豊臣秀吉について

先日、私の個人レッスンに来られた山下さん(仮名)から歴史上の人物数名の出生データを教えて頂いた。

その数人の出生データはその筋では信憑性が高いものらしいのだが、それらは非常に興味深いので、私もそれらの出生データを使って検証させてもらうことにした。

まず始めは、豊臣秀吉である。

山下さんが提供してくれたデータによれば、1537年3月17日3~5時 愛知県 で、四柱推命の占い師さんが検証した生時だそうである。

早速、出生図をAM 3:00で作成してみたが、ラグナが山羊座ラグナとなって4室に木星、金星、水星が集中している。

ざっと見た感じでもこのチャートは豊臣秀吉のチャートであると納得できる特徴に溢れている。

ToyotomiHideyoshi_chart

■文化的修養に熱心なこと

例えば、豊臣秀吉は、あれだけ戦塵の巷を駆け巡ったにも関わらず、文化的修養を積むことに熱心で、古典文学や連歌、茶道や有識故実、禅、儒学、能楽を学んだという。


文化・芸事

(略)
文化的修養を積むことに努力し、古典文学を細川幽斎、連歌を里村紹巴、茶道を千利休、有識故実を菊亭晴季、禅を西笑承兌、儒学を大村由己、能楽を金春太夫安照に学んだ。
能楽に熱中し、前田利家と徳川家康と共に天皇の御前で演じたり、『明智討』『柴田』など自分の活躍を演目にして自ら演じた。和歌もよく詠んだ。

(中略)

能筆家であった北大路魯山人は秀吉の書に対して、新たに三筆を選べば、秀吉も加えられると高く評価した。一方で、文字の正確さにはこだわらない性格で、秀吉の書簡には、誤字や当て字、仮名が多用されている。また、「醍醐」の「醍」を祐筆が失念した際、「大」と書くよう指示したという逸話がある
囲碁は、織田信長から名人という称号を許された日海(後の本因坊算砂)に指導を受けており、伊達政宗家臣鬼庭綱元との賭け碁や、龍造寺政家をとても巧妙に負かしたので政家は敗因を考え込んでしまい帰る秀吉の見送りをし忘れたなど、真偽はとにかくエピソードがいくつか残っているほど、碁はかなり強かったらしい。(wikipedia)


また千利休に黄金の茶室を作らせた。


gold_room

この黄金の茶室を秀吉が作ったのはおそらく山羊座ラグナで5、10室支配の金星が4室に在住しているからである。

元々山羊座ラグナの人は10室の支配星が同時に5室(創作)を支配するため、芸術を嗜む人が多いのではないかと思われる。

金星は牡羊座に在住しており、誰も真似のできない黄金の間を作ったのは、その為である。
また1583年に秀吉(当時、羽柴秀吉)は大阪城の築城を開始し、1年半で本丸を完成している。

この時、ダシャーは土星/金星期である。

秀吉は人と同じに振る舞うことを嫌う、傾奇者であったというが、それは、牡羊座に惑星が集中しているからである。

牡羊座は自分が一番初めに人と違うことをすることを好む星座である。
4室は南インドでは教育のハウスである。北インドでは5室が教育のハウスであるが、より伝統社会の名残を残している南インドにおいて教育は家庭で行われる教育である。

秀吉の4室には木星、金星、水星が在住しているので、それで、多くの教師を自分の居城に招き、そこで、古典文学(木星)や連歌(金星、水星)、茶道(木星、金星)、有識故実(木星)、禅(木星)、儒学(木星)、能楽(金星、水星)を学んだのであると理解できる。

まさに秀吉の文化的修養は家庭教師を招いての家庭学習によって養われたと言える。

また秀吉は百姓から天下人へと至った叩き上げの人物であるが、この叩き上げの人生も山羊座の特徴をよく表している。


秀吉は、信長の草履取りをした際に冷えた草履を背中に入れて温めておいたという有名な逸話があるが、いかにも主君に仕える忠実な下僕といったキャラクターで、山羊座っぽい特徴がある。

