MENU

日本赤軍元最高幹部・重信房子が刑期20年を終えて出所 -アールドラーの戦士-

2022 6/02



日本赤軍の元最高幹部・重信房子が刑期20年を終えて出所した。


それについてメディア・マスコミが興奮気味に報道して、それが不自然だとする意見も相次いでいる。


然し、全共闘時代には、大学の教授を初めとして、多くの知識人がマルクス主義に傾倒し、暴力革命路線というのも普通にあったし、学生たちがヘルメットを被って、鉄パイプを持って、行進するような時代である。


カストロとキューバ革命を戦ったチェ・ゲバラが英雄になっているように重信房子を英雄として、崇める人々も多いようである。







アールドラーへの惑星集中


重信房子のチャートを作ってみて、最初に目に付くのは、双子座アールドラーに惑星集中するラーフ、月、火星である。


アールドラーは、私が参考にしている資料によれば、「偉大な指導者と天才的な悪人のどちらにもなり得る性質をもった人」であり、「古くなったものを吐き出し、来るべき新しいものの為の革命という仕事が宿命づけられている」ということである。


まさに彼女の人生そのものである。


彼女は世界に共産主義革命を起こす為にマルクス主義の思想に献身した理想主義者の側面がある一方で、テロリストで、殺人を犯した犯罪者という側面もある。


非常に評価が分かれる人物である。


ラーフは過剰性があり、また幻想をもたらすため、ラーフは何らかのイデオロギーに傾倒した場合、それが極端な形として、過激なものに変容してしまう。



過激派というのは、ラーフの特徴である。


例えば、相模原連続殺傷事件を起こした植松聖は、ヒトラーの優生学の思想によって犯行を犯したが、木星が天秤座の月から見て、9室でアールドラーに在住している。


木星は理想主義の惑星で、道徳や哲学なども表すが、6室を支配すると偏見や偏った思想になりやすく、またそれが9室(真理、宗教、哲学)で、アールドラーに在住するということで、極端な思想に陥ったのである。


ヒトラーも天秤座ラグナで、木星が3、6室の支配星で、ラーフ/ケートゥ軸と絡んでいて、グルチャンダラヨーガを形成しており、やはり、6室支配の木星が、ラーフ/ケートゥ軸と絡むという形で、ラーフの影響を受けており、極端な優生学の思想に陥ったことが理解できる。


既存の伝統や価値観を破壊して、新しい価値を広めるために過激に暴力を用いることも辞さないというような形で現れやすいのである。


ラーフはラジャス(激性)の特徴によって、純性が失われて、識別力が失われて幻想をもたらし、極端で過激な思想に陥りやすい。


元々世界に共産主義革命を起こすという大義を掲げている為、つまらないコソ泥などではなく、その試みが成功した暁には、偉大な指導者にもなり得る可能性を秘めている。


レーニンのボルシェビキが暴力革命思想を徹底させて、血の粛清を繰り返し、ソビエト連邦を成立させたことの中にも、それが表れている。




私がアールドラーの影響を受けた人々について観察することは、その人物が犯した行為が賛否両論に分かれ、物議を齎すのである。


単純に悪であると認定されることもないのである。


然し、結局、極端なことが不幸を生み出し、罪を生み出す結果、アールドラーの人々は間違いを犯すことになる。


そして、それが人類にとっての教訓のような形になるのである。


あたかも人類を代表して、間違いを犯したかのような扱いを受ける。


例えば、誰の中にも存在する優生思想を極端に表現して、体現して、それが裁かれて人類全体にとっての教訓となるのである。







双子座は、リベラルな価値を体現しようとする星座であり、そのアールドラーに月、火星、ラーフが在住し、チャンドラマンガラヨーガも形成している。


これが重信房子にカリスマをもたらしている。


月と火星のコンビネーションは、瞬間湯沸かし器のように怒りをもたらす配置であるが、肉食系のアグレッシブな魅力をもたらす配置である。


月と火星のコンビネーションは、女性で言えば、何人もの男たちを相手にして、酒を飲みながら談笑できるような配置であり、ホステスとしての魅力を発揮しやすい配置である。独得の煙草の持ち方にもそれは表れている。





彼女は「魔女」と呼ばれ、公安関係者の中にも彼女のファンがいたそうであるが、これは多くの過激派の実行犯をリクルートした才能として現れたと思われる。


ラーフと月のコンジャンクトは、精神異常のコンビネーションで、しばしば発狂をもたらすが、それが火星とコンジャンクションして、常に躁うつ病で言う所の躁状態をもたらしたと思われる。


ここには土星は、絡んでおらず、土星の抑制は全く見られない。


躁うつ病は、躁状態になった時が危険で、いきなりマンションの窓から飛び降りて自殺してしまったり、過激な行動をもたらしてしまう。



従って、重信房子のテロ活動というものは、こうした惑星のコンビネーションによる一種の躁状態の中で、行われたと考えられる。




因みに私は、双子座のアールドラーにケートゥが在住しているが、2010年前後にこのケートゥにトランジットのケートゥがリターンしたタイミングで、多くのジャイナ教徒の人々と知り合いになった。


ジャイナ教というのは、虫を殺さない為に自分が歩く道を箒で掃きながら移動するとか、極端な菜食主義を実践する人々で、ある種、霊的な道における極端な思想に陥った人々(過激派)である。


従って、私が聞いた所では、ジャイナ教のマッカリ・ゴーサーラは、極端な宿命論を説く人で、人間の運命は全て完全に決まっているという考えの持ち主だったようである。


私自身もケートゥ期にジョーティッシュを知って、極端な運命論に陥ったことがあるが、それはケートゥがこのアールドラーに在住しているからである。


運命が厳格に決まっていると考える方が、その決まっている運命を解明する為の法則を解き明かそうとする研究欲も徹底してくる為、それがダシャーが機能しているかどうかの微細な研究の成果につながったと思われる。当時、プラーナダシャー(第5レベルのダシャー)を毎日のように調べて、その日に起こったこととの対応関係を調べていたが、それは運命が、全て厳格に決まっていると考えていたからである。


もし運命が厳格に決まっておらず、曖昧で、その時の状況によってダシャーが機能したり機能していなかったりするならば、そんなものを熱心に研究する気にはなれない。


運命が厳格に決まっているという考えは、ジョーティッシュの研究にとっては、非常に役立ったと思える。


だから聞いた所では、ジャイナ教の中には、ジョーティッシュの秘儀が隠されているのだという。


大英帝国がインドに攻め込んで来た時にイギリス軍に持ち去られないようにヒンドゥー教の様々な経典類が隠されたそうだが、その中にはジャイナ教の経典類も含まれていたと、ヘレナ・ブラヴァツキーの『インド幻想紀行 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』の中に書いてあったのを覚えている。


因みにアリス・ベイリーの水星は、双子座のアールドラーに在住しており、アリス・ベイリーが著した著作類は、フリーメーソンの奥義に関するものである。


話が脱線したが、アールドラーは私のチャートにも含まれている為、非常に関心が高まるテーマであり、重信房子のアールドラーにラーフ、月、火星が惑星集中する配置は非常に興味深いものであった。




重信房子のラグナはどの星座か?


