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【追悼】俳優・渡辺裕之の自殺について

2022 5/12


ダチョウ倶楽部の上島竜兵が自殺したとのニュースが伝えられているが、その前に5月3日に俳優の渡辺裕之の急逝も伝えられている。


トレーニングルームで首を吊っているのが発見されたという。


最近、芸能人の自殺が多くなっているが、ここ数日の間で、立て続けに芸能人の急逝が伝えられており、驚くばかりである。


何故、自殺をしなければならなかったのか、出生図を調べて、それを明らかにしたいと思った。





12:00で作成したチャート




まず、出生時間を00:00:01で作成してみると、月は乙女座19°38’のハスタとなり、23:59:59で作成してみると、月は天秤座2°08’のチトラーになった。


渡辺裕之が俳優で芸能人であることを考えると、月は乙女座で3室(芸能)に惑星集中する配置である可能性が高い。


月ラグナが乙女座なら、1、10室支配の水星が3室に在住して、5室支配の土星とコンジャンクトし、芸能の世界で仕事をするような配置になっている。


従って、月を乙女座に設定すると、出生時間の範囲は、00:00:01~19:52:09の範囲に絞り込まれる。


渡辺裕之は、1994年に女優の原日出子と結婚している。


原日出子は、1983年に高校時代の同級生と結婚をし、長女(真美さん)を出産して1987年に離婚しての再婚であった。


1994年のトランジットを確認すると、以下のような配置である。





日付まで分からない為、真ん中を取って、7月15日のトランジットを確認してみたが、


土星が水瓶座、木星が天秤座をトランジットし、ラーフ/ケートゥ軸は、牡羊座-天秤座軸を通過中である。



単純に水瓶座と牡羊座にダブルトランジットしており、ラグナの可能性としては、獅子座、水瓶座、天秤座、牡羊座などが考えられる。



ラーフ/ケートゥ軸が、牡羊座-天秤座軸を通過していることを考えると、牡羊座ラグナか、天秤座ラグナの可能性が高くなる。



ネットの情報によれば、1994年に結婚した後、翌年の1995年には、次女が誕生しており、1997年には長男が誕生している。







結婚した翌年、子供が誕生していることを考えると、天秤座ラグナで、5室を土星がトランジットし、木星も5室にアスペクトして、5室にダブルトランジットを形成する天秤座ラグナの可能性が高いと思われる。



つまり、結婚したと同時ぐらいに子供の5室にダブルトランジットが形成されていないと、翌年に直ぐに子供が生まれるようなタイミングにならない。



また天秤座ラグナに設定すると、ラグナロードの金星が3室(メディア、芸能)に在住する為、可能性は高くなる。



wikipediaによれば、渡辺裕之は、3人兄姉の長男で、弟1人、妹1人いるという。


天秤座ラグナであれば、3室の支配星である木星が3室にアスペクトバックしており、弟妹の存在を物語っている。



また3室の支配星が11室に在住して、兄弟姉妹の中で、最年長か最年少である。また同性の兄弟姉妹の中で最年長か最年少であるという条件にも当てはまっている。



またwikipediaによれば、渡辺裕之はスポーツ好きで、自身の描いたイラストがテレビ番組のタイトルに使用されるなど、芸術面の才能も豊かで、多趣味であったという。


以下のような資格を取得していたようである。




ドラム(パーカッション)
英会話
乗馬
スキー
水泳
スキューバーダイビング(Cカード所有)
パラグライダー(ライセンス所有)
ゴルフ
商業簿記3級
書道初段
自動二輪・普通自動車免許

(wikipedia 渡辺裕之より引用抜粋)


因みに天秤座ラグナであれば、ラグナロードの金星が3室に在住しているが、3室はスポーツのハウスで、また絵画や書道などの芸術も表わすハウスである。


3室は射手座で、アウトドアで、活動的で、あらゆるエクストリームスポーツを楽しむ星座である。


上記の資格を取得したスポーツの中には、乗馬、スキューバダイビング、パラグライダー、ゴルフなど、いかにも射手座のアスリートが好むようなスポーツが多い。



従って、ラグナロードの金星が3室(スポーツ、芸術)の象意で正しいと思われる。


自身の描いたイラストがテレビ番組に採用されるほど、上手かったのは、ラグナロードの金星が射手座3室に在住していたからである。







またこれらのスポーツや芸術に関して、資格を取得していたのは、3室の支配星が11室(資格)に在住しているからである。



また天秤座ラグナであれば、11室の支配星(資格)が2室に在住し、5室支配の土星や9室支配の水星とコンジャンクトして、ラーフともコンジャンクトしている為にまたそれらが、所有の2室に在住している為に多くの資格を取得した理由がよく分かる。



ラーフは過剰性を表わす星座で、それが極端に多くの資格を取得したいという気持ちにさせるはずである。




因みにこの天秤座ラグナで、子供が生まれた1995年と、1997年のダシャーを調べると、次女が生まれた1995年は、木星/月もしくは木星/火星期である。





木星はサプタムシャ(D7)の5室の支配星であり、月は9室の支配星であり、火星はラグナの支配星で9室の支配星と相互アスペクトしている。



また長男が生まれた1997年は、木星/ラーフ期であるが、木星は5室の支配星で、ラーフは12室に在住し、特にも木星と絡んでいない。


また1994年11月~1995年6月まで、土星が水瓶座、木星が蠍座をトランジットし、5室と9室の支配星に対して、ダブルトランジットしていた。


木星は1994年5月から蠍座で逆行し初めて、5室にアスペクトし、土星は5室を通過している為、5室にダブルトランジットが生じている。



そして、1996年7月に土星は魚座で逆行して、5室に絡み、5室と9室の支配星にアスペクトして、木星は射手座で逆行して、9室にアスペクトし、5室と9室の支配星と絡んでいた。



