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藤田田著『ユダヤの商法』復刻の理由



最近、日本マクドナルド創業者の藤田田氏の著作全6冊を復刊するプロジェクトが実施されたようである。


中でも『ユダヤの商法 世界経済を動かす』(1972年/KKベストセラーズ)は総計82万7000部を売り上げるベストセラーとなったようだが、中古市場で2万円の値に吊り上がってしまい、容易に入手できない本になっていた。




例えば、この本を座右の書にする実業家も多く、たかの友梨も愛読書として、この本を挙げている。


この伝説の書が復刊したのを目にした為、以前から読みたいと思っていた私は、思わず、Amazonでワンクリックで購入した。



(新装版)2019年4月25日 初版第一冊発行


私の動機としては、ビジネスに生かすというよりもユダヤ人の考え方を知りたいと思ったからである。


ユダヤ人の商人の考え方についての興味深い話が載っているのではないかと思えたのである。


実際、読んでみると、藤田田氏が学生時代にG.H.Q(連合国軍最高司令官総司令部)で通訳のアルバイトをしていた時にユダヤ人米兵の軍曹が、給料前に破産状態になった同僚に高利で金を貸して、給料日になると容赦なく金を取り立てて、取り立てが難しい時には配給物資を担保として巻き上げ、金の力で同僚たちを支配し、逞しく生きている姿に感銘を受けたことについて綴られている。

その軍曹は、車を二台も買い込み、軍曹であるにも関わらず、G.H.Q.の上層部以上の豪勢な暮らしぶりだったという。


その時以来、藤田田氏はユダヤ人に接近し、一緒にビジネスを行なうようになり、いわばユダヤ人商人の見習いに入り、ユダヤ人から商売のやり方を直に学んだのだという。


そして、ユダヤ人たちの商売のやり方から学んだ経験について色々綴っているのだが大変興味深い話ばかりである。


藤田田氏は、ユダヤ人貿易商たちとの取引で、身を立ててゆくが、ユダヤ人は契約を絶対守り、契約を守らない人間は信用しない為、ある時、納期に間に合いそうになかった品物を届けるのに赤字覚悟で、飛行機をチャーターして納期に間に合うように相手に届けたエピソードを記している。


藤田田氏は、ある時は損をしてまでユダヤ人との契約を守った結果、ユダヤ人商人たちから「銀座のユダヤ人」と呼ばれて、世界のユダヤ人から信頼されるようになったのだという。



この藤田田氏のチャートについて当然、興味が沸くが、チャートを作成してみて、獅子座ラグナではないかと思った。




何故なら、まず、最初の印象として、藤田田氏は、創価学会の池田大作に雰囲気が似ているのである。


おそらく池田大作は、獅子座ラグナである為、藤田田氏も獅子座ラグナである。


獅子座ラグナに設定すると、ラグナロードの太陽が7室に在住しているが、7室は貿易相手や海外の契約先を表わすハウスである。

そして、この太陽に12室支配(海外)の月がコンジャンクトしており、海外のビジネスパートナーを表わす配置である。


また海外のビジネスパートナーを表わすと共に海外との貿易で、しばしば出費をすることも表わしている。


従って、上述したようにある時は、契約を守るために損をするようなエピソードも経験したのである。



また獅子座ラグナにすると、ラーフ/ケートゥ軸が6-12室の軸に在住し、木星、金星、火星が6室から12室(海外)にアスペクトしている。


これは藤田田氏が、海外の取引先から受注した商品を納期に間に合うように奔走して、海外に船便や飛行機で送り届けることを表わしている。いわば海外の取引先に対するサービス(6室)を意味している。

とにかく、こうした納期を守り、約束を守る藤田田氏を世界のユダヤ商人たちは信頼したのであるが、これはこの6室に木星や金星など吉星が在住して、充実したサービスを提供したことを物語っている。


藤田田氏は、海外から色々な物を日本に持ちこんできた人物でもあり、日本マクドナルド、日本トイザラス(おもちゃ)、日本ブロックバスター(レンタルビデオチェーン)など、ヒット商品、ヒット事業を日本に持ち込んだ。


従って、創業者と言っても、純粋に新しいアイデアの事業を創業したというよりも、海外のアイデア、ヒット商品を日本にいち早く持ち込んだパイオニアであり、その本質は、輸入販売業者といった方がいいかもしれない。


つまり、藤田田氏の本質的な肩書きは、貿易商人である。


だからラグナから見た12室に木星、金星、火星などの惑星がアスペクトするばかりでなく、月、太陽から見ても12室に木星、金星、火星などが集中しているのである。


藤田田氏のビジネスにとって、海外とのやり取りというのは、欠かせないのである。



そして、藤田田氏は、意外にも太宰治と酒を酌み交わすような親交があったのは、6、7室支配の土星が4室蠍座(水の星座:酒場)に在住しているからである。






太宰治のラグナは蠍座ラグナであるから、この4室に在住する6、7室支配の土星の表示体になっている。




今、藤田田氏が脚光を浴びる理由


そして、今、藤田田氏の著作全6冊を復刊するプロジェクトが起こり、にわかに注目を集めているのは、何故かと言えば、現在、土星が射手座で逆行し、木星も蠍座で逆行し、牡牛座10室にダブルトランジットが生じているからである。


また月、太陽から見た10室にもダブルトランジットが生じている。


そして、土星は5室(出版)をトランジットし、また月、太陽から見た5室(出版)に土星と木星がダブルトランジットし、また土星と木星は、11室(高い評価)にもダブルトランジットしている。



藤田田氏は、既に亡くなっているのであるが、亡くなった後もダシャーが進行していたと考えると、現在、月/土星期である。


月から見ると、土星はラグナロードで10室に在住し、その土星に現在、木星と土星がダブルトランジットしている。






月と土星の組合せは、カリスマの組合せであることにも注目である。



またチャラダシャーを見ると、現在、牡牛座/射手座であり、牡牛座は10室(有名、高い地位)で、射手座は5室(出版)である。


そして牡牛座にはAmKとDKがアスペクトし、牡牛座から10室にはAKとPKが在住して、ジャイミニラージャヨーガを形成している。


ヴィムショッタリダシャーや、チャラダシャーでも、既に亡くなった藤田田氏がこのタイミングで、社会の注目を浴びる理由を示しているように思われる。




金星/土星期


藤田田氏は、1971年に日本マクドナルドを創業したのであるが、2000年頃からマクドナルドの業績が低迷し、2002年7月頃に業績不振や自らの体調不良などにより社長を辞任している。


この時期は、金星/土星期であるが、金星/土星期は、ウッタラカーラムリタによれば、王が乞食に転落する危険な時期とも言われており、この時期に藤田田氏が、業績不振や体調不良で社長を辞任していることを説明することが出来る。


この金星/土星の条件面について、もう少し精査が必要である。(この詳細なリサーチは今回は省略)



マハダシャーの金星は、3、10室支配で6室に在住し、ラーフ/ケートゥ軸や火星、土星と絡んで傷つけられており、この晩年におけるマクドナルドの業績低迷は、この配置が物語っている。



そして、藤田田氏は、2004年4月21日、心不全のため亡くなっている。






この時期は、金星/土星/ラーフ辺りである。



マハダシャーロードの金星は、マラカの6、7室支配の土星からアスペクトされ、土星は6、7室支配のマラカである。


そして、ラーフは12室に在住し、ディスポジターの月はマラカの7室に在住している。


12室は優先順位としては、マラカの次に死を表わすハウスである。




従って、もし藤田田氏が獅子座ラグナで正しく、またダシャーバランスが正しいなら、金星/土星期になってから、藤田田氏は、業績不振と体調不良、社長の辞任、そして、死も迎えたことになる。





為替(FX)や株式のトレードにおける損切りの考え方は、ユダヤ商人のビジネスに対する姿勢そのものである



私が、『ユダヤの商法 世界経済を動かす』を読んで興味深かったのは、以下の箇所(P.50)である。


辛抱よりは”見切り千両”

ユダヤ人は、相手の気持ちが変わるまで、辛抱強く待つ反面、ソロバン勘定に合わないと分かれば、三年はおろか、半年と待たないで手を引いてしまう。

ユダヤ人がある商売に、資金、人力を投入しようと決めたとすると、彼は、一か月後、二か月後、三か月後の三通りの青写真を準備する。

一か月経ち、事前の青写真と現実の間にかなりのズレがあったとしても、不安そうなそぶりや動揺はまったく見せない。どしどし資金と人力をそそぎ込む。

二か月経って、同じように青写真と実績の間に開きがあったとしても、ユダヤ人は一層補強投資をするだけだ。

問題は三か月目の実績である。

ここで青写真通りに行かない場合は、将来、商売が好転するというはっきりとした見通しがつかめない限り、思い切りよく手を引いてしまう。

手を引くということはそれまで注ぎ込んだ資金と人的努力を一切放棄してしまうことだが、たとえそうなったところでユダヤ人は泰然自若としている。商売はうまく行かなかったが、手を引くことで、ガラクタは一切背負い込まないですんだと考えて、むしろサバサバした顔をしているのだ。

ユダヤ人は、最悪の場合に三カ月で注ぎ込む資金は、あらかじめ予測している。その許容限度内の予算で勝負したのだから、クヨクヨすることはない、というのが彼らの考え方である。


「ダルマさん」は商売知らず

ところが、日本人の場合は大変なことになる。

「せっかくここまでやってきたのだから、もうひとふんばりしなくちゃ・・・・」

「今、ここでやめたら三か月の苦労が水の泡になる」

と、未練を残し、生半可に迷いながら商売を続ける。そして、結局、深みにはまり、再起不能のダメージを受けてしまう。

(略)



このユダヤ人の”見切り千両”の合理性は、FXや株の売買などにおける損切りの考え方と全く同じである。


しかも一定の損切り幅を決めて、その損切り幅を超えた途端に一切の感情に流されずに機械的に損切するという損切りルールの考え方と全く同じである。


FXや株のトレードにおいて、最も大事なことはこの損切りであり、損切さえしっかり出来ていて、防御さえしっかりしていれば、資金は増えていくと教えられている。


私自身、これは痛感しているが、素人は小さい勝ちを積み上げて、資金を増やしていくが、一度の大きな敗北を喫して、その全ての利益を失ってしまうのである。


それが素人の負けパターンであり、一度に全ての利益を吹き飛ばすリスクを損切りによって回避できれば、資金は増えていくのである。


ユダヤ人のビジネスに対する姿勢が、全くこの損切りの考え方と同じであることは非常に興味深い。


つまり、FXや株式のトレードに関しても、ユダヤ人商人と同じマインドを身に付ければ勝てるということである。


資本主義や株式市場を生み出したのがそもそもユダヤ人である為、これらを上手く扱う合理性もユダヤ人が有していても不思議ではない。


逆に日本人の場合、ダメなビジネスに見切りを付けられないで、再起不能のダメージを受けてしまうと、記されているが、これはFXや株式のトレードにおいて損切り出来ない人が損失を拡大して破産してしまうパターンである。



藤田田氏の著作の中で、最も有名なのは、『ユダヤの商法 世界経済を動かす』だが、この他にも『勝てば官軍』などの本も有名である。



資本主義を生み出し、世界経済を支配するユダヤ人のマインドや行動規範について知りたければ、これらの本はお勧めの本である。





【その他のエピソード】

藤田田氏が獅子座ラグナであることを物語るその他のエピソードがいくつかあるが、例えば、自分の息子たちに王様の名前を付けたことなどもいかにも獅子座らしいエピソードである。

藤田田氏には2人の息子がいるが、長男は、藤田元氏で、 次男は、藤田完氏である。

『ユダヤの商法』を書いた当時、成城大学1年と成城高校1年の息子(現在は、藤田商店の代表取締役、取締役副社長)がいて、長男に『元』(ゲン)、次男に『完』(カン)という名前を付けたが、これらは外国人には呼びやすい名前で、”ゲン”は英語で書くと、”Gen”で、将軍という意味であり、”カン”は、英語でカーンと発音し、”王様”を意味する。

藤田田氏の田(デン)という名前も外国人にとって呼びやすい名前らしく、そのことで随分得をしたといった話題の中で、外国人に親しみやすい名前を付けるべきだといった意見を綴っている。

獅子座は、”王室”の星座であり、自分を王様としてイメージする星座である。

そして、獅子座は子煩悩で、子供たちに自分の王様としての自己イメージを投影して、子供たちに王様の名前を付けたのではないかと思われる。

藤田田氏の出生図では、牡羊座や射手座、獅子座には全く惑星が在住していない為、せめてラグナは獅子座でないと、王様という自己イメージは生まれそうもない。

従って、獅子座ラグナで正しいと思われるのである。


またもう一つ、藤田田氏は、海外の悪徳商人から騙されて契約履行の直前に契約をキャンセルされ、損害を負わされそうになったことがある。

この時にケネディー大統領に手紙を書いて、この理不尽な商行為について直訴したようである。

ケネディー大統領は、商務長官を通じて、問題を解決するように指示し、場合によっては悪徳商人の海外渡航を禁じるような措置を取ることを伝えて来たという。

この大統領にまで直訴して、勝利を勝ち取った藤田田氏を海外のユダヤ人商人たちは、見直し、本物の信用を与えるようになったという。

このエピソードを読んで、更に獅子座ラグナで正しいと思われるのは、ラグナロードの太陽が7室に在住し、海外の契約相手に積極的にアプローチしていく配置であるが、7室の太陽は権力者を表わしているからである。

この配置が、ケネディ大統領のような権力者に自ら手紙を書いて、貿易問題の解決を直訴した配置であると言える。


最後に藤田田氏は、通訳をするほど、語学が堪能であったが、最低三か国語を話せることを推奨している。

もし獅子座ラグナだとすると、5室支配の木星にケートゥがコンジャンクトしており、語学の才能を表わしている。


このように様々な細かいエピソードを検討してみても、藤田田氏は獅子座ラグナで正しそうである。

後はナヴァムシャのラグナであるが、ナヴァムシャでは、木星と火星が高揚し、蟹座に惑星集中している。

創業社長の場合、2室が強調されるため、今回は、ラグナを双子座に設定してみた。ナヴァムシャのラグナの取り得る範囲は、牡羊座から射手座までである。

ナヴァムシャを双子座ラグナにすると、出生図のラグナは、マガーの第3パダである。



(参考資料)



なぜ今、藤田田なのか マック創業者の「金儲け書」復刊の訳
2019.04.13 07:00  NEWSポストセブン

 松下電器(現パナソニック)の松下幸之助、本田技研工業(ホンダ)の本田宗一郎、ヤマト運輸の小倉昌男など、名だたる大企業を一から築き、繁栄させた創業者たちに共通しているのは、決して人真似ではない独自の経営哲学や生き様を体現し続けたことにある。その類まれなるビジネスセンスやベンチャー精神は、今なお色褪せることなく著作物等を通じて語り継がれている。

 伝説的な名経営者といえば、この人も例外ではない。日本マクドナルド創業者の藤田田(でん)だ。

 東大在学中に高級雑貨輸入業の「藤田商店」を創業した藤田は、1971年に大手商社や食品メーカーを押しのけ、米国マクドナルドと合弁で日本法人「日本マクドナルド」を設立。東京・銀座の一等地、三越銀座店に1号店をオープンさせて以降、ハンバーガーという全く新しい食文化を瞬く間に日本中に根付かせた。その後、ファストフード業界を席巻するマクドナルドの躍進ぶりは周知の通りだ。

 藤田の略歴を記すと、「外資系企業を軌道に乗せただけでは?」と皮肉る向きもあろうが、日本での成功は単なる“米国流”の継承とは異なり独創性の高いものだった。

 藤田の生前、マクドナルドの広報部から依頼され2時間近くインタビューし、『日本マクドナルド20年史』に「藤田田物語」を書いたことのある外食ジャーナリストの中村芳平氏(近著に『居酒屋チェーン戦国史』がある)がいう。

「藤田さんは米国マクドナルドの創業者であるレイ・クロック氏に認められ、請われて合弁会社の日本マクドナルドを作ったのですが、その出資比率は50対50、しかもアメリカのアドバイスは受けるが命令は受けない、経営は日本人がやる──とエリアフランチャイズ(AFC)ではあり得ない日本優位の条件を呑ませました。日本マクドナルドは外資系ではなく“外枝系”(技術・ノウハウだけ提供を受ける)だ、と。

 それだけではありません。店名もアメリカ人の『マクダーナルズ』という発音は日本人には馴染まないとして『マクド・ナルド』に変えました。旧制松江高校の同級生を特攻隊で死なせた戦争経験世代の藤田にとって、決してアメリカの言いなりにはならず、日本発祥のハンバーガー店として成功させてみせるという強い意気込みがあったのです」

だが、そんな藤田は戦後GHQ(連合国軍総司令部)で東大法学部の授業料と生活費を稼ぐために通訳の仕事をした。そこで出会ったユダヤ人たちが兵隊の位は下士官以下、「Jew」と軽蔑されているのに金貸しをやり、贅沢な暮らしをしていたことに驚いたという。

 戦後国家の価値観が音をたてて崩れる中で、ユダヤ人は2か国語以上を話し、いつもたくましく生きぬいていた。5000年の民族の歴史のなかで、「金儲けの哲学」を確立してきたからだ。藤田はユダヤ人の兵隊たちと深く付き合うことで、「ユダヤの商法」を学んだ。東大2年の時、過分な外貨の割り当てを受けてヨーロッパに輸入に出かけたのが、藤田が輸入商社「藤田商店」を起業する原点だ。

 藤田は藤田商店を興そうとした時から、100万円を目標に、月々5万円という多額な貯金を始め、20か月で実現した。これが藤田を“銀座のユダヤ商人”に変えるのだ。

「藤田さんは『人生はカネやで!』と言ってはばからない人でしたが、『金儲けは目的ではなくチャンスを得るための手段』だとも話していました。

 藤田さんの発想の根底には“人間は裸で生まれて裸で死んでいく”という東洋的無常観が存在していました。つまり、どうせ裸で死んでいくなら今現在を精一杯生きることが、結果として金儲けにつながるんだという考え方です。人生は『仕事×時間=巨大な力』だと説いていました」(前出・中村氏)

 そんな“藤田流”経営の極意や金言が詰まった著書はこれまで数多く刊行されているが、中でも『ユダヤの商法 世界経済を動かす』(1972年/KKベストセラーズ)は総計82万7000部を売り上げるベストセラーとなった。近年は品切れ状態が続き、中古市場では2万円近い高値で取り引きされるほどだった。

 ソフトバンクの孫正義が高校生のころに『ユダヤの商法』を読んで感銘を受け、藤田に直接会いに行ったエピソードは有名だ。

 しつこく面会を申し込んでくる孫に根負けした藤田は、15分だけ対面し、「これからはコンピューターの時代だ。米国留学するならコンピューターの勉強をしなさい」と進言したという。この言葉をきっかけに、孫は事業家として現在の地位を確立するまでになったのである。

 そんな『ユダヤの商法』はじめ藤田田の名著6冊が4月12日に復刊(KKベストセラーズ)された。

「78:22の宇宙法則」「女を狙え」「口を狙え」「今日のケンカは明日に持ち越さない」「不意の客は泥棒と思え」……『ユダヤの商法』を開くと、Part1の項だけでもドギツイ見出しがずらりと並ぶ。

 しかし、なぜ今このタイミングで藤田田の著作を復刊することにしたのか──。KKベストセラーズ書籍編集部で復刊プロジェクトチームの統括にあたった山崎実氏に聞いた。

「いまの時代は中小・大企業問わず『正社員としての終身雇用』が難しい時代で、特に就職氷河期の40代以下の若者は自分の力で厳しいビジネス社会や人生を切り開いていかなければなりません。

 もちろん藤田さんが活躍された時代に比べれば、いまはモノが豊かにあって新しいビジネスのアイデアを持った賢い人たちもたくさんいますが、藤田さんのように常識を打ち破り、素早く行動に移すことのできる“突破力”を持ち合わせる人はそう多くありません。

 新しいビジネスで世界を変えたいとか、お金持ちへの夢を貪欲に描いている人は、藤田さんの著書の中から必ず“成功のヒント”を見つけ出せると思います。露悪的な表現も多々ありますが、藤田さんには大阪生まれのユーモアや人情味もありました。その愛情溢れる言葉やノウハウの数々は、現代のビジネスマンや起業を志す若者の心にもきっと刺さると信じています」(山崎氏)

 藤田田が2004年4月に亡くなって、今年でちょうど15年──。日本最大の外食チェーンと巨万の富を築いた伝説の経営者の“金儲け術”に心酔して、第二の藤田田、はたまた孫正義が次々と登場すれば、日本の経済界も明るいのだが……。

