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フランクリン・ルーズベルトと共産主義 ―日本はコミンテルンに敗北した-

2023 7/19



現在、土星が水瓶座を通過しているが、土星は星座を出ていく最後のタイミングで最大の力を発揮する。


土星は、今年2023年1月18日前後から水瓶座に移動したばかりで、水瓶座の12°付近で、逆行しており、まだ水瓶座で本当の力を発揮していない。


来年の各国の新月図では、土星と火星が水瓶座に在住している為、水瓶座の組織化する力が、人類社会に大きな影響力を発揮する。


それは吉と出るか凶と出るか、これは非常に予断を許さない状況となっている。


現在、ウクライナ戦争が戦われており、これはNATOとロシアの代理戦争であると言われている。


実際、第三次世界大戦と言ってもいいのである。


形の上では、ウクライナとロシアの戦争ということになっているが、明らかにNATOとロシア、アメリカとロシアの戦争である。


この戦争が終結する時に新しい世界秩序が構築される。


最近、フランスで、フランスのパリ郊外で17歳の少年が警察官に銃で撃たれて死亡した事件をきっかけにフランス全土に暴動が拡大するが、フランス諜報機関の識者によれば、フランス革命と同じぐらいの規模らしいのである。


つまり、革命がいつ起こってもおかしくない状況にある。


以前から書いているが、水瓶座は共産主義の星座であり、共産主義という形を取らなくても、平等でリベラルな政治姿勢を示す星座である。


自由と平等(正義)を追求する政治思想は、リベラル左翼という言葉で呼ばれたりもする。


但し、リベラルという言葉自体は、「自由主義」という意味であり、資本主義の中で、利益を極大化しようとする人々もリベラルということになってしまう。


リベラルは、本当は、非常に広い概念であり、個人の自由や民主主義や社会的な連帯や平等を推進するという意味もあれば、平等という思想が抜け落ちていて、自由に商売し、利潤を追求できる資本主義的を礼賛する思想もリベラルと呼ばれたりする。


然し、通常、よく使用されているリベラルの意味は、個人の自由と平等(正義)、民主主義、人々の連帯や協力などの価値を強調したものである。


共産主義や社会主義、リベラル左翼的スタンスは、全て、水瓶座の表現である。



先日、2023/7/12付けの記事『小野龍光 -年商100億円超えの実業家から出家へ』の中でもリベラル左翼的な政治スタンスを持ち、平等に強い関心を持つ人々は、必ず水瓶座に惑星が在住しており、水瓶座が強調されていることについて言及した。


それは、アメリカにおけるリベラル思想の元祖である『正義論』のジョン・ロールズ、マルクス主義研究家で環境問題について言及し、資本主義や市場原理を凶弾する斎藤幸平、そして、消費税の廃止を訴えて、社会的弱者への再分配を主張する山本太郎、そして、インドで不可触選民たちへの差別を解消する為にこれらの人々のヒンドゥー教から仏教への改宗を推進してきた佐々井秀嶺氏など、様々な人々の事例で、検証した。


そして、そこにもう一人挙げたいのである。






第二次世界大戦で、日本との戦争において重要な役割を果たしたフランクリン・ルーズベルトである。





チャートを作成すると、ラグナロードで、10室支配の水星が6室水瓶座に在住しており、明らかに水瓶座に関係する人物である。



因みに最近、米保守派の最新歴史研究として、日本はアメリカのルーズベルト政権内のコミンテルンのスパイによって、日米開戦に導かれたとする研究成果が出ている。


例えば、『日本は誰と戦ったのか コミンテルンの秘密工作を追及するアメリカ (ワニの本)』といった本など、様々な本でもそのことが紹介されている。







アメリカ合衆国陸軍情報部と、イギリス政府暗号学校が協力して行った極秘暗号電文解読プロジェクトによって、ソ連と米国内のソ連スパイとの間で交わされた暗号電文が解読され、それらはヴェノナ文書と呼ばれるが、フランクリンルーズベルトの政権内に数百人単位のソ連のスパイが存在していたことが分かっている。


ベノナ

(略)1930年代から第二次大戦後の1940年代末までに米国国内の政府機関、諜報機関、軍関係、民間組織などに数百人単位のソ連のスパイ、スパイグループ及びスパイネットワークが存在し、当時の米国政府の政策や意思決定をソ連有利に歪め、世論などがこれらの様々な工作活動によって多大な影響を受けていた間接侵略(シャープパワー)の可能性があることが明らかになった。

