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ZARD・坂井泉水について

2023 2/22


今年に入って、音楽ユニットZARDの坂井泉水を偲ぶ週刊現代の『ZARD『負けないで』がリリースから30年…歌詞もメロディも全部最高だった』や、現代ビジネスの『名曲『負けないで』を生み出した、ZARD・坂井泉水の「知られざる素顔」』といった論評が見られた。


ZARDの代表的な曲である『負けないで』は、誰でも知っており、口ずさむことが出来るほど、有名で、大ブレイクした曲であるが、それを歌っていた坂井泉水(さかいいずみ)のことや、その作詞も坂井泉水が行っていたことなどは、あまり知られていない。


マスメディアにあまり登場せず、露出を控えており、キャラクターや人物としては、目立たなかったが、楽曲が先行して有名になり、彼女の名前ではなく、ZARDのボーカルとして、ZARDとして有名であった。




5ちゃんねるに出生データ(坂井泉水 1967/02/06 12:00 神奈川県 平塚市)がある為、出生図を作成してみると、ラグナは牡牛座ローヒニーである。


時間が12:00というのは、正確なのかよく分からないが、このラグナで正しいと思われた。





何故なら、このようにして、ZARDの坂井泉水を偲ぶような記事が出て来て、再び、注目を浴びていること自体が、土星が10室の水瓶座に移動したことの結果だからである。


10室は、注目を浴びる大舞台であり、誰からも見られ知られる配置である。


記事の中で、坂井泉水の様々なエピソードが語られていて、その人となりに注目が集まっている。


既に亡くなっている人間であってもホロスコープは機能し続けるというのは、知られているが、坂井泉水にしてもこれが当てはまる。




水瓶座の金星 -グループが大事-


彼女が何故、ボーカルとして、主役として目立たずにZARDのユニットの一人のメンバーとして、露出を控えて、グループの中に埋没していたのかを考えると、ラグナロードの金星が水瓶座に在住していたからだと思える。


水瓶座は、グループワークの星座であり、個人の力や個人技よりも、グループ全体として発揮する表現を重視する。


だから彼女は、坂井泉水として自分の名前を売り込むのではなく、ZARDとして有名になったのである。


だからと言って、坂井泉水は、決して、控えめに振る舞う自分に満足していた訳ではないと考えられる。


20代前半まではモデルやレースクイーンとして活動して、普通にメディアに露出する欲求はあったと考えられる。







1991年2月、自身によるソロプロジェクト「ZARD」のボーカルとして歌手デビューを果たしているが、ソロプロジェクトなのだから、別に坂井泉水としてデビューしてもよかったはずである。


然し、あえて、音楽ユニット「ZARD」のボーカルとして、デビューを果たしたのは、水瓶座の金星の特徴かもしれない。


有名になり、スターにはなったが、あくまでもZARDというグループとしてであり、坂井泉水という個人としてではない。



ラグナは牡牛座で、ヴァルゴッタマで、ラグナロードの金星が共に水瓶座に在住していることなどが、効いているのかもしれない。




マハダシャー月期での歌手デビューと楽曲の大ブレイク -ムクタヨーガの発現-


1991年2月にデビューしたのが、ちょうどマハダシャー月期が始まるタイミングであり、「負けないで」をリリースしたのが、1993年1月27日で、月/ラーフ期である。



この月期を通して、音楽ユニットとして大成功を収めたことが分かる。







月は3室の支配星で、8室に在住し、8、11室支配の木星と3-8の星座交換をしており、月は定座に在住しているかのように強いため、ムクタヨーガを形成している。


それで、月期に大ブレイクして、まさに音楽界の女王になったと言える。


但し、月は8室に在住し、8室の支配星と星座交換している為、芸能の世界で、大成功したのだが、引っ込み思案で、陰があるというのは、その為だったのである。


然し、月ラグナから見ても1-8の星座交換をして、8室が強調されて強い為、楽曲の印税収入が入り、1997年の長者番付歌手部門で8位、1999年の長者番付歌手部門で5位となっている。







