『レ・ミゼラブル』が今、このタイミングで公開された理由

2012年12月21日に公開されたミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を見たが、今回、この古典的名作を視て、色々なことが分かった。

まず、この作品はキリスト教の慈悲や慈愛、許しといったテーマが、フランス革命の精神と矛盾しないことを描いた素晴らしい作品である。

フランス革命というと、フリーメーソンが背後で働いていたことが知られているが、映画の中でも、フリーメーソンの徴が登場し、革命を志す青年がメンバーとしての指輪をはめている。

主人公はジャン・バルジャン、飢えた妹のためにパンを盗み19年間の監獄生活を送り、人間不信で心が捻くれていたが、偶々出会った心温かい司教を通して、キリストの慈愛の精神に触れ、悔い改め、まっとうな人間として生きることを誓う。

このジャン・バルジャンを追うのが、ジャヴェール警部という社会秩序を厳格に守る法の番人である。法こそが正義であるという固い信念がある。彼にとって、ジャン・バルジャンはたとえ飢えた妹のためであっても、またたとえ、ただパンを盗んだだけであっても、法を犯した罪人である。

この2人の信念の対決が、物語の全体を通して描かれる。

背景は貧困に苦しむ人間が溢れる19世紀のフランスで自由と平等を求める民衆が革命を繰り返した時代である。

映画の中では、そのキリスト教の精神と、フリーメーソンの自由と平等を求める青年達の純真な心が、共に物語の2本の精神的柱となって視聴者を魅了するのである。

何故、今、この『レ・ミゼラブル』なのかということを考えて、私は思いつくものがあった。

この映画は昨年の2012年12月21日に公開され、その時、土星は天秤座に入室し、木星は牡牛座で逆行し、天秤座にダブルトランジットが生じていた。

つまり、天秤座は自由と平等を求める民主主義の星座である。大衆を表わす土星が高揚する星座である。

この映画が2013年6月21日にTSUTAYAで、レンタルが開始されたので、私もようやく見た。(最近は、映画館にはめったに行かないので映画は全てDVDで視聴している。)

2013年6月21日の時点で、木星は双子座に入室しており、土星は天秤座で逆行して、双子座にダブルトランジットしている。
(そして、本日6/28日の時点で水星や太陽もトランジットしている。)

この双子座にダブルトランジットしていることが『レミゼラブル』現象を理解する場合に非常に大きな意味を持っている。

特に今、精神性や宗教性を表わす木星が双子座を通過していること、そのことが非常に重要である。


『秘教心理学』(アリス・ベイリー著 AAB ライブラリー 翻訳・発行)に以下のような記述がある。

『・・・問題の糸口は、非常に古い時代に、 文字通り、太陽が双子座にあった頃に見られるからである。当時、フリーメイソン友愛団のすべてのメンバーたちが知っているように、フリーメイソンにおける大いなる道標である二本の柱が立てられた。』


この謎めいた言葉の中にフリーメーソンと双子座の関係について語られている。

この文章の中で、”太陽”と書かれているのは、春分点のことである。

これはアリスベイリーの他の箇所の文脈でも、春分点を意味している。


つまり、春分点が双子座にあった時に、フリーメーソンにおける重要な道標である二本の柱が立てられる程、フリーメーソンと双子座は関連があるのである。

おそらく、2012年12月21日に公開されて、実際に全世界的にこの古典的傑作が上映されるのは2013年を通してである。

何故、このタイミングなのか。

それは木星が双子座を通過する時、精神性が双子座のフリーメーソンの理念、フランス革命の理念を通して、全世界的に広がるからである。

そのためにこの映画は、予定調和的に今、上映されているのである。

特に今のタイミングに上映することをプロデューサーや監督が意識した訳ではなく、紆余曲折があったようである。

wikipediaによれば、この映画の映画化への動き自体は1991年ぐらいから始まっているようである。

実際、1992年にプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが映画を製作することを発表したが、その時には計画は頓挫している。