(wikipedia ベノナより引用抜粋)

例えば、アメリカが日本に最後通牒を突き付けて、日本が真珠湾侵攻に踏み切るきっかけを作ったハル・ノートの原案を作成した人々に、当時、フランクリン・ルーズベルトの下で、財務長官であったハリー・デクスター・ホワイトなど、後にソ連のスパイと判明した人物が含まれていた。




ハリー・デクスター・ホワイト



民主党のフランクリン・ルーズヴェルトは、1933年に大統領に就任すると、11月には、共和党の反対を押し切って、真っ先にソ連承認を実施し、容共的な姿勢をとっている。



フランクリン・ルーズベルトは、、1933年3月4日 ~ 1945年4月12日まで、アメリカ史上で唯一4選し、長期に渡って、大統領を務めている。



この間、ルーズベルト政権内に存在したソビエト連邦のスパイたちが、対日戦略を練っていたのであり、その基本戦略は、ソビエト連邦が有利になるように米国と日本を開戦させるというものだった。



日本は、コミンテルン(共産主義インターナショナル)の掌の上で、踊らされていたのである。



つまり、ラグナロードで、10室支配の水星(知性の表示体)が水瓶座に在住する配置は、ルーズベルト自身が、共産主義に対して親近感を持つこと、その為、ソビエト連邦に対して、容共的で、世界秩序の為に戦う同志のように見なしていたことを示している。



そして、ルーズベルトの職場(政権内)には、水瓶座が表わす共産主義的な思想や理想を保持する人々(スパイたち)で溢れていたことを示している。





-日米開戦は、蟹座(民族主義、国家主義)と水瓶座(共産主義)との戦いだった-


因みに当時の日本は、大日本帝国憲法公布時(1889年2月11日)の建国図であり、以下のように魚座ラグナのチャートとなる。





これを見ると、1924年9月から蟹座に在住するマハダシャー土星期に移行しており、この頃から、民族主義、国家主義、軍部主導の軍国主義が台頭したことが分かる。



1936年2月26日に陸軍青年将校が蜂起して、政府要人を襲撃する2.26事件が起こっていることからそれが分かる。



この事件をきっかけに日本が本格的に軍国主義に入っていったと言われている為、これは蟹座の土星の象意に一致している。



そして、この蟹座の土星に対して、強いのが、蟹座から8室目に在住する水瓶座である。





水瓶座は上述したようにルーズベルトのチャートのラグナロードで、10室支配の水星が水瓶座に在住していることが象徴するようにルーズベルト政権内のコミンテルンのスパイを表している。


 
そのコミンテルンの世界戦略の中で、日本は踊らされ、日米開戦に誘導されたのである。




そして、蟹座は水瓶座に勝てず、操られるため、まんまと、日本はコミンテルンの策略に引っ掛かり、勝ち目のない日米開戦に突入していくのである。






そして、1943年9月になると、日本の建国図では、マハダシャー水星期に入っていくが、水星は、4、7室支配で、6室支配の太陽と共に12室水瓶座に在住している為、こうした水瓶座のコミンテルンの勢力によって、領土を損失し、敗戦に導かれたのである。




従って、このルーズベルトの1、10室支配の水星が水瓶座に在住する配置からは、日本の軍国主義(蟹座)が、フランクリン・ルーズベルト政権内の共産主義(水瓶座)に敗北したことを意味している。






ロシア連邦は2024年2月移行どうなるか -マハダシャー木星期に移行した後のロシアの価値観-



プーチンのロシアが、もし米国のバイデンの罠にはまったのであれば、ウクライナ戦争というのは、第二次世界大戦における枢軸国と連合国の戦いに似ている。




枢軸国側が、ソ連、中国、イラン(あるいは北朝鮮)であり、連合国側が、米国を中心とするNATO諸国、ウクライナ、そして日本である。




今回は、日本は、連合国側に入っている。




ここで注目すべきは、大日本帝国建国発布時の日本の建国図では、敗戦に近い1943年9月から水瓶座に在住する水星期に入り、実質的に日本の軍国主義が瓦解し、連合国側の管理下に入ったことを物語っている。



この後、日本はアメリカの占領下に置かれ、蟹座、蠍座、魚座など水の星座の価値観を体現する国粋主義者、軍国主義者は徹底的に公職から追放される。




そして、日本は米国の占領下で、大日本帝国憲法を日本国憲法に書き換えられ、そこには、男女平等や財閥の解体など、水瓶座-双子座-天秤座の風の星座の価値観が取り入れられたのである。