つまり、1997年に入る9ヶ月前の時点で、5室と9室にダブルトランジットが生じており、子供の誕生のタイミングを示唆している。




ナヴァムシャのラグナ


それでは、ナヴァムシャのラグナだが、天秤座ラグナだと、女優の原日出子と結婚した1994年は木星/月期付近になる。



木星期に結婚していることを考えると、蠍座ラグナで、2、5室支配の木星が8室(結婚生活)に在住する配置の可能性が考えられる。



1982年7月からマハダシャー木星期が始まっているが、大正製薬の「リポビタンD」CM中で使われた「ファイトー!」「イッパーツ!」のキャッチフレーズで有名になり、同商品の200億本売れて大ブレイクしている。



その前の1980年のラーフ/月期ぐらいからコカコーラのCMで芸能活動を開始している。



俳優としても1982年に映画『オン・ザ・ロード』(主演)でデビューし、白バイ警官を演じたという。



因みに蠍座ラグナであれば、2、5室支配の木星が8室に在住しており、大正製薬の「リポビタンD」で、莫大なCM出演料などが入ってきたはずである。



また映画デビューできたのも木星が5室の支配星だからである。



そして、映画の中で、白バイ警官を演じたのは、蠍座ラグナだと、10室の支配星が太陽(公務員)になり、ラグナロードの火星と3室(交通)でコンジャンクトして、白バイ警官の役柄を表わしている。




10室支配の太陽に火星がコンジャンクトする配置は、警察官の職業と解釈できる。



従って、蠍座ラグナで正しいと思われる。







ナヴァムシャが蠍座になると、ダシャムシャ(D10)では、ラグナロードで4室支配の木星が11室に在住し、この時期から「リポビタンD」で有名になり、認知度が上がって、収入にも恵まれたことを表わしている。



1986年6月30日から10月3日には、テレビドラマ『愛の嵐』で二枚目俳優ぶりを発揮し、「嵐シリーズ(グランドロマン)」全3作に出演し、高木美保とのコンビはゴールデンコンビと呼ばれたようである。


この時のダシャーが、木星/土星である。


2009年12月13日には、短編映画『雪の花』にて、原日出子と夫婦役で共演を果たしているが、この時は土星/月期である。



これはナヴァムシャのラグナを蠍座とすると、3室(芸能)の支配星が9室に在住して9室の支配の月とコンジャンクトしているが、7室をパートナーのラグナとすると、3室支配の月が3室に在住しており、9、10室支配のヨーガカラカの土星とコンジャンクトしている。







従って、妻の芸能の3室の支配星(月)と、渡辺裕之の芸能の3室の支配星(土星)がコンジャンクトしており、夫婦で共演したことを表わしている。



2017年には、連続ショートドラマ『あじさい』に出演しているが、この時は土星/木星期である。



土星は3室の支配星で、9室に在住して、3室にアスペクトバックし、木星は2、5室支配で、8室から2室にアスペクトバックしている。



3室や5室が絡んでくる為、映画への出演を表わしている。



そして、この後、2017年7月22日から水星/水星期に移行していくのである。



亡くなった2022年5月3日は、水星/金星/ラーフ期であったが、蠍座ラグナだと、水星は、8、11室の支配の機能的凶星で、マラカでもあり、心の4室に在住して、ラーフとコンジャンクトして傷ついている。




wikipediaによれば、妻の原日出子は、夫について次のように語っている。




「コロナの最初の自粛の頃から、人一倍家族思いで心配性な夫は、先行きの不安を口に出すようになり、考え込むことが多くなった」

「『眠れない』と体調の変化を訴えるようになり自律神経失調症と診断された」

「心の病は夫を蝕み、大きな不安から抜け出せなくなった。医師にも相談し、希望の持てる治療を始めた矢先の、突然の出来事」

(wikipedia 渡辺裕之より引用抜粋)



渡辺裕之は、コロナの最初の自粛の頃より先行きの不安を口にして、夜眠れないなど、自律神経失調症と診断されていたというが、水星は神経を表わしており、ラーフは過剰に活性化する為、強迫的にさせる配置である。



つまり、水星とラーフの4室でのコンビネーションは、自律神経失調症の配置である。


しかも水星は、8、11室支配のマラカでもあり、ディスポジターの土星は、蠍座ラグナにとっては3、4室支配でマラカに相当し、月とコンジャクトして、月を傷つけ、火星もアスペクトすることによって、激しく月を傷つけている。


アンタルダシャーロードの金星は、7室の支配星で、乙女座で減衰し、3、4室支配の土星からアスペクトされて傷ついている。



またプラティアンタルダシャーロードのラーフは、8、11室支配のマラカで機能的凶星の水星とコンジャンクトし、ディスポジターの土星はやはり火星と共に月を傷つけている。







出生図で見ると、水星はマラカの2室に在住し、金星はラグナロードで、8室の支配星だが、3室に在住し、天秤座ラグナにとってマラカに相当する3、6室支配の木星からアスペクトされている。


またラーフはマラカの2室で減衰し、天秤座ラグナでは、マラカに相当する11室支配の太陽ともコンジャンクトして、更に土星によって傷つけられている。





そして、亡くなった2022年5月3日のトランジットを見ると、土星と木星は共に2室(マラカ)の蠍座にアスペクトして、ダブルトランジットが2室に形成されていた。



そこにはマハダシャーロードの水星と、プラティアンタルダシャーロードのラーフが含まれている。




渡辺裕之の場合、確かに悩んでいたが、何故、急に自殺を決行したか周囲の人間も戸惑いを隠せない。




自殺者のチャートを見ると、大抵の場合、月がラーフや土星によって傷つけられており、そこにトランジットの土星がコンジャンクトやアスペクトするようなタイミングであることが多い。