ここで注意が必要なのは、この月は8室射手座で、プールヴァアシャダー(金星)に在住している。


支配星は、金星だが、同じ金星をナクシャトラとする12室牡羊座のバラニーには、ラーフが在住している。



従って、月期は、この12室に在住するバラニーのラーフの影響も受けていると考えられる。


12室のラーフの特徴は、あれもやりたいし、これもやりたいといった形で、やりたいことは沢山あるが、どれにも上手く手がつけられず、注意が散漫となって、悶々とするような時期である。


楽曲が成功して、印税収入を得ながらも、そうした公の世界に出て行けない、悶々とした気持ちはあったのではないかと思うのである。



ラグナロードの金星は、10室に在住しているが、この金星は、2、5室支配の水星とコンジャンクトしており、2室(スピーチ、声)の支配星が、金星とコンジャンクトしているので、歌手としての成功なのである。


またこの金星と水星は、逆行の高揚した木星からのアスペクトも受けている。



ここで注目すべきは、この金星と水星が、水瓶座のシャタビシャー(ラーフ)に在住していることである。


ラーフは、12室に在住している為、やはり、プライベート環境で悶々として、自分を表現出来ていないという苛立ちや焦りといったものを感じやすい配置なのではないかと思うのである。




露出を控える隠遁的スタイル -金星とラーフによる10-12のナクシャトラ交換-


そして、金星はシャタビシャー(ラーフ)に在住し、ラーフはバラニー(金星)に在住している為、10-12のナクシャトラ交換が起こっている。


これは、基本的に坂井泉水が、スターでありながらも、テレビにも出ず、ライブもやらないといった形で、極端に露出を控えて、生活していたことを意味する配置である。


彼女の仕事場は、楽曲を収録するスタジオ(12室)であり、テレビにも出ず、ライブも行なわないので、そこで仕事が完結してしまうのである。





マハダシャー火星期の闘病生活


月期にブレイクした後、2000年以降、坂井泉水は、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いたという。



ヴィムショッタリダシャーでは、2001年2月25日からマハダシャー火星期に移行しており、火星は、7、12室支配のマラカで、病気の6室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸とコンジャンクトして、激しく傷ついている。



子宮筋腫、卵巣のう腫といった疾患は、泌尿生殖器や婦人科系を表わす金星が表示体となる疾患であるが、火星がケートゥと共に金星の星座(天秤座)に在住して、金星はディスポジターとして、その凶星の影響を受けている。



ナヴァムシャでは、ラグナロードで身体を表わす金星が、やはり、7、12室支配のマラカの火星からアスペクトされている。



火星はルチャカヨーガだが、マラカとしての凶意を強めており、牡牛座ラグナにとってのラグナロードの金星は、ラグナロードであるにも関わらず、機能的凶星で、マラカに分類される惑星である。



その金星が、火星だけでなく、無条件のマラカである土星からアスペクトされており、更にこれも二次的なマラカとなる3室支配の月や8、11室支配の木星からのアスペクトを受けている。



金星は、2つの強力な凶星と、機能的凶星で、マラカでもある月や木星からアスペクトを受けて激しく傷ついている。



これが闘病生活を送った悲劇のヒロインとしての配置かもしれない。







金星は、出生図でもナヴァムシャでもラグナロードで、10室に在住し、1-10のラージャヨーガを形成し、ナヴァムシャでは、ヨーガカラカの土星と相互アスペクトして、1-9、1-10のラージャヨーガを形成しており、注目されるスターの配置を示している。



然し、金星は身体を表わす表示体であり、機能的凶星で、マラカでもあり、それが火星、土星、機能的凶星で、マラカでもある月や木星からもアスペクトされている。



従って、スターであってもこと健康面においては、非常に問題のある配置であると言える。



2006年4月に仕事中に体調が悪化した為、病院で検査を受けて、子宮頸癌が発見されたというが、この時は、火星/金星期である。



アンタルダシャーの金星は、まさに今、見て来たようにナヴァムシャで激しく傷つけられている。



そして、2007年4月には、子宮頸癌を手術して退院した後になるが、肺への転移が見つかり、再入院となっている。



2007年4月は、火星/太陽期である。



太陽は、出生図では4室の支配星であり、4室は肺を表示するハウスだが、マラカの火星からアスペクトされている。太陽はまた身体の表示体である。



また太陽には、8、11室支配のマラカの木星もアスペクトしている。









そして、坂井泉水の最期は謎めいており、wikipediaによると、2007年5月26日午前5時40分に入院先の慶應義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見されたということである。


