は一気にトーンダウン。小室にとって、会見は成功だったように思える。そして小室に向いていた矛先が向きを変え、『週刊文春』に対して批判的な声が出始めている。

「文春は引退発表のきっかけを作っただけで、引退に追い込んだワケではないのですが……。小室さんの話が事実なら、看護師の女性とは肉体関係があったとは思えず、不倫だと言えるかどうか微妙です。

 彼の話で納得できない点もありますが、引退ということがそれらをすべて消してしまいました。また彼の置かれている状況を知ってしまうと、最初は批判的だった女性たちが同情するようになり、週刊誌の報道に怒りを感じる人もいます」(前出・写真誌記者)

 実は、同情派が出てくる以前に、『文春』の記事に対して“行き過ぎ”を指摘する人もいた。それは、記者がKEIKOの実家に出向き、彼女の母親を取材したことだ。

「そもそも小室さんが取材に答えておりますし、ウラも取れているようですから、KEIKOさんや彼女の母親の取材は必要だったのかどうか疑問です。

 KEIKOさんは病人ですし、状況を理解できる状態ではないですからね。そこまでしなくてもと思う読者は多いと思います」(前出・芸能レポーター)

 取材先は漏れがないようにすべて当たるのが記者の役割なのだが……。さじ加減が難しいところだ。

  「行き過ぎた取材が自分たちの首を絞めるようなケースは、過去にいくつもあります。全盛を誇っていた写真週刊誌が、ある時から一斉に非難されるようになって読者が離れていったこともありましたね」(前出・写真誌記者)

 それは芸能スクープを獲り続ける週刊誌が陥りやすいワナなのか⁉

<芸能ジャーナリスト・佐々木博之>

◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。
参照元:小室哲哉の引退会見で同情派が急増! さじ加減が難しい“行き過ぎ”取材
文/佐々木博之(芸能ジャーナリスト)2018/1/19 週刊女性PRIME

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