然し、渡辺裕之の場合、土星は月から見て6室をトランジットしているタイミングであった。



ラーフはしばしばパニック障害などをもたらす惑星であり、水星とラーフが絡むと、強迫的な症状をもたらしやすい。



トランジットのラーフ/ケートゥ軸は、ラグナを通過しており、ケートゥがラグナを通過する時は、肉体の衰えや心境の変化などを感じるタイミングである。



老いのようなものを体感したり、また急に内向的になって、悲観的な考えに支配されるかもしれない。



そうしたタイミングであったことをトランジットは物語っている。



また木星と金星は6室を通過して、これらの惑星がほとんど役には立たなかったことが分かる。



また水星は8室を通過して、月も8室を通過している為、深刻な悩みの状態を表わしている。




このような配置がもたらしたのであり、理由は必ずあるのである。




因みに渡辺裕之は、2005年に1億円以上の詐欺被害に遭っていたようである。



渡辺裕之さん 05年に1億円超詐欺被害 運営会社の広告塔疑惑も否定
2022/5/6 スポニチアネックス

◇渡辺裕之さん死去

 渡辺さんは2005年、投資先の会社が準自己破産し1億円以上の詐欺被害に遭うと同時に、一部で運営会社の広告塔とも指摘される騒動があった。

 渡辺さんは当時、家のローンの返済を早め、親の家を建てたりするために約2億円を投資。「1年で3億円以上になるはずだったが、実際に換金したのは470万円だけ」などと被害を報告した。

 一方、同年2月には同社主催の顧客向けカリブ海クルーズで司会を務め、ギャラを800万円受け取ったという。このことから広告塔を疑われたが「心外。誰かを勧誘したこともない」ときっぱり否定していた。


2005年は、土星/金星期であり、出生図では、土星はマラカの2室に在住し、金星はマラカとなる3、6室支配の木星からアスペクトされている。



またナヴァムシャでは、土星は、3、4室支配のマラカで、金星はマラカの7室の支配星で、マラカの土星からアスペクトされている。



また土星/金星期は、例のごとく、王が乞食になるか、乞食が王になる時期である。



この場合、王が乞食になるような出来事ではなかったかと思われる。







ダシャムシャでも土星は2、3室支配のマラカで、金星は、6、11室支配のマラカで、マラカの土星からのアスペクトを受けている。




渡辺裕之の場合、ナヴァムシャの配置の方が、重要である。






ナヴァムシャでは水星は、8、11室支配のマラカの水星であり、ラーフとコンジャンクトして激しく傷ついている。



またディスポジターの土星は月とコンジャクトすることで月を傷つけている。



アンタルダシャーロードの金星は、マハダシャーロードの水星と絡んでおらず、水星から見て、金星はマラカの2室に在住している。







渡辺裕之と原日出子は、1994年に結婚しているが、4年以上の交際期間を経ての結婚だったという。



つまり、交際がスタートしたのは、1990年の木星/金星期付近である。



ナヴァムシャでは、木星は2、5室支配で8室に在住し、金星は7室の支配星で11室に在住している為、この頃、交際が始まったことは納得できる。



そして、木星/太陽期を経由して、木星/月期になってから結婚している。



芸能界きってのおしどり夫婦として有名であったが、2001年に「パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。






NEWSポストセブンの記事によれば、この頃、近隣住民は以下のように語っていたという。




「夫婦揃って散歩に出かけたり、買い物をしている姿をよく見かけました。ご家族思いで、自宅で開いたバーベキューに招待していただいたこともあります。芸能人らしくないというか、どんな人にも敬語で丁寧に接し、優しかったことを覚えています。近所の若い人からは『隊長』という愛称で親しまれていました。ジョギングするときには必ずビニール袋を握りしめていて、ゴミを拾いながら走っていたことが印象的でした」


然し、最近、近所の人は以下のように違った印象を抱いていたという。




「原さんが近所で買い物をすることはよくありましたが、いつも1人で、夫婦で一緒に歩いているところはあまり見たことがありませんでした」


また渡辺裕之は、コロナが蔓延していたころに一度だけ、『熟年離婚するかも』と言っていたという。



おそらく2017年7月からマハダシャー水星期に移行し、ナヴァムシャで、8、11室支配の機能的凶星で、マラカの水星が心の4室で、ラーフによって傷つけられ、水星のディスポジターの土星が月を傷つけている為、夫婦仲に異変が生じ、渡辺裕之に心理的な強迫観念や、自律神経失調症など、様々な症状が出始めたのである。


また出生図においては、水星はマラカの2室に在住しているが、9、12室支配の機能的吉星であり、2室に在住するという条件だけで、マラカとしての強い凶意を発揮したのかどうか疑問も出てくる。

然し、2室の蠍座には惑星集中しており、それらの惑星から見ると、常に水星は、8、11室支配の機能的凶星で、マラカとなり、またマハダシャーロードの水星から見ても水星は8、11室支配のマラカである。

そして、水星には減衰するラーフや土星がコンジャンクトしているが、ラーフや土星もマラカに在住することで、マラカとしての凶意を帯び、特に土星は、無条件のマラカでもある。

蠍座の惑星群や水星から見ると、土星は3、4室支配のマラカであり、やはり2室蠍座に惑星集中しているということがポイントかもしれない。

蠍座に在住する惑星をダシャーラグナとすると、常に水星は8、11室支配のマラカであり、またアンタルダシャーの金星も7、12室支配で、マラカの7室を支配し、マラカの2室に在住している。


つまり、渡辺裕之は今回に限らず、常に人生を通して、どんなレベルのダシャーであっても水星期になると、過剰に心配したり、不安になったり、強迫的に神経過敏になる傾向があったと思われる。

妻の原日出子が「人一倍家族思いで心配性な夫」と表現するように日常的に常に心配性な傾向があったのだと思われる。

それが、2017年7月からのマハダシャー水星期にそうした強迫的で心配性な傾向がより強い形で、病的レベルで顕現したと思われる。




(参考資料)

仕事への不安抱えた渡辺裕之さん 撮影現場から妻に2時間電話することも
2022.05.09 06:00 女性セブン

あまりに突然のことだった。愛妻家で、家族思いで、周囲から慕われた渡辺裕之さん(享年66)がこの世を去った。悲しみ以上に残ったのは、なぜ渡辺さんがその“選択”をしたのかという疑問──その陰には、いつもエネルギッシュな人だからこそ陥る落とし穴があったのかもしれない。