死因は、後頭部強打による脳挫傷であり、まだ40歳の若さであった。




この時は、火星/太陽/土星期だったが、火星はラグナから見た7室支配のマラカで、太陽は月から見てマラカの2室に在住し、土星は月から見て、マラカの2、3室の支配星である。



火星は頭部を表わすラグナと、1室(頭部)の表示体である太陽にアスペクトし、太陽はまさに頭部を表わす傷ついた1室の表示体であり、土星は魚座からラグナ(頭部)にアスペクトしている。



ナヴァムシャでは、火星と土星は、ラグナロード(頭)の金星にアスペクトしている。



坂井泉水にとって、火星のマハダシャーの時期は、非常に危険な時期であった。



火星は、マラカの7室と12室(入院)を支配して、病気の6室に在住し、12室にアスペクトバックして12室が強調されているが、そこにはラーフが在住して、閉ざされた環境での葛藤を表している。





ダシャムシャ


もう一つ、ダシャムシャは、彼女の仕事運を非常に明白に示している。







ラグナロードの金星は2室(スピーチ、声)に在住しており、9、10室支配のヨーガカラカの土星と相互アスペクトして、1-9、1-10のラージャヨーガを形成している。



彼女が歌手として、成功したことをよく示している。



坂井泉水は、1991年2月、自身によるソロプロジェクト「ZARD」のボーカルとして歌手デビューを果たしたが、これは歌手として起業(2室)したことを意味している。



2室の金星というのは、歌手にとっての典型的な配置であるが、売れないうちは、スナックなど営業回りをして、売れて来たらディナーショーなどで集客して歌うことを考えると、明らかに歌による起業である。



このダシャムシャで、12室に惑星集中していることは、やはり、彼女が露出を控え、テレビ出演をせず、ライブもほとんどしなかったということの理由になると思われる。



デビューした当時のマハダシャーロードの月は、12室牡羊座のバラニー(金星)に在住しており、支配星の金星は2室に在住し、まさに彼女の歌手としての仕事を表している。



しかし、ダシャムシャで3室支配で12室に在住する月は、いくら歌手として成功したとは言え、やはり12室なのである。



12室で、ラージャヨーガやダナヨーガに連結している為、悪くはなく、歌手として印税収入は得たが、スターであるにも関わらず、どこか露出を控え、隠遁的な生活を送ったのはその為であった。









(参考資料)

ZARD『負けないで』がリリースから30年…歌詞もメロディも全部最高だった!
平成を代表する名曲を語り尽くす
2023年1月28日 週刊現代

聴く者に寄り添って、励ましてくれる曲は、ZARDの『負けないで』をおいて他にない。自然と勇気が湧いてくるのは、素直で純粋な言葉がロックの音とともに力強く響くからだ。リリースから30年の節目に、そんな名曲を語り尽くそう。

寺尾広(てらお・ひろし)/音楽制作ディレクター。(株)ビーイングで、ZARDやT-BOLAN、WANDS、FIELD OF VIEWなどの音楽制作を手掛けた。現在は(株)ギザに所属

チャンカワイ/'80年、三重県生まれ。コンビ「Wエンジン」のボケを担当するお笑い芸人。ZARDの熱烈なファン。近著に『神さまが惚れてまう48のポイント』がある

伊藤博伸(いとう・ひろのぶ)/'53年、東京都生まれ。音楽ライター。過去、坂井泉水に何度も取材した。日刊紙「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」で「マハロな音楽」を連載中

『負けないで』/'93年1月27日にリリースされた、音楽ユニットZARDの6枚目のシングル曲。ドラマ『白鳥麗子でございます!』(フジテレビ系)の主題歌として、オリコンの週間チャートでは初登場から10週連続でトップ10に入り、165万枚を売り上げた

