アマチのダルシャンにて

先月、7月26日に東京新宿で行なわれたアマチの来日ダルシャンの夜の部に参加したのであるが、行く途中で、東西のIさんとばったり会った。以前、公開講座に参加して、いろいろジョーティッシュの基本事項を教わって、それ以来なので5年ぶりかであった。

それでダルシャンも隣の席に同席して一緒に受けたのであるが、待ち時間にジョーティッシュの雑談となり、学習上のポイントなどについて重要なアドバイスを頂いた。

その日のダシャーは以下のようであった。

金星/太陽/ラーフ/太陽/水星 2010/7/26 14:00~
金星/太陽/ラーフ/太陽/ケートゥ 2010/7/26 23:18~

アマチのダルシャンが終わると、ミチユウさんもダルシャンに来ていて、途中から話に加わり、いろいろジョーティッシュの話で、盛り上がったので、非常にジョーティッシュ学習者としては贅沢な時間を過ごしたといえる。

この日、私は14:00~プラーナダシャー(第5レベル)が水星期に入っていたので、何か占星術に関するコラムを書いたり、いろいろ3室支配の水星が象意となる出来事が起こることを予想していたが、その日はコラムを書く気にもなれず、何も起こらないので、不思議に思いながら、アマチのダルシャンに出かけたのである。

過去プラーナダシャーが水星期の時は占星術に関する文筆を行なっていたり、あるいは、占星術の仲間と占星術談義で盛り上がったことがあり、また占星コラムを書き上げて、ふと、プラーナダシャーを確認してみると、水星だったりしたことが日常茶飯事であり、プラーナダシャー水星期は何かジョーティッシュに関わることをしていることが多いのである。

例えば、2008年5月1日に出発したインドへのラオ先生の訪問旅行の時でも、出発の日からプラティアンタルダシャーがちょうど水星期に移行し、一緒に同行した友人と占星術の話で盛り上がったのである。

Ve/Ve/Ra/Sa/Ju 2008-4-27
Ve/Ve/Ra/Me/Me 2008-5-01 インド出発の日
Ve/Ve/Ra/Me/Ke 2008-5-04
Ve/Ve/Ra/Me/Ve 2008-5-06
Ve/Ve/Ra/Me/Su 2008-5-10
Ve/Ve/Ra/Me/Mo 2008-5-11
Ve/Ve/Ra/Me/Ma 2008-5-13

従って、この7月26日も水星期に入ったにも関わらず、
何も水星期らしいことが起こらないのでおかしいと思いながら、
アマチのダルシャンに出かけたのである。

すると、途中で、東西のIさんとばったり出会い、そして、主に聞き役であったが占星術談義に花咲いたのである。

そして、私はこの時もやはりダシャーシステムが事象を特定する精度について、いつもながら感嘆したのである。

私がジョーティッシュを学習したのは、マハダシャーケートゥ期であったが、ケートゥは3室で定座にある水星、そして土星と接合している。ケートゥはナヴァムシャで5室に在住している。

このケートゥ期にジョーティッシュのダシャーシステムの微細な働きに魅せられて、夢中になって、プラーナダシャーと日々の出来事に関する日記を付け始めたのである。

Iさん、ミチユウさんと話し込み、そろそろ時間も遅くなって来たので話を終了して帰りましょうということになったのが、時間はちょうど23:30前後であったと思われる。

私のプラーナダシャーの水星期は23:18で終わり、その後はケートゥ期に入るので、そろそろ沈黙の時間である。

金星/太陽/ラーフ/太陽/水星 2010/7/26 14:00~
金星/太陽/ラーフ/太陽/ケートゥ 2010/7/26 23:18~

タイミング的にはほぼぴったりだと言える。

私は既に家を出かけるときにプラーナダシャーは23:18に終わることを知っていたので、Iさん、ミチユウさんと話をしながら、おそらくこの会見は23:18ぐらいに終わるのではないかと予見していたのであるが、その通りとなった。

