有名人チャート検証

 

アリス・A・ベイリー (Alice A Bailey)
1880年6月16日 AM7:32:00
Manchester,England
(02W15'00 53N30'00)

アリス・ベイリーはジュワル・クール覚者の教えを口述筆記し、24冊の本を著しており、密教学徒の間では有名である。

アリス・ベイリーによる秘教哲学の24冊の本
(The Twenty-Four Books of Esoteric Philosophy by Alice A. Bailey)
英題 邦題
ジュワル・クール覚者からのテレパシーでの口述筆記
Initiation, Human and Solar 『イニシエーション』
Letters on Occult Meditation 『秘教瞑想に関する手紙』
The Destiny of the Nations 『国家の運命』
Glamour: A World Problem 『グラマー――幻惑と錯覚の克服』
A Treatise on Cosmic Fire 『宇宙の火』
Telepathy and the Etheric Vehicle 『テレパシーとエーテル体』
Education in the New Age 『新しい時代の教育』
The Externalisation of the Hierarchy 『ハイアラキーの出現』上下巻
Discipleship in the New Age, Vol. I Discipleship in the New Age, Vol. II 『弟子たちへの語りかけ』
『弟子道での六つの段階・瞑想に関する教え』
『個々の弟子たちへの教え・上』
『個々の弟子たちへの教え・中』
『個々の弟子たちへの教え・下』
『イニシエーションに関する教え』
From Intellect to Intuition 『知性から直観へ』
A Treatise on White Magic 『ホワイトマジック』上下巻
Problems of Humanity 『人類の問題』
Volume I, Esoteric Psychology, Vol. I 『秘教心理学・第一巻』
Volume II, Esoteric Psychology, Vol. II 『秘教心理学・第二巻』
Volume III, Esoteric Astrology 『秘教占星学』
Volume IV, Esoteric Healing 『秘教治療』
Volume V, The Rays and the Initiations 『光線とイニシエーション』
The Reappearance of the Christ 『キリストの再臨』
アリス・ベイリー自身の著作
The Consciousness of the Atom 『意識の進化――アリス・ベイリーの講演録』
The Light of the Soul 『魂の光――パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』
The Soul and Its Mechanism 『魂とそのメカニズム』
The Unfinished Autobiography 『未完の自叙伝』
From Bethlehem to Calvary 『ベツレヘムからカルバリーへ』

 

生まれて直ぐにマハダシャー月期に入ったが、マハダシャー月期には自殺未遂を3回起こしている。


月はラグナロードで3室乙女座に在住して、ケーマドルマヨーガである。土星や火星のアスペクトを受けておらず木星のアスペクトを受けてはいるが、経歴を見ると、精神的にはかなり不安定のようである。3室は精神の安定を損なうハウスである。ラグナで減衰する火星が月に悪影響を及ぼしていると考えることも出来る。ナヴァムシャで月は8室を支配し4室に在住して精神的な悩みを表している。然し、月はラグナロードで機能的吉星で友好星座に在住しており、木星からのアスペクトも受けているため、自殺未遂を3回もしたとは中々考えにくい配置である。

然し、生まれてからのダシャーを見てみると、月/火星、月/ラーフ、月/木星、月/土星、月/水星、月/ケートゥと推移していくが、月/木星期を除くと、全てあまり健康面において順調な感じが出ていない。

例えば、月/火星期は月から見て3、8室支配の火星が11室で減衰しており、月/ラーフ期はラーフが月から見て4室、ラグナから6室に在住しており、月/土星期は土星が月から見て8室で減衰しており、水星/ケートゥもラグナから12室で減衰する土星からアスペクトされている。

ケーマドルマヨーガの月にあわせてアンタルダシャーを見ても陰鬱な傾向が出ている。

9歳になる前に両親とも結核のため、この世を去ったと経歴にあり、比較的早くに両親を失っているが、家族、両親を表す2室の支配星が12室で12室の支配星、ケートゥとコンジャンクトし、2室の象意(家族、両親)に関する損失傾向が出ている。

1895年の火星/水星/木星期(1895/6/13〜8/1)に クートフーミ覚者との接触を経験しているが、水星、木星ともに月、太陽から見て、パンチャマハープルシャバドラヨーガ、ハンサヨーガを形成しており、共に強い惑星である。木星はさらにラグナから9室の支配星でマハダシャー火星から見ても9室の支配星であり、このダシャーからの時期、木星の強さが出てくる時期であったと思われる。

木星はグルを表し、このプラティアンタル木星期にクートフーミ覚者の接触を受けるというのはよく理解できる。

この時期、彼女は人生に意味を見出せない悲しみと困難の中にいたと書かれているが、まず、火星は1室で減衰し、水星はラグナ、火星から見て、3室支配で12室に在住し、減衰する土星からアスペクトされ、ケートゥとコンジャンクトしており、常に水星のダシャーが顕現するときは隠遁的で抑うつ的な世界観に襲われる可能性あると言える。

経歴には『18才(1898年)から2年間、教会の日曜学校で聖書について 教えたことがあったが、数百人もの男性を前にして、緊張のあまり最初は逃げ出してしまった』と書かれている。この時期、1898/3/31に火星/月期からラーフ/ラーフ期にシフトしている。アンタル月期からラーフ期にシフトしたことで、孤独で悩んでいる時期から、人に忙しく奉仕し、世俗にまみれて孤独など感じることの出来ない環境に変化したようである。ラーフは木星の星座に在住しており、世俗といっても教会の日曜学校の教師であり、本当の意味での物質主義的環境ではないようであるが、6室ラーフの時期のため、世俗の中で格闘する象意がよく出ている。

22歳まではアリス・ベイリーは気楽な人生を過していたと経歴にはあるが、1902年(22歳)のラーフ/木星期に入ってから、アイルランドにある兵士のための保養所で働くことになり、『コーヒーショップで兵士たちの食事の世話をし、チェッカーなどのゲームの相手を した』とあるように6室ラーフが象徴する世俗的生活、奉仕、労働の生活をこの頃から経験し、対人関係が活発化していることが分かる。マハダシャー月期と、マハダシャー火星期はそれぞれ3室と1室に在住しているため、自分自身や自分の私的生活(プライベート)、身近な友人、趣味(5室)に関わる時期であったが、6室は対人関係、他社との関わりの部屋であり、この頃から、労働を通じて多くの人々と関わるようになったようである。

然し、この時期、ラーフ/木星期でもあるため、集会室で兵士達に聖書の話をして、敬虔なキリスト教徒になることを勧めるような霊的活動もしていることが分かる。木星は9室の支配星であり、ラーフからは4室に在住している。

またこの時期にインドの保養所の責任者の具合が悪くなったため、インドに行くことになったとあるが、9室は海外を表しているため、この時期にインドに行ったことはよく理解できる。

1906年のラーフ/土星期、続くラーフ/水星期に彼女は健康状態を損ない始めたとあるが、土星はマラカ支配で10室で減衰し、水星にアスペクトしている。ラーフから見てもマラカ支配で5室で減衰し、月から見ても6室支配で8室で減衰し、水星にアスペクトしており、この土星期と土星の影響を受けている惑星期には健康状態が悪化しそうである。

1907年、結婚しているが、この時期はまだラーフ/水星期で、ラーフから見て水星が7室支配で7室に在住し、1905/7〜1906/6の間に木星と土星が5室にダブルトランジットして、この時期出産もしているようである。

1912年8月には次女が生まれ、続いて三女が生まれているが、この頃も木星が5室、土星が11室から5室にアスペクトしており、5室にダブルトランジットが形成されている。

この頃、夫の暴力がひどくなり、夫が病院で精神検査を受けたとあるが、この頃、ラーフ/金星期であり、金星はラーフから見て、6、11室の支配星であり、最悪の機能的凶星である。6室目に在住していることから、争いを表している。

1915年〜のラーフ/火星期にアリス・ベイリーは鰯の缶詰工場で働き、また神智学と出会い、学習しつつ、自ら教えるに至っている。火星はラグナから見ても、火星からみてもラーフから見ても5室の支配星である。またラグナから見て10室の支配星であり、仕事を表している。1915年の6月ぐらいから木星が9室をトランジットし、土星も12室から9室にアスペクトして9室にダブルトランジットが形成されている。この時期、彼女が精神性や高度な学問(神智学)と出会い、真理に対する大きなインスピレーションを受け取ったことを表している。 そして、『シークレット・ドクトリン』の勉強をし、子供(5室)の世話と労働(仕事-10室)、読書の日々(学習-5室)を送ったと書かれている。火星が減衰しており、決して、楽ではないが、『その勉強に費やした時間は人生にとって最も価値ある時間であった』とアリス・ベイリーが回顧しているようにこの時期の学習と労働の日々が彼女にとって幸福な体験であったことを物語っている。
5室には教育という象意もあるが、彼女はこの時期、クラスを受けもち教えるようにまでなっている。

1917年に木星/木星期にシフトすると、司祭が夫のエバンスから毎月100ドルを受け取れるように手配してくれて、それにより彼女は缶詰工場を辞めることができ、神智学協会の米国本部があるハリウッドに引っ越して神智学協会の敷地内にあるカフェテリアで働くようになった、と書かれている。つまり、この時期から労働から解放されて、神智学教会の活動(宗教活動、奉仕活動)に力を入れることが可能になったのである。

木星は9室の支配星であり、月、太陽から見て、ハンサヨーガを形成して強力である。従って、毎月100ドル受け取れるように手配してくれた司祭の恩恵から始まって、それにより缶詰工場を辞めることができ、宗教活動に本腰を入れることが出来るようになり、神智学教会の敷地内という精神的な居住環境を得た幸運など、すべて9室木星の守護と保護である。

1918年に神智学協会の聖堂に初めて入ったとき、アリスはキリストと知恵の大師方が描かれた絵を見て 、それが15才のときに叔母の家の客間に歩いて入ってきた男性であり、クートフーミ覚者であったことが分かるのであるが、そうした体験は、覚者との距離が狭まり、彼女の使命や本来の目的に迫っていることを示している。木星期にこのようなことが明らかになるというのはよく理解できる。

1918/5/20から木星/土星期にシフトしているが、翌年1919年に起こったことをまとめてみると以下のようである。

 

離婚裁判
フォスター・ベイリーとの出会い
神智学協会での仕事
地方雑誌の編集長、 委員会の議長を務める
神智学協会への幻滅

1919/11
ジュワル・クール大師との接触
ジュワル・クール大師の教えの口述筆記をする

 

アンタル土星期は7、8室支配で仕事の10室に在住しており、職場で出会うパートナーを表している。これがフォスター・ベイリーとの出会いと解釈できる。

10室は仕事の部屋であり、地位は高くなるため、地方雑誌の編集長、委員会の議長などを務めることとも解釈可能である。土星は8室の支配星のため、神智学協会への幻滅ともとらえるこが可能である。土星は月から、5、6室支配で8室で減衰しており、ナヴァムシャでもラグナから6室、月から3室に在住して、物事がスムーズに行くような配置をしていないことが分かる。

経歴を見ると、ジュワル・クール覚者との共同作業でも彼女は最初、拒絶したり、作業を開始した後も恐怖感から中断したり、色々とスムーズには行かなかったようである。これは10室で減衰する土星が表していると考えられる。

