村田兆治、火災で死去 -マサカリ投法の名手の死-



村田兆治と言えば、マサカリ投法と呼ばれる独得の投球フォームで有名で、また肘の故障に悩まされながら、渡米して手術をした後、投手として復活した努力と信念の人としても有名である。


小学5年生向けの道徳の教材で「逆境を克服した生き方」の教材として、村田が右肘手術から復活した時の様子が取り上げられたというが、逆境と粘り強く戦い、克服した人生が、自己啓発的な意味で、手本とされることが多い。


その村田兆治が、自宅の火災で死亡したのは、今年の9月下旬に羽田空港で女性検査員の肩を押すなどして暴行容疑で逮捕された矢先の出来事であった。


明らかに村田兆治に異変が起こっていたことは明らかだった。



村田兆治さんが火災で死去 9月暴行容疑で逮捕、沢村賞の選考委員会を辞退/最近の出来事
2022年11月11日11時25分 日刊スポーツ

マサカリ投法で知られる、プロ野球元ロッテ投手として活躍した村田兆治さん(72)が11日午前5時57分に亡くなった。警視庁によると、東京都世田谷区の住宅火災で搬送され、この家に住む村田さんと確認された。

東京消防庁によると、11日午前3時15分ごろ、東京都世田谷区の成城で2階建ての住宅から出火し、2階部分の約40平方メートルが燃えた。住宅には村田さんが住んでいた。意識不明の状態で病院に搬送されたが、午前5時57分死亡が確認された。

プロ通算215勝177敗33セーブで最多勝1回など、数々の功績を残してきた村田さんは引退後、野球評論家としても活動。さまざまな社会貢献にも寄与してきた。2008年(平20)から、村田さんが提唱して全国離島交流中学生野球大会を開催し、今年も8月に新潟県佐渡市で大会を実施。名誉会長として同大会に参加していた。

この夏の大会では、中学生たちを相手に野球教室を行い、参加した約200人の中学生の頭上を越える遠投キャッチボールを披露。キャッチボールでは、直球だけではなく、代名詞でもあった伝家の宝刀フォークも繰り出して会場をわかせていた。

一方で9月下旬に羽田空港で女性検査員の肩を押したとする暴行容疑で現行犯逮捕、送検されていた。同25日に釈放された際には「暴力だと言われた女性の腕を押したということでの逮捕。もう1度、彼女に誠心誠意謝りたい。それが第一」と語り謝罪。「たくさんのファンの方々、子どもたちに、イベントなどで、夢を持って希望を持って頑張れと言っていることに関して、今回の私の逮捕は非常に遺憾だと思いますし、あらためて深くおわびしたい」と深く反省していた。

その後10月には沢村賞選考委員会があったが、本人の申し出により、今年から選考委員を辞退することを発表していた。


種々検討した所、村田兆冶のラグナは、おそらく蠍座である。


ナヴァムシャはまだ検討していないが、出生図を蠍座ラグナに設定すると、村田兆治の人生が説明できる。







空港で暴行容疑で逮捕された時も自宅が火事になって死亡した時も共にケートゥ/火星期であった。



マハダシャーのケートゥは11室に在住しているが、ディスポジターの水星は8、11室支配のマラカで、ラグナに在住し、1室の表示体である太陽とコンジャンクトしている。


アンタルダシャーロードの火星は、ラグナロードで暴力の6室を支配しており、10室で土星とコンジャンクトしている。


水瓶座の4室にアスペクトバックする3、4室支配の土星は、おそらく空港の検査システム全体を表わしていたと思われるが、火星と土星が敵対惑星同士で、10室で傷つけ合っている為、空港検査員のチェックに対して、火星が暴発して、反発するなどしたのである。


そして、これは10室で形成されている為、誰にも隠すことはできず、村田の逮捕劇は、全国放送され、国民全体が知る所となった。





自宅が火事になって死亡したのも同じ理由であるが、住まいを表わす4室と4室の支配星に6室支配の火星が絡んでいるからである。


火星は4室の支配星とコンジャンクトして、4室にアスペクトしており、自宅が火事になったのはこの為であるが、火星はラグナロードでもあり、3、4室支配の土星は、マラカである。


