浜崎あゆみの離婚について

先日、浜崎あゆみの電撃離婚が報じられていた。

昨年2011年1月1日に結婚することをTwitterで発表し、その時のダシャーが木星/土星/土星期で、発表した時のトランジットが木星が魚座で土星が乙女座をトランジットしてため、牡羊座ラグナの浜崎あゆみの場合、ちょうど木星が12室で土星が6室で6、8、12室にダブルトランジットを形成していた時期だった。



6室は離婚のハウスであり、12室は別離のハウス、そして8室は中断のハウスである。
通常は結婚のタイミングとはとても言えないトランジットであるが、然し、あえて言えば、6室、8室、12室は全てパートナー関係をテーマとするハウスである。

6室は愛人とか目下の者という扱いで、8室は上司、支配者という扱いである。また12室は性的な関係とか性生活を表すハウスである。

従って、この6、8、12室にダブルトランジットが形成されていたタイミングでは、すれ違いや足の引っ張り合い、あるいは、支配-被支配関係などで、かみ合わない関係が続いていたことが推測される。

お互いに交際が決して楽しいということはなく、常に不満を抱えた中での交際である。

また12室にダブルトランジットが形成されている為、それが海外での出会いを物語っている。
日本国内で歌手として一流である浜崎あゆみの立場からは、無名の俳優であるパートナーのマニュエル・シュワルツ氏は、ほとんど釣り合わない。

これが6-8の関係ということである。

12室からは6室にアスペクトするため、木星が12室をトランジットする時は、海外で出会いがあり、しかもそれはちょっとした部下のような相手と軽く交際するということなのである。

挙式前に『離婚しても財産分与はしない』『慰謝料も発生しない』という誓約書も作っていたというのは、おそらく離婚するだろうということをあらかじめ予感していたのであり、いずれ離婚することが分かっていながらの結婚だったことを示している。

このようにトランジットから考えておかしなタイミングで結婚する場合は離婚することがはじめから分かっていながらの結婚、すなわち、離婚するための結婚という場合があり得るのである。

然し、そのようなことを予感しつつも、それでも結婚するというのは、そこにカルマがあるからである。

そのように言ったら、結婚の中には多かれ少なかれ、いずれ離婚するために結婚しているような結婚も多いのである。

特に6室に惑星が集中しているような6室の象意が強調されているような人の結婚がそうである。

6室は離婚という象意なのに6室の象意が顕現するタイミングで結婚するのはどうした意味なのかと言えば、答えとしては、
結婚した時から離婚しているかのような結婚なのである。結婚した時にもう離婚しているかのように関係がうまく行っていないのに関わらず、何らかの利益があって結婚の誘引が強いような場合とか、何らかの打算が働くような場合である。

まず、そのような要素があったということはラグナからは言えることである。

然し、一方で、月、太陽をラグナとすると、土星が1室、木星が7室をトランジットしているタイミングであり、1室と7室にダブルトランジットを形成している。

月、太陽から見ると、MDLの木星は7室の支配星で、ADLの土星は5、6室の支配星で12室に在住している。

従って、ここでも6室と12室が登場し、恋愛の5室も登場する。

出会った時が既に木星/土星期であるとすれば、既にこの5、6室支配で12室に在住する土星の象意の顕現としての恋愛であったということである。

6室は離婚のハウスであり、12室は別離のハウスである。

6室や12室がダシャーやトランジットで絡む時期は結婚が成立しにくい時期である。

逆に言えば、ADLの土星期に結婚したとすれば、それは少し上司と部下、主人と愛人のような、関係に偏りがある結婚であることを示していると言える。

海外(12室)でちょっとした恋人、愛人(5室、6室)を見つけて交際したということなのである。

こうした分析はラグナ、月、太陽、MDL(マハダシャーロード)をラグナとして、あるいは、KL(カラカムシャラグナ)を使って、検討できる為、いろいろなハウスが絡み、一概にそのダシャーの期間に経験したことを単純に言うことはできず、それらのラグナから見た全てのハウスの絡みが関わっていると思われる。

ラグナから見ると、6、8、12室へのダブルトランジットであり、月、太陽から見ると、1、3、7室へのダブルトランジット、MDLの木星から見ると、3、5、9室へのダブルトランジットである。

