江沢民死去 -反日教育、法輪功弾圧の元凶-



中国の江沢民元国家主席が死亡したとニュースが伝えている。


死因は白血病と多臓器不全とのことである。


江沢民は、鄧小平から権力を譲り受けると、鄧小平の改革開放路線を継承し、資本主義に舵を切り、外国資本を導入して、輸出を強化して、中国を「世界の工場」と呼ばれるまでの大国に導いた。

今の中国の経済的躍進の基礎は、江沢民時代に築かれたということができる。

江沢民時代に多くの外国企業が中国に進出し、資本主義という点では、アメリカや西側諸国と価値観を共有していた為、今の習近平政権のように軍事力を強化し、アメリカの覇権に挑戦するということもなかった為、世界経済のグローバリゼーションの流れと共に順調に経済発展を成し遂げた。

wikipediaによれば、総書記就任直後の1990年の中華人民共和国のGDP(国内総生産)が3888億ドルだったが、2000年のGDPが1兆71億ドルになっており、1990年から2004年にかけて、毎年、平均10%で経済成長し、高度経済成長を成し遂げた。
そして、自らが引退するまでに江沢民派の部下を中央政治の中枢の地位に就けて、上海閥と呼ばれる勢力を築き上げ、総書記を引退後も実力を保ち続けた。

次の胡錦濤時代でも、北京オリンピックの開会式で胡錦涛夫妻の左隣に並んで座ったり、2015年9月3日の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典、あるいは、2017年10月18日の中国共産党第十九回全国代表大会でも、胡錦濤とともに並んで健在ぶりをアピールしていたという。



ちょうど中国の建国図では、ラグナロードの土星が、アメリカを象徴する獅子座8室に在住している。


この土星期において、中国は世界の工場としてせっせとアメリカに製品を供給し、外貨としてのドルを稼いできた。


アメリカと事を起こさずに経済的な発展にのみ集中してきた時代である。


これがちょうど胡錦濤時代であり、背後から上海閥を通して、実力を行使して来たと言える。


基本的に江沢民は、資本主義を通して、アメリカと上手く付き合い、経済的な富を蓄積するという立場である。


江沢民派の中国共産党の高官が、自分の子弟に便宜を図るような汚職が蔓延していたようである。


息子である江綿恒も父親の権力を笠にして、上海閥の大物として、汚職を繰り返してきたようである。



江沢民はこのように中国の経済的発展を導いてきたが、裏のある人物で、江沢民の実父の江世俊は、日中戦争時代に日本の傀儡政権である汪兆銘政府の官吏で、日本軍占領下の江蘇省で日本の特務機関に協力をしていたという。


改革開放路線で、資本主義化に舵を切って、共産主義のイデオロギーが通じなくなると、自分の父親が、日本に協力していたことを隠すためもあるのか、反日教育を行って、反日政策に導いた。



また1999年から、法輪功の信徒による北京中南海陳情事件が起こってから、「法輪功を皆殺しにする」との方針で、残酷な弾圧を開始したとされる。


中国の臓器移植のドナーの供給元が、法輪功の信徒から強制的に摘出した臓器であると言われ、「臓器狩り」と呼ばれる臓器売買に対して、「人道に対する罪」犯罪として、世界中から告発されている。


それを象徴するかのように江沢民の息子・江綿恒は、二度の臓器移植を受けている。


富を蓄えた後は、臓器移植により長寿を追求しているということである。




この江沢民の出生図を作成してみて、法輪功学習者への弾圧など、この激しい暴力がどこから来ているのか即座に理解した。





まず、月ラグナが蠍座で、ラグナロードの火星が牡羊座バラニーに在住し、高揚する土星が対向からアスペクトして、6-12軸で、土星と火星が相互アスペクトしている配置である。


土星と火星が、定座や高揚という形で、非常に強い状態で、暴力の6室に絡んでいる。



これはレーニンのチャートも蠍座ラグナで6室牡羊座に火星が在住し、多くの粛清を行なったことで知られる。



北朝鮮の金正恩もおそらく獅子座ラグナで、6室で火星が高揚している。



6室の火星とは、虐殺、粛清、過酷な暴力の配置である。




そして、種々検討した所、ラグナは、牡牛座ラグナである。



牡牛座ラグナだと、火星が12室で、バラニーに在住する形になるが、これは人から隠れた所で、暴力を振るう配置である。



例えば、デヴィッド・ロックフェラーも月、太陽から見て、12室牡羊座に火星が在住しているが、ジョン・F・ケネディが暗殺された時、CIAを自由に動かせる実力があったことを考えると、デヴィッド・ロックフェラーが関わっていたと考えることができる。