そして、ロシア連邦のチャートを見ると、2024年2月13日からマハダシャー木星期に移行するのだが、ちょうど大日本帝国建国発布時の日本の建国図で、蟹座の土星期から、水瓶座の水星期に移行したのと同じようにロシア連邦のチャートでは、山羊座のラーフ期から、双子座の木星期に移行するのである。



ラーフは山羊座5室に在住し、ディスポジターの土星は6室の支配星で11室支配の月とコンジャンクトし、ラーフ/ケートゥ軸によって傷つけられており、近隣諸国との国境紛争などを表している。



しかし、双子座に在住する木星期は、ロシア自体が、すっかり双子座の価値観を持った国に生まれ変わっているように見えるのである。



ラーフ期から木星期への移行には、ディスポジターによるつながりが全くなく、断絶が存在し、全く新しい国に生まれ変わるような印象がある。




最近、ウクライナ戦争の真っ只中にあるロシアでは、性転換手術を禁止する法案が提出されている。


昨年(2022年)は、LGBTら性的少数者に関する情報の拡散や宣伝、示威行為などを禁止・制限する法案が議会を通過している。



ロシアで性転換手術禁止の動きか、新法案提出=タス通信
2023年5月31日 15:02 ロイター

[30日 ロイター] – ロシアで、医師による性転換手術を禁止する内容の新たな法案が提出された。タス通信が法案のコピーを引用して伝えた。

法案は、医療従事者が個人の性別変更を目的とする医療介入を行うことを禁止する内容。

ただ、先天異常の子どもに対する治療は例外で、連邦公衆衛生当局で承認された場合のみ許可されるという。

プーチン政権下では、欧米が推進していると議員らが主張する「非伝統的な」生活様式に対する非難・弾圧が強まっている。

昨年には、LGBTら性的少数者などに関する情報の拡散や宣伝、示威行為などを禁止・制限する法案が議会を通過。LGBTらを事実上、公的な場とメディアから追放する内容だと批判が出ている。


こうした動きから分かることは、ロシアが水瓶座-双子座-天秤座の風のグループの価値観に反発し、拒絶していることを示している。


同性愛、LGBT、性転換手術に反対するのが、魚座-蟹座-蠍座の水の星座のグループである。



こうしたロシアの国内政治の状況を考えると、2024年2月13日からマハダシャー木星期に移行するということが、極めて不自然なのである。


何故かと言えば、双子座は、同性愛、LGBT、性転換手術などを体現する星座で、こうした価値観を推進する星座だからである。



こうしたことから考えると、現在のプーチン政権が、終了することを表しているようにしか思えないのである。


プーチン政権は、西側の自由主義的な価値観を拒絶し、民族宗教であるロシア正教に基づいて、民主主義ではなく、皇帝が人民を統治する優しい全体主義を目指しているからである。


プーチンは、自らをツァーリになぞらえて、封建的、伝統的な価値観を守っていきたいのである。







しかし、双子座に在住する木星は、全くそうした伝統的価値を表しているようには見えず、民主主義や自由主義、個人主義など、西側諸国の価値観、科学技術を推進した西欧近代社会の価値観を体現している。


プーチン政権が存続する場合、このような変化が起こるのは不可能である。



因みに現在、ロシア連邦の建国図では、ラーフ/火星期であり、マハダシャーラーフ期の最後のアンタルダシャーに入っている。



このロシア連邦の建国図は、マハダシャー火星期から始まるが、火星期は、ソ連崩壊後の不安定さの中で、国内が分裂し、内戦が起こっていた。



最近、プリゴジンによるモスクワへの進撃が始まるかに思われたが、それは途中で中止された。



しかし、それはプーチン政権を弱体化させ、プリゴジンの乱は、まだ終わってはいない。



ロシアは今は、アンタルダシャーロードの火星が物語るように内戦に突入していると言えるのである。



そして、ラーフ期は、次の木星期へつながっていくディスポジターのつながりが全くなく、これは、ロシアに何かが起こって、全く連続性のない新しい状況が生まれることを物語っている。




(参考資料)

「疑似共産主義政権」だった? ルーズベルト政権の驚くべき実態
2022年02月21日 WEB Voice 渡辺惣樹(日米近現代史研究家)

