狙撃手の物語

米海軍の特殊部隊の狙撃手が射殺されたというニュースが報じられていた。

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米海軍特殊部隊「最強の狙撃手」、テキサス州で射殺される

ロイター 2月4日(月)8時49分配信

[3日 ロイター] 米海軍特殊部隊の元隊員で、自身のスナイパーとしての従軍体験を記した「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」の著者クリス・カイルさん(38)が2日、テキサス州グレンローズの射撃場で銃で撃たれて死亡した。同州公安局が3日明らかにした。

この事件で、警察はエディー・レイ・ルース容疑者(25)を、カイルさんとその知人(35)を殺害した容疑で逮捕した。当局によると、2人は至近距離から撃たれたという。

特殊部隊員として160人を殺害したと告白したカイルさんは、米国で最も多くを射殺したスナイパーとされ、1999年から2009年までの軍務体験記を出版した。

地元メディアによると、ルース容疑者は海軍に所属した経験があり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っていたという。事件発生から数時間後に州内の自宅で逮捕された。

米特殊作戦部隊の情報サイトによると、カイルさんはPTSDを患う元海軍兵を支援するためのボランティア活動を行っていた。この日は、元兵士らを射撃場に連れて来ていたという。
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このクリス・カイル氏は2009年までイラクに駐留し、イラクの抵抗勢力から百発百中の狙撃手として、「ラマディの悪魔」というニックネームで恐れられていたという。

このクリス・カイル氏が従軍して初めて人を射殺した時の話が印象的である。

『・・・米軍がイラクに侵攻した2003年、クリス・カイルは狙撃用ライフル銃を手渡され、イラクのとある町に海兵隊が進入する際の援護を命じられました。米兵たちにあいさつをしようと人々が取り囲んだときのことです。クリスの銃のスコープ越しに、子供を1人連れた女性が兵士たちに近づいていくのが見えました。彼女の手には、安全装置を外した手榴弾がありました。
 「これが、初めて誰かを殺さなければならない時だった。自分にそんなことができるかなんて分からなかった。相手が男だろうと女だろうと、誰であろうとね」と彼は語ります。・・・』(BBCワールドサービス ステファニー・へガーティ記者の投稿より引用抜粋)

子供を連れた女性が手榴弾の安全装置を外して自分の同僚である兵士達に近づいていくのが見えたのだという。
そして、自分の仲間の兵士達が手榴弾で殺されるか、あるいは、その子供ずれの女性を撃つかの選択にさらされたのである。


私はこの物語に非常に心揺り動かされた。

 


このニュース記事を読んで直ぐに思い浮かべたのは、バガヴァッドギーターのクルクシュトラの戦いの一場面である。


御者に扮したクリシュナ神が、自分の親族や友人や恩師が含まれた敵軍を前に戦意を喪失しているアルジュナに対して、

「定められた行為を為せ、行為は無為よりも優れている」として、カルマヨーガの奥義を授けるのである。

結果に執着せず、戦士としての務めを果たせと勧めるのである。

 


私はこのクリス・カイル氏のこの最初の原体験がこのアルジュナの話に比喩されるくらい究極的な状況ではなかったかと思われた。

BBCワールドサービス ステファニー・へガーティ記者の投稿を読みすすめると、クリス・カイル氏の分別ある人物像が浮かび上がってくる。

問題はこのクリス・カイル氏が相対世界の中に投げ込まれているということである。


クリス・カイル氏は相対世界の中に投げ込まれて、敵味方に分かれて戦う相対性の世界にいる以上、仲間に危害を加えようとしている敵を撃つことは戦士の務めである。

クリス・カイル氏の戦場での立場では、やはり撃つことが正しかったのである。それが戦場の戦士の務めだからである。

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もしあなたが、この義務(ダルマ)に基づく戦いを行なわなければ、自己の義務と名誉とを捨て、罪悪を得るであろう。
人々はあなたの不名誉を永遠に語るであろう。そして重んぜられた人にとって、不名誉は死よりも劣る。
勇士たちは、あなたが恐怖から戦いをやめたと思うであろう。あなたは彼らに敬われていたのに、軽蔑されることになろう。
またあなたの敵は、語るべきでない多くのことを語るであろう。あなたの能力を難じながら。これほどつらいことがあろうか。
あなたは殺されれば天界を得、勝利すれば地上を享受するであろう。それ故、アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意をして。(バガバッドギータ 2.33~37)
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バガヴァッドギータでも、クルクシュトラの世界で描かれているものは、相対世界の中で、どちらかの陣営に身を置いて、敵と戦わなければならない人間の定めが描かれている。
但し、クリス・カイル氏がアメリカの戦争が正義であったかどうかに疑問が生じた時には少し問題が複雑になる。