マハダシャーはケートゥであるが、アンタルダシャーの火星とは絡んでいない。


ケートゥから見て、火星は3、8室支配のマラカの火星で、5、6室支配の土星と12室でコンジャンクトしている。


火星は土星と共に月から見て、マラカの7室に在住している。



トランジットを見ると、ちょうど空港で逮捕された時は、木星が魚座で逆行し、土星が山羊座で逆行して、8室(行き詰まり、災難)にダブルトランジットが生じていた。


出生の木星に土星がトランジットし、また出生のラーフに木星がトランジットしていたことから、よくないトランジットであった。



月から見ると、木星は2、11室支配で12室で減衰しており、その木星に土星がトランジットして、2室にアスペクトし、2室に木星がトランジットしていた為、月から見たマラカの2室にダブルトランジットしていた。


11室の支配星が12室に在住し、そこに土星がトランジットしていた為、社会的な評価を失うタイミングである。



火事で死亡した時のダシャーは、おそらくケートゥ/火星/土星期である。


トランジットの土星(プラティアンタルダシャー)が2室にアスペクトしたり、2室の支配星とコンジャンクトしていた為、一酸化炭素中毒で死亡したのである。





1-10の星座交換


村田兆治のチャートを見る上でのポイントは、火星と太陽の星座交換である。



これが、どのハウス同士で形成されていたのかが重要である。



彼のように2005年に野球殿堂入りして、偉大な投手としての地位を築いた人物であれば、この火星と太陽の星座交換は、それなりに良いハウスで形成されているはずである。



またマサカリ投法を行い、非常に派手で目立ち存在感のあるプレイヤーで、プロ野球選手として、偉大な成績を治めたことを考えると、ラグナに10室支配の太陽が在住し、ラグナロードが10室に在住して、1-10の星座交換によるラージャヨーガを形成していたと考えると納得できる。


1室の支配星と10室の支配星の星座交換によるラージャヨーガは、ダシャーに関係なく生涯続く名声と地位をもたらす配置である。







実際、村田兆治は、無名時代から高く評価されており、プロになってからも高く評価され続けている。



甲子園には出場できなかったが、ドラフトで1位指名されて、東京オリオンズに入団したことがそれを物語っている。




3室で減衰する木星 -パラシャラの例外則によるラージャヨーガ的な効果-



因みに私は減衰する木星に注目したが、村田兆治のように一流のプレイヤーになるには減衰する木星が、ニーチャバンガやパラシャラの例外則などによって、逆に力を発揮しているケースが考えられる。


それで、同じ蠍座ラグナで、3室で木星が減衰するイチロー選手と同じ配置ではないかと考えた。







イチロー選手は、才能もあったが、猛烈な練習量をこなしたことで有名である。


3室はトレーニング、訓練のハウスであり、そこで減衰する木星は、激しいトレーニングの末に才能を開花させるという配置である。




wikipediaには、以下のように村田兆治が、猛烈な練習量をこなす選手であったことが示されている。



現役時代から凄まじいトレーニング量をこなすことで有名で、引退後も球速維持のために長く続けており、トレーニング量に関する逸話は非常に多い。現役最晩年、1年だけ同時期に所属していたことがある小宮山悟は、「一年間、一緒にやりましていろんなことを教わってね。物凄いトレーニングするんですよ、僕ら若手が走るのについていこうとしてもついていけないような…いやぁ、こんな人本当にいるんだなって、思いましたね」と、感想を述べている(2013年08月30日 千葉ロッテ対北海道日本ハムファイターズの始球式の時の実況より)。

(wikipedia 村田兆治より引用抜粋)


これには伏線があり、1年目の村田兆治は、あまり練習に熱心ではなかったようである。wikipediaには以下のように記されている。



1年目の1968年は振るわなかった。当時はドラフト1位の契約金を持て余し、パチンコや麻雀など遊びに明け暮れていた。そのようなある日、徹夜の麻雀を終えて独身寮に朝帰りして来た時、日課のロードワークに出発しようとしていた小山正明と鉢合わせになる。その時既にベテランだった小山が、若手の自分よりも遥かに厳しい練習を自分に課していることに衝撃を受け、そのまま逃げるように自分の部屋に帰ってしまった。その後、練習中に小山に謝りに行ったところ、「お前ほどの才能がありながら、それを無駄にするのはさびしくないか」と諭された。球界を代表する大投手からの叱咤激励に感激した村田は、以降別人のように練習に打ち込むようになったという。