(敬称略)
参照元:なぜ今、藤田田なのか マック創業者の「金儲け書」復刊の訳
2019.04.13 07:00  NEWSポストセブン

藤田田物語①手垢でボロボロに汚れた一通の「定期預金通帳」
凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり
中村 芳平
2019年04月03日 BEST TIMES

日本を代表する経営者たちが、むさぼり読んだとされる『ユダヤの商法』。その著者・藤田田に、誰よりも深く切り込んだのが、外食ジャーナリストの中村芳平氏だ。中村氏は1991年夏、日本マクドナルドから要請され、藤田田に2時間近くインタビューをおこない、原稿をまとめたものが「日本マクドナルド20年史」に掲載された。その藤田田物語を大幅加筆修正してお届けする第1回。

■金儲けは正義である

「東大出の異色の経営者」、「銀座のユダヤ商人」、「アントレプレナー(起業家)のアイドル」、「文明評論家」……。総資産1兆7000億円といわれる日本最大の外食チェーン、日本マクドナルド株式会社を率いる藤田田には、ただ単に外食チェーンの経営者にとどまらない、予言者的、警世家的な風貌がある。それに加えて、〝日本マクドナルド教教祖〟兼〝日本金儲け教教祖〟といった雰囲気がある。

 企業が興隆するのには、魅力ある人物の出現が第一だといわれるが、藤田田には成功する起業家の条件が備わっていた。

 日本マクドナルドのハンバーガーが、わずか20年という短期間のうちに、全国津々浦々で800店余を数える日本一のレストランチェーンに発展したのは、藤田田の企画力、行動力、決断力、経営力に加え、人間的魅力があったからである。

 日本は歴史的に「米と魚の食文化の国」であった。日本で丸い小型のパン(ハンバーガーバンズ)に牛肉のハンバーグステーキを挟んだハンバーガーが、爆発的にヒットするとは誰も予想していなかった。 

藤田はそんな常識が支配する日本でハンバーガービジネスを展開するのに、「文化流水理論」を採った。「文化というものは高きところから低きところに水のように流れる」、つまり知識や情報はすべて「上から下へ流れる」という理論だ。

「アメリカという日本より高い文化のある国で、ハンバーガーとポテトがはやっているのであれば、日本が黒髪とみそ汁と米の文化の国だとしても、将来は金髪の女の子がハンバーガーとポテトを食べていてもおかしくはない」(藤田)

 藤田はハンバーガービジネスを最初に展開する場所に、アメリカ側が主張する湘南海岸のロードサイド店をはねつけて、東京・銀座を主張し一切譲らなかった。銀座という日本文化を象徴する場所に出店することで、ハンバーガービジネスが日本中に流れていくと確信していたからだ。

 藤田は1971(昭和46)年7月、日本マクドナルドの第1号店を銀座三越店の1階にオープンした。

 たった22坪、テイクアウト(持ち帰り)専門の小さな店だったが、8月からスタートする歩行者天国(日曜・祝日)を味方につければ、爆発的にヒットすると読み切っていた。実際、歩行者天国が始まると、銀座通りにはビーチパラソルの花が咲いた。その下には折りたたみ式の丸テーブルと椅子が置かれて、公道がそのままマクドナルドの店舗として使われた。家族連れが買い求めたハンバーガーやポテト、コーラ、アイスコーヒーなどのセットメニューをトレーに載せて運び、テーブルに座って飲み食いした。

 一方ではジーパンやミニスカートに代表される若者たちが歩行者天国を闊歩、歩きながらハンバーガーとコーラを立ち食い、立ち飲みした。それまで立ち飲み、立ち食いは日本の食文化では行儀が悪いと、家庭や学校教育では道徳上、原則的に禁止されていた。

 だが、藤田はそういう常識を破壊し、「右手にコーラ、左手にハンバーガー」というアメリカン方式の新しい食スタイルを流行らせることに成功した。日本マクドナルドの銀座三越店は連日連夜行列ができるほどの繁盛ぶりで、翌 72(昭和47)年10月1日、日商222万円を記録し、マクドナルドの売上高世界新記録を打ち立てた。

 藤田はハンバーガービジネスで、日本的な食習慣に革命を起こしたのである。

 藤田はこのような成功体験を引っ提げて72年5月、自著『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ刊)を世に問うた。

 それまで、日本人が最も苦手としたユダヤ人社会を題材にとり、世界経済を動かすユダヤ人の地下金脈や、ユダヤ人の政治力の実態に斬り込んだ。藤田は、「78:22の宇宙法則」、「首つり人の足をひっぱれ」、「女と口を狙え」、「懐疑主義は無気力のモト」といった全97項目から構成される『ユダヤの商法』で、金儲けの極意を明らかにした。

 藤田は「ユダヤ商法の原理原則の中にこそ金儲けのノウハウがある」と、喝破した。日本にマクドナルドのハンバーガーを導入し、それを成功させた快男児のことばであっただけに、そこには臨場感あふれる説得力があった。

『ユダヤの商法』を読んだ誰もがみな、マクドナルドのハンバーガーを初めて食べたときと同じような驚きと、カルチャー・ショックに襲われた。

 これを機に藤田は、稀代の起業家にして予言者、警世家、そして〝日本金儲け教教祖〟の座に就いたといっても過言ではない。『ユダヤの商法』は82万7000部売るベストセラーとなったが、現在では古本市場で高値をつけ、多くの読者からその復刊を待望されていた。

 藤田の素顔を探っていくと、原理原則に忠実なユダヤ教的合理主義者の面と、義理人情に厚い古風な日本人の面とが矛盾なく同居していることに驚かされる。怪物ぶりを発揮する反面、優しさを忘れないところに、藤田の人間的な魅力が感じられるのである。

■40年以上続けている定期預金

〝怪物〟藤田田は、手垢でボロボロに汚れた1通の「定期預金通帳」を、自らの生存を証明する唯一無二の「宝物」のように大切に保管している。

 預金通帳といっても40年以上前の1950(昭和25)年に発行された古いもので、現在の総合口座通帳のようにCD(キャッシュ・ディスペンサー)に挿入すれば残金を記帳できる便利な通帳とは異なる。

 小学生が国語の漢字の書き取り練習のときに、大きな四角のマス目のついたノートを使うが、藤田が大切にしている預金通帳もこれによく似た作りだ。通帳の1ページが大きな四角のマス目、12(1年分)~16に区切られていて、その一つひとつの枠内に、預金額が漢数字(算用数字併用)で「五萬円」と縦に書かれていた。預金額の下には銀行の受領印が捺してあった。

 藤田が住友銀行(現・三井住友銀行)新橋支店発行のこの預金通帳に月々5万円の貯金を始めたのは、50年のことだった。東大在学中の24歳のときのことで、この年、藤田はハンドバッグやアクセサリーなどを輸入販売する個人経営の貿易会社「藤田商店」をスタートさせた。藤田が貯金を始めたのは、藤田商店の設立がきっかけである。

 50年当時の5万円といえば、大金であった。

 そのころ、日雇労働者の1日の賃金が、「二個四」(〝100円札2、 10円札4〟で〝にこよん〟)という俗称のある手取り240円であった。すなわち25日間働いても、「240円×25日で6000円」にしかならなかった時代である。その時代に藤田は、日雇労働者の賃金8か月分以上にものぼる大金を毎月、定期預金していたのである。

 なぜこんな高額な貯金をするようになったのか。詳しくは後述するが、藤田はこの貯金通帳を初めに、最初の10年間は5万円、次の10年間は10万円、その次の10年間は15万円、つまり50年~80(昭和55)年の 30年間、毎月平均10万円をコツコツ貯金してきた。そして81(昭和56)年からは毎月10万円貯金していた。

 筆者が91(平成3)年夏にインタビューした時には40年以上にわたって10万円の貯金を続けていた。

 もちろん、50年に貯金を始めてから一度も休まずに続け、一度も引き出したことはない。

 それでは、藤田の定期預金は40年間でいくらになったか──。

 1年間が12か月だから、40年間といえば、12か月×40年間で480か月。その間に積み立てた元金の総額は、480か月×10万円で4800万円ということになる。これが毎年、複利でまわっていくわけだが、利まわり後の貯金額のトータルは、91(平成3)年4月現在で、なんと「2億1157万6654円」に達している。元金4800万円の5倍近い増え方である。

 参考までに計算してみると、藤田の定期預金が約1億2000万円になるのには30年かかったが、この2億1000万円余になるには10年間しかかかっていない。複利預金の増え方の威力をまざまざと見せつけられる思いである。

「この貯金については、毀誉褒貶があるんですよ。土地を買っておけば土地長者になっていたとか、株を買っておけばもっと儲かったとか、いろいろ言う人もおります。実際、長い間には、この金を引き出して使いたいという局面にも何回か遭遇しました。けれども、いったん下ろさないと決めたものを下ろしてしまったのでは、自分の負けなんですね。大変な克己心がいったことは確かです。でも、それを続けて来たことで、『藤田は約束を守る男だ』と銀行からも絶大な信用を得ています。私は、息子の元(現・藤田商店社長)に、『こ の貯金は、私が死んだあとも100年間続けてみろ』と、いっているんですよ。親、子、孫3代にわたって続けることになるかもしれませんが、そうすればどうなるか──。私のように粘り強い日本人がひとりくらいいても面白いではないか、と考えているんですがねぇ……」(藤田)

 毎月10万円ずつ100年間預金したら、複利でまわっていくらになるか──。今後、預金が1億円ずつ増える期間がどんどん短縮されていくのはわかるが、これを即答できる銀行マンはほとんどいないという。

 ともあれ、〝ユダヤの商人〟こと藤田田は、50年から40年以上、毎月いちども欠かさずに貯金してきた最初の定期預金通帳を、汚れてボロボロになった今も、昔と同様に宝物として大切に保管している。

〝怪物〟藤田田の真骨頂は、まさにこの預金通帳にあるといえる。

 天才とは、複雑な物事を単純化する能力であるといわれる。藤田は、人生が「仕事×時間=巨大な力」という単純な図式に当てはまるということを早くから見抜き、定期預金という形でそれを実証してきた。

 平凡なことを、非凡に実行する男──それこそが藤田田という怪物の正体である。

 藤田がこのような貯金を始めるきっかけは、どのへんにあったのであろうか。

■かまぼこ板と天性の腕白坊主

 藤田田は、大正から昭和へと移り変わる年、1926(大正15)年3月13日に大阪府で生まれた。

 日本マクドナルドが創業20周年を迎えた91(平成3)年、65歳になった。父・良輔、母・睦枝を両親に、5人兄弟の次男として生まれた。父は仏教徒であったが、母は敬虔なクリスチャンで、わが子がクリスチャンになるようにと願って、藤田の「口」の中に小さな「十」字架を入れ、「田」と命名したという。

 藤田の父は、英国の「モルガン・カーボン・クルシーブル」日本支社に勤める電気技師で、収入も多く、大阪千里山に豪華な邸宅をかまえていた。当時としては珍しい洋風生活で、藤田はベッドで育った。

 小学校は公立小学校に通い、中学校の進学にあたっては大阪市淀川区にある名門進学校の旧制北野中学校(現・大阪府立北野高校)を受験した。

 だが、早熟で、たびたび生意気な質問をして先生を困らせたことが災いしたせいか、内申書の成績が悪く、不合格となってしまった。

 そこで、藤田は、父の了解を得て、自らの意志で小学生浪人を経験した。当時も今も極めて珍しいケースだ。それだけ旧制北野中学校への進学が、その後の進路を決めると考えていたからだ。

 近所の老人から〝かまぼこ板〟とあだ名されるほど勉強したのは、このころのことであった。いつ見ても、背中を丸めて机にかじりついて勉強していたからだ。

 39(昭和14)年4月、藤田は2度目の受験で念願の旧制北野中学校へ進学した。成績は十数番であったようだ。

 このとき現役でトップクラスで入学したのが松本善明(93歳。弁護士。元・共産党衆議院議員)である。

「私たちが入学した当時、旧制北野中学校は6クラス編成でした。旧制中学校では成績が1番からビリまで全部貼り出され、机に並ぶ順番も成績通りと決まっていました。また、6クラスの級長、副級長も成績順に12人までと決められていました。

 私は全クラスでトップの成績だったので常に級長を務め、全クラスの組長に選ばれました。藤田は全クラスで13~15番程度の成績で、級長・副級長にはなれなかったですね。藤田は私のことをよく知っていたと思いますが、中学時代はほとんど付き合いがなかったです」

ちなみに、松本は26(大正15)年5月17日、大阪府生まれ。専門出版社「大同書院」(当時)の長男であった。学年では早生まれの藤田より1年下であるが、藤田が1浪して入学してきたので同期生となった。年齢は満13歳で同年齢である。

 松本は器械体操部に所属し、体を鍛えた。旧制北野中学校に入学して2年後の41(昭和16)年12月、真珠湾攻撃によってアメリカとの太平洋戦争が始まった。

 日本は初めのうちこそ快進撃を続けたが、42(昭和17)年6月のミッドウェー海戦での敗北を機に後退を余儀なくされた。43(昭和18)年4月に山本五十六連合艦隊司令長官が戦死、同年5月にはアッツ島部隊が玉砕した。

 純真な軍国少年であった松本は、他の級長2人と計3人で43年6月、海軍兵学校を受験した。

 当時、海軍兵学校が最難関とされたのは学業の優秀さに加え、身体が強健でなければ合格できなかったからである。このとき松本も含め旧制北野中学校からは三十数人が合格した。

 同年12月、松本は江田島の海軍兵学校に入学(第75期生、卒業は45年10月)。そして松本は江田島で終戦の玉音放送を聞くことになるのだ。

 藤田は旧制北野中学校に入学してからは陸上競技部に所属し、400メートル競走の選手をやっていた。陸上競技のなかでは瞬発力と耐久力が求められる厳しい中距離走の種目である。

 旧制北野中学校時代の同級生は「藤田は天性の腕白坊主であった」と証言している。藤田はヤンチャで、いつでも何か悪さをしていないと気がすまないといった性格であったから、教室にじっとしていることは少なかった。けれども、藤田のイタズラは、人の心を傷つけるような陰湿なものではなく、明るくカラッとしていた。ガリ勉タイプではなかったが、「試験のヤマを当てるのがうまかった」(藤田)ためか、成績は常に全クラスで上位10数番であった。

 しかしながら級友の間にも奇妙な人望があり、級長・副級長に次ぐ班長に推されたこともあった。

 全国屈指のラグビー校としても知られた旧制北野中学校では、大会があると全員で応援に参加した。参加しないと、先輩からビンタが飛んだが、こんなときでも藤田がビンタを張られることはまずなかった。

 判断が機敏で、すばしっこい上に、腕力にも自信があったからだと思われる。

(『日本マクドナルド20年のあゆみ』より加筆修正)〈②へつづく〉
参照元:藤田田物語①手垢でボロボロに汚れた一通の「定期預金通帳」
凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり
中村 芳平
2019年04月03日 BEST TIMES

藤田田物語②「人生はカネやでーッ!」左翼学生に放った言葉
凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり②
中村 芳平
2019年04月10日

日本を代表する経営者たちが、むさぼり読んだとされる『ユダヤの商法』。その著者・藤田田に、誰よりも深く切り込んだのが、外食ジャーナリストの中村芳平氏だ。中村氏は1991年夏、日本マクドナルドから要請され、藤田田に2時間近くインタビューをおこない、原稿をまとめたものが「日本マクドナルド20年史」に掲載された。その藤田田物語を大幅加筆修正してお届けする第2回。

■兄貴と慕われる

1944(昭和19)年4月、藤田は、戦火の激しい都会を避けて、山陰の学府・旧制松江高等学校に入学する。18歳のときのことだ。5か国語ほどを使い分けたという、語学の得意な父親の影響もあって、ドイツ語を第1外国語とする文科乙類に入った。「英語は中学時代5年間勉強して、ある程度マスターしていたので、もう1か国語くらい覚えたい」(藤田)というのが文乙志望の動機だった。文乙には好奇心の強い、少し大人びて、ひねくれた発想をする人間が集まっていた。

 藤田にとって不幸だったのは寮生活を一緒に送ったクラスメートが、肺結核に冒されていたことだ。入学して半年もすると体調を崩し、京都帝国大学で診断を受けた。その結果、肺結核で右肺に鶏卵大の空洞が二つあるのが発見された。

 診断をした京都大学結核研究所の岩井教授は、今ここで棺桶屋に電話をして棺桶の予約をするか、ただちに入院して人工気胸をやるかのどっちかだという。このままでは、あと2か月の命だともいう。

 私は、入院して人工気胸をやったら治るのかとたずねた。岩井教授は、それはわからないが、入院したら治すように全力をあげるという。私はやむを得ずに、即時入院を選んだ。

 入院をしたら、今度は、肛門のまわりに穴があく痔瘻にやられた……(中略)……。

 痔の手術は、痛いうえに恰好も悪い。尻の穴を人に見せるというのは死ぬほど恥ずかしい。しかも若いから、看護婦を見て体に変化が起きないように、シンボルに絆創膏を巻いて足に固定してしまう。まさに、踏んだり蹴ったりである。

 痔瘻はどうにか治ったが、結核は2~3年は安静にしていないといけないという。松江高等学校は、2年連続落第は放校だという。

 人工気胸というのは、空気を入れて、肺が動かないようにしておいて、そこへ栄養を送り込んで結核を退治するという治療法である。現在は抗生物質の出現で、人工気胸はやらなくなったが、当時は唯一の治療法だった。

 私は、死んでもいいと思って、学校へ出た。医師とは喧嘩別れである。そして松江の日赤に週に一度通って、空気を詰めかえてもらっていた。この人工気胸が私には効いた。

(『Den Fujitaの商法④ 超常識のマネー戦略 新装版』)

 藤田は寮の監督に事情を話した。そうすると、「無茶をするな。体調の悪い時は寮で寝ていても出席扱いにしてやる」と温情をかけられた。結局藤田は寝込むまで悪化せず、1年間の休学扱いですんだ。といっても小学生浪人の1年間を加えれば、2年間棒に振ったことになる。だが藤田にとっては、この2年間の道草が読書に親しむなど人間力を鍛えるのである。藤田はこのころから〝怪物〟ぶりを発揮し始めた。

 旧制松江高校は、数ある旧制高校の中でも弊衣破帽、汚いことにかけては土佐の高知高校と並び称される。〝蛮カラ〟の校風で知られていた。同校の先輩で、雑誌『暮らしの手帳』の名編集長だった故・花森安治氏が「女学生用のスカートをはいて、タクアンをボリボリとかじりながら、松江大橋の欄干(らん かん)の上を歩いた」という伝説が語り継がれるほど〝蛮風”でなる学校である。良くいえば、自由、革新の気風が強かった。

 ここで藤田は、応援団長、クラス総代、記念祭委員長などさまざまな役職をつとめることになる。これらは名誉職ではない。選挙で選ばれるもので、人格、識見、主義主張、能力、人望などが問われた。藤田は、何かことがあると飄々(ひょうひょう)として壇上に進み出て、自分の主張を早口の大阪弁で理路整然とまくしたてた。元来、こういう選挙では学校の教職員と近い関係にある学生が立候補したり、組織をバックにした左翼系学生がアジったりするのが常で、それに一般学生が追随するというスタイルが多かった。藤田は、そのような学生自治のあり方に不満を唱え自分の主義主張を訴えた。

 藤田の最大の武器は弁論だった。藤田の話は具体的で、左翼学生たちの舌鋒を軽く論破するだけの論理性、正当性、説得力を持っていた。加えて、藤田の人間的な魅力から、〝兄貴〟と慕う親衛隊も大勢おり、選挙となれば、誰よりも強かった。むしろ、学校の教職員が「藤田が選ばれると、何をするかわからないし、無理難題をふっかけられる可能性もある」という危惧から、選挙妨害もやりかねなかったほどだった。

 藤田には類まれなアジテーター(扇動者)の素質があった。

■タブーの軍国主義批判

 当時から藤田は、堂々と軍国主義批判をぶつような硬骨漢であり、いつも学校側を恐れさせた。藤田が旧制松江高校に入学した翌1945(昭和20)年3月ごろ、寮の3年生が召集令状で戦地に赴くことになった。さっそく、寮で形ばかりの壮行会が行なわれた。それぞれが型どおりのあいさつをするのに業を煮やした藤田は、こんな怒りをぶちまけた。

