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三宅雪子・元衆議院議員について

2020 1/10

元衆議院議員の三宅雪子が入水自殺したとのショッキングなニュースが伝えられている。


三宅雪子元議員が都内で入水自殺か、海岸に遺体
2020/01/07 09:01 読売新聞

三宅雪子元衆院議員(54)が今月2日、東京都内の海岸で、遺体で発見されていたことがわかった。警視庁東京湾岸署は、自殺を図ったとみて調べている。

捜査関係者によると、三宅氏は2日午後、東京湾付近で死亡しているのが見つかった。現場の状況などから、入水自殺を図ったとみられる。

三宅氏は、フジテレビ元社員で2009年衆院選に民主党から群馬4区で出馬し、福田康夫元首相に敗れたが、比例選で復活当選した。12年12月の衆院選では千葉4区から出馬したが、落選した。

wikipediaによれば、三宅雪子は、2009年7月27日に父親と関係が深かった当時、民主党代表代行だった小沢一郎からの出馬要請を受けて、フジテレビを休職、第45回衆議院議員総選挙で、群馬4区から立候補を表明した。

落選したが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活当選して、衆議院議員となっている。


その後、2013年7月、第23回参議院議員通常選挙で生活の党公認候補として参議院比例区から立候補したが、落選している。


つまり、三宅雪子の政治家としてのキャリアは、2009年7月から2013年7月までである。





出生時間が00:00:01だと蠍座ラグナで、現在は、太陽/水星期であり、23:59:59だと同じく蠍座ラグナで、火星/金星期である。


つまり、今回の事件は、マハダシャー太陽期、あるいは、月期、あるいは、火星期のいずれに起こったと考えることが出来る。


因みに三宅雪子は、出生時間を12時付近にすると、ラグナが双子座辺りになり、ちょうどマハダシャー太陽期の半ば頃に政治家になり、太陽期が終わると共に月期に移行する形になる。





太陽をラグナとすると、10室支配の火星が太陽と相互アスペクトする為、政治家の仕事を表わしている。


然し、月期は、太陽とは全く絡んでおらず、月から見た10室支配の木星は2室牡羊座に在住しているが、太陽、土星、金星とは絡んでいない。


従って、太陽期に政治家となり、月期に落選して政治の仕事を辞めたと考えるのが妥当である。



落選した後の三宅雪子は、以下の記事からも分かるようにルポライターとして身を立てようとしていたり、模索の日々が続いたようである。


三宅雪子氏 交流あったジャーナリストが明かす「暗中模索」
2020/01/07 07:00 NEWSポストセブン

三宅雪子・元衆議院議員の突然の訃報に、衝撃が広がっている。自殺とみられ、自宅から遺書のようなものが見つかったと報じられているが、いったい何が彼女を追いこんでしまったのか。死の直前まで交流のあったジャーナリストの福場ひとみ氏が、彼女の知られざる落選後の人生を明かす。

 * * *

 今回の訃報を聞いて愕然としてしまった。生前にもっと彼女の再起をサポートできればという悔いが募る。週刊誌の取材記者をしていた私が三宅雪子さんを取材したのは、2017年のこと。そのとき彼女はすでに落選していたが、議員らの政治活動に頻繁に顔を出すなど政治活動をつづけていたので当時の選挙事情にもとても詳しかった。以降、時々食事したり電話で情報提供を受けたりする関係だった。

 彼女に会いに行くと、自宅マンションにどうぞと案内された。自宅は港区一等地の閑静な住宅街にあり、広々としていた。労働大臣・運輸大臣・内閣官房長官を歴任した故・石田博英氏の孫で、父は外交官、生まれはワシントンD.C.。全盛期のフジテレビに河野景子、有賀さつきらスター女子アナの同期として入社し、小沢一郎氏の後押しを受け政治家になり、政権交代でいきなり与党議員に。落選したとはいえ、恵まれた境遇を歩んできたように見えた。

 通常、取材とはいえ、初対面の人物を自宅に招き入れてくれる人はめったにいない。ところが彼女はあっさりとリビングまで案内してくれた。しかも部屋着のまま、ボサボサの髪でノーメイク。睡眠不足なのだろうか、目は半開きで表情も虚ろだった。初対面にもかかわらず、無防備さをさらけ出していた。