双子座のアールドラーの月、火星、ラーフの配置だけでも十分に興味深いが、ラグナが特定できれば、更に重信房子についての理解につながる。



そうしたことで、種々検討したが、ラグナはおそらく、山羊座ではないかと思われる。







山羊座ラグナであれば、火星、ラーフ、月が6室に在住するが、6室の凶星は暴力の配置である。



特に6室の火星は、殺人を含む徹底した暴力を表わしている。



レーニンが蠍座ラグナで牡羊座に火星が在住しているが、血の粛清を行なったことは歴史的事実である。



また金正恩は私は獅子座ラグナに修正しているが、獅子座から見て6室に火星が在住しており、これが自分の側近たちに反逆者がいると、高射砲まで使って粛清した配置である。



プーチンは蠍座ラグナで6室に木星が在住しているが、射手座に在住する火星と星座交換して、6室にあたかも火星が在住しているかのような効果をもたらしている。



従って、プーチンも自分に逆らうオルガリヒや裏切ったFSB職員などを粛清しているが、6室の火星という観点で考えると理解できる。




山羊座ラグナに設定すると、ラグナロードの土星が7室に在住しているが、これは外国人と結婚して外国に住む典型的な配置である。



重信房子は、元々は文学少女だったが、明治大学の学費値上げに絡んで、明大闘争に参加するようになり、この頃から共産主義に目覚めていく。









このような6室の凶星といった配置は、部下の統率力がある為、組織の責任者として直ぐに頭角を表わし、1970年5月9日には、前年に発覚した大菩薩峠事件(※)に関与していたとして、東京都町田市内で爆発物取締罰則、殺人予備容疑で逮捕されている。


※1969年11月5日に共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)の53名が凶器準備集合罪で逮捕され、同組織の弱体化に結び付いた事件




wikipediaによれば、この時点で、赤軍派の組織全体を動かす重要なポストについていたということである。



海外への進出 -軍事訓練と結婚と出産-


1971年に「国際根拠地論」に基づき、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとして、2月2日に神戸市で「京都パルチザン」の奥平剛士との婚姻届を提出し、「奥平房子」という戸籍を得て2月28日に出国したということである。



然し、この結婚は偽装結婚で、潜伏先のベイルートでは別々のアパートを借りていたということから、後のパレスチナ人男性との結婚が本当の結婚である。



このパレスチナ男性との間で、1973年3月1日に娘の重信メイが誕生している。






従って、出国した1971年2月28日~1973年3月1日の間に少なくとも結婚したということが言える為、この間の期間に7室や7室の支配星、1室や1室の支配星など、結婚のポイントにダブルトランジットが成立していたかという観点が有効である。


また娘が誕生した1973年3月1日の少なくとも9ヶ月前までの時点において、土星と木星が5室、5室の支配星、9室、9室の支配星にダブルトランジットしていたかどうか、そして、火星のトランジットなども使えば、更にその範囲を絞り込むことができる。





実際、重信メイが誕生した時、木星は山羊座をトランジットし、土星は牡牛座をトランジットして、牡牛座と蟹座にダブルトランジットしていた。



重信房子が山羊座ラグナであれば、5室にダブルトランジットが成立し、更に7室にもダブルトランジットが成立している。



つまり、結婚と同時に子供が誕生したという流れが説明できる。



因みに彼女が出国した1971年2月28日から娘が誕生した1973年3月1日までは、わずか2年間しかなく、長い年月交際してから、子供が誕生した訳ではないことは直ぐに分かる。



つまり、子供と誕生したのと同じぐらいに結婚したということでなければ理解が難しいのである。



従って、山羊座ラグナで、娘が誕生した時、5室と7室にダブルトランジットしていたということで良さそうである。



娘が誕生した時、トランジットの火星は射手座にあるが、27日前の時点で、蠍座から5室にアスペクトしている為、子供の誕生を表わしている。


(シュリK.Nラオの研究では、75日前までに火星が5室や5室の支配星、9室や9室の支配星にトランジットやアスペクトしていれば条件を満たしている)




蟹座には土星が在住している為、この土星が5室や9室の支配星で、5室や9室にダブルトランジットしていたという解釈も確かに可能である。



その場合は、牡牛座ラグナや天秤座ラグナの可能性も浮上するが、外国人と結婚して海外に住むという行動パターンは、ラグナロードが7室に在住する配置が最も説明できる。



そして、山羊座ラグナであれば、主に海外でテロ活動を活発に行った1970年代と1980年代が、マハダシャー木星期と、マハダシャー土星期に該当する。



木星は、3、12室支配で9室に在住しており、12室は海外を表わしており、9室は留学のハウスである。



この重信房子の山羊座から見た9室への惑星集中は、9室が理想や宗教、哲学のハウスであることから、マルクス主義や共産主義思想を表わしていると考えられる。



特に乙女座は、律儀で、視野の狭い範囲の正確な知識を意味する星座であり、マルクス主義に非常に親和性が高い星座である。



従って、マハダシャー木星期は、重信房子が、マルクス主義の研修の為に海外留学したように見える配置である。



また山羊座ラグナにとっては、3、12室支配の木星期は、スポーツ(3室)のために海外に行くような配置でもある。








重信房子は、国際義勇兵としてパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に参加して、軍事訓練などを受けており、それはあたかも3室(スポーツ、運動)の象意で著されているように思われる。



とにかく体を動かしてトレーニングを重ねたということである。







3室は訓練、鍛錬のハウスであり、スポーツ選手が日々、腕立て伏せや筋トレなどをして、体を鍛えるような活動内容も表わしている。



そうしたことで、重信房子が海外で、組織名称も1974年に「日本赤軍」として活動したのは、この木星期である。





日本赤軍最高指導者としてテロを実行



木星をラグナとすると、10室に月、ラーフ、火星が在住して、過激なテロ活動で、国際的に有名になることを示している。



実際、重信房子が、海外でテロ活動を活発化させたのは、マハダシャー木星期に含まれる1972年~1977年頃が最も多く、以下のような事件を起こしている。






1972年5月30日 テルアビブ空港乱射事件 木星/月

1973年7月20日 バイ日航機ハイジャック事件 木星/月

1974年1月31日 シンガポール事件 木星/月

1974年2月6日 在クウェート日本大使館占拠事件 木星/月

1974年9月13日 ハーグ事件 木星/火星


日本赤軍が起こしたその他の事件

1977年9月28日 ダッカ日航機ハイジャック事件 土星/土星(直前まで木星/ラーフ)

1986年5月14日 ジャカルタ事件 土星/金星

1986年11月15日 三井物産マニラ支店長誘拐事件 土星/金星

1987年6月9日 ローマ事件 土星/金星

1988年4月14日 ナポリ事件 土星/太陽



特に1974年に組織名称を「日本赤軍」に変更して、それから1977年にかけて最もテロを活発化させたが、この時、ちょうど木星/月期、木星/火星期であった。



ダシャーロードの木星から10室に在住するラーフ、火星、月の時期で、ラグナから見ると、6室(暴力)に在住している為、この時期にテロ活動を行ったことが分かる。



然し、10室の月は、大衆の人気、カリスマを表わしており、ラーフのコンジャンクトは熱狂的なカリスマを表わしている。


インドのマハトマ・ガンジーも月とラーフが10室に在住しているが、大衆の感情に火が付いて、大衆が熱狂的にガンジーを支持している。



重信房子自身は、「ハーグ事件」(※)への関与で国際手配を受け、逃亡生活に入り、テロへの関与はこの後、少なくなっていくが、この最も有名で重大な事件は、木星/火星期に起こしている。



