フランスのマンデン図について -デモの行方とマクロン政権の今後-

フランスで、燃料税の引き上げに対する激しいデモが行なわれたが、この現在のフランスの状況を表わすマンデン図は、フランス第五共和政のもので説明が出来そうに思われる。


フランス第五共和政は、1958年にシャルル・ド=ゴール将軍がアルジェリア戦争を背景に第四共和政を事実上打倒して新たに作られた現在のフランスの共和政体である。


フランスの第一共和政から第五共和政まで色々マンデン図を作成してみたが、astrotheme.comに掲載されている国民投票による新憲法承認時のチャートが最も機能しているように思われる。


このマンデン図を使用すると、2013年11月3日からマハダシャー火星期に移行しているが、火星は3、10室支配で4室に在住し、ラグナロードで10室に在住する土星と相互アスペクトしている。


つまり、火星と土星が4-10の軸を激しく傷つけている。






4室には、国土、国民、議会、民主化運動といった象意がある。



このフランス第五共和政のチャートで、マハダシャー火星期になってから、フランスでは国民による大規模なデモが発生していることが確認できる。


西暦年月出来事ヴィムショッタリ
2015年1月11日パリを中心にテロへの抗議運動が発生。直近に発生したシャルリー・エブド襲撃事件の被害者や路上で襲撃された女性警察官、ユダヤ系食料品店襲撃で殺害され
た4人などを悼み、テロへの抗議を行ったもの。デモの参加者は、フランス全土の参加者は370万人以上とフランス史上最大規模であったと推定されている。
火星/ラーフ/金星
2017年5月1日パリでデモ隊の一部が暴徒化。警備に当てったいた警察官2名が火炎瓶の投擲を受けて重傷を負った。フランス国内では、メーデーの際にデモが発生することは毎年のことであるが、翌週に2017年フランス大統領選挙の決選投票を控えた時期でもあり、活動が先鋭化していた。火星/土星
2018年11月17日燃料税増税に反対する黄色いベスト運動が顕在化。翌月にかけて暴動を伴う大規模なデモ活動に発展した。火星/金星/金星
wikipedia デモ活動より引用抜粋



2015年1月11日、テロへの抗議運動が発生した時、火星/ラーフ期(火星/ラーフ/金星)であり、マハダシャー火星期のセカンドアンタルダシャーのタイミングであった。


本格的に火星期の象意が顕現するタイミングである。


国内でのテロ活動に対する国民の講義であり、国土の破壊や国民の政治運動が関わってくる為、4室の象意である。


その後、2017年5月1日、パリでデモ隊の一部が暴徒化した時、火星/土星期である。


火星と土星は4室-10室の軸で相互アスペクトしている。


10室には王、王室、支配者、首相という象意があり、10室の土星と4室の火星が相互アスペクトしている状況は、政府と国民の激しい衝突を表わしている。



そして、今回のフランスの燃料税増税に反対する黄色ベスト運動が起こった2018年11月17日頃は、火星/金星/金星期である。


マハダシャーロードの火星は4室に在住して4室を傷つけており、4室支配の金星は8室で減衰して、ラーフ/ケートゥ軸と絡み太陽とコンジャンクトして傷ついている。


マハダシャーロード、アンタルダシャーロード共に傷ついた4室と関係している。


特に今回は、フランスの中心街であるシャンゼリゼ通りという最も美しい街並みが破壊され、高級車などが横転させられ、火を放たれたが、これは傷ついた4室支配の金星の象意ではないかと思われる。



このマンデン図は、8室に惑星集中しており、8室には大統領や首相を表わす太陽も在住しており、外国を表わすラーフ/ケートゥ軸が絡んでいる。


このチャートの信憑性は、そもそもフランス第五共和制がどのように成立したのかを調べた所、納得することが出来た。



第二次世界大戦後、戦前にフランスの植民地であったベトナム、モロッコ、チュニジアなどが次々と独立する中で、アルジェリアも独立運動を始めたが、アルジェリアはフランス系住民も多かったため、フランスも簡単に独立を認めずに弾圧を強めたようである。