 最初の取材の後、今度は彼女と自宅前にある高級ホテルのラウンジでお茶をすることになった。すると前回とは見違えるように、髪を整え、化粧をして、現役議員のころ“芸能人並みの容姿”と持て囃されていた時のようにキラキラとした姿になっていた。あとで彼女のツイッターを見てみると、久しぶりに美容院に行ってきたのだという。

 そのとき「実は、ルポライターとしてメディアで発信していくことを考えているんです」と相談を受け、彼女は考えてきたというアイディアを山のように話してくれた。現役の議員ではないにもかかわらず、彼女の得意とする厚生労働分野などの細かな動きに精通していた。聞くと、元国会議員の場合は煩雑な手続きなしで委員会を傍聴できるそうで、頻繁に通っているのだという。

 そして、彼女から自著や過去に書いた記事のコピーやサンプル記事、そして企画書をもらった。私から各種メディアに売り込んでほしいということだった。「私の出した企画はいつも通るんです。いままで落ちたことがない、必ず通るんです」と自信たっぷりに見せてくれた。その後も企画を出してくれるたびに、そう言っていた。

 サンプルとして渡してくれたものひとつに「小沢一郎と私」というエッセイがあった。彼女の父と小沢氏との関係から始まり、自身が議員となるきっかけなどが綴られていた。ただ、こうした企画は「小沢ガールズ」として持て囃された時代には企画が通る場合もあったかもしれないが、旬を逸した話題を記事にすることは難しく、結局、世に出すことはできなかった。

 その後も、彼女とは時々連絡を取る関係が続いた。私が政治に関する漫画の監修をするといえば、自身の政治家としての経験を語ってくれるなど、最大限の協力をしてくれた。

 彼女によると、雪子という名前は、吉田茂の妻として政界から人気のあった雪子夫人にちなんだ名前であり、吉田家と交友関係のあった父からつけられたのだという。幼い頃から政治の世界と遠くない距離にいて、いろんな刺激を吸収してきたのだろう。彼女は多くを吸収する人で、多くの現役議員よりも勉強熱心だったように思う。

 彼女から発せられる言葉は力強かった。弱い立場の人に救いの手を差し伸べたいという政治に対する熱意を失っていなかった。フジテレビ同期である有賀さつきさんが亡くなった際も、残されたお子さんのことをとても心配していた。

 しかし、一方で、彼女が抱えている弱さも垣間見えた。彼女はインターネットで元支持者から誹謗中傷を受けていることを気に病んでいた。「そんなことを気に留めていると精神的にもたないですよ」と言って聞き流していたが、当事者になると簡単には無視できないものなのだろう。彼女はネットストーカー問題の企画も多数提案してくれたが、それもなかなか企画には繋げられなかった。メディア関係者を直接紹介することもしたけれど、元国会議員としての発信は色がつくと敬遠され断られることもあった。

 それでも昨年、彼女は自力で日刊紙の連載の機会を得たようで、嬉しそうな連絡が来た。そして地方議会の議員としてローカルに活動する可能性にもチャレンジしたいなどとも抱負を語っていた。

 昨年11月に彼女から私に来た電話が最後だった。「今度、要人と会うから、三宅雪子のインタビューということで、どこかのメディアでできないでしょうか?」という提案。私は可能性のありそうなメディアに打診してみたがいい返事は得られなかった。年明けくらいに編集者を紹介しますねと話したきりだった。彼女は「腰痛で痛い、薬を飲んでも耐えられないくらい激痛で辛い」と珍しく愚痴った。たまたま私もヘルニアを発症し歩けない状態だったので「たまたまですね、私もですよ」というと、そんなレベルじゃないんだと言っていた。

 落選してからの彼女は、長く暗中模索の様子だった。政治家として、世の中のために働きたいというエンジンがかかったまま、動かす場所を見失っていたようにみえた。それでも彼女はもがいていた。頑張ろうとしてもがいてもがいて、そしてどこかで糸が切れてしまったのだろうか。今はただ、冥福を祈るほかない。