※1974年9月14日にオランダのデン・ハーグで発生した日本赤軍によるフランス大使館立て籠もり・人質事件



アンタルダシャーが木星から見て、3、8室支配で10室に在住し、月から見て6、11室の支配星、ラグナから見て、4、11室支配で6室に在住していることに注目である。





逃亡生活へ



重信房子は、マハダシャー土星期に入ると、日本赤軍のテロや頻度も少なくなっていくのは、土星期は、土星から見て、火星が5、10室支配で12室(隠遁)に在住し、ラグナロードの月やラーフとコンジャンクトする配置からも読み取れる。










土星は7室に在住しているが、7室は4室から見た4室目のハウスで、引っ越しのハウスである。



また土星は4室にアスペクトして4室(住居、心の安定)を傷つけている為、逃亡生活で、居場所を転々としなければならなかったことを表わしている。



また土星から見て、12室にラーフ、火星、月が集中しており、隠れて外国(12室)を転々としなければならなかったことを表わしている。



つまり、重信房子が、最もテロリストとして、有名になったのは、マハダシャー木星期で、木星から見て10室に火星、ラーフ、月が在住する時期である。



この時期に重信房子は、9室に在住する3、12室支配の木星が表わすように軍事訓練を重ねて、自分の理想や大義の為に献身したと言える。





時代の変化 -西洋近代科学としてのマルクス主義の衰退-


1988年以降、1990年代はほとんど日本赤軍の大規模なテロ活動は見られなくなった。



重信房子も逃亡生活に入っていたということもあるが、1970年代は、日本が高度経済成長期の只中にあり、まだ日本人は貧しいので、社会主義運動に傾倒する意味があった。



日本の労働者は、資本家によって搾取されており、社会主義革命を起こすという物語には意味があった。



然し、1990年代に入ると、そこに至るまでに日本の資本主義が成熟して、バブル経済のピークが来て、十分豊かになったのと、アメリカの新自由主義政策がスタートし、日本はアメリカから収奪される対象となった。



それと同時に日本も新自由主義のイデオロギーで推進されることになった。



社会が全体的に新自由主義で一色となり、社会主義で世を救うという考え方が失われ、大きな政府で国民に巨額の税負担をさせる社会主義政党の政策上の欠陥も見られるようになった。



マルクス主義というのは、ある種、宗教思想に似て、知識人を中心に理想社会の実現を目指す、大きな物語を構成していたが、マルクス主義の代わりにフランスなどでは、ポストモダンの思想などが流行った。



マルクス主義は、唯物論によって構成されたヘーゲル思想のようなものであり、プラトンからヘーゲルに至る西洋近代思想は、皆、最終的なゴールとして、桃源郷のようなユートピアを目指していた。


哲学者は、思想によって、その最終的なゴール(真、善、美)の実現した理想社会を追求するが、宗教家は、宗教によって、その理想の桃源郷を求める。(例えばフェビアン協会も神智学協会なども理想の桃源郷のようなユートピアを目指していた)



ニーチェ、フロイト、ハイデッカーなどの思想(哲学者の木田元氏が言う所の「反哲学」)や、構造主義(レヴィストロースの構造主義人類学、ソシュールの言語学、ラカンの精神分析)などが出て来て、近代がこのまま発展していけば最終的に桃源郷に辿り着くし、そして、その道が唯一の正しい道であるという信念を否定した。



そうした意味で、資本主義の発展の後に、必然的に共産主義社会が訪れるという西洋近代の産物である科学的なマルクス主義の理論が否定されることになった。



マルクス主義は最後の大きな物語だったが、資本主義社会は、どんどん発展し、生産力が増大して、労働者の生活も多少豊かになってきたが、豊かになって来たら、そのまま資本主義社会に適応するだけであり、労働者が資本家を打倒して、生産設備を奪い取り、自分たちで運営して、共産主義社会を築くという考え方が、全く現状に合わなくなった。



人々は、資本主義社会により適応して生きていく方が現実的であり、共産主義革命などは、全く夢物語で非現実的な理想主義であると認識するようになったのである。



資本主義が発展し、複雑化するに従って、日本赤軍は、時代遅れとなり、忘れ去られていった。



そうして、10年ほど経過した2000年頃、重信房子は、大阪市西成区のマンションに潜伏していた所を公安警察に発見され、逮捕されるに至った。



上述したように特徴的な煙草の持ち方などから本人と特定されたようである。




既に時代は変化し、重信房子は、深海に生息して生きながらえていたシーラカンスのように発見された。







但し、2000年代にブッシュ政権のイラク戦争に反対する活動などはリベラル左翼活動家の間で、かなり活発に行われ、そうした活動家の会場には、重信メイの姿なども度々、確認された。








重信房子の娘である重信メイや、かつての全共闘時代の支援者たちに支えられて、重信房子は、まだカリスマ性を放っていた。





訴訟へ


そして、そうした人々に支えられながら、その後、法廷で、検察と、闘うことになった。



重信房子は、「ハーグ事件」への関与をめぐり、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などでの共謀共同正犯で検察から起訴された。



この時期が、1996年以降のマハダシャー水星期である。







水星は、6室の支配星で訴訟を表わしており、4、11室支配の火星、そして、1、2室支配の土星からアスペクトされて激しく傷ついており、8室支配の太陽とコンジャンクションして傷つけられている。



8室支配の太陽は、公安警察や政府側の権力筋を表わしていると考えることも出来る。



おそらくこの8室支配の太陽に木星や水星がコンジャンクトしている為、8室支配の太陽も凶星からのアスペクトは受けているが、それ程、凶暴化出来なかったのではないかと考えられる。



共産主義革命を起こそうとした人物など、国家の権力側から見れば、戦前であれば謀殺してもいいぐらいの対象であるが、支援者たちに守られている重信房子に人権を認めて、きちんとした対応を行なった。



もし支援者がいない人物だったら、このようには行かなかったと考えられる。




そして、重信房子は、娘や支援者たちに支えられて控訴を繰り返したが、2010年8月4日に最高裁判所によって、控訴が棄却され、懲役20年が確定した。



その時は、マハダシャー水星期の終わり頃で、水星/木星期の辺りである。



マハダシャー水星期は、重信房子にとっては、娘や支援者たちに支えられながら、日本の検察と法廷闘争をした時期に該当する。





癌を患い、4回手術を行なう


そして、2011年3月11日に東日本大震災が起こり、日本社会は、どんどん変化してゆくが、重信房子は、2013年頃から12室に在住するマハダシャーケートゥ期に移行している。



ケートゥは、マラカの7室支配の月からアスペクトされ、対向には、癌の表示体であるラーフが在住している。







そして、同じく、山羊座ラグナにとって、傷ついた4、11室支配の火星は、マラカとして機能する為、こうした惑星の影響で、刑務所の中で、4回、癌の手術をすることになったと考えられる。


12室は入院のハウスである。




ケートゥ期は、ラーフ/ケートゥ軸という形で、セットで、ラーフの象意が顕現し、またラーフと絡む火星や月もアールドラー(ラーフ)に在住している為、この時期に癌を患ったことが分かる。



然し、ケートゥのディスポジターである木星がラグナにアスペクトしている為、刑務所内で、手厚い看護を受け、4回の手術を受けて、その後、抗がん剤治療を行って、一命を取り留めた。





