ニーチャバンガ・ラージャヨーガ(普通でない成功法則)

最近、知人の招待で理論物理学者の保江邦夫教授(ノートルダム清心女子大学教授)を交えた学習会に参加する機会があった。

その学習会に参加するまでは、全く知らなかったが、保江教授は、ノーベル物理学賞の湯川秀樹博士が晩年に提唱していた「素領域理論」を研究し、国際的な学会においても認知されている。

「素領域理論」については湯川博士の弟子たちからは敬遠され、その弟子たちの中では、ただ一人保江邦夫氏だけが、それに注目したという。

その理論は素粒子が存在する所にはビールの泡のように素領域が存在し、その素領域を飛び移っていく形で素粒子が移動していくという。

そして素領域が変形することによって、素粒子によって構成されている物質が変形したり、消えて別の所に現れたりできる。

従って、「素領域理論」を使えば、超能力でスプーンが曲げられたり、また幽霊現象や、合気道で巨体の人物が簡単に投げ飛ばされたりするといった物理学では理解しがたい現象も説明可能であるという。

また愛とか情とかそうした目に見えない形而上の存在についても「素領域理論」によって理解可能であるという。

この保江邦夫教授が最近、出版した『ついに愛の宇宙方程式が解けました』徳間書店では、その人生の奇想天外な通常ではあり得ないような成功法則が紹介されている。

それはジョーティッシュのフレームの中で言うならば、明らかにニーチャバンガラージャヨーガやヴィーパリータラージャヨーガ、パラシャラの例外則などの二重否定の法則が何重にも張り巡らされている印象なのである。

二重否定の法則というものが如何なるものなのか、それを理解したい方には是非、お勧めしたい一冊である。

YasueKunio_book
実際、この本の中に書かれている保江邦夫教授の普通でないエピソードについて以下に著書の中から要約して紹介してみたい。


①【高校入学時のエピソード】

担任の教師から成績が悪く普通科高校受験は無理なので職業高校進学を勧められたが、県内でトップの進学校である岡山県立岡山朝日高等学校に志願し、通常、成績が良くなければ教師から許可されることも難しいが、叔母の担任教師との気迫の直談判で出願を許可される。

出願した年に岡山県教育委員会の方針で朝日高校への出願が集中しないように書類選考による選抜方式で本人の希望は無視して市内の普通科4校に振り分けられることになったが、保江氏は運良く朝日高校の出願が認められる。

当日の試験では、実技科目であった美術の試験科目で「美しい空間図形を構想して立体的に描いてみよ」という創造性が必要な科目で、優れた才能を示して合格する。


②【大学進学時のエピソード】

志望して受験した東北大学では、過激派学生が拠点を築いていたキャンパスでは入試を行うことが出来なくなり、異例の措置として、宮城県内の県立高校のいくつかが入試会場となる。過激派学生がヘルメットと角材で武装して試験会場に突入すると噂されていたため、高校の周囲を機動隊が取り囲んでいた。

通常なら二日間朝から晩まで行われる入学試験は、二日間の午前中のみでやってしまうという異例の措置となり、試験時間は通常の半分、出題された問題の数は極端に少なくなる。試験問題は通常とは異なるかなり斬新、悪い意味では受験生の多くを思考停止に追い込むような問題ばかりが出題された。

そのような斬新な問題は、まっとうな受験勉強をせずに天文や宇宙などの趣味的な知識を増やしていた保江氏にとっては楽勝で理解でき、試験に合格する。


③【東北大天文学科配属時のエピソード】

大学入学後、一年次の授業をまともに出なかったため、二年次の授業を理解してまともに単位をもらうことが難しい状況で、留年の危機にあったが、
当時、東北大学教養学部では学生運動が最盛期を迎えており、過激派のみならず、穏健派の学生も巻き込んで無期限の学生ストライキが決議された。

教養部二年生全員が単位不足で留年し、学部の三年生がゼロという日本の大学史上初めての不名誉な事態に陥る状況が逼迫している中で、機動隊が守りを固める教養部の教室棟で、期末定期試験が開催されることになり、異例の措置として定期試験の会場に出向き、答案用紙に学籍番号と氏名を記入すれば自動的に単位がもらえることとなる。

物理系学生のうち、ボイコットせずに定期試験を受けた学生の中で、天文学科を志望していたのは、保江氏含めて5人であり、ちょうど定員も5名であったため、成績が良くなかったにも関わらず、通常なら倍率が高く入ることが難しい天文学科への志望が成就する。


④【京都大学大学院受験時のエピソード】

成績が悪かったが、京都大学大学院での理論物理学の専攻を志望する。

(保江氏曰く、無鉄砲極まりない選択であり、理論物理学に関しては、日本人として初めてノーベル賞に輝いた湯川秀樹博士や朝永振一郎博士を輩出した京都大学が日本一と目されており、全国から秀才中の秀才たちが、新しい物理理論を見つけようと、こぞって京都大学大学院を受験するような超難関の大学院であるとのこと)