月は水星とコンジャンクトしているため、ライターとして身を立てようとしていたが、月から見て12室に惑星集中しているため、基本的には引きこもりであり、フジテレビを退社して政治家となり、政治家も落選した後は、フジテレビにも戻れず、仕事のない普通の人になってしまったということである。



wikipediaによれば、その後、2015年4月に党支持者(を名乗る)人物から悪質な嫌がらせを受け、生活の党を離党し、悪質な嫌がらせをしたとされる人物により名誉毀損罪で刑事告訴され、2016年6月に埼玉地方検察庁に書類送検され不起訴処分(起訴猶予処分による)となっている。
 『入水自殺・三宅雪子 「助けて! 追われてるんです」ある晩、文春記者にかかってきた電話 あの“不死身”の女性がなぜ―― 和田 泰明(週刊文春記者)』(2020/01/06 週刊文春)によれば、2015年4月頃、三宅雪子は、以下のような被害妄想に囚われていたという。


(略)とりわけ2015年4月、小沢氏率いる「生活の党」から離党する時は、私に延々と“被害”を訴えた。

「小沢さんは悪くないが、周りの秘書が悪い。私はブロックされている。小沢さんは騙されているんですよ」

「小沢さんの支持者からツイッターで脅されている。殺人予告もされています。これ記事にして、止めてもらえませんか」

 その頃から「被害者妄想」の傾向が出てきたように感じる。

「ストーカーに遭っているんです。これ、いずれ大事件になるから文春さんは取材すべきですよ」

 あげくに夜、泣きそうな声で「助けて! 追われてるんです」と電話をしてきたことがあった。「警察に言った方がいいですよ」と応じると、「そうですか……」と悲しそうに切るのだった。

 昨年夏の参院選では立憲民主党からの出馬を模索していたようだ。それはかなわなかったが、その反動からか、ある公認候補の悪口を言ってくるようになった。

「〇〇さんはとんでもない詐欺師。よく枝野(幸男・立憲代表)さんが許しましたね。あの人は取り入るのがうまいから、どうせ汚い手を使って公認とったんでしょう。なんで記事にしないんですか」

 私が最後に三宅氏を見かけたのは、昨年7月の参院選最終日、立憲民主党の塩村文夏氏の演説会場でのこと。三宅氏は応援団を買って出たようで、スマホで演説の様子を撮りまくっていた。国政復帰への並々ならぬ執念を感じた。その悲壮感漂う姿に、私は声をかけることができなかった。


上記の記事の感じでは、やはり、三宅雪子は、この時期、被害妄想の傾向があったように思われる。



ダシャーは、月/ラーフ期だが、ラーフは12室に在住しており、12室のラーフは、やりたいことが沢山あって悶々とするが、どれも空回りしてしまう時期である。



ラーフは幻想をもたらすと言われるが、被害者妄想といったものも、そうした幻想の一種である。



月/ラーフというダシャーの組合せもそれを物語っている。



ラーフはムリガシラー(火星)に在住しているので、支配星の火星の支配と在住などの影響が出てくると考えられるが、もし双子座ラグナの場合、火星は6、11室支配で3室に在住し、月から見て6室に在住している。



6室自体が、早急な判断や自己の欲望によって捻じ曲げた解釈、偏見などを表わすが、それによる攻撃性も表わすのが6室である。



攻撃的になるので、相手からも名誉棄損などで訴えられてしまう時期である。



従って、この時期、悪質な嫌がらせをしたとされる人物から名誉毀損罪で刑事告訴され、起訴猶予処分で不起訴処分になっている。



つまり、警察の目から見ても三宅雪子は、被害妄想で攻撃的になっており、他人に攻撃を与えた結果、自業自得として、名誉棄損で訴えられたと判断したのである。





このラーフは12室で高揚しており、火星を支配星に持つムリガシラーに在住することによって凶意を増したと考えられる。



その火星は8室支配の土星と相互アスペクトして、6-8の絡みを形成しており、犯罪の絡みを形成している。



このように双子座ラグナに設定すると、ラーフのディスポジターである火星が6、11室支配の機能的凶星になり、月/ラーフ期の三宅雪子の被害妄想や暴走が説明できる。



もう一つこの双子座ラグナに設定すると、フジテレビに入社したタイミングがちょうどマハダシャー金星期の開始と重なるということが決定的である。



金星期は1986年9月から始まるが、三宅雪子がフジテレビに入社したのが1988年である。



その後、フジテレビで、営業局、報道局、国際局、CSR推進室に勤務し、報道局では経済部記者として為替と株式を担当し、フジテレビ社員の男性と結婚もしている。



金星期は20年あるので、おそらくマハダシャー金星期に結婚していると考えられる。




そうすると、おそらくナヴァムシャのラグナは蠍座である。





蠍座に設定すると、金星が7、12室支配で3室に在住し、パートナー(7室)がテレビ局(3室)に関わる人物ということになる。



三宅雪子は、2006年9月まで金星期が続いたが、この頃から政治に関わってゆく移行が徐々に生じ、それで2009年7月頃に小沢一郎からの出馬要請で政界入りしたということで説明が付く。