 神奈川・横浜市内の静かな住宅街に、あたたかみのあるオレンジ色の外壁が印象的な、豪華な邸宅がある。軒下には電飾が施され、門に掛けられた「こども一一〇番のいえ」の札からは、この家の住人の人柄が伝わってくる。その玄関にうつむきかげんの弔問客が吸い込まれていく──ここは、5月3日に急逝した渡辺裕之さんの自宅だ。25年以上連れ添った夫の突然の死に、妻の原日出子(62才)は憔悴しきった様子だという。

 死因は「縊死」。聞き慣れないこの言葉は、一般的には「首を吊って亡くなること」を意味する。いつもエネルギッシュで、芸能界のみならず、近隣住民からも慕われていた渡辺さんは、周囲に悩みを吐露したり、弱みを見せることが極端に少ない性格だったという。だが、親交の深い関係者は最近、渡辺さんの異様な言葉を耳にしていた。

「アイツに金を取られた。オレは狙われているんだ」──。

エネルギッシュな姿を見せたいというプレッシャー

 渡辺さんは、自宅の地下室で心肺停止の状態で倒れていた。見つけたのは原だった。

「この日はゴールデンウイーク中ということもあり、渡辺さんも原さんもオフでした。原さんが昼食の準備を終え、地下室にいる渡辺さんを呼びに行って発見したそうです」(芸能関係者)

 その地下室は、何事にもアクティブだった渡辺さんのすべてが詰まった場所だった。筋骨隆々とした肉体の維持のために欠かせないさまざまなトレーニング器具に日焼けマシン、ジャグジー、音楽好きの渡辺さんらしくカラオケやドラムセットもあり、ゴルフクラブやワイン、ラジコンなど、多趣味で知られる渡辺さんのコレクションがずらりと並べられていた。

 渡辺さんのインスタグラムを見ると、つい最近まで笑顔の写真がアップされている。だが、その様子とは裏腹に、近年は深刻な悩みを抱えていたようだ。

「実際にはこの2年ほど元気がなく、顔色も冴えませんでした。コロナ禍だけが理由ではないですが、以前のように仕事が入らず、思い悩んでいたようです。先のことを考えると不安になり、食事も満足に喉を通らないようでした。それでも、人前に出るときには周囲が期待するエネルギッシュな姿を見せたいと責任感を抱き、それが余計な負担になっていたのかもしれません」(テレビ局関係者)

渡辺さんと原が結婚したのは1994年。4年以上の交際期間を経てのゴールインだった。

「原さんには離婚歴があり、前夫との間に当時10才の長女がいました。渡辺さんはその長女が“新しい父”を受け入れられるようになるまで、しっかりと時間をかけて関係を築いていきました」(別の芸能関係者)

 原との間には、その長女に加えて1男1女をもうけた。2001年には「パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するほど、芸能界きってのおしどり夫婦だった。自宅の近隣住民が明かす。

「夫婦揃って散歩に出かけたり、買い物をしている姿をよく見かけました。ご家族思いで、自宅で開いたバーベキューに招待していただいたこともあります。芸能人らしくないというか、どんな人にも敬語で丁寧に接し、優しかったことを覚えています。近所の若い人からは『隊長』という愛称で親しまれていました。ジョギングするときには必ずビニール袋を握りしめていて、ゴミを拾いながら走っていたことが印象的でした」

「ファイト一発!」のイメージが強すぎる

 渡辺さんといえば、1982年から10年以上にわたって出演したリポビタンDのCMのイメージが強い。

「ファイト一発!」

 そう叫んでポーズを決めるさまは、まさに絵になった。だが、渡辺さんを芸能界の高みに押し上げたその名台詞は、一方で渡辺さんを苦しめていたのかもしれない。

 渡辺さんは1955年、茨城県水戸市内で写真館を営む家庭に生まれた。小学生の頃から映画スターに憧れ、中学時代はバンド活動に熱中。二枚目のルックスで、もちろん地元では有名人。東京の大学を卒業後もバンド活動を続け、世に出るチャンスをうかがっていた。一度は家業を継ぐことも考えたが、大学時代のアルバイトのつてでモデルのマネジャーとして働きながら、自分自身の売り込みも続けた。

 そうした地道な活動が実り、1980年に飲料のコマーシャルに出演。1982年に映画の主演に抜擢され、同年から、前述したリポビタンDのCMへの出演が始まった。その後は俳優業だけでなく映画の吹き替えやゴルフ番組への出演など、活躍の幅を大きく広げた。

 端正な顔立ちと鍛え上げた肉体を武器に、1980年代には高木美保(59才)とのコンビが話題を呼んだ『嵐シリーズ』(フジテレビ系)などで主演を張った。2000年頃以降は、特撮映画や任侠もののVシネマなどでの活躍が目立った。

「現実には、渡辺さんのようにハンサムでスタイルのいい男性はなかなかいませんから、役も限られてしまうんです。恵まれすぎたルックスゆえに、ずっとジレンマを抱えていたようでした」(前出・テレビ局関係者)

 プライベートでは金銭トラブルに見舞われたこともある。2005年、富裕層を中心に高利回りを謳っていた投資運用会社が突如、破綻。渡辺さんは約1億2000万円もの大金を投資していた。

「返ってきたのは900万円ほどで、1億円以上が溶けてしまったことになります。投資は原さんには内緒で行っていたようで、結果として大金を失い、家族をも裏切ることになってしまった」(前出・芸能関係者)

俳優という不安定な職業柄、将来のお金に大きな心配を抱えていたのが、投資に手を出した理由だったという。

 一方、妻の原は1981年のNHK連続テレビ小説『本日も晴天なり』のヒロインとしてブレークし、以降もコンスタントに映画やドラマへの出演を続けた。結婚後の1996年に映画『Shall We ダンス?』で主演の役所広司の妻役を演じ、最近では、2019年の朝ドラ『なつぞら』でヒロインの妹の養母、昨年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』では徳川慶喜の母という重要な役を演じた。

 年齢相応の女性役でオールラウンドに活躍する原と、先行するイメージが強すぎるがために、特定ジャンルの役柄の色が濃くなっていた渡辺さん──2009年の短編映画や、今年1月公開の映画『ポプラン』での共演はあったが、仲のよい夫婦でありながらも、仕事の足並みはいつしか揃わなくなっていた。

