田中好子のラグナを特定する

先日、知人から、うちゃさんの「うちゃのブログ」で白熱した議論が展開されていると聞いた。

閲覧してみると、田中好子のラグナについての議論から始まり、ついには、本題からそれて主催者の思わぬ方向へと議論が発展していた。

私は、元キャンディーズの田中好子について何か記事を書く程の思い入れはなかったのだが、この議論を見て、実際、田中好子がどんなチャートをしているのか調べてみたくなった。

実際、調べてみると、山羊座ラグナという結論が出てきた。
http://www.kanteiya.com/column/11/0521.htm

受賞や結婚のタイミングとヴィムショッタリダシャーの対応関係を検討すると、出生図(D/1)上では、それ以外のラグナは考えられなかった。

田中好子のラグナは山羊座である。

私は田中好子のラグナについては、山羊座ラグナということで論陣を張りたいと思うのである。

これは、ヴィムショッタリダシャー、チャラダシャー、ヨーギニダシャーを用いたコンポジットアプローチなど、今まで学習してきた知識を総動員して導き出した結論である。

従って、山羊座でない理由を見つけ出すことは難しく、12の星座を総当りで検討した結果でもあるため、間違いないと思われる。

あたかも数学上の問題を解くかのように、公理や定理を用いて、論理的に1つの結論に到達してしまう。これこそが、ジョーティッシュの科学たる所以である。

もしジョーティッシュが芸術、芸能であるなら、ラグナは様々な解釈があってもよく、人によって、様々なラグナを設定するのは、個性であり、それぞれの意見が等しく価値を持つということになる。

然し、ジョーティッシュは厳密なサイエンスであるため、そういったあいまいさを許さずに、冷酷にも結論は1つに導き出されるのである。

従って、ラグナは正しいか正しくないかのどちらかしかないのであって、その中間はないという所から、占星術家にとって、ラグナに関する論陣を張るということは1つの命取りになりかねない危険な挑戦である。

有名人のラグナを特定するという難問に対して、何をどう考え、どのような解釈や論理展開によって最終的に結論に辿り着いたか、全てが、白日の下にさらされ得るのである。

占星術家が何を見て、何を見なかったか、何を見て、それをどう解釈したかといったことが、本来、全てガラス張りになり得るのである。

また、他の人の学習のためにも、そうなるべきである。

数学の解を求める時に、その途中経過の計算式全てが明らかにされるように、一切、あいまいに出来る所はないのである。

真実は1つしかないがゆえに、それをただ追求しているだけでも、必然的に真実以外の見解を排斥することとなり、その辺りが厳しい所かもしれない。

ラグナの見解が、皆で共存する訳にはいかないのである。

遅かれ早かれ、正しい結論というものに到達し、それ以外は間違いとなるのである。

然し、ラグナを特定する場合は、見ればいいのは、たったの12通りである。

それらの可能性を全て、チェックする労を取った人が正しい結論に到達できる。

ダシャーとトランジットから、起こる事象をある程度、特定するスキルがあれば、

12のハウスを1つずつ、ラグナにして検討していくだけで、結論に辿り着けるのである。

従って、そんなに難しいことをしている訳ではなく、12のラグナを調べる根気強さの問題である。

現在は、Parashara’s Lightという高機能なソフトが存在し、[Option]の[Change-time-Tool]を使えば、ラグナを前後に移動して、12のラグナを総当りできるのであり、その過程で、ダシャーバランスも自動的に修正され、特定の出来事が起こった時期のダシャーの支配星も、それに応じて変化するのである。
従って、特別、数学や計算の優れた能力がいるわけでもない。

然し、敢えて、1つ言うとすれば、ダシャーと事象の一致は厳密なまでに働くという確信や信念は必要かもしれない。

そして、この信念こそが、正しい結論に誘導する最も重要な要素である。

この信念が育まれるのは、自分自身の出生図のダシャーとトランジットを常にチェックし、自分の人生の出来事が、それらと対応していることを体感、痛感することによってである。

田中好子のケースで言えば、彼女がアカデミー主演女優賞を受賞した時に、その時のダシャーに11室や11室の支配星が絡んでなければならないと気づくことが最も重要である。

これは日頃、11室や11室の支配星が、飛びぬけた成功や、受賞体験と関係していることを、自分自身や他人のチャートを調べることによって強く、痛感していなければならないのである。

特に自分自身のチャートで体験した知識は最も強い確信に導かれる価値あるものである。

別に受賞でなくても、結婚とかそれ以外の出来事でもかまわないが、ある出来事が起こるのに必要なハウスはどのハウスであるかということをよく知っていなければならない。

そうすると、ダシャーの支配星がどのハウスの象意を運んでくるかが分かる為、ダシャーバランスの検討が可能になるのである。

従って、ハウスというものを、ダシャーの支配星との関連で、数多く体験していることが最も重要である。

そのために多くの実践経験というものは貴重な価値を持ち、それらは占星術家にとっては資産である。

ハウスとダシャーを知識として、それらを別々の要素として知っていても全く意味がないのであり、ハウスとダシャーの結びつき、すなわち、この関連性の理解こそが、最も重要なものである。

ダシャーバランスを検討することは、このハウスとダシャーが結びついていることを経験的に強く実感している人のみが出来る作業である。

このようにラグナ特定の作業というのは、このハウスとダシャーの対応関係というインド占星術家にとって最も基本的な能力、スキルを試される試金石(リトマス試験紙)である。

従って、ラグナに関して、どんな論陣を張ったとしても、その意見を持つに至るまでの解釈や論理展開などが全て白日の下にさらされるのである。

それが誠実な占星術家の義務である。

「何となく直感的にそう思うから」というのであっても、それがその人がラグナを導き出すに至った理由であれば、それが明らかにされる。

然し、そのように言っても、ある有名人のラグナが何であるかと予想してそれを発言するのは、気軽に行なってよいのではないかと思われる。

発言は自由であり、誰でも有名人のラグナについて自由に発言すればいいのである。

この辺りがあまり堅苦しくなって、ぎすぎすしても重苦しいばかりである。

私自身もロジックを検討する前の段階で、ラグナがここではないかと直観から来る予想を述べたりして、後から出来事とダシャーの対応関係を調べた段階で間違っていることに気づくことも多いのである。

それも経験のうちであり、いかに印象とか直観というものが当てにならないかを示している。

誰でも自由に発言していいのであるが、その発言をした際に用いられたハウスや星座、惑星といった要素の解釈や論理展開などは厳密に明らかにされて評価されるのである。

占星術家が何をみて何を見ていないのか、どんなスキルが用いられているのかが厳密に評価の対象となる。

従って、もしラグナの予想を外したくないのであれば、出来事とダシャーの対応関係をいくつかリサーチし、ダシャーもチャラダシャーやヨーギニダシャーなどを検討した上で、よくよく考えて、間違いないと思った段階でないと、発言することは危険なのである。
















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