出所へ

重信房子は、2022年5月28日午前8時前に刑期満了で出所した。



重信房子・元幹部、武装闘争路線を「間違っていた」と総括…「再出発にあたって」と文書公表
2022/05/28 14:42 讀賣新聞オンライン

 1974年にオランダの仏大使館が占拠された「ハーグ事件」などで、懲役20年の判決を受けて服役した日本赤軍の重信房子・元最高幹部(76)が28日、刑期を終えて出所した。世界各地でテロを繰り返した日本赤軍は2001年に解散したとされるが、今も逃亡中のメンバーがおり、警察当局は動向を注視している。

重信元幹部はこの日、「再出発にあたって」と題する文書を公表した。日本赤軍による過去の事件について「直接関係のない方々に心ならずも被害やご迷惑をおかけした」と謝罪し、武装闘争路線を「間違っていた」と総括した。

 28日朝、支援者らと収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)を出ると、報道陣の取材に「50年前の闘いで 無辜むこ の人たちに被害を与えた」と改めて謝罪した。がんを患っており、「治療とリハビリをしたい」と語った。

 日本赤軍は、1960年代に反安保闘争などをリードした共産主義者同盟の流れをくむ。武力による革命を掲げ、71年に出国した重信元幹部らが、中東のレバノンで結成した。

 72年には自動小銃や手投げ弾で武装したメンバー3人がイスラエルの空港を襲い、一般の旅行者ら約100人を殺傷した。その後もハーグ事件や、日航機を乗っ取ったダッカ事件(77年)などを起こし、獄中の仲間を「超法規的措置」で釈放させるなどした。

 冷戦終結や中東和平の進展などで、90年代に活動を縮小した。2000年には重信元幹部が潜伏先の大阪府内で逮捕され、ハーグ事件の殺人未遂罪などで起訴された。公判で無罪を主張したが、10年に最高裁で懲役20年が確定した。

 重信元幹部は01年に日本赤軍の解散を宣言したが、超法規的措置で釈放されたメンバーら7人が今も国際手配中だ。警察当局は、他人の旅券などで帰国して日本に潜伏している可能性も含めて捜査している。



武装闘争路線を「間違っていた」と総括し、日本赤軍による過去の事件について「直接関係のない方々に心ならずも被害やご迷惑をおかけした」と謝罪した。




重信房子は、かつて共産主義に理想を見出した全共闘時代のシンボルのような存在である。




理想のユートピアを目指して、活動し、挫折した青春の日々の追憶を呼び覚ます存在であり、あたかも日本の敗戦を知らず、ジャングルに28年間、潜伏して来た横井庄一氏がひょっこり現代社会に姿を現したような感覚である。




それは間違っていたかもしれないが、また未熟な安易な考えだったかもしれないが、その時代は確かにあったと感じさせる何かなのである。














重信房子の会見の模様は、メディアによって中継され、報道各社は、興奮気味にこの模様を伝えた。







重信房子は、既に2020年8月頃から、マハダシャー金星期に移行しており、現在、金星/金星期である。




金星は、5、10室支配のヨーガカラカで、2室に在住し、月から見て、5、12室支配でメディアの3室に在住している。



従って、メディアの前に登場して、カリスマ性を発揮すると同時にスピーチも行なったのである。







重信房子の生い立ち


重信房子の人生は、マハダシャーラーフ期からスタートしたのである。



誕生してから16歳までは、ラーフ期で、大変な幼少期を過ごしたようである。



高校卒業した時、家は非常に貧しく、極貧生活であったというが、おそらく、その前からもずっと極貧生活だったのではないかと思われる。



太平洋戦争が終わって間もない頃で、東京都世田谷で4人兄弟の次女として誕生している。



戦後の焼け野原の中で、闇市などで物資を調達したり、まだ日本社会全体が貧しい時期である。



6室に在住するラーフ、火星、月は、そうしたラーフ期の苦労を物語っている。



ラーフから見ると、2室に土星が在住し、2室支配の月がラグナで、6、11室支配の火星とコンジャンクトしており、2室の傷つきから経済的に貧しかったことを表わしている。



普通に進学することは難しかったので、キッコーマンで働きながら、小学校の教員を目指し、明治大学文学部の夜学に通ったという。



大学では、文学研究部に所属し、文学研究部連合会の事務長を務めていたという。



この時は既に木星期に移行していたと思われるが、木星は12室の支配星であるため、やはり、金銭には苦労したのかもしれない。



その当時、周りから注目を集めるほど、美人だったというが、おそらくヨーガカラカの金星が2室(顔)にアスペクトしている為、ルックスが美人であったということである。












また重信房子は、スピーチ(2室)も巧みだと言われるが、それは金星がアスペクトしているからである。



1965年~1966年頃に大学の弁論大会に出たことで知り合った地方の自民党幹部の息子である大学生と婚約しており、相手の父親にもその性格や容姿を絶賛されていたが、政治思想の相違から別れることとなっている。



この頃は、木星/土星期であり、パレスチナ人と結婚する前の結婚に似たエピソードである。



木星は月から見て、7室の支配星であり、また土星はラグナロードで7室に在住している。



従って、この時期に本気で結婚しようとして婚約していたことがよく分かる。



ラグナは間違いなく山羊座で正しいと思われる。






分割図のラグナ -サプタムシャ、ナヴァムシャ-



因みにハーグ事件など、国際的なテロ活動を起こした時のダシャーが木星/火星期など、きちんと一致しており、また娘が誕生した時のダシャーが木星/月期だが、サプタムシャで検証した所、木星は9室の支配星であり、月はラグナロードでラグナに在住している。







従って、子供の誕生もきちんと説明することができる。



サプタムシャ(D7)が使えるとなれば、ナヴァムシャもかなり正しい所まで修正できていると思われる。







おそらく、外国に行って、外国人と結婚したということであれば、ナヴァムシャのラグナが山羊座で、ラグナロードの土星が7室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸が1-7軸に位置していることで説明できるが、文学少女で、木星期に文学研究部に所属し、文学研究部連合会の事務長を務めていたということであれば、3室支配の木星が5室に在住し、9室支配の水星が3室に在住する配置で良さそうである。



また重信房子は、マハダシャー水星期に刑務所の中で、沢山の著作を発表し、自らの過去について振り返っているが、そうした活動は、9室支配の水星が3室(文筆、出版)に在住していることで納得できる。







上述したようにこの配置であれば、木星/土星期に婚約したことも説明できるが、月から見て、2、3室支配の土星が6、11室支配の金星と共に8室に在住し、ケートゥとコンジャンクトしている為、8室がかなり傷ついており、結婚生活に移行出来なかったことを示している。



このようにナヴァムシャのラグナが山羊座だとかなり重信房子のプロフィールを説明することができる。



因みに公安関係者の中にも重信房子のファンがいたというが、それはナヴァムシャで太陽がバラニー(諜報関係者)で高揚しているからである。



また重信房子が、赤軍派の中で、幹部として重要なポジションを占めていたのは、この8室支配の太陽が4室で高揚する配置に現れている。



権力ある立場の人物からポストを譲られて、そのポストに就くというようなパターンがあったのではないかと思われる。











ナヴァムシャのラグナが山羊座で正しければ、出生図のラグナは、山羊座の第1ナヴァムシャで、ウッタラアシャダーの第2パダである。



ウッタラアシャダーは支配星が、太陽で、「感謝の心に溢れた人の鏡」と呼ばれ、平和を愛する気持ちが強く、困っている人は助けずにはいられない配置である。



こうした性格は、国際テロリストという肩書には一致していないように思えるが、重信房子が、多くの支援者に恵まれているのはこうした性格から説明できるのではないかと思われる。



wikipediaによれば、以下のように記されている。






ブントの中では「魔女」、新宿ゴールデン街に集まる著名人たちからは「赤軍姉ちゃん」、アラブに渡った当初交流していたベイルートの外交官や商社員ら日本人社会の人々からは「赤軍ちゃん」のニックネームで呼ばれていた。PFLFやパレスチナ人の仲間内では「マリアン」の通名で通っていた。他に「ミス ユキ」などの変名を確認されている。