ルーズベルト大統領の周囲には、共産主義者たちが幅を利かせ、政権を操っていた形跡がある。信じがたいことに、容共思想家やソビエトスパイが大統領の側近として、その重要な「政治的決定」をリードしていた可能性が指摘される。

※本稿は、渡辺惣樹著『第二次世界大戦とは何だったのか戦争指導者たちの謀略と工作』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。

ソビエトを直ちに国家承認

本稿では1933年に発足したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)政権が、実質共産主義者に乗っ取られていた「疑似共産主義政権」であったのではないかと疑わせる事象を扱う。

米国民は、第一次世界大戦に参戦を決めたウッドロー・ウィルソン(民主党)の外交に幻滅していた。パリ講和会議を経て成立したベルサイユ体制はすわりが悪く、戦勝国であった英仏は、ベルサイユ条約(対独)およびサンジェルマン条約(対墺)で成立した小国の強欲を抑制することに汲々とした。

戦勝国は大国小国を問わず、ドイツに対する不正義(約束に反した懲罰的条約:ベルサイユ条約の規定する諸条件)を何とか正当化しようと試みた。しかし、結局はそれに失敗した(ベルサイユ体制の崩壊現象が第二次世界大戦である)。このことを理解しなければ、ドイツ国民がなぜヒトラー政権を誕生させたか理解できない。

第一次世界大戦では、米国も参戦し、多くの若者を犠牲にした。しかしヨーロッパ大陸に安定は訪れなかった。

米国民は建国の父たちの遺訓(ヨーロッパ問題非介入)の正しさに、「ひどい火傷」を負って初めて気づいたのである。米国民は、ウッドロー・ウィルソン政権以降、干渉主義政党である民主党にけっして政権をとらせなかった。民主党が、1932年の選挙でハーバート・フーバー政権を倒せたのは、1929年秋から始まった世界恐慌を奇貨としたからであった。

歴代の共和党政権は、1917年の十月革命(グレゴリオ暦11月)を機に成立したソビエトをけっして国家承認しなかった。しかし、ルーズベルト政権は政権1年目(1933年)に、直ちにソビエトを正式承認した。承認の条件は、けっして内政干渉しない(世界革命思想による政治工作をしない)ことであったが、ソビエトがそれを守るはずもなかった。

米国内に跋扈(ばっこ)する共産主義者グループ、労働組合、左翼思想家など、「第五列」を利用した工作を開始した。スターリンは留学生を装ったスパイを全米の大学に送り込み、米国の最先端技術を盗ませた。

ニューディール政策はただの「バラマキ」

1933年、大統領となったFDRはニューディール政策と呼ばれる社会主義的統制経済を始めた。筆者の世代(60代後半)だけでなく、その前の団塊世代も、「ニューディールは、世界恐慌からの脱出をめざした進歩主義的政策」と賛辞した教科書を読んだ。政策の目玉の一つにテネシー川流域開発公社(TVA)の設立があった。試験にもよく出題された。

一方で、原爆開発プロジェクトによるウラニウム濃縮施設がテネシー州オークリッジに建設されたことや、濃縮にはTVAからふんだんに供給される電力が使われたことを知るものは少ない。日本に落とされた原爆の原料がTVAの電気を利用したテネシー産であったことを教える歴史教師はどこにもいなかった。

ニューディール政策の中核組織に全国復興庁(NRA)があった。NRAは、すべての消費財をコード化し、価格や生産量を決定した。資本主義制度の根幹を否定する、ソビエトも驚く政策を次々と実施した。米最高裁がNRAを違憲組織と判断したのも当然だった(1935年)。

ニューディール政策は、国家予算の「バラマキ」で、資金の出る蛇口に近い組織や人物を喜ばせた。しかし、経済成長を生むインフラ整備には役に立たず、失業者は一向に減らなかった。米経済の回復は、ヨーロッパの戦端が開き、英仏に軍需品供給を始めた1939年9月以降のことである。

大きな政府は必ず全体主義化する「癖」がある。大きな政府は大量の役人を必要とする。その結果、FDR政権での政府機関職員採用時のバックグラウンドチェックは甘くなった。米共産党員でさえも防諜の要となるOSS(戦略情報局)に採用された。たとえば、レオナルド・ミンスは米共産党員でありながら、OSSの天然資源情報担当官となった。