またこの場面では関係がないが、7室支配の土星が10室で減衰する時、パートナーとの関係性が公に暴露されるのであるが、彼女の場合、元夫ウォルター・エバンスの暴力が周囲の関係者に知れ渡っている面があり、彼女と夫との関係性が公に暴露されたこともそうした配置が表していると考えられる。

1920年の末にフォスター・ベイリーと結婚しているが、この時は木星/水星期であり、木星から見て、水星はパートナーを表す7室の支配星であり、4室自室に在住している。

1921年に起こった出来事を記してみると以下のようになる。

 

一般の人との接触
『シークレット・ドクトリン』のクラスを開く
瞑想グループを作る
口述筆記の仕事
多くの手紙、
霊的援助の要請

 

この時期も木星/水星期であり、水星は4、7室の支配星であり、4室自室に在住して、事務所や建物内で、文筆したり、多くの人々とコミュニケーションしているのが分かる。4室はアシュラムを表すのであり、4室自室の水星はアシュラム内で安定した力強い活動を展開していることを表している。

1923年4月にアリス・ベイリーとフォスター・ベイリーはアーケイン・スクールを開校しているが、この時期は木星/ケートゥ期である。これはそれ程、開校が華やかなものではなく、むしろ静かな内省の日々を送る中で2人で立ち上げたことが考えられる。

1930年以降の出来事は非常に活発なものであったようである。

 

海外での仕事(ヨーロッパ、イギリス)
娘の婚約と結婚
世界中を旅する
霊的風潮の高揚を目撃

 

この時期は木星/ラーフ期であるが、木星から見て、ラーフは10室に在住しており、ラグナから6室である。この時期は非常に精力的に活動したようである。ラーフには12室から水星、ケートゥ、太陽がアスペクトしており、この時期、海外に縁が出来たのはこれらのアスペクトのためであると考えることも出来る。この時期、木星が12室をトランジットし、土星が6室をトランジットすることで、6室と12室にダブルトランジットが形成されていたようである。

1933年〜土星期に入ってからも彼女は奉仕活動を続け『19か国での奉仕団体の組織、そして、ジュワル・クール大師 のヴィジョンに反応し、正しい人間関係を押し進め、人々の間に善意というアイディアを広める意志を持つ人々を見つけることに専心した』と経歴に書かれているように精力的に活動を続けたようである。

土星/土星、水星、ケートゥ、金星、太陽、月、火星と経過した後、最後の2年間の土星/ラーフ期は経歴には『生涯の最後の二年間、彼女はまさしく鉄の意志をもって苦難に立ち向かった』と書かれている。

ハウス支配とは関係なく、土星/ラーフ期は一般に困難な時期であるとテキストには書かれているようである。

『1949年、ニューヨークの病院での最後の日々でさえ、彼女は訪問者を迎え入れ、アーケイン・スクールの幹部たちと相談し、手紙を書いた。死の時が訪れたとき、彼女の師であるクートフーミ大師が、随分前に約束したとおり、彼女を迎えにきた』

彼女が最後を迎えた時、ジュワル・クール大師が迎えに来ると約束していたと書かれている。
この1949年は土星/木星期である。

 

西暦
年月
出来事1
出来事2
ヴィムショッタリ・ダシャー
トランジット
1880年 6月16日 イギリスのマンチェスターにおいてアリス・ラ・トゥローブ・ベイトマンとして生まれる。 誕生 太陽/金星  
1880年〜1895年  

アリスが9才になる前に両親とも結核のためこの世を去ったが、裕福な家系であっ たため、不自由のない少女時代を送った。しかし、彼女は少女時代を振り返ると、すべてに嫌悪感を覚えると 書いている。物質的には非常に快適で贅沢な年月であったが、同時に、惨めな疑問と幻滅、悲しい気づきと孤独に苛まれた年月であったと。実際、15才までに彼女は何度か自殺を試みている―――まったく子供じみた方法によってではあるが。それ以降、自殺にはまったく興味を抱かなくなったが、その衝動については常に理解していたという。

母親が亡くなった後、彼女は妹と共に祖母によって、後に叔母によって育てられ、厳格な家庭教師が明確な カリキュラムに基づいて朝から晩まで彼女らに様々な訓練を課した。彼女は、この訓練が彼女のその後の人生 にとって非常に有益であったと述べている。彼女はかつて、叔母と家庭教師の強い影響もあって、徹底した伝統固執主義のキリスト教徒であった。創造 された世界の外側にいる超越した神を信じ、伝統的神学の教義が神の真理を要約するものであると完全に信じていた。そして、神が何を欲しているかを自分は正確に知っており、自分の観点は絶対に正しいと確信してい た。しかし一方、彼女の中では不完全で不確かな何かが内在の神を、すべての形態の背後にある神を求めていた。

両親の死

裕福で不自由のない生活(物質的快適さ)

惨めな疑問と幻滅、悲しい気づきと孤独
(精神的不幸)

3回の自殺未遂(15才までに)

厳格な家庭教師と訓練
(その後の人生に有益なもの-回想)

 

1881/3〜月期

1891/3〜火星期

 
1895年 6月30日 15才の彼女は重大な体験をした。それは彼女が思春期特有の精神的激痛の真っ直中にあり、人生に何の価値を見出せず、悲しみと困難以外のものは何もないように思われたときのことであっ た。ある日曜の朝、一人で読書していたとき、部屋の扉が開き、ヨーロッパ風の服を着て頭にターバンを巻い た背の高い男性が部屋に入ってきた。その男性は、彼女には行うべき仕事があるが、それを行うためには、気 性をかなり変え、ある程度自分を統御しなければならないと言った。そして、彼女が将来役に立つかどうかは 、彼女が自分自身をどう扱うかにかかっていると付け加えた。男性が凛々しく話している間、彼女はただ聞き 入っていた。言うべきことを言い終えると、男性は立ち上がり、扉のところで立ち止まり一分間ほど彼女を見 つめ、そして歩き去った。彼女は何が起こったのか分からなかった。ショックから立ち直ったとき、まず怯え 、狂ったのか、それとも夢を見たのかと考えた。そして次に、独り善がりの満足感に浸った。その後、彼女は不機嫌になることはなくなり、時には家族が気味悪がる大人しく振る舞った。 彼女はこの男性の監督と注目をそれ以降も7年ごとに感じた。

思春期の精神的激痛、人生に価値を見出せない悲しみと困難

クート・フーミ覚者との接触

火星/水星/木星

プラティアンタル木星
1895/6/13〜8/1

 

 
1898年〜1900年   18才から2年間、教会の日曜学校で聖書について 教えたことがあったが、数百人もの男性を前にして、緊張のあまり最初は逃げ出してしまった。しかし次第に慣れ、やがて演壇が最も幸せを感じられる場所になった。

教会の日曜学校での聖書の教育(教師)

緊張と逃亡

教えることの幸福

火星/月
→ラーフ/ラーフ

 
〜1902年   22才まで、彼女の人生は責任のない気楽なものであった。それは、彼女の全生涯において唯一、家族に守 られ、それに伴う環境、特権、安全が保証された時期であった。 22歳までの気楽な人生    
1902年  

22才のとき、アリスはアイルランドにある兵士のための保養所で働かないかと誘われた。それは、社交界 に嫌気をさしていたアリスにとって、人生を自らの足で歩む絶好の機会のように思えた。ベルファストにある保養所で働くことになり、コーヒーショップで兵士たちの食事の世話をし、チェッカーなどのゲームの相手を した。また、保養所にある福音集会室で聖書について説明し、兵士たちに自らの魂を救済するよう、つまり 、敬けんなキリスト教徒になるよう勧めた。

インドにある兵士保養所の責任者の具合が悪くなったため、彼女はインドに行くことになった。しかし、若い独身女性が、誰も知り合いのいない未知の大陸に一人で行くことは、当時としては考えられないことであっ た。

社交界への嫌気

アイルランド・ベルファストの保養所のコーヒーショップで兵士の食事の世話とゲームの相手

集会室で聖書の説明

インドの兵士保養所へ一人で行く

ラーフ/木星  
1906年  

1906年、彼女は健康を損ない始めた。以前から患っていた頭痛が悪化し、疲労はピークに達した。その主な原因は三つあった。一つは彼女の年としてはあまりにも多くの責任を背負ってきたこと。次に、キリストが存在するという変わることのない事実は別にして、彼女の知的構造全体と神学に対する彼女の姿勢がまさに根底から揺らいだこと。それは1915年まで続いた。そして三つ目は、ウォルター・エバンスという兵士に 出会い、恋に落ちたことであった。しかし、彼の社会的立場は彼女とは異なり、また保養所の職員と兵士の結婚は許されないことであった。このような理由により彼女は半狂乱の状態にまでなった。

インドでの暑い夜、ひどく孤独に感じていたとき、突然、幅の広い光り輝く一筋の光が部屋に射し込み、1 5才の時に現われた大師の声が語りかけた。しかし、姿は見えなかった。彼は彼女の問題に何の解決策も与え ず、何をすべきかも言わなかった。ただ、心配しなくてもよく、彼女は求められていることをしており、以前 に述べたライフワークはまもなく始まるが、それは彼女が考えているようなものではないとだけ告げた。健康がますます悪化したため、彼女は一時アイルランドに帰ったが、再びインドに戻り、仕事を続けた。ア リスがアイルランドで過したときにウォルター・エバンスのことを聞いた叔母は、彼がアメリカで神学課程を 受講し聖職者になるのに必要なすべての費用を用立てた。

健康状態の悪化(頭痛の悪化と疲労)

半狂乱の状態

クート・フーミ大師の声

一度、アイルランドに帰り、再びインドで仕事に就く

ラーフ/土星
→ラーフ/水星
 
1907年〜  

彼女が福音の仕事で、英国陸軍内で働いた時、兵士であるウォルター・エバンスに出会い、結婚してアメリカに渡る(ウォルター・エバンスが牧師として教会に赴任するため。然し、生活は困難になり、彼らの結婚は、3人の娘の誕生の後で、離婚に終わった。

1907年、彼女は聖職者になったウォルター・エバンスと結婚し、アメリカに渡った。彼女にとって召使 のいない生活は初めてのことで、それまで家事をしたことのないアリスにとって、周囲の人々の助けは非常にありがたいものであった。長女が生まれてしばらくして、エバンスが小さな町の教会の牧師に任命され、アリスは牧師の妻としての生活が始まった。やがて自分でも聖書の教室を始め、それは大成功を収めた。エバンスの短気がそのころからひどいものになり、彼女を叩いたり彼女のものを壊したりするようになった。しかし、娘には手を出さず、娘には常に優しい父親であった。

結婚

長女の出産

牧師の妻としての生活

聖書の教室を開く

夫の短気と暴力

 

ラーフ/水星

1907年4月20日〜1907年7月16日

土星と木星が射手座・6室にダブルトランジット

1912年 8月 1912年8月には次女が生まれる。その頃からエバンスの暴力はますますひどくなり、周囲の人々もそれに気づき始め、牧師の職を失う恐れも出てきた。エバンスに立ち直る機会が与えられ、アリスたちは別の教区に移った。しかし、三女が生まれる頃、事態はさらに悪化し、エバンスは精神が正常であるかどうかを検査するために病院に送られるまでになった。