165万枚の大ヒット

チャン ZARDの名曲『負けないで』のリリースは'93年1月ですね。あれからちょうど30年が経つけれど、その魅力は少しも色褪せません。ZARDの曲は思春期に女性心理を学ぶ「教科書」として何度も聴きましたが、40代になり先輩・後輩に挟まれてプレッシャーを感じる今が、一番心に響くんです。

伊藤 僕はライターとして、坂井さんに何度もインタビューさせてもらいました。『負けないで』はメロディと歌詞が互いに高め合って、大ヒットするなと思いました。実際、165万枚というZARD最大のヒット曲になり、今も多くの人にとって「人生の応援歌」です。

寺尾 私がディレクターとして坂井さんに初めて会ったのは、デビュー前の'90年秋でした。彼女が23歳の頃で、ミニスカート姿だったことは記憶していますが、その時はあれほどの美人だとは気付かず、背筋が伸びて姿勢がいい人だなという程度。マイクに向かうと、とても通る大きな声が響き、おとなしい印象とのギャップに驚きました。

「勝て」じゃないのがいい

伊藤 『負けないで』は太くて重いエレキギターのイントロの音に象徴されるように、かなりロックのテイストがある曲です。彼女自身、ボン・ジョヴィが好きで、ロックを歌いたがっていました。

寺尾 目指したのは主に'70~'80年代のとがったロックです。ただ、ドラム、ベース、ギター以外にオルガンを入れるなどアクセントを効かせている。

チャン 織田哲郎さんによるメロディもノリがよいですね。

寺尾 ZARDが所属するビーイングでは、作曲家が自主的に作った曲を、長戸大幸プロデューサーがアーティストに振り分けるスタイルが基本。『負けないで』はもともと、織田さんが自身のアルバム用に書いた曲でしたが、ZARDのアルバム用にと長戸さんが選んだ。

伊藤 そこに坂井さんが歌詞をつけるのですが、恋する女性の気持ちを飾らずに表した言葉だから、聴く人の心にすっと入り込む。誰もが歌の主人公と自分を重ねて聴くことができるのです。

寺尾 主人公のキャラクターは、「平成に生きる昭和の女」と決まっていました。男に追いすがることもしないし、自分から男と別れて人生を決めていく女性でもない。仮に相手とうまくいかない時、自分はそこにとどまって応援する道を選ぶ女性です。その相手は夢を忘れない少年のような男性。

チャン 「勝て」じゃなくて、「負けないで」と言ったのがミソ。普段僕らは、「あいつに勝て! もっと前に出ろ」と言われる。これはしんどい。だけど、「負けないで」と言われると、何か頑張れる。

伊藤 言葉選びのセンスの良さには脱帽ですね。

歌詞へのこだわり

寺尾 歌詞が入って格段に魅力が増したので、シングルでリリースすることになった。

実は『負けないで』の冒頭「ふとした瞬間に」に続く「視線がぶつかる」は最初、「目と目が合った様な」でした。「最後まで走り抜けて」も当初は「最後まで諦めないで」だった。それを坂井さんは推敲して、レコーディング直前に変えました。

伊藤 坂井さんは自身を「体育会系だから」と語っていました。アスリートが目標を達成するために限界を超える努力をするのと同じく、曲を完成させるためには一切妥協しない。「自分が納得するまで歌詞を書き直す」と、僕の取材でも語っていましたね。

チャン 「しあわせのときめき」を「幸運のときめき」と書いている。音だけじゃなく、字面にもこだわっているんですね。実際、どんなふうに歌詞を作っていたのですか?

寺尾 彼女は日常で気になった言葉を、いつもメモしていました。記録した言葉からメロディに合う歌詞を探してはめ込んでいくのが、彼女のスタイルです。ただし、単に語呂が合えばいいのではなく、聴き手に自分の思いがどう伝わるかを何よりも重視していました。

「は」「な~れてても」

チャン 僕がすごいと思った歌詞は、「どうにかなるサと おどけてみせるの」の「サ」! わざとカタカナで書いている。勝手な推測ですが、主人公の女性は普段は真面目なのに、相手のためにちょっと無理しておどけているんじゃないか。その気持ちが、「サ」に表れている。こんなカワイイおどけ方をされたら……惚れてまうやろ!