村田の若手時代のロッテには小山以外にも成田文男、木樽正明、坂井勝二、金田留広と名投手がおり、村田は彼らから投球術を学んでいった。また、73年から監督に就任した金田正一からコンディショニング方法を学んだ。打撃の練習に対して非常に厳しい姿勢を見せていた榎本喜八にも、プロ野球選手として影響を受けた。

(wikipedia 村田兆治より引用抜粋)


1968年は、マハダシャー木星期に入った直後であり、木星期に入ってから猛烈な練習量をこなすようになったきっかけが上記のエピソードであったと考えられる。



村田兆治は、3室で減衰するマハダシャー木星期に猛烈に練習し、名投手たちに教えを請い、投球術を学んでいったという。








そして、早くも1971年に後に監督となる金田正一のアドバイスを元に、投球フォームを大幅に改造し、村田兆治の代名詞となる「マサカリ投法」の原型を編み出したという。


つまり、イチローの振り子打法と同じように村田兆治のマサカリ投法も激しい努力と練習の末に編み出されたのである。









1976年には、この頃は、木星/金星期であるが、村田兆治が得意とするフォークボールを習得している。



このフォークボールの習得に関しても以下のように激しい努力を行っていたことが分かる。



入団当時のオリオンズ監督だった濃人渉は、同じ広島県出身の村田を大変可愛がったが、速球の威力が落ちることを恐れ、フォークボールの練習だけは禁止していた。しかし村田は、濃人監督の目を盗んではフォークボールの練習を続けていた。たまたまその様子を濃人監督に見つかったこともあったが、「今投げたのは何だ?」と聞かれると「カーブです」ととぼけていたという。その頃の村田のフォークボールはコントロールが悪く、使いものにならなかった。そこで、当時のフォークの名手・村山実に教えを請うたところ、「24時間ボールを握る」というアドバイスをされ、実践した。指にボールを挟んだまま縄でくくりつけて眠ることで、フォークの握りを体に覚えさせようとしたのである。しかし、あまりの激痛に就寝どころではなくなり、結局一度試しただけで二度とやらなかったという。
また、フォークボールの握りを深くしようとするあまり、人差し指と中指の間にナイフで切り込みを入れたこともある。習得後も、右手の中指と人差し指の間に牛乳瓶や特注の鉄の球を挟んだり、ドアを開けるときもノブを中指と人差し指で挟んで開けるなど、日々のトレーニングを欠かさなかった。夫人によれば、村田が中指と人差し指でビール瓶をはさむと、夫人が引っ張っても抜けないという。

(wikipedia 村田兆治より引用抜粋)



肘の故障 -マハダシャー土星期へのダシャーチッドラにて-


このように木星期には激しい努力によって、良い成績を収めたが、木星期の終わり頃、木星/ラーフ期になった1982年に肘を故障してしまう。


この頃は、マハダシャー木星期の最後のアンタルダシャーであり、次の土星期の象意が始まっていたタイミングである。



土星は、3、4室支配で、10室に在住し、1、6室支配の火星とコンジャンクトしている。


従って、村田兆治のプレイヤーとしての勢いを制限し、怪我などに悩ませることとなった。



土星は3室を支配しているが、腕や肘や肩は、3室の象意であり、その3室支配の土星に6室支配の火星がコンジャンクトしている為、ここで肘の故障が生じたのである。







村田兆治は、「様々な治療法に取り組む傍ら、宮本武蔵の「五輪書」を愛読し和歌山県白浜町のお水場・十九渕で座禅を組み、深夜白衣を纏い滝に打たれるといった荒行も行った」(wikipedia)という。非常に怪我の治療においても努力家であることが分かる。

然し、1983年以降も肘が改善しなかった為、渡米して、スポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブの執刀の下、左腕の腱を右肘に移植する手術(トミー・ジョン手術)を受けたという。