よく働き主人の為に奔走するキャラクターなのである。

信長にサルとあだ名され、可愛がられたが、逆に言えば、信長の権威を利用して百姓から成り上がったのである。

これはおそらくラグナロードの土星が8室獅子座に在住している配置そのものである。

■ラグナロードが8室に在住

ラグナロードが8室に在住している人は自分よりも力の強い支配者に取り入って支配者の恩恵を棚から牡丹餅的に賜る配置である。

秀吉は関白となって天皇・朝廷の権威を自身の支配のために利用したというのが定説となっているらしいが、これもラグナロードが8室獅子座に在住している効果であると考えられる。

土星は獅子座に在住しているが、獅子座は王族を表すロイヤルハウスである。

従って、ラグナロードが8室獅子座に在住している人は天皇の権威を利用して、それを自分の権威とするところがあるのである。

これはラグナロードが8室に在住している人の人生を研究すると自ずから分かることだが、何故、秀吉が将軍(征夷大将軍)として振る舞わずに関白となったのか、これはこの配置が関係していると思うのである。

またラグナロードの土星が8室獅子座に在住しているばかりでなく、更にその土星に木星が一方的にアスペクトしており、この配置があったからこそ、信長や天皇の権威を利用して成り上がったということができる。

■結婚

秀吉は1561年に浅野長勝の養女で杉原定利の娘・ねねと結婚しているが、wikipediaによれば、これは親の許しを経ない恋愛結婚だったという。

確かに秀吉は山羊座ラグナであれば7室支配の月が5室で高揚して、高揚するラーフと接合しており、7室と5室が絡むことから、典型的に恋愛結婚の配置である。

この配置がある場合、自分が好きな相手と結婚するはずである。

5室に高揚する月とラーフが在住しているからこそ、当時としては珍しい親の許しを得ない恋愛結婚が可能になったと言える。

この1561年は木星/木星期であり、トランジットの木星は3室から7室にアスペクトし、土星は5室から7室にアスぺクトして、7室にダブルトランジットを形成していたが、木星は1月半ばには4室に入室し、8室にアスペクトして、土星は6室から8室にアスペクトして8室にダブルトランジットを形成していた。

また1561年の4月半ばから土星が双子座に入室し、DKの火星にジャイミニ・アスペクトしていた。

従って、このタイミングで結婚したことが説明できる。

 

■3室に在住する火星と太陽-ウパチャヤの凶星-

秀吉の人生が叩き上げの人生であったことを考えると、太陽と火星は3室に在住していたと考えるのが妥当である。

ToyotomiHideyoshi_chart
3室への凶星の在住は勇気を表し、努力や忍耐が出来る強い精神が養われる。

ラオ先生によれば3室の凶星は”血の殺人本能”を表す配置であり、日々、筋力トレーニングをしたり、競争をするだけの闘争心をもたらすので、スポーツ選手にとってはよい配置である。