(wikipedia 重信房子より引用抜粋)



しかし、ラグナがこうした吉祥なラグナであっても月は、アールドラーに在住し、火星やラーフとコンジャンクトしている。



従って、そうした人柄の良さと、革命家としての過激な性格が共存しているのではないと思うのである。



あたかも能楽において、シテが、舞台中で大暴れして、最後に静かに退場していくように重信房子の人生は、ラーフ期に始まり、革命家として大暴れして、ケートゥ期に刑務所の中で、過去を振り返り、反省しつつ、それを著述し、また自らも癌に罹患して、4回手術を受け、生死を彷徨っている。出所後は、学習と治療に専念するそうだ。


原因が始動して、カルマを生み出すが、そのカルマは再び、解消されて、そこで学びや叡智が生まれる。


原因(あるいは自分のプラクリティ)とは逃れられない宿命であり、アールドラーにはアールドラーの表現がある。


神の創造は、白を赤く塗りつぶして、最後に黒を塗りつぶすことに例えられると聞いたことがあるが、神の絵の具には、様々な絵の具がある。


アールドラーもその一つである。



(参考資料)

「被害与えた人にお詫びします」20年の刑期終え…「日本赤軍」重信房子 元最高幹部が出所
5/28(土) 17:51 TBS NEWS DIGI

1970年代に“世界同時革命”などの主張を掲げ、航空機ハイジャックや大使館占拠など世界各地で数々の過激な事件を起こした『日本赤軍』。そのリーダーだった重信房子元最高幹部が20年あまりの服役を終え、28日朝、出所しました。

金平茂紀キャスター

「昭島市の医療刑務所の門の所に、一台黒い車が出てきました。黒い帽子をかぶって、支援者たちに手を振っています」

28日朝、東京・昭島市の医療刑務所から出所した『日本赤軍』の重信房子元最高幹部(76)。施設の前で支援者らと言葉を交わしましたが、周囲では右翼団体が抗議活動を行うなど混乱も見られました。

「日本赤軍」重信房子 元最高幹部

「戦闘第一にしたことで、見ず知らずの無辜の人に被害を与えたことがありました。古い時代とは言えこの機会にお詫びします」

『日本赤軍』は、1960年代後半の“新左翼運動”と呼ばれる動きのなかから生まれた、最も過激な社会運動の組織です。その源流は、武力闘争路線を掲げて登場した共産主義者同盟『赤軍派』でした。

『赤軍派』はその後、大きく3つに枝分かれします。

日航機を乗っ取り、北朝鮮に亡命した『よど号グループ』。

そして、長野県の“あさま山荘”で警察と銃撃戦を繰り広げ、その後、仲間同士のリンチ殺人が発覚した『連合赤軍』へと分かれていき、当時の社会運動全体に決定的な「負のイメージ」を与えたと言われています。

「日本赤軍」重信房子 元最高幹部(映画「赤軍PFLP・世界戦争宣言」より)

「北朝鮮に行った9人、またはパレスチナにいる私、それから日本にいる同志たち」

一方、『日本赤軍』は70年代はじめから“世界同時革命”を行う海外での拠点作りを目指していました。『日本赤軍』結成前の1972年、重信元幹部の仲間だった日本人3人がパレスチナの武装勢力に加わって起こしたのが、イスラエルのロッド空港乱射事件です。

その後も、仲間の釈放を要求し、“超法規的措置”が取られたダッカ日航機ハイジャック事件など、世界各地で数々の事件を起こしてきた『日本赤軍』。

重信元幹部は、1974年にオランダ・ハーグのフランス大使館を占拠した事件に関与したとして、国際手配されていました。

記者(2000年11月)

「重信房子容疑者、いま改札を通りました」

重信房子(逮捕時)

「(Q.何かメッセージは?)頑張るから」

そして、2000年11月。重信元幹部は潜伏していた大阪府内で逮捕され、懲役20年の実刑判決となりました。

服役中にがんを患い、4回の手術をしたという重信元幹部。今後の活動については…。

「日本赤軍」重信房子 元最高幹部

「(がんの)治療と学習です。すぐに病院を選んでリハビリしていけるようにしたい」

金平茂紀キャスター

「20年経って、外に出てきて今、一番感じていることは何ですか?」

「日本赤軍」重信房子 元最高幹部

「感じていることは、あまりに昔と違って一つの方向に流れているのではないか。国民はそうでなくても、政治家が一方向に流れているというのが実感」

『日本赤軍』をめぐっては、現在もメンバー7人が国際手配され、警察が行方を追っています。
参照元:「被害与えた人にお詫びします」20年の刑期終え…「日本赤軍」重信房子 元最高幹部が出所
5/28(土) 17:51 TBS NEWS DIGI
日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑期を終えて出所
2022年5月28日 16時41分 NHK

数々の国際テロ事件を起こした日本赤軍の重信房子元最高幹部が20年の刑期を終えて出所し「見ず知らずの人たちに被害を与えたことをおわびします」などと述べました。日本赤軍については解散を宣言していますが、現在もメンバー7人が逃亡していて警察当局が警戒を続けています。

出所したのは日本赤軍の重信房子元最高幹部(76)です。

1974年にオランダで大使館が占拠された事件に関わったとして、殺人未遂などの罪で懲役20年の実刑判決を受けて服役していましたが、刑期を終えて、午前8時前に東京 昭島市にある東日本成人矯正医療センターから迎えの車に乗って出ました。施設の前には20人余りの支援者が集まったほか、近くには抗議する団体もみられました。

服役中に4回がんの手術をしたということで、出所後の取材に対して「生きて出てきたなと実感しています。50年前、人質を取るなどして見ず知らずの人たちに被害を与えたことをおわびします。今後は治療に専念し、反省するとともに好奇心を持って生きていきたいです」などと話していました。

日本赤軍について、重信元最高幹部は2001年に解散を宣言していますが、現在もメンバー7人が逃亡を続けていて警察当局はメンバーの動画を公開するなどして情報提供を呼びかけています。

28日も出所の際には捜査関係者の姿が確認され、警視庁などはテロ組織としての危険性に変わりはないとして、元幹部の今後の動向などを注視し警戒を続けるということです。

手記を公表

日本赤軍の重信房子元最高幹部は「再出発にあたって」という手記を公表しました。

この中では革命の正義や大義のためならどのような戦術をとってもかまわないと考えていたと振り返ったうえで「政治・軍事的に直接関係のない人たちに被害やご迷惑をおかけしたことを改めて謝罪します」などと記しています。