「特にコロナ禍以降、渡辺さんの仕事のペースは以前に増してゆっくりになりました。ドラマのオファーがあっても、1クール出続けるレギュラーではなく、1話のみのゲスト出演のような形が多かった。渡辺さんはそれを気にしていたようです。原さんとの差異を重圧に感じる、何とかしたいと吐露することもありました」(別のテレビ局関係者)

 そうした変化に敏感に気づいていたのが原だった。一緒にいるときもそうでないときも、不安に苛まれる渡辺さんを気遣っていた。

「今年に入り、渡辺さんは京都でのドラマ撮影に臨んでいました。夜遅くまでかかる日もあって、少しつらそうにすることもありました。渡辺さんは、仕事の合間にしょっちゅう原さんに電話をかけていましたね。1時間、2時間になることもザラでした。

 特に何か用事があるというわけではなく、原さんの声を聞くことで心の落ち着きを取り戻そうとしていたようです。原さんも、渡辺さんをなんとか元気づけようと、電話口で明るく接しているようでした。本当に良妻です」(ドラマ関係者)

 しかし、渡辺さんの気持ちは乱高下した。今年3月に逗子市内で開催されたジャズライブの際には、次のようなこともあった。

「プロ級の腕前のはずなのに、演奏前に“どうしても自信がもてない”と震えていたんです」(ライブ関係者)

 時には耳を疑う発言もあったという。

「話が支離滅裂になることがありました。個人事務所の経営者として資金繰りにも悩んでいたようで“だれそれに金を取られた”“オレは狙われている”と口にすることもあったのです。これには原さんも困惑して、病院に行くことを考えていたそうです」(前出・テレビ局関係者)

夫の不調に相対していた原もまた、かつては精神的なゆらぎに悩まされた時期がある。

「いまから20年ほど前、原さんが45才になった頃です。倦怠感に襲われ、更年期障害との闘いが始まりました。もともと貧血気味の原さんは症状が重く、手足の冷えや発汗が続き、大変な思いをした」(前出・別の芸能関係者)

 そうしたとき、原を支えたのが渡辺さんだった。

「泣きながら不調を訴える原さんに戸惑いながらも、慣れない家事を代わってするなど、辛抱強くサポートを続けたんです。体調が戻ってからは、原さんはことあるごとに渡辺さんへの感謝を口にしていました」(前出・別の芸能関係者)

 心身をコントロールできない経験をした原は、ふさぎ込みがちな渡辺さんの気持ちが痛いほどわかっていたに違いない。だからこそ、何時間でも電話につきあい、渡辺さんの不安を受け止め続けたという。

 あれだけ元気いっぱいだった渡辺さんが、もうこの世にいないことが信じられない。心からご冥福をお祈りしたい。

※女性セブン2022年5月26日号
参照元:仕事への不安抱えた渡辺裕之さん 撮影現場から妻に2時間電話することも
2022.05.09 06:00 女性セブン
渡辺裕之さん「俺の責任なんだよな」死去1カ月前にかけてきた深夜の電話…映画プロデューサーが語る “異変”
2022/5/9 6:03 FLASH

それはあまりにも衝撃的な文言だった。

「5月3日(火)昼頃、渡辺裕之さんが自宅にて縊死されました」

渡辺裕之さん(享年66)の妻で、女優の原日出子(62)の所属事務所が5日に発表したコメントである。渡辺さんが発見されたのは神奈川県横浜市の自宅地下のトレーニングルーム。

 これまで、本誌は何度も渡辺さんにインタビューをしてきた。気配りと優しさに満ち溢れていて、真面目。そしてタフガイ。およそ「死」とは無縁の印象だったが、周囲はある “異変” に気がついていた。

 親交がある俳優は、「昨年末にお会いしたとき、とにかく元気がなくて心配だったんです。ご病気という感じではなく、何か精神的に落ち込んでいるような印象でした」と振り返る。

 今年公開の映画で渡辺さんと仕事をともにした映像制作関係者も、渡辺さんの様子に違和感を覚えたという。

「撮影現場で明らかに元気がなく、声にもハリがありませんでした。私も心配して声をかけましたが、『大丈夫ですよ』と笑っておられました。

『現場を盛り上げるために “ファイト一発” をやってください』とお願いすると、『いやだよ』と言いながらも応じてくださったんですが……」

 ある芸能関係者は3月、自宅バーベキューに招かれたときのことを述懐する。

「事務所の後輩俳優が来て場が盛り上がり、ナベちゃん自身も『映画をやりましょうよ!』と意気軒昂でした。

 ふだんはめったに粗相をしないのに、この日は一人で立っていられないほど酔っ払い、締めのスピーチでは『みんなで集まれるのが本当に嬉しくて』と、急に泣きだしたんです。翌日に『いやあ、昨日は酔っ払っちゃいました』と、照れくさそうに電話をくれました。

 また、4月にゴルフに誘われたんですが、前日に『ごめんなさい、明日はキャンセルさせてください』と連絡が来たんです。今までそんなことはなかったので、すぐに電話をかけたけど繋がらなかった。

 理由に思いあたることはないんですが、コロナが蔓延していたころ一度だけ、『熟年離婚するかも』と言っていました。世間に対し理想の夫婦を演じるのがつらいと笑っていましたが、よくある冗談だと思いましたし……」

 古くから渡辺さんを知る映画プロデューサーは、渡辺さんが亡くなる1カ月前の深夜に電話を受けていたという。

「深刻そうな声だったので、『何か困り事があるの? 僕が力になれることがあれば言ってよ。お金? まさか女性問題やクスリじゃないよね』と冗談半分に尋ねると、彼も弱々しくですが、『いや、どれも違うよ』と笑っていました。だけど、『俺の責任なんだよな』とこぼしたんです。トラブルを抱えている様子でした。

 彼は2005年に1億円の詐欺被害に遭っていたので、いやな予感がして『なんの責任?』とすぐに聞きましたが、答えてはくれませんでした。もう少し粘って尋ねておけば助けられたんじゃないかと、後悔しています」