それと同じように江沢民は、中国の公安当局を動かして、法輪功をいくらでも弾圧することが出来たのである。



マイケル・ジャクソンも牡牛座ラグナで12室に火星が在住しているが、ネバーランドと称する秘密の部屋で、幼児たちを虐待していたことが知られている。







牡牛座ラグナで正しいと思われる理由は、いくつかあるが、江沢民が権力を掌握して、引退するまでの間、土星が、山羊座、水瓶座、魚座を通過していたのであり、牡牛座ラグナであれば、土星が主に9室、10室、11室を通過していたことになる。



土星が9室、10室、11室を通過する時期は、キャリア上で最も重要な時期である。



その間、牡牛座ラグナであれば、マハダシャーは、4室で定座に在住する太陽期であった。




江沢民は、中国の為というよりも共産党の中枢に上海閥という自分の私的なファミリーを形成した為、明らかに4室で定座に在住する強い太陽の働きである。





結婚


1949年12月に王冶坪と結婚しているが、ダシャーは水星/水星期で、水星は2室の支配星で、この時期に結婚したことが納得できる。





トランジットを見ると、土星がラグナにアスペクトし、木星がラグナにアスペクトして、ラグナ(7室からの7室)にダブルトランジットしている。




子供の誕生


江沢民には2人の子供がいるようだが、長男の江綿恒は1951年4月に生まれている。



ダシャーは同じく水星/水星期で、おそらく、出生図でもナヴァムシャでもサプタムシャでも水星は5室の支配星ではないかと思われる。





少なくとも出生図のラグナは牡牛座で正しいと思う為、水星は5室(子供)の支配星である。





トランジットを見ると、土星が5室、木星が11室を通過して、5室にダブルトランジットが生じている。





権力の掌握


江沢民は、1946年4月に共産党に入党し、初めは一党員に過ぎなかった。



結婚や子供の誕生を経て、1953年に第一機械工業部上海第二設計分局電力専業科長という役職を得ている。



そして、プロフィールを見れば分かるが、技術系の責任者として、管理職を務めながら、着々と出世をしていくが、1982年9月の第12回党大会において中央委員に選出されている。





この時のトランジットを確認すると、9、10室支配のヨーガカラカで、天秤座6室に在住する土星に対して、土星がリターンし、木星もトランジットして、10室にダブルトランジットしている。


中国共産党中央委員会の中央委員は204名で、この中央委員に選出されたことは、党の最高指導者である総書記を選出する立場であり、また自らも最終的に総書記に選出される可能性を示唆する。





また1983年6月に電子工業部部長(大臣)に就任した時、やはり、10室にダブルトランジットを形成している。





1989年6月23日から24日に鄧小平によって党総書記・中央政治局常務委員に抜擢された時も土星と木星が10室にダブルトランジットしていた。



然し、この時は、8室にもダブルトランジットが生じている為か、鄧小平から抜擢され、権力を継承(相続)するニュアンスがあったと考えられる。





その後、1989年11月に鄧小平から党中央軍事委員会主席の地位を継承した時も同じ配置である。






1990年4月に国家中央軍事委員会主席に就任した時は、8室へのダブルトランジットによる承継という性質はなくなったが、土星は9、10室支配のヨーガカラカの土星にアスペクトし、木星も9、10室支配のヨーガカラカと、10室にアスペクトし、10室にダブルトランジットが生じていた。








そして、1992年10月、第14回党大会で、自らを中心とする指導体制を確立し、最高指導者としての地位を確実にした時も土星は山羊座で逆行して10室と10室の支配星にアスペクトし、木星は獅子座から10室にアスペクトしていた。





従って、鄧小平から抜擢され、権力を掌握して、最高指導者に就任したタイミングやその前からの出世のタイミングは全て、10室にダブルトランジットが形成されていることが分かる。



その為、牡牛座ラグナで間違いないことが分かる。





法輪功への弾圧


wikipediaによれば、1999年に法輪功の信徒による北京中南海陳情事件が起き、面子を潰された江沢民は、以後、「法輪功を皆殺しにする」との方針で、残酷な弾圧を開始している。




この時、トランジットの土星は、牡羊座バラニーに在住する出生の火星の上を通過しており、この火星は独裁者にとっては過酷な暴力を表わす配置である。



木星は水瓶座をトランジットしており、木星と土星は暴力の6室にダブルトランジットしている。



ダシャーはちょうどこの頃にマハダシャー太陽期から月期に移行しており、月は3室支配で、7室で減衰している。



太陽期は、総書記として、中国の躍進を導いたが、月期は、減衰する3室の支配星である為、心境の変化が訪れたはずである。



ダシャーロードの月から見ると、火星が6室で自室に在住して、高揚する土星がアスペクトしている為か、この頃から法輪功に対する徹底的な弾圧、そして、チベット人への「集団殺害」を行っている。




wikipediaによれば、「法輪功学習者の監禁者数は数百万~数千万人、迫害による死者は法輪功の発表によると確認されているだけで死亡者は4363人に上る」とされているが、監禁された法輪功の信徒が、数百万から数千万人いて、この信徒たちから「臓器狩り」と呼ばれる凄まじい犯罪行為を行っていることになる。