相対世界に投げ込まれる前の段階に逆戻りするからである。

そもそもこの戦いそのものが正しかったのかどうか。

クリス・カイル氏はそのような立場にはいない。あくまでも相対世界の中で、一方の陣営にいて自分の義務を果たす戦士として振るまっているだけである。


アメリカの戦争が正義であったかどうかに疑問が生じる時というのは、その相対世界のどちらか一方に身をおいていないのであり、その相対世界の外側に自分の視座を移した時である。

相対世界の外側に立つと善悪の判断がまた異なってくる。


相対世界の内側では、それぞれその人に定められた行為を為すことが最善の選択となるが、その相対世界に入る前にそれを外側から眺めて、よくよく吟味することが必要なのではないかとも思うのである。

相対世界の両陣営を超越して外側から眺める視座こそが知性であり、これがギャーナヨガ(知識の道)ではないかと思われる。


カルマヨーガはそもそも相対世界に投げ込まれている人間がどのように自分に定められた行為を為すべきなのかということについて、語った教えである。結果に執着せずに行為を為せという教えは、相対世界の中に縛り付けられた人間に対する教えである。


もしブッダが同じような場面に遭遇したら、全くアプローチが変わってくると思われるのは、ブッダはギャーナヨガ(知識の道)のアプローチをするだろうし、彼は戦士ではないからである。

何かしらの行為を為さなければならないというのは、人間に定められた限界である。人は自分のプラクリティ、グナに従って、相対世界の中で行為を為さざるを得ないからである。

相対世界の中で自分の役割を演じる前にその相対性を超越した視座から、よく吟味して、自分が参加しようとしている陣営が、正しいのか、正しいことは何なのかを考え、そして、その上で、また相対性の中に舞い降りて、相対世界での義務を果たすことが必要なのではないかと思うのである。

クリス・カイル氏は相対世界の中に投げ込まれており、彼は自分の行なっていることに疑問を持たない限り、彼は自分の務めを果たしているのであり、自分のプラクリティ、グナに従って行為をなしている。

それが善なのか悪なのかは置いておいて彼は自分の責務は果たしたのである。

そして、クリス・カイル氏は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っていたイラクやアフガニスタンに従軍経験のある元兵士エディー・ルース容疑者に至近距離から撃たれて死亡した。

非常にクリス・カイル氏のカルマを象徴する最期である。

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「あらゆることが一度に思い浮かんだよ。まず、これは女だということ。次に思ったのは、これは罪ではないのか、間違ってはいないのか、正当なことなのか。この任務が終わった後、家に帰れるだろうか。弁護士がやってきて『君は女性を殺したから刑務所行きだ』と言われるのか?」
 しかし彼には、即座にその答えを導き出すことはできませんでした。
「その女性が僕に決意させたんだ。仲間の兵士たちが死ぬか、その女性を撃つかのどちらかしかなかった」彼は引き金を引きました。

(中略)

狙撃手は殺した人間を「標的」とはほとんど言わず、動物や機械にたとえた言い方もしませんでした。取材を受けた狙撃手のなかには、犠牲者を「真の勇士」とまで表現する人もいました。
 「ここにいる誰かには、愛する友人がいる。信念に基づいてこういう行動をとるのだから、彼はきっと優れた人物に違いありません」
 また、ある狙撃手は、1人の男性を撃った直後に、その家族が嘆き悲しんでいる姿をスコープ越しに目の当たりにしたと言います。「しかし、こちらの立場としては、罪もない人々が殺されるのを防いだのだから、撃ったことを悔やんではいません」

ステファニー・へガーティ  BBCワールドサービスより
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この記事に書かれている狙撃手の心理告白や狙撃手のインタビューを読むと、相対世界の中で、もがくしかない人間の定めのようなものが感じられる。