政権中枢では、容共思想のハリー・ホプキンスが大統領側近として米外交をリードした。財務長官ヘンリー・モーゲンソーは、FDRの親友の立場を利用して国務長官コーデル・ハルを差し置いて外交問題に口を挟んだ。モーゲンソーの右腕がソビエトスパイであるハリー・デクスター・ホワイトであった。日本を対米戦やむ無しと決断させた「ハルノート」を起草した人物である。

「赤いファーストレディ」と呼ばれた

国務省には、同じく「ヴェノナ文書」でスパイが確定したアルジャー・ヒスがいた。彼は、死期迫るルーズベルトに代わってヤルタ会談の実務を仕切り、ソビエトに日本固有の領土までも分け与える条件で対日戦争参戦を実現した。国際連合設立についても事務方のトップとして活躍した。

ワシントン議会は、活発化する「第五列」運動に苛立っていた。米下院が、彼らの活動の調査を始めたのは1938年のことである(非米活動調査委員会)。39年の調査対象になった団体に米青年議会(AYC)がある。AYCは米青年共産主義者同盟と密接な関係にあった。

調査が始まると、若き共産主義者たちは大挙して委員会室になだれ込み議事妨害を企てた。驚くことに、彼らの先頭にいたのはエレノアFDR大統領夫人であった。

フェミニズム運動をきっかけに共産主義思想に染まり、「赤いファーストレディ」と呼ばれたエレノアの後ろ盾を得た彼らは強気だった。マーチン・ダイズ委員長(共和党:テキサス州)に罵声を浴びせ、共産主義礼賛のビラを撒いた。その1人がジョセフ・ラッシュ(ロシア系ユダヤ人:アメリカ学生連盟書記長)だった。

エレノアはこの男を気に入った(好きになった)。FDR3選を狙う選挙(1940年)では、彼を民主党全国委員会青年部長に推し込んだ。2人の関係を怪しんだ米陸軍情報部はエレノアの監視を始めた。彼女の私信をひそかに開封し、ホテル宿泊時には盗聴した。ラッシュも監視対象だった。陸軍は2人が1943年には愛人関係になったことを確認した。

こうした事実に鑑みれば、ルーズベルト政権は「疑似共産主義政権」であった。日本は実質共産主義国家である米国と戦い敗北したのである。
参照元:「疑似共産主義政権」だった? ルーズベルト政権の驚くべき実態
2022年02月21日 WEB Voice 渡辺惣樹(日米近現代史研究家)
ソ連のスパイが書いたハル・ノート原案
2018年04月03日 18:00 BestTimes

満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。江崎 道朗氏は著書『日本は誰と戦ったのか』 の中で、ホワイトの覚書を引きながら、ソ連が日米両国の対立を煽ろうとする流れを明らかにする。■アメリカの対日外交に対立を煽る強い意思が忍び込んでいた!

コーデル・ハル

『雪作戦(Operation Snow)』によると、ホワイトのメモはこのあと外交の重要さについて五頁にわたって冗長に述べ、次のように続きます。

 アメリカ政府と日本政府のそれぞれが提案すべき条文には便宜上番号を付け加えました。『ハル・ノートを書いた男』と内容が重複する部分は須藤眞志氏の翻訳を使っています。

 合衆国は不必要な流血と破壊を避けることを望むゆえに、日本経済を平和的かつ健全な水準に回復させるよう利益を与える意志があり、合衆国は中国が不幸にも一九三七年に中断された政治的経済的発展を進められるよう、独立を守り、平和を得ることを望んでおり、合衆国は合衆国と日本の間の永続的かつより友好的な関係には根本的な障害はないと信じており、また、平和を回復し、日本の産業と貿易を再建し、近隣諸国との間で日本の必要と近隣諸国の必要の双方に対して公正な基盤の上に友好的な関係を促進することを日本国民が歓迎するであろうと信じ、(同、p.43)

 ここでは日本に対して「言うことを聞けば利益を与えてやってもいい」ということと、中国の門戸開放・機会均等を実現したいということを言っています。
参照元:ソ連のスパイが書いたハル・ノート原案
2018年04月03日 18:00 BestTimes
日本を追い込んだルーズベルト 背景に人種偏見とソ連のスパイ
2017/1/1 01:00 (渡辺 浩) 産経新聞 THE SANKEI NEWS

米大統領フランクリン・ルーズベルトは、1939年9月に欧州で始まった第二次世界大戦でドイツに追い詰められていた英国を助けるためにも、参戦したいと考えていました。しかし米国民の圧倒的多数は第一次大戦に懲りて戦争を望んでおらず、ルーズベルトは1940年11月に3選を果たした際に「あなた方の子供はいかなる外国の戦争にも送られることはない」と、戦争しないことを公約にしていました。