そして、2005年にマッキントッシュが再び、映画化への願望を表明している。

そして、2011年にキャスティングが決まり、2012年3月8日にようやくフランスで撮影がスタートしたという。


然し、占星術的に考えれば、まさに双子座に木星がトランジットするタイミングに、フリーメーソンの革命であったフランス革命をテーマとする映画が上映されることがふさわしいタイミングなのである。

私自身、実際、いつもプラーナダシャーの水星期に文筆活動をするが、水星期ではない時にほとんど書き上げかけていた記事を水星期になって手直しして、ブログやホームページにコラムとしてアップしたという経験がある。

従って、ダシャーが来るその既に前のタイミングにおいて準備や活動を開始しているのだが、実際にアップされたり、公開されるのは水星期に入ってからということがよくあった。

この『レミゼラブル』の公開タイミングに関しても全く同じである。

木星が双子座に入室するずっと以前から、制作への準備は始まっていたのであるが、双子座に入室したタイミングで全世界的に公開されたのである。

これは占星術の秘密の一つであるが、あらかじめ決められていたとしか思えない。


つまり、『レミゼラブル』とは、キリスト教の精神、フリーメーソン、革命への賛歌なのである。


・フリーメーソン
・キリスト教の精神
・革命


それは、ジャン・バルジャンが司教のキリストから受け継がれた慈愛の精神に触れて正しい人間として復活し、世に善行を為していくというキリストによる魂の救いを描いている。

そして、法を厳格に守るジャヴェール警部との信念の対決を通して、人間の法よりも神の法の方が優れていること、キリストの愛の勝利が描かれている。

最後にジャヴェール警部はキリストの信念に心を打ち砕かれ、既に人生をやり直すには、あまりにも遅すぎたジャヴェール警部は自分の寄って立つ拠り所を失い絶望して自殺してしまう。

この辺りは、イエスキリストのパリサイ派や律法学者、悪魔(サタン)との対決を髣髴とさせる。

そして、舞台の背景となる革命の時代において、青年革命家たちが、最後に軍隊に銃殺されても、自由と平等を求める革命の精神は受けつがれ、そして、エンディングで革命の同志たちが、一斉に登場して革命の成就を祝うシーンで幕を閉じる。

これらはどう考えても、キリスト賛歌、フリーメーソン・革命賛歌なのである。

 

この『レ・ミゼラブル』の大ヒットは、時代精神を反映していることは間違いない。

今、全世界的に吹き荒れている革命の嵐がそれを物語っている。

実際、それらは日本の新聞やテレビにおいては、全く”革命”という言葉が使われることもなく、また報道されること自体が少ないため、その温度感は伝わってこないかもしれないが、2010年~2012年にかけて、アラブに吹き荒れた民主化要求運動がそれである。

アラブの春と呼ばれるその一連の民主化要求は、チュニジアでのジャスミン革命から始まり、それがエジプト、リビア、イエメンの政権打倒をもたらし、またデモは、アルジェリア、モロッコ、サウジアラビア、ヨルダン、レバノン、イラク、クウェート、バーレーン、オマーンの現体制にも大きな影響を与えた。

アラブ世界ばかりでなく、アメリカのウォール街を取り囲む運動や、ロンドンでの暴動、そして、ギリシアの暴動やヨーロッパでの大規模なデモなど、民主化の嵐は、全世界的規模で起こっている。

一般市民が蜂起し、軍事力と秘密警察によって統治していた独裁者の政権を打倒したアラブの革命は、フランス革命の精神と全く同じものである。

それは抑圧されていた市民が自由と平等、民主主義を勝ち取った祝祭であった。

『レミゼラブル』は、こうした全世界的で今、成就しつつあり、今、なお戦われている革命を賛美する映画なのである。


第二次世界大戦以後、米国は軍事援助などを通じて発展途上国に親米政権を樹立させ、米国に資源や基地や、運河といった利権を提供させてきた。

1980年以降、IMFや世界銀行が発展途上国に資金を貸し付け、返済できなくなった所で、途上国の指導者を買収し、従わない場合は、軍事力によって制圧し、傀儡政権を樹立するという、アメリカの第二の植民地政策である。(『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』 ジョン・パーキンス著)