 渡辺さんのご冥福を祈り、合掌。
参照元:渡辺裕之さん「俺の責任なんだよな」死去1カ月前にかけてきた深夜の電話…映画プロデューサーが語る “異変”
2022/5/9 6:03 FLASH
渡辺裕之「コロナ首吊り自死」前の奇行証言!「撮影現場で『物がなくなった』と妙なことを…」
2022年5月6日 11:50 アサ芸プラス

俳優の渡辺裕之さんが5月3日昼頃、横浜市内の自宅地下のトレーニングルームで首を吊って自殺していたことがわかった。所属事務所が5月5日、「自宅で縊死致しました」と発表した。享年66。

渡辺さんは今年に入ってテレビ朝日系の連続ドラマ「もしも、イケメンだけの高校があったら」に出演、映画は1月公開の「ポプラン」や3月公開の「永遠の1分。」などに出演していた。秋には公開予定の映画も控えていた。

当時の状況ははっきりしないが、渡辺さんはコロナ禍になってから、仕事が途切れないながらも環境の変化になじめない面があったようで、塞ぎ込みがちだったという。芸能プロ幹部が明かす。

「コロナ禍で神経質になり、同時に世の中を悲観しがちに…。そのうち、半ばノイローゼのような状態に陥っていたようです。撮影現場で『(自分が持ってきた)物がなくなった』などと、妙なことを言い出したこともあったとか。周囲のスタッフらの目には、一種の奇行にも映ったようです」(芸能プロ幹部)

渡辺さんは拓殖大を卒業後、独ルフトハンザ航空のアルバイトなどを経てCM出演して芸能活動をスタートさせた。

日焼けしたほりの深い顔立ちで出演して話題になった大正製薬「リポビタンD」のCM「ファイト!」「イッパーツ!」のキャッチフレーズで一躍人気を獲得し、映画「オン・ザ・ロード」の白バイ警官役で俳優デビュー。その後は端正な二枚目俳優として数々のドラマや映画に出演した。

私生活では94年に女優の原日出子と結婚。原は再婚。渡辺さんは原の連れ子の長女、原との間にできた2人の子供と、長女の子供3人も孫のようにかわいがり、温かい家族を築いていた。

そんな名優の、突然の死。コロナで将来に不安を感じての自殺だとしたら、いたたまれない。
参照元:渡辺裕之「コロナ首吊り自死」前の奇行証言!「撮影現場で『物がなくなった』と妙なことを…」
2022年5月6日 11:50 アサ芸プラス
原日出子「全ての苦しみから解放され自由になれたのだろうと信じたい」渡辺裕之さん家族葬終え心境
2022年5月10日19時20分 日刊スポーツ

今月3日に66歳で死去した俳優渡辺裕之さんの妻で女優原日出子(62)が10日、コメントを発表した。この日、横浜市内で家族葬が営まれ、荼毘(だび)に付されたことも報告した。渡辺さんはコロナ禍で先行きの不安を口にするようになり、自律神経失調症の診断を受け、治療を受けていたという。原は「今は全ての苦しみから解放され、自由になれたのだろうと信じたいです」と悲痛な思いを記した。

原は「急すぎる別れから1週間、とても心の整理も出来ませんし、語る言葉も見つかりません。『何故…』は、きっと誰にもわからないと思います」としながらも、新型コロナウイルスに関連した自粛の中、渡辺さんが先行きの不安や不眠を口にしたり、考え込むことが多くなったことも明かした。自律神経失調症と診断され、一時は薬を服用して治療していたという。

原は「またお仕事が忙しくなって、元気を取り戻したようでもありました。しかし、少しずつじわじわと、心の病は夫をむしばみ、大きな不安から抜け出せなくなりました。医師にも相談し、希望の持てる治療を始めた矢先の、突然の出来事でした」とした。

原は、渡辺さんが亡くなる前日のことについて「楽しみにしていたゴルフ番組の収録に向けて、久しぶりに元気に動き回り準備をしていました。治療の甲斐もあったのかと安堵(あんど)していたところでした」と振り返った。

さらに「この数カ月、私も、家族も、懸命に向き合った毎日でした。でも、今は何を思っても、言い訳になってしまいそうで、後悔を数えたらきりがありません。渡辺にも、彼を大好きだった方たちにも、申し訳ない気持ちでいっぱいです」とした上で、「信じられないほどきれいで、安らかな顔で旅立ちました。それだけが、私たちの救いです」と記し、応援し支えてくれた人々に感謝を示した。

渡辺さんが亡くなったことが発表された5日、原について所属事務所は「あまりに突然の出来事に、原日出子は呆然自失としており、皆様に何かお答えできる状況にございません。心の整理がつきましたところで、改めて皆さまにコメントを出させていただきます」としていた。
参照元:原日出子「全ての苦しみから解放され自由になれたのだろうと信じたい」渡辺裕之さん家族葬終え心境
2022年5月10日19時20分 日刊スポーツ
急死の渡辺裕之さん 2005年には投資失敗で1億円以上の損害【当時の記事全文】
2022/5/5 13:21 デイリー

俳優の渡辺裕之さんが、今月3日に神奈川県内の自宅で亡くなっていたことが5日、明らかになった。66歳。自宅で縊死(いし)していた。家族に発見されたという。

渡辺さんは05年8月に、投資運用会社への投資に失敗し、1億円以上の損害を受けたことが報じられた。1日に会見を開き、「社長にだまされたと思う」と話していた。

【以下、2005年8月2日のデイリースポーツより】

 俳優の渡辺裕之(49)が7月に破産した投資運用会社「ジェスティオン・プリヴェ・ジャポン」に約1億2000万円を投資、1億円以上の損害を受けていたことが1日、分かった。渡辺は横浜市内で会見し、一部週刊誌で報じられた同社の広告塔疑惑には「心外です」と否定した。