月/ケートゥ期


三宅雪子は、今回、入水自殺の可能性について報じられているが、双子座ラグナに設定すると、月はマラカの2室を支配し、10室の魚座(水の星座)に在住している。


また月は水の惑星である。


ラグナロードの水星は水の星座である魚座10室で減衰し、マラカの2室支配の月とコンジャンクトしている。


マラカの2室支配の月が水の星座に在住している為、入水自殺なのであり、また10室に在住しているため、これだけ大きく報じられているのである。


そして、月は6、11室支配の火星からのアスペクトを受けているが、10室や月に対する火星のアスペクトは衝動的な行動を表わすと考えられる。


ケートゥは6室に在住しているが、8室支配の土星、6室支配の火星からアスペクトされており、ディスポジターの火星は6、11室支配で、10室と月にアスペクトしている。



6室支配の火星は逆行し、8室支配の土星と相互アスペクトし、冥王星や天王星とコンジャンクトして非常に不吉である。






ナヴァムシャを見ると、蠍座ラグナで正しければ、月はマラカの2室に在住して2室の支配星とコンジャンクトし、ケートゥは3、4室支配のマラカの土星とコンジャンクトしている。


また月/ケートゥ期の直前である月/水星期は、水星が8、11室支配のマラカで、7室支配の月と相互アスペクトしている。


また水星のディスポジターである月がマラカの2室に在住している。



また蠍座ラグナに設定すると、10室支配の太陽が6室で高揚する形になるが、この太陽の強さが、太陽期に政治家への転身をもたらしたと考えられる。



マハダシャー金星期にフジテレビに入社出来たのは金星が出生図で5室支配で3室(メディア)支配の太陽とコンジャンクトして3室にアスペクトしている為ではないかと思われる。





然し、ここまで検討した後で、ナヴァムシャのラグナは山羊座ではないかと思い直した。


ナヴァムシャのラグナを山羊座に設定すると、フジテレビに入社した金星期は、5、10室支配でラグナに在住する金星期であり、金星期に結婚したのは金星がナヴァムシャのラグナに在住しているからである。


太陽期に政治家に転身したのは、太陽が8室支配で4室に高揚して10室にアスペクトしているからであり、小沢一郎に擁立されたのは太陽が8室の支配星だからである。


8室に在住するラーフは小沢一郎を表しており、小沢一郎にまつわる妄想に支配されていたことがこの配置で説明できる。





何故、三宅雪子が双子座ラグナかと言えば、小沢一郎のチャートを見ると、双子座に水星、木星、火星など3つの惑星が在住しているからである。





弟子を表わす5室支配の木星が11室の双子座ムリガシラーに在住している。



(※ムリガシラーに在住していることから、三宅雪子の出生図のラグナがムリガシラーである可能性がある)





またダシャムシャでは、太陽がラグナに在住して、ラーフとコンジャンクトしており、太陽期に政治家になったことを説明している。





月/ケートゥ期に入水自殺をしたのは、月が7室支配のマラカの月で、ケートゥがマラカの2室に在住していた為であると考えることができる。



因みに三宅雪子は、2010年11月2日未明に港区の自宅マンション4階から転落し、腰の骨を折る全治1カ月の重傷を負っているが、この時が太陽/水星期である。



水星はナヴァムシャで、マラカの7室に在住し、マラカの4、11室支配の火星からのアスペクトを受け、ディスポジターの月は射手座に在住しているが、射手座には高い所からの転落の象意がある。



おそらくマンション4階から転落して腰の骨を折った時は、病院に入院したと思われるため、それで水星のディスポジターの月が12室射手座に在住しているのではないかと考えられるのである。