一次試験では出題されたほとんどの問題は手つかずで時間切れとなる。辞書持ち込み可であったドイツ語の読解が、保江氏が興味のある自然現象のものであった為、適当な文章を捏造して回答用紙に記入する。⇒合格する。

二次試験では、「君は、うちの大学院に進めたなら、どの教授の研究室に入りたいのかね?」という質問に対して、有名な教授たちの中で一人だけ全く知られていない助教授の名前を挙げて、「誰々先生の研究室に入りたいと願っています」という意外な指名を行う。「誰々先生の研究室に行きたいので、第二希望の研究室など考えていません」と追い打ちを掛けられた助教授は「いや、こんな学生がうちの大学院に入ってくれるといいですね」と主任教授や他の教授たちに向かって言い放つ。⇒このようなやり取りの結果、合格する。


⑤【名古屋大学大学院への編入時のエピソード】

京都大学大学院では、重箱の隅を箸で突くような枝葉末節の研究テーマに失望する。

湯川秀樹博士の「素領域理論」を国内で唯一理解しており、研究成果が世界的に高く評価されている高林武彦教授の自宅をアポイントなしで訪問し、
編入の希望を伝えるが、名古屋大学の素粒子論研究室では、共産党系の教官や院生が行き過ぎた民主主義で運営しているため、教授が誰を受け入れるかを決定できない旨を告げられる。

そのため、名古屋大学大学院の超難関編入試験を受けることを決める。

試験はセミナー発表形式で行われ、素粒子論研究室の中で一番の論客と恐れられていた市内の私立大学に勤務していた男性が、保江氏の理解力を試してボロを出させようとする厳しい質問をぶつけてきたが、その男性が不慣れた数学の抽象論についてたまたま保江氏は以前から興味を持って深く考察していたため、質問に対して理路整然と説明でき、男性は、保江氏がかなりの才能を持っていると勘違いし、その後は全く質問して来なくなった。⇒結果として合格。


⑥【博士号取得時のエピソード】

当時、大学院には博士号を取得しても大学の助手になれないオーバードクターの人々がゴロゴロおり、海外に可能性を見出そうとして、毎日英文で何通もの手紙を書き、発表した論文を添付して、海外の著名な教授たちに航空郵便で発送していた。

保江氏は、博士号を取っていない早い段階から手紙だけを出して、活動しておこうと考え、アメリカとヨーロッパの数人の高名な教授宛てに助手にしてもらえるように依頼する手紙を送付する。

ジュネーブ大学のチャールズ・エンツ博士から電報で助手として採用する旨の返事が来る。

真相としては、既に決まっていた採用予定者が急に来れなくなったが、助手を採用しないと予算が大学側から削減されてしまうため、ちょうど机においてあった保江氏の助手としての採用を依頼する手紙を読んで、一年間だけ急遽、予算枠確保のために採用したのであった。

助手としての採用が決まったが、博士号は持っていなかったため、学歴詐称となる可能性があったが、指導教官の厚意で博士の学位を異例の措置で間に合わせてもらう。⇒結果として、最短で博士号を取得する。


⑦【ジュネーブ大学での任期延長のエピソード】

ジュネーブ大学での助手としての任期は1年であったが、大学院生(ジャンクロード)の指導教官を引き受けた所、ジャンクロードが博士の学位を取得できるまで、任期が5年間、自動延長される。

ジャンクロードはジュネーブ大学の重鎮であったシュテュッケルベルク教授と個人的に親しかったため、研究室なども移動することができ、優遇される。

保江氏曰く、エンツ博士は、シュテュッケルベルク教授に買い物に行かされる程の上下関係があり、シュテュッケルベルク教授の意向に逆らえず、保江氏の任期延長の案件について無条件に受け入れるしかなかったという。


以上、保江邦夫教授の学生時代から博士となるまでのエピソードを要約したが、非常に普通でない幸運が次々と重なることによって、全く普通ではあり得ないような上昇が起こっている。
保江氏は、成績が悪かったとして、謙遜しているのではないかという向きもあるが、実際、世間的な常識で考えると、成績が悪かったのではないかと思われる。
逆に通常の学習には興味が持てなかったにも関わらず、天文学や宇宙についての知識には詳しかった辺りなどは非凡な才能に恵まれていたと考えることも出来る。

但し、何を持って才能となすのかという議論を抜きにしても、保江氏の上昇は全く普通でないあり得ない幸運によって彩られている。
私がこのように保江邦夫教授の過去のエピソードを要約して紹介するのは、実際、保江邦夫教授のチャートでは、全く普通ではない上昇がもたらされる配置が形成されていることを発見したからである。
保江邦夫教授の出生データについては、wikipediaに掲載されているので、それを元にしてチャートを作成した。