 同社は02年の設立以来、340億円以上を集め、約200億円が不明となっている。

 渡辺は昨年7月、知り合いのイベンターから同社・(記事は実名)社長を紹介され、3回に渡り、計1億2000万円を投資。6月に1億円の返却を求めようとしたが、連絡が取れなかった。その間、同社は7月20日に破産し、渡辺は「社長にだまされたと思う」と話した。

 渡辺は2月に同社が企画した「カリブ海クルーズツアー」に司会として参加。“広告塔”と騒がれたが、「仕事として行ったこと。ギャラ800万円も受け取っている」と説明した。

 渡辺の妻は女優の原日出子。「内証でやったことで仕方ないわねと、あきれられた。でも、きずなを確認した」と離婚の可能性は否定した。
参照元:急死の渡辺裕之さん 2005年には投資失敗で1億円以上の損害【当時の記事全文】
2022/5/5 13:21 デイリー
渡辺裕之さんと原日出子に起きていた夫婦の“異変”と、漏らしていた「常に将来が不安」
2022/5/9 21:01 週刊女性PRIME

またも悲劇が起きてしまった─。5月3日に俳優の渡辺裕之さんが自宅で亡くなっていたのだ。

「死が公表されたのは翌々日の5月5日。妻の原日出子さんがお昼ごはんを作って渡辺さんを呼んでも返事がなく、地下のトレーニングルームに行ったら、そこで首をつって亡くなっていたそうです」(スポーツ紙記者)

 亡くなったとされる地下室は、渡辺さんの趣味が詰まった部屋だったという。

「自宅を建て直したときに、地下室を自分の趣味スペースにしたそうです。そんなに広くはありませんが、トレーニング機材やドラムセットがあり、大画面テレビで映画を見ることができました。渡辺さんは、ここ最近、その部屋にこもっていることが多かったようです」(渡辺さんの友人)

 渡辺さんの自宅は神奈川県の閑静な住宅街にある。

「3日の午後にパトカーが来て、警察官が出入りして不穏な雰囲気でした。泥棒でも入ったのかと思っていましたが、まさか渡辺さんが亡くなっていたとは……」(近所の住民)

 渡辺さんと原が結婚したのは1993年のこと。

「原さんは1981年にNHK朝ドラ『本日も晴天なり』のヒロインでブレイク。人気絶頂の1983年に高校時代の同級生と結婚して1女をもうけるも、1987年に離婚しました。渡辺さんは1982年にデビューし、スポーツで鍛えた身体で肉体派俳優として活躍。『リポビタンD』のCMが有名ですね。ふたりは1990年にドラマで共演して交際が始まりました」(テレビ誌ライター)

近隣住民が目撃した夫婦の姿

 原の娘は当時10歳。子連れ再婚だったが、渡辺さんはわが子のようにかわいがり、後に1男1女が生まれて5人家族となる。

「2001年には『パートナー・オブ・ザ・イヤー』に選ばれました。原さんは2016年に出演した『徹子の部屋』で “キスやハグは当たり前”とアツアツぶりを公言。渡辺さんも折に触れて原さんへの感謝の言葉を述べ、SNSに奥さんの手料理の写真を上げていました」(同・テレビ誌ライター)

 映画でも夫婦役や、一緒にカレールーのCMに出演するなど共演も多数。まさに、おしどり夫婦として有名だったが、近所の人は少し違った印象を抱いていたという。

「原さんが近所で買い物をすることはよくありましたが、いつも1人で、夫婦で一緒に歩いているところはあまり見たことがありませんでした」(前出・近所の住民、以下同)

ふたりの生活スタイルは異なっていたようで、

「渡辺さんはお子さんが小さかったころ、庭にプールを作って近所の子どもたちも呼んでくれたり、お祭りに参加して“ファイト一発!”と叫んでくれたりと地元に溶け込んでいました。一方で、原さんは親しい友人とワイン会を開くなどして楽しんでいたようですね」

 渡辺家では、定期的に自宅に友人を呼んでホームパーティーを開いていたのだが、

「朝からテントを張るなどの準備をして夜10時ごろまで行っていたのですが、その常連さんたちが知る限り、積極的に動いていたのは渡辺さんだったようですね」

 おしどり夫婦としてのイメージが先行しがちだが、私生活ではお互いの趣味を尊重し、それぞれで楽しんでいたようだ。

朝5時から1人でゴミ拾い

 渡辺さんは社交的な反面、ストイックな一面もあった。

「子育てに適した環境を求めて都心から自然が多い神奈川の郊外に引っ越したそうですが、近くには車通りの多い幹線道路があって、分離帯へのポイ捨てが横行。それを見かねた渡辺さんは長年朝5時ごろから1人でゴミ拾いをしていました」(別の近所の住民)

 筋肉トレーニングは毎日欠かさず体形をキープ。『リポビタンD』のCMで共演した野村宏伸は、渡辺さんが完璧主義で熱い性格だったと振りかえる。

「海外ロケの撮影はいつもハードでしたが、渡辺さんは撮影スタッフにアイデアを出すなど、リーダーシップを発揮していました。英語も堪能で、身体もガッシリ。そんな頼りがいのある男らしい人だったから、誰にも悩んでいる姿は見せられなかったのかもしれません……」

 渡辺さんと長年交流があったバイク店の店主は、友人の死を悲しみながら普段の人柄を振り返る。

「多趣味で凝り性。カスタムした合計500万円以上のバイクをうちの店内に飾って知人に見せたりしながら、椅子に座って会話を楽しんでいました。僕を含めた知り合いを地方ロケや、テレビ番組の観覧に呼んでくれたり。一度、奥さんをウチの店に連れてきてくれたこともありました」

最近はコロナ禍の影響で、仕事以外は家にこもりがちだったそう。

「最後に会ったのは去年の10月。コロナで仕事が減ったと愚痴ったら、渡辺さんも仕事が減ってつらいけどお互い頑張ろうと言ってくれたんです。以前、奥さんの話になると“原の話ばっかで俺のファンはいないのか!?”と冗談めかして話していました」(バイク店の店主)

「常に将来の不安があった」

 実際、昨年も渡辺さんの仕事は順調だった。

「ドラマにも定期的に出演していましたし、これから公開されるものを含めて今年は6本の映画に出演。仕事が途切れることはなく、この5月からゴルフ番組でのレギュラー出演が決まっていました」(前出・テレビ誌ライター)