そして、12室射手座への惑星集中が転落という象意をもたらしたのである。



実際、落選もそうであるが、マハダシャー月期になってから政治家という地位から転落して無職になったのである。



このようにナヴァムシャのラグナを山羊座に設定すると、出生図のラグナのナクシャトラは、アールドラーになる。





アールドラーは、波乱の人生を送る傾向があり、善人かそうでなければ悪人になるような極端なパーソナリティーをもたらす。



また浄化の為に自ら徹底的に汚れるような所もある。



つまり、こうしたショッキングな自殺によって世間に衝撃を与え、人間の幸不幸についての大胆不敵な問題提起をするような所がある。



死の直前に「さよなら」とツイートし、海岸で入水自殺をするというのは、非常に大胆不敵で、衝撃的である。



良くも悪くも行動のスケールが大きく社会の常識を遥かに超えた衝撃を与える。



アールドラーは色白で美人だが、どこか不幸を背負っているような印象が漂う。



男性に尽くして初婚で失敗するという象意もあるようである。



ナヴァムシャのラグナを蠍座にすると、ラグナはムリガシラーになるが、アールドラーの方が、三宅雪子のパーソナリティーに近いのではないかと考えられる。




従って、最終的に私が出した結論は、三宅雪子は、出生図のラグナが双子座アールドラー第2パダで、ナヴァムシャのラグナは山羊座、ダシャムシャのラグナは乙女座である。




三宅雪子は、政治家を落選し、ルポライターとなる道を模索した辺りから、この危険な死への道を歩んでいたのである。








(参考資料)

入水自殺・三宅雪子 「助けて! 追われてるんです」ある晩、文春記者にかかってきた電話
あの“不死身”の女性がなぜ――
和田 泰明(週刊文春記者)2020/01/06 週刊文春

「三宅雪子さんが自殺した」

 元衆院議員・三宅雪子氏(享年54)の元政策秘書からラインが来たのは、メディアが速報を打つ2時間ほど前のことだった。

 私は「ええええ!」と返すしかなかった。あの“不死身”の女性がなぜ――。

クローズアップされた松葉杖での国会登庁

 1月2日、三宅氏は東京都内の海岸で遺体で見つかった。海に飛び込んでの入水自殺と見られる。メディアに報じられたのは6日になってからだ。

 元フジテレビ社員の三宅氏は、官房長官や労働大臣を歴任した石田博英氏の孫で、小沢一郎衆院議員とは長い付き合いがあった。その縁で、2009年衆院選に福田康夫・元首相の群馬4区から出馬。比例復活ながら当選を果たし、「小沢ガールズ」と呼ばれた。

 三宅氏がクローズアップされたのは2010年5月、衆院内閣委員会の採決で与野党議員がもみ合う中、不自然なまでに派手に転倒。松葉杖で国会に登庁し「パフォーマンスでは?」と疑われた一件だ。

 私が初めて三宅氏に接したのは、その騒動から1ヵ月後。小沢氏の民主党幹事長辞任を受け、小沢ガールズがどう思うのか聞く取材のためだった。

自宅マンションの4階から転落した前夜……

 以降、私は頻繁に三宅事務所に出入りするようになった。当時、小沢氏の一挙手一投足がニュースになっていた頃で、三宅氏がズケズケと小沢氏に電話をしたり、小沢事務所に顔を出すものだから、ネタには事欠かなかった。

 そんな三宅氏が同年11月、事故に見舞われる。自宅マンションの4階から転落し、腰椎を複雑骨折する大けがをしたのだ。

 速報を耳にした時、私はゾッとした。事故の前夜、酔っぱらった三宅氏から「今週、私の記事載りますか?」といった電話を受けていたためだ。三宅氏から暇つぶしのような電話をもらうことは珍しくなかったので、その時も私は適当な受け答えをした。それが引き金となって自殺を図ったのではと恐れたのだ。

 真相は、廊下の外に落ちた携帯電話を拾おうとし、中庭に落ちたとのことだったが、4階から落ちてよく命を落とさなかったものだと感心した。

 病院に見舞いに行くと、三宅氏は7時間にわたる大手術だったにも関わらず、ケロッとした様子で、資料を読んでいた。早く国会に戻りたいのだという。私は呆れたようにこう声をかけた。

「三宅さんは不死身ですね。長生きしますよ」

「ひどいじゃないですか! もう絶交です!」

  やがて小沢氏は民主党を離党、「国民の生活が第一」などを結党していき、三宅氏は当然のように行動をともにした。2012年衆院選で、三宅氏はいわば小沢氏の“鉄砲玉”となり、野田佳彦首相(当時)の千葉4区へ国替えする。週刊誌なのでスクープとはならなかったが、いち早くその情報も教えてくれた。

