五島の朝

五島(福江島)では、夜は24時ぐらいに寝てしまい、朝は6時に起きるが、こうした朝方の生活は久しぶりである。


私のブログの更新時間はほとんどが夜中それも2時とか3時、4時などが多く、完全に夜型人間と化しており、アーユルヴェーダ的な発想からは、最も健康にはほど遠い生活をして来た。


アーユルヴェーダでは日の出前が最もエネルギーが満ちている時間帯である。


五島で早起きをして、朝方、海岸線を歩いていると、非常に気持ちがいい。






今日は引き潮で、満潮では水が来ていた場所に綺麗な砂浜が広がっていた。


このように清々しい海岸線を散歩していると、非常に幸福な気分に満ちてきた。


これがアーユルヴェーダ的な日の出前に起きる生活というのはこういう生活を指していると思う。


都会でも早起きをすれば気持ちいいと思うが、特に目の前が海だと格別に気分がいい。






近くの堤防に行くと地元の若い人がイカ釣り(エギング)をしていた。


また何度か道で出会って言葉を交わした男性が、釣りをしていた。


サビキでアジを釣っているのだという。


下を覗き込んでみると、水族館のように小魚が群れをなして泳いでいた。






とにかく水の透明度が高く非常に綺麗な海である。


老人は90歳で暇だから遊びで釣りをしているというが、90歳にしては非常に若々しかった。


75歳ぐらいにしか見えない感じであった。



五島は携帯電話はつながるし、インターネットもつながる環境も整備されている。


ネットにつながる環境さえあればこんな離島に来たとしても全く困らない。


むしろ自然や綺麗な空気などを味わうという意味では、最高に贅沢な暮らしである。


この離島に来て、私がやっていることと言えば、ブログを書いたり、また鑑定依頼をこなしたりといったことで、やっていることは東京や神奈川にいる時と全く変わらない。


まもなく5Gという超高速で大容量のデータ通信革命が起こり、日本の中のどこに住んでいるか、更には世界の中のどこに住んでいるかといったことが全く関係なくなる世界が訪れようとしている。



そうなった時に想定されることは、もはや大都市に住むことにたいしたメリットはなくなるという状況である。



そうなった時には地方の自然環境の豊かな土地に安くなった不動産を手に入れて暮らすことが最高の贅沢になってくるはずである。



今、それを実践し始めている人は、時代の先を走っていると言える。



現に今の段階でも日本の富裕層と呼ばれる人々は、シンガポールや香港などのタックスヘイブンで永住権を取得して、生活拠点を移す人々がいるが、経済的に成功したので、グローバリゼーションの恩恵を受けて、海外に国籍や生活拠点を移すことが出来るのである。



5G革命が進行し、更に移動にかかる金額も安くなることで、グローバリゼーションが深化して、末端の人々、一般市民のレベルにまでその恩恵が広く行き渡ろうとしているのである。



以前は富裕層しかできなかった海外や地方に生活拠点を築いて都会と地方の往復するような二重生活といったことを普通の一般人ですら真似し始めると考えられる。



つまり、人工知能などが活用されて、農業生産の無人化や配送システムが完備され、ベーシックインカムなどの社会保障なども行われて、労働から解放されるに従って、地方で自然に囲まれて優雅に暮らしたいという人も増えてくると考えられる。




都市に人口が集中していたのは、都市に仕事があり、お金を稼ぐ手段があったからである。




グローバリゼーションを推進したのは、資本家階級で、封建社会を打倒して、世界政府を作ろうとまでしているようだが、その過程で、帝国主義、侵略、略奪、多くの破壊が行われた。



そのようなマイナス面が取り上げられて、民族主義者、国家主義者は、グローバリゼーションを悪とみなすが、グローバリゼーションを悪とだけ見るには無理がある。



結局、グローバリゼーションの恩恵で、国家に縛られることなく国境を自由に行き来する自由を得ることが出来るようになった。この恩恵は非常に大きい。



グローバリゼーションが最近、インターネットの恩恵で更に深化したことにより、世界中で、労働力や商品が、同じ値段で取引されるようになって来ており、これは発展途上国の人々にとっては有利である。(発展途上国という言葉自体も古くなってきたと言えるかもしれない)