アルジェリア戦争


このアルジェリアの独立闘争は泥沼の状況を呈し、弱腰の政府に業を煮やしたアルジェリア駐留軍が、1958年3月13日ド・ゴール将軍の政界復帰を要求してクーデターを起こし、コルシカ島をも占拠し、首都パリへの侵攻も現実の脅威となってきた為に第四共和政のルネ・コティ大統領が、ド・ゴール将軍を首相に指名し、大統領に強力な権限を付与する新憲法制定を主張したド・ゴールが新憲法を国民投票で承認させて発足したのが、第五共和政である。




そして、ドゴールは、首相に就任後、アルジェリア戦争の戦費による赤字財政を危惧し、アルジェリアの民族自決を支持し、非常事態権を発動している。


ドゴールが首相になる前にアルジェリアでは民族解放戦線のゲリラ部隊が6,000以上の農場、400の学校を破壊し、数十万の家畜を略奪、他にも道路・橋梁、通信施設を破壊、軍人、警察官や役人、人種を問わず現地住民を殺害したとwikipediaに記されている。


またドゴールがアルジェリアの民族自決を支持したため、アルジェリアの植民地支配の継続を望むアルジェリア駐留軍が反ド・ゴール暴動を起こすといった複雑な情勢にもなっていたようである。


つまり、アルジェリアの民主化を求める民族解放戦線(現地住民)、アルジェリアの統治を望む現地の駐留軍、ドゴールが大統領となったフランス政府の三者が絡みあう複雑な情勢である。


地下活動に転じたアルジェリア駐留軍の秘密軍事組織(OAS)が、フランス本土の政治家や警察官僚を殺害するなどのテロ活動を開始し、ドゴールの暗殺計画も立てられたが、フランス本土の国民のアルジェリア独立への支持は固まっていったようである。


つまり、このようにアルジェリアの民主化運動と、それを抑え込もうとする右翼民族主義者の軍人、そうした軍人に担ぎ上げられたドゴールが首相の指名を受けて発足したのがフランス第五共和政である。


そして、ドゴールはその自分を担ぎ上げた軍人たちから暗殺されそうになったのである。



このような混乱の中で、生まれたのが第五共和政であることから、4-10軸が、火星と土星の相互アスペクトによって傷つけられているというのは理解できるのである。


アルジェリアの独立闘争は国民の民主化運動として解釈することができる。


そして、その過程で、アルジェリアの国土において、6,000以上の農場、400の学校の破壊、数十万の家畜の略奪、道路・橋梁、通信施設の破壊、軍人、警察官、役人など人種を問わない現地住民の殺害が行われたのである。


こうしたことを引き起こしたカルマが、4-10軸の火星と土星の相互アスペクトに現れている。



そして、こうした惑星配置が、マクロン政権へのデモ活動として再現したと考えることが出来る。






火星/金星期は、2019年11月28日まで続くが、この火星/金星期の解釈が間違いでなければ、フランスの民衆のデモ活動は、来年も継続して続いてゆくと考えられる。



そして、2019年11月28日に火星/太陽期になった時、太陽は7室の支配星で8室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸と絡んで傷ついている。



太陽は首相や大統領を表わしているため、このタイミングで、首相や大統領の失脚、新しい首相、大統領との交代といった象意も考えられる。



ナヴァムシャでは太陽は12室に在住しており、ダシャムシャでは11室でケートゥとコンジャンクトしている。




マクロンの山羊座ラグナの出生図でも8室支配の太陽と6室支配の水星が射手座12室でコンジャンクトして、6-8の絡みを生じており、そこにトランジットの土星が通過しており、2020年の頭まで、土星は射手座12室を通過し続ける。






その時期は、フランスの第五共和政のマンデン図の火星/金星期に対応している。



2020年11月3日に火星期が終わり、8室に在住するマハダシャーラーフ期が訪れるが、そのタイミングで、フランス政治状況は、大きな混乱と変化を経験すると考えられる。