革命によって親米政権であったエジプトのムバラク政権は打倒された。
ムバラク政権は米国の多国籍企業によって港湾や道路のインフラ整備をしており、親米政権の優等生であった。

革命は独裁者に対する革命であるが、世界を支配するアメリカの支配者階級に巣食う物質主義、物質性の勢力との戦いでもある。

現在、トルコやブラジルでも大規模なデモが起こっており、これは世界的な現象である。

 

日本はこうした世界の動きから切り離された情報鎖国の島国であり、海外のこうした熱い動きは新聞やメディアではあまり報じられないが、それでもインターネットを通じて、こうしたデモの動向は伝わってくる。

日本は歴史的に革命が起こらない文化、国民性である。

日本の国民の場合、フランス革命、アメリカ独立革命のような市民革命というものは一度も経験していない。

武器商人トーマス・グラバーが坂本竜馬を使って、薩摩や長州の志士を動かし、江戸幕府を倒したというのが、日本における革命に相当する。

それは全く市民革命といったものではない。

日本の歴史においては古い封建体制を崩壊させたフランス革命に匹敵するような革命であるが、一般市民にその哲学や理念が浸透していたとは言い難い。

単に外国との交易によって目を海外に向け、経済力も身につけていた地方の藩勢力による軍事的な体制交換に過ぎない。
ヨーロッパの近代化、学問や理性に対する憧れはあったと思われるが、一般市民の権利意識や政治的な成熟があった訳ではない。

これが西洋社会との違いである。

西洋社会においてプラトンから始まって、デカルト、カント、ヘーゲルといった哲学者の系譜による形而上学、理性の歴史において、人間の権利に対する理論には格段の層の違いがある。

日本の国民には近代市民革命を起こせるほどの理性の目覚めというものはなかった。

江戸の徳川家が大政奉還して、薩長土肥の有志から構成された明治新政府は国民には秘密にして南朝の天皇の子孫(玉)を連れてきて、北朝の天皇に据えて樹立された。秘密主義はこの頃からの伝統である。

ただ徳川家から薩長土肥の明治新政府に政権が移行しただけであった。

そして、西洋社会ではまず哲学者による市民の啓蒙から始まり、市民の覚醒による近代市民革命によって血を流して権利が勝ち取られてきた歴史があるが、日本では、こうした歴史的に積み上げられきた経験を伴わない表面だけの近代化によって軍事力と経済力を増強し、大国となった後、第二次世界大戦で敗北して、それで、マッカーサーの進駐時に理想主義的な社会主義者であったマッカーサーの連れてきた法務将校によって日本国憲法が与えられた。日本の政府は抵抗したが、この時に日本人に進歩的な男女平等や民主主義が与えられ、明治維新から中途半端に続いていた封建体制がこの時に破壊された。

この時も日本の国民は近代市民革命を起こして血を流して民主主義を勝ち取った訳ではない。

日本は外側こそ、民主主義の態をなしてはいるが、実際の中身についてはつい最近まで未だに封建社会であった。

そして、この時に憲法9条 「戦争の放棄」「戦力の不保持」の条項も与えられた。

これは、ガンジーの非暴力不服従運動をそのまま国家の憲法にしたような条項である。

非暴力不服従というガンジーという聖者の精神に近いものが、日本の憲法第9条の中に組み入れられた。

それを与えたアメリカ自身でさえ、そんな現実離れした理想主義は実践できもしないような、そうした憲法が受動的に与えられた。


然し、そんな日本人でも戦後、日米安保条約の更新時には大規模なデモが起こったし、一般市民は全く目覚めていない訳ではない。

またつい最近も、東北大地震とその後の福島原発の事故と、事故への政府の対応について、大規模なデモが首相官邸前などにおいて繰り広げられ、国会の周りを市民によるデモが取り囲んだ。20万人が取り囲むデモが起こった。