 ただ苦戦を強いられ、『週刊文春』恒例の選挙予測では、三宅氏は劣勢を示す「無印」。

 それを読んだ三宅氏は激怒。私に電話でこうまくしたてた。

「ひどいじゃないですか! 情勢調査では結構いい線行ってるんですよ。もう絶交です!」

 結果は、比例復活もできない惨敗だった。

 議員バッジを外した三宅氏は、その後も何食わぬ様子で電話をしてきて、「絶交」とはならなかった。

 三宅氏はいわゆるバブル世代。豪勢な食事が好きだろうと、慰労をかねてレストランに招待しようとすると、「安いところにしてください」と店に頓着しなかった。大けがの経験からか、酒も呑まなかった。

 一方で議員時代から内包していた「面倒くささ」は加速していった。

 暇を持て余しているのだろう。電話が長い。こちらが電話をしていい状況か聞くこともなく、突然本題に入る。「いいネタがあるんですけど」と切り出すので、話は聞くが、たいていネット情報だ。30分ほど、一方的に話されたこともある。

 朝8時ごろに電話がかかってくることもあった。「朝5時には起きてるから、これでも待ってから掛けてるんですよ」と悪びれる様子はない。

国政復帰への並々ならぬ執念を感じた

 とりわけ2015年4月、小沢氏率いる「生活の党」から離党する時は、私に延々と“被害”を訴えた。

「小沢さんは悪くないが、周りの秘書が悪い。私はブロックされている。小沢さんは騙されているんですよ」

「小沢さんの支持者からツイッターで脅されている。殺人予告もされています。これ記事にして、止めてもらえませんか」

 その頃から「被害者妄想」の傾向が出てきたように感じる。

「ストーカーに遭っているんです。これ、いずれ大事件になるから文春さんは取材すべきですよ」

 あげくに夜、泣きそうな声で「助けて! 追われてるんです」と電話をしてきたことがあった。「警察に言った方がいいですよ」と応じると、「そうですか……」と悲しそうに切るのだった。

 昨年夏の参院選では立憲民主党からの出馬を模索していたようだ。それはかなわなかったが、その反動からか、ある公認候補の悪口を言ってくるようになった。

「〇〇さんはとんでもない詐欺師。よく枝野(幸男・立憲代表)さんが許しましたね。あの人は取り入るのがうまいから、どうせ汚い手を使って公認とったんでしょう。なんで記事にしないんですか」

 私が最後に三宅氏を見かけたのは、昨年7月の参院選最終日、立憲民主党の塩村文夏氏の演説会場でのこと。三宅氏は応援団を買って出たようで、スマホで演説の様子を撮りまくっていた。国政復帰への並々ならぬ執念を感じた。その悲壮感漂う姿に、私は声をかけることができなかった。

 2018年1月に亡くなったアナウンサーの有賀さつきとはフジテレビの同期で、若い頃はよく連れ立って、ゴルフなどに興じていたという。今頃、有賀氏と再会しているだろうか。
参照元:入水自殺・三宅雪子 「助けて! 追われてるんです」ある晩、文春記者にかかってきた電話
あの“不死身”の女性がなぜ――
和田 泰明(週刊文春記者)2020/01/06 週刊文春
三宅雪子元議員が入水自殺か ストーカートラブルで昨年、悩みも
今西憲之,上田耕司2020.1.6 17:56週刊朝日

東京都大田区城南島の海岸で三宅雪子元衆院議員(54)が1月2日午後4時頃、遺体で発見されていたことがわかった。警視庁は自殺とみて調べている。

「三宅さんは、昨年12月30日、都内の自宅から失踪し、行方がわからなくなっていた。自宅には遺書が残されていました」(捜査関係者)

 昨年12月に会った親しい知人はこう語る。

「年末に会った時も、いつもの元気な三宅さんでした。自殺だなんて、信じられない。いったい、何があったのか」

 昨年11月、三宅さんから記者にも電話があった。その時、こう話していた。

「私の祖父は自民党で6期労働大臣をやって、労働者の『最低賃金』を作った議員。父は外交官でした。私は女性の視点から労働問題や非正規労働の問題に取り組みたいので、連合の神津里季生会長のインタビューをしませんか」