 しかし、以前からお金に関する不安は抱えていたようだ。

「2005年に詐欺事件に巻き込まれ、同時に詐欺をしていた投資会社の広告塔だったと指摘されました。記者会見で事件について質問されると“定収入のない職業で、常に将来の不安があって、その不安がなくなればと思った僕がバカだった”と語っていました」(前出・スポーツ紙記者)

 亡くなる数日前、前出の近所の住民は異変を目撃していた。

「自宅の近くで、うつろな目で道端に座り込んでいたり、立ち止まっていたり。今まではそんな姿は見なかったので、様子がおかしいなと思ってました」

 誰にも本心を語らず、地下室でひっそりと人生の幕を閉じた渡辺さん。悲しみの声は今も絶えない。
参照元:渡辺裕之さんと原日出子に起きていた夫婦の“異変”と、漏らしていた「常に将来が不安」
2022/5/9 21:01 週刊女性PRIME
原日出子、夫・渡辺裕之さん急逝でコメント「とても心の整理も出来ませんし、語る言葉も見つかりません」
2022-05-10 19:11 ORICON NEWS

 今3日に急死した俳優の渡辺裕之さん(享年66)の妻で、女優の原日出子(62)が10日、所属事務所を通じてコメントを発表した。

 原は「この度は、夫渡辺裕之の突然の逝去に際し、関係各社、ファンの皆様に、大変ご心配をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。皆様にご配慮をいただき、本日、近親者のみで見送り、荼毘(だび)に付させていただきました」と報告。

 「急すぎる別れから一週間、とても心の整理も出来ませんし、語る言葉も見つかりません。『何故…』は、きっと誰にもわからないと思います。ただ、コロナの最初の自粛の頃から、人一倍家族思いで心配性な夫は、先行きの不安を口に出すようになり、考え込むことが多くなりました」とつづった。

 「何事にもストイックで、一生懸命で、手を抜くことをしない人でした。『眠れない』と体調の変化を訴えるようになり、自律神経失調症と診断され、一時はお薬を服用していましたが、またお仕事が忙しくなって、元気を取り戻したようでもありました」。

 「しかし、少しずつじわじわと、心の病は夫を蝕み、大きな不安から抜け出せ

なくなりました。医師にも相談し、希望の持てる治療を始めた矢先の、突然の出来事でした」と記し「亡くなる前日は、楽しみにしていたゴルフ番組の収録に向けて、久しぶりに元気に動き回り準備をしていました。治療の甲斐もあったのかと安堵していたところでした」と、明かした。

 「この数ヶ月、私も、家族も、懸命に向き合った毎日でした。でも、今は何を思っても、言い訳になってしまいそうで、後悔を数えたらきりがありません。渡辺にも、彼を大好きだった方達にも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。今は全ての苦しみから解放され、自由になれたのだろうと信じたいです」。

 「渡辺は、信じられないほど綺麗で、安らかな顔で旅立ちました。それだけが、私たちの救いです。これまで渡辺を応援し、支えてくださった皆様に、心から感謝申し上げます」と結んだ。
参照元:原日出子、夫・渡辺裕之さん急逝でコメント「とても心の整理も出来ませんし、語る言葉も見つかりません」
2022-05-10 19:11 ORICON NEWS
原日出子 夫・渡辺裕之さん急逝にコメント「治療を始めた矢先…『何故…』はきっと誰にもわからない」
2022/5/10 18:55 スポニチアネックス

 3日に急死した俳優の渡辺裕之さん(享年66)の妻で女優の原日出子(62)が10日、所属事務所の公式ホームページを通じてコメントを発表した。この日、横浜市内の寺で渡辺さんの密葬が営まれた。

所属事務所は「本日、故渡辺裕之氏の近親者による密葬を終え、荼毘にふされました事をご報告申し上げます。原日出子より一文を預かりましたので、掲載させていただきます。原日出子とご家族のこれからをそっと見守っていただけますよう切にお願い申し上げます」と密葬を終えたことを報告し、原のコメントを公表した。

 コメント全文は以下の通り。

この度は、夫渡辺裕之の突然の逝去に際し、関係各社、ファンの皆様に、大変ご心配をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。皆様にご配慮をいただき、本日、近親者のみで見送り、荼毘に付させていただきましたこと、ご報告申し上げます。急すぎる別れから一週間、とても心の整理も出来ませんし、語る言葉も見つかりません。「何故・・・」は、きっと誰にもわからないと思います。ただ、コロナの最初の自粛の頃から、人一倍家族思いで心配性な夫は、先行きの不安を口に出すようになり、考え込むことが多くなりました。何事にもストイックで、一生懸命で、手を抜くことをしない人でした。「眠れない」と体調の変化を訴えるようになり、自律神経失調症と診断され、一時はお薬を服用していましたが、またお仕事が忙しくなって、元気を取り戻 したようでもありました。しかし、少しずつじわじわと、心の病は夫を蝕み、大きな不安から抜け出せなくなりました。医師にも相談し、希望の持てる治療を始めた矢先の、突然の出来事でした。亡くなる前日は、楽しみにしていたゴルフ番組の収録に向けて、久しぶりに元気に動き回り準備をしていました。治療の甲斐もあったのかと安堵していたところでした。この数ヶ月、私も、家族も、懸命に向き合った毎日でした。でも、今は何を思っても、言い訳になってしまいそうで、後悔を数えたらきりがありません。渡辺にも、彼を大好きだった方達にも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。今は全ての苦しみから解放され、自由になれたのだろうと信じたいです。渡辺は、信じられないほど綺麗で、安らかな顔で旅立ちました。それだけが、私たちの救いです。これまで渡辺を応援し、支えてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。

      2022年5月10日

       原 日出子
参照元:原日出子 夫・渡辺裕之さん急逝にコメント「治療を始めた矢先…『何故…』はきっと誰にもわからない」
2022/5/10 18:55 スポニチアネックス

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