 「みんな、当たりさわりのない話しをしてこの場を取り繕っているが、お前たちは赤紙1枚で戦争に駆りだされ、むざむざ死地に赴く先輩の心情を本気で思いやっているのか。戦争に駆り出されて死ぬことが、どんなに無意味なことか、本当にわかっているのか。先輩の気持ちを思えば、そんな型通りのあいさつでお茶を濁すことはできないはずだ。もっと真心のこもった話ができないのか……」

 藤田の怒気に圧倒されて、座はシーンと静まり返った。一方、次の日に戦地に赴く3年生は、「よくぞいってくれた」と、藤田に泣いて感謝したのである。今なら何でもないことだが、あの時代に軍国主義批判をぶつのは、一歩まちがえれば憲兵隊に連行され、拷問される危険性があった。そんなことは百も承知の上で、藤田は、自分の正しいと思うことを堂々と発言した。それは、並大抵の勇気ではなかった。藤田の大きな特徴は、物事の本質を見抜く地頭の良さ、それと事に臨んでの度胸のよさにあった。

 藤田は、旧制北野中学校時代の松本善明のように軍国少年にはならなかった。それは外資系の会社につとめ、海外の動向に明るかった父・良輔から折りあるごとに、「日本が勝ち目のない無謀な戦争に突入した」と聞かされていたからだ。そして、その最大の理由は、「日本が単一国家、単一民族で視野が狭く、海外の動向についてあまりに無知であるからだ」と教えられていた。

 すでに、日本の敗色は濃厚であった。このまま戦争が続けば、次は藤田たちが戦地に駆りだされる番だった。藤田はやりきれなかった。

■父の遺言

 そんな藤田に大きな不幸が訪れた。大阪市内にあった実家が、1945(昭和20)年3月から始まったアメリカ軍のB29の全8回にわたる大空襲で全焼し、尊敬してやまなかった父を亡くしたことである。また兄・弟・妹も亡くした。

 藤田家は、この戦災で財産のほとんどを失った。戦後も無事に生き残り、91(平成3)年現在もなお健在なのは88歳の母・睦枝と、藤田本人、それに姉・美代子の3人だけである。

「父は読書家で数千冊の蔵書がありましたが、残ったのは今でも手元にあるドイツ語の辞典と、もう一冊程度でした」(藤田)

 父・良輔は、B29の爆撃が日増しに熾烈になる中で、このときが来るのをあるいは予感していたかのように、息子の田に宛てた遺書を英文で残していた。「THE WILL」と英語で表書きされた父の遺書には、あらまし次のような内容が便箋に5~6ページにわたって書かれていた。

 奈良のホテルにて。時間が少し空いたので、田に書き残しておいたほうが良いと思い、ペンを執りました。日本は、島国で視野が狭く、それが高じて世界と戦争をするような事態に陥りました。戦争はいずれ終わり、平和が来ると思います。その場合、田が生きていく上では東大の法学部に進学して政・財・官界に入るか、それができなければ、慶大の経済学部に進み経済人になるのが良いと思います。日本は、学歴、学閥社会なので、そのほうが生きやすいと思うからです。仮に私が死ぬようなことがあったら、そのときは母・睦枝を大切にしてください。

 父・良輔が冗談半分に息子の田に宛てて書いた遺書だったが、これが本物の遺書となったのである。戦争は、藤田家を悲嘆のどん底に突き落とした。藤田は、こんな中で「人間は、生まれてくるのも裸なら、死ぬのも裸だ」という厳粛な事実を認識した。このあたりに「人間・藤田田」の原体験があったのではないかと推測できる。

 父の死は藤田にとって、経済的にはきわめて厳しい高校生活を余儀なくされた。家庭教師など自分でお金を稼ぐ道を得なければならなかったからである。

■藤田のデカダンス

 藤田が「酒、煙草、女」といった青春の門をくぐるのは、このころのことだったと思われる。もともと藤田は、酒は一滴も飲めない体質で「奈良漬けを食べても酔っ払う」(藤田)ほどだった。

 父・良輔は、ひとりで2升、5人兄弟で集まると1斗酒を飲むほどの酒豪であったが、藤田は、子供のころから酒はきらいだったという。その藤田が酒を飲み始めるようになったのは、戦争という狂気の時代を生きのびる唯一の方法であったからだ。応援部の同輩に松江市在住の原田敬徳という醸造元「都の花」(当時)の跡継ぎがいた関係もあって、藤田は浴びるように酒を飲み始めた。親から受け継いだ酒豪の血が目覚めたか、1升びんをラッパ飲みし、下宿中を空瓶だらけにするほどの豪快な飲みっぷりだった。

「酒を飲むようになってからボクより酒の強い人間に会ったことはなかったですね。大酒を飲むようになってから友人と松江の遊郭に遊びに行ったことがあります。遊郭で飲んで放歌高吟していたら、外を歩いていた先生に見つけられ、寮の査問委員会にかけられ、放寮処分(寮を追い出される)になり、下宿するようになりました。それでもあの頃の旧制高校というのは先生と生徒の関係が濃密で、よく飲みに行って人生の問題などいろいろ議論したものです。ああいう全人教育というのは旧制高校のシステムがあったからこそ出来たのだと思います」

 藤田は、酒をラッパ飲みし遊郭で放歌高吟して放寮処分に遭いながら、それでいて試験の成績は、群を抜いて良かった。父の遺言に従い、東大に進むことが、藤田の精神的な支えになっていたからだ。

 1945(昭和20)年8月15日の敗戦を境に、日本は天皇中心の国家が崩壊し、民主主義社会へと大きく転換した。

■「人生はカネやでーッ!」

 戦後は混乱と不安で始まった。食糧難がこれに追い打ちをかけた。旧制松江高校の生徒たちも、自らの食べ物を確保するために奔走しなければならなかった。

 いつの世も時代の転換期には、藤田のように行動力、指導力、決断力を持った人間がその非凡な才能を発揮する。藤田は旧制松江高校の同窓会関係の人脈を使うなどして、隠岐島に渡ると、西郷町の町長と交渉し、魚を定期的に寮に入れてもらう約束を取り付けた。また、1946年の寮祭のときには、広島国税局と交渉し、煙草の特配を受けた。さらに、同じ年のインターハイのときには、県庁の隠匿(いんとく)物資となっていた木綿の反物を水泳部の六尺ふんどし用に大量に払い下げてもらった。加えて、この反物を米や魚と物々交換することで、京都のインターハイに参加していた旧制松江高校生の10日分ほどの食事を賄うという離れわざを演じた。

 すでにこの時代から、藤田には商才の萌芽(ほうが)が見られたのである。

 それは藤田が得意としていた英語、英会話が解禁になったことが関係している。

 なにしろ、文化祭やインターハイなどの催しは、すべてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の許可を得なければ開催できなかったので、藤田は、松江に進駐してきたGHQの本部に出かけて行っては「文化祭をやるから便宜をはかってほしい」と交渉した。その際の英会話力について藤田は、「ブロークン・イングリッシュだった」と謙遜するが、相当の英会話力であったようだ。当時、米軍キャンプのGI(米兵)といえば泣く子も黙る怖い存在で、日本人はGIを避けるようにした。しかし、英語が通じる藤田には、むしろ親しみやすく冗談の言える相手だった。GHQは多発する日本人とのトラブル解決などのために大量の日本人通訳を必要としていた。

 そういうご時世であっただけに藤田はすぐにGHQのアルバイトに採用され、高額なアルバイト料を稼ぐようになった。

 GHQは食品や嗜好品、衣料品など豊かな物資にあふれていた。それらを見るにつけて藤田は、「日本が戦争に負けたのは米国の経済力、物量によるものだ」と確信した。そして、「日本が焼け跡、闇市の悲惨な状況から立ち直るためには、一日も早く経済力を復興させることが大切だ」と考えた。

 藤田はGHQのアルバイトをすることで、左翼系学生たちと思想的に対峙していった。藤田は、「人生はカネやでーッ! これがなかったら、救国済民も何もできゃせんよ!」と、叫んだ。これは父親を亡くし、自力で生きてゆく道を見つけなければならなかった藤田の本音といえた。

(『日本マクドナルド20年のあゆみ』より加筆修正)〈③へつづく〉
参照元:藤田田物語②「人生はカネやでーッ!」左翼学生に放った言葉
凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり②
中村 芳平
2019年04月10日

ニュース コラム ライフスタイル 藤田田物語③太宰治と三鷹で酒を酌み交わし…戦後を彩った天才達との交流
藤田田物語③太宰治と三鷹で酒を酌み交わし…戦後を彩った天才達との交流
BestTimes 2019年4月17日 12:00

日本を代表する経営者たちが、むさぼり読んだとされる『ユダヤの商法』。その著者・藤田田に、誰よりも深く切り込んだのが、外食ジャーナリストの中村芳平氏だ。中村氏は1991年夏、日本マクドナルドから要請され、藤田田に2時間近くインタビューをおこない、原稿をまとめたものが「日本マクドナルド20年史」に掲載された。その藤田田物語を大幅加筆修正してお届けする第3回。■戦後日本の動向

戦後日本を支配したGHQ(連合国軍最高総司令官総司令部)の最大の目標は、「鬼畜米英」を叫ぶ日本の軍国主義を廃して、親米英的な国家につくり変えることだった。GHQは皇居お堀端の第一生命ビルに本部を置いた。最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥は1945(昭和20)年10月、5つの指令を出した。

 1、特高(特別高等警察)、治安維持法の廃止

 2、労働組合の結成奨励

 3、婦人参政権の確立

 4、学校教育の自由化(男女共学、単線型6334制の創設)

 5、経済の民主化(労働3法、農地改革、財閥解体)

 それと同時にアメリカン・デモクラシーを指導理念に、それまでの修身・日本歴史および地理教育を禁止した。国体改革(象徴天皇制、国民主権)が進められ、大日本帝国の支配体制は音をたてるように崩れ去った。東条英機ら戦争犯罪人が逮捕される一方、政治犯・思想犯が釈放された。18年間にわたって獄中にあった徳田球一が45年10月に出獄し、GHQを「解放軍」と呼んだ。英雄視され日本共産党を再建、書記長に就任した。

 戦後最初の第22回衆議院議員総選挙が46(昭和21)年4月10日に行なわれた。改選数466議席、大選挙区制。結果は日本自由党141、日本進歩党94、日本社会党93、そして戦前は非合法活動であった日本共産党が5議席を獲得した。49(昭和24)年1月23日に実施された第24回衆議院議員総選挙では中選挙区制が採用された。改選数は466議席で変わりはなかったが、民主自由党264、民主党69、日本社会党48、そして日本共産党は35議席獲得し大躍進を遂げた。

 さて、旧制北野中学校で藤田と同期だった松本善明は江田島の海軍兵学校で終戦を迎え、45年10月に同校卒業、46年4月、東大法学部を受験して合格した。海軍兵学校出身者が6人ほど合格、松本は3年間(当時旧制)彼らと多くの時間を過ごした。

 松本が東大に入学して一番勉強しようと思ったことは、「なぜ日本はアメリカと戦争したのか、なぜ日本はアジアへの侵略戦争を行なったのかを、哲学的に解明したかったからだった」という。

「最初の1年間は大学の授業によく出席して、先生方の講義をじっくり聞きました。そうしたら先生方は自分の著書を教科書にして講義しているだけだと気がつきました。それならば先生方に頼らずにとことん独力で勉強しようと思い立ちました。大学2年目からは授業には極力出ずに、毎日図書館に通い体系立てて本を読むことにしました」(松本)

 松本は軍国少年で海軍兵学校に進んだため、旧制高校生の必読書といわれた「デカンショ(デカルト、カント、ショウペンハウエル)」もヘーゲル、マルクスも読んでいなかった。戦後、日本共産党が公然と活動を開始すると、マルクス主義の入門書である『空想から科学へ』、『共産党宣言』、レーニンの『国家と革命』などは飛ぶように売れ、東大では青年共産同盟や日本共産党の活動家が幅を利かせていた。

松本はそんな中で聖書から哲学書まで1年数か月がかりで読み込み、「観念論」が誤りで、マルクス・レーニンの唱える「唯物論」が正しいと確信した。こうして48(昭和23)年9月、日本共産党に入党するのである。49年3月、東大法学部卒業。日本共産党国会議員団に勤務、同年夏、神田支部で画家で絵本作家のいわさきちひろ(1918~74 *戦後最大800万部の大ベストセラー、黒柳徹子『窓際のトットちゃん』のカバー・挿画を描いた画家)と出会い、50(昭和25)年1月に結婚した。51(昭和26)年11月、25歳のときに松本は、司法試験に合格。54(昭和29)年4月、弁護士活動を開始した。

■英語漬けの日々

 藤田は、旧制北野中学では同期となった松本善明よりも2年遅れて1948(昭和23)年4月に東大学法学部に入学した。松本のように最短距離で進学したのと異なり、小学浪人を1年経験、中学生活5年に加え、旧制松江高校で肺病により1年休学したからだ。それゆえ東大時代は藤田と松本はほとんど接点がなく、付き合いが始まったのは60(昭和35)年代に入ってからのことになる。

 藤田は「東大進学の一番の動機は授業料の安さだった」と述懐する。なぜなら、藤田は授業料も生活費も自分で稼がなければならなかったからだ。

 東京に出てまもなく、生活の糧を得るために、皇居をのぞむGHQの本部(第一生命ビル)で行なわれた通訳試験を受け、合格した。

 「初歩程度の試験だった」(藤田)というが、実際には交通事故解決のためのMP(憲兵)への通訳など、しばしば高度の英語力が要求された。米軍宿舎に泊まり込み、GIたちと直接英語で話した。英語漬けの毎日を送ることで、藤田の英会話力は、ますます上達し、半年もすると英語でものを考えられるまでになった。 藤田の1日は大学で講義を受けたあと、夜間にGHQの通訳として働いた。給料は1万1800円。48年当時の公務員の初任給が2300円だったから、藤田は、その約5倍も稼いでいたことになる。大変な東大生がいたものである。そして、藤田の交友関係は、このころから大きく広がっていった。

 藤田は、杉並区の西荻窪に下宿を借り、毎晩飲み歩いた。新宿にあった進駐軍専用の高級クラブにも通訳として出入りした。最後は西荻窪界隈の飲み屋で閉店まで飲んで、深夜下宿に帰るのが日課だった。

 そうした豪遊ぶりを見かねた西荻窪の飲み屋のママさんに、「土地でも買っておいたほうがいいんじゃないの」と、忠告を受けたこともあった。

 旧国鉄(現JR東日本)の西荻窪駅から歩いて5分くらいの住宅地が坪400円、100坪4万円で買えた時代である。藤田がその気になれば、GHQの給料4か月分で西荻窪周辺に100坪の土地を充分買うことができた。

 だが、藤田はついに1坪も買わなかった。

 また、別の機会に不動産屋から、現在、新宿コマ劇場の立つ土地200坪を坪1万円で買い取るようにすすめられたが、これも買い求めなかった。

その界隈は当時、葦の生い茂る水たまりで「坪1万円の価値があるとは、とても思えなかった」(藤田)からだ。そして今、藤田が買い損なったコマ劇場の土地は、91(平成3)年の時点では坪3000万円、200坪で60億円以上もしている。時価では、これよりもまだはるかに高いはずである。

 藤田は、「あのときに買っておけば良かったのかもしれないが、そんな先見の明などは少しもなかった」と振り返る。

■太宰治、山崎晃嗣との交流

 東大在学中に藤田は、戦後史を彩った人物たちとつき合っている。「光クラブ事件」で有名な山崎晃嗣(あきつぐ)や、流行作家の太宰治らである。

 GIスタイル、あるいは新調の背広にネクタイを締めて、藤田は、いつも東大に通った。まわりの学生たちが復員服姿で登校してきた時代に、藤田のダンディな服装は、ひときわ学内で目立った。

 旧制松江高校時代、応援団の団長をして〝蛮カラ〟の最右翼にいたころとは、180度の転換である。

 東大の法学部にはもうひとり、藤田と同じような服装で講義を受けにくる人間がいた。それが、学生金融「光クラブ事件」で有名になった山崎晃嗣であった。

「東大は天下の秀才、異才、奇才が集まってくると考えていたけれど、本当に話して面白かったのは山崎くらいしかいなかったですね。計算の早い男で8ケタ×8ケタは暗算でパット答えが出せるといっていました。それに女にモテて8人は愛人がいるといっていましたね。実際に計算したのを見たわけではないし、愛人8人がいるのも見たわけではないですが……。話していて頭がいいなと思ったのは、頭が整理されていて次、次、次というように論理立てて話すところでした」(藤田)

 山崎は、東大開校以来の秀才といわれた若槻礼次郎(元首相)の再来と騒がれた〝奇才〟であった。

 学徒出陣組で、終戦を北海道旭川市で迎えた。陸軍主計少尉で東大に復学。1948年9月、学生仲間と金融会社「光クラブ」を設立した。月1割3分の配当で投資家を募り、月3割に近い高利、すなわち10日で1割の利息を取る〝トイチ金融〟でおもしろいように儲けた。藤田は何事にも好奇心が強く、学徒出陣組の山崎の心情には強く共感を覚えた。一説には藤田は光クラブに融資していたと言われる。

 山崎は自著『私は偽悪者』で、「人間の性は、本来傲慢、卑劣、邪悪、矛盾である故(ゆえ)、私は人間を根本的に信用しない」と書き、「国家も女も信用するな」と述べている。

 これは筆者が藤田から聞いたことだが、山崎が資金的に行き詰まり、にっちもさっちも行かなくなったとき、国際法にいう「事情変更の原則」、すなわちまわりの状況が変われば主張を変えても良いという原則を持ち出して、山崎に「自殺する手がある」とほのめかしたという。筆者は山崎が国際法にいう「事情変更の原則」を持ち出して、1949(昭和24)年11月25日、光クラブ(銀座證券保証株式会社)の社長室で青酸カリによる服毒自殺を遂げたのは、藤田のアドバイスだったのではないかと思っている。

 社長室の机の上には、「高利貸冷たいものと危機しかど死体にさわれば……氷カシ」、「貸借法すべて清算カリ自殺」などの遺書と手記が遺されていた。

 山崎はまだ、東大法学部3年生、27歳の若さだった。その生き方のデカダンス、頽廃(たいはい)的な傾向からアプレ・ゲールの犯罪、略して〝アプレ犯罪〟と呼ばれた。

「山崎は頭が良すぎて、先が見えすぎて、思い詰めて死んじゃったところがありますね。ちょうど医者が病気になると病気の末路を知っていて悲観し、普通の人より早く死んでしまうのと同じことです。人間というのはある程度バカな方がハッピーなのかもしれませんね」(藤田)

 このころ、藤田は「作家の太宰治とも三鷹でよく飲んだ」という。軟弱という理由で藤田は、太宰の文学をきらった。経済を復興させるような元気な文章を書いて欲しいと願っていたという。

 それでも藤田には良い飲み相手だったようで、三鷹駅前の屋台で飲んで、酔っぱらって太宰の三鷹の家にも行ったという。

 太宰は、山崎が自殺する前年の48(昭和23)年6月13日に愛人の山崎富栄と玉川上水に飛び込んで心中したといわれる。

 藤田は、たまたま太宰が自殺する直前まで、三鷹の酒場で飲んでいた。

「とにかく、あの日は雨がザンザン降りの上に、太宰はカストリ焼酎で酔っていた。そこへ女性が傘をさして迎えに来たんです。それで二人で帰っていったんですが、太宰は下駄履きで足元がフラフラでした。『危ないから気をつけなよ』といって別れたほどです。あの状況からいって、私は、太宰は自殺したのではなく、玉川上水の狭い道で足を滑らせて、あの災難に遭(あ)ったんだろうと思っています」(藤田)

 太宰と愛人の山崎の死体が玉川上水の下流で見つかったのは、同年6月19日のことだった。二人は赤い紐(ひも)で結ばれていたといわれる。その後も報道は過熱し、愛人の山崎の遺書なども出てきて、太宰の死は心中だったといわれるようになった。

 筆者が藤田にインタビューした91(平成3)年には、太宰が心中してからすでに43年経っていた。

「当時、太宰はカストリ焼酎を飲むと、ゴホンゴホンと咳(せき)をしてコップに半分くらいの血を吐いていました。結核は相当進んでいて、太宰にはいつ死んでもいいという絶望感があったんだと思います。今から思うとそういうストーリーの中で死んだのだと思いますね」

 藤田は東大法学部の1~2年生の頃、GHQの通訳の高給取りとして築地に好物の寿司を食いに行ったり、毎晩飲み歩いていた。

 光クラブの山崎やデカダンス(フランス語で退廃、衰退の意味)の作家・太宰と親しくつき合ったのは、藤田自身の中に当時、彼らの生き方に共感する虚無的な心情があったからかもしれない。