単なる安易な感傷的情緒的な良い悪いといった評価で終わらせることが出来ないほど深い話である。

クリス・カイル氏は戦士として戦場に赴き、多くの人間を射殺して、そして自らも射殺された。それはカルマかもしれないが、彼は極悪人なのか。

そうではない。彼はアメリカ兵としてイラク兵を撃つ必要があった。それが彼の仕事であり義務であった。

彼はある意味、自分の職務において自分のプラクリティ、グナに基づいて行為を為したという意味では純粋であり、相対世界の中で踊らされている人間の1人なのである。 

カルマヨーガだけでは不完全なように思えてならない。

やはり、クリス・カイル氏に自分が参加するアメリカの戦争が正義かどうかについて吟味できるだけの超越的な視座が必要に思える。アメリカ側に立って戦うことが何を意味するのかを検討するだけの知性が必要に思えてならない。

やはり、カルマヨーガ(行為)、ギャーナヨーガ(知識、知恵)、バクティヨーガ(献身、愛)の3つが揃わなければならないのだ。


因みにクリス・カイル氏は月が天秤座に在住し、現在、トランジットが月の上を運行しているため、サディサティのど真ん中にいた。

そして、トランジットのラーフが天秤座に入室したタイミングで彼は撃たれた。


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ステファニー・へガーティ  BBCワールドサービス

http://www.bbcworldnews-japan.com/uk_topics/view/0000156

テキサスの若いカウボーイが米海軍きっての精鋭である特殊部隊に入隊し、米国史上最強の狙撃手になりました。今月出版された本で彼は、敵を待ち伏せし、見張り、殺すという任務を負った兵士の心理を並々ならぬ洞察力で披露しています。

 米軍がイラクに侵攻した2003年、クリス・カイルは狙撃用ライフル銃を手渡され、イラクのとある町に海兵隊が進入する際の援護を命じられました。
 米兵たちにあいさつをしようと人々が取り囲んだときのことです。クリスの銃のスコープ越しに、子供を1人連れた女性が兵士たちに近づいていくのが見えました。彼女の手には、安全装置を外した手榴弾がありました。
 「これが、初めて誰かを殺さなければならない時だった。自分にそんなことができるかなんて分からなかった。相手が男だろうと女だろうと、誰であろうとね」と彼は語ります。

 「あらゆることが一度に思い浮かんだよ。まず、これは女だということ。次に思ったのは、これは罪ではないのか、間違ってはいないのか、正当なことなのか。この任務が終わった後、家に帰れるだろうか。弁護士がやってきて『君は女性を殺したから刑務所行きだ』と言われるのか?」
 しかし彼には、即座にその答えを導き出すことはできませんでした。
「その女性が僕に決意させたんだ。仲間の兵士たちが死ぬか、その女性を撃つかのどちらかしかなかった」彼は引き金を引きました。

 カイル氏は2009年までイラクに駐留しました。米国防総省の公式データによると、彼が殺害した160人という数字は米軍史上最多の狙撃死者数です。しかし彼自身の計算ではもっと多く、255人にのぼるそうです。軍の諜報機関によると、カイル氏はイラクの抵抗勢力から「悪魔」の異名をつけられ、彼の首には2万ドル(1万3千ポンド)の報奨金がかけられているそうです。
 カイル氏は結婚して2児の父親となり、現在では軍を退役し本を出版しました。この本で彼は、自分が殺害した人々を「野蛮人」と呼び、自らの行為に何の後悔もしていないと断言しています。

 しかしイスラエルで実施された研究によれば、狙撃手は他の兵士に比べ、敵をこのように非人間的に見下すケースは、はるかに少ないようです。理由のひとつとしては、狙撃手が標的を非常にはっきり見ることができ、ときには相手を何時間も、あるいは何日間も見張り続けなければならない場合があるからかもしれません。
 「これはきわめて遠距離から行う殺人ですが、非常に密着した行為でもあります」人類学者のネータ・バル氏はこう話します。「親密だといってもいいくらいです」
 彼女は、2000年から2003年にかけてパレスチナ占領地区に従軍したイスラエル人狙撃手30人の殺害に対する考え方を研究しました。その目的は、殺人が人間にとって不自然な行為で、精神的外傷となるかどうかを調べることでした。

 特に狙撃手を研究対象に選んだのは、建物など大きな標的を狙うパイロットや戦車の操縦士と異なり、狙撃手が狙うのは個々の人間だからです。研究の結果わかったのは、イスラエル兵の多くがパレスチナ過激派を「テロリスト」とみなしているのに対し、狙撃手は概して、彼らを人間としてとらえていることでした。「ヘブライ語で『人間』に当たるのは『アダムの息子』です。彼らが最も多くこの言葉を使ったのは、殺した相手について話すときでした」とバル氏は言います。