そして、今後については「治療とリハビリに専念し、世界・日本の現実を学び新しい生活様式を身につけたい」などとしています。

また、これからの活動について「求められれば、時代の証言者の1人として、反省や総括などを伝えることを自らの役割として応えていくつもりです」としています。

日本赤軍とは

日本赤軍は1971年に過激派の「赤軍派」から分かれてできた組織で、重信元最高幹部などが武装闘争で世界革命を起こそうと海外に活動拠点を求め中東のレバノンに渡って結成しました。

日本赤軍はパレスチナの武装グループらと連携して数々の国際テロ事件を引き起こし50年前の1972年にはイスラエルの空港でメンバーが自動小銃を乱射しておよそ100人の死傷者が出ました。

1977年に旅客機が乗っ取られたダッカ・ハイジャック事件などでは逮捕されていた過激派グループのメンバーなどの釈放を要求し、政府が「超法規的措置」によって応じるという異例の措置がとられました。こうした日本の対応は当時、国際社会から「テロに屈するのか」と厳しく批判されました。

2000年、重信元幹部は日本にひそかに帰国して大阪に潜伏しているところを警察に逮捕され、翌年の2001年に日本赤軍の解散を宣言しました。

一方、今もメンバー7人が逃亡を続けていて、警察当局は偽造パスポートなどを使いながら国内外で活動しているとみて追跡を続けています。

特殊部隊発足のきっかけに

日本赤軍が起こした数々のテロ事件やハイジャック事件をきっかけに、日本の警察当局は後に「SAT」と呼ばれるようになる特殊部隊を発足させました。

ライフル銃やせん光弾などの特殊な機材で訓練を積んでいて、各地で起きる立てこもり事件などにたびたび出動しています。

それまで、日本の警察はテロ事件に対応できる体制が十分に整っておらず1977年に日本航空の旅客機が乗っ取られた「ダッカ事件」では、超法規的措置として日本赤軍側の要求を受け入れ、拘束されていた過激派のメンバーなど6人を釈放するとともに600万ドルの身代金を支払うという異例の措置がとられました。

また、ハイジャック事件が相次いだことなどを受けて飛行機に搭乗する際の保安検査も強化され、日本が各国と連携してテロ対策に乗り出すきっかけになりました。
参照元:日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑期を終えて出所
2022年5月28日 16時41分 NHK
出所の「日本赤軍」重信房子元最高幹部は「魔女」 巧みな人心掌握術と文才兼ねそろえた人物
2022年5月29日8時46分 日刊スポーツ

世界各地でテロ事件を起こした「日本赤軍」を結成し、オランダのフランス大使館が武装占拠された1974年のハーグ事件に関与したとして懲役20年の判決が確定した重信房子元最高幹部(76)が28日、刑期満了を迎え、服役していた医療刑務所「東日本成人矯正医療センター」(東京都昭島市)を出所した。

   ◇   ◇   ◇

巧みな人心掌握術で組織を拡大していく姿から、周囲に「魔女」と称された日本赤軍の重信房子元最高幹部。収監中はがんと闘いながら日記のように短歌と日々の思いを手紙につづり、支援誌への寄稿を続けた。

1965年に明治大に入学すると、学生運動に没頭。途中からは教師になる夢を捨て、革命を目指したとされる。支援者の70代男性によると、愛称は「ふーちゃん」。ロングヘアと紺色のスーツ、レースの付いた白い手袋が印象的だった。「文学少女で文才があり、人を説得する能力にたけた人。新左翼の専門用語は並べず、ベトナム戦争の実態などを平易な言葉で伝えてオルグをしていた」。別の70代男性支援者は「海外で闘う彼女は新左翼のヒロインだった」と振り返る。

73年にレバノンでパレスチナ人男性との間に生まれた長女メイさん(49)は、幼い頃に母親から日本の桜や紅葉の話をよく聞かされたという。「母は差別が大嫌いで、不公平なことも許さなかった。だからパレスチナ問題にも関わってきたし、今後も続けると思う。彼女を誇りに思っている」とし「出所後は一緒に自然を楽しんで、来年は花見もしたい」と話す。
参照元:出所の「日本赤軍」重信房子元最高幹部は「魔女」 巧みな人心掌握術と文才兼ねそろえた人物
2022年5月29日8時46分 日刊スポーツ
重信房子・元幹部、武装闘争路線を「間違っていた」と総括…「再出発にあたって」と文書公表
2022/05/28 14:42 讀賣新聞オンライン

 1974年にオランダの仏大使館が占拠された「ハーグ事件」などで、懲役20年の判決を受けて服役した日本赤軍の重信房子・元最高幹部(76)が28日、刑期を終えて出所した。世界各地でテロを繰り返した日本赤軍は2001年に解散したとされるが、今も逃亡中のメンバーがおり、警察当局は動向を注視している。

重信元幹部はこの日、「再出発にあたって」と題する文書を公表した。日本赤軍による過去の事件について「直接関係のない方々に心ならずも被害やご迷惑をおかけした」と謝罪し、武装闘争路線を「間違っていた」と総括した。

 28日朝、支援者らと収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)を出ると、報道陣の取材に「50年前の闘いで 無辜むこ の人たちに被害を与えた」と改めて謝罪した。がんを患っており、「治療とリハビリをしたい」と語った。

 日本赤軍は、1960年代に反安保闘争などをリードした共産主義者同盟の流れをくむ。武力による革命を掲げ、71年に出国した重信元幹部らが、中東のレバノンで結成した。

 72年には自動小銃や手投げ弾で武装したメンバー3人がイスラエルの空港を襲い、一般の旅行者ら約100人を殺傷した。その後もハーグ事件や、日航機を乗っ取ったダッカ事件(77年)などを起こし、獄中の仲間を「超法規的措置」で釈放させるなどした。

 冷戦終結や中東和平の進展などで、90年代に活動を縮小した。2000年には重信元幹部が潜伏先の大阪府内で逮捕され、ハーグ事件の殺人未遂罪などで起訴された。公判で無罪を主張したが、10年に最高裁で懲役20年が確定した。

 重信元幹部は01年に日本赤軍の解散を宣言したが、超法規的措置で釈放されたメンバーら7人が今も国際手配中だ。警察当局は、他人の旅券などで帰国して日本に潜伏している可能性も含めて捜査している。
参照元:重信房子・元幹部、武装闘争路線を「間違っていた」と総括…「再出発にあたって」と文書公表
2022/05/28 14:42 讀賣新聞オンライン
希代のテロリスト重信房子、21年の獄中生活の末に見た「風景」
テロは論外だが、「若者の冒険」を過剰に否定する現代の風潮はいかがなものか
2022.5.31(火)橋本 昇 JBPRESS

 正直、驚いた。マスメデイアがこんなに興味を持つとは思ってみなかったのだ。日本赤軍の重信房子元最高幹部(76)のことだ。

 5月28日午前8時過ぎ、元日本赤軍トップリーダーの重信房子は東京都昭島市にある医療刑務所「東日本成人矯正医療センター」を出所した。20年の刑期を終えての出所だった。

 学生運動当時の重信を知る身としては、彼女の出所の瞬間はぜひ写真にとらえたいと思った。センター前についたのは午前5時45分。「ちょっと早過ぎたかな?」と思いもしたが、すでに5~6社のカメラマンたちが門の前でたむろしていた。

 それだけでも驚きだが、その後、取材の人間はどんどん増え、最終的には150人くらいは集まっていたのではないだろうか。その関心高さに、改めて重信房子という人の存在感を見たような気がした。