まさにマトリックスの世界である。

私たちはプログラミングされた世界で生を演じていると感じる瞬間である。

帰り道で、ミチユウさんにその認識についてシェアしたのであるが、このような体験を数多くしていると自由意志とはなんだろうかと思ってしまうのである。

だから私はジョーティッシュの学習を始めてから、急速に運命論者になってしまい、また学習の過程で、運命は100%決定しているというラディカルなインド占星術家の考察などを知ったこともこれに拍車をかけたのである。

現在、ラーフが射手座にトランジットしているが、私の出生のラーフは9室射手座に在住しており、今現在は、ラーフがリターンしている状況である。

それで、ラーフが射手座に入室したタイミングで、射手座の人の自由意志に関する見解を聴く機会が増えてきている。

彼らの言い分は人生は努力や選択によって自由に創っていくことが可能であるという楽観的なものである。

然し、私の理解では人生とはダシャーシステムの考察から分かるように、カルマによって、その出来事の内容がほぼ方向付けられているというものである。

このような考察を射手座の人に伝えると、射手座の人はひどく不機嫌になり、この私の認識について抵抗し、激しい論争に発展するのである。

射手座は木星がムーラトリコーナとなる星座で男性星座であり、火の星座でもあるため、理想を追求し、高い目標を設定して、それに向けて努力する星座である。

拡大発展、自由がその星座の基調であり、人生とは自分で自由に一から創り上げることが出来ると信じる星座である。

そして、そう信じるが故に人生にミラクルを起こし、実際に信じられないほど高い目標を実現することが可能な星座である。

一方、その対向にある双子座は水星が支配星となる星座であり、抽象的で、現実検討能力があり、人生のカルマ的な構造について、冷静に分析する星座である。

仏陀(ブッダ=水星)が到達した理解とは、老いの苦しみなど、人間には逃れられない運命というものがあることの受容である。

そして、仏陀の悟りとは、悟りを諦めてどうでもよくなった時に起こったのである。

つまり、世の中にはどうしても変える事が出来ず、受け入れざるを得ないことがあり、そうした物事を受け入れる、つまり諦めることこそが、人間の成熟度を表わすようなそうした理解が存在するのである。

そうした理解をもたらすのが水星の力であり、木星が理想を追求するとすれば、水星はあくまでも現実や事実を認識するのである。

従って、射手座と双子座とは、対向に位置して、世界の理解の仕方が全く異なっているのである。

私は最近、射手座の人の考え方に触れて、また、彼らが運命論的な世界観に反発するのを経験して、あまりにも運命論的な世界観は非常に害があり、人間に何も希望をもたらさないということを経験しており、運命と自由意志の問題について、真実がどの辺りにあるのかについて非常に考えている。

特に射手座の人から「何も変えられないのであるなら、何故、占星術で予測する意味があるのか。そんな変えられない未来など知る意味もない。」という批判を受けて、その批判は最もなことだとも思うのである。

(※然し、変えられない未来を知ることに意味はない訳ではなく、学問道場(私が頻繁に訪れるサイト)の副島隆彦氏によれば、哲学者のヘーゲルが「自由とは未来を予測することである」と言ったそうである。私たちは知性の力によって未来を知り、それを受容することによって精神の落ち着きや悟り、成熟を得るのである。)

一方、射手座の人は、私が日頃、展開するダシャーシステムに基づく運命論的な見方について、実際それもあり得るのではないかという内心、恐れを抱いているようである。

射手座の人の占星術に対する接し方というのは自分が自由に運命を切り開く為に占星術を利用するという観点である。

然し、実際に強固な運命論的な世界観にはそれが本当かもしれないと薄々感じながらも、あえてそれには接近せずに、見てみぬふりをしているのである。

怖いから近づかないといった方が正確かもしれない。

然し、そうした射手座の人から、私が常に展開している運命論的な世界観に影響されたのか、人生にはどうにも変える事の出来ないことが存在することが分かってきたという意見を聞く機会があった。

双子座と射手座は、全く対向にあり、認識の仕方がかなり異なるが、そのどちらも不十分であると思うのである。

真実は射手座と双子座の認識の中間点にあるのである。
















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