選挙公約に反して戦争たくらむ

参戦するにはよほどの口実が必要です。米軍はドイツの潜水艦を挑発して、ドイツ側から攻撃させようとしましたがドイツは引っ掛かりませんでした。そのためルーズベルトは、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んだわが国を挑発するという「裏口」からの参戦をたくらんだのです。

12月、米国議会は中国国民政府への1億ドルの借款供与案を可決。ルーズベルトは「われわれは民主主義の兵器廠とならなければならない」との談話を発表しました。翌1941年3月には、大統領の権限で他国に武器や軍需品を売却、譲渡、貸与することができる武器貸与法を成立させました。これによって英国や中国国民政府、ソ連に軍事援助を行いました。「戦争しない」と言って選挙に勝った、わずか半年後のことです。

ルーズベルトの側近中の側近である財務長官ヘンリー・モーゲンソーは1940年、宣戦布告せずに国民政府軍を装ってわが国を先制爆撃する計画を政権内部で提案しました。「日本の家屋は木と紙でできているのだから焼夷(しょうい)弾で焼き払おう」と目を輝かせたといいます。米国は早くから関東大震災の被害を分析し、焼夷弾による空襲がわが国に対して最も効果的だと認識していました。

モーゲンソーの案はそのときは採用されませんでしたが、米国はフライングタイガースと称して戦闘機100機と空軍兵士200人を中国に派遣し、前回紹介した退役軍人クレア・シェンノートの指揮下に置きました。戦闘機は国民政府軍のマークを付けていましたが、米国は実質的に支那事変に参加していました。日米戦争は始まっていたのです。ルーズベルトは有権者への公約を破っていました。

国民政府軍を装ったわが国への先制爆撃計画は翌1941年、息を吹き返します。7月23日、ルーズベルトはJB355と呼ばれる文書に署名しました。その文書は150機の長距離爆撃機を国民政府軍に供与して、東京、横浜、京都、大阪、神戸を焼夷弾で空襲するという計画書でした。真珠湾攻撃の5カ月前にルーズベルトはわが国への攻撃を命令していたのです。

しかも、この計画を推進した大統領補佐官ロークリン・カリーはソ連のスパイだったことが明らかになっています。

JB355への署名から2日後の7月25日、米国は国内の日本資産を凍結。28日にわが国が南部仏印進駐に踏み切ると、米国は8月1日、わが国への石油輸出を全面的に禁止しました。そして英国、中国、オランダをそそのかして封じ込めを強めました(ABCD包囲網)。石油がなければ国は成り立ちませんから、「死ね」と言っているのと同じです。

第一次世界大戦の後、侵略戦争を放棄しようとパリ不戦条約がわが国や米国、英国、フランスなどの間で結ばれていました。米国務長官フランク・ケロッグとフランス外相アリスティード・ブリアンの協議から始まったことからケロッグ・ブリアン条約とも呼ばれています。

ケロッグは条約批准を審議する議会で、経済封鎖は戦争行為ではないかと質問されてこう答弁していました。「断然戦争行為です」。つまり米国はわが国に戦争を仕掛けたのです。

戦争準備のため時間稼ぎ

わが国は米国との対立を平和的に解決しようと交渉していました(日米交渉)。石油全面禁輸から1週間後の8日、首相の近衛文麿はハワイでの日米首脳会談を駐米大使の野村吉三郎を通じて米国務長官コーデル・ハルに提案しました。しかしルーズベルトはそのころ、大西洋上の軍艦で英国首相ウィンストン・チャーチルと謀議を行っていました(大西洋会談)。

ここで発表されたのが有名な大西洋憲章で、「領土不拡大」「国民の政体選択権の尊重」「強奪された主権・自治の返還」がうたわれました。さんざん植民地を増やしてきた米国と英国に言われても説得力はありません。

実際「政体選択権の尊重」はドイツ占領下の東欧のことを言っていて、アジアの有色人種に適用するつもりはありませんでした。ウィルソンの「民族自決」、ヘイの「門戸開放」などと同様、美辞麗句と行動が一致しないのが米国です。

大西洋会談でルーズベルトは、参戦を求めるチャーチルに対して「3カ月はやつら(日本)を子供のようにあやすつもりだ」と述べました。戦争準備のため時間稼ぎをするのでしばらく待ってくれという意味です。ルーズベルトはわが国に対して「ハワイは無理だが、アラスカのジュノーでなら会談してもいい」などと回答して気を持たせましたが、初めから首脳会談を行うつもりなどありませんでした。