 狙撃手は殺した人間を「標的」とはほとんど言わず、動物や機械にたとえた言い方もしませんでした。取材を受けた狙撃手のなかには、犠牲者を「真の勇士」とまで表現する人もいました。
 「ここにいる誰かには、愛する友人がいる。信念に基づいてこういう行動をとるのだから、彼はきっと優れた人物に違いありません」
 また、ある狙撃手は、1人の男性を撃った直後に、その家族が嘆き悲しんでいる姿をスコープ越しに目の当たりにしたと言います。「しかし、こちらの立場としては、罪もない人々が殺されるのを防いだのだから、撃ったことを悔やんではいません」

 友人や家族をはじめとするイスラエル社会全体がこうした考えを正しいと認めていました。
狙撃手が人を殺しても何のトラウマも訴えなかった理由には、このような背景も考えられるとバル氏は語ります。
「自分の信念を壊すような事態に対して心の準備があったために、実際にさほど苦しまずに引き金を引くことができたのです」

 バル氏は、調査した狙撃手たちは皆、理性的で聡明な若者だったことを指摘しました。
 ほとんどの軍隊では、狙撃手は厳しい試験と訓練を受ける必要があり、適性に基づいて選ばれます。英国の場合、3カ月の訓練コースを修了しなければならず、合格率は4人に1人という難関です。
 米海軍の狙撃手養成コースは米軍でも屈指の難関コースで、6割以上が不合格になります。入隊志願者には多くの必須条件が課せられ、「充分な分別を備え、冷静沈着かつ常識を備えていること」も条件に含まれます。カナダでの研究でも、狙撃手は平均的な兵士にくらべて、外傷後ストレスの検査では点数が低く、任務の満足度調査では高い得点を得る傾向があるとわかりました。

 「全般的に見て、彼らは非常に健康で、精神的にも安定した若者たちです」こう語るのはカナダ陸軍士官学校のピーター・ブラッドリー氏です。彼はアフガニスタンで150人の狙撃手について調査を行っています。「彼らがどれだけ冷静で分別があるか、会えば感心してしまうでしょう」と彼は言います。


 しかしイスラエルとカナダの研究のどちらも、現役の狙撃手たちの話を聞いただけです。
 人類学者ネータ・バル氏は、彼らの多くは、日常の社会に戻って数年経ってから問題にぶつかるのではないかと考えています。旧ソ連時代に狙撃手だったイリヤ・アビシェフ氏は、1988年にアフガニスタンに従軍した当時、ソビエトのプロパガンダにどっぷり浸り、自分の行動は正しいのだと確信していました。
 後悔はずっと後になってからやってきました。「自分たちはアフガンの人々を守っているのだと信じていました」と彼は言います。「しかし今は誇りに思えません。自分のしたことを恥じています」

 戦場ではなく通常の社会で任務に就いている警察の狙撃手の場合、不安どころかトラウマの症状がもっと早くから生じる場合があります。テキサス州保安官事務所の狙撃手で保安官代理を務めるブライアン・セイン氏は、多くの警官や軍隊の狙撃手が、あのような密着した手段で人を殺す行為に苦しんでいる、と語ります。
 「妻にも言えないし、なじみの牧師にも話せません」とセイン氏は言います。彼は心に傷を負った狙撃手を支援するアメリカの組織「スポッター(Spotter)」の会員です。「それがどんな気持ちかわかるのは同じ狙撃手だけです」

 しかしアメリカ史上最強の狙撃手にとって、良心の呵責は問題にならないようです。
「確かに奇妙な感覚だよ」とさすがのカイル氏も認めます。
「実際に死体を見ると…それをたった今、もう決して動かない状態にしたのは自分なんだと思うとね」
しかし彼に関する限りはそこまでです。
「人を殺すたびに、やつらが悪いんだと信じて疑わなかった」と彼は言います。「いつか神に向き合うときに、弁明しないといけないことはたくさんあるだろうけれど、あの連中を殺したことは含まれないよ」

クリス・カイル氏のインタビューはBBCワールドサービスの「アウトルック(Outlook)」で行われました。クリス・カイル氏の本のタイトルは「アメリカン・スナイパー(American Sniper)」です。
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