1983年は、マハダシャー木星期の最後のアンタルダシャーである木星/ラーフ期である。



木星は5室支配の機能的吉星で、3室(肘、腕、肩)に在住している為、この木星の恩恵で、肘の手術が受けられたことを表わしている。



ラーフはディスポジターが木星である為、この時に現れたのは、明らかに木星の恩恵である。





そして、以後2年間をリハビリ期間に費やし、1985年に復活して、開幕から11連勝して、見事復活を果たしている。



1985年以降は、マハダシャー土星期である。



土星は10室に在住して、村田兆治のパフォーマンスを低下させるかもしれないが、4室の支配星であり、ラグナロードの火星とコンジャンクトし、また9室支配の月と相互アスペクトすることによって、4-9、1-4のラージャヨーガを10室で形成している。



また土星は月ラグナから見ても、ラグナロードで、10室支配の火星とコンジャンクトして、1-10のラージャヨーガを形成している。



従って、土星期にも復活して、活躍出来たのはそのためだと思われる。



然し、村田兆治は、中6日で日曜日のみに登板する先発ローテーションを取るようになり、やはり肘の負担を減らす為に中6日を取って、十分に休養できるような体制になっている。


従って、激しい練習や努力を繰り返したマハダシャー木星期とは違った環境になっていることはよく分かる。





引退


村田兆治は、1990年10月13日、土星/ケートゥ期に現役引退している。


つまり、復活して活躍したのは、土星/土星⇒水星⇒ケートゥ期の約5年間であった。


その後、引退後は、NHK解説者、日刊スポーツ評論家として活動し、また時々、出版したり、テレビに出演するなどして芸能活動も行っている。



これは、土星が、3室(芸能)支配で、10室(仕事)に在住して、3-10の絡みが形成されているからである。



野球選手は、芸能人の一種であり、やはり3-10の絡みが顕著に確認できる。







また芸能に関係する場合、ラグナロードと3室の絡みも確認できる。



そうした観点から、村田兆治は、ラグナロードの火星が3室の支配星と共に10室に在住していたり、月ラグナから見てもラグナロードの土星が、3室や10室の支配星とコンジャンクトする蠍座ラグナで正しいと思われた。



また現役時代の一番、良い時代をマハダシャー木星期で過ごしているが、木星はスポーツ、芸能の3室に在住している。



上述したように激しい練習やトレーニングによって、才能を開花させ、良い成績を収めたのである。





2005年の野球殿堂入り


村田兆治は、2003年3月からマハダシャー水星期に移行している。



そして、2005年の水星/水星期に野球殿堂入りしている。







水星は、8、11室の支配星であり、11室の支配星であることから、高い評価、称号を得たのである。



村田兆治が、蠍座ラグナで正しいと確信したのは、それ以外に受賞したり、称号を得たりしたタイミングの全てで、11室へのダブルトランジットが確認出来たからである。


村田兆治の人生で得たタイトルや表彰の全ては、11室にダブルトランジットが成立している時に得られている。





タイトル

最多勝利:1回 (1981年)
最優秀防御率:3回 (1975年、1976年、1989年)※2年連続は稲尾和久に次ぐパ・リーグ2位タイ
最多奪三振(当時連盟表彰なし):4回 (1976年、1977年、1979年、1981年) ※パシフィック・リーグでは、1989年より表彰
最多セーブ投手:1回 (1975年)

表彰

ベストナイン:1回 (1981年)
野球殿堂競技者表彰(2005年)
月間MVP:1回 (1981年4月)
カムバック賞 (1985年)
日本シリーズ最優秀投手賞:1回 (1974年)
オールスターゲームMVP:1回 (1989年 第1戦)
前後期MVP:2回 (1977年後期、1981年前期)
パ・リーグプレーオフMVP:1回 (1974年)
パ・リーグプレーオフ敢闘賞:1回 (1981年)
新語・流行語大賞 特別部門人語一体・語録賞 (1990年、「昭和生まれの明治男」、妻と共同で受賞)
都民文化栄誉賞(1990年)
ベスト・ファーザー イエローリボン賞 (1994年)

(wikipedia 村田兆治より引用抜粋)



これについては一つ一つのケースについての検証は省略するが、1974年、1975年、1976年、1977年、1979年、1981年、1985年、1989年、1990年、1994年、2005年など、全て11室にダブルトランジットが生じている。