おそらく、日本の場合は、日本人は天皇に対する献身の情、敬愛に篤く、政府の官僚に対しても、体制転換に動くよりも、むしろ、お上を諭し、目覚めて、真実の善政を敷いて下さいとお願いするような国民性である。

政府に対して、もっとちゃんと我々の面倒を見ろといって怒るような国民性であり、我々が代わりに統治するとは言わない国民性である。
従って、体制転換が行われるような国民性ではないから、革命は起こらないのであるが、然し、それでも、アラブの春と同じものが、政府や東電への批判や、国会へのデモといった形で、日本にも吹き荒れたのである。

そうした国民性であるから、おそらく日本人にふさわしい革命は、政府に強く改革を促し、政府の自浄作用を求め、日本人の各々が日本にいながらにして、世界人の意識へと自らの意識を飛翔させることである。


民主党政権を選んでみて分かったと思うのだが、日本の統治者である政府官僚は、選挙で選ばれていないため、体制転換は中々難しいと言える。

日本の官僚が企業と癒着していて利権を食い物にしているといって怒って事業仕分けをしてみても、日本の国民を強いリーダーシップで引っぱってきたのはそれでもやはり、日本の政府や企業であり、彼らの過去の働きのおかげで、日本は経済的に繁栄し、今でも日本人は食べることができている。

政府の官僚や企業による高度経済成長のおかげで、いまだにその余韻によって食べることができている日本人は体制転換に向いていない。民主党政権に政権交代してもパッとしなかったのはその為であるように思える。お上に守ってもらいたい、与えてもらいたい国民性では、何か政府や企業に対して強いパイプを持たず、アメリカとの関係もギクシャクしてしまう民主党政権が頼りなく見えてしまうのである。

今、日本という国は中々厳しい状況にある。

中国による国境の脅威や中国やアジアの経済的台頭による相対的経済力の衰退により、物質的繁栄を謳歌した時代のかつての自信を失ってきている。

こうした時に台頭してくるのが、民族主義であり、強いカリスマ的リーダーによって国難を乗り越えようとする動きである。

右翼的な主張をする人間が多くなり、外国人排斥運動など偏狭な活動も多くなってくる。

然し、フランス革命においても起こったことであるが、革命が成就した後に旧体制への揺り戻しということが起こっている。

従って、革命や革新というものは、二歩進んで一歩下がるといった非常にゆっくりなものである。

確かに強いカリスマ的リーダーによる強い外交力やリーダーシップによって、国家を建て直すことはできるが、カリスマ的リーダーによるリーダーシップ自体が時代遅れである。

カリスマ的リーダーに何とかしてもらおうとする受動的な姿勢や受け身な姿勢、与えてもらおうとする姿勢、従おうとする姿勢自体が時代遅れと言わざるを得ない。

であるから、日本人にふさわしい真の革命は、意識を拡大して、世界人になることである。

自らの魂が求める自由や平等や博愛、そして、自己実現の欲求、これらを得るためには、世界革命を成就させることである。

そうすれば、日本人が抱えている問題も、その世界革命が成就したあかつきには同時に解決するだろう。


現在、双子座を木星が通過し、土星が天秤座を通過しているので、天秤座に土星と木星のダブルトランジットが生じている。

この天秤座に土星が通過して、木星がアスペクトするこの一年は非常に重要な一年である。


『レ・ミゼラブル』が世界的に大ヒットするのと同じようにキリスト教の隣人愛とフリーメーソンの自由、平等、博愛といった精神を体現する世界的なイベントがこの時期に起こらなければならないのである。

アラブの春に象徴され、世界的に起こっている民主化、民主主義の嵐が、自由、平等、博愛を求める市民の叫びが世界的に拡大し、まもなく街を道路を人々が埋め尽くすような世界的な祝祭が起こらなければならない。

今、まさに人類にそのような祝祭が起ころうとしている。


(参考文献)

なぜ日本の保守は親米従属なのか?


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