フリーメーソンとアメリカ建国の歴史

最近、西欧でルネサンスや宗教改革から始まった西洋近代とアメリカの独立戦争、そして、それらの背後で活躍したフリーメーソンについて記した本『本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史 フリーメイソン=ユニテリアンは悪魔ではなく正義の秘密結社だった!』副島隆彦著を読んでいた。



フリーメーソンは理神論(デイイズム)を信奉するユニテリアンというキリスト教の一派で、アメリカ独立戦争→清教徒革命→フランス革命といったヨーロッパとアメリカの近代化、民主化の流れの中に常にあったことが示されている。


西洋の歴史では、中世の暗黒時代は、キリスト教が支配する無知と迷信の世界で、カトリック教会が、文字の読めない大衆を完全に支配していた時代である。


天動説が推奨され、スコラ哲学のように聖書の中に答えを探すという学問のあり方であった。


中世社会では、ローマ教皇にローマの王がひざまづくというカノッサの屈辱という事件が起こっていて、地方を統治する封建領主よりもローマ教会の方が権力があったという時代である。


キリスト教というのは魚座がもたらしたもので、封建社会とは魚座、蟹座、蠍座などの水の星座が作り上げた世界である。


この中世の封建社会をだんだん壊していったのが商人たちであり、江戸時代に日本と貿易をしたオランダ商人たちなどに見られるが、こうした後の資本家階級の原型となる人々が、自由都市というものを築き、封建社会の秩序を壊していく。


そして、中世社会から近代化していく過程で、絶対王政というものが出現し、封建領主たちが群雄割拠する封建社会を統一した王が、官僚機構と常備軍を備えた近代国家というものを誕生させ、中央集権化した社会を築くのである。


自由都市を築いた商人たちは、諸侯を統一した王に税金を支払って、ローマ教皇の権力や暴力から守ってもらうことにしたのである。


ここでローマ教皇と諸侯を統一した王の力関係が逆転したことが分かる。


その時に最初は、王は自分の権威付けの根拠として、王権神授説などを唱えて、キリスト教にその権威付けの根拠を頼ったのである。


イギリスの王室の戴冠式においては、新国王にイギリス国教会の聖油を塗布する儀式などが存在するが、王(獅子座)がキリスト教会=神(魚座)にその権威付けの根拠を頼り、自分の権力の基盤を固めた名残りが見られる。


これは興味深いことだが、獅子座から見ると、魚座は8室に該当する為、王は権力を得るのにキリスト教=神の力に頼るのである。


王権神授説を唱えた王たちにとって、人民は、国王の所有物であり、私有財産権もなかった。それが絶対王政の社会である。


その後、ホッブズ、ロック、ルソーによって社会契約説などを唱えられて、国王の権力が否定され、そこで、私有財産制や人権、民主主義の概念が発達していく。



因みにキリスト教のローマ・カトリックが信奉するのは、パウロの思想を元にした三位一体説であり、「父(神)と子(イエス)と聖霊」は三つの位格をもつが本質的に一体であるという説である。


この説が、325年のニケーア公会議から始まる数回の公会議によって、キリスト教の正統教義になったようである。



然し、理神論(デイイズム)は、イエス・キリストは優れた人物であったが、神ではなく、人間であると考える。




アメリカを建国したのは、自由を求めてイギリス本国から逃れてきたピューリタン(清教徒)であり、理神論(デイイズム)を信奉するユニテリアンというキリスト教の一派であったという。



イギリス本国には、イギリス国王が、ローマ教皇庁と対立して、イギリス国教会という別の教会を起ち上げていた。



ヘンリー8世の離婚をローマ教皇庁が認めなかった為、自分の傀儡の人物をカンタベリー大司教に就け、王の婚姻無効を認めさせ、アン・ブーリンと再婚し、国王至上法(首長令)を公布してイングランドの教会のトップに君臨し、教会財産を思うままにすることが出来ることになった。



イギリス国教会とは、英国の王が、キリスト教会の長にもなっている組織である。



イギリス国王が、カトリック教会の支配から脱して自由を確立したことが分かる。



然し、このイギリス国教会(イギリス国王)の支配から脱しようとしたのが、バプテスト教会・クエーカー・メソジスト・会衆派教会(独立派)などのプロテスタント会派である。



従って、プロテスタントが、まずカトリック教会の支配から逃れ、後にイギリス国教会の支配からも逃れて、アメリカに渡って、自由の国アメリカを建国したのである。



『本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史』によれば、このアメリカに渡ったプロテスタント会派のうち、会衆派教会(独立派)が、ユニテリアンの隠れ蓑であったのだという。



これらのアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)が信奉していたのは、理神論(デイイズム)である為、アメリカを建国したのは、フリーメーソンだと言われるのである。




従って、フリーメーソン=理神論(デイイズム)は、ローマ・カトリックの三位一体説や教皇庁の権威を否定し、更に王権神授説を唱えた絶対王政の時代の国王の権威も否定して、私有財産制や人権、民主主義の概念を発達させたことが分かる。


因みに神智学(theosophy)は、その創始者であるH.P.ブラヴァツキー夫人が、元々はフリーメーソンの養子ロッジに所属しており、理神論である。


フリーメーソンは、「宇宙の大建築家」としての神を信奉するが、その神とは、理神論的な神である。




フリーメーソンとは、大きく括れば、西洋社会で、近代科学、産業革命、民主主義などを推進した理性の歩みのことである。




ホッブズ、ロック、ルソーによって社会契約説などが唱えられ、私有財産制や人権、民主主義の概念が発達して、封建社会と身分制度を破壊したが、その結果、台頭したのは、資本家階級(ブルジョア)であった。