その他のエピソード


村田兆治が、肘を故障した時、妻である淑子夫人が渡米する時には付き添い、通訳を務めたそうである。



村田の右肘痛の原因を突き止めるため、村田と共に全国にある名医と呼ばれる病院を探しては駆け巡り、村田を励まし続けたという。



その模様が、1986年にテレビ朝日系列の月曜ワイド劇場で「サンデー兆治の妻」としてドラマ化され、放映されたという。



淑子夫人は、元航空会社のグラウンドホステスで、短大の英文科出身で語学学校にも通い英語が堪能だったというが、蠍座ラグナの場合、7室を夫人のラグナとすると、5室にケートゥが在住し、夫人の語学の才能を表わしている。







7室支配の金星が射手座に在住しており、夫人は射手座の金星が象徴する女性で、活動的で華があるやり手の女性といったイメージである。



また1986年に夫人の献身ぶりがテレビドラマ化されて放映された時、村田兆治のダシャーは、土星/土星期であった。



7室の牡牛座を夫人のラグナとすると、土星は9、10室支配のヨーガカラカで、10室にアスペクトバックしているが、7室支配の火星とコンジャンクトしており、村田兆治を献身的に支えて、専業主婦として家庭内の仕事をする様が確認できる。



また3室支配の月が10室に在住する配置は、メディアを通して人気者になる配置だが、そこに9、10室支配のヨーガカラカの土星がアスペクトして、この土星期へのタイミングで、夫人の活動が有名になることを示している。




因みに村田兆治には、弟がいるが、その弟は、19歳までのラーフ期の間に生まれているはずである。



ラーフのディスポジターは木星だが、木星は3室(弟)に在住している。








晩年の村田兆治



因みに晩年の村田兆治には、夫人の気配がなく、火災で死亡した時も広い大邸宅に一人で住んでいたという。



9月に空港での逮捕事件を起こしてからは、ひっそりと自宅で陰を潜めていたようである。



夫人とは別居していたのではないかとささやかれているが、おそらく、マハダシャー土星期において、村田兆治に付き添い、献身的にサポートした夫人は、土星期に疲れ切ったのではないかと思われる。



土星は7室にアスペクトしており、パートナー関係に過度の負荷をかける配置である。



そして、2003年3月にマハダシャー水星期に移行すると、水星は8室(結婚生活)の支配星だが、ラグナで太陽とコンバストし、6室支配の火星からアスペクトされている。



また水星は、月から見ると、8室の支配星で、再び、太陽からコンバストを受け、火星からアスペクトされている。



おそらく水星期になって結婚生活が破綻し、夫人が家を出て、別居がスタートしたのではないかと考えられる。







村田兆治が、亭主関白で、夫人に対して横暴であったことは有名で、新人の頃、淑子夫人は、体調管理のために夕食は毎日15品以上を用意し、夫が「みかん」と言えば、皮や筋をすべて取って渡していたという。


また結婚当初、妻の作った夕食が気に入らず、ちゃぶ台をひっくり返したといったエピソードもあったという。


月から7室に火星と土星が在住しているが、7室の火星は妻虐待の配置であり、また土星はラグナから見て、7室にアスペクトしている。


おそらく淑子夫人は、土星期に夫・村田兆治に献身の限りを尽くし、水星期に移行したタイミングで出て行ったのである。



村田兆治が現役引退した為、役割が無くなり、一緒に生活する意味がなくなったとも言える。




村田兆治は、現役時代も人と群れることはなく、いつも一匹狼であったというが、それはおそらくケートゥが11室(友人知人)に在住しているからである。



水星期が終わり、ケートゥ期が始まって、村田兆治の人生は、ますます孤独感が募っていたが、ケートゥのディスポジターは水星である為、基本的には水星期の象意を引き継いでいく時期である。



水星は8、11室支配である為、野球殿堂入りし、社会的に高い称号を得ている状態であったが、知性の表示体である水星が8、11室の支配星である為、識別力を欠いた行動につながったと思われる。


そして、その水星はマラカであり、ラグナに在住し、1室の表示体である太陽ともコンジャンクトし、6室支配の火星のアスペクトも受けていた為、健康状態も悪化していたと考えられる。


すなわち、知性の健康状態などにも暴力的な6室支配の火星の影響が及んでいたことが考えられる。



これは同じく蠍座ラグナであるプーチンが、8、11室支配の水星期になった途端に戦争を始めたことからよく理解できる。



村田兆治が、9月下旬に空港で現行犯逮捕され、そして、今回、自宅の火災で死亡した事件は、偉大な野球人の悲しい最期であった。




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