自分の国で生産されていた商品を安く買い叩かれることなく、世界市場の相場で、直接、売ることが出来るからである。



グローバリゼーションは今、5G革命により更に深化して、その恩恵が世界の一般市民のレベルにまで広がろうとしている。




日本が経済大国だった以前は、アジア、特にインドに行けば、日本人は王様のように扱われたが、今ではそんな時代は終わったようだ。



今は、グローバリゼーションの結果、世界の富裕層が、日本の自然環境を楽しむ恩恵が得られている。



日本の温泉地や地方の観光地に中国人や欧米人が押し寄せて、日本人でさえ行ったことのないような場所を訪れて楽しんでいる。



例えば、北海道ニセコ地区など、外国資本によって富裕層が自然環境を楽しむ居住地域になっている。



外国人が日本の観光地を訪れたりするという、インバウンドの観光産業というのは、グローバリゼーションの敗北者としての馴れの果ての姿としか言いようがない。




日本人が汗水垂らして働いて、やっとのことで生活している一方で、日本の自然を外国人たちが楽しみに来るのである。



それはまさに世界の人々の視点からすれば、世界中の人々が日本の自然環境を楽しむことが出来るようになったという意味で、グローバリゼーションの恩恵である。



逆に日本人が海外のあらゆる場所に出かけて行くといった高度経済成長期に見られた光景は見られなくなり、今では全くグローバリゼーションの恩恵を受けていない。



グローバリゼーションは、資本主義の論理によって、必ず勝利者と敗北者を生み出すため、全ての人が均一に恩恵を受けられる訳ではない。



敗北する側にとっては、グローバリゼーションというものは迷惑そのものでしかなく、拒絶する対象である。



然し、グローバリゼーションがそのような性質のものであったとしても、にもかかわらず、グローバリゼーションは価値あることである。




日本は明治維新で大急ぎで近代化して、何とか欧米の帝国主義によって植民地にされずに済んだが、戦後はアメリカに占領され、アメリカの植民地のようになった。



アメリカの反共の防波堤とする対日政策により、技術移転を受けて、工業製品や家電製品、自動車を海外に売りまくって、世界第2位の経済大国になったが、その時、稼いだ金は、色々な理由をつけてアメリカに奪い取られた。



あるいは、金融詐欺によって、奪い取られた。



そもそも日本人にとって、グローバリゼーションなど意味のあることだったか?



日本人は江戸時代において美しく質素で清潔な暮らしをしていて、本当は鎖国を続けられればよかったが、外国船がやってきたので、鎖国を続けられなくなった。



日本人は、ずっと鎖国をしてきて、自分の国で幸せに生きていたが、外国がやってきたので、仕方なく、欧米のスタイルを受け入れた。



グローバリゼーションも資本主義の考え方も全く向いていなかったのである。



それで、明治維新で大急ぎで近代化して、帝国主義国の真似事をしてみたが、全く欧米人の残酷な帝国主義の精神そのものを真似することが出来なかった。



それで日本は侵略した国を搾取することが出来ずにインフラを整備したりなどして経済発展させたのである。



そのことを今でも感謝しているアジアの国々がある。



日本人は、海外に出かけていってどんどん混血していくような逞しさもなく、日本人同士で固まって日本人村を作ってしまう。



内向きで内向的な民族である。これではグローバリゼーションを推進する側は無理である。



戦後から復興して、高度経済成長した時に一時的にグローバリゼーションの恩恵を受けて、海外に製品を売って大きな売り上げを上げることが出来たが、やはり、欧米の啓蒙主義が、理性の力で、思想的に経済的に軍事的な力も使って世界に一つの価値基準を普及させたのとは違って、表面的な経済面だけでの成功にすぎなかった。



そのため、いくら日本が世界市場で金銭を稼いで経済大国になったとしても、グローバリゼーションを推進する世界の盟主にはなれるはずがなかった。



日本人が何かをするとグローバリゼーションとは逆にローカリゼーションしてゆき、ガラパゴス化していくのである。



それは鎖国と同じであり、国内市場を海外のグローバリストから守りたいからである。



世界市場に打って出ることが出来ないからせめて、日本国内の仕様についてはガラパゴス化させて、国内市場を海外勢力から守ろうとする訳である。



日本人は、鎖国をしていた時代から開国に転じた後も本質的には一貫して鎖国を続けているのである。



日本人は、本来は鎖国をしていた時代のメンタリティーの方が自然なのである。



日本人に最後に残されるのは、この日本の美しい自然環境だけである。



これを奪われたら、もう日本人には何も残っていない。


















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