アメリカ独立革命やフランス革命などで、最大限の自由を得たのは、一般市民ではなく、資本家階級である。



一般市民は、封建社会と身分制度などからは自由になったが、労働者として、資本家階級から支配されることになった。




従って、人々が自由を求めて戦うのは、今度は、資本家階級となり、自由を求めて戦う対象が、ローマ・カトリック⇒国王⇒資本と変わってきている。



それで資本家を倒して、労働者が権力を得ようとしたのが、共産主義であり、資本家の力を抑制して、資本主義の枠組みの中で、労働者の権利を確立していこうとするのが、社会民主主義である。




ローマ・カトリック教会に代表されるような封建社会と身分制度、そして国王の絶対的な権力は、上手く抑制されたが、資本家の力だけは、抑制されていない。




これが最後の難関である。




トマピケティーの『21世紀の資本』の中で解説されているように資本は巨大な力を持ち、ますます労働に対して、優位な立場に立っている。




実は、現在の資本の力は、水瓶座、双子座、天秤座の風のトライアングルによって、ますます巨大化しており、GAFAなどの風の星座を象徴する巨大企業も誕生している。




資本の力だけは、全く衰える気配を見せていない。





因みに『本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史』によれば、プロテスタント会派の中のカルヴァン派とユニテリアンを明確に分ける必要性についても書かれている。



カルヴァン派は、商売繁盛を願うユダヤ思想返りの人々であると評価されている。



マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神』という本で、宗教改革を起こしたキリスト教のプロテスタントの精神が近代資本主義をもたらしたとしているのであるが、この理論は実感できない。


副島隆彦氏の師匠にあたる小室直樹も、何故、プロテスタンティズムの信仰と禁欲的労働が、資本主義を隆盛させたのか上手く説明できなかったようである



一方で、ヴェルナー・ゾンバルトが、『恋愛と資本主義』と『戦争と資本主義』などでユダヤ人の物質的欲望や快楽を享楽しようとする精神が、資本主義の隆盛をもたらしたとする説を唱えており、こちらの方が本当ではないかと書いている。



因みにアリス・ベイリーの著作には、フリーメーソンは、物質を捨てて門をくぐるように命じた師の指示に逆らって、師を殺害した3人のユダヤ人を起源としているということである。



商売で豊かになるというのは、ユダヤ人の資質であり、近代の資本主義社会とは、フリーメーソンの理性が発展させた文明の形である。



理性の力が、封建社会の身分制度や絶対王政などを打倒したが、資本主義だけは、打倒できず、資本の力はますます強まっている。




資本主義とはユダヤ人が創ったシステムであり、フリーメーソンはユダヤ人の秘密結社であり、ユダヤ人は物質的な繁栄を求める民族であり、成功哲学や金銭崇拝もユダヤ思想の影響を強く受けている。



例えば、金利、為替、債権、株式市場、金融工学などのマネーに関する用語や考え方も広義の金銭崇拝である。



だから封建社会と身分制度、国王の絶対的な権力などは打倒されて、民主主義が誕生したが、資本主義だけは中々打倒されない。



これらの封建的諸勢力を打倒した人々が、資本主義を謳歌しているからである。




共産主義という実験も失敗したが、ソビエト型共産主義は、国家社会主義で、民主主義が確立しておらず、新たな独裁者を生み出しただけで、失敗であった。



結局、本当の意味での共産主義とは、資本主義(民主主義)がアップデートした形でしかやって来ないと思われる。(『リバ-タリアニズム社会主義』)



GAFAのような巨大インフラ企業の出現がそれを象徴している。(cf.『資本主義の共産主義化について』)





一般市民、労働者が、どのように資本の支配力から自由になれるか、それはテクノロジーの発展によって、生産性が向上すればもたらされるのか。



それとも絶えざるリベラル左翼的な闘争によってのみ可能なのか。



最近、書店で出回っている自己啓発本は、自ら資本主義マインドを身に付け、投資家マインドで、お金によってお金を稼がせるようなことをしないと、自由にはなれないと説いている。



ごく普通の人が、資本の支配力からどのように自由になれるのか。



通信やマネーシステムが大きく変化しようとしており、資本主義経済の形も大きく変化しようとしている。



会社を辞める人が増えており、会社が労働者を確保できないといったことも良い兆候である。



自由がもたらされるのは、リベラル左翼的な政治運動によって、ベーシックインカムなどの基本的な生活保障が制度化されることによってだろうか。



あるいは、労働者から抜け出して、自ら独立し、創造的に生きる人が増えることによってだろうか。



おそらく、その両方によってである。




資本主義はその成立の過程として、資本の原始的蓄積(農民を土地から引き剥がして労働力とした囲い込み運動)という暴力が存在する。



もし人がタマス(鈍性)によって支配されていたら、こうした暴力的な過程において受動的に労働者として吸収されざるを得ないのである。



資本主義を終わらせるには、労働者全員が、自ら資本家になり、独立自営で生きようとする気概が必要である。




リベラル左翼的な運動や、社会保障だけでは無理である。




アリス・ベイリーの著作の中に資本家と労働者の対立は、知識の殿堂を通っているかいないかの違いであると記されている。



普通の人々が知識の殿堂を通過し、もはや労働者でいることが出来なくなった時に資本の支配力は終わるのである。



また環境保護運動や、消費者運動などのリベラル左翼的な運動に身を投じる人、自ら労働者を辞めて独立自営で生きていく人など、自由を求める右と左の表現が資本の支配力を終わらせるのである。




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