寺尾 それは深いですね。遠く離れた男性に対し、女性が「おどけてみせる人だったな、あんな人なら負けるはずがない、頑張ってね」と言っているだけでなく、そんな彼を真似て、女性もおどけてみせるという解釈もできますね!

チャン しかも男性は、二枚目な感じがしないところがいい。夢を追いかける一途さはあるけど、恋愛には不器用そう。そんな男が坂井さんのような美人に慕われている。恋愛に恵まれない男子としては「こんな俺でも見てくれている女性がいるに違いない」と励まされるんです。

寺尾 メロディと言葉の配置、いわゆる譜割りにも個性が出ていますね。たとえば、「どんなに離れてても」。彼女は「どんなには」の後にブレスを入れ、「な~れてても」と歌う。現場では意味から考えて一息で歌うべきだという意見も出たのですが、彼女は譲らなかった。この箇所を切ることで、離れている寂しさが伝わると主張しました。

伊藤 歌う時のアクセントの位置も普通とはやや違う。最初は「あれっ?」と思うけど、聴き込むとそれがクセになる。奇をてらった言葉ではないが、組み合わせや譜割りのユニークさがあるから、心に残るんです。

寺尾 歌が上手いというと、音程が正しいとか音域が広いことを連想する。彼女も音域は広いが、技術的に上手いだけではない。自分の言葉を伝える能力が素晴らしいです。

チャン まさに伝道師でしたね。

「週刊現代」2023年1月28日号より
参照元:ZARD『負けないで』がリリースから30年…歌詞もメロディも全部最高だった!
平成を代表する名曲を語り尽くす
2023年1月28日 週刊現代
名曲『負けないで』を生み出した、ZARD・坂井泉水の「知られざる素顔」
2023/1/29 9:03 現代ビジネス

 聴く者に寄り添って、励ましてくれる曲は、ZARDの『負けないで』をおいて他にない。自然と勇気が湧いてくるのは、素直で純粋な言葉がロックの音とともに力強く響くからだ。

前編記事『ZARD『負けないで』がリリースから30年…歌詞もメロディも全部最高だった! 』では、そんな名曲の魅力を語ってきた。引き続き本記事では、知られざる坂井泉水さんのこだわりや素顔を明かそう。

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寺尾広(てらお・ひろし)/音楽制作ディレクター。(株)ビーイングで、ZARDやT-BOLAN、WANDS、FIELD OF VIEWなどの音楽制作を手掛けた。現在は(株)ギザに所属

チャンカワイ/'80年、三重県生まれ。コンビ「Wエンジン」のボケを担当するお笑い芸人。ZARDの熱烈なファン。近著に『神さまが惚れてまう48のポイント』がある

伊藤博伸(いとう・ひろのぶ)/'53年、東京都生まれ。音楽ライター。過去、坂井泉水に何度も取材した。日刊紙「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」で「マハロな音楽」を連載中

『負けないで』/'93年1月27日にリリースされた、音楽ユニットZARDの6枚目のシングル曲。ドラマ『白鳥麗子でございます! 』(フジテレビ系)の主題歌として、オリコンの週間チャートでは初登場から10週連続でトップ10に入り、165万枚を売り上げた

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納得いかなければ自らボツに

 寺尾 テンポが速くてノリのいい曲なのに、あえてゆったり歌っていた。急いで歌うと、言葉が伝わらないからですね。特に出だしの「ふとした瞬間に」は、テンポに遅れているかのように意図的にゆっくり歌っている。

 チャン なるほど。カラオケで歌う時はいつもノリノリでしたが、これからはゆっくりと心して歌います! 