この時期に経験した体験の一つとして、かみ合わない交際と結婚(離婚)というものがあっただけである。

木星が牡羊座に移動して、土星が天秤座に移動して、ラグナから1-7室の軸にダブルトランジットが生じた時に離婚しているが、普通は1-7室の軸にダブルトランジットが形成された時に結婚のはずである。

然し、月、太陽から見ると1-7室へのダブルトランジットが2-8室の軸に移動した途端に離婚している。

離婚というよりも、最初から離婚状態だった関係が、中断した(8室)と言ってもよいかもしれない。

2-8室の軸は傷ついていなければこれらは結婚のハウスであるが、浜崎あゆみの場合は、3、8室支配の火星が2室に在住し、これらの結婚のハウスを傷つけており、また現在、トランジットの土星が2室と2室の支配星と8室の支配星の上を通過しているので、むしろ、今は2室や8室への傷を表している。

月、太陽から見て、1室と7室の軸への木星と土星のトランジットで始まった結婚が、3、8室支配で2室を傷つける8室の火星と8室に木星と土星がダブルトランジットした時に結婚が中断したのである。

そう考えると、浜崎あゆみの結婚については、月、太陽からみた7室がよく表しているのかもしれない。

木星が逆行して、蟹座に在住する月、太陽からみた7室支配の木星にダブルトランジットしていた昨年中には離婚しなかったのはそういうことかもしれない。

今年に入って木星が順行に転じて、月、太陽からの7室支配の木星へのダブルトランジットが失われ、単独で土星のみが7室の支配星にアスペクトする状態となってから離婚に至っている。

因みに6-8室のカルマがどのように生じるのかということについては、私は自分なりの仮説を立てている。

それは相手(人)を人格として扱わないで、相手を物のように利用する場合にそのようなカルマを築くのではないかと思うのである。

『バガヴァッド・ギータ』でも行為の結果よりも動機の方が大事であることが強調されているが、

昨年、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』を読んだ時にイマニュエル・カントの哲学に触れている箇所があった。

マイケル・サンデルのこの本の中では、功利主義やリバタリアニズム(自由至上主義)の問題点について指摘し、彼自身は新しい時代の正義の原理として、アリストテレスの目的論的な形而上学に基づくコミュニタリアニズム(共同体主義)の思想を展開している。

この内容の中で、サンデルは、何故、行きずりのセックスがいけないのかをカントがどのように説明しているかを引用している。

行きずりのセックスとは相手も自分もお互いに快楽という行為を得たいが為に相手を利用している関係である。

然し、経済学的には需要と供給の関係が成立しており、また契約や取引は自由なのであるから、功利主義やリバタリアニズム(自由至上主義)の観点からは全く問題はないのである。

例えば、これが売春であったとしても、女性(男性)はお金が欲しくて男性(女性)は快楽が欲しくてそれで、大人の男女が市場の中で自由に取引したのだから、それの何がいけないのかという論理がある。

然し、動機の観点から考えた時には、相手の存在自体に何か尊敬がある場合、相手を物以上の存在として関わっている時と、行きずりのセックスのように単純に一時的に快楽を得たいが為に相手を物のように利用する観点から関わる場合とでは、大きな違いが生じてしまう。

すなわち、行きずりのセックスや売春のようなお金で人を買ったりする行為は、おそらく6-8室のカルマを築く行為である。

そのような相手を物のように扱うような行為(取引)を何度も繰り返すことによって、それは自分に跳ね返って来て、逆に自分が人にしてきたことと同じように物のように扱われるか、あるいは習慣的な行為(サンスカーラ)となって、次の世でも同じように相手を物のように利用するような行為を繰り返すことになるのではないか。

6-8室の関係は真のパートナーや友人関係ではなく、こうした6-8室のカルマを築けば、真のパートナーや友人は得られないのである。

こうした6-8室のカルマを築くと、お金で買える労働力(使用人)や愛人や部下に囲まれて暮らすことになるが、困ったときに相手の方から自発的に助けてくれるような真のパートナーや友人などは得られない。従って、お金がいくらあったとしてもこのような人は孤独に陥るのである。