■世界を相手に商売する気概

 藤田は東大法学部時代、日本の経済力を復興させるために、保守陣営から金を引き出し、「東大自治擁護連盟」を作り、戦後の混乱に乗じて勢力を急拡大していた共産党と戦った。東大では共産党指導者の徳田球一とやり合ったこともあった。徳田が「GHQの回し者」といえば、藤田は「マルキストの売国奴」とやり返した。藤田と共に共産党と戦った仲間には、高丘李昭(西友会長、日本チェーンストア協会会長)、熊平肇(熊平金庫社長・広島ロータリークラブ会長)、渥美俊一(日本ペガサスクラブチーフコンサルタント)がいた。

 藤田には、東大を出て外交官になるという夢があった。しかし、GHQの通訳のアルバイトに精を出しているうちに、ユダヤ人の生き方に強く惹かれ始めた。というのも、ユダヤ人はGHQでは〝ジュウ〟(Jew)と吐き捨てるように呼び捨てにされながら、しかも兵隊の位は下士官や一兵卒クラスと低いのに、将校以上に優雅で贅沢な生活をしていたからだ。藤田が親しくなったウイルキンソン軍曹は、軍から支給される給料の他にサイドビジネスに金貸し業務を行ない、大儲けしていた。

 ユダヤ人は実にたくましかった。敗戦の混乱と騒乱がうち続く中で、既存の権威や秩序、法律などあらゆる価値体系が崩壊し、生きていく精神的支柱が何もなくなっていくのに、ひとりユダヤ人だけはバイタリティにあふれていた。ユダヤ人は藤田がいう「金がなかったら何もできゃしないよ!」ということばをそのまま実践していた。時代が変わろうと、価値体系が崩壊しようと、最後に勝つのは金を持っている人間だということを、ユダヤ人は5000年以上におよぶ民族の盛衰・興亡の歴史の中で、身をもって学んでいた。それは、生きる方向を見失っていた藤田にとって、まさに新鮮な驚きであった。

 一方、ユダヤ人は2か国語以上をあやつる〝語学の天才〟でもあった。藤田は、子どものころから、父・良輔に「2か国語以上はマスターしなさい。将来は世界を相手に商売する気概を持つのだ」といわれて育った。とはいえ日本人で日本語に加え、英語・ドイツ語など外国語2か国語以上マスターしている人など、めったにいなかった。

 藤田は2か国語以上あやつり、世界を相手に商売する理想像をユダヤ人の中に発見したのである。ユダヤ人は、藤田に金儲けのコツを教えた。しかし、ユダヤ人から見た藤田にはひとつの欠点があった。それは、藤田の懐疑主義である。

 ユダヤ人は「他人を信じずに、自分ひとりを信じようとする態度は悪くはないが、それが高じて他人のいうことをすべて疑ってかかることは、行動のエネルギーをそぎ、最後は無気力に陥ってしまうだけだ。それでは金儲けなど100年経ってもできない」と、藤田をさとした。藤田には思い当たるふしがあった。

 藤田は、口では「人生はカネやでーッ!」といいながら、一方では日本の最高学府「東大法学部」卒の肩書きで、エリートコースを歩いてゆきたいという欲望があった。「できれば、外交官として世界に雄飛したい」という希望も捨てがたかった。そうすると、どうしても今の自分を〝仮の姿〟とみなしてしまい、金儲けに情熱を傾けることができなくなってしまう。そこに東大出の最大の弱点があるのだが、ユダヤ人は「藤田のそんなエリート根性には一銭の値打ちもない」と斬り捨てた。

 こんな時期を経て藤田は、ユダヤ商法を見習うことになった。GHQのユダヤ人と組んで通訳の他にサイドビジネスを始めた。これがのちに、ハンドバッグやアクセサリーなどの高級雑貨を輸入販売する「藤田商店」へと結実していく。

 この時代に藤田は、神田駅前で大道商い、すなわち露店商を経験している。真鍮(しん ちゅう)の指輪やアクセサリーなどを扱った。「物品を販売する以上、客が何を欲しがるのかを、自分の目で確かめたかった」からである。東大2年生のとき藤田は、GHQにいたユダヤ人の取り計らいで、過分な外貨割当てを受け取り、彼らの貿易チャネルに乗って、単身ヨーロッパに渡った。そこで高級アクセサリーなどを買い付けて帰国し、輸入販売業務をスタートさせた。

 さて、はじめのほうでも触れたが、藤田が清水の舞台から飛び降りるような一大決心をして月々5万円の定期預金を開始したのが、1949(昭和24)年頃のことだ。この時期に藤田は準備を始め、50年(昭和25)4月、輸入販売の「藤田商店」を設立した。

 同年6月には朝鮮戦争が勃発した。GHQで通訳の仕事をしていた藤田はこの情報を誰よりも早くつかんでいた。

 最高司令官マッカーサーは「日本を反共の防波堤にする」と、これまでの占領政策を転換。同年7月、警察予備隊7万5000人を創設、海上保安庁8000人増員指令を出した。日本は再び事実上の軍隊を復活させたのである。

 日本は朝鮮特需による好景気に沸き、戦後の経済復興を軌道に乗せようとしていた。

 このような激動の時代に藤田は、100万円を目標に貯金を始めた。毎月定期的に5万円貯金することで、人生に対して何かふっきれていくものを感じたという。それは、東大法学部卒の〝権威〟とか、外交官になる〝夢〟とか、無気力の世界へと導く〝懐疑主義〟とか──そういった虚妄の世界とはまったく異なる堅実で確実な真実の世界であった。藤田は新しい実業の世界へ「心眼」が開けてゆくのを感じた。

 藤田は1年8か月で「目標の100万円」を貯めた。これを機に藤田は、GHQの通訳の仕事を足掛け2年半経った、50年12月頃にはやめた。そして、学生実業家の道を志すことにした。一応腕試しのために官僚の最難関とされる大蔵省(現・財務省)の試験を受験、合格したが官僚になる気はさらさらなかった。

 藤田は、51(昭和26)年3月、東大法学部政治学科を卒業すると、迷わず藤田商店の仕事に取り組んだ。東大法学部卒としては、まさに〝裸一貫〟、ゼロからのスタートであった。

 このような当時の事情を勘案すれば、藤田がなぜ毎月5万円の定期預金をスタートし、唯一の拠り所としたのか、容易に理解できるだろう。

 藤田は、自著『ユダヤの商法』で、ユダヤ人は徹底した現金主義で、銀行預金さえ信用しないと記している。一方で、ユダヤ人の蓄財法を紹介している。

 〈ふくれた財布がすばらしいとはいえない。しかしカラの財布は最悪だ〉 〈金銭は機会を提供する〉

 藤田は毎月5万円の定期貯金を続けることで、世界を相手にする「銀座のユダヤ商人」に脱皮する覚悟だった。

■北野中学同期の藤田田と後輩の手塚治虫

 東大法学部の2年生のとき、日本共産党に入党した松本善明が広く知られるようになったのは、61(昭和36)年に日本共産党衆議院選挙予定候補として、次の選挙に東京4区(中選挙区、渋谷区、中野区、杉並区)から立候補することが決まってからだ。松本は、松川事件・メーデー事件の弁護団などに加わっていたが、62(昭和37)年5月、松本善明法律事務所を設立、独立した。63(昭和38)年11月、初立候補した。

 その一方で、私は自らの人脈を活かして、立候補の挨拶を精力的に行いました。とりわけ北野中学の友人には力を入れて訴えかけました。(中略)

 戦後一五年が経過し、北野中学の同級生は各分野で活躍していました。新進経営者として大成功していたのは藤田田氏(後に日本マクドナルド社長)でした。大学も同じだった彼に面会を求めて、立候補の挨拶をしてカンパをお願いすると快く五〇万という大金を出してくれたのには驚きました。後日、「共産党が政権を取ったときの保険金」としてカンパしたのだという主旨を自著(※『ユダヤの商法』)に書き記しています。(中略)

北野中学の二年後輩である手塚治虫さんにもすぐ挨拶に行きました。手塚さんはあまりにも著名でしたが、初対面の私と意気投合して迷わず巨額のカンパを出してくれました。手塚さんは一度のカンパだけではなく、その後一貫して私と共産党を親身になって応援してくれたのです。妻ちひろの仕事を高く評価してくれていたことも無関係ではなかったかもしれません。 (『軍国少年がなぜコミュニストになったのか』松本善明)

 これをきっかけに藤田は法律の解釈や訴訟問題で、松本に相談するようになった。また、藤田の妻、悦子も、いわさきちひろの絵のファンで、家族ぐるみの交流に発展した。

 松本は初の総選挙では落選したが、捲土重来を期し、67(昭和42)年1月の総選挙で東京4区から再出馬、初当選した(以来11期33年間の国会議員生活を送り、2003年に政界引退)。藤田は松本の当選祝賀会に招待され、反共側の支援者として次のような挨拶をした。

 (中略)日本へ無愛想な顔をして、日本がソ連(現・ロシア)の方へ傾いたらそれこそ大変だからであります。そのアメリカの甘い顔がもたらす甘い汁を、たんまりといただくのが私の商売であります。日本が駄々をこねればこねるほど、アメリカは日本を大切にしてくれます。

 つまり、日本という体の中に、共産党というバイ菌がいて、それが暴れれば暴れるほど、アメリカという医者は日本へ良薬を与えてくれるのであります。

 その駄々をこねる役割り、バイ菌の役割り、私は、日本の共産党にそれを期待しているのであります。

 わたしが選挙資金を一部融通したのは、ソロバンづくでの私の商売にほかならないのであります。

 松本君は当選し、みごとにバイ菌の一つとして培養されました。私の投資は成功したのであります。

(藤田 田『ユダヤの商法』1972年5月初版より)

 藤田には偽悪家のところがあり、どこまで本音で話しているのか分からないことがあるが、はっきり言えるのは友情を大切にし、義理と人情に厚いことだ。

(『日本マクドナルド20年のあゆみ』より加筆修正)〈④へつづく〉 ④は4月24日(水)12時に配信予定です。
参照元:ニュース コラム ライフスタイル 藤田田物語③太宰治と三鷹で酒を酌み交わし…戦後を彩った天才達との交流
藤田田物語③太宰治と三鷹で酒を酌み交わし…戦後を彩った天才達との交流
BestTimes 2019年4月17日 12:00








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キム・フィルビー -元祖スパイの肖像-


キム・フィルビー


最近、「副島隆彦の歴史再発掘」という本を書店で閲覧していると、キム・フィルビーのことについて書かれていた。


著者の副島隆彦氏の学問道場というサイトでもキム・フィルビーについて詳しく記されている。


この人物は、イギリス秘密情報部(MI6)職員でありながら、ソビエト連邦情報機関(NKVD、KGB)の協力者で、二重スパイであった。


イギリスの上流階級出身者から成るソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイブ」の一人で、その中心人物であるとされる。


フィルビーは、1929年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学するが、1930年代は、大恐慌の影響で、社会矛盾が噴出し、ヨーロッパではムッソリーニ、ヒトラーが台頭し、ファシズムが勃興していた。


1930年代のトランジットを調べると、天王星は牡羊座をトランジットし、冥王星は蟹座をトランジットしていた。


既に何度も紹介しているように蟹座とそこからの10室(行為)である牡羊座は、民族主義、国家主義、個人主義の星座であり、個人が自らの自己愛延長物として、国家や民族に同一視する傾向があった。


従って、ヨーロッパでファシズムが異常な隆盛を見せ始めた時代である。


例えば、ヒトラーのチャートで考えると、天秤座ラグナで牡羊座7室に惑星集中している訳であるが、10室にヨーガカラカの土星が在住している。この10室の蟹座の土星に冥王星がトランジットしていたのである。


だからこそ、尚更、ヒトラーの民族主義的世界観が異常な力を得たのである。


国家、民族が存亡の危機に立たされる場合においてのみ他国の領土を侵略する道徳的な正統性が認められるといった蟹座的な自己中心的な思想をヒトラーは「わが闘争」の中で展開している。


民族主義的世界観とは、国家、民族などの自己愛延長物に同一視する蟹座的な個人主義である。


当時の人々は、社会矛盾を解決するイデオロギーとして、ファシズムに傾倒するか、共産主義に傾倒するかのどちらかであった時代であった。


今の時代と同じであるが、独裁者に扇動されやすい大衆は、ファシズムに影響されやすく、知識人階級は、マルクス主義に傾倒し、共産主義思想に惹かれる時代であった。


この時代、ケンブリッジ大学でも反ファシズムや共産主義に惹かれ共産党に入党する学生が多かったようである。


キム・フィルビーは1933年にドイツを訪れ、ナチスによる反ユダヤ政策を目の当たりにしてショックを受け、共産主義の大義に生涯を捧げる決意をしたようである。


wikipediaには、以下のように記されている。



(略)

彼はマルクス主義経済学者のモーリス・ドブに会い、「共産主義の大義に生涯を捧げる」にはどうすればよいかと端的に質問した。教授から紹介されたコミンテルンの工作員にオーストリアの地下組織との接触を指示されたフィルビーは、語学習得を口実として1933年にウィーンへと向かった。フィルビーは紹介されたユダヤ人家庭の娘アリス・「リッツィ」・コールマンと恋に落ちた。ソ連の指示に従い地下組織メンバーとともに騒乱が発生するオーストリアとハンガリーにおいて政治活動に従事した。リッツィに逮捕状が出たことから1934年2月に彼女と結婚しイギリスへと帰国した。

(wikipedia キム・フィルビーより引用抜粋)



副島隆彦氏によれば、このキム・フィルビーは、映画007のジェームス・ポンドのモデルであるという。


アーネスト・ヘミングウェイの小説、映画「誰が為に鐘は鳴る」や、ジョン・ル・カレというスパイ小説作家の『寒い国から帰って来たスパイ』もキム・フィルビーだという。


戦後の全ての国際スパイ映画の中心につねにこのキム・フィルビーがいたのだという。


つまり、キム・フィルビーについて研究しなければ、スパイについて理解することが出来ないようである。


アーネスト・ヘミングウェイは、CIAの前身であるOSSの諜報員として、スペイン内戦に関わり、実際にジャーナリストとして、スパイ活動をしていたキム・フィルビーに接触したその経験から、「誰が為に鐘は鳴る」を書いたようである。


ジョン・ル・カレは、MI6に所属して、フィルビーの部下として働いていた経験から、この小説を書くことが出来たようである。


ゲイリーオールドマン主演の『裏切りのサーカス』という映画が2011年イギリス・フランス・ドイツ合作のスパイ映画として作られたが、原作は、このジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』が元になっている。


もっと以前の『第三の男』という映画もキム・フィルビーを描いたものだという。


こうして見てくると、ほとんど全ての映画、小説のスパイ物の原型になっているのが、このフィルビーのようである。



そこで、このフィルビーの出生図がどのような惑星配置なのか、またフィルビーが何故、ソビエトの二重スパイとして、生涯を共産主義に捧げたのか、その謎を占星学的に解明したいと思った。


キム・フィルビーの出生データは、アストロデータバンクに1912年1月1日 14時30分 インド・アンバラ(Ambala, India)と載っているが、データソースが不明ならしく、Rodden Ratingは、Cとなっている。


従って、出生時刻を完全に信用することが出来ない。


早速チャートを作成すると、以下のようなチャートである。






ラグナは牡牛座のクリティッカーで、月も牡牛座のクリティッカーである。


月ラグナから見た7室に1、6室支配の金星と8、11室支配の木星が在住しているが、7、12室支配の火星がラグナに在住し、1-7室で火星と金星が星座交換している。


この配置を見て、私は007ジェームスポンドが実在の人物、キムフィルビーをモデルにしていたということが納得出来た。


何故なら、女性星座である蠍座7室に金星と木星が在住し、配偶者の表示体である金星が7室に在住し、過剰にロマンスを追求する配置であると共に、木星は多くの女性を表わしているからである。


そして、1-7室の軸で、1、6室支配の金星と7、12室支配の火星が星座交換する配置は、セクシャルな配置であり、情熱的な恋愛、性的関係などを意味する配置である。


従って、007が他国の諜報員の女性と恋愛関係に陥って共に活動したり、あるいは時にはベッドを共にした女性に寝首をかかれそうになるといったことも全て、この配置が表わしている。


6室の支配星と8室の支配星が7室でコンジャンクトして、火星からアスペクトされている配置から、パートナーとの騙し合いや障害も起こりやすい配置である。



実際、「Wikipedia キムフィルビー」を見ると、スペイン内戦の際にフランコ将軍に傾倒する右派の貴族夫人と愛人関係になり、彼女を通してフランコ派幹部からの情報を得て、それをソ連に流したりなど、女性との関係を最大限、諜報活動に活用していることが分かる。



因みにキムフィルビーは、コミンテルンの工作員に接触する際に紹介されたユダヤ人家庭の娘アリス・「リッツィ」・コールマンと1934年2月に最初の結婚をしている。


ソ連の地下組織メンバーとして活動していたリッツィに逮捕状が出た為に結婚してイギリスへ帰国したのである。



この時のトランジットが以下のような配置である。






土星は山羊座から天秤座にアスペクトし、木星は天秤座をトランジットして、天秤座にダブルトランジットが成立している。



もしフィルビーが牡牛座ラグナである場合、6室にダブルトランジットの時に結婚するというのはおかしいため、おそらくラグナは牡羊座で、実際には14:30よりも10分程度、早く生まれているのではないかと思われる。


そうすれば結婚した時に7室にダブルトランジットが形成されている形になる。


アストロデータバンクの出生時間、14:30で作成したチャートでは、ラグナが牡牛座の2°52’で、牡羊座の境界付近にあるため、ラグナが牡羊座である可能性を疑うべきである。








そして、牡羊座ラグナに設定すると、7室支配の金星と9室支配の木星が8室に在住して、4室支配の高揚した月からアスペクトされている。



この8室の強さがある為にキムフィルビーは活動した先々で、女性諜報員からの助けを得て活動出来たのではないかと思うのである。



つまり、007のストーリーの目玉は、ボンドガールと言われる女性諜報員との接触や、その女性諜報員とのラブロマンスや女性諜報員と共に行う工作活動であり、それが見たくて、観客は毎回、映画館に足を運ぶのだが、これがまさにフィルビーの諜報人生そのものなのである。



最初にコミンテルンの工作員に接触した際にユダヤ人家庭の娘アリス・「リッツィ」・コールマンを紹介され、結婚するまでに至るのもそうである。




何故、キム・フィルビーは30年間、仲間たちを裏切り続け、ソ連の共産主義に献身し続けることが出来たのか



wikipedia キム・フィルビーの最後の方で、ジョン・ル・カレが『サンデータイムズ』紙上で語った言葉が記されている。



「(フィルビーは心と体を)行ったこともない国、深く学んだこともないイデオロギー、長く怖ろしい粛清によって、他国でかかわることすら危険だった体制に捧げた。三十年ものあいだ、だまし、裏切り、ときに殺すことによって、自分の決断に忠実だった」

(wikipedia キム・フィルビーより引用抜粋)


何故、フィルビーは、このように自分が信じる大義(ソビエト共産主義)のために「騙したり、裏切ったり、殺したり、自分の決断に忠実である」ことが出来たのだろうか。


例えば、自分の信念のために内部告発をした例として、アメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の元局員エドワード・スノーデンの例が挙げられる。


民主主義の大義のために命の危険を覚悟で内部告発することが出来るほどの信念や、行動力、実行力は一体、どこから出てくるのか?