戦国時代の戦いとは現在の戦争と違って、格闘技や勝敗を決める競技系のスポーツに近いものがあるため、秀吉との太陽と火星は3室になければならない。

秀吉があれだけ戦いに明け暮れたにも関わらず、あれだけの文化教養人としても活動出来たのは、3室の太陽、火星と、4室の木星、金星、水星で表される落差である。

3室は4室を損失するハウスであるため、秀吉が戦いに明け暮れる時、文化教養の趣味は失われる。その代わりにあたかもスポーツであるかのような戦塵の中にいるのである。

しかし、それが終わると文化教養の趣味に没頭する。

これは非常に興味深いコントラストだが、3室と4室の対比からすると納得できる。

3室には8室支配の太陽が在住し、貪りの11室の支配星である火星が接合している。

甥で養子として関白職を譲った豊臣秀次に切腹を命じて、その妻、侍従などを全員斬殺したりといった残酷さは、この3室で表されている。

8室や11室が絡んで権力の太陽や暴力の火星が絡んでいることから、この3室によって秀吉は暴力が可能となった。

しかし、4室は非常に吉星によって保護されているため、心は文化人であり、教養を常に求めたのである。

■子供の誕生

1593年8月3日 側室の淀殿により秀頼が誕生しているが、この時、ダシャーは土星/木星である。

土星からみて木星は5室支配で9室に在住し、ナヴァムシャでも土星からみて木星は5室の支配星である。

またサプタムシャでは土星はラグナロードで11室に在住して5室にアスペクトし、木星は5室に在住している。


saptamsha_chart

この時、トランジットは土星は7室から5室支配の金星にアスペクトし、また9室と9室支配の水星にもアスペクトし、木星はまもなく12室から1室に移動する直前であったが、逆行して5室にアスペクトして、おそらく1室に入室する2か月前であった為に1室に入室している効果を既に発揮し、9室へアスペクトする効果も発揮していた。

また木星は12室から9室支配の水星にアスペクトしていたので、木星と土星はそれぞれ5室、9室、5室の支配星、9室の支配星にアスペクトしており、従って、5室と9室にダブルトランジットを形成していた。

従って、このタイミングでの子供の誕生からすると山羊座ラグナで正しいことが分かる。

■秀次切腹事件

1595年6月 秀吉の甥であり、家督相続の養子となっていた秀次に謀反の疑いが持ち上がる。この時、ダシャーは水星/水星期である。



1593年8月3日 側室の淀殿が秀頼を産む

※秀頼誕生に焦った秀次は「関白の座を逐われるのではないか」との不安感で耗弱し、次第に情緒不安定となった

1595年6月 秀次に謀反の疑いが持ち上がる

7月3日 聚楽第の秀次のもとへ石田三成・前田玄以・増田長盛・宮部継潤・富田一白の奉行等の5人衆が訪れ、謀反の疑いにより五箇条の詰問状を示して清洲城に蟄居することを促した

8日 再び使者が訪れ伏見に出頭するよう促され、秀次は伏見城へ赴くが、引見は許されず木下吉隆邸に留め置かれて、その夜に上使により剃髪が命じられて、高野山青巌寺に流罪・蟄居の身となった

15日 秀次の許へ福島正則・池田秀氏・福原長堯の三使が訪れ、賜死の命令が下ったことを伝える

同日(15日) 秀次は切腹し、小姓や家臣らがそれに従って殉死

8月2日 三条河原において秀次の首は晒され、秀次の眷属が尽く処刑される

秀次の首が据えられた塚の前で、秀次の遺児(4男1女)及び側室・侍女らおよそ29名が処刑された

(wikipediaより引用、抜粋)


水星はラグナからみて6、9室支配で4室に在住し、逆行の土星からアスペクトされている。

この場面で、水星が6室の支配星で、土星が8室から逆行し、この水星にアスペクトしていたことがポイントである。

水星が6室の支配星で、しかも土星からアスペクトされて傷ついていたからこそ、この時に過酷な暴力がなされたと理解できる。

またこの土星が8室からアスペクトしていたことも重要で、8室は陰謀、悪意のハウスであり、自ら悪意を持って振る舞うことも示している。

従って、土星が単なるアスペクトしていたからというだけでなく、8室からアスペクトしていたこと、そして、逆行してアスペクトしていたことも重要である。

逆行していたので、何か順行と違う、後ろ向きの面が強調され、秀吉のパーソナリティーの暗黒面が顕現したと思われる。

つまり、当初、秀次には、高野山青巌寺に流罪・蟄居の身としたにも関わらず、直後に切腹が命じられている。

秀吉が短期間のうちに方針を変えたように見える。

これはよく逆行の惑星がチャートに沢山あると、その人物は変わり者になるとよく言われるが、それに近い状態である。

土星は逆行していたので、あたかも後ろに振り返ってやり残していた仕事を為すが如くに秀次に切腹を命じたのである。

月から見てもやはり2室支配の水星が8、11室支配の木星、6室支配の金星と共に12室に在住し、土星からアスペクトされている。ここには6室、8室、12室が絡んでおり、更にトリシャダハウスの11室が絡んでいる。