きわめて興味深いのは、ドゴールが大統領に就任した状況と、マクロンが大統領に就任した状況が似ているのである。



例えばマクロンは、移民の流入やイスラム系のテロ、そして貧富の拡大などで社会が右傾化する中で、極右のマリーヌ・ル・ペンが大統領に選出される危機の中で、その右翼の台頭を抑える形で、誕生した大統領である。



そして、今回、大統領として、フランス国民のデモ活動に直面して、国家非常事態を発令し、国民に最低賃金の引き上げなど、様々な妥協案を提示し、国民へ対話を呼びかけた。



ドゴールが大統領になった状況も似ているのであって、右翼と左翼が対立する複雑な状況の中で、首相に指名されたのである。



まずアルジェリアの民族独立運動(民主化運動)の混乱の中で、その独立運動を抑え込もうとするアルジェリア駐留軍人から待望される形で首相に指名されたが、アルジェリアの民族自決を指示することで、右翼軍人と対立し、暗殺計画も立てられるに至った。



ドゴールも右翼と左翼の板挟みとなって、民主化運動を支持することになり、ドゴールもマクロンも非常事態権や非常事態宣言を発動している。



国家の基盤が揺らぐような政治状況に直面している。




このフランスのマンデン図で、今後のフランスの情勢、政治状況が説明できるかどうか、また過去の出来事なども説明できるかどうかが問題である。




(参考資料)

フランス第四共和政

(略)

共和国の崩壊

アルジェリア戦争

1954年1月16日に就任したルネ・コティ大統領の下でフランスは1957年5月25日、EEC(のちのEU)を結成したが、アルジェリア独立問題はこじれにこじれ、弱腰の政府に業を煮やしたアルジェリア駐留軍は1958年3月13日ド・ゴール将軍の政界復帰を要求してクーデターを起こした。政府は決起部隊司令官を懐柔しようとしたが、アルジェ駐屯落下傘部隊はコルシカ島をも占拠し、首都パリへの侵攻も現実の脅威となってきた。

パリのフランス軍中枢部にも決起部隊に呼応する動きが表面化したため、コティは同年6月1日隠棲していたド・ゴールを首相に指名した。大統領に強力な権限を付与する新憲法制定を主張するド・ゴールは9月28日新憲法を国民投票で承認させ、10月5日に第五共和政が成立、第四共和政は12年足らずで終焉した。

(wikipedia フランス第四共和政より引用抜粋)


フランス第五共和政

背景

戦後、1946年に成立した第4共和政はベトナムやアルジェリアといった植民地地域の独立運動という問題を抱えていた。特に後者のアルジェリアに関する諸々の問題は、1830年よりフランスの植民地として長い年月をもっていたため、「アルジェリア民族解放戦線」(FLN)といった組織による独立運動が活発になると、フランス本国においても、なんとしてもアルジェリアだけは手放すまい、といった空気が強くなっていった。

しかし、泥沼化していくアルジェリア戦争によって一時は独立承認へと傾くも、アルジェリア本土の植民地放棄に反対する市民と現地軍上層部が蜂起し、パラシュート部隊がコルシカ島を占領するという事件が起こった。蜂起勢力は当時、引退していたシャルル=ド・ゴール将軍の再登場を要請し、ド・ゴール本人やフランス本土の軍や警察も蜂起勢力の要請に同調する動きを見せ始めた。

混乱と不安のなか、国民議会はド・ゴールの組閣を承認し、ド・ゴールはアルジェリア問題解決のための全権委任と憲法改正を国民投票にかけた。結果、圧倒的な賛成により、「第五共和政」が発足した。

(wikipedia フランス第五共和政より引用抜粋)


アルジェリア戦争

(略)

フランスの政治的混乱

フランス本国の世論もアルジェリア民族解放戦線の独立運動を支持する側とフランスの国家的威信を優先させる側に分裂する。1958年5月13日、「フランスのアルジェリア」を支持する現地軍人やコロンたちの暴動は済し崩し的にクーデターに発展し、フランス本土侵攻の脅威によって第四共和政政府は有効な解決策を出せずに危機に追い込まれ、崩壊状態となった。