この理由は、占星術的に複数挙げることが出来るが、まず、キム・フィルビーのチャートを見ると、蠍座に木星と金星が在住していることが挙げられる。



蠍座は水瓶座から見た10室であり、水瓶座の行為のハウスである。



従って、水瓶座(共産主義)の大義のために行動する星座であり、仕事をする星座なのである。



フィルビーのチャートの木星や金星が蠍座に在住しているため、コミンテルンの女性諜報員と協力して、共産主義革命のために仕事をすることは彼にとって自然なことだったのである。



しかも8室の木星と金星は自分が抗えない相手、支配者を表わしており、共産主義革命のために身を捧げて、コミンテルンの指示通りに行動するというのが彼の運命であったと言える。



実際、私はこれと同じような配置(牡羊座ラグナ、7室支配の金星が8室)を見て、それと同じ行動パターンを確認している。




また月ラグナから見ると、9、10室支配の土星が12室(海外)牡羊座のバラニーに在住し、ラーフとコンジャンクトしているが、バラニーはスパイ、インテリジェンス(諜報)のナクシャトラである。



この9、10室支配のヨーガカラカの土星が、ソビエト連邦情報機関(NKVD)に質の高い情報をせっせと提供し続けた配置なのである。



ラーフ(外国人)とコンジャンクトする9、10室支配のヨーガカラカの土星は、キム・フィルビーにとっては、共産主義の大義のために戦う上官であり、師匠でもあったと言える。



然し、wikipedia キム・フィルビーを読むと分かるが、ソ連のNKVDは、あまりにもキム・フィルビーの提供する情報の質が高く互いに矛盾しないので、イギリスの二重スパイの罠ではないかと疑ったようである。




フィルビーたちが送る情報の質が高く互いに矛盾しないことは、NKVDに疑惑を抱かせた。全てはイギリスが仕組んだ二重スパイの罠だと疑ったのである。この疑惑を解消するために、ソ連国内で活動するスパイの身元を明かすよう指令があった。フィルビーはMI6の資料保管施設からソ連における活動記録を取り寄せたが、ソ連は重要視されておらずポーランド人の情報提供者が数名いるだけだった。この報告書を見たソ連当局者は特大の赤い疑問符を上書きした。皮肉なことにソ連側からフィルビーの信頼度は疑われていた。

(wikipedia キム・フィルビーより引用抜粋)



もしキム・フィルビーが牡羊座ラグナであるなら、月から見た9、10室支配の土星は、ヨーガカラカとしてよい上官、教師として働く面はあったとしても、10、11室支配のラグナで減衰し、ラーフとコンジャンクトする土星は、激しく傷ついた機能的凶星であるため、同時にキム・フィルビーを疑ってかかり、容易には信じない同僚、キムフィルビーを評価しない仲間(ソ連の情報機関)の表示体として現れたはずである。


従って、ソ連はずっと、キム・フィルビーを疑ってかかっていた。



この辺りで、やはり、土星は、牡羊座ラグナから見た10、11室支配の土星にならなければならないのである。


この土星が牡羊座のバラニーで減衰し、ラーフとコンジャンクトして傷つけられることによって、仲間から評価(11室)を受けられないという象意を経験するのである。




何故、キム・フィルビーが、牡羊座ラグナでならなければならないかという理由は、出生時間が1912年1月1日生まれであることも関係する。


1月1日生まれとは、1という数字が2つ出てくるが、1は「最初、初め、スタート、1番」という象意であり、牡羊座の典型的な象徴である。



従って、数秘術的な観点からも1月1日に生まれるような人物は、非常に世界の最先端の最も軍事的、政治的に最高権力から指令される活動を行う運命というものを示していたと考えると納得できるのである。


ヒトラーの野望を打ち砕く為に時には、人殺しでさえも正当化される(殺しのライセンス)立場にいたことを示していたと考えられるが、それは牡羊座ラグナでなければ不可能なのである。


牡牛座にラグナと月が在住していたということだけでは、このキム・フィルビーの生涯や取り組んだ仕事、行った行為を説明することが出来ない。




最初の疑問に戻るが、「何故、キム・フィルビーは50年間、仲間たちを裏切り続け、ソ連の共産主義に献身し続けることが出来たのか?」ということである。



それは、おそらくナヴァムシャやダシャムシャで、土星と木星が天秤座に在住していたからである。


土星はナヴァムシャとダシャムシャで天秤座で高揚しており、チャトゥルシャムシャ(D4)やサプタヴィムシャムシャ(D27)などでも高揚している。



土星が非常に強いことが分かる。







特にナヴァムシャでは月から見て土星が10室で高揚して、シャシャヨーガを形成しており、ダシャムシャでも同様である。



従って、自由や民主主義を尊重する土星が異常に強くなっており、ファシズムやナチズムの独裁主義に対抗して、リベラルな民主的な社会を築くという大義に忠実だったのである。



因みにエドワード・スノーデンの土星も出生図で天秤座で高揚しており、天秤座で高揚する土星は、自由の戦士であり、リベラルな世界の為に戦う仕事を行なうのである。




月と火星は出生図、ナヴァムシャ、ダシャムシャの全てで、コンジャンクトして、チャンドラマンガラヨーガを形成している。



これは感情的に怒りやすい配置であり、能動的で、肉食系で、営業向きのパーソナリティーにする配置である。



そして、火星は、英知と実行力を表わすグルマンガラヨーガを形成し、ナヴァムシャやダシャムシャで火星は高揚している。



これらの配置が、国際諜報のお互いに激しく殺し合うような世界で活動するだけの行動力やタフさをもたらしたと思われる。





政治の世界において、保守と革新、右翼と左翼の思想と歴史を理解することは極めて重要である。




そして、それを占星術に翻訳する場合、民族主義、国家主義、リバータリアニズムなどの保守(右翼)は、蟹座、蠍座、魚座が表わし、共産主義、社会主義、リベラル左翼、民主主義などの革新(左翼)は、双子座、天秤座、水瓶座が表わしている。



但し、蠍座は、保守ではあるが、水瓶座から10室であるため、水瓶座(共産主義)の為に働くのである。




従って、ソ連情報機関のために二重スパイを行なうような人物は、双子座、天秤座、水瓶座が強いことが想定されるのだが、実際、キム・フィルビーは、ナヴァムシャ、ダシャムシャで土星が天秤座で高揚し、天秤座が強かったのである。



おそらく、ナチスによる反ユダヤ政策を目の当たりにしてショックを受け、共産主義の大義に生涯を捧げる決意をした若き日のキム・フィルビーこそが、キム・フィルビーの本質なのである。


それはこうした天秤座が強い配置がもたらしている。



この一番最初の動機づけによって、キム・フィルビーはソ連共産主義に献身し続けたが、ソ連共産主義が国内の同志に対して粛清、処刑を繰り返すような暗黒面には気づかなかった。



実際、出生図に現れているようにキム・フィルビーが献身したのは、ソビエト連邦情報機関(NKVD)の上官、師匠に対してであり、それら牡羊座のバラニーで表される人々は、ヒトラーと同じように一党独裁体制を敷くような人々であったのである。



だから、実際には、ソビエトの人民の自由を損なうようなソ連の一党独裁体制強化のためにせっせと情報提供をし続けたと言える。



これはキム・フィルビーの本来のナチスの反ユダヤ政策に憤りを感じたようなリベラルな理念とは異なるはずである。



然し、そのように矛盾した運命もチャートは嘘をつかず、キム・フィルビーの人生を正確に描き出している。






キム・フィルビーは、ソ連の二重スパイであることが判明して、ソ連に亡命するが、その時、MI6はフィルビーに監視をつけておらず、スキャンダルを嫌い、亡命を黙認していたようである。






その後で、暗殺されるようなこともなく、1988年5月11日にモスクワで76歳の生涯を閉じている。



これには、キム・フィルビーが生きた時代において、共産主義に献身した心情が、他の同僚にとっても理解出来たからだと思われる。




ドイツのヒトラーと戦っていた当時の諜報活動の中で、ソビエトは、敵国ではなく、敵国の敵国であった。




敵の敵は味方であるという話があるが、キム・フィルビーは、ドイツのスパイではなく、ロシアのスパイであった。




そして、自分の信じる大義の為に活動し、ヒトラーの野望を打ち砕くことに多少とも貢献したのである。




従って、そうしたこともあって、彼は守られたのだろうと思われる。







(参考資料)



「上流階級出身で正体隠せた」英MI6のキム・フィルビー ソ連との二重スパイ、衝撃の告白映像
2016.4.9 08:28 iZa 産経新聞

【ロンドン=岡部伸】英国秘密情報部(SIS、通称MI6)で最高幹部に上り詰めた対ソ諜報(ちょうほう)の責任者でありながら、ソ連に機密情報を流し続けた悪名高い二重スパイ、キム・フィルビー。彼が東独の情報機関、シュタージのメンバーを前に行った講演の秘蔵映像を英BBC放送が入手して放映した。背信行為の詳細な告白は、ソ連の対英スパイ網がいかに長期的視野に立って周到に構築されたかを改めて示している。

 映像はBBCがベルリンのシュタージ公文書館で発掘した。ケンブリッジ大在学中の1930年代に共産党員となったフィルビーが63年にソ連に亡命するまでの半生を語る内容で、講演は81年に行われたという。

 「わが同士諸君」と呼びかけるフィルビーは、「30年間敵陣営にいた」と自信満々の様子で、MI6について「東側(共産主義諸国)が想像するほど能力が高くなく、危険な組織ではなかった」と語った。

 文書を保管する係官を週に2、3度連れ出して酒を飲み、仲良くなれば、自分の仕事とは無関係の機密文書も手に入ったとし、「規律は厳格ではなかった」とMI6を批判した。

 その後は毎晩、多くの機密文書を持ち出してソ連の担当官に渡した。それを担当官が写真に収め、翌朝にはフィルビーが元の場所に戻した。これを定期的に何年も続けたと打ち明けた。

BBCは、確たる職にも就かず将来の展望もない時点で、ソ連の情報機関がフィルビーに接触したと指摘。この点について彼は講演で、「長期間に及ぶプロジェクトだった。早く結果を出すことは期待されていなかった」と述べている。

 MI6で出世できた一因として、ソ連側の要請で「汚い手を使って自分の上司を排除した」と明かした。また、英国の上流階級出身だったことが二重スパイという正体を30年間、隠し通すのに役だったとし、「(尋問などで)殴られたりした後で、(スパイではないと)間違いが判明すれば、治安当局のとてつもないスキャンダルに発展したからだ」と述べた。

 このほか、尋問で自白を強要されても「決して自白しないことだ」と強調している。

 フィルビーは英国の上流階級出身者からなるソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイブ」の1人。講演の7年後、88年にモスクワで心不全で死亡した。
参照元:「上流階級出身で正体隠せた」英MI6のキム・フィルビー ソ連との二重スパイ、衝撃の告白映像
2016.4.9 08:28 iZa 産経新聞











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世俗の王と占星術師

先日、書店の新書コーナーを探索していると、一冊の本が目に付いた。


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『運が99%戦略は1% インド人の超発想法』 (講談社+α新書)というタイトルで、パラパラとめくってみると、非常に読みやすく、また最近のインド事情を知るのには大変良さそうな本であった。


著者の山田真美氏はインドから伝わった七福神の弁才天(サラスヴァティー)が日本にどのように根付いているか、その辺りの事情について、インド工科大学(IIT)で比較文化論的に紹介する講座を受けもったそうである。



インドというと、精神世界に興味がある人は、パラマハンサ・ヨガナンダ、シュリ・ユクテスワ、ババジ、サイババ、アマチなど、聖者の教えや、またヨガや瞑想、アーユルヴェーダ、ジョーティッシュなどから入っていくのだが、この著者の山田真美氏は、それ程、精神世界の探究や修行に興味がある訳ではなく、学者の立場からインドを研究されている方のようである。


従って、その観点は世俗的な視点であり、常識的で、一般の人が読んでインドの文化、インド事情を知るには良い本であると思った。


例えば、マサチューセッツ工科大学などよりも入るのが難しいと聞いていたインド工科大学(IIT)がどのような大学であるかを知るのに大変、参考になった。


そして、山田真美氏は最後にジョーティッシュについての体験を記述している箇所があり、それが大変、興味深い内容である。


実際、ご本人はジョーティッシュの技術的な詳細については全くご存じでないようである。


但し、体験自体はユニークな体験であり、非常に参考となる。


ある種、著書の最後をジョーティッシュについての驚くべき体験の紹介とその考察で締めくくられている辺りで、最大限、ジョーティッシュについて賛辞を送って頂けたと考えている。


今後、ますます、インドの文化的、経済的発展と、ジョーティッシュなどのインドの秘教科学が重要になってくることを示して、著書は終わっているのである。


以下のその一部を引用抜粋する。




おわりに

インドという国は、何かと想定外の出来事が起こる場所だ。いくら日本人が持ち前の用意周到さでプランを練り上げていったところで、先方の都合ですべてが水泡に帰すことも珍しくないし、トップの交代によって一夜にして方針が180度変わってしまうこともある。

そんなときにいちいち「どうしてくれるんだ」と騒いだところで事態は好転しない。インドでは想定外が当たり前。最初からナンデモアリの国なのだ。

だからインドで成功したいと願うのなら、まずは自分自身のなかに巣食っているこれまでの「常識」とやらを脱ぎ捨て、「想定」の範囲をぐっと広げてみる必要がある。

最後に1つ、インドのナンデモアリぶりを象徴するような出来事をご紹介して本書を締めくくりたい。

1984年に中曽根康弘首相(当時)がインドを公式訪問された折、インディラ・ガンディー首相との会談をドタキャン(正確には延期)されるという事件があったことをご存じだろうか。

中曽根首相のインド訪問は、日本の首相による訪印としては実に23年ぶりであった(その前は1961年の池田勇人首相)。大勢の担当者が長期間にわたって入念に準備をし、完璧なスケジュールを組んで臨んだことは想像に難くない。

ところが、中曽根首相の一行がインドに到着し、いよいよ首脳会談という直前になって、インド側からいきなり延期が告げられたという。いってみれば究極のドタキャン劇である。

この件に関してはインド関係者のあいだでも知る人は少なく、また、本件について書かれた文章もほとんど見かけたことがない(日本の外交官が書いた短い文章を一度だけ目にしたことがある)。では、外交官でもない私がなぜそのことを知っているかといえば、当時の関係者からそっと教えてもらったからだ。

その人によれば、インド側から会談延期の旨が伝えられた際、詳しい理由は明らかにされず、ただ「ガンディー首相の都合が悪くなった」という短い説明があっただけだという。

一体なぜ、首相会談はドタキャンされたのか。ガンディー首相の急病か、それとも国家を揺るがすような事件が起こったのか。真相は杳として知れなかった。


事件の直後に、関係者(日本人)のひとりがみずからの人脈を使って事情を調べている。その結果わかったことは、ガンディー首相に「急用」はなく、その日は一日部屋にこもり、読書などしながら静かに過ごしていたらしいということであった。

さらに調べてゆくと、まったく想像もしていなかった報告が寄せられた。

ガンディー首相に会見を延期するよう勧めたのは、なんとパンディット・パルサイという名の「占い師」だった。

パルサイ氏の「その日、その時間帯は、まことに験が悪い。日延べをしなさい」という言葉に従って、ガンディー首相は会談をドタキャンしたというのだ。

インドで「パンディット」といえば、ヒンドゥー教の経典や伝統的学問に通じた最高位のバラモン(ヒンドゥー教の僧侶階級)に付与する称号だ。

ここで名前があがったパルサイ氏は、フルネームをK・B・パルサイといい、16世紀から続く占星術師の家を継ぐ者である。

高僧であると同時に、2つの修士号を持つ学者であり、父の後を継ぐ前は内閣官房室長を務めたという実にユニークなキャリアの持ち主だ。

しかし、いくら有能な人物とはいえ、首相会談をドタキャンさせるほどの力が一介の占星術師にあるのだろうか。実は、これには後日談がある。

事件から13年後の1997年、ニューデリーの某所で、私はパルサイ氏にバッタリ出会ったのだ。


例のドタキャン劇に深い関心を持っていた私は、初対面の氏を捕まえ、思わず単刀直入に問い質していた。


「中曽根首相との会談をキャンセルするようインディラ・ガンディー首相に進言したのは、本当にあなたなのですか?」と。


これに対してパルサイ氏は、「うっふっふ」と含み笑いをしたきり言葉を濁してしまったが、何を気に入ってくれたのか、その後何度も私をご自宅へ招待してくださった。

氏は、ガンディー首相との思い出をいろいろと聞かせてくれた。そのなかに次のような印象的なエピソードがある。


占い師(正確には占星術師)としてのパルサイ氏は、生年月日と時刻から、その人の体にある黒子の位置を占うのが得意だったようだ。

インディラと初めて会ったとき、彼女に向かって「あなたの体の、ここと、ここと、ここに黒子があるでしょう」と、サリーの下に隠れている黒子の位置をいきなり占ってみせた。

三つとも、図星だった。以来、彼女はパルサイ氏の進言(占い)に絶大な信頼を置くようになり、さまざまな相談をするようになっていったのだという。


父であるネルー元首相が逝去した折には、インディラのたっての希望で氏が遺体の傍らに寄り添い、18時間ノンストップでギータ(宗教哲学詩)を唱える導師を務めたという。単なる占い師どころか、まさに政治の中枢部まで深く入り込んでいたといってよいだろう。

みなさんはこれをどう思われるだろう。「占い師のご託宣に政治まで任せるなんて」と驚かれただろうか。


「さすがにこれは20世紀までの出来事で、IT時代の今はこんなことは行われていないでしょう」と思われただろうか。


いや、むしろ本書をここまで読んでくださった方なら、はたと膝を打ち、「なるほど。インドなら、それは十分にあり得る」と思ってくださったのではないだろうか。


実は、私もそう思う。この出来事は、ある意味とんでもなくインド的であり、インドではむしろ「想定内」の出来事だといってよい。


インドでは今も相当数の人々が大なり小なり占い師に頼っているし、勝負と時の運の世界である政界では、特にその傾向が強くなっても不思議はないだろう。


たとえば、ナレンドラ・モディ首相が占星術や手相占いのアドバイスを受けているといったニュースは、2016年の今日もインドのマスコミを賑わしているし、それどころか「モディ首相は私のところへ運勢を見てもらいにきた」などとマスコミを通じて公言している占星術師もいる。

私はこれまでに二度、モディ首相とお目にかかったことがあるが、残念ながら占星術の話をさせていただくチャンスはなかった。


いつか機会があれば、この件についてぜひとも首相の見解を聞かせていただければと願っている。

いずれにしても、「IT時代だから占いのような古い価値観は廃れただろう」とか、「一般庶民はそうでも首相は違うだろう」といった先入観は、この際捨てたほうがよい。なにしろインドというところは両極端な国なのだから。


科学の最先端を研究している科学者が、週末にガンジス河で沐浴することもある。

私の友人の科学者は、その心裡をいみじくもこう表現してくれた。


「ガンジス河は、科学者としての私にとっては工場廃液や生活水で汚染された河。しかしヒンドゥー教徒の私にとっては最高に聖なる河。そのどちらも真実であり、どちらも同じように大切なことなんです」と。

この振幅の大きさ。これこそがインドなのだ。占いも最新科学も同時に混在している「ナンデモアリ」の状況。それがインドだ。


そうしたインド人の心を正しく理解し、みずからもそれを楽しむことができる人こそが、結局はインドで成功できる人なのかもしれない。


(『運が99%戦略は1%インド人の超発想法』より引用抜粋)



つまり、1984年にインディラガンディーが中曽根康弘首相との会談をパルサイ氏という占星術師の助言に従って、土壇場でキャンセルしたという、


大変興味深いエピソードを紹介している。



但し、これはサイババや南インドの聖者を信奉して来た精神世界に興味がある人々にとってはそのようなことは当然起こり得る話である。


インドはそのような国柄なのである。


例えば、サイババの元をインドの首相が訪問したり、またビル・クリントンが40台ぐらいの護衛を引き連れて、サイババの元を訪れたといったような非公式な話はいくらでもある。


子供が誕生したら占星術師の元に見せにいったり、結婚する時にホロスコープを調べてみたりといったことを普通に行う文化である。



またインドに限らず、フランクリン・ルーズベルト大統領に招かれて助言をした米国のジーン・ディクソンとか、ナンシー・レーガン夫人が、ジョアン・クイグリーという占星術師にレーガン大統領の政治日程や政策の決定への助言を求めていたことなど、国家指導者レベルの人物が、占星術師のアドバイスを求めるという様々な逸話がある。



また占星術師というのはカウンセラーやアドバイザーであり、つまりは何らかの教えを説く宗教人に近い存在である。


ゾロアスター教(拝火教)の宗祖であるゾロアスターは占星術師であったという話である。



(略)ラッファエッロが教皇ユリウス二世から”署名の間”を飾るフレスコ画の依頼を受けたとき、彼は「因果の認識」の擬人像の下に大作≪アテナイの学堂≫(1511年)を描いたが、プラトンとアリストテレスを中心とする古代の哲学者の群像の中にゾロアスターの姿をしのびこませた。右手に天球儀を持つゾロアスターは、ここでは明らかに「占星術師」として登場させられている。占星術師ゾロアスターというイメージは、ギリシア人たちがゾロアスター教と接してからずっと持ち続けてきた、西方的イメージなのである。(略)

(略)そしてゾロアスターは魔術を行なうとき「大いに貴ばれている石アストリオテス(星の石)を使った」(XXXⅦ・49)と伝えている。またゾロアスターは医師・魔術者として、「てんかんの薬」にダプネア(月桂樹石)を処方し、占星術者としてムギの種を播く最良の時を、「太陽が天蝎宮の12度を過ぎ、月が金牛宮にある時」と占ったという。(略)