昔から友人にはお金を貸すなと言われるのは、それが為で、お金を貸した途端に相手との関係が6-8の関係に堕してしまうからである。

特にお金の貸し借り、あるいは贈与などが原因で友人を失ったり、家族がバラバラに離散してしまったりといったことが起こるのはその為である。

あるいは、ちょっとしたビジネスに成功して羽振りがよくなり、連日パーティーを開いて、大勢人が集まってきて、一時は、多くの友人がいるように見えても、お金がなくなった途端に友人たちが一人残らず去っていくようなケースも、一夜の成金の成れの果てのステレオタイプとしてよくある。これは単に人をお金で買っていたことを示している。

真の友情やパートナーとの信頼関係などはお金とは全く何の関係もない。

然し友情や信頼関係はガラスのように壊れやすいのであり、だからこそ、そこにお金の思想、市場という思想を介在させるのは避けなければならない。

お金という思想はなるべく遠ざけておくことが懸命である。

斉藤一人という億万長者がいるのだが、前に何かの本で読んだことがあるが、斉藤一人さんと付き合いのある人が、彼は安いものしかおごってくれないと笑って言っていた。お金をくれるから自分と付き合うような人には来て欲しくないということだろう。これは懸命なやり方と言える。

然し、だからといって、お金の貸し借りや、おごったり、おごられたりといった相互のやり取りをせざるを得ないのが、今の世の中であり、この現在のカリユガの時代においては何をするのにも、お金が必要であり、その為、お金(金銭)が非常に重要な意味を持ち、お金を考慮しなければ成り立たない。そして、お金は常に不足している。

お金を出すか出さないかということで、常に支配したり、支配されたりといった関わりが繰り返されている。

世の中ではよく相手に自分がおごるのか、相手が自分におごるのかで競い合うシーンがよくあるが、あれはお互いに自分が相手への支配権を主張する醜い競い合いである。

そのような競い合いがある場合、相手からおごられても相手に支配されたような気がして、あまりうれしくないのは誰もが経験する事柄である。

逆に相手が自分におごってくれることを期待するような場合があるが、その場合は相手が自分の上司という関係性になっているかもしれない。

また逆に自分が相手におごるような立場にあるのにおごらないのは、逆にケチな人間と評価される場合も出てくる。

お金が介在してくると純粋な喜びであった関係が不純な利益計算や損得、利用の観点が混じり易い。従って、関係の中で金銭を意識しない場合がもっとも楽しいのである。

資本主義というのはお金をもっている人が全てを支配する世界であり、全ての人がお金を得るために働く世界である。

この資本主義の本質は悪であり、6-8のカルマを再生産するシステムであり、そのように現代の為政者が設計している。

(あるいは人類は動物から人間、そして神へという進化の中で6-8の再生産されるカルマを解消して、5-9の関係へと純化して来たとすれば、6-8のカルマは歴史の中で遭遇する一つの通過点であったとも考えられる)

そしてそのシステムを維持するために練り上げられたものが経済学である。

全ての物やサービスを金銭によって交換しようとするのが市場という思想であり、物やサービスの交換の法則を探求する経済学は人間の動機や道徳とは全くなんの関係もない。

然し、この世の中には市場で物やサービスを交換するかのように需要と供給が合致して、相手をまさに利用するという観点によって結婚したり、関わっている友人たちもいるのである。

その場合はちょうどお互いが自分の欲しいものが相手から得られるから関わるだけであり、市場で物を売り買いするのと全く変わらないのである。

それは地位や名誉、金銭、性的快楽かもしれないが、利用の観点、動機で関わっている限り、物やサービスの売り買いと全く変わらない。

車や家を買うのと全く同じである。車や家を買うのと全く同じ感覚で配偶者を選び、結婚するとしたら、そこには利用の観点しかないのである。

そのような場合には利用の観点からの打算が働いているのであり、その場合はその動機によって、その関わりが紡ぎ出すカルマの果実は、6-8の関係性、6-8のサンスカーラだろうと思うのである。