 伊藤 歌を入れる作業でも様々な表現を試していたし、スタッフからOKが出ても、納得いかなければボツにすることもあったそうです。当然時間がかかる。1週間泊まり込んでスタジオにいたこともあるらしいのですが、それを楽しんでいるようでした。

 寺尾 25枚目のシングル『運命のルーレット廻して』では8ヵ月ほど、アレンジや歌い方などの修正が繰り返されました。

 チャン 8ヵ月も! 映像に残るレコーディング風景では、和気藹々として楽しく歌っているようにしか見えないのに。

歌詞に共感した女性ファンが増加

 寺尾 録音ブースでは、歌っている姿を見られないほうがいいと、カーテンで仕切るようにしていました。全力で集中すると、彼女は口を大きく開け顔をくしゃくしゃに歪めて歌うので、恥ずかしかったのでしょう。

 チャン そんな顔も見てみたかったな。

 寺尾 なのでライブでは、全力ではなく7割の歌い方で、観客に満足してもらえるか、何度も研究していました。

 伊藤 デビュー当初は曲の良さだけでなく坂井さんの美しさもあり、男性ファンが中心でした。ですが、『負けないで』以降は、彼女が紡ぎ出す詞に共感してファンになる女性が増えていった。

 チャン メディアへの露出が少なかったことで、神秘性が高まっていきましたね。本当に坂井泉水が歌っているのか、と言われたことさえあった。

 伊藤 それは戦略というよりも、曲作りを何より優先した結果、メディア対応の時間が取れなかったというのが正解だと僕は思います。

 寺尾 実は坂井さんの体調が不安定で、結果的にテレビやライブのスケジュールを出せなくなったというのもあります。

 5枚目のアルバム『OH MY LOVE』('94年)が出た時、どんな人が買っているかを調べたのですが、ほぼ若い女性でした。坂井さんのセクシーさなどを前面に出し続けていたら、そうならなかったかもしれませんね。

庶民的な素顔

 チャン テレビに出ないので、どんな人か知りたくて仕方ありませんでした。ジャケットの写真などでは、生の坂井泉水がイメージできない。

 極端に言えば、僕の中では卑弥呼。歴史上の人物と同じだったわけです。でも、後にスタッフの方から「チャーハンと餃子が好きだった」と聞いて、やっぱり実在したのか! と納得できました。

 寺尾 素顔の坂井さんは驚くほど普通の女性でしたね。30代の時、「今日、いいことがあった」というから、「何があったの」と尋ねると、「新幹線の中で有名な格闘家を見つけたので、サインをもらったんです」と無邪気に喜んでいる。しかも、その相手は坂井泉水だとわからなかった。

 チャン カワイすぎるエピソードですよ! 

 寺尾 ミリオンヒットを連発していた時も、自宅から小田急線に乗り、1時間以上かけて都心の録音スタジオに通っていた。乗客からは気付かれていなかったようです。

 伊藤 オーラを消す才能があったのかもしれませんね。インタビューでは、愛犬や趣味の油絵の話も伺いました。道具を買いに銀座の文具屋に行くと、「割引券がもらえるのが凄く嬉しい」と笑顔で喋っていた。そんな庶民的な感覚が飾らない詞を生んでいたのでしょう。

最後まで走り抜けて

 寺尾 『負けないで』は離れている恋人を応援する歌ですが、「最後まで走り抜けて」などの歌詞が受験を直前に控えていた団塊ジュニアたちの心に響いた。かたや、バブルが崩壊して、辛い思いをしていた大人たちの心にも届きました。

 伊藤 '04年のライブツアーで『負けないで』が流れた時、涙を浮かべて歌っている人が大勢いました。この曲を聴いて励まされたとか、勇気づけられた体験が蘇ってきたのでしょう。

 寺尾 '07年5月、坂井さんは不慮の事故で40歳の若さで世を去りました。6月27日には一般向けの音楽葬が行われ、4万人以上が集まりました。閉会時刻でもファンが映像を見ながら『負けないで』を歌い続けていたのを見て、この曲は特別なのだと感じました。