(『宗祖ゾロアスター』前田耕作著 ちくま学芸文庫 より引用抜粋)


また私は以前、ジャイナ教に詳しい方に聞いた話では、仏教の宗祖である仏陀(ゴータマ王子)、ジャイナ教の宗祖であるマハーヴィーラの他に元々マハーヴィーラの元で修業をし、後にアージーヴィカ教団を主導したマッカリ・ゴーサーラという人物がいるという。


この人物は、万物はその細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められているとする完全な宿命論の持ち主で、努力しても無駄であり、一切は決まっているとし、最終的にはどの魂も輪廻を繰り返して悟りに至ると唱えていたという。

完全な運命論を説くため、仏陀やマハヴィーラはこの宿命論を批判したそうである。


この方の話では、マッカリ・ゴーサーラも占星術の実践者ではなかったかということである。


確かにウィキペディアによれば、以下の記述があり、アージーヴィカ教団の出家者は宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。



(略)「アージーヴィカ」の原義は「命ある(jIIvika)限り(aa)」であるともいわれる。 すなわち、「命ある限り誓いを守る」ということであり、出家者には苦行と放浪が義務づけられ、その多くは宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。(略)

(wikipedia マッカリ・ゴーサーラより引用抜粋)


また日本の宗教団体でも占星学に限らず、運命学を実践している教団が多いようである。

大抵は、手相やホロスコープや命式などを見て、今、あなたの運命は悪い時期だから、教団に入信してと徳行を実践した方がいいといった勧誘に使用されることが多い。


私も駅前で声を掛けられて、手相をみてくれて『神秘十字』があるなどと言われたことがあるが、事務所が近くにあるから話を聞きませんかといった話になるのである。

実際に行ってみた知人の話によれば、更に2日間ぐらいの研修に誘われたそうである。



占星術師というのはカウンセラーやアドバイザーであり、助言者であり、教師である。

従って、過去の宗祖の中にも運命学をたしなむ人が多いことが分かる。



そして、政治家や国家指導者は、世俗の王であるが、時に様々な決定や判断に迷う際にこうした占星術師に助言を求めるということもある訳である。


三国志で、蜀の劉備玄徳に仕えた諸葛亮孔明なども占星学を駆使したようである。


従って、占星術師は軍師であると言ってもよい。


世俗の王のように完全に表舞台には立たないが、世俗の王の隣に控えていて、決定的な助言を行う存在である。


霊的な観点からは、世俗の王よりも上位にあって、世俗の王を導く存在であるとも言える。




占星術が当たることを一度でも体験したものにとっては、どのようなことを考える際にも占星術で惑星の配置を考慮することが日常茶飯事になってくるのである。


例えば、私はヴィムショッタリダシャーが当たることが分かり始めてから、毎日のプラーナダシャー(第5レベルのダシャー)をチェックするようになって、


またその日のトランジットの月の位置までもチェックするようになったのである。


その年の1年間とか数か月のトランジットを見るのは当然だが、毎日の月のトランジットの位置や、プラーナダシャーの惑星も気にするようになるのである。


例えば、講座を行う日時や、鑑定をする日時なども自分が悪い状態の時は避けたいものである。


月が6室や8室、12室などのドゥシュタナハウスに在住している時、また面会する相手のホロスコープにおいて、月がそのような配置にある日はどうしても避けたくなる。

また当日のプラーナダシャーが自分にとってなんであるかを確認し、ある程度、その日の体験がどんな体験になるかをチェックする習慣がついている。


だから政治日程を占星術で決めていたというレーガン大統領やナンシー・レーガン大統領夫人の気持ちも分かるのである。



但し、だんだん面倒になってくるとチェックしないことも多くなるが、例えば、イベントを行う日とか、旅行に行ったり、大事な日取りの選定には、


必ず、ホロスコープを見て、惑星の位置をチェックしてしまう。


それは、占星術師としての習慣である。



であるから『運が99%戦略は1%インド人の超発想法』の著者である山田真美氏は、こうした占星術師たちの文化や日常の感覚についてそれ程、深くはご存知でない方なのだと思ったのである。


そのため、一般の人々の目線で、インドはインディラガンディーが、中曽根康弘との会談を占星術師の助言に従って、しかも会談の直前でキャンセルまでするような何が起こるか分からない国であるという驚きを伝えてくれている。


それは一般人の感覚としてはおそらくそのような感覚なのだと思われる。


従って、本書は、まだそうした精神世界、運命学の世界を覗いたことのない一般人向けに書かれた本であるように感じた。


普通の皮膚感覚で、ITや最近の経済の発展によりインドに興味を持ちつつある人や、インドの大学事情やビジネス状況、そして、インド文化、インドの習俗などに興味がある人が読むインドの入門書としては非常に参考となる良書であると思うのである。

インドに長く関わって来て様々な体験と研究を重ねてきた方にしか分からない貴重な情報が詰まった本である。















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スティーブン・グリア博士の『UFOテクノロジー隠蔽工作』について

我々の地球に宇宙人が訪れており、我々地球人よりも遥かに科学技術が進んだ文明をもち、また精神的にも進歩している。

そのような宇宙人が地球人類を助けるために地球を訪れているという事実は、まさに公然の事実になりつつある。

学生時代、そうした太陽系内の金星人や木星人とコンタクトしたジョージ・アダムスキーの全集(久保田八郎訳)が書店の精神世界コーナーで手に入り、私も学生時代に夢中になって読んだ。

後にジョーティッシュをするようになってから、占星コラムでアダムスキーの出生図について検証もしてみたが、私はアダムスキーの情報が真実であると考えている。

ジョージ・アダムスキーは、第一級のUFOコンタクティーであり、宇宙人が地球に訪れる目的やUFO(宇宙船)のテクノロジーを明らかにし、また宇宙人が実践する宇宙哲学についても紹介した類まれな教師である。

然し、その後、世代が変わり、現在、UFO問題の最前線で真実を明らかにするための活動に取り組んでいるのが、スティーブン・グリア博士である。

スティーブン・グリア博士が書いた『UFOテクノロジー隠蔽工作』は、UFO問題の真実を余すところなく明らかにしている驚愕の書である。

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原題は、『隠れた真実―禁じられた知識』である。

邦題の『UFOテクノロジー隠蔽工作』というタイトルは、何かUFOのテクノロジーに関する米国政府の隠蔽工作についてのみ扱った本のような誤解を招くが、この著者のスティーブン・グリア博士は、神秘家であり、秘教学徒であり、UFOに乗船している宇宙人(宇宙の兄弟)に働きかけて、コンタクトできる(第五種接近遭遇)のは、彼のこうした神秘家、秘教学徒としての能力に依存している。

スティーブン・グリア博士はTM瞑想の実践者であり、瞑想教師としての資格もあり、宇宙と一体化した体験、真我との合一体験もあり、生命が永遠であることを理解し、暗殺される恐怖を克服している。

自らの体験談として、UFOが、目に見えない状態から物質界に遷移して、見えるようになる過程についても克明に報告している。

実際、UFOは、エーテル物質で出来ており、彼らが波動を下げなければ地球人には見ることが出来ない。

その辺りの事情についても彼は、秘教学徒であるから、熟知しているのである。

また一流の諜報能力を持っており、CIAとも度々接触している。

インテリジェンスソサイエティ―のことがよく分かるようであり、CIAの動きが彼には一目瞭然に分かるようである。

おそらく、ナクシャトラで言う所のバラニー、プールヴァパールグニー、プールヴァアシャダーなどに惑星が在住しているのではないかと考えらえる。

本書を全て紹介する訳にはいかないため、アポロ宇宙飛行士 ブライアン・オリアリー博士のまえがきと、訳者である前田 樹子氏のあとがきを参考資料として引用する。

前田 樹子氏は、グルジェフやウスペンスキーの翻訳を手掛けている方で、秘教研究家である。

従って、本書の翻訳に携わったものと考えられる。

この『UFOテクノロジー隠蔽工作』とは、秘教の本である。

UFOに関する情報開示の最前線で、米国政府のUFO問題の隠蔽工作と格闘する一人の神秘家、秘教学徒の活動の記録である。

アポロ宇宙飛行士 ブライアン・オリアリー博士は、『本書はあなたが読むであろう本の中でも、もっとも重要なものとなるだろう』と述べている。

まさにその言葉が示すような世界の真実が分かる本である。

(参考資料)

(以下、『UFOテクノロジー隠蔽工作』の「まえがき」から引用抜粋)

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まえがき

不本意ながらUFO調査は、二十一世紀の科学へとわれわれを導いている。

-J・アレン・ハイネック
惑星地球上における人間の試みは、いまや自滅の瀬戸際に立たされている。核戦争の脅威、化学薬品と生物学的要因による環境破壊、地球規模での気象の変化、地上および宇宙空間の兵器の急増、企業の貪欲さ、米国政府の甚だしい身びいきと誤った管理、膨れ上がった軍事費と侵略、われわれの文化的条件づけの動揺、恐怖と無知の蔓延、救助技術の抑圧、貧富の格差などに目を向ければ、われわれがまだ地球上に存在していることに驚く外はない。辛うじて、といったところだ。

われわれは、まだ希望をもっているだろうか。やってみるだけだ、と答えるしかあるまい。仮にやってみるとして、その答えをどこに見出せるだろうか。ここに、ドクター・スティーブン・グリアが登場する。

二十年近く前に、私は初めてスティーブン・グリアと出会った。ノースカロライナ、アーデンのユニティー教会で私が講演したときだった。プリンストン大学とサイエンス・アプリケーションズ・インターナショナル・コーポレーションで、私は主流派の宇宙科学者だったが、そのキャリアから離れて、西洋科学の限界と可能性から自分を解き放ちはじめていた。同時に、同僚の科学者たちの大半が拒絶しているUFO(未確認飛行物体)/ ET(異星人)現象の研究に没頭したのである。そのときすでに私は、人間の超越的実在性について探求し見解を述べることに、自由を感じていた。

スティーブもそうだった。UFO/ET体験を持つ優秀な若き救急医師ドクター・グリアと私は、初対面の日にもかかわらず夜更けまで語り合った。私たちがともに理解しはじめていた内容をすり合わせてみたのだ。その内容とは、ETの地球視察が現実に起きているばかりでなく、人間が引き起こす世界的危機を克服するうえで、彼らはわれわれ地球人を手助けすることができるということだった。その日以来スティーブは、現象そのもののミステリーだけでなく、米国政府の胡散臭い片隅と、それを隠蔽する企業のミステリーにも踏み込んでゆく、目ざましい指導力を発揮してきた。そうすることによってドクター・グリアは、地球全体の変化の最前線に立つ大胆で精力的な戦士であることを、繰り返し証明してみせてきた。

まず初めに、彼は「地球外文明研究センター(CSETI)」を設立し、人間と地球外文明との間に大使という役割の概念を導入した―ただしこれは、単なる空想科学小説などではない。世界中のUFO頻出地域に夜通し遠征隊を張り込ませ、彼らは照明、音響、視覚映像などの手段によって宇宙船を無線誘導する。この方法を彼は「第五種接近遭遇」と命名した(CE-5とも呼ばれている)。こうしたワークショップは、関心ある研究生に対して現在でも提供されている。

次に彼は、手ごわい作業、「情報開示プロジェクト」に着手した。このプロジェクトは、百人を超えるUFO/ETの米国政府目撃者の証言ビデオ/DVDを捜し出し、それら証拠物件を入手する活動である。その情報開示は2001年5月、ワシントンDCでの大規模な記者会見においてその頂点に達した。これらの証拠物件が明白にしていることは、政治の長きにわたる腐敗と、マスコミの秘密主義と、さらには地球への来訪者からマイクロ・エレクトロニクス、反重力推進、ゼロ・ポイントの”フリー”エネルギー技術などを獲得した事実である。こうした大規模な隠蔽工作が、ニュー・メキシコ州ロズウェル近くでUFO墜落事件の発生した1947年7月以来、60年も続行されているのだ。ロズウェル事件について、米空軍はバルーンに起因する事故だと述べているが、そうでないことは確実である。こんな神話は、無知な人々か、権力者とその臣民にしか通用しない。

情報開示に関するドクター・グリアの先駆的作業によって、ETコンタクトについての報告内容―たとえば”超トップシークレット”の研究がネヴァダ州の悪名高きグルーム・レイクのそばで、またその他の場所で、現在も進行中であるといったこと―の重大性と信憑性について、さらには隠蔽工作自体について、必然的にわれわれの理解を深めさせ、促進させた。

スティーブン・グリアは高い使命感をもった霊的戦士であり、”合衆国”と名乗る諸力と対峙する存在である。後者は裁きを受けるべき犯罪者と言っていい。というのは、米帝国の崩壊を目の当たりにするにつけ、かつてないほど多くの人々にとっても明白な、犯罪者としてのおびただしい理由が明かされたからだ。ドクター・グリアは他の誰よりも、UFO/ET隠蔽工作に関する紛れもない証拠を導き出した。残るわれわれは、その証拠を素直に受け入れる番にきている。

本書『HIDDEN TRUTH – FORBIDDEN KNOWREDGE』は自伝的な観点から、膨大な証拠を積み上げてわれわれに最新の情報を提供してくれる。それは、現代最大の謎を暴露する物語であり、地上最強の国家にあって、われわれを虐げる暴君から恩義を受けない、勇敢な魂によって語られている。

本書のもうひとつの重要な点は、地球外諸文明のもつ慈悲深さについて語って聞かせてくれることである。人間の現状に同情を寄せるETたちは、この地球を訪れてはいるものの、直接に干渉したりはしない(映画「スター・トレック」でも有名になった、いわゆる”至上命令”である)。
広島と長崎に前代未聞のおそろしい荒廃をもたらした1945年以降にかぎって、近年のUFO目撃、ETとの遭遇、テクノロジー移転が現実に起きている。厳粛な気持ちにならざるを得ない。

長距離原子爆撃機はロズウェルに配備され、原爆はロス・アラモスで開発され、原爆一号はアラマゴルドで爆発し、後に続く攻撃ミサイルはホワイト・サイドで実験された―いずれも軍産複合体制の所在地ニュー・メキシコ州内の地である。

1947年のロズウェルUFO墜落事件もその地で起きたが、単なる偶然の一致であろうか。そうは思えない―というのも、その後ずっとETは、ニュー・メキシコ以外でも軍事基地、核基地に現われており、核技術の恐ろしさが慈悲深いETたちをして、その現場へ馳せ参じようとさせるのだろう。おそらく、彼らにとってもぞっとする恐怖の事態を未然に防ぎ、無責任な人間によって引き金が引かれないよう見張っているのだ。
われわれ地球人は、可能なかぎりの助けを必要としている。だから、あるがままの現象を素直に受け入れ、文化的な偏見を捨てて、不思議な出来事に驚いてみてはどうだろう。われわれの知識を広げ、政治的に活動することによってのみ、必要な推移を実現させることが可能だ。こうしたことにかけて、ドクター・グリアは優れた手腕を発揮する。

多くの観点から見て、UFO現象は、謎めいた来訪者についてよりもわれわれ自身について、より多くを語っているようだ。そして、彼らがわれわれの目の前に掲げている鏡は、われわれを戦慄させる。とは言っても、ドクター・グリアの言葉に耳を傾けるなら、そこに希望はある。たとえば、彼の設立した「宇宙エネルギー接続システムズ(SEAS)」は、クリーンで安価な分散化エネルギーを提供できる革新的新エネルギー技術を用意し、発明家たちを支援している。このように、石油、石炭、核の時代を終わらせれば、人間に起因する公害や異常気象を、事実上過去のものとすることができるのである。私の所属する「ニュー・エネルギー運動」は「SEAS電力」やその他の組織と緊密な連絡を保ち、新エネルギー技術の研究開発がいかに重要であるかを提唱しているが、いまのところ強大な基幹企業によって抑圧されているのが実状である。

ドクター・グリアと初対面した夜、ユニティー教会のチャッド・オーシア牧師が「真理はあなたたちを自由にする。だが、はじめにあなたたちを怒らせるだろう」というバンバー・ステッカーをくださった。切羽詰まった状況を否定せずに怒りをぶちまけ、その後で問題解決に乗り出すならば、地球上に永続する文明を築くチャンスが残されているかもしれない。

度胸のいるこの仕事は、臆病者には向かない。先端的科学者の多くが脅され、殺され、さもなくば偽情報や個人攻撃に押しつぶされてきた。われわれにとって幸いなことに、ドクター・グリアはこれらすべての苦難に耐えてきたのである。

本書はあなたが読むであろう本の中でも、もっとも重要なものとなるだろう。超越的実在性についてふんだんに述べられているばかりか、地球における権力の横暴から、平和で永続的な公正な宇宙コミュニティのパラダイム・シフトへ向けての行動を呼びかけてもいるのである。
2005年9月14日 アポロ宇宙飛行士 ブライアン・オリアリー博士

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(以下、『UFOテクノロジー隠蔽工作』の「訳者あとがき」から引用抜粋)
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訳者あとがき

「これは宇宙でいちばん熱いポテトである。私はそれについて、もうあまり関わらないことにする」― ヘンリー・キッシンジャー(本書32章より)

「真実は隠れる。なぜならそれは信じられそうもないからである。だが、最も意外なことが本当は真実である」― 本書著者ドクター・スティーヴン・グリア(本書31章より)

近代史上最大の秘密、しかも私たち一人一人の生存に直接関わる問題であるばかりか、宇宙空間と宇宙人への被害さえ起こりかねないある緊急事態について、著者ドクター・グリアの語る回想録は読者に多面的な衝撃を与えずにはおかないであろう。一般社会には隠されている宇宙規模の問題がある。その問題はすでに60年間極秘にされてきた。今日でも米国政府は極秘扱いを除していない。医師ドクター・グリアはその問題に光を当て、問題の本質を解明し、なぜ秘密にされているのか、その原因、理由、状況推移について本帯で自伝ふうに語っている。異彩を放つ書である。

彼と同様にこの問題を追及しようとした少数の先端科学者やジャーナリストもいたが、彼らは例外なく挫折した。科学者の場合は「自殺」とされているが、実は他殺だったと推定できるような不可解な死を遂げているケースが多い。こうした事件は米国にかぎらず、英国でも発生している。ジャーナリストの場合は、マスメディアの組織内に仕組まれている管理機構により、企画した番組が握り潰されるのが通例である。

あえて挑戦するなら不運に見舞われるに違いないこの秘密―現代における最大の謎―を解く先駆者となり得たドクター・グリアの手腕もまたちょっとした謎である。熱い宇宙ポテトについての情報ヘアクセスできるきわめて少数のグローバル・エリートは、「私には関係ないよ」といった態度をよそおっている。直接アクセスできなくても、それなりのルートを通してある程度の情報を入手できる一国の指導者、つまり大統領や首相、また国連事務総長も、異口同音に「あまりにも危険だ」と言って、彼らも責任回避の態度をくずさない。

米国のアポロ11宇宙飛行士たちが人類史上―おそらく初めての―月着陸に成功した1969年から、すでに40年近く経過したが、ロケット科学者ワーナー・フォン・プラウンの功績に負う偉業だった。フォン・プラウンの晩年4年間にわたり彼の助手をつとめたカロル・ロシンに、彼は幾度となくこう言っている。「最初に東西の冷戦があり、その後に憂慮すべき事態と無法状態が生じるであろう。その次に―彼がこう言ったのは1974年だったが―、国際テロリズムと宇宙からの小惑星の脅威に見舞われるであろう。これに続いて、支配者たちは地球外文明からの脅威というでっち上げを繰り広げるだろう。こういったことはすべて、恐怖という手段によって世界住民を最大限に統制しようとする企てである」(本書24章より)

著者グリアは、「この筋書き通りの作戦を練っている企画グループがあり、私はそのグループの数人に会っています」とカロル・ロシンに述べている。

宇宙規模の秘密と言われるこの問題の裏面工作には、UFOとETが大いに関係しており、その秘密工作のネットワークは世界各地に張り巡らされている。具体的にどういうことか、ドクター・グリアはこう述べている。民間のUFO研究団体にCIAのスパイが多数潜入しているが、大多数の会員はそれに気づいていない。特別に訓練された諜報工作貝がETに化けて人間を誘拐したり、誘拐被害者の治療に当たる専門家もCIAの回し者だったり、さらには彼らの用いる手法として、マインド・コントロール、麻薬使用、電子心霊感応技術、家畜ミューチレーション、その他非常に入り組んだ欺瞞の手法が使われている。