政府の出馬要請により軍部を抑えることのできる人物としてシャルル・ド・ゴールが首相に就任し、9月28日に新憲法を国民投票で承認させ、10月5日第五共和政が開始された。コロンやアルジェリア駐留軍はド・ゴールに期待したが、ド・ゴールはアルジェリア戦争の戦費による赤字財政を危惧し、同年9月にアルジェリアの民族自決を支持した。12月12日に人事刷新を図り自らを担ぎ出したサラン将軍を閉職に追いやり、軍政を廃止して文民であるポール・ドルーヴリエ(英語版)に統治をゆだねた。また、空軍部隊司令官に自らの派閥に近いシャール空軍大将を就任させた。ただし、中核的人物であったジャック・マシュ将軍はアルジェ地区行政長官に就任させ、駐留軍の動揺を抑えた。1959年1月、ド・ゴールはフランスの大統領に就任し、直ちに非常事態権を発動した。

1960年、フランスは年頭からアフリカ植民地の独立を次々に承認し、後に「アフリカの年」と呼ばれるようになる。1月24日、アルジェではマシュ将軍の師団長更迭に端を発する暴動事件であるバリケードの1週間(フランス語版)が発生、事態は解決したが極右活動家や過激傾向の軍人は逮捕あるいは更迭された。このような情勢下でド・ゴールは7月に「アルジェリア平和計画」を発表した。これはアルジェリアで戦う軍人とコロンの更なる反発を買い、11月にはアルジェリアでコロンらの反ド・ゴール暴動を招いた。しかし、1961年1月にフランス本土で行ったアルジェリア独立をめぐる国民投票では、75パーセントがアルジェリアの民族自決を、つまりはド・ゴールの植民地独立政策を支持した。

一方、フランスではバリケードの1週間の首謀者連に対する裁判が行なわれたが、被告人のほとんどが軽い量刑で済まされ、釈放後は多くが地下活動に転じ秘密軍事組織(OAS)を結成してフランス軍やフランス官憲に対して反乱を開始した。彼らはアルジェリアはフランス固有の領土であると信じ、この戦いをヨーロッパ文明と野蛮との戦いと位置づけた。

秘密軍事組織はアルジェリアやフランス本土で、フランス人政治家や警察官僚らを殺害するなどテロ活動を活発化させ、1961年9月にド・ゴールの暗殺を計画するが失敗した。だが、暗殺計画の発覚でコロンと秘密軍事組織への支持は失墜して、フランス本国でもアルジェリア独立の支持が高まった。

1961年4月には将軍達の反乱が発生、アルジェリア駐留軍から空挺部隊が決起し、秘密軍事組織も参加して1958年5月の危機と同じく内戦の寸前の事態にまで陥ったが、ドゴール大統領の強硬な態度と駐留海空軍の離反、そして混乱のさなかにサハラ砂漠で実施された核爆発実験の衝撃がクーデターに止めを刺した。このときフランス国民は空挺部隊が本土を奇襲するのではと大変恐れたという。この事件以降、アルジェリア民族解放軍の軍事行動は激減し、フランス軍の平定作戦は小康状態となり軍内部の粛清と秘密軍事組織との戦いに注力した。

(wikipedia アルジェリア戦争より引用抜粋)


















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フランスのマンデン図について -デモの行方とマクロン政権の今後-」への2件のフィードバック

  1. risaka

    記事中のフランス第五共和政のデータとそこに付された文字がちぐはぐになっています。
    調べてみると、9月28日の国民投票で承認され、10月5日に発布とありますので、いずれにしても文字の方は間違っているのではないかと思いますが。

    返信
    1. 秀吉 投稿作成者

      そのようですね。
      ご指摘ありがとうございます。

      本文の記載とチャートを修正しました。

      因みに日本のマンデン図はサンフランシスコ平和条約の調印時ではなく、公布時が使われているので、
      フランスの第五共和政のチャートも新憲法公布時を使うという考えもあるかと思います。

      但し、それらの新憲法公布時のチャートからは特に何のインスピレーションも沸いてきません。

      返信

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