次女の出産

夫の暴力の悪化

三女の誕生

夫が病院で精神検査

ラーフ/金星  
1915年〜   1915年、エバンスは別の教区での任務のために、3人の娘と多くの請求書を残してアリスの元を去った 。それ以降、彼女はエバンスに会うことはなかった。彼は給料の一部をアリスに送ることを約束したが、送金 されることはなく、アリスは三人の娘を育てるために、その町で唯一の産業であった鰯の缶詰工場で働くよう になった。その町に2人のイギリス人女性が住んでいた。アリスは、彼女らがある集会を開いているという噂を聞いて 出かけていった。それが神智学との出会いであった。アリスがそこに出向いたのは、神智学という彼女にとっ て新しい思想に興味を抱いたからではなく、同郷の女性に会いたかったからでしかなかった。しかし、神智学 が提示するアイディアと苦闘し、それまでの信念とこの新しい概念を適合させようとするにつれて、アリスの マインドは次第に目覚めていった。  アリスはブラヴァツキーの著作『シークレット・ドクトリン』に興味を持ったが、まだ理解することができなかった。しかし、その勉強に費やした時間は人生にとって最も価値ある時間であったと、アリスは回顧している。アリスの一日は非常に長いものであった。朝4時に起きて、子供たちの食事の用意をし、6時半に子供たち を隣の部屋の女性に預けて、缶詰工場に行き、午後4時に帰宅し、子供たちの世話をし、子供たちを寝かしつ けた後、深夜まで本を読むという生活が続いた。アリスはやがて、神智学ロッジに加入し、クラスを受け持ち、教えるようになった。しかし当時、彼女が確 信していたのは次の二つのことだけであった。つまり、キリストが存在するという事実とある内的な接触の二つであった。この接触は、説明できるものではないが、彼女にとって否定できない真実であった。やがて三つの基本的なアイディアが彼女の霊的生活のプログラムに組み込まれ、世界の物事を考える上での糸口を与えた 。その三つの基本的なアイデアとは、大計画の存在、ハイラーキーの存在、そして再生誕の法則と原因結果の法則である。このようにして、清らかな光が古い神学に投げかけられていったのである。

鰯の缶詰工場で働く

神智学との出会い

『シークレット・ドクトリン』を勉強する

子供の世話と労働、読書の日々

神智学協会へ加入し、クラスを受け持ち、教える

ラーフ/月
→ラーフ/火星
 
1917年   1917年に、YMCAと一緒にフランスに旅立ったエバンスの給料から毎月百ドルを彼女が受け取れるよ うに司祭が手配してくれた。それにより、彼女は缶詰工場を辞めて、神智学協会の米国本部があるハリウッド に引っ越すことができた。そして、彼女は神智学協会の敷地内にあるカフェテリアで働いた。

夫からの収入

缶詰工場を辞める

神智学協会本部のハリウッドに引っ越す

木星/木星  
1918年   1918年に神智学協会の聖堂に初めて入ったとき、アリスはキリストと知恵の大師方が描かれた絵を見て 驚いた。15才のときに叔母の家の客間に歩いて入ってきた男性を描いた絵が彼女を見つめていたのである。 その男性の名前はクートフーミ大師である。 クートフーミ大師の絵を見る

木星/木星
→木星/土星

 
1919年  

以前より準備を進めていたエバンスとの離婚裁判が1919年に行われた。アリスに有利な多くの証拠や正当な証言のため、離婚は簡単に成立した。エバンスとの生活は結婚としては失敗であったが、それはアリスの意識の成長にとって貴重なものであった。アリスは周囲の人々の親切さを身に染みて感じ、それによって人類家族が一つであることを実感した。そしてまた、自分自身を世界の中心に置いて人生というものを考えていたことに気づかせてくれるものでもあった。  

1919年、アリスはフォスター・ベイリーと出会い、2人は神智学協会での仕事を活発にこなしていった 。フォスターは神智学協会の米国事務官に、アリスは地方雑誌の編集長とその地区の委員会の議長を務めるようになった。そのため、仕事のすべての面と、運営の様々な方針や原則が彼らに明らかになった。そして、普遍的な同胞愛の確立のために設立されたはずのこの協会が――少なくとも当時は――人々に全般的に不朽の知恵を伝えることよりも、ロッジの増設と維持やメンバーの増加に関心を持つ派閥的グループに堕落してしまっていたことに気づくようになった。例えば、ベサント夫人からの通知がなければ、世界の誰も知恵の大師方の 弟子であることはありえないとさえ言われていた。普遍意識を持つと思われる大師方がなぜ神智学協会の中で しか弟子を探さないと考えられているのか彼女には理解できなかった。秘教部門と呼ばれる中心メンバーたち が神智学協会を完全に支配し、秘教部門の権威を受け入れてさえいれば、良いメンバーと認められていたので ある。アリスは正統派キリスト教会と同じように神智学協会にも幻滅を感じたが、偉大な基本真理がすでに彼女に とって意味のあるものになっていたため、状況はそれほど深刻なものとは感じられなかった。

離婚裁判

フォスター・ベイリーとの出会い

神智学協会での仕事

地方雑誌の編集長、委員会の議長を務める

神智学協会への幻滅

木星/土星  
1919年 11月 アリスがジュワル・クール大師と初めて接触したのは1919年11月のことであった。子供たちを学校に送り出し、家の近くの丘に行き、考えごとを始めたとき、突然、彼女の考えていたことがはっきりとした音楽 になって空から丘を通って響いてきた。そして、「人々のために書いてほしい本がある。あなたには書くこと ができる。そうしてくれないか」という声が聞こえてきた。間髪を入れずに彼女は「とんでもない。私は呪わ れた霊能者ではないわ。そのようなことに関わりたくありません」と言った。「賢明な人は即座に判断したり はしない。あなたには高度なテレパシー能力がある。あなたが求められていることはいかなる低位サイキズム とも関係がない」と声は語りかけた。彼女は「そんなことはしたくありません。サイキック的などんな仕事に もまったく興味がありません」と答えた。しかし、語りかけるが見えない人物は「あなたに考える時間をあげ る。三週間後に戻ってくるので、自分が本当に何をしたいのかを見つけなさい」と言った。  彼女はこのことを忘れていたが、三週間後の夜、子供たちを寝かしつけて居間に座っていたとき、あの声が 語りかけてきた。彼女は再び拒絶したが、声は、彼女にもう一度考え、自分に何ができるかを少なくとも二週 間かけて理解するよう求めた。このときから彼女は関心をもつようになったが、確信してはいなかった。彼女 は二週間か1か月試してみて、それからどうするかを決めることにした。『イニシェーション』の第一章を書 き取ったのはその数週間後のことであった。  ジュワル・クール大師は彼女の人格化された高位我であり、アリス・ベイリーはその低位我であるという立 場をユングは取っていると言われたこともあった。しかし、人格化された高位我がインドからどうやって小包を送ることができるのかと彼女は反論している。ジュワル・クール大師のために約二か月間書き取り続けた頃、彼女は恐怖感を覚え、この仕事をこれ以上続 けることを断固と拒絶した。それは、自分が病気になったり発狂することがあったら、三人の娘たちの面倒を見ることができなくなると考えたからであった。ジュワル・クール大師は彼女の師であるクートフーミ大師に尋ねるように提案した。一週間して、彼女は決心し、彼が教えた方法に従ってクートフーミ大師に接見し、す べてを話した。大師は、肉体的にも精神的にも危険はなく、本当に価値のある立派な仕事をする機会に恵まれていることを保証し、ジュワル・クール大師の手助けを彼女にさせるよう提案したのが自分であると告げた

ジュワル・クール大師との接触

ジュワル・クール大師の教えの口述筆記をする

 

木星/土星  
1920年   神智学協会の元来の方針は、様々な地域の ロッジの自主性を尊重するものであったが、状況は根本的に変わってしまっていた。秘教部門の権威を支持す る人々と神智学協会内のより民主的傾向の強い人々の間の分裂は1920年にクライマックスを迎えた。様々な原因により、多くの人々が神智学協会を去っていった。その中にはアリスとフォスターも含まれてい た。

1920年の末にアリスはフォスター・ベイリーと結婚した。

神智学協会からの脱退

フォスター・ベイリーとの再婚

木星/土星→木星/水星  
1921年   一般の人々と接し始めたのは1921年のことで、それは彼女の人生における困難な時期の始まりであった 。彼女は『シークレット・ドクトリン』のクラスを開き、予約制で様々な人々に会った。この『シークレット ・ドクトリン』のクラスは1921年に始められたが、とても多くの人々、神智学に関連した様々な協会や秘教グループの人々も定期的に出席した。1921年には、小さな瞑想のグループが作られ、その間もジュワル・クール大師の口述を書き取り続けた 。いくつかの著書がすでに公に出版されていた。  著書が普及した結果として、多くの手紙が寄せられるようになり、また『シークレット・ドクトリン』のク ラスへの要求も強まった。そして霊的な援助を訴えかける声をどのように処理したらよいかを考えることも必要になった。

一般の人との接触

『シークレット・ドクトリン』のクラスを開く

瞑想グループを作る

口述筆記の仕事

多くの手紙、霊的援助の要請

木星/水星  
1923年 4月

来たる新しい時代の弟子のために学校を成形するためにアリスはフォスターと共に1923年4月にアーケイン・スクールを開校した。

アーケイン・スクール開校 木星/水星→木星/ケートゥ  
1924年〜1930年   1924年から1930年まではアーケイン・スクールの発展、会報紙と記事の執筆、人々と面会などに追われる比較的単調な年月であった。

会報誌と記事の執筆

人々との面会

単調な実務

木星/ケートゥ
、木星/金星 →木星/ラーフ

 
1930年〜   1930年は、ヨーロッパやイギリスでの仕事に、そして娘たちの婚約と結婚に没頭した。著書は世界中で読まれるようになり、彼女たちが何をしていて、何を支持しているかが、本を通して、そして瞑想などに関す る手紙を書いてきた人々を通して世界中に知られるようになった。その後、彼女らは世界中を旅し、ヨーロッパの様々な国々で多くのタイプの秘教と出会うことになる。霊的 風潮の高揚を示す兆候が世界中で見られた。それはあたかも新しい霊的生命への扉が開かれたかのようであっ た。しかし、それに相当する悪の勢力の高揚も呼び起こし、世界大戦でそれは全盛を極めたが、霊的風潮の高揚は戦争によって中断されることはなかった。

海外での仕事(ヨーロッパ、イギリス)