外側からの見た目には全く仲がよく見えたとしても、その仮面の奥にそのような動機がひそんでいるだけで、おそらく、6-8のカルマの連鎖を紡ぎだすのである。

そこには利用するという暴力(6室)があるからである。

相手と場を共有することだけで喜びがあるのが、真のパートナーや友情なのである。そこには6-8の関係はなく打算もない。

相手を利用の観点で見ずに、ただ場を共有することによる相手との喜びの積み重ねが、真の友情や信頼関係を育むプロセスである。

利用の観点には愛はなく、利用の観点がある場合には6-8のカルマを築くことだろう。
利用の観点が全くない時には、別に相手に物質的には何も与えなくても、何ももらわなくても、そこで共有された時間(過程)だけで、真の友情や信頼が醸成される土壌が成立し、相手から非常に多くをもらった気持ちにさせられることだろう。

マイケル・サンデルの著書が多くの人に読まれているのは、この動機の観点を重要視し、功利主義や自由至上主義(市場原理主義)など、アメリカで猛威を振るっている2つの思想の問題点を追求しているからである。

まさに『バガバッド・ギータ』で言うところの、「動機が純粋であれば行為の結果に束縛されない」という真理にこれからもっとスポットライトが当たって、この真理に目覚めていくことの前触れである。

逆に言えば、「動機が純粋でなければ行為の結果に束縛される」のである。

これは恐ろしい話で、上記で述べてきたように利用の観点から人と関わる場合に、おそらく、それは動機の点で非常に大きな質的違いがあることから、6-8のカルマを築くのである。

別に私は聖人君子でもないのだが、このような思想をまじめに語っているのは、6-8の関係性についての今までの研究、そして、自分自身の6-8の関係についての苦い経験から熟考した結果である。

私が苦々しく痛々しい6-8のカルマを経験した時に、やはり、このような経験をしているのは、相手をただ利用したいという観点から、過去に相手と関わったというカルマの残滓物としての今の経験ではないのかと、ふと思ったのである。

あくまでも個人的な仮説であるが、おそらくそうなのではないかと考えている。

6室、8室、12室などのドゥシュタナハウスはカルマを解消する為に強制的に困難を体験させられるハウスである。

そのうちの8室や12室はモクシャハウスでもあるので、8室や12室の困難な体験によって人は精神的には成長し、カルマを償却して解脱を得られるのである。

然し、6室はモクシャハウスではなく、ドゥシュタナハウスで、トリシャダハウスでもある。

従って、おそらく欲望の原理と過去世の負債の償却という両方の象意が働くハウスである。

6室は過去世の負債の面があって今生に苦痛をもたらすが、欲望の原理が働いて、更に相手を物として扱ったり、相手を支配するなどの行為によって、更に負債を積み増していくのである。

ドゥシュタナとトリシャダのコンビネーションというものは欲望の苦しみから更に罪を重ねていくハウスなのだとすると、6室というのは単独でそうしたトリシャダとドゥシュタナが絡むカルマを積み増していくハウスであると理解できる。

従って、離婚して相手との結婚生活で十分に苦しみを経験したのにも関わらず、更に離婚訴訟によって相手との間に否定的なカルマを築いていくのである。

そのことによって築いたカルマは更に来世で解消しなければならないのではないか。

浜崎あゆみの6、8、12室にダブルトランジットが形成された時に生じた結婚と離婚も、例えば、話題づくりや、快楽、孤独にならないためのキープといった何かお互いに相手を利用の観点で関わった形跡のある交際であり、過去世で相手を利用の観点で関わって来たカルマの残滓物かもしれない。

つまり、今生でもそれを再演しなければならなかったのである。悲しみの体験として。

上記は私の個人的な推測であり、真実はもう少し複雑であるかもしれないが、ある一面については捉えていると考えている。

以上が、私が浜崎あゆみの離婚について思ったことである。

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コメント

コメント一覧 (6件)

  • >この資本主義の本質は悪であり、6-8のカルマを再生産するシステムであり、そのように現代の為政者が設計している。

    >(あるいは人類は動物から人間、そして神へという進化の中で6-8の再生産されるカルマを解消して、5-9の関係へと純化して来たとすれば、6-8のカルマは歴史の中で遭遇する一つの通過点であったとも考えられる