実は前年の1940年10月、米海軍情報部極東課長アーサー・マッカラムが、日本を追い詰めて先制攻撃させる方法として8項目の覚書を書いています(マッカラム覚書)。そこには「在米日本資産の凍結」や「オランダとともに日本への石油輸出を禁止する」といった内容がありました。それがほぼ実行に移されたのです。

1941年11月15日、米陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルは非公式の記者会見で「紙でできた日本の都市を燃やす」「市民を爆撃することに何の躊躇も感じない」と言い放ちました。

26日、米国はわが国に中国大陸からの撤退などを求めるハル・ノートと呼ばれる最後通告を突き付けてきました。

ハル・ノート起草したのはソ連のスパイ

ルーズベルトは極端な人種差別主義者で、日本人を病的に蔑視していました。「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから凶悪なのだ」と大真面目に信じていたのです。駐米英公使ロバート・キャンベルはルーズベルトとの会談内容を本国に報告した手紙で、ルーズベルトがアジアで白人との人種交配を進めることが重要と考え、「インド-アジア系、あるいはユーラシア系、さらにいえばヨーロッパ-インド-アジア系人種なるものを作り出し、それによって立派な文明と極東『社会』を生み出していく」、ただし「日本人は除外し、元の島々に隔離してしだいに衰えさせる」と語ったと書いています。

「元の島々に隔離してしだいに衰えさせる」という妄想を言葉に出して、わが国に通告したのがハル・ノートなのです。

もし米国が他国から「建国当初の東部13州に戻れ」と言われたらどう思うでしょうか。戦後の東京裁判でインド代表判事のラダビノード・パールは「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも合衆国に対して戈(ほこ)を取って起ち上がったであろう」という歴史家の言葉を引用しています。

ハル・ノートは国務長官のハルが手渡したためそう呼ばれていますが、原案を書いたのは財務次官補ハリー・ホワイトでした。ホワイトはJB355を推進したカリーと同様、ソ連のスパイでした。米国とわが国を戦わせるため、とても受け入れられない強硬な内容にしたのです(ホワイトがソ連のスパイだったことは戦後明らかになり、下院に喚問された3日後に自殺しています)。

ハル・ノートを出す前に米国は暫定協定案を作っていました。わが国が受け入れ可能な内容でしたが、中国国民政府の蒋介石が強硬に反対しました。カリーの推薦で蒋介石の顧問になっていたオーエン・ラティモアが暗躍していたのです。米国のシンクタンク、太平洋問題調査会(IPR)にはラティモアら共産主義シンパが入り込んでいました。わが国の昭和研究会と同じような役割を果たしたといえます。

ルーズベルト政権には300人ものソ連への協力者が入り込んでいました。ソ連の浸透は、ソ連のスパイが本国とやり取りした暗号電報を米軍が解読したヴェノナ文書が1995年になって公開されて明らかになりました。

前に述べた通り、ルーズベルトは共産主義への警戒感はなく、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンについて「共産主義者ではなく、ただロシアの愛国者であるだけだ」と言っていました。妻のエレノアも共産主義に共鳴していました。ルーズベルトはわが国と米国を戦わせようというスターリンの謀略に影響されていたのです。

こうしてわが国は追い詰められていきました。

=つづく

(地方部編集委員 渡辺浩)
参照元:日本を追い込んだルーズベルト 背景に人種偏見とソ連のスパイ
2017/1/1 01:00 (渡辺 浩) 産経新聞 THE SANKEI NEWS
ルーズベルト政権に入り込んだ「ソ連スパイ」 日本は誰と戦ったのか
2019.2/4 20:28 zakzak by 夕刊フジ

 【日本は誰と戦ったのか】

 第二次世界大戦で日本を打ち負かせば、アジアは平和になるはずではなかったのか。多くの米国人たちは、日本敗戦後の意外な展開に戸惑った。何しろアジアでは、中国共産党が中国を支配し、中国にある米国企業の財産は没収され、キリスト教会は迫害され始める。

 ヨーロッパでも、バルト三国やポーランドをはじめとする中欧諸国が次々と、ヨシフ・スターリン率いるソ連の影響下に入り、民主化勢力を弾圧する共産主義政権が樹立されていった。