娘の婚約と結婚

世界中を旅する

霊的風潮の高揚を目撃

木星/ラーフ  
1933年〜1939年   1933年から1939年まで、彼女らは、19か国での奉仕団体の組織、そして、ジュワル・クール大師 のヴィジョンに反応し、正しい人間関係を押し進め、人々の間に善意というアイディアを広める意志を持つ人 々を見つけることに専心した。 19か国での奉仕団体の組織 土星/土星  
1946年   生涯の最後の二年間、彼女はまさしく鉄の意志をもって苦難に立ち向かった。彼女の第一光線のパーソナリ ティーが彼女の魂の要求に応えるよう最後の努力を奮い起こしたのである。彼女が病身をはねつけようと決意 したのは1946年のことであった。彼女の生活習慣であったが、彼女は疲労と苦痛を意に介さずに肉体能力 の限界まで毎日働いた。活発に働き続けることを選択し、さらに忙しく働いた。彼女はこれを貫き通した。 疲労と苦痛を意に介さずに肉体能力の限界まで毎日働いた(鉄の意志) 土星/ラーフ  
1949年   1949年、ニューヨークの病院での最後の日々でさえ、彼女は訪問者を迎え入れ、アーケイン・スクールの幹部たちと相談し、手紙を書いた。死の時が訪れたとき、彼女の師であるクートフーミ大師が、随分前に約束したとおり、彼女を迎えにきた。  彼女の死の翌朝、フォスターは世界中の何千人という彼女の生徒たちと友人たちに手紙を送った。次にそれ を抜粋すると――― 「彼女は1949年12月15日木曜日の午後に平安と幸福に包まれて解放されました。最後の午後に、彼女 は『私はとても感謝しています。私は豊かな満ち足りた人生を送ることができました。世界中のとても多くの 人たちが私にとても親切にしてくれたからです』と言いました。  長い間、彼女はこの世を去ることを望んでいましたが、仕事を完了しようという強い意志をもって生き続け ました。  彼女のライフワークの大部分は常に主観的なものでした。私たちは外見上の結果を見て、彼女を助け、彼女 を愛し、時には批判し、時には不平を言いましたが、彼女と共にあり、彼女がいたからこそ、わずかでも高く 、より良い方向に進むことができたのです。私たちはすべてとても人間的で、彼女もまたとても人間的でした 。  彼女は師であるクートフーミ大師と共にキリストのためにもっと大胆な仕事をするために彼のもとに帰って いきました」

死去

死の直前まで仕事に没頭

クートフーミ大師が迎えに来る

土星/木星  
『アリス・ベイリー入門-エソテリシズムとは何か-』(土方 三洋著)より引用抜粋、一部編集

 

 

(資料1)

