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参議院選挙について

2022 7/06
参議院選挙の投票日が迫っているが、先日、期日前投票で、投票してきた。


一応、国民の義務、権利として、政治の決定プロセス、現在の間接民主制の制度の中で、選挙に行って投票すべきである。


一方で、ブログやyotubeなどで価値観や政治的メッセージを発信していくことが盛んになって来ている。


これは直接民主制の走りであり、やがて、ブロックチェーンの仕組みなどが、直接民主制への道を開くかもしれない。


国家が予算をどんな分野にどれだけ投じようとしているか、それに関心を持つことは極めて重要である。


私は政治的にはリベラルで、中道であり、政治的に極端に偏っていない。


だから大体、応援すべき党は、以前は、民主党になっていた。


宗教団体を背景に持つ党などとも無縁である。



だから投票するとしたら、立憲民主党ということになるが、私は今回、生まれて初めて、共産党のあさか由香に投票した。


別に共産党を応援している訳ではなく、共産党に政権を取って欲しいわけではないが、立候補者の中で、最も若々しい候補であり、写真を見ていて応援したくなった。


「誰でも8時間働けば普通に生活できる社会へ」というスローガンもいいと思った。


立憲民主党には、元宇宙開発機構の参事だった「宇宙おばさん」とキャッチフレーズのつけられた水野素子も立候補しているが、こちらは、元東京大学公共政策大学院非常勤講師、元慶応義塾大学法学部非常勤講師なども務めてきていて、立派なキャリアの持ち主で、2児の母でもある。


この人に投票してもよかったし、投票するかどうか迷ったが、この方が知的労働に携わり、立派なキャリアや肩書を持っていて、おそらく人生に満足しているということから、この方に投票する気にならなかった。


然し、後から考えてみて、この方に投票すべきだったかもしれないと思い直した。


ただ立派な肩書を持ち、収入も安定していて人生に満足している人に何ができるのかという印象を持ってしまう。そういう方が、政治家としてのステータスを得た途端に自己満足の材料、立派な肩書が一つ積み重なって、現状に満足してしまう。


そうした問題がリベラル派の持つ問題である。


リベラル派の高度な知的労働に携わり、人生の勝ち組に属する人たちが、自分の安泰な人生に自己満足し、実際、何も出来なかったり、何もしないということが問題なのである。


何かを変えようとする飢え、渇きに欠けているのである。


それよりもまだ若くて、何も持っていない人を応援したくなったというのが実情である。



日本は基本的に自民党が万年、与党として今後も日本を支配し続けることは変わりそうにない。


自民党は右から左まで幅広い政治的立場を取り込んだ懐の広い党であり、もし社会がリベラルに偏れば、党もリベラルの政治的主張を取り込んで、存続し続けるのである。


決して、政権自体を明け渡すことはない。



日本共産党は、今は暴力革命路線を捨てており、おそらく党勢を拡大したとしても天皇制の廃止や国体の変更を迫ったりするようには思えない。


むしろ、中道リベラルの立憲民主党と融合して、立憲民主党のリベラル色をより濃く反映させるのに役立つぐらいである。


もし立憲民主党や日本共産党が、政治勢力を拡大したら、自民党もリベラル色に偏らざるを得なくなる。



自民党にそうしたプレッシャーをかけていくという観点から、今回、共産党に投票してみた。


どうせ私の一票などでは何も変わらないので、それでいいのである。



今、土星が水瓶座(共産主義)をトランジットしているということもあるのかもしれない。


私は現在、金星/土星期で、アンタルダシャーロードの土星が、水瓶座をトランジットしているので、そうした共産主義の政治思想の影響を受けたと考えられる。


この土星が水瓶座から私のラグナから5室(思想、信条)や、現在、逆行しているのでラグナから見た5室の支配星、月から見た5室(思想、信条)、月から見た5室の支配星にアスペクトしているからである。