こうした犯罪行為は、月ラグナから見て、6室で定座に在住し、12室で高揚して、相互アスペクトする強力な火星と土星によって為された行為である。



この牡羊座の火星と、天秤座の土星によるコンビネーションは凄まじいパワーをもたらす為、要注意である。





習近平との権力闘争


江沢民は、胡錦濤時代にも上海閥を通じて、背後から実権を振るい続けたが、2012年に習近平が総書記に選ばれる時にも背後から糸を引いたようである。





然し、習近平は権力の座に就くと、上海閥の汚職を次々に取り締まり始めて、江沢民の利害と対立したのである。





2015年に江沢民の息子・江綿恒の腐敗、汚職が捜査の対象となっているが、ちょうど、マハダシャーラーフ期に移行する直前であり、ダシャーチッドラ―で、既にラーフ期への移行の影響が開始していたと考えられる。



ラーフをラグナとすると、ラグナロードで4室支配の水星と、5室支配の金星が蟹座プシュヤに在住しているが、そこに6、11室支配の火星と、8室支配の土星がアスペクトして激しく傷つけている。



2室は江沢民の親族や財産などを表わしており、上海閥の自分の息のかかった部下たちを表わしている。






この親族や部下たち、家族の財産が、激しい権力闘争の末に破壊されることを表わしていたのである。




死のタイミング


江沢民は、2022年11月30日、日本時間の13時13分に上海で死亡したが、死因は、白血病と多臓器不全とされている。



ダシャーは、ラーフ/土星/金星期辺りである。



ラーフはマラカの2室に在住し、土星は無条件のマラカで、ラーフから見て、8室の支配星で、6、11室支配の火星から傷つけられている。







ラグナから見ても、土星は、マラカの7室を支配する火星からアスペクトされ、月ラグナから見ても3、4室支配のマラカである。



土星はラグナから8室にアスペクトし、また金星、水星にもアスペクトして傷つけている。



上述したようにラーフ期は、土星と火星が、蟹座に在住する水星と金星にアスペクトして激しく傷つけており、そこはラーフから見るとマラカの2室である。



従って、習近平の腐敗撲滅運動によって、上海閥を破壊されていったが、土星と火星は、同時に2室に在住する金星や水星にもアスペクトして、健康も蝕まれていったと考えられる。







土星は、火星にもアスペクトしているが、火星は血液を表わしており、それが白血病を表わし、多臓器不全は、金星による土星と火星による激しい傷が表わしていた可能性がある。



土星が金星にアスペクトすることにより、そうした金星の傷がこのタイミングで引き出されたのである。






江沢民に対する評価


江沢民は、鄧小平の改革開放路線に従って、資本主義経済を中国に本格的に導入し、外国資本を呼び込んで、中国を世界の工場と呼ばれる経済大国に押し上げた。


しかし、上海閥と呼ばれる私的な利権集団を形成して、汚職が蔓延し、反日教育を積極的に行ない、法輪功への弾圧、臓器狩りを行い、国際的に指名手配される犯罪者でもある。


江沢民のラグナと月からの6-12室の軸には、定座の火星と高揚する土星が在住し、この2つの強力な凶星同士が、相互アスペクトして、激しく傷つけ合っており、暴力的な独裁者を生み出す典型的な配置が確認できる。





音楽への造詣


因みにこうした残虐な独裁者の側面がある一方で、芸術に対する造詣が深く、ピアノ・二胡・ギターなどが弾けたり、wikipediaによれば、ハワイ訪問中にハワイアンギターで『アロハ・オエ』を演奏したり、外遊中に京劇や現地の歌謡曲を歌ったこともあるという。

また朝日新聞DIGITALの記事によれば、晩餐会でラブミーテンダーを披露したこともあるという。







こうしたエピソードは、5室(音楽)支配の水星に金星(音楽の表示体)がコンジャンクトしていることで説明できる。


一人の独裁者の中に凶暴な暴力性と、音楽の素養という一見相容れなさそうな2つの側面が共存していることが興味深いが、それはチャートから説明可能である。




江沢民プロフィール (1926年8月17日)

1943年 南京中央大学に入学

1945年10月 南京中央大学が上海交通大学と合併したため、上海交通大学に転籍 (1947年卒業)

1946年4月 中国共産党に入党

1949年10月1日 毛沢東が北京市天安門広場で中華人民共和国の建国宣言

1949年12月 王冶坪と結婚
1951年4月 江綿恒(長男)、誕生
1953年 第一機械工業部上海第二設計分局電力専業科長

1955年 機械技術者としてモスクワのスターリン自動車工場で研修を受ける

1962年 上海に戻り、第一機械工業部上海電器科学研究所副所長

1966年 第一機械工業部が武漢市に新設した武漢熱工機械研究所の所長兼党委員会書記代理に任命される (同年、文化大革命が発動される)