『アリス・ベイリー入門-エソテリシズムとは何か-』土方 三洋著 P.56〜P.68 より引用抜粋

三 アリス・ベイリーの生涯 アリス・ベイリーは1880年6月16日にイギリスのマンチェスターにおいてアリス・ラ・トゥローブ・ベイトマンとして生まれる。アリスが9才になる前に両親とも結核のためこの世を去ったが、裕福な家系であったため、不自由のない少女時代を送った。しかし、彼女は少女時代を振り返ると、すべてに嫌悪感を覚えると書いている。物質的には非常に快適で贅沢な年月であったが、同時に、惨めな疑問と幻滅、悲しい気づきと孤独に苛まれた年月であったと。実際、15才までに彼女は何度か自殺を試みている―――まったく子供じみた方法によってではあるが。それ以降、自殺にはまったく興味を抱かなくなったが、その衝動については常に理解していたという。  母親が亡くなった後、彼女は妹と共に祖母によって、後に叔母によって育てられ、厳格な家庭教師が明確なカリキュラムに基づいて朝から晩まで彼女らに様々な訓練を課した。彼女は、この訓練が彼女のその後の人生にとって非常に有益であったと述べている。  彼女はかつて、叔母と家庭教師の強い影響もあって、徹底した伝統固執主義のキリスト教徒であった。創造された世界の外側にいる超越した神を信じ、伝統的神学の教義が神の真理を要約するものであると完全に信じていた。そして、神が何を欲しているかを自分は正確に知っており、自分の観点は絶対に正しいと確信していた。しかし一方、彼女の中では不完全で不確かな何かが内在の神を、すべての形態の背後にある神を求めていた。  1895年6月30日、15才の彼女は重大な体験をした。それは彼女が思春期特有の精神的激痛の真っ直中にあり、人生に何の価値を見出せず、悲しみと困難以外のものは何もないように思われたときのことであった。ある日曜の朝、一人で読書していたとき、部屋の扉が開き、ヨーロッパ風の服を着て頭にターバンを巻いた背の高い男性が部屋に入ってきた。その男性は、彼女には行うべき仕事があるが、それを行うためには、気性をかなり変え、ある程度自分を統御しなければならないと言った。そして、彼女が将来役に立つかどうかは、彼女が自分自身をどう扱うかにかかっていると付け加えた。男性が凛々しく話している間、彼女はただ聞き入っていた。言うべきことを言い終えると、男性は立ち上がり、扉のところで立ち止まり一分間ほど彼女を見つめ、そして歩き去った。彼女は何が起こったのか分からなかった。ショックから立ち直ったとき、まず怯え、狂ったのか、それとも夢を見たのかと考えた。そして次に、独り善がりの満足感に浸った。  その後、彼女は不機嫌になることはなくなり、時には家族が気味悪がる大人しく振る舞った。 彼女はこの男性の監督と注目をそれ以降も7年ごとに感じた。そして1915年、彼女が35才の時にその男性が誰であるかを知ることになる。  22才まで、彼女の人生は責任のない気楽なものであった。それは、彼女の全生涯において唯一、家族に守られ、それに伴う環境、特権、安全が保証された時期であった。  22才のとき、アリスはアイルランドにある兵士のための保養所で働かないかと誘われた。それは、社交界に嫌気をさしていたアリスにとって、人生を自らの足で歩む絶好の機会のように思えた。ベルファストにある保養所で働くことになり、コーヒーショップで兵士たちの食事の世話をし、チェッカーなどのゲームの相手をした。また、保養所にある福音集会室で聖書について説明し、兵士たちに自らの魂を救済するよう、つまりJ、敬けんなキリスト教徒になるよう勧めた。それ以前にも18才から2年間、教会の日曜学校で聖書について教えたことがあったが、数百人もの男性を前にして、緊張のあまり最初は逃げ出してしまった。しかし次第に慣れ、やがて演壇が最も幸せを感じられる場所になった。  インドにある兵士保養所の責任者の具合が悪くなったため、彼女はインドに行くことになった。しかし、若い独身女性が、誰も知り合いのいない未知の大陸に一人で行くことは、当時としては考えられないことであった。1906年、彼女は健康を損ない始めた。以前から患っていた頭痛が悪化し、疲労はピークに達した。その主な原因は三つあった。一つは彼女の年としてはあまりにも多くの責任を背負ってきたこと。次に、キリストが存在するという変わることのない事実は別にして、彼女の知的構造全体と神学に対する彼女の姿勢がまさに根底から揺らいだこと。それは1915年まで続いた。そして三つ目は、ウォルター・エバンスという兵士に出会い、恋に落ちたことであった。しかし、彼の社会的立場は彼女とは異なり、また保養所の職員と兵士の結婚は許されないことであった。このような理由により彼女は半狂乱の状態にまでなった。  インドでの暑い夜、ひどく孤独に感じていたとき、突然、幅の広い光り輝く一筋の光が部屋に射し込み、15才の時に現われた大師の声が語りかけた。しかし、姿は見えなかった。彼は彼女の問題に何の解決策も与えず、何をすべきかも言わなかった。ただ、心配しなくてもよく、彼女は求められていることをしており、以前に述べたライフワークはまもなく始まるが、それは彼女が考えているようなものではないとだけ告げた。  健康がますます悪化したため、彼女は一時アイルランドに帰ったが、再びインドに戻り、仕事を続けた。アリスがアイルランドで過したときにウォルター・エバンスのことを聞いた叔母は、彼がアメリカで神学課程を受講し聖職者になるのに必要なすべての費用を用立てた。  1907年、彼女は聖職者になったウォルター・エバンスと結婚し、アメリカに渡った。彼女にとって召使のいない生活は初めてのことで、それまで家事をしたことのないアリスにとって、周囲の人々の助けは非常にありがたいものであった。  長女が生まれてしばらくして、エバンスが小さな町の教会の牧師に任命され、アリスは牧師の妻としての生活が始まった。やがて自分でも聖書の教室を始め、それは大成功を収めた。エバンスの短気がそのころからひどいものになり、彼女を叩いたり彼女のものを壊したりするようになった。しかし、娘には手を出さず、娘には常に優しい父親であった。  1912年8月には次女が生まれる。その頃からエバンスの暴力はますますひどくなり、周囲の人々もそれに気づき始め、牧師の職を失う恐れも出てきた。エバンスに立ち直る機会が与えられ、アリスたちは別の教区に移った。しかし、三女が生まれる頃、事態はさらに悪化し、エバンスは精神が正常であるかどうかを検査するために病院に送られるまでになった。  1915年、エバンスは別の教区での任務のために、3人の娘と多くの請求書を残してアリスの元を去った。それ以降、彼女はエバンスに会うことはなかった。彼は給料の一部をアリスに送ることを約束したが、送金されることはなく、アリスは三人の娘を育てるために、その町で唯一の産業であった鰯の缶詰工場で働くようになった。  その町に2人のイギリス人女性が住んでいた。アリスは、彼女らがある集会を開いているという噂を聞いて出かけていった。それが神智学との出会いであった。アリスがそこに出向いたのは、神智学という彼女にとって新しい思想に興味を抱いたからではなく、同郷の女性に会いたかったからでしかなかった。しかし、神智学が提示するアイディアと苦闘し、それまでの信念とこの新しい概念を適合させようとするにつれて、アリスのマインドは次第に目覚めていった。  アリスはブラヴァツキーの著作『シークレット・ドクトリン』に興味を持ったが、まだ理解することができなかった。しかし、その勉強に費やした時間は人生にとって最も価値ある時間であったと、アリスは回顧している。  アリスの一日は非常に長いものであった。朝4時に起きて、子供たちの食事の用意をし、6時半に子供たちを隣の部屋の女性に預けて、缶詰工場に行き、午後4時に帰宅し、子供たちの世話をし、子供たちを寝かしつけた後、深夜まで本を読むという生活が続いた。  アリスはやがて、神智学ロッジに加入し、クラスを受け持ち、教えるようになった。しかし当時、彼女が確信していたのは次の二つのことだけであった。つまり、キリストが存在するという事実とある内的な接触の二つであった。この接触は、説明できるものではないが、彼女にとって否定できない真実であった。やがて三つの基本的なアイディアが彼女の霊的生活のプログラムに組み込まれ、世界の物事を考える上での糸口を与えた。その三つの基本的なアイデアとは、大計画の存在、ハイラーキーの存在、そして再生誕の法則と原因結果の法則である。このようにして、清らかな光が古い神学に投げかけられていったのである。  1917年に、YMCAと一緒にフランスに旅立ったエバンスの給料から毎月百ドルを彼女が受け取れるように司祭が手配してくれた。それにより、彼女は缶詰工場を辞めて、神智学協会の米国本部があるハリウッドに引っ越すことができた。そして、彼女は神智学協会の敷地内にあるカフェテリアで働いた。  1918年に神智学協会の聖堂に初めて入ったとき、アリスはキリストと知恵の大師方が描かれた絵を見て驚いた。15才のときに叔母の家の客間に歩いて入ってきた男性を描いた絵が彼女を見つめていたのである。その男性の名前はクートフーミ大師である。  以前より準備を進めていたエバンスとの離婚裁判が1919年に行われた。アリスに有利な多くの証拠や正当な証言のため、離婚は簡単に成立した。エバンスとの生活は結婚としては失敗であったが、それはアリスの意識の成長にとって貴重なものであった。アリスは周囲の人々の親切さを身に染みて感じ、それによって人類家族が一つであることを実感した。そしてまた、自分自身を世界の中心に置いて人生というものを考えていたことに気づかせてくれるものでもあった。  1919年、アリスはフォスター・ベイリーと出会い、2人は神智学協会での仕事を活発にこなしていった。フォスターは神智学協会の米国事務官に、アリスは地方雑誌の編集長とその地区の委員会の議長を務めるようになった。そのため、仕事のすべての面と、運営の様々な方針や原則が彼らに明らかになった。そして、普遍的な同胞愛の確立のために設立されたはずのこの協会が――少なくとも当時は――人々に全般的に不朽の知恵を伝えることよりも、ロッジの増設と維持やメンバーの増加に関心を持つ派閥的グループに堕落してしまっていたことに気づくようになった。例えば、ベサント夫人からの通知がなければ、世界の誰も知恵の大師方の弟子であることはありえないとさえ言われていた。普遍意識を持つと思われる大師方がなぜ神智学協会の中でしか弟子を探さないと考えられているのか彼女には理解できなかった。秘教部門と呼ばれる中心メンバーたちが神智学協会を完全に支配し、秘教部門の権威を受け入れてさえいれば、良いメンバーと認められていたのである。  アリスは正統派キリスト教会と同じように神智学協会にも幻滅を感じたが、偉大な基本真理がすでに彼女にとって意味のあるものになっていたため、状況はそれほど深刻なものとは感じられなかった。  アリスがジュワル・クール大師と初めて接触したのは1919年11月のことであった。子供たちを学校に送り出し、家の近くの丘に行き、考えごとを始めたとき、突然、彼女の考えていたことがはっきりとした音楽になって空から丘を通って響いてきた。そして、「人々のために書いてほしい本がある。あなたには書くことができる。そうしてくれないか」という声が聞こえてきた。間髪を入れずに彼女は「とんでもない。私は呪われた霊能者ではないわ。そのようなことに関わりたくありません」と言った。「賢明な人は即座に判断したりはしない。あなたには高度なテレパシー能力がある。あなたが求められていることはいかなる低位サイキズムとも関係がない」と声は語りかけた。彼女は「そんなことはしたくありません。サイキック的などんな仕事にもまったく興味がありません」と答えた。しかし、語りかけるが見えない人物は「あなたに考える時間をあげる。三週間後に戻ってくるので、自分が本当に何をしたいのかを見つけなさい」と言った。  彼女はこのことを忘れていたが、三週間後の夜、子供たちを寝かしつけて居間に座っていたとき、あの声が語りかけてきた。彼女は再び拒絶したが、声は、彼女にもう一度考え、自分に何ができるかを少なくとも二週間かけて理解するよう求めた。このときから彼女は関心をもつようになったが、確信してはいなかった。彼女は二週間か1か月試してみて、それからどうするかを決めることにした。『イニシェーション』の第一章を書き取ったのはその数週間後のことであった。  