UFO /ETに関わる秘密保持の仕組みやからくりが本害を読むと非常によくわかる。政界、財界、企業、軍事、マスコミ、科学研究所などの組織の中でこの問題がいかに秘密に保たれているか、その仕組みの複雑さに驚き呆れてしまう。さらには信じ難いサタニック・カルトの秘儀に参加した部内者の告白、あるいはバチカンがこの問題に深く関与していることなどが具体的に述べられている。はっきり言ってしまえば、民間のUFO研究団体はCIAのフロント、つまり隠れ蓑である。

他方、ETとの接近遭遇、高度に進化した地球外諸文明のテクノロジー、ETの霊性など、驚くべき主題の数々が天使と悪魔の両極端に掛け渡された大展望のスペクトルとして展開する。普通ではあまり聞かれないこうした話の大部分はグリア自身の経験、他の一部は彼の主催する「情報開示プロジェクト」に参加した証人の証言、あるいは部内告発者からの内密情報などとして明かされている。

未確認飛行物体(UFO)と地球外高等知能生物(ET)の調査およぴETとのコンタクト実地研究する「地球外文明研究センター(CSETI)」はドクター・グリアの組織したグループである。もともと救急病院の医師だったドクター・グリアは、彼の組織した「情報開示プロジェクト」と「CSETI」の活動で地球を駆けめぐり、各国の政府高官、将軍、世界の大富豪、ヨロッパの王室、バチカン、米国中央情報局(CIA)、組織犯罪の主要人物などと会見してきた。救急医師としての職務と彼のこの二大プロジェクトの活動を平行維持することが不可能になった時点で、彼は医師の仕事を断念した。

こうした背景のもとに語られる本書のエピソードの中には、あまりにも意外、とても信じられない、といった内容のものもあることは否定できない。そういったエピソードは概して形而上学の分野につながる地球外文明のテクノロジー、あるいは「CSETI」の交信儀礼を使ってUFOを呼ぴ寄せ、ETと接近遭遇するという範疇の話である。読者はさまざまな疑問を抱くであう。私にも私なりの疑問がある。だが、著者グリアはかなりの程度の真実―彼にとって可能なかぎりの真実―を語っている、と直感的に理解するほかはなかった。彼の体験した実話からまとめられた書であることは想像に難くない。

本書は原稿として書かれたものではなく、ドクター・グリアの談話の録音からテープ起こしし、編集されたことが序文に記されている。各章が独立したエピソードであり、しかも半世紀におよぶ自伝であるため、さまざまな情報が洪水のように流れ込み、エピソードの印象は鮮明に刻み込まれても、思想的な内容を系統立てて整理しにくい嫌いがある。そうした難点を補うべく、後ほど重要な補足データを挙げながら「訳者あとがき」を括りたいと考えている。

著者グリアの言業に戻ろう。エピソードを離れ、彼の二著から拾い集めてみた。

「過去2、3年間私はUFO/ET問題について、米国や海外の政府高官をはじめ、科学分野の指導者たちに状況説明する責任を負わされてきた。この問題に関する証拠としては明白かつ多数にのぼる例証のあることを指摘したい。UFO自体が現実に存在することについては、反論の余地はない。例証を挙げることは難しくなかった。もっと挑戦的な意欲をそそられる問題は、UFOにつながる秘密性の構造を解明することだった。だが、最大の難題はその理由「なぜか」についての解読である。なぜすべてが秘密に包まれているのだろう?なぜ政府の中に承認されていない”影“の政府があるのか?UFO/ET問題を公共の目から隠しているのはなぜか?」

「これらの問題に関する証拠は複雑だが、その解読は不可能ではない。しかし、これら隠密計画の本質そのものは難解なうえ、複雑を極め、ビザンチン式である。そしてこの秘密性の背後にある理由が難題中の難題である。かくも異常な秘密性の背後に見られる理由はひとつではなく、相互に絡まる夥しい数の理由がある。それらはかなり明白で単純なものから、実に怪奇なものまである。ここで私はこの秘密性の主要ポイントをいくつか挙げて、なぜ、まんまと秘密方策がとられたか、さらに、この隠密計画を管理する部内利害関係者にとって、秘密方策を逆転させて秘密公開へ踏み切ることがいかに難しいかを説明してみたい」

「1930年代、40年代におけるUFO問題は、これらの物体が地球に起源するものかどうかであった。仮に地球起源であったなら、敵性国家が米国より進んだ航空機を所有していることになり、多大な脅威となり得る。逆に、地球外のものと断定されたなら、多くの疑問が生ずる。すなわち、ETがここにいるのはなぜか?彼らは何を意図しているのか?広大な宇宙空間を信じられない速度で移動する技術はどういう技術か?これらの科学技術を戦時と平時の人間の状況に適用できるだろうか?こうした情報に対して一般社会はどう反応するだろうか?これらの内容を公開した場合、人間の信条体系、政治組織、社会組織にどういう影響を与えるだろう]

「1940年代後期から50年代初期にかけては、ニュー・メキシコやその他の地域から回収されたET船の物体を精査し、逆転工学(リバース・エンジニアリング)により宇宙船の基礎的な科学技術の解明に努力が集中された。その結果、これらの物体が真空管や内燃機関に格段の差をつける物理法則と応用技術を使っている事実が認められた。米ソ対立の冷戦時代にはテクノロジーの僅差により勢力均衡が傾く。たしかに今日に至っても地政学的に言ってうまく機能しない、というテーマがUFOに関連する秘密性につきまとう一特徴を成している」

「アイゼンハウアー政権下[1953年~61年]においてUFO /ETプロジェクトはさらにコンパートメント化され、合法にして合憲の命令系統による監視と管理の手からハイジャックされてしまった。米大統領も英国やその他の国の指導者贈もUFO /ET情報については“天井桟敷”に疎外された。彼らはアイゼンハウアーの警告した軍産複合体制という巨大にして複雑な構造が現実となったことをいやというほど知らされたのである。迷路のように区分化された隠密計画を扱っているのは軍産複合体制だ」

「1960年代でさえ、まして90年代に至っては、宇宙旅行という概念は近未来に可能な当たり前のことであり、遠い宇宙からのETという話を聞かされて心の平静を失う人がいるとは思えない。UFOはいわば公然の秘密となった。ではなぜこの問題がいまだに秘密にされているのだろう。冷戦は終わった。たいていの人がUFOは実在物であると信じている。社会へ与える恐怖、パニック、ショック、といった単純な説明をもって、大統領やCIA局長が情報入手を拒否されるほどの根深い秘密性を正当化することは、どうみても筋の通った説明とは言えない」

「宇宙船を推進させる動力発生方法と推進方式を支えている基礎物理学は、地球上で現在使われている発電方法と推進方式のすべてを簡単に代替できる物理法則に基づいている。そうなると従来の地政学的体制と経済体制は崩壊する」

「ETの存在を明かすなら、必然的にこれら新式科学技術の公開も不可避であり、その結果として世界は一変する。あらゆる犠牲を払っても避けるべき事態として、彼ら管理者はそうした事態の発生を忌み嫌い、秘密の“防衛”対策を講じたのである。現代社会の基本設備一切を転覆させてしまうであろう大規模の変化は、彼ら少数“エリート”として、どんな手段によってでも避ける必要があった」

「1950年以来、半世紀以上も問題を回避してきた現在、秘密公開への進路はこれまでにも増して大きな障碍に阻まれている。たとえば、石袖と内燃技術への世界の依存度は50年代よりかなり高い。世界経済の規模もかなり拡大した。したがって、どのような変化であろうとその影響もネズミ算的に膨張しており、場合によっては大混乱を引き起こすことにもなりかねない。どの世代も年代も問題を次世代へたらい回しにしてきた。その間に世界はいっそう複雑化したにもかかわらず、時代遅れの動カシステムに依存したまま、世界はエネルギー問題に締め付けられている。秘密公開は50年代でも難しかっただろうが、現在ではもっと難しい」

「1950年代に逆転工学によってET船から得られた科学技術上の諸発見は、世界の経済、社会、科学技術、環境問題を完全に変容させ得たであろう。そうした飛躍が公共に与えられなかったのは、変化嫌いの官僚主義による。これは現在も当時と変わりない。逆転工学によって得られたテクノロジーは人類に次のものを与えていたであろう。いわゆるゼロ・ポイントと呼ばれる場(物理学でいう場)から動力を発生させる新式科学技術があり、あらゆる家庭、事務所、工場、車などが独自の動力源をそれ自体の中に設置でき、外部の燃料タンクなどに依存する必要のないテクノロジーである。石油、ガス、石炭、原子力発電、内燃機関の必要がなくなる。環境汚染問題が解消する」

「反重力装置を使ったテクノロジーであるため、浮遊交通機関が実現する。したがって、農地を交通路に変える必要がなくなる。なんと素哨らしいことか。しかし50年代には石油はまだたくさんあり、現境問題は大して話題にされなかった。地球温暖化は聞かれなかった時代である。権力者階級は安定を好み、現状維持に満足していた。秘密公開は将来の世代に任せればいい」

「ゼロ・ポイントから動力を発生させるフリー・エネルギー・システムが導入されれば、現在の中央集権政体は崩壊し、権力の分散化が可能になる。世界の力関係が均等化する。いわゆる第三泄界が急速にヨーロッパ、米国、日本と同格になり、地政学的な権力構造に大きな推移が生じることになろう。グローバル・エリートはそうした変化を嫌う」

「米国とヨーロッパの人口はおよそ6億、世界人口の10パーセントにすぎない。他の90パーセントの科学技術と経済水準が欧米の水準に達したなら、地政学的パワーは推移する。科学技術のインパクトに経済的なインパクトが加算され、さらに地政学的インパクトを組み合わせるなら、秘密政策に結末をつけることがいかに巨大な構造的変化、グローバル規模の変容をもたらすか、誰の目にも明白である」

「革新的テクノロジーが日の目を見ないまま60年の年月が流れてしまった今日、生態学上の退化と社会的、経済的不均衡の環境のもとで、UFOにつながる秘密性問題——熱い宇宙ポテトー―を受け止める最後の世代が私たちである事実を認めざるを得ない。秘密公開へ踏み切ることが軽率には扱えない問題である一方、秘密を保持し、革新的な発電と推進システムを隠しつづけることはもっと重大な問題―不安定な世界―を導くことになろう。地球の生態系の崩壊、化石燃料の枯渇、人間らしい生活を奪われた持たざる人々の怒り、その他もろもろ、私たちはこういった問題に対処する責任がある。熱い宇宙ポテトを回せる世代はもう存在しない」

「何兆ドルという金額が議会の承認手順を経ずに憲法違反のプロジェクトに充当されてきた事実に対して、社会はどう反応するだろう?秘密プロジェクトのもとにリバース・エンジニアリングによってETの科学技術から新製品を開発し、特許を取り、大きな利益を上げているとは。納税者は搾取されたうえ、製品開発のプレミアムまで払わされている。それだけではない。この知的財産はETから盗み取ったものである」

「こうした問題の内密管理が、超極秘の国際政府計画の一端として操作されていると同時に、部分的には民営化された組織犯罪活動に形態変化してしまった。普通に考えられている政府というより、隠れマフィアと呼んだほうが妥当であろう」

「上述した諸問題よりさらに重要な問題を指摘したい。こうしたUFO関連の秘密プロジェクトが、発芽して間もない発達初期段階にある”ETと人類の関係”を独占的に支配してきた。目も当てられないほど惨憺たる管理の不手際ときたら、まぎれもないグローバル規模の大惨事寸前と呼べる性質のものである。選出され、承認された代表ではなく、自薦による軍事志向のグループだけが人類とETとの異文化問題や異星人関係の問題を扱う必要があるとするなら、私たち地球人には未経験の状況、あるいは管理方法のわからない状況が発生した場合、彼らはそういった状況を潜在的な敵対行為、または現実の敵対行為とさえ解釈するだろう。危険な解釈である」

以上が問題の秘密性とその波及問題について述べる著者グリアの見解の大意であり、本書においても、エピソード・スタイルであるとはいえ、これが彼の基本的なメッセージである。

しかも本書では、グローバル・エリートによる議事はすでに最終段階に入っている。大衆よ目を覚ませ、騙されるな、と警鐘を嗚らしてさえいる。

本書には「スカル・アンド・ボーンズ」「プロジェクト・ペイパークリップ」「ノン・ローカリティ」など、注目すべき言業や概念がいくつかある。これらについて手短に触れておきたい。

スカル・アンド・ボーンズ(閥腺と大腿骨)

エール大学構内に拠点する秘密結社であり、フリーメイソンと密接な関係がある。ドイツの結社「死の仲間」の分会として1833年に米国へ導入され、いわゆる「名門」の出、ウィリアム・ラッセルとアルフォンソ・タフトによって設立された。タフトの子息は27代米国大統領になった。エール大学の建物はラッセル信託の所有地にある。ラッセル家は19世紀に阿片の密輸(トルコから中国へ密輸)で莫大な財を築いた。この結社は米国東部の支配階級ロックフェラー家、プッシュ家、ハリマン家などとリンクしている。会員はエール大学の学生の中から選ばれ、入門の秘儀を受けた「エリート」である。選抜基準は家系(血筋)であると言われる。任期期間、会員は週2回の秘密集会に参加する。集会場所は「墓」と呼ばれる窓のない大きな建物の中だという。そこでどういう秘儀が執り行なわれるかは秘密である。秘密結社の古代からの戒律―口外すれば死―というものがある。現大統領ジョージ・プッシュ、彼の父、祖父とも、同家は三代にわたる「スカル・アンド・ポーンズ」である。2004年の大統領選挙でブッシュに敗れたジョン・ケリーも同結社の会員である。「スカル・アンド・ボーンズ」という名称は、一説によると、ラッセル家が密輸船に「憫膜と大腿骨」の海賊の旗をなびかせていたことに由来する。別の説では、古代からの秘密結社のシンポルにちなんだ呼ぴ名だという。ハーバード大学にも結社があるそうだが、米国の政治・経済に及ぼす影響はエールの結社のほうが遥かに大きいようである。

プロジェクト・ペイパークリップ

第二次世界大戦末期の1945年、ドイツからナチスのエリート階級の軍人、諜報関係者、科学者、技術者、遺伝学者、医者などを脱出させる英米合同のスパイ活動があった。その暗号名が「プロジェクト・ペイパークリップ」である。この作戦に深く関わった戦略事務局(CIAの前身)の局長アレン・ダレスは、戦略事務局解散後、初代ではないがCIA局長におさまった。(兄のジョン・フォスター・ダレスは1951年に日本との平和条約の交渉に当たった元米国国務長官。ダレス家はロックフェラー家と遠縁関係にある)。「プロジェクト・ペイパークリップ」が中断された1973年までの期間に、総数1万6千人の元ナチ・エリートが米国へ入国し、航空宇宙産業、NASA、CIAに配属させられ、重要な地位を与えられた。ロケット科学者ワーナー・フォン・ブラウンもそのひとりである。米国の宇宙科学技術は事実上「ペイパークリップ科学者」によってその基礎が築かれた。
反重力推進方式で飛行する円盤型の戦闘機を、ナチスは1940年代中期にはすでに幾つか所有していたという。連合軍の手に落ちることを避け、これらは戦争末期に全部破壊されたというドイツのリサーチャーもいるが、少なくとも2、3機は「ペイパークリップ」で英国、米国、カナダヘ入ったらしい。1945年以後、これらの国で研究開発が継続された。米国の秘密プロジェクトは星間空間へ行ける宇宙船を所有している、とグリアは本書で述べている。CIAの悪名高いマインド・コントロールの技法も「ペイパークリップ」で導入され、MKウルトラの名で知られる高度技術がある。MKのMは英語のマインドの頭文字、Kはドイツ語のコントロールの頭文字。

ノン・ローカリティ(非局在性・場所なき場所)

本書にも登場するアポロ14宇宙飛行士エドガー・ミッチェルは、月へのあの航海以後、自分の意識が変わってしまった、と次のように語っている。(下記は本書からの引用ではない)。
「小さくても荘厳な惑星地球が黒い空間に浮かんでいて、プルーとホワイトの光を放っているーーあの光は忘れられない。私の生涯で起こったどの出来事でも不可能だったことを宇宙空間からの眺めが与えてくれた―自己の生命と地球の生命について、人間はなんと狭い考え方をしているのだろう。人間は万物の霊長だと思い込み、地上の支配者であると自負している。私はそういう考えにはもう着いていけない。動物が人間と話し合えるなら―進行中の実験によると、そうなる日の来るかもしれないことを示唆しているが――、彼らが最初に発する言葉は、人間でなくてよかった、という言葉であろう。どんな動物も人間のやるような残虐行為も愚行もやらない。知識過剰と英知不足のため、私たちは地球破壊の瀬戸際まで来てしまった。核アルマゲドンは身近な現実である」

宇宙飛行士ミッチェルはこの体験に促され、「ノエティック・サイエンス研究所」を設立し、純粋理性による認識や意識の進化を研究するグループを組織した。ノン・ローカリティの概念を動物とのコミュニケーションに導入し、意識の進化の先端的研究を続けている。

ノン・ローカリティという言葉は超能力開発グループの人たちの間でも最近よく使われているようだ。もともとは批子物理学でローカリティの特性を問題にしたことから使われるようになた。つまり情報をA点からB点へ移転させる情報トランスファーの問題から、空間のノン・ローカル性が理解されるようになった。

ここで、前述した補足データについて述べよう。

ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが再統一してからすでに20年近くになる。その間に秘密扱いを解除された文書がドイツからかなり出てきたため、情報、技術、UFO、オカルトなどの分野ではそうした贅料に基づいた新刊本や改訂版が英米両国で出版されるようになった。これに類する一連の図書によると、ナチスは反重力推進方式の円盤型航空機、つまり「空飛ぶ円盤」の研究開発を1930年代から始めており、第二次大戦中にはかなり高度機能のUFOが広大な地下工場で生産されていた。極秘の、しかも危険なこの生産活動に必要な膨大な労働力には強制収容所の収容者を充当していたという。ナチスの頭脳集団(シンクタンク)ではすでにコンピュータ・チップ、トランジスタ、レーザーなどをその当時から研究開発していたそうだ。戦後の1950年ごろからトランジスタが出回りはじめたようだが、その理由として、1947年にニュー・メキシコ州、ロズウェルに墜落した宇宙船をリバース・エンジニアリングして開発された製品だから時代的に合致する、という説明はよく聞く話である。(グリアは本書で、この宇宙船は墜落したのではなく、米軍がレーダーで宇宙船をジャミングし、墜落させたのだと言っている。)

それはともかく、ナチスが「空飛ぶ円盤」その他のハイテク武器を所有していた事実または説の立証に焦点を当てている研究家、たいてい物理学者だが、彼らはUFOについて、UFOは実在物だが人間の造ったものであり、政府の言うように深宇宙から来た地球外文明の宇宙船ではない。ナチスから分捕った「空飛ぶ円盤」を戦後六十年かけて「ペイパークリップ科学者」の導のもとに改普され、今日目撃されているような驚嘆すべき高度技術の反重力推進、超光速、巨大な三角形”UFO”が開発されたのだとしている。月へは30分で行けるそうだ。
ゼロ・ポイントの場(ゼロ・ポイント放射)からフリー・エネルギーを発生させ、反重力推進させる技術は、テスラ変圧器を発明したニコラ・テスラ(クロアチア生まれ、27歳のとき渡米、1943年に86歳で没)が原理を発見し、研究開発した。だが言うまでもなく、米国の資本家は彼に融資しなかったのみか、J.P・モーガンはテスラの実験室に放火したり、研究レポートを盗んだりした。そしてこの技術がナチスの手に渡ったのだが、フォン・プラウンがテスラの技術資料を盗み、ナチスに売り渡した、というのが定説である。

ところで、アポロ11宇宙飛行士の月着陸以前に、月に人工の構築物があることをNASAは無人探査機や人工衛星によって知っていた。だから彼らが月へ行った目的はこれらの構築物を実際に確認し、その写真を地球へ送信する、そして、ETとの遭遇の可能性さえ目標のうちに入っていた。構築物に近い地点が着陸地点として選ばれた。宇宙飛行士たちが見たものは巨大な遺跡、城郭のような構築物、月面から10キロメートルも上方へ聳え立つガラスの塔、ロボットの頭部、機械の残骸、ガラス化した広大な月面だった。ガラスは緑色だった。ETはいなかった。永劫の昔に壊滅した廃墟である。