つまり、ラグナと月から見て5室と5室の支配星が、水瓶座をトランジットする土星の影響を受けている。



現在、メリトクラシーの問題があって、メリトクラシーとは非常に学歴や資格などを重視する社会である。


身分制度のあった封建社会を打破して、近代社会では、誰でも実力があれば、能力と業績によって、成り上がれるという社会である。


然し、このメリトクラシーの世界を勝ち上がった人たちは、資本主義社会の中で、有利なポジションを占めて、その立場を強化し、社会の分断、社会的格差の再生産などに貢献しているのである。


これは自民党とか民主党とか、政治的党派に関係なく、存在する問題で、特にリベラル派の民主党(現在は、立憲民主党)の中にこそ、この問題がある。



自民党の中で言えば、現在の岸田文雄が所属する宏池会(吉田学校)の中にもそれがある。


吉田茂が官僚出身の政治家を好み、政治家として育て、皆、高学歴のお公家集団である。



一方で、安倍晋三は、自らも大した学歴ではないが、封建社会の名残である家柄の力によって、首相に成り上がっている。


その配下から、叩き上げの菅義偉氏が首相となったのは興味深い。


安倍政権は、メリトクラシーに関係なく、むしろ、封建的な身分制度と関係が深い。



メリトクラシーは、封建社会を改革し、近代社会を築いたリベラル派の中でこそ、非常に強く反映されるのである。


このメリトクラシーが近代社会、そして、現代の過剰な競争によって分断された社会を理解するためのキーワードである。


マイケル・サンデル教授も「実力も運のうち 能力主義は正義か?」で、この問題を取り上げている。




因みにメリトクラシーとは、能力が形として現れた世界である。


学歴や資格や肩書という形で、目に見える形で表されたものを意味している。


だから皆、学歴や、資格、肩書を履歴書などにびっしりと書き込んで自らをアピールする。


あるいは信用スコアでもIQ(知能指数)でもフォロワーの数でもいいが、全て目に見えないもの、客観的な評価を必要とするものは、見える化、数値化しなければならない。


この能力を目に見えるものにする数値などの指標は分かりやすく、これを高めれば、社会でのポジションも有利になるため、これらの獲得に一生懸命になる。


お金というのも数値化されたものの一つと言えるかもしれない。


お金をどれだけ稼いだかというのも分かりやすく見える化されたものである。


お金に関しても本来は人生を楽しむために役立つわけだが、お金を増やすことが目的化しやすい。


特にビジネスの世界では資産をどれだけ増やしたかが、その人がどれだけ有能であるかを計る指標となっている。


メリトクラシーは、他者からの評価に関係するため、11室がその表示体である。


仕事の結果の中に表されたものが、能力である。


11室は能力そのものとは違っていて、能力を計った数値である。


11室の評価を追求すると、仕事そのものからは遠ざかってしまい、評価の獲得が目的化しやすい。



逆に評価を追求しない社会というものを考えてみると、それぞれの人が自分の能力を生かして貢献したり、仕事をしている社会である。

従って、本来の仕事をすることそのものから遠ざかって、評価の獲得が人間活動のかなりの部分を占めている世界というのは、かなり異常である。


11室は貪りのハウスと言われるが、他人からの評価を貪り求めて、自分自身の価値を高め、より強力で有能になろうとして、競い合っている社会というのが、メリトクラシーの社会である。


リベラル派でかなり高い地位についている人々はこうした評価を貪る競争を勝ち上がって来た人々であり、その成功に政治家としての肩書を加える形になる。


そのようなリベラル派の成功者には、自分を勝ち組にすることを可能にした社会を変えようとする動機はないのである。


アメリカで、民主党の上院議員などの中にこうした人が多いのではないかと思われる。


それで自分たちは安泰である人々が、経済的苦境に苦しむ白人労働者階級などに全く共感できずに政治的分断が起こっているのである。




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