ジュワル・クール大師は彼女の人格化された高位我であり、アリス・ベイリーはその低位我であるという立場をユングは取っていると言われたこともあった。しかし、人格化された高位我がインドからどうやって小包を送ることができるのかと彼女は反論している。  ジュワル・クール大師のために約二か月間書き取り続けた頃、彼女は恐怖感を覚え、この仕事をこれ以上続けることを断固と拒絶した。それは、自分が病気になったり発狂することがあったら、三人の娘たちの面倒を見ることができなくなると考えたからであった。ジュワル・クール大師は彼女の師であるクートフーミ大師に尋ねるように提案した。一週間して、彼女は決心し、彼が教えた方法に従ってクートフーミ大師に接見し、すべてを話した。大師は、肉体的にも精神的にも危険はなく、本当に価値のある立派な仕事をする機会に恵まれていることを保証し、ジュワル・クール大師の手助けを彼女にさせるよう提案したのが自分であると告げた。  それ以降アリスはジュワル・クール大師のために多くの本を書いた。『イニシェーション』の最初のいくつかの章が、インドの神智学協会本部が発行する『セオソフィスト(神智学徒)』に掲載された。しかし、嫉妬と反動的な態度に遭い、それ以上掲載されることはなかった。  当初、教えははっきりと声を聞くような方法で一言々々与えられた。しかし、すぐにその必要ななくなり、十分に集中しさえすれば、ジュワル・クール大師が想念を彼女のマインドに落としたときにそれを感知し書き取ることができることに気づいた。彼女が、表現方法についていつでも彼と議論することができた。それでも大師が言葉遣いや観点を変えないときは、彼女は大師の述べたことを決して変えることはなかった。人々の中には、自分と同じ見解が述べられている場合にはジュワル・クール大師によるものと考え、異なる見解が示されている場合にはアリス・ベイリーの意見と見なし、自分の見解の正しさを主張する人々もいたということである。  また、アリスはこれらの教えに関して次のように言っている。「人々は、瞑想のような専門的なテーマに関する本を書いている人は、それについてどんなことでも知っていると思うようです。瞑想の仕方を教えて欲しいとか、知恵の大師に会わせてほしいという手紙が世界中から寄せられました。私は、大師方が何をしてほしいと思っているかを正確に知っていると主張したり、好奇心の強い人々や愚かな人々を大師方に紹介する権限を持っていると主張するような秘教教師の一人ではありません。私は教えを発表してきましたが、ジュワル・クール大師から与えられたものをそのまま発表したにすぎず、責任は彼にあります。彼の本で与えられていることすべてを私が理解しているだろうという憶測は間違いです。訓練を受けた弟子ですので、私は一般の読者よりもよく知っているかもしれませんが、私にはジュワル・クール大師が持っているような知識はありません」と。  人類が必要とする新しい真理を与える責任を担う教師方は、ジュワル・クール大師が口述したこの教えを重要なものと見なしている。霊的な訓練や弟子道を歩むことを望む熱誠家たちの準備という線に沿った新しい教えもその中には含まれており、その方法とテクニックは過去のものとは大きく異なっているため、ジュワル・クール大師はアリスが間違わないように特に注意を払ったという。神智学協会の元来の方針は、様々な地域のロッジの自主性を尊重するものであったが、状況は根本的に変わってしまっていた。秘教部門の権威を支持する人々と神智学協会内のより民主的傾向の強い人々の間の分裂は1920年にクライマックスを迎えた。  様々な原因により、多くの人々が神智学協会を去っていった。その中にはアリスとフォスターも含まれていた。  1920年の末にアリスはフォスター・ベイリーと結婚した。  一般の人々と接し始めたのは1921年のことで、それは彼女の人生における困難な時期の始まりであった。彼女は『シークレット・ドクトリン』のクラスを開き、予約制で様々な人々に会った。この『シークレット・ドクトリン』のクラスは1921年に始められたが、とても多くの人々、神智学に関連した様々な協会や秘教グループの人々も定期的に出席した。  1921年には、小さな瞑想のグループが作られ、その間もジュワル・クール大師の口述を書き取り続けた。いくつかの著書がすでに公に出版されていた。  著書が普及した結果として、多くの手紙が寄せられるようになり、また『シークレット・ドクトリン』のクラスへの要求も強まった。そして霊的な援助を訴えかける声をどのように処理したらよいかを考えることも必要になった。そこで、アリスはフォスターと共に1923年4月にアーケイン・スクールを開校した。  1924年から1930年まではアーケイン・スクールの発展、会報紙と記事の執筆、人々と面会などに追われる比較的単調な年月であった。  1930年は、ヨーロッパやイギリスでの仕事に、そして娘たちの婚約と結婚に没頭した。著書は世界中で読まれるようになり、彼女たちが何をしていて、何を支持しているかが、本を通して、そして瞑想などに関する手紙を書いてきた人々を通して世界中に知られるようになった。  その後、彼女らは世界中を旅し、ヨーロッパの様々な国々で多くのタイプの秘教と出会うことになる。霊的風潮の高揚を示す兆候が世界中で見られた。それはあたかも新しい霊的生命への扉が開かれたかのようであった。しかし、それに相当する悪の勢力の高揚も呼び起こし、世界大戦でそれは全盛を極めたが、霊的風潮の高揚は戦争によって中断されることはなかった。  1933年から1939年まで、彼女らは、19か国での奉仕団体の組織、そして、ジュワル・クール大師のヴィジョンに反応し、正しい人間関係を押し進め、人々の間に善意というアイディアを広める意志を持つ人々を見つけることに専心した。  『未完の自叙伝』の記述はここで終わっているが、その前書きに、フォスター・ベイリーがその後の彼女の人生を次のように書いている。  生涯の最後の二年間、彼女はまさしく鉄の意志をもって苦難に立ち向かった。彼女の第一光線のパーソナリティーが彼女の魂の要求に応えるよう最後の努力を奮い起こしたのである。彼女が病身をはねつけようと決意したのは1946年のことであった。彼女の生活習慣であったが、彼女は疲労と苦痛を意に介さずに肉体能力の限界まで毎日働いた。活発に働き続けることを選択し、さらに忙しく働いた。彼女はこれを貫き通した。1949年、ニューヨークの病院での最後の日々でさえ、彼女は訪問者を迎え入れ、アーケイン・スクールの幹部たちと相談し、手紙を書いた。  死の時が訪れたとき、彼女の師であるクートフーミ大師が、随分前に約束したとおり、彼女を迎えにきた。  彼女の死の翌朝、フォスターは世界中の何千人という彼女の生徒たちと友人たちに手紙を送った。次にそれを抜粋すると――― 「彼女は1949年12月15日木曜日の午後に平安と幸福に包まれて解放されました。最後の午後に、彼女は『私はとても感謝しています。私は豊かな満ち足りた人生を送ることができました。世界中のとても多くの人たちが私にとても親切にしてくれたからです』と言いました。  長い間、彼女はこの世を去ることを望んでいましたが、仕事を完了しようという強い意志をもって生き続けました。  彼女のライフワークの大部分は常に主観的なものでした。私たちは外見上の結果を見て、彼女を助け、彼女を愛し、時には批判し、時には不平を言いましたが、彼女と共にあり、彼女がいたからこそ、わずかでも高く、より良い方向に進むことができたのです。私たちはすべてとても人間的で、彼女もまたとても人間的でした。  彼女は師であるクートフーミ大師と共にキリストのためにもっと大胆な仕事をするために彼のもとに帰っていきました」

 

(資料2)

(http://members.citynet.net/worldwonders/astrologyharvest/ ---- Astrology Hervest より引用、本格翻訳4にて機械翻訳)

Alice Ann Bailey was born in Manchester, England in 1880. She had a strong Christian education, and went on to do evangelical work in the British Army, which took her to India in 1907, where she met her future husband, Walter Evans. Together they moved to America, where W. Evans became an Episcopalian minister: but their life became harder and harder, and their marriage, after the birth of three daughters, ended in divorce. Alice A. Bailey Shown here on the cover of a Danish translation of her autobiography, her work has been translated into over 50 languages.In America, Alice Bailey made contact with the Theosophical Society, in which she encountered the work of Helena Petrovna Blavatsky. This led her eventually to become a member of the Esoteric section of the Theosophical Society. Some years later, she left the Society, but continued to recognise the importance of Madame Blavatsky's works in her life. Through her studies of Blavatsky's descriptions of esoteric Masters in Theosophy, Alice Bailey recognised the spiritual guide she believed had helped her from the age of fifteen as the Theosophical Master "Koot Humi" (also spelled Kuthumi). Later in 1919 she claimed to be in touch with another Master, Djwhal Khul, also known as The Tibetan. This began Alice Bailey's writings, 24 books in which she and her claimed Tibetan Master illustrate a body of esoteric teachings relating to ancient wisdom, theosophical studies, religion, philosophy and contemporary events from 1919 to 1949. In 1920 Alice Bailey married another theosophist, Foster Bailey, and in 1923 they founded the Arcane School to continue her teachings and form a school for the disciples of the coming new era. At the end of her life, she began to write her autobiography. Although reluctant to celebrate herself, she agreed to write the book only to give others inspiration to follow their own spiritual paths. She died in 1949.