1970年 第一機械工業部外事局副局長に任命される

1971年 ルーマニアのチャウシェスク政権との友好関係推進のため、同国での機械工場建設プロジェクトに対して中国から視察団が派遣されることになり、江はその団長として1年間同国に滞在 (帰国後、第一機械工業部外事局長に就任)

1980年8月 国家輸出入管理委員会副主任(次官)兼秘書長(翌月に国家外国投資管理委員会副主任兼秘書長も兼務) 貿易・外国投資に関する業務を担当

1982年5月 新設された電子工業部の第一副部長(副大臣級)に任命される

1982年9月 第12回党大会において中央委員に選出
1983年6月 電子工業部部長(大臣)に就任
1985年 上海市の実力者であり、かつて江沢民を第一機械工業部に引き上げた汪道涵の推挙により、上海市長に転出

1987年11月 第13期党中央委員会第1回全体会議(第13期1中全会)において中央政治局委員兼上海市党委員会書記に昇進

1987年12月 上海で発生した学生の民主化要求運動に対して学生と直接対話し説得(この時は武力弾圧していない)

1989年4月 胡耀邦(1987年に保守派により党総書記を解任)が死去


これを契機に民主化運動が高まるが、最高指導者の鄧小平は民主化運動を「動乱」と規定、共産党の機関紙である『人民日報』は4月26日付社説「旗幟鮮明に動乱に反対せよ」を発表した。当時の江沢民は、趙紫陽総書記ら民主派と、李鵬国務院総理(首相)ら保守派との中間的存在であったが、江はこの社説にいち早く対応し、胡耀邦追悼の座談会を報じた『世界経済導報』を停刊処分とした。この江の行動が陳雲や李先念といった保守派長老の目に留まり、民主化運動に理解を示していた趙紫陽の後任候補として江を推す声が高まっていった。


1989年6月23日から24日 江沢民は鄧小平によって党総書記・中央政治局常務委員に抜擢される
1989年11月 鄧小平から党中央軍事委員会主席の地位を継承
1990年4月 国家中央軍事委員会主席に就任
1992年10月 第14回党大会で自らを中心とする指導体制を確立し、最高指導者としての地位を確実なものとする
1993年3月 国家主席に就任 (以後、最高指導者が総書記・国家主席・党中央軍事委員会主席を兼任して権力を一元化する)
1996年 台湾の民主化を警戒して台湾海峡にミサイルを撃ち込んでアメリカ軍の緊急展開を招く

1997年7月 香港の中国への返還を実現

1999年 15年ぶりに軍事パレードを挙行し、軍事力を誇示

1999年 法輪功集団による北京中南海陳情事件で、法輪功にメンツを潰されたと感じ、以来、「法輪功を皆殺しにする」との方針で、残酷な弾圧を開始
1999年12月 澳門(マカオ)の中国への返還を実現

2001年11月 中国の世界貿易機関への加盟を実現

※列強の植民地化によって長らく分裂してきた大陸を事実上初めて統一し、大国化する中国の建設に貢献と中国の歴史家が評価

※外資の導入と世界経済のグローバリゼーション化の動きに適応した輸出の強化で「世界の工場」とまで呼ばれる世界最大の製造業大国へと中国を変貌させる基礎を築く(総書記就任直後の1990年の中華人民共和国のGDP(国内総生産)が3888億ドルだったのに対し、2000年のGDPが1兆71億ドルになる)

※1990年から2004年にかけて平均約10%近くの世界最高の経済成長率を記録して中国の高度経済成長は進展

※共産党の執行部は自らと同じエンジニア出身者を中心とし、中央指導部から地方の省長・市長までエンジニア出身者が多く占める脱イデオロギー的なテクノクラシー体制を確立

2002年11月 第16回党大会を主宰し、自ら提唱した「3つの代表」理論を党の指導思想として党規約に追加(この大会で、総書記・政治局常務委員を退任)

(中国共産党は先進的生産力・先進的文化・最も広範な人民の利益を代表する)

この大会で、総書記・政治局常務委員を退任(但し、総書記退任後も党中央軍事委員会主席に留任)


2003年3月 第10期全国人民代表大会第1回会議で国家主席も退任

総書記在任中、上海市長・党委書記時代の部下を次々と中央に引き上げ、枢要な地位に就けて「上海閥」を形成し、その総帥として政界に君臨

2004年9月 党中央軍事委員会主席を退任

2005年3月 国家軍事委員会主席を退任


2022年11月30日12時13分 上海で死去 (死因は白血病と多臓器不全)


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