 実は、第二次世界大戦末期、米国とソ連は同盟国になっていた。フランクリン・ルーズベルト米大統領は、ソ連のスターリンと組んで国際連合を創設し、戦後の国際秩序を構築しようとしていたのだ。そのため、1945年2月、ソ連領ヤルタで行われた首脳会談において、ソ連による中欧支配と、アジアの共産化-特に中国共産党政府と北朝鮮の誕生-を容認してしまったのだ。

 この「ヤルタ密約」の存在が明らかになったのは46年2月のことだ。ソ連による中欧支配への反発から、野党の共和党は、ソ連と組んだルーズベルト外交への批判を強めていく。

しかも、ジャーナリストのウィテカー・チェンバースが48年、米連邦議会で「自分は1930年代に秘密の共産主義者スパイとして活動し、アルジャー・ヒスと名乗る若い国務省職員を知っていた」と証言した。ヒスは、ルーズベルト大統領の側近として、ヤルタ会談を仕切った国務省の幹部だった。

 ルーズベルト民主党政権が、ソ連・共産主義勢力による中欧とアジア「侵略」を容認したのは、民主党政権内部にソ連のスパイが入り込み、外交政策を歪めたからではないのか。

 こう考えた共和党の政治家たちは、米国国内に入り込んだソ連のスパイたちを必死にあぶり出そうとした。その代表格が政治家のリチャード・ニクソンや、俳優のロナルド・レーガンなど、後に共和党の大統領になった人たちなのだ。

 彼らは「米国にとって最大の敵は、自由を抑圧する共産主義を世界に広げようとするソ連であり、ソ連と組んだルーズベルト民主党政権は間違っていた」と考えるようになっていく。端的に言えば、「アジア太平洋で戦争を引き起こし、世界を混乱させたのは日本ではなく、ソ連とルーズベルト民主党政権だったのではないか」という視点が浮上してきたのだ。

 そして、チェンバースの告発から70年。中国の軍事的台頭を受けて、レーガン大統領の志を引き継いだドナルド・トランプ大統領も「共産主義の北朝鮮や、中国共産党政府こそが米国の敵だ」と考え、国内に入り込んだ中国のスパイたちを摘発しているわけだ。

■江崎道朗(えざき・みちお) 評論家。1962年、東京都生まれ。九州大学卒業後、月刊誌編集や、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、現職。安全保障や、インテリジェンス、近現代史研究などに幅広い知見を有する。著書『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ)で2018年、アパ日本再興大賞を受賞した。他の著書に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)、『知りたくないではすまされない』(KADOKAWA)など多数。
参照元:ルーズベルト政権に入り込んだ「ソ連スパイ」 日本は誰と戦ったのか
2019.2/4 20:28 zakzak by 夕刊フジ

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コメント

コメント一覧 (3件)

  • 秀吉先生、

    >土星は星座を出ていく最後のタイミングで最大の力を発揮する。

    これと同じようなもので、木星はその期間の真ん中辺りで効果を発揮する、というのを読んだことが有りますが、

    木星の場合、ほぼ正確に中間辺りなのでしょうか?

    それと、他の天体で(火星等)そのような効果発現時期に特徴があるものはあるのでしょうか?
    • 惑星が星座を通過するどの段階で力を発揮するかといったテーマに関しては、私が検証し、自ら体感し、確認したのは、土星が星座を出ていくタイミングのみです。

      それ以外の惑星に関しては、そもそもあまり関心がなく、その知識がどの文献に載っていたかも覚えていない為、もし今後、分かったら、共有したいとは思います。


      実際、惑星は星座に移動した途端に効果は始まっています。

      土星も星座にイングレスした(入っていく)瞬間から効果が始まります。


      しかし、最大の効果や結果を与えるのが、出ていくタイミングであるということです。


      ですから、木星が星座の真ん中辺りで効果を発揮するという理論があったとしても、木星も実際は、星座に入った瞬間に効果を発揮しています。

      それは、結婚や出産など、人生の重要なイベントが、木星や土星が星座を移動したタイミングで、ピンポイントで起こることを見ると分かります。


      惑星が星座のどの辺りで、最大の力を発揮するかといった知識よりも、惑星は星座に移動したタイミングで、効果を発揮することを知っている方が、はるかに実用性が高いと思います。
  • 秀吉先生、

    検索してみると、木星が真ん中辺りで効果を発揮する件は、先生の以前の三船美佳に関する記事で検証されてましたね。

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