アリス・アン・ベイリーはマンチェスター、1880におけるイギリスで誕生した。 彼女は強いキリスト教教育を受けて、彼女が彼女の未来の夫、ウォルター・エバンスと会った所、英国陸軍(それは1907年に彼女をインドに連れて行った)で、続けて福音の仕事をした。 一緒に、彼らはアメリカに引っ越した(そこで、W.エバンスは監督制教会の大臣になった): しかし、それらの人生はますますよりつらくなり、彼らの結婚は、3人の娘の誕生の後で、離婚に終わった。 アリスA.ベイリー 彼女の自伝のデンマーク翻訳のカバーの上でここで示されて、彼女の仕事は50を超えるlanguages.Inアメリカ(神智学協会との接触を作られたアリス・ベイリー)に翻訳されている(それにおいて、彼女はヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーの仕事に遭遇した)。 これのために、彼女を結局、神智学協会の難解なセクションのメンバーになる気にさせた。数年後、彼女は会を脱会したけれども、彼女の人生においてブラヴァツキー様の作品の重要性を認め続けた。 彼女のブラヴァツキーの神知学における難解なマスターズの説明の研究を通して、アリス・ベイリーは、彼女が、接神論マスタ「Koot Humi」(綴られたKuthumi)としても15歳から彼女を助けたと信じたスピリチュアルなガイドを認めていた。 後で、1919年に、彼女は、チベットのTheとしてまた知られている別のマスタ、Djwhal Khulと接触していると主張した。 これは、アリス・ベイリーの文書(彼女と彼女の主張されたチベットマスタが1919年から1949年に古代の知恵、接神論の研究、宗教、哲学、および同時代のイベントと関連している難解な教えのボディを説明する24冊の本)を開始した。 1920年に、アリス・ベイリーは別の接神論者、フォスター・ベイリーと結婚し、1923において、彼女の教えを続けて、来たる新しい時代の弟子のために学校を成形するために、彼らは不可解な学校を設立した。 彼女の人生の終わりに、彼女は、彼女の自伝を書きはじめた。 自身を祝福することを渋っているけれども、彼女は、彼ら自身のスピリチュアルな進路をたどるために他にインスピレーションを与えるためだけに本を書くことに合意した。 彼女は1949年に死んだ。

(Wikipedia からの引用と本格翻訳4による訳文)

 

Born in 1880 in Manchester, England, to upper-class parents, Alice LaTrobe-Bateman led a childhood existence that was quite disciplined and regimented, yet free from material anxiety. With the early death of both of her parents, she and her younger sister went to live with their grandparents, continuing their upper-class life. As a child, Alice was temperamental, vain, vengeful, and somewhat prankish (Mars in Leo conjunct the ascendant). Once, in anger at her governess, she stole her jewelry and flushed it down the toilet. Upon secretly reading her governess's private journal the next day, Alice learned that her governess knew exactly who the thief was, but was going to wait until Alice took the initiative and confessed before she would do anything about it. Alice then went to her governess and confessed about both the stealing of the jewelry and the reading of the journal. To Alice's surprise, her governess was much more outraged about the reading of the journal than about the disposal of the jewelry. The shock of learning this was Alice's first lesson in material-versus-spiritual values, which would later prove to be an important factor in her soul work. True to her Gemini Sun, Alice never resided in one place for very long, living in England, Canada, and Switzerland before she was nine years old. After her grandfather died, she and her sister would spend half the year with her grandmother in London, and the other half with her aunt in Scotland. In one country she attended the High Church, similar to Catholicism with its ceremony and ritual, while in the other she attended the Low Church, which was more like Protestantism with its vengeful God and hellfire punishment. Alice had found herself torn, in typical Gemini fashion, between two seemingly irreconcilable opposites. Mars, which conjoins Alice Bailey's ascendant, is the ruler of Scorpio, where the personality battles the soul, and this battle was Bailey's "major life conflict". As a child, she often hated herself and everyone else and felt as if life were worthless. She attempted suicide three times between the ages of five and fifteen by such dramatic means as throwing herself down the stone kitchen steps, attempting to smother herself with sand, and trying to drown in the river. With all of the drama of her Leo ascendant, her personality was engaged in striking out against the will of her soul to be in her physical body. Alice's self-torture and unpleasantness continued until the age of fifteen when she was sitting in the drawing room one Sunday, with the rest of the family having gone to church. A man dressed in European clothing and wearing a turban walked into the drawing room and sat down beside her. He told her that she would eventually have the opportunity to do some important work in the world if she would change her disposition and gain some control over herself. He promptly left, saying that he would be in touch with her again. Alice then began to control her cross nature and sharp tongue to the extent that her family thought that she was ill because she had changed so much. Having been raised as a devout Christian, Alice went to Ireland as a young adult to work in a soldiers' home where much of her duty was to lead gospel meetings and convert people who were not already "saved". Speaking in front of a few hundred soldiers terrified and embarrassed her so much at first that she would burst into tears and not be able to continue her talks. She then began to realize that the root cause of her embarrassment had been her own selfishness and ego-centeredness. Her major concern had been what the soldiers would think of her, and she had put this concern over that of actually performing her job well. She was learning one of the lessons of her Leo ascendant, that of overcoming vanity. With this realization, she was able to continue her talks in front of the soldiers. Still in her early twenties, she next went to India to fill a position as director of several soldiers' homes there. After several years of hard work, she fell in love with one of the soldiers, Walter Evans. This produced an intense conflict for her because a woman of her social status could not marry an ordinary soldier. While her emotions pulled her one way, her mind pulled her another, leading her into a classical, but most difficult, Gemininian, "head versus heart" conflict. She became so distressed over this situation that she was unable to sleep and did not care if she lived or died. This led to a nervous breakdown, and she was sent home to Scotland, weeping all the way. There she sought the advice of relatives and friends, one of whom, an old family friend whom she had always called "Aunt Alice", was a deaconess in the church. Aunt Alice listened sympathetically to her story and assured her that she would take care of the situation. Alice LaTrobe-Bateman then returned to India, and Aunt Alice proceeded to pay Walter Evans' way to America where he would attend an Episcopal Seminary in Ohio. As a clergyman, he would have the proper social status to marry an upper-class Englishwoman. When Walter was shortly to be ordained, he married Alice, who later described this turning point in her life as leaving "caste and social position behind" in order to discover Humanity. In America she found herself face-to-face with deep-seated, societal prejudice against African-Americans, and she was deeply disturbed by it. In her autobiography,* she devotes several pages to a sympathetic understanding of the plight of African-Americans, as well as Jews, in the twentieth century. This concern about cultural prejudices is one of the foremost characteristics of Gemini, the sign of universal brother- and sisterhood. According, Bailey wrote that behind all man-made class distinctions there lies "a great entity which we call Humanity". The newly married couple lived in Cincinnati, Ohio, until Walter was ordained, then moved to California where he was assigned a church. They established a home and had three children, but Walter proved to have an outrageous temper and would sometimes throw things at Alice and push her. It eventually became so dangerous for Alice to be at home with him that she would often seek refuge in the home of a friend. The news eventually spread to the local bishop, who responded to the situation by taking Walter's church from him. After six months he was given a church in Montana with the stipulation that he would send a portion of his monthly salary to Alice and the small children, who were to stay behind in California. Walter took up residence in Montana, but rarely sent his wife any funds. By this time World War I had begun, and Alice's small monthly allotments from England would sometimes not arrive because of the sinking of a ship. When they did arrive, they had been heavily taxed. For the first time in her life, the upper-class woman who had never before known a material care was experiencing dire poverty. At one point she lived for three weeks on dry bread and tea so that her children would have enough to eat. She went to work in a factory as a sardine packer, creating quite a sensation because of her high-society background. With Taurus as part of her Soul's Purpose Formula, she was learning resourcefulness and detachment from material desire. For years Alice had begun to doubt many of the Christian doctrines which she had been taught as a child. She made some friends who were studying Theosophy, the new spiritual science that had emerged from Helena Blavatsky's writings. Alice acquainted herself with Blavatsky's Secret Doctrine, began to study with her friends, and joined the local Theosophical Society (T.S.). She found that the Ageless Wisdom, which Theosophy expounded, "threw clear light on ... Christian theology" and began to teach at the Lodge. In 1917 Walter was sent to France, and the local bishop in California arranged for Alice to receive an allotment of $100 per month from his stipend. Alice then dropped her job in the sardine factory and moved to Hollywood with her children in the vicinity of the T.S. headquarters. In 1918 Alice was admitted into the Society's Esoteric Section which controlled the policies of the organization. She was then allowed into the Shrine Room where she learned, for the first time, the identity of the man who had visited her in the drawing room when she was fifteen years of age. From one of the pictures hanging on the wall, she recognized her visitor of twenty-three years previously as the Master Koot Hoomi. The Esoteric Section was the "inner sanctum" of the T.S., and here Alice learned much that displeased her. She found the Society to be surprisingly sectarian in nature, with a "reactionary and old-fashioned" management. For example, in order for one to become a member of the Esoteric Section (E.S.), one had to have been a member of the T.S. for at least two years. With this requirement fulfilled, one would be required to sever connections with all other groups, pledging loyalty only to the E.S. The T.S. also claimed that only its members could be disciples of the Masters of Wisdom. In her autobiography,* Alice Bailey expressed her disagreement with these self-righteous policies, common to the structures of many organizations, by stating that the "average head of a group" poses as if to be "the anointed of the Lord" when, in reality, he/she is only a human being simply trying to help his/her fellow man/woman. This is one of the realizations of the Leo on the Path. Leadership is seen not as a means to power or as an ego-trip, but as a way of serving Humanity, channeling the Christ Light, and helping to further the Divine Plan. In 1919, through her work in the T.S., Alice Evans met Foster Bailey and began working with him on the projects of the Society. Having been granted a divorce from Walter Evans, she and Foster soon became engaged to be married. They both became officers of the Society, leading to much involvement in its internal disputes. At its 1920 convention, the T.S. elected a new executive, and both Alice and Foster, who had been pushing for egalitarian reform, were ousted from their positions. In November 1919 Alice was first contacted by the Master Djwhal, called the Tibetan, who asked her if she would write some books for the public. In those days there was much fraud and charlatanism in the field of the occult, and Alice wanted no part of any work of a psychic nature. The Tibetan asked her to reconsider her decision during the next three weeks, assuring her that she had a certain gift for higher telepathy and that this work would not at all be related to lower psychism. When the Tibetan contacted her three weeks later, she reluctantly agreed to give it a try for a short period of time. Over the next few weeks, Alice began transcribing, in full waking consciousness, the beginning of Initiation Human and Solar, the concepts of which were dictated by the Tibetan. She finally decided to continue the work, which proved to last thirty years, with the last dictation occurring shortly before her death. After Alice and Foster lost their positions at the T.S. in California, Foster was offered a job at the New York headquarters. Shortly after settling in New York, they were married, and Foster became an excellent stepfather to the three children. Alice Bailey began teaching classes on The Secret Doctrine, and in 1923 she and Foster organized the Arcane School. This school was set up to be completely free from any requirements of allegiance to it or to anyone except to one's own inner soul. Its workers were all volunteer, and there was no charge for the work done, which primarily involved distributing information and offering correspondence courses. In Alice Bailey's chart, Pluto in Taurus is on the cusp of the house which contains the esoteric ruler of her ascendant. Pluto in Taurus destroys old thought forms which have been the basis of earthbound attachments. On the cusp of the eleventh house, it works to eliminate that which has been blocking the true spiritual purpose of a group from being manifested. Taurus esoterically represents the consciousness of illuminating maya, revealing the essential beauty and Light inherent in all things. The esoteric ruler of Taurus is Vulcan, which, in Mrs. Bailey's chart, is in Gemini, the sign of communication, education, and Love-Wisdom. Vulcan is in the eleventh house in Bailey's chart in a conjunction with Venus and the Sun, both also in Gemini. Vulcan in Gemini frees the expression of Love as expressed through the sharing of wisdom on a universal scale. It involves the concept of free information - information that is not withheld from anyone who seeks it. Alice Bailey was following her soul's plan to create (Leo) a center (Sun) of education (Gemini) that was free from personal desire and attachment (Taurus), thus helping to destroy the idea of personal ownership of knowledge that often occurs within a closed group. The eleventh house is the house of mass communication and world service, two significators of the Aquarian Age. With Pluto in Taurus on her eleventh cusp and Vulcan within the eleventh house, Mrs. Bailey did not even charge for her counseling work in the course of which she often saw a new person every twenty minutes of the day. Also with her husband, Alice Bailey organized the International Goodwill Movement which had Units of Service in nineteen countries by 1939. These Units would receive certain teachings and be given guidance for service and the spreading of goodwill throughout the world. It had been decided to emphasize goodwill instead of peace because when peace is present without goodwill, there can be unhappy conditions which could potentially lead to war at any time. The formation of the Goodwill Movement was an attempt to anchor the work of the Spiritual Hierarchy of Masters onto the planet. This work involves helping to manifest the Divine Plan on Earth by channeling Light, Love, and Higher Purpose into the minds, hearts, and wills of Humanity. The planet of bringing Spirit into matter is Venus, which is found in Gemini in Bailey's eleventh house, and is thus part of her Soul's Purpose Formula. Venus in Gemini works to spread the light of knowledge among all cultures, classes, and nationalities in order to help them realize their connection and work together as one human family. Again, Alice Bailey was acting out her soul's purpose by being in the center (leo) of non-profit (Taurus) Aquarian Age work (eleventh house) to help link people together, worldwide, (Gemini) through the proliferation of spiritual knowledge (Venus). In Leo, the personality is formed in its three aspects: physical, emotional, and mental. The last stage of personality formation is the mental stage, and it is with developing the intellect that much of the work of Leo lies. Once the intellect is developed to the point where it balances the physical and emotional development, Leo becomes totally aware of, and secure in, his/her individuality. The Leo on the Path then proceeds to first, become aware of the Divinity within, and second, to use his/her individuality as a tool in furthering Divine purposes. Bailey wrote four books in her own words, without dictation from the Tibetan, for the purpose of demonstrating her mind. She desired to prove that it was possible to engage in psychic/telepathic work and, at the same time, be of high intelligence. In doing this she planted a seed for the Aquarian Age in which all psychism will be totally conscious and come through the mind. This New Age psychism is known as intuition, and it will be fostered by a society in which the mind can expand and proliferate, much as we are seeing today with the expansion of technology which enables greater mental cultivation. Thus, the writing of her own books not only gave Alice Bailey an opportunity to express herself (Leo), but also to demonstrate her mental focus, which is a characteristic of all New Age intuitive work. With the ruler of her ascendant in the eleventh house of world service, Bailey states in her autobiography* that in the next lifetime she plans "to find the same group of workers", pick up the threads of her present life, and "go on with the job." This concept reflects that of the "New Group of World Servers", a group of souls united on the subjective planes, although not necessarily on the outer planes. This Group serves the Spiritual Hierarchy, headed by the Christ, and acts in a mediating role between It and Humanity in order to help enlighten the entire planet. In 1949, after having left the world with over twenty books, the Arcane School, and the International Goodwill Movement, Alice Bailey was met by the Master Koot Hoomi as she left her physical body. She lives on, however, in the Light and Love which she helped spread as she endeavored to introduce the world to the Masters, their Wisdom, and their Work.