    この記載で、目の霞が少し晴れたかもしれません

    お金を稼ぐことに、どうしても抵抗がありました。お金を稼ぐことが、奪い合い、搾取にしか見えないからです

    けれど、よく考えると、心から欲しいものにお金を払うとき、奪われた、搾取されたとは思わない

    ということは、お金を稼ぐ=搾取は成立しない

    理想は心から欲しいと思われるものを提供すること。けれど、その理想に向かう工程で、人間である限り、生きるためのお金が必要で

    そのお金を稼ぐときにカルマを積むこと、それは6ー8のカルマを経験する一つの通過点なんですね

    書いていて気づいたのですが、お金を稼ぐ動機の純度が、苦しみの度合いも左右するのだと気づけました

    何となく思いながら、言葉にできないこと、理路整然と記事にされていて、ありがたいです
    • お金を稼ぐことを悪だと感じてしまうのは水の星座の人、特に木星が支配星となる魚座の影響が強い人はそう感じますね。

      本来、水の星座の人はサービス精神旺盛で、感受性が強く、人には無償でサービスするという理想、美徳があります。

      魚座の場合、それは木星の理想主義も影響して強いので、商品やサービスに利益を乗せて、他人に販売することを悪と感じます。

      お金は常に不足しているので、そのお金を人から得ることに罪悪感を感じてしまいます。

      魚座の宗教であるキリスト教はそういうことで利子を禁止しています。

      キリスト教は利子を禁止するので、銀行業にも反対の立場だと思います。


      カントも言いましたが、道徳に関して考える場合には、動機ということが重要になってきます。

      宗教的な道を行く人は動機が重要です。バガバットギータで、そう書いてあります。

      思い、言葉、行動がカルマを作り出す為です。

      それでお金で物を売り買いする時の動機に注目すると、より大きな金銭を得たいという強欲は、その分、損している人がいるのでダメだとか、利潤を得る行為を相手からの搾取と考えて罪悪感を感じたりします。