 1988年、フジテレビに入社。アナウンサーの有賀さつきさん、八木亜希子さん、河野景子さんと同期。三宅さんはアナウンサーではなく、報道局で記者として活躍した。

「フジテレビが途中退職者を入社させるようになった時期で同期は70人くらいいた」とテレビ時代を回想していた。

 2018年1月30日に亡くなった有賀さんは、三宅さんの結婚式の仲人。有賀さんが亡くなった時には「とにかく、絶句、絶句で涙が止まらなくて」と肩を震わせて泣いていた。

 有賀さんの一周忌には記者にこう語った。

「2人で青春を過ごした人。2人で運転を交代しながら温泉へ行ったり、ゴルフへ行った。お互いに行きたいレストランを探してきて、一緒にご飯をよく食べに行ってました。有賀さんがいないんだって、時々、思い出しては悲しい思いをしています」

 三宅さんは自身については、こう分析していた。

「私はADHD(発達障害)と適応障害を公表しました。国会議員としては初めて公表したのではないかと思います。発達障害にもいろいろあって、ぜんぜん仕事にはさしさわりがないんですが、やっぱりいろんな工夫が必要だったり、トラブルが起きるんですよね」

同じくADHDを公表しているアナウンサーの小島慶子さんと「なかなか公表している人が少ないので、ずーっとお会いしてゆっくり話がしてみたいなって思っています」と話していた。

 昨年6月にはストーカー被害に遭っていると電話で打ち明けていた。

「電話とツイッターの脅迫を受けています。電話では『今から行く』『寿司用意しろ』とかかなりしつこかった。調べたら予備自衛官だった。この人は脅迫容疑で逮捕された」

 昨年7月の参議院選挙前、記者が「立候補しないんですか?」と尋ねたところ、こう胸の内を明かしてくれた。

「私には障害のある弟がいて、両親はもう亡くなっています。秋田から立候補しようかと検討したんですが、もう決まっちゃった。出たいという気持ちはあるんですが、弟もいるし、なかなか決めかねています」

 三宅さんは、フジテレビ社員から、2009年衆院選で民主党から出馬。

群馬4区で福田康夫元首相と戦い敗れたが、比例で復活当選。

「小沢ガールズ」の一人として注目を浴びた。

 2012年12月の衆院選では選挙区を千葉4区に移して、小沢一郎氏の国民の生活が第一から立候補したが、落選。その後は、SNSなどで積極的に活動を展開していた。元小沢ガールズと言われても、嫌な顔ひとつせず、「平成を振り返る企画で、小沢ガールズで取り上げていただくことがあって、もしあったらぜひ、お願い」と記者に語った。

 調子のいい時は、とても元気で楽しそうに話している。しかし、悪い時は、「睡眠不足なのか顔色も芳しくなく、何を聞いても『はぁ~、そうですね』というくらいで、まともな返事が来ない」と三宅さんと親しかった人は言う。

 そのせいか、政治活動でもトラブルになることが何度かあった。

地元、群馬県の地方議員にモノを投げつけ刑事告訴されたことがあった。

 選挙を手伝ったスタッフを、ストーカーだとして刑事告訴。反対に自身が民事訴訟で訴えられるなどして、泥沼の戦いになったこともあった。それでも、三宅さんはめげることなかった。

昨年夏に偶然、会った時には意欲を燃やしていた。

「障がい者で困っている人がいるので、ぜひ記事にしてほしい」

「こういう人たちを、助けてあげたい」

「機会があれば、また国政に復帰したい」

 亡くなる3日前、三宅さんはツイッターに<死ぬまでにしたい10のこと。映画のタイトルです。余命を宣告された女性が髪を切ったり。いい映画です>

<部屋を片付けています。ある方が亡くなったあと、私に残されたものの中に大量のラブレターがありました。若き恋。内容はドラマになりそうなもの>と投稿。

 三宅さんは、子供のころ、そして衆院議員時代、2度、建物から転落。だが、ケガをしただけで助かった。「それだけ強運なのよ」と周囲を笑わせていた、三宅さん。

 三宅さんの裁判で代理人だった弁護士はこう振り返る。

「以前にも自殺かと騒ぎになったことがあります。けど、最近は落ち着いていると聞いていました。驚くばかりです」

 ご冥福をお祈りします。合掌。(今西憲之/本誌 上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事
参照元:三宅雪子元議員が入水自殺か ストーカートラブルで昨年、悩みも
今西憲之,上田耕司2020.1.6 17:56週刊朝日

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