 伊藤 最後のシングル曲『ハートに火をつけて』('06年)の発売時も取材しました。病を抱えて辛かったのだと思いますが、「他にもいい作品ができている。完成させるのが楽しみだ」と前向きな姿勢は変わりませんでした。坂井さんの曲が今も多くの人を励まし続けるのは、夢を諦めない気持ちが込められていたからだと思います。

 チャン ZARDの音楽は世代を超えて聴き継がれる。上京して寂しい夜、僕はいつもZARDを聴いていました。先日、6歳になる娘に聴かせたら「綺麗な曲、綺麗な声」と言ってくれた。坂井さんの歌が僕だけでなく、娘の生きる糧にもなってくれると嬉しいです。

 「週刊現代」2023年1月28日号より
参照元:名曲『負けないで』を生み出した、ZARD・坂井泉水の「知られざる素顔」
2023/1/29 9:03 現代ビジネス
復刻・07年5月29日付坂井泉水さん転落死
2008年5月27日23時38分 紙面から

<2007年5月29日付、日刊スポーツ紙面から>

 90年代に隆盛を極めた音楽ユニットZARDのボーカル坂井泉水(さかい・いずみ)さん(本名・蒲池幸子=かまち・さちこ)が27日午後3時10分、脳挫傷のため急死していたことが28日、分かった。40歳。坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんを患い、1度は快方に向かったが肺転移が認められ、今年4月に再入院。今月26日早朝、入院先の東京・信濃町の慶大病院の非常階段から転落し、後頭部を強打したことが死因だった。10月の新アルバム発売を目指し、病室での楽曲制作や写真撮影を進めていた矢先の死だった。

 坂井さんは、両親と親族数人にみとられ、息を引き取った。関係者によると、転落後は最期まで意識が戻らなかったという。遺体は28日までに都内にある実家に戻った。事務所スタッフは「仕事で両親と一緒の時間が少なかったので、今は家族水入らずの時間を過ごさせてあげたい」と自宅前で立ち尽くし、肩を落とした。

 警視庁四谷署によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、肺がん治療で入院していた5階建ての慶大病院1号棟にある非常用らせん階段のスロープ(高さ約3メートル)から転落。駐車場のコンクリートで後頭部を強打し、あおむけに倒れているところを通行人に発見された。

 転落時の目撃者がいないため、四谷署は事故と自殺の両面で調べている。所属事務所は「最近の日課だった散歩を終えて病室に戻る途中、前日の雨の影響で足を滑らせた」と説明。「3メートルの高さは自殺で飛び降りる高さではない」と話す捜査員もいる。発見時は外出用の服装。親族に近い関係者によると、遺書はなく、病室のベッドには脱ぎ捨てられたパジャマがあった。身辺整理の跡もなく、自殺の兆候はないという。

 だが、スロープの床から手すり上部までは約1・2メートル。足を滑らせて転落するというのはやや不自然だ。四谷署も、手すりを乗り越える形で転落したとみており、詳しい経緯を調べている。

 世間を揺るがした突然の悲報。同時に、がんの闘病中だったことも公になった。昨年6月に極秘で子宮頸(けい)がんの手術を受け、入退院を繰り返していた。子宮全摘出手術を受け一時は快方に向かったが、今年3月に受けた検査で肺への転移が認められた。嫌煙家で飲酒も好まず、健康管理に気を使っていた坂井さん。不条理な現実に直面したが、気丈だった。度重なる発病にも「しっかり治して、秋に新作(アルバム)を発表したいね。全国ツアーもやりたいよね」と前向きだった。

 放射線、抗がん剤治療で肺がんも確実に縮小し、体力回復のため、病院の敷地内を精力的に歩いていた。10月発売予定だった同アルバムの写真撮影も進められ、制作途中の楽曲も多数あった中、誰も予期できない悲劇が待っていた。

 坂井さんはモデル活動を経て91年に歌手に転身した。93年に「負けないで」が約164万枚を売り上げ、翌94年には、センバツ高校野球の入場行進曲になり、音楽の教科書にも採用された。以後ヒットを連発、90年代に最高の輝きを見せた女性歌手の星だった。93年のオリコン年間売り上げチャートで総合1位を獲得。日本の音楽界の頂点に立ち、毎年、NHK紅白歌合戦の出演依頼があった。