 が、よくよく彼らの年恰好を見れば、彼女のテロリストとしての活動時代はもちろんのこと、22年前の逮捕当時のことを知ってそうな人間は数えるほどだった。おそらく、デスクあたりの命令で取材に来たという感じのカメラマンが多かったのではないだろうか。

「ここは日本赤軍が仕切る」

 センター側から指定された撮影位置は、建物の玄関から約30メートル離れたフェンス越しの空地だった。そこにずらりと脚立が並べられ、カメラマン一同は重信が出て来るのを待った。その間にも次々と新聞、週刊誌、テレビのカメラマンや記者達が到着し、次第に現場は混乱してきた。皆、少しでも良い撮影位置を確保しようと必死なのだ。

「何だよ。これじゃあ、撮れねえじゃねぇか」

 ぶつぶつカメラマンがぶつぶつと文句を言った。刑務官は「金網には絶対に手を触れないでください!」と、注意喚起をして回る。

 7時過ぎ、彼女の一人娘、重信メイさんらが出迎えの為に現れた。周りには20人ほどの支援者たちの姿もある。支援者たちが“We love Fusako”という大きな横断幕を掲げた。

支援者代表の山中幸男・救援連絡センター事務局長が「マスコミの皆さん、重信さんは車で出ますが、いったん止まって車から降りて姿を見せますから! その時、撮れますから!」と声を嗄らすが、カメラマン達は一切聞いていなかった。

 現場の混乱は続く。

「前に立ちはだかると撮れないので、少しさがって! 下がって!」

 と、互いの肩が触れ合うような混雑の中で叫ぶ者がいる。

 すると支援者の一人が素っ頓狂な事を言った。

「ここは日本赤軍が仕切るから!」

 暫らくそんなこんなのつばぜり合いが続いていたが、いよいよ重信を乗せた車が出て来ると、かろうじて保たれていた現場の均衡は総崩れとなった。

飛び交う怒号

「前に立つな! そこどいて!」

「何やってんだ! いいかげんにしろよ!」

 怒号が飛び交う。

 カメラマン達は、あれほど刑務官から「手を触れるな」と言われていたフェンスを次々と乗り越え、重信へと殺到した。いったん秩序が崩れると、カメラマンは私を含めて大変お行儀が悪い。

「キャー! やめて下さい。お願いですから、そこ、どいて!」

 とメイさんが叫んだ。それが混乱のファーストウエーブだった。

重信出所の現場で聞こえた罵声、悲鳴、懇願

 セカンドウエーブは近くの公園に設定された「記者会見場」で起こった。

 重信を乗せて車が到着するや否や混乱は始まった。罵声、悲鳴、懇願……。カメラマンたちは瞬時も見逃すまいと被写体に喰らいつく。警察官たちがそれを押し留めようとすると、どこかからか汚い言葉が飛んで来た。

「テメーたちが押してんじゃねぇーか!」

 びっくりマークの付く言葉がそこらじゅうから上がった。これが元日本赤軍のトップリーダーが20年ぶりに味わった“娑婆の空気”だった。

学生運動の闘士から国際的テロリストに

 私が重信房子を初めて見たのは1970年の5月だったと記憶している。場所は、明治大学和泉校舎だった。

 その日、和泉校舎キャンパスでは学生集会が開かれていた。

 その頃、明治大学は私の属していた青ヘルメットがシンボルカラーの“反帝学評”の拠点校の一つだった。そこで赤ヘルメットの赤軍派が集会をやっているという話を聞き、様子を見にいった。いや、もっとはっきり言えば、襲撃のための偵察だった。労働者のことを顧みず、「革命には軍事が必要」などと主張する彼らは、ほとんどのセクトから敵対視されていた。そこでわれわれのグループは、赤軍派を和泉校舎から駆逐すべく、別大学のキャンパスに500人ほどの学生を待機させていた。私ともう一人の仲間は、明大の学生のふりをして赤軍派の集会に偵察に出かけたのだ。

 集会は赤ヘルメットを被った学生が100人くらい集まり集会を開いていた。その中心に重信房子がいた。彼女の流れるようなロングヘアーと、今の言葉で言うところのクールビューティーな姿はひと際、目立っていた。

「重信と6時間討論すれば、完全にオルグされてアカグン(赤軍)に入るぜ」

 と、私の仲間は彼女を見ながら言った。

 その日は結局、和泉校舎前に警察の機動隊が出張ってきたため、われわれの襲撃計画は未遂に終わることになった。

その後、彼女は中東のレバノンに渡り日本赤軍を結成した。イスラエルのテルアビブ空港で3人の日本赤軍コマンドによる自動小銃や手榴弾を使った乱射事件が起こったのはその直後だった。実行犯の2人はその場で自爆し、一人生き残った岡本公三は捕らえられた。

 そのストーリーを描いたのは重信房子とパレスチナゲリラの「パレスチナ解放人民戦線」(PFLP)だった。

 そしてこの事件で日本赤軍の存在は超過激派組織として世界中に知る渡ることになる。その後も、日本赤軍は世界各地でハイジャックや外国大使館占拠事件を起した。その指示も全てレバノンのベカー高原にいる重信から発せられたという。

 それから30年、パレスチナを巡る情勢も次第に変化した。重信も密かに日本に帰国していた。

 彼女が2000年11月に潜伏先の大阪で逮捕された時、やはりメディアは大騒ぎだった。大阪から東京へ新幹線で護送された重信を待ち受ける人々たちで、東京駅のホームや連絡通路は蜂の巣を突っついたような騒ぎだった。ホームを走り回るカメラマンや記者、数えきれない数の公安刑事や制服の警官たち。

 やがて、両手に手錠を掛けられ、腰縄を打たれた重信が女性刑事に挟まれて現れた。

 彼女所が私の前を通過する時、私は思わずこう声を掛けていた。

「重信さーん!」

 無意識に「さん付け」で呼んでいた。すると彼女はこちらに目を向け、ガッツポーズを寄こした。

「日本赤軍」とは何だったのか

 あれからさらに21年以上が過ぎた……。

 三度目に遭遇した重信房子は、がんを患っていた。私達の前で彼女は静かに謝罪と感謝の言葉を述べた。配られた彼女の手書きのプレスリリースにも、かつての自分の在り方への反省や謝罪と共に命を?いで出所出来た事への感謝が綴られていた。また、文の中で彼女はかっての「武装闘争路線」は間違っていたとはっきり表明している。だが、当時はそう考えなかったとも……。

出所した重信に対して、世論は概して冷たい。「テロリストをヒロイン扱いするな」「何人もの殺人に関与し、日本を破壊しようとした人間の病気を、なぜ日本の税金を使って治療してやる必要があったのか」などといった主張がネットには溢れている。

 そうした意見は至極もっともではある。ただ、そこになんとなく座り心地の悪さを感じてしまうのも、私の正直な感想だ。

 決して賛美するつもりはないが、ふと、かつての武装闘争で若い命を散らした者たちの事を想う。彼らは、結果的に社会に迷惑をかけることもあったかもしれないが、自らの信じる行動を貫こうとし、そして挫折した。テロは論外だが、若者の、少々向こう見ずな行動さえ許容しない空気が現代は蔓延していないだろうか。「義務を果たせ」「責任を取れ」「社会に迷惑をかけるな」。どれも間違っているわけではないが、あまりに若者を縛り付けすぎてはいないだろうか。

 いったい日本赤軍とは何だったのだろうか? 時代が作り出した鬼っ子だったのか? それともあだ花か? 「若者に蔓延したウイルスだ」という者もいる。

 そう決めつける事は容易だろう。しかし、半世紀前の若者たちの想いをそのひと言で、「兵どもが夢の跡」とばかりに、忘却の彼方へ押し流してもいいのだろうか?