YasueKunio_chart
出生時間が分からないため、12:00で作成するが、ナヴァムシャに注目すると、牡羊座で太陽が高揚し、火星が自室に在住して、土星が減衰している。

そして、その牡羊座にムーラトリコーナの木星がアスペクトしている。

非常に強力な配置である。
このように強力なナヴァムシャは、ビルクリントンのチャートでしか見たことがない。

ビルクリントン元米大統領のチャートのナヴァムシャでは、牡羊座に太陽と火星が在住し、木星が天秤座からアスペクトしている。

クリントンもスキャンダルの材料が多かったにも関わらず、有力者からの強力なサポートを受け、大統領に当選していくのであるが、保江氏は、そのような大統領に匹敵するほどの強いナヴァムシャを持っている。

但し、ビルクリントンの場合は、ダシャーヴァルガシステム(Dasa varga:D1,D2,D3,D7,D9,D10,D12,D16,D30,D60)において、D1、D3、D4、D7、D9、D10などかなり多くの分割図で、太陽は定座以上の強い配置にあるため、太陽の強さの点においては、最強であるが、ナヴァムシャの配置だけを見る限りにおいては、保江氏は、ビルクリントンの配置よりも強力ではないかと思われる。

BillClinton_chart
保江教授のナヴァムシャの牡羊座では土星が減衰しているが、ディスポジターの火星が同室しているためにニーチャバンガラージャヨーガが形成されている。

また減衰する土星は高揚する太陽とコンジャンクションしているため、この点でもニーチャバンガラージャヨーガを形成している。

二重の意味でニーチャバンガラージャヨーガを形成していることが分かる。

太陽は高揚し、そこに友好惑星の火星が自室の牡羊座で同室して強力にサポートして、ムーラトリコーナの木星が射手座からアスペクトしており、これだけでも十分強い配置であるが、減衰する土星がこれに加わって、ニーチャバンガラージャヨーガを形成することによって味わい深い体験をもたらしているのである。

例えば、土星はルールや規則、形式を表すが、上記にエピソード①~⑦にまとめた保江氏のあり得ない形での上昇は、全て通常のルールや常識が失われた中で生じている。

②や③の大学進学時や天文学科配属時のエピソードでは、過激派の学生運動のせいで、通常の試験が行えなくなった所で、逆にそれが上昇をもたらしている。

通常は、過激派の学生運動のせいで試験が行えなくなるなどといった事態は、災難であり、マイナスの出来事であるが、保江氏の場合、こうした非日常の異常な事態が、逆に「災い転じて福と為す」の効果で、試験に通過するためのチャンス(機会)に転換しているのである。

これが二重否定であり、ニーチャバンガラージャヨーガの味わい深い効果である。

牡羊座で減衰する土星などは、大学のルールを守らない過激派の学生運動を象徴しているが、そのことが、安江氏にかえって味方する訳である。

つまり、安江氏にとっては減衰する土星は全くマイナスに働いておらず、プラスとして働いていることが分かる。
他のエピソードとしては、例えば、⑥の博士号取得時のエピソードなどもそうである。

博士号をまだ取得する前に「博士号取得済み」と経歴詐称に近い形の手紙を海外の教授宛てに送る所など、まさにルールを守れない減衰した土星の働きと考えらえる。

通常は、このようなルールを守れない土星による行為は、社会に適応できない反社会的行為として、マイナスに働くはずである。

然し、保江氏の場合、そのことが却って、博士号を最短で取得することにつながっていく訳であり、本来、マイナスであるはずの減衰した土星が、プラスに働いていることが分かる。
保江邦夫教授が、「神様に溺愛される人の法則」と自ら名付けた奇想天外な普通でない成功法則は、まさにこのニーチャバンガラージャヨーガのことを示していたのである。

このように二重否定の法則というものは非常に味わい深いのであるが、二重否定には、ニーチャバンガラージャヨーガや、ヴィーパリータラージャヨーガ、そして、パラシャラの例外則など様々なものがある。

保江教授のチャートにはおそらく、ニーチャバンガラージャヨーガの他にパラシャラの例外則なども働いているのではないかと思われる。

出生時間が分からないため、ラグナが特定できていないが、3室、6室、8室の支配星が減衰したり、惑星が3室、6室、8室で減衰する場合に生じるパラシャラの例外則も、このような通常、マイナスに働く減衰がプラスに働くという逆転の作用を持っている。

個性的な人生、奇想天外な人生とは、このような二重否定の法則によってもたらされるのである。

今回の保江教授のエピソードは、ジョーティッシュにおける二重否定の概念について理解するための教科書的な事例である。

またナヴァムシャチャートがいかに重要であるかを理解するための極めて分かりやすい事例ではないかと思われる。
















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