      お金が人間関係の情に結びついてしまい、金銭の請求とか支払いが情の問題、道徳の問題になってしまう為、辛くなってしまいます。


      その一方で、市場とか、功利主義とか、経済学というのは、道徳とは全く何の関係もありません。

      ただの需要と供給のマッチングだけです。

      物の値段をいくらに設定しても自由だし、買う方もいくらで買うのも自由です。

      とにかく売買が成立しさえすればいいのです。そこで誤謬が生じてもそれは無視されます。

      例えば、労働者が自分の労働力を安く売り過ぎてしまったり、発展途上国が資源などを安く売り過ぎてしまうという問題も出てきます。

      需要と供給のマッチングは、道徳と関係ないので、不道徳なことが起こり得ます。


      ただこうした市場とか功利主義とか経済学的な発想をもたないと、中々社会で、何かを成し遂げることが出来ません。

      例えば、現代では貧困地域にマザーテレサ的な慈善活動として何かを与え続けるような活動は継続するのが難しくそれでは根本的な問題の解決にならないと考えます。

      貧困地域を救うには、現地の人が必要としているサービスを経済的に回っていくような料金で提供するという市場を使った発想になります。

      道徳的なことを為そうとしても道徳とは全く無関係な市場とか経済学、功利主義的な発想を上手く使うことがポイントになります。


      ですから、社会にひどく資本主義的な市場の考え方が浸透してしまったので、お金の請求や支払いなどは、情や道徳と切り離して行なうスキルが必要となります。


      例えば、発展途上国の貧困な人々にお金を貸し付けるグラーミン銀行というのがありましたが、いわゆる高利貸しであるとも言われました。

      しかし、それでも貧困な人々は、銀行がお金を貸してくれないので、その高利貸しがお金を貸してくれて助かったようです。そういう事例もあります。


      お金を稼ぐことに抵抗がある人は、お金のやり取りを個人的な道徳や情とは切り離して行なうスキルが必要です。


      正しい動機や大望を持っていたとしても、その市場を扱うテクニカルな領域については、情と切り離して行なう合理性が必要なのかもしれません。


      電子マネーというのが浸透して、お金のやり取りが軽いものになってくると、お金のやり取りも更に感情や情とは切り離されたものになり、扱いやすくなると思います。


      お金を請求する際にそれをいちいち道徳の問題にしてしまうと、生きづらくなり、資本主義社会で生き残るのは難しくなります。


      お金を稼ぐことが罪悪だと感じてしまう場合、かなりのハンディキャップを背負っていると思います。


      物の売り買いとは、市場における需要と供給のマッチングで、各々の自己責任であり、そこに善も悪もないのだという割り切りが必要です。


      今の段階では、誰もが誰かに対して、財やサービスを売らなければ生きていけません。


      サラリーマンも自分のサービスを会社に売りつけて生きていますが、ただそれは安く売っている人も多いと思います。


      お金を稼ぐ時にカルマを積んでいるというのは、かなりナイーブな見方であって、確かにそういう面はありますが、誤解や錯覚もあると思います。


      現状は、割り切って行えばよいのではないかと思います。
  • おっしゃる通り、魚座ラグナです

    無意識の美徳精神が、魚座によるものだと、無自覚でした

    稼ぐことを目的にすると、辛いときが多いです

    稼ぐことを傍に置いて、何か大きなエネルギーに突き動かされるようにチカラを出し切りそれを無償で提供し、誰かの役に立つ

    それによって、自分が表面上は損したとても、悔いがなかったら、この上なく幸せを感じるのではないか

    そんな理想がいつも心にあります

    丁寧な返信、感謝です
  • はじめまして。
    自分は10代の頃に6-8-12室でダブルトランジットを形成していたのですが、その頃を振り返りました。
    中学生でした。
    いじめのピーク時で、不登校気味でした。
    味方してくれる大人もおらず、
    家族とも上手くいかず。
    しまいには、2011年の地震で家が倒壊して
    ここで両親と離れ離れになります。
    遠方の祖父母の家にお世話になりながら、
    転校先の学校に通うことになります。
    それからは、ダブルトランジットが解かれ、
    人生は上昇していきます。

    ダシャの関係もありますが、
    やはり6-8-12のダブルトランジット、
    きつかったです。
    • フィードバックありがとうございます。

      いじめ、不登校、家族との仲違い、家の倒壊、ご両親との別離などをこの時期に経験したということでしょうか。

      牡羊座ラグナであれば、浜崎あゆみと同じような時期に6室、8室、12室に同時にダブルトランジットを経験していると思います。

      私も記事の中で書いたかもしれないですが、この同じ時期に同じダブルトランジットを経験しました。

      通常、ドゥシュタナハウスの1つだけでも色々ありますが、3つも重なっている訳で、様々な障害が盛りだくさんで訪れます。

      6室と8室が人間関係のハウスである為、特に人間関係のトラブルが多くなると思います。

      12室の象意としては、損失や別離や遠方への引っ越しなどとして現れます。

      これらのハウスの象意が単独で現れたり、あるいは、これらのハウスの象意が組み合わさって象意を生み出します。
      • ご返信ありがとうございます。

        >いじめ、不登校、家族との仲違い、家の倒壊、ご両親との別離などをこの時期に経験したということでしょうか。

        結論:はい。(涙)

        →羊ラグナです。

        →いじめは6-8-12にダブルトランジット生じるより前からありましたが、ダブルトランジット中はそれが突然エスカレートしました。
        そして、肝心の教師も味方どころか突然敵対することに…。

        ダブルトランジット前は不登校気味だったけど、ダブルトランジット中は完全に不登校。

        地震で家が倒壊して遠方へ1人行くことになったときは6-8-12のダブルトランジット中でダシャは土星-月-ラーフでした。この3つの惑星、12-8-6室の在室です。

        ダシャの悪さもあってか、ダブルトランジットも重なり人生の中でも、かなり印象的な時期でした。

        自分を改める努力をしても、誤解され四方八方から嫌われる、そんな時期でした。


        今思えば、星の動きのせいだったわけです。
        人から理不尽に嫌われる時期で、どんなに頑張っても時期を過ぎないと状況は変わらないのです。

        次にこういうことがあった時は、抗わず、されるがままにされようと思いました。

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