 今回の重信出所に対してのマスコミの大騒ぎも、身勝手だが自分の信念に基づいて行動した人間に対する「妬み」が背景にあるように思う。

 若者に蔓延した「ウイルス」というひと言で忘却しようとする現代にも、また別の病が巣くっているのではないか。

「他人に迷惑をかけるな」

 と、皆は言う。確かにそれはそうだけど……。
参照元:希代のテロリスト重信房子、21年の獄中生活の末に見た「風景」
テロは論外だが、「若者の冒険」を過剰に否定する現代の風潮はいかがなものか
2022.5.31(火)橋本 昇 JBPRESS
テロリストの母は「他のやり方を考えれば…」と反省を口にしていた…娘が見た日本赤軍の女王「重信房子」の“素顔”
2014/7/31 12:00 産経新聞

 “テロリストの女王”と呼ばれた日本赤軍の元最高幹部、重信房子(68)とドイツ赤軍の指導者、ウルリケ・マインホフという2人の女性闘士の母としての姿を描いたドキュメンタリー映画「革命の子どもたち」が公開されている。映画は、2人にはそれぞれ娘がいるのだが、テロリストの娘と呼ばれ、ときには窮屈な思いも強いられてきた彼女たちの心情に迫った作品だ。現在、医療刑務所にいる重信は、娘の目にどう映っていたのか。重信の娘、重信メイ(41)が語った。(河居貴司)

対称的な2人の娘

 この作品の監督は、英ロンドンを拠点に活動するアイルランド人のドキュメンタリー映画作家、シェーン・オサリバン。政治史に焦点をあてた長編ドキュメンタリーの製作などを手がけてきた。

 作品は、メイと、ウルリケ・マインホフの娘、ベティーナ・ロールへのインタビューを中心に進むが、ベティーナが母親について、冷ややかな思いを吐露するのに対し、メイは母への肯定感が強いのが印象的だ。どちらもテロリストの娘なのだが、2人の間の差はいったい何なのか。メイはこう解説する。

 「ベティーナさんは、お母さんと交流できる時間が少なかった。もしベティーナさんに直接会う機会が持てたら、あなたのお母さんはあなたのことをきちんと考えていたのよ、と話したい」

 ドイツ赤軍は1970年に結成された組織で、72年の西独フランクフルトの米軍兵舎への爆弾テロなどを引き起こしたグループ。銀行強盗や、政府、経済人ら要人の殺害、ハイジャック事件など重大事件を次々と起こした。

 マインホフは逮捕され、76年に獄中で首つり自殺している。娘のベティーナは、母の死をラジオのニュースで知ったという。

反省の言葉も

 現在は中東を拠点にプロデューサー、ジャーナリストとして活動を続けているというメイに取材を行ったのは今年6月。まず尋ねたかったのは、母親に対する評価だ。

 母親が無差別テロを行った集団のリーダーと見られていることには、「一方的な見方しかされていない。なぜそういうことをしたのか。当時の時代背景などもあわせてみないとフェアじゃない」と語気を強めた。

 潜伏生活を送っていた母親とは幼い頃から一緒には暮らせなかったというが、一定期間ごとに、母子が向き合う時間も取れたそうだ。

 メイによると、重信は「なぜ自分たちのことをこんなに隠さなくてはならないのか」と聞く娘の疑問にも丁寧に答えていたという。また、重信が一連の事件を振り返り、「ほかのやり方があったら良かったし、手段を考える機会をもった方が良かった」と反省の言葉を口にしたこともあったという。

世界革命目指し中東へ

 重信は、1970年代、日本の新左翼グループの中でも、最も過激な集団といわれた「赤軍派」に所属していた。

 赤軍派は当時、世界革命を目指すため、世界各地に国際根拠地を建設する必要がある-との方針を掲げていた。これを受け、田宮高麿らは70年3月、よど号ハイジャック事件を起こし北朝鮮へ。一方、重信は71年2月にパレスチナに向けて出国した。

 国内では過激派として警察当局から徹底的にマークされていた重信だったが、メイによると、重信ら過激派グループが中東に入った当初は現地の日本人コミュニティとも親しくしていたといい、「日本大使館の外交官たちと一緒に野球大会をしたこともあった」という。

 ただ、重信たちが海外にあっても潜伏生活を送らざるをえなくなる事件が起きる。72年5月に起きたイスラエル・テルアビブの空港乱射事件だ。

 事件では、奥平剛士、安田安之、岡本公三の3人のメンバーが、ロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)の旅客ターミナルで銃を乱射するなどし、民間人ら100人以上が死傷する事態となった。奥平と安田は自殺、岡本は逮捕されたが、この事件をきっかけに、重信らは潜伏生活に入ることになったという。

メディア露出のための“軍事作戦”

 空港乱射事件は、日本赤軍が無差別テロ組織としてイメージされる原点となった事件でもある。だが、メイはこの事件についても「きちんと理解されていない」と主張する。

 「例えば、事件が発生したときはまだ日本赤軍が結成されていなかった」などと説明。「(日本赤軍が関連したといわれる事件のうち)この事件以降、人が亡くなった事件はない」とも強調した。

 日本赤軍が繰り返したハイジャックなどの“軍事作戦”については「当時は、ニュースに取り上げてもらうような事件を起こすことで、自分たちの訴えをアピールしようとしたという意味合いがある」と語る。

 メイは「今は、インターネットやSNSなどがある。だから、私は(日本赤軍とは)同じことはしない。ただ、当時は大手メディアしかニュースを発信できなかった。軍事作戦はメディアの注意をひくためのものでもあったのです」と話した。

28歳まで無国籍

 メイは、重信とパレスチナ人活動家の間に生まれ、幼少期をアラブ社会で過ごした。父親の素性が知られると、暗殺のターゲットにされる可能性があるとして、16歳まで父親が誰であるかは明かされず、28歳まで無国籍だったという。

 2001年3月に日本国籍を所得し、日本に入国。国内で予備校講師やキャスターを務めるなどしていたが、現在はレバノン・ベイルートに拠点を移し、中東の衛星テレビ局のプロデューサーなどとして活動している。

 幼少期は、自分の素性を隠しての生活だった。学校にも実名ではなく、国からもらった“仮身分”で通学したり、危険を感じるたびに転校を繰り返したりするなど、テロリストの娘として、かなり窮屈な思いもしたという。

 それでも、思春期にも「反抗期はなかった」という。メイは「今になって思うと、それどころじゃなかったんでしょうね。そんなことをしていたら、誰かを危険にさらすかもしれないと思っていましたから」と振り返った。(敬称・呼称略)
参照元:テロリストの母は「他のやり方を考えれば…」と反省を口にしていた…娘が見た日本赤軍の女王「重信房子」の“素顔”
2014/7/31 12:00 産経新聞

スポンサーリンク


スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 今度の6月29日の新月はアールドラですね…

    アールドラには、悲しみや不幸を経験することで心の浄化を得る…そういう意味があるようですけど…

コメントする

CAPTCHA