上流階級の両親にマンチェスター、イギリスの1880において誕生して、アリス・ラトローブ・ベイトマンは、物質的な心配まだなしにまったく訓練されて、連隊に編成された幼年期生活を送った。 彼女の両親の両方の早い死によって、彼らの上流階級の人生続いて、彼らの祖父母と住むために、彼女と彼女の妹は行った。 子供の時に、アリスは、気質的で、空虚で、執念深く、多少いたずらである(共同のレオの中で、優勢を傷つける)。 彼女の女性家庭教師への怒りにおいてとなったら、彼女は彼女の宝石類を盗み、それをトイレに流した。 次の日彼女の女性家庭教師の私的なジャーナルをひそかに読むとすぐに、アリスは、彼女の女性家庭教師が、泥棒が誰であったかを正確に知っていたことを知ったけれども、アリスがイニシアチブを取り、彼女がそれについて何かをするであろう前に白状するまで待とうとしていた。 それから、アリスは彼女の女性家庭教師に行き、宝石類の盗みとジャーナルの読書の両方について白状した。 アリスの驚きに、彼女の女性家庭教師はジャーナルの読書について宝石類の処分についてよりずっと憤慨した。 これを学ぶショックは物質的であること対スピリチュアルな価値についてのアリスの最初のレッスンであった(それは、後で、彼女の魂仕事において重要な要素であると判明するであろう)。 日曜日に彼女の双子座に忠実に、彼女が9歳である前にイギリス、カナダ、およびスイスに住んで、アリスは決して非常に長い間のために1つの場所に住まなかった。 彼女の祖父が死んだ後に、彼女と彼女の姉妹はスコットランドでロンドンの彼女の祖母との半年と彼女のおばとの他の半分を過ごすであろう。 1か国で、彼女はその式典と儀式によってカトリック教に類似している高教会派に出席した一方、他において、彼女は低教会派に出席した(それはその執念深い神と地獄の業火処罰と新教により似ていた)。 アリスは自身が2つの一見したところ矛盾した反対物の間で典型的な双子座流行に破れていることに気付いた。 アリス・ベイリーの優勢を結合する火星は、さそり座(そこで、個性は魂と戦う)のルーラーであり、この戦いはベイリーの「大きなライフ衝突」であった。 子供の時に、彼女はしばしば自身と他のみんなを憎悪していて、ライフが無価値であるかのように感じていた。 彼女は、自身を石のキッチン階段の下に投げて、砂が自身を窒息させてみて、川で溺れようとすることのようなドラマチックな方法による5と15歳の間の自殺3時を試みた。 彼女のレオ優勢のドラマのすべてによって、彼女の個性は、彼女の物質的な体の中でそうである彼女の魂の意志に反して三振することにおいて引きつけられた。 彼女が教会に行ったファミリーの残りによって日曜日に客間1に座っていた15歳まで、アリスの苦行と不愉快さは続いていた。 人はヨーロッパ衣類を着ていて、ターバンをかぶることは客間の中に入って行き、彼女のそばで座った。 彼は彼女に、彼女が、結局、彼女が彼女の処置を変更し、自身に関してのいくらかのコントロールを得るならば世界でいくらかの重要な仕事をする機会を持つであろうと言った。 彼が再び彼女と接触しているであろうと言って、彼は即座に去った。 それから、アリスは、彼女の家族が、彼女がそんなに多く変わったので、彼女が病気であったと思ったところまで彼女の相互の性質と毒舌をコントロールしはじめた。 信心深いキリスト教徒として育てられて、彼女の義務の多くが、福音ミーティングを導き、すでに、「保存される」ではなかった人々を変換することであった兵士の家で働くために、アリスはヤング・アダルトとしてアイルランドに行った。 数百人の兵士の前で話すことは最初は彼女をそんなに多く慄然とさせて、当惑させたので、彼女は、泣き出し、彼女の話を続けることができないであろう。 それから、彼女は、彼女の当惑の根本原因が彼女自身のわがままと自我中心性であったことに気がつきはじめた。 彼女の主要な懸念は、兵士が彼女について何を考えるであろうかであり、彼女は、この懸念を、実際彼女の仕事をよく実行するそれの上に置いた。 彼女は、彼女のレオ優勢、虚栄に打ち勝つそれのレッスンの1つを学んでいた。 この実現によって、彼女は、兵士の前に彼女の話を続けることができた。 まだ20代前半で、そこの何人かの兵士の家のディレクターとして地位に就くために、彼女は次にインドに行った。 数年の重労働の後で、彼女は兵士の1人、ウォルター・エバンスに恋をした。 彼女の社会的地位の女性が普通の兵士と結婚することができなかったので、これは彼女のために強烈な衝突を生み出した。 彼女の感情が彼女の一方の方法を引っ張り、彼女を伝統的であるけれども最も難しいGemininianに導いて、彼女の精神が彼女の別のものを引いたのに対して、「頭対心臓」は矛盾している。 彼女はこの状況の上でとても悲しんだので、彼女は、眠ることができず、彼女が生きていたかまたは死んだかを気にしていなかった。 これは神経衰弱をもたらしていて、彼女は、ずっと泣いて、スコットランドに家に送られた。 彼女は親族と友人のアドバイスをそこに求めた(それの一つ(彼女がいつも「アリスおば」と呼んだ高齢の家族一同の友人)は教会で婦人執事であった)。 アリスおばは同情的に彼女の話を聞き、彼女が状況を世話するであろうということを彼女に保証した。 それから、アリス・ラトローブ・ベイトマンはインドに戻り、アリスおばは、彼がオハイオで英国国教会派温床に出席するであろうアメリカへのエバンスの道をウォルターに支払うことを続行した。 牧師として、彼は、上流階級のイングランド人と結婚するために適切な社会的地位を持つであろう。 ウォルターがまもなく、定められることになっていた時に、彼は、後で、彼女の人生におけるこの分岐点を、人間性を発見するために「後ろのカースト制度と社会的地位」を残すことと評したアリスと結婚した。 アメリカで、彼女は自身がアフリカ系アメリカ人に対して根深く、社会の先入観と向かい合っていると気付き、彼女はそれによってひどく妨害された。 彼女の自伝、*中で、彼女は数ページを20世紀のユダヤ人と同様にアフリカ系アメリカ人の状態に対する共感的な理解に捧げる。 文化的な先入観についてのこの懸念は双子座(博識兄弟と姉妹関係の合図)の最初の特徴の1つである。 一致して、ベイリーは、そこのすべての人造の階級差の後ろに、「私達が人間性と呼ぶ大きなエンティティ」が横たわっていると書いた。 ウォルターが、定められて、そして、彼が教会を割り当てられたカリフォルニアに移動するまで、新婚のカップルはシンシナティ、オハイオに住んでいた。 彼らは家を設立し、3人の子供を持っていたけれども、ウォルターは、法外な気性を持つと判明し、時々物をアリスに投げて、彼女を押すであろう。 それは結局、アリスが彼との家でそうであることがとても危険になったので、彼女は友人の家でしばしば避難を捜すであろう。 ニュースは結局、ウォルターの教会を彼から取り去ることによって、状況に反応したローカルな司教に広がった。 6ヶ月の後に、彼は、彼が、彼の月給の一部を、アリスとカリフォルニアに居残ることになっていた小さな子供に送るであろうという条件によってモンタナで教会を与えられた。 ウォルターはモンタナで定住したけれども、めったに、どのような資金も彼の妻に送らなかった。 今頃までには、第一次世界大戦は始まり、イギリスからのアリスの小さな毎月の配当は船の沈みのため時々到着しないであろう。 彼らが到着した時に、彼らは重く課税された。 初めて、彼女の人生において、一度も、以前に、物質的な心配を知ったことがなかった上流階級の女性は極度の貧困を経験していた。 あるポイントで、彼女の子供が、食べるのに十分に持つように、彼女は乾燥したパンと茶の上の3週間住んでいた。 彼女の高社会バックグラウンドのためなかなかのセンセーションを巻き起こして、イワシ荷造り業者として工場で働くために、彼女は行った。 彼女の魂の目的式の一部としてのトーラスによって、彼女は物質的な欲望から資力と派遣を知っていた。 何年もの間、アリスは、彼女が子供の時に教えられたキリスト教主義の多くを疑いはじめた。 彼女は、神知学(ヘレナブラヴァツキーの文書から明らかになった新しいスピリチュアルな科学)を勉強していた何人かの友人を作った。 アリスはブラヴァツキーの秘密の主義を知り、彼女の友人と勉強しはじめて、ローカルな神智学協会(T.S.)に参加した。 彼女はそれを不老な知恵と気付いた(その神知学は、「クリアなライトをかけた…」を説明した) キリスト教の神学"およびロッジで教えはじめた。 1917年に、ウォルターはフランスに送られて、カリフォルニアのローカルなビショップはアリスが、彼の給料から1ヶ月あたり100ドルの配当を受け取るように手配した。 それから、アリスはイワシ工場で彼女の仕事を落とし、T.S.本部の近くで彼女の子供とハリウッドに動いた。 1918年に、アリスは、組織の方針をコントロールした社会の難解なセクションに入れられた。 彼女が15歳であった時に、彼女は、彼女が、客間に彼女を訪ねた人のアイデンティティを初めて学んだ神社部屋の中にその時許された。 壁に掛かっている写真の1つから、彼女は彼女の23年の訪問者を以前にマスタKoot Hoomiと認めた。 難解なセクションはT.S.の「奥の聖所」であり、ここで、アリスは、彼女を不快にした多くを学んだ。 彼女は社会を、「反動的で、旧式な」管理による事実上驚くほど宗派であると気付いた。 例えば、ものが難解なセクション(E.S.)のメンバーになるために、ものは、少なくとも2年の間T.S.のメンバーである必要があった。 この要件を満たす状態で、一方は、E.S.、T.S.へのだけ忠実がまた、そのメンバーだけが知恵のマスタの弟子であるかもしれないと主張したのを誓約して、他のすべてのグループと接続を断ち切ることを要求されるであろう。 彼女の自伝の中で、現実において、彼/彼女が、ただの、単に彼のものを助けようとしている人間/彼女の仲間の男性/女性である時に、「神の塗布されたもの」であるかのように、「グループの平均的な頭」がポーズをとることを述べることによって、*アリス・ベイリーは多くの組織の構造に共通のこれらの独善的な方針との彼女の不一致を表現した。 これはパスの上のレオの実現の1つである。 リーダーシップは、パワーのための方法または独りよがりに振る舞うことけれども人間性を提供するための方法、キリストライトを運ぶこと、および神計画のより遠くへの手伝い に とnotで考えられる。 1919年に、T.S.における彼女の仕事を通して、アリス・エヴァンスはフォスター・ベイリーと会い、社会のプロジェクトの上で彼とともに働きはじめた。 ウォルター・エバンスからの離婚を認められて、彼女とすぐフォスターは、結婚することを約束した。 その国内紛争における多くの関与を引き起こして、それらは両方とも社会の役員になった。 その1920年の会議で、T.S.は新しいエグゼクティブを選び、平等主義者改革を要求していたアリスとフォスターの両方はそれらのポジションから追い出された。 1919年11月に、アリスは、最初に、彼女に、彼女が一般大衆のためにいくつかの本を書くかどうかを尋ねたチベットのものと呼ばれるマスタDjwhalによって連絡された。 そのころ、オカルトのフィールドに多くの詐欺と知ったかぶりがあり、アリスは精神の性質のどのような仕事の部分も全然望んでいなかった。 チベットのものは彼女に、彼女がより高いテレパシーについての一定の才能を持っていて、この仕事が全く下の心霊説と関連していないであろうということを彼女に保証して、次の3週間の間彼女の決定を考え直すように頼んだ。 チベットのものが3週間後彼女に連絡した時に、彼女はしぶしぶ、短期間の間試してみることに合意した。 次の数週の間に、アリスは完全な目覚め意識において人と太陽の開始の最初を書き写しはじめた(それの概念はチベットのものによって命じられた)。 彼女は最終的に、仕事を続けると決めた(それは、彼女の死の少し前で起こっている最後の口述によって30年続くと判明した)。 アリスとフォスターがカリフォルニアでT.S.のそれらのポジションを失った後に、フォスターはニューヨーク本部で仕事を提供された。 ニューヨークに落ち着いた少し後に、彼らは結婚していて、フォスターは3人の子供に優秀な継父になった。 アリス・ベイリーは、秘密の主義の上の、そして1923年のクラスに、彼女とフォスターが不可解な学校を組織したのを教えはじめた。 この学校は、忠誠のどのような要件でもそれにまたは人自身の内側の魂へのを除いた誰にでも完全にないために設定された。 その労働者はすべてのボランティアであり、された仕事のためのチャージが全然なかった(それは第一に、情報を流し、通信教育課程を提供するのを伴っていた)。 アリス・ベイリーのチャートの中に、トーラスの中の冥王星は、彼女の優勢の難解な支配者を収容する家の尖端の上にある。 トーラスの中の冥王星は、地に根ざしたアタッチメントの基礎であった古い考えフォームを破壊する。 11番目の家の尖端の上で、明示されることからグループの真実のスピリチュアルな目的を塞いでいたそれを取り除くために、それは働く。 すべての物の中で固有の本来の美しさとライトを明らかにして、トーラスは難解に照明mayaの意識を表している。 トーラスの難解なルーラーはバルカンである(それは、ベイリーさんのチャートの中に、双子座(通信、教育、および愛情知恵の合図)にある)。 バルカンは金星と太陽を持つ連結における、両方とも双子座におけるもベイリーのチャートの中の11番目の家にいる。 一般的なスケールの上の知恵の共有を通して表現されるように、双子座におけるバルカンは表現を愛情から解放する。 それは自由な情報の概念に関係している - それを捜す誰にも保留されない情報。 アリス・ベイリーは、個人的な欲望とアタッチメント(トーラス)がなかったし、従って、しばしば、封鎖グループの中で起こる知識の個人的な所有権のアイデアを破壊することに役立って教育(双子座)のセンター(Sun)を作成する(レオ)彼女の魂の計画を進めていた。 11番目の家はマスコミと世界サービス(みずがめ座生まれ時代の2人の示す人)の家である。 彼女の11番目の尖端のトーラスで冥王星がであることおよび11番目の家内のバルカンの時に、ベイリーさんは、20分ごとにしばしば彼女が新しい人に日で会ったコースにおいて彼女のカウンセリング仕事の料金を請求することさえしなかった。 また、彼女の夫とともに、アリス・ベイリーは、1939年までに19か国にサービスのユニットを持っていた国際親善動きを組織した。 これらのユニットは一定の教えを受け取り、世界じゅうでサービスのための指導と親善の広がりをされるであろう。 平和が親善なしで存在する時に、いつでも潜在的に戦争をもたらすことができた不幸な条件があるかもしれないので、平和の代わりに親善を強調することは決められた。 親善動きの構成は、惑星の上にマスターズのスピリチュアルなヒエラルキーの仕事を固定させる試みであった。 この仕事は、軽く、愛情の、そしてより高い目的を人間性の精神、心臓、および意志に伝えることによって地球の上の神性の計画を明示することに役立つのを伴っている。 心を問題に至らせる惑星は金星である(それはベイリーの11番目の家の双子座において発見されて、従って彼女の魂の目的式の部分である)。 彼らがそれらの接続を実現し、1つの人類としていっしょに働くのを手助けするために知識の光をすべての文化、クラス、および国籍にまくために、双子座における金星は働く。 再び、アリス・ベイリーは、スピリチュアルな知識(金星)の増殖を通して(双子座)世界的に人々を連結するのを手伝う非営利的な(トーラス)みずがめ座生まれの年仕事(11番目の家)のセンター(leo)にいることによって彼女の魂の目的を実行に移していた。 レオの中で、有名人はその3つの面において結成される: 物質的で、感情的で、精神的である。 人格形成の最後の段階は精神的な段階であり、レオの仕事の多くが横たわっているのは、知性を発展させることとともにある。 知性が、それが、身体と感情の発達を釣り合わせるポイントに発展したら、レオはにすっかり気づき、彼/彼女の個体の中で安全である。 パスの上のレオはその時、最初に中の神性に気づき、2番目、神性の目的を促進することにおいてツールとしての彼/彼女の個体を使うことを続行する。 彼女の精神を示すために、ベイリーはチベットのものからの口述なしで彼女自身の言葉において4冊の本を書いた。 彼女は、精神/テレパシーの仕事に従事することが可能で、同時に、高い知能をもっていることを証明したかった。 これをすることにおいて、すべての心霊説がすっかり意識があり、精神を通して入るであろうみずがめ座生まれ時代のために、彼女は種を植えた。 このニューエイジ心霊説は直観として知られていて、それは、精神が、私達が、どれがより偉大な精神的な栽培を可能にするかを今日テクノロジーの拡張によってわかるのと同じくらい拡大し、増殖することができる社会によって養育されるであろう。 従って、彼女自身の本のライティングはアリスベイリーに、自身(レオ)表現する機会を与えただけでなく、彼女の精神的なフォーカスを示すために、すべてのニューエイジの直観的な仕事の特徴はどれでもあるか。 世界サービスの11番目の家の彼女の優勢のルーラーによって、ベイリーは、次の生涯において、彼女が、「労働者の同じグループを見つける」、彼女の現在の人生のスレッドの上の選りすぐり、および「仕事を続けなさい」を計画することを彼女自伝*において述べる。 この概念は、「世界サーバーの新しいグループ」のうちの、必ず外の飛行機の上でないけれども、魂のグループが主体の飛行機の上で結束したことを考察する。 キリストによって率いられて、このグループはスピリチュアルなヒエラルキーを提供し、惑星全体を啓発するのを手伝うために、それと人間性の間で調停役割において作動する。 1949年に、20冊を超える本、不可解な学校、および国際親善動きによって世界を去った後に、彼女が彼女の物質的な体を置いていった時に、アリス・ベイリーはマスタKoot Hoomiによって出迎えられた。 彼女が、世界をマスタ、彼らの知恵、および彼らの仕事に導入することに努力した時に、しかし、彼女が放つのを手伝ったライトと愛情において、彼女は生き長らえている。

(http://members.citynet.net/worldwonders/astrologyharvest/ ---- Astrology Hervest より引用、本格翻訳4にて機械翻訳)