 メディア露出を極端に避ける手法が奏功し、神秘性でブレークした。年齢も非公表。音楽番組は93年のミュージックステーション出演が最後。単独ライブも99年のアルバム購入者イベント、04年3月の初全国ツアーと生涯2回だけだった。

 通夜は今日29日、告別式は翌30日に密葬で営まれる。東京・六本木の所属事務所リレーションズ、大阪・北堀江のGIZA

 studioには記帳、献花台が設けられ、多数のファンが別れを告げた。お別れの会も後日、開かれる予定だ。

 ZARDは、作詞とボーカル担当の坂井泉水さんを中心にしたプロジェクトで、ほかに固定メンバーはいない。そのため、ZARD=坂井と表現するケースもある。テレビ出演もライブも数えるほどの機会しかないため「坂井さんが存在しないのでは」と、まことしやかなうわさが飛ぶほどだった。

 90年にB,zやTUBEのプロデューサーだった長戸大幸氏と坂井さんが出会い、91年2月に「Good-bye My Loneliness」で歌手デビューした。翌月には早くも同名の初アルバムを発売。さわやかな歌声とメロディーでたちまち人気グループに躍り出て「負けないで」「揺れる想い」「マイフレンド」の3作がミリオンを記録。アルバムも9作がミリオンをマークし「揺れる想い」と「OH MY LOVE」がダブルミリオン。シングル43作の累計は約1751万枚で歴代女性歌手2位(1位は浜崎あゆみ)、アルバム17作の累計は約1870万枚で女性歌手歴代5位の記録を残した。

 坂井さんは、ZARDとしての活動以外にも、作詞家としてほかのアーティストへ詞の提供を意欲的に行い、森進一「さらば青春の影よ」では、演歌との異色コラボレーションで注目を集めた。歌声だけでなく、抜群のルックスと、学生時代に陸上部で鍛えた美脚にファンも多く、長嶋茂雄巨人終身名誉監督は、93年発売の「果てしない夢を」にゲストボーカルとして参加。99年発売の写真集「ZARD ARTIST FILE」ではメッセージを寄せた。音楽活動以外では、97年に東京国税局から4000万円の申告漏れを指摘され社会面をにぎわせたこともあった。

 坂井さんは1967年(昭42)2月6日、神奈川県生まれ。県内の短大卒業後、都内の会社で働いていたOL時代にスカウトされて芸能界入りした。当初は本名の「蒲池幸子」として、写真集を出版するなどタレントとして活躍した。岡本夏生とともに、日清カップヌードルレーシングチームのレースクイーンを務めるなどモデル活動を行っていた。だが、学生時代に見たライブで「自分も何かを人に伝えたい」と感激。その熱い思いが忘れられずに歌手を志した。

 ◆子宮頸がん

 子宮の入り口である子宮頸部にできるがん。40歳以上の女性の2~3%が発症している。最近では20代、30代での発症も増えている。初期は無症状だが、進行すると不正出血や下腹部痛が現れてくる。また、性感染症ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染者に、高い確率で発症していることが分かっている。HPVは性交経験のある女性ならだれでも感染の可能性がある。HPV検査と細胞を採取して検査する細検査の併用で、子宮頸がんの予防は可能と言われている。

 「負けないで」

 ふとした瞬間に

 視線がぶつかるしあわせのときめき

 覚えているでしょうパステルカラーの季節に恋したあの日のように輝いてるあなたでいてね負けないでもうすこし

 最後まで走りぬけてどんなに離れててもこころはそばにいるわ追いかけてね

 はるかな夢をなにが起きたって

 ヘッチャラな顔してどうにかるなるサと

 おどけてみせるの今宵はわたくしと一緒におどりましょう今もそんなあなたが好きよ忘れないでね負けないでほらそこに

 ゴールは近づいてるどんなに離れててもこころはそばにいるわ感じてね見つめる瞳
参照元:復刻・07年5月29日付坂井泉水さん転落死
2008年5月27日23時38分 紙面から

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