そして、そこに土星がアスペクトしているのである。

■サン=フェリペ号事件と二十六聖人処刑

1597年にはサンフェリペ号事件が起こっており、26人のフランスシスコ会員とキリスト教徒全員が処刑されているが、この時も水星/水星期である。

秀次の切腹の時と同じロジックにより、6室支配で土星からアスペクトされた水星がもたらしている過酷な暴力の顕現であると言える。



1596年10月 土佐国にスペイン船が漂着

奉行・増田長盛らは船員たちに「スペイン人たちは海賊であり、ペルー、メキシコ(ノビスパニア)、フィリピンを武力制圧したように日本でもそれを行うため、測量に来たに違いない。このことは都にいる三名のポルトガル人ほか数名に聞いた」という秀吉の書状を告げた。

同年12月8日 秀吉は再び禁教令を公布

1597年 イエズス会の後に来日したフランシスコ会(アルカンタラ派)の活発な宣教活動が禁教令に対して挑発的であると考え、京都奉行の石田三成に命じて、京都と大坂に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛し処刑を命じた。三成はパウロ三木を含むイエズス会関係者を除外しようとしたが、果たせなかった。

1597年2月5日 日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人、ポルトガル人各1名の26人が処刑された。(wikipediaより)


■慶長の役


文禄5年(1596年)、明との間の講和交渉が決裂し、秀吉は作戦目標を「全羅道を悉く成敗し、忠清道・京畿道にもなるべく侵攻すること、その達成後は拠点となる城郭を建設し在番の城主を定め、その他の諸将は帰国させる」として再出兵の号令を発した。慶長2年(1597年)、小早川秀秋を元帥として14万人の軍を朝鮮へ再度出兵する。(wikipediaより)


この時もやはり、水星/水星期であり、6室支配で土星からアスペクトされる水星期である。

以上、秀次の切腹と、秀次の遺児(4男1女)及び側室・侍女らおよそ29名の処刑や、
サン=フェリペ号事件と26人のフランスシスコ会員とキリスト教徒全員の処刑、
朝鮮出兵(慶長の役)

など、皆、水星/水星期に行われており、6室支配で土星から傷つけられた水星が暴力を表していることがよく分かる。

■秀吉の人物像

wikipediaによれば、ルイス・フロイスが、秀吉のことを「気品に欠けていた」とか、「極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた」といった野卑な性質を明らかにしている。



ルイス・フロイスは、秀吉の外見以外については「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた」「極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた」「抜け目なき策略家であった」「彼は本心を明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた」「ほとんど全ての者を汝(うぬ)、彼奴(きゃつ)呼ばわりした」などと記している。

(wikipediaより)


気品に欠けており、野卑であるというのは山羊座の特徴であり、また山羊座は性欲が強く、好色であるというのはよく知られている。従って、ルイス・フロイスの「極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた」という描写が参考になるのである。

こうした性質はおそらく木星が減衰する山羊座ラグナの特徴である。

山羊座ラグナであることは、決して上品なキャラクターではなく、泥臭い、叩き上げの人物を表しており、それは百姓から成り上がった秀吉の人物像と一致している。

因みにネット上の情報によれば、秀吉は信長に猿と呼ばれていたとドラマなどでは描かれるが、実際には「はげねずみ」と呼んでいたそうである。

従って、こうした人物像からも山羊座ラグナであることは間違いないようである。

■出生時間について

もし山羊座ラグナであるとすれば、出生時間は1:59:21~3:41:17の間である。

四柱推命の占い師は、秀吉の出生時間をAM3時~5時の間に修正したようであるが、インド占星術による検証では、水瓶座ラグナの可能性がないことから、出生時間は3:41:17より後であることはあり得ない。

従って、AM5時というのはあり得ないのである。



















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