NASAはこの情報を秘密にしていた。だが内部情報は少しずつ漏れる。月の廃墟や塔の写真はかなり以前から見ることができた。火星にもピラミッドや人工の構築物らしいものがたくさんある。人工の巨大な顔もある。これらは「モニュメンツ・オプ・マース」にたくさん載っている。その著者リチャード・ホーグランドは今回マイク・ベラと共著で「ダーク・ミッション―NASAの秘史」を4年がかりで書き上げ、最近刊行されたが、書店で目にすることはなかろう。体制内に仕組まれた管理機構による抑圧である。
「その昔、広漠たる宇宙空間を包み込んでしまうほど強大な、太陽系規模の文明、全く消え失せてしまった文明があった。NASAが最初に使った旧式な人工衛星によって再発見される運命背負った文明である。太陽系規模の、すべてを巻き込む一連の大変動の渦中に壊滅してしまった文明であろうことは、やがて判明するだろう」―リチャード・ホーグランド(「ダーク・ミッション」より)

だからあらゆる可能性が想定でき、どれほど信じられないような未来像であろうと、そうあり得ないことが立証されないかぎり、否定すべきではない。霊的存在としてのETとの遭遇があり得ないとは断定できない。異次元とのコンタクトは可能かもしれない。一方、ETの存在は、依然、確証されていない。これは事実である。

救急病院の医師だったドクター・グリアは人の死に何度となく立ち会っている。他界するときの神聖な瞬間を現代医学は忘れてしまった―医学技術の他に為されるべき重要な橋渡しにて語る美しい一章(23章)がある。
原書はフランス語、ドイツ語、オランダ語、ルーマニア語、クロアチア語にも翻訳された。

「嘘から真実が出ることはあり得ても、真実から嘘が出ることはあり得ない」

ショーペンハウアー

「訳者あとがき」を閉じよう。

2007年11月 前田 樹子

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『メーソン―第三等級の姉弟』について – フリーメーソン解明の為の第一級資料 –

最近、以前、古本で購入しておいた『メーソン―第三等級の姉弟』ウィル・L. ガーヴァー (著), 尾高 樹良 (翻訳)を読んだ。

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この著は、フリーメーソン内部について知り尽くしている人物によって書かれたと思われる第一級の内部情報である。

フリーメーソンの中でも位が低い人物には、このように詳細に書くことは出来そうもない。

フリーメーソンの内部事情について精通し、フリーメーソンの中でもある程度の階級に到達した人物にして初めて書けるような、そうした稀有の書である。

Amazonの古本市場で1,500円前後で売っているので、興味がある方は是非、読んでみて頂きたい。
本書の全部を紹介することはできないため、「出版にあたって」と題する序文を以下に引用抜粋した。

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出版にあたって

明治維新以来、西洋文明の表面的輸入消化に忙しかったわが国は、儒教、道教、仏教、神道の真髄をなすMysticismを見失う一方、Academismの枠外に出る西洋Mysticismの輸入消化を怠ってきた。国家社会権力を代表するAcademismが、国家社会権力を超越する一面をもつMysticismを度外視したのは当然である。Mysticismの一環をなすフリーメーソンについて理解が不十分なのは尤もである。

一般的には、政治的陰謀に関係のある秘密結社として漠然と理解されているとでも言おうか。古代英知の密儀教団の流れをくむ、世界市民主義・理想主義的修道団体として捉えられることはまずない。フリーメーソンについて、正当な理解をもつことは、現下の急務である。

文明の根底を支え方向を与えるのはMysticismである。

宗教の真髄はMysticismである。

天才の霊感の源泉はすべてMysticismにある。

Mysticismなくして人生問題の解決はない。

本書はMysticismの初歩から最奥儀まで、人間の成長、精神の向上完成に到る道程について、前代未聞の詳細なる具体的解明を与える。

西洋Mysticismの摂取をもって西洋文明の輸入は完結し、日本文明は新紀元を画する。

本書は「バラ十字会」(本部サン・ノゼ)及び「サミットライトハウス」(本部モンターナ)の推薦図書である。
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本書の内部で持ちいられるMaster、Adept、Initiation、Hierarchyといった用語は全く、アリスベイリーの著作の中に出てくる用語と同じである。

つまり、アリスベイリーの著作の中で用いられている用語は、フリーメーソンでも共通して使用されている用語であると言える。

あらすじとしては、主人公のアルフォンソ・コロノ氏が、両親の影響でフリーメーソンに入団し、修行の結果、精神的に向上し、位階を登っていく過程を描いている。

読者はこれを通じて、秘教学徒の世界、アリスベイリーの著作の中で描いている霊的ヒエラルキーについてフリーメーソンの形式の中で知ることが出来る。

フリーメーソンの中で、秘教占星学が取り上げられ、双子座がキーワードになっているのが非常に興味深い。

そして、主人公はフランス革命後のナポレオン戦争で、革命を防衛し、諸外国に輸出するために敵国ドイツにスパイとして潜入し、ドイツ軍の作戦内容について、透視能力や透聴能力で読みとり、メンタル・テレパシーでフランス側に知らせるのである。

そうしてナポレオン戦争の勝利に貢献する。

フランス革命は、フリーメーソンが背後で暗躍した革命であると言われているが、その革命の防衛戦であるナポレオン戦争においてもナポレオン側が勝利するためにフリーメーソンが暗躍したようである。

つまり、フリーメーソンが、ナポレオンを道具として用い、フランス革命を封建諸侯などの旧勢力から守り、ヨーロッパに大フランス共和国を打ち立てて、人民の自由と平等を確立しようと試みたのである。

私がこの本を読んで感銘を受けたのは、社会の裏舞台で暗躍する秘教学徒の活動内容は、ほとんど諜報の世界に等しいということである。

諜報の世界こそ、秘教学徒の活躍の舞台である。
wikipedia ナポレオン戦争には、以下のようにナポレオン戦争の影響について記されている。

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(略)ナポレオン戦争以前のヨーロッパの絶対主義諸国は、傭兵を主体とした軍隊を有していた。
フランス革命を経たフランス軍は、革命の成果たる共和国を防衛しようという意識に燃えた一般国民からなる国民軍へと変質していった。

(略)

国民軍の兵士たちは強い愛国心を持ち、また団結力を有していた。彼らは逃亡のおそれが低いため、散兵戦術のような兵士の自律的判断に依存する戦術を用いることができた。

(略)

各国の利害が錯綜して進展の遅れていたウィーン会議は、ナポレオンがエルバ島を脱出すると各国の妥協が成立し、1815年6月にウィーン議定書が合意された。ナポレオンの完全失脚後、主要戦勝国によって神聖同盟が結ばれ、ヨーロッパは復古主義・正統主義を原理とするウィーン体制下に置かれることとなった。

だがナポレオン戦争の過程で、民主主義、近代法、特権階級の廃止などのフランス革命思想が、ヨーロッパ各地やラテンアメリカなど一部の植民地へ伝播した。ナポレオン法典を基礎とした諸法典は、旧体制の復活の後も各国に残された。革命思想は1848年革命の思想的基盤となってゆく。同時に、ナポレオン戦争は民族主義が広まる契機となった。民族主義はヨーロッパの歴史を大きく変え、その後100年間にヨーロッパ諸国は封建領主の領土を単位とした領域から国民国家へと変貌した。一方で、ナポレオンが意図したヨーロッパ統一国家の構想は瓦解した。ヨーロッパ統一の機運が再び高まるのは第二次世界大戦後のことになる。

(略)

フランスではナポレオンが失脚し、フランス革命以前のアンシャン・レジームが復活した。国内には王党派とボナパルティストとの深刻な対立が残された。しかしフランス復古王政下の反動的な政治体制は長続きせず、やがて七月革命で打倒される。
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ナポレオン戦争の意義は、封建諸勢力からフランス革命の成果たる共和国を防衛したことである。

そして、民主主義、近代法、特権階級の廃止などのフランス革命思想がヨーロッパ各地やラテンアメリカなどに伝播し、旧体制の復活後も各地に残されて、1848年革命の思想的基盤となっている。

つまり、ナポレオン戦争によってフランス革命の精神が広く普及し、後戻りすることのない大きな変化の流れを作りだしたと言うことが出来る。

そして、民族主義が台頭し、封建領主の支配から国民国家というものが誕生するきっかけとなっている。

つまり、ナポレオン戦争の成果とは、特権階級を廃止することによる民主主義の確立とそれを法文化する近代法、そして、その近代法の器となる国民国家の確立であったと言える。

つまり、国民国家とは、人民の権利を守るための制度機構である。

このナポレオン時代に確立された国民国家という単位が、現在社会においても人々の権利を守る単位として、今だに力を持っている。

国民国家と憲法が、人民の権利を守り、特定の特権階級に自由に好き放題させないための安全装置なのである。

封建諸勢力は打倒されたが、その次に資本家階級が巨大な富を独占し、新たな特権階級として台頭した。

そして、その資本家階級が中央銀行を作り通貨発行権までも手に入れて官僚や政治家など行政府に多くの人材を送り込んで、超国家的に人々を支配しようとしている。

国家と企業が一体となった米国のコーポラティズムなどに対抗して、日本人、その他の諸国民の権利を守れるのは、国民国家を使うしかないのである。

国民国家と、憲法と法律を使って、外国の貪欲な企業から国民を守らなければならない。

それが国民国家と民族主義という形での善の実現である。

昨今の世界情勢を見ると、いまだにナポレオン戦争の時に形成された民族主義、国民国家という単位が依然として強い力を持っていることが分かる。

国民国家という単位は、人民の権利を守る単位として有効であるが、国家指導者が国民を誤り導いて、戦争などに突入させる危険性も持っている。

また特権階級が富を蓄積したり、権力を拡大したりするための道具としても機能しがちである。

従って、国民国家には、人民の権利を守る側面と、人民の権利を奪う側面、そして、他国民の権利を奪う侵略戦争という可能性を持っている。

最終的に世界共和国というものが確立されることが理想であるが、その前に国民国家というものがまだまだ人民の権利を守るための主戦場である。

この国民国家という単位での戦いなくして、世界共和国というものはあり得ない。

また国民国家における人民の権利を失わせるコーポラティズムの侵略を許せば、それは国民国家の破壊を意味し、世界帝国という形での世界の統一をもたらすが、それは世界共和国ではなく、またそこには人民の自由や権利も存在しない。

アドルフ・ヒトラーが作ろうとしたのは、この世界の人民を完全に奴隷として隷属させる世界帝国の樹立である。

また現在、米国において特に顕現している貪欲な多国籍企業と国家官僚が癒着した巨大な帝国主義もそのような人民を隷属させる世界帝国を目指している。

従って、このコーポラティズムの侵略に対しては、民族主義、国民国家で対抗しなければならないのである。
いまだにこの道具が有効であり、重要なのである。

ナポレオン戦争以来、いまだかつてない程、国民国家、民族主義というものの重要性が増しているのである。

それは多国籍企業と国家が癒着した巨大な帝国主義的な力に対抗できる器は、国民国家を除いて他にないからである。

国連は役には立たない。国連に権力をもたせて各国に従わせるというやり方も得策ではない。

それは結局は超国家的に人民を隷属させる帝国主義が国連の衣を被って生まれるだけである。

従って、外国の侵略に対しては国民国家という単位を使って軍事力を使って自国を防衛しなければならない。

また他国民を侵略しようとする自国の国家指導者には選挙での投票行為やデモ活動等の政治運動によってその権力を抑制しなければならない。

憲法によって自国民の特権階級や権力筋を監視し、その力を抑制しなければならない。

また憲法には外国の侵略に対抗できるだけの国家主権や柔軟性もなければならない。

また自国民の権利を最大化するための法律を整備しなければならない。

現在、外国のコーポラティズムと結託した官僚たちが、国民国家を内側から腐らせるという、そういう過程も進行中である。

TPPなどの多国籍企業に有利で、自国民には不利となる法律が通る流れというものも官僚が開いているのである。

ナポレオン戦争時に確立された封建諸侯の終焉と、国民国家、民族という単位は、いまだに生き活きている。

そして、それを使って、民主主義、人権、自由、平等といった諸権利を守っていく必要がある。

最近、フリーメーソンを改めて考察したくなり、以前、購入しておいた『メーソン―第三等級の姉弟』を読んでみた。

この本はフリーメーソンの内部を詳細に解明し、神秘主義(Mysticism)の深い理解につながる類まれな本である。

私自身、最近、チャラダシャーが天秤座で、天秤座から見て5室支配の土星が9、12室支配の水星とケートゥが9室双子座(フリーメーソン)に在住しているからこそ、この本が読めのではないかと思う。

人にいくらいい本だから読むように勧めても結局、読める人は限られてくる。

その本に縁がなければ読めない訳である。















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多神教と一神教について

古代ギリシアで、プラトンがイデア論を唱えたことで、それまでは目の前にある自然を畏敬し、その存在をそのまま受け入れていたのが、プラトンがイデア論を唱えてからは、目の前にある自然をそのまま受け入れるのではなく、それらは仮象であって、それらを生み出したイデアたる本体があるという考えとなり、存在が、ただの存在として受け入れられるのではなくて、存在は、仮象としての存在であり、その本質が存在するのだと考えられるようになったのだという。

つまり、もし自然をそのままに受け入れるだけであれば、真、善、美や正義を追求して、理想を実現しようという考えも生じないし、現実をただ受け入れるだけの姿勢となる。

然し、今の目の前の現実が仮象ということになれば、本体である真実在を求めることになる。

このプラトンの「イデア」は、哲学史の中で、アリストテレスの「純粋形相」、デカルトの「理性」、キリスト教の「神」、カントの「物自体」、ヘーゲル哲学の「精神」など、様々に名前を変えながらも、西洋社会の思考様式として存在し続けたという。

この思考様式が、西洋社会を推進し、近代科学、近代法思想などを生み出した原動力である。

古代ギリシアで、初めてイデアという何か全ての存在の源となる絶対的な超越的な原理が考案されたのである。

キリスト教の信者が、非常に強固な信念を持つのは、唯一神としてのこの絶対的な尺度を自らのうちに得たからである。

絶対的な尺度を得た人間は強いのである。

だから西洋人は、自分たちの考えを普遍とみなして、社会全体に行き渡らせることに絶対の正義を確信してきたようである。

それに比べると、無宗教で、一神教ではない、日本人は、部族社会の中で、その場その場で、一番、力の強い者に従い、その者が言ったことが従うべきことになる。これが絶対的尺度を持たない人間の弱さである。

日本人の恥の文化というものはそういうものだと思われる。一神教がなく、イデアというような超越論的な価値もないために、その場、その場で、場当たり的に過ごしていくしかないのである。

何か不正が行われた時に、普遍的な価値判断に照らして、それは正しくないことだから、いけないと言うことが出来ない。

普遍的な権利や正義を法制度化したものによって、自分の正義を誰に対しても主張できるというのは、西洋近代社会からプレゼントされたに過ぎない。それまではお殿様の言うことに従って、お殿様が法律だったのである。お殿様の気に入らなければ有罪で、気に入れば無罪である。常にその部族社会の一番、権力を持つ人に振り回されるしかない。

絶対的な原理を持たずに全てが相対的な力関係の中で決まるのである。真理も正義も何もかも全てがである。

従って、西洋近代社会の出発点となったプラトンのイデア論というものは非常に重要だと思われるし、近代社会が、ユダヤ・キリスト教的な一神教の世界で生まれたというのも納得できることである。

一神教というのは、絶対的な尺度ということである。

そして、このプラトンの『イデア』やアリストテレスの『純粋形相』に神学者が『神』を代入して作ったのが、キリスト教の教義体系だという。

この思考様式に共通するのは、仮象よりも、本質の方が、価値が高いという価値観である。

だから、進歩とか、道徳とか、発展とか、そうしたものは、西洋社会の産物である。

仮象から本質への運動というものが、西洋社会がもたらしたものである。

だから、現実を理想(本質)に近づける運動が、進歩であり、歴史というものは、
その時間軸の中で、進歩という価値観によって考えられるようになる。

そして、道徳的葛藤は、動物から神へというこの運動の中で、低次の欲求は、より価値の高い高次の欲求のために押さえ込まれ、抑圧されなければならないということから生じてくる。

西洋近代が入ってくる前の日本にはこうした進歩とか、道徳とか、発展といった概念がないのである。

日本の村落で行われていた性風俗とイギリスのビクトリア朝時代の性風俗を比べてみると、それがよく分かる。ビクトリア時代に流行ったヒステリー症状というのは、性を連想した時に女性が激しく痙攣するという症状だが、前近代社会での日本のおおらかな動物に近い性風俗を比較してみると、その違いがよく分かる。

つまり、理想と現実の間で分裂しているのが、西洋近代社会である。

それに対して、現実とその現実の受け入れのみが存在しており、理想と現実の葛藤がないのが、前近代の日本である。

(だから、プラトンが古代ギリシアで生み出した思考は、低次のものと高次のものの二重性を生み出したと思われる)

この一神教や、イデア論に見られる超越論的な原理に対して、多神教というものはどのような位置づけになるのか。

多神教というのは、例えば、ギリシア神話に出てくる神々がそうである。

そして、ギリシア神話には惑星に対応する神々が登場する。

マーキュリーとか、ヴィーナスとか、それぞれ人格神であり、人間の延長上にある、分かりやすい神である。

実は、多神教というのは、この太陽系内の惑星のロゴスに対する信奉である。

限りなく人間に近い神々である。時には人間が神になってしまう場合もある。

例えば、中国で言えば、三国志の時代の英雄・関羽を祭った関帝廟というのがある。

あるいは、西洋と東洋を融合させ、オリエント文明を築いたアレキサンダーなども、もはや神話となりそうな人物である。

多神教の場合、人間と神の間に連続性があり、神というのは、超人であり、人間が持つ、潜在的な美徳を最高度に輝かせた存在である。

実際、神智学などによれば、太陽系の惑星群は、惑星ロゴスであり、かつての人間が進化した結果としての超人である。

惑星を象徴する神々というのは、人間との間に連続性があるのである。

それに比べて、一神教というのは、唯一神がこの世界の全てを創造したという考えであり、ほとんど思弁的に求められたものである。

抽象化されたそのような神は本来、全く何の意味も持たない。

数学でいう「無限」(∞)という概念と同じように意味がない。

それを表す言葉は存在するが、その内容については全く人間は想像することも出来ない。
全く思弁によって演繹的に求められた概念である。

だから仏教では、神とか創造主といった形而上の事柄についての議論を避けたそうである。

多神教の方が、人間に優しい神々であり、人間に理解することの可能な具体的な存在である。

然し、多神教の神々だと、それらはあまりにも人間くさく、絶対的な原理ではない為、人間の一切の価値を図る尺度、絶対的な超越的原理にはならない。相対主義であり、部族社会と同じようにその都度、様々な神々のご機嫌を伺うことになってしまう。

プラトンが登場する前のギリシアは、自然を崇拝し、神々を畏敬する多神教の世界であったそうだ。

「反哲学入門」の木田元氏によれば、プラトンは各地を遍歴する中で、ユダヤ人の一神教に触れた可能性も考えられると述べていた。

それがイデアという世界の全ての存在の背後にある超越的な原理を考案したきっかけではないかというのである。

ギリシアでも、古代インドのヒンドゥー教でも、惑星を象徴する神々が存在するのであり、それらは人間の延長上にあり、人間に近い神々である。

超越的で絶対的な全てを創造したとする唯一神を考案して、それを万物の尺度とした所が、西洋世界の力である。

一神教だと真理が一つに定まるので、それを基準にして、全ての正当性が確かめられるのである。

科学的知識とか、法律とか憲法とか、西洋社会が生み出した様々なものは、神⇒理性という流れでの、そういう絶対的な基準から導き出されている。

●つまり、多神教というのは前近代的な封建社会、部族社会での人間ライクな神であり、人間の延長上に存在し、多くの神々の力関係で価値判断が相対的に決まる。

●それに対して、一神教というのは、世界の全ての存在を基礎付ける超越的な原理であり、それを基準として、全ての判断が可能となる存在である。然し、そのような神は人間には想像することが出来ない。

従って、キリスト教は、唯一神を信奉しているに関わらず、神の子としての人間的な”イエス”を用いなければ、神の存在を伝えることは出来ない。

然し、イエスは唯一神などではない。ただの進化した人間である。

インドの聖者とかヨギと同じである。

またユダヤ教の旧約聖書にしても、神がアダムやイサクに話しかけたとか色々物語が出てくるが、話しかけたという表現を用いる時点で、やはり人間の形式を取るしかない。

つまり、一神教でも、神を表現するのに人間を用いざるを得ないのである。

純粋に抽象的な概念としての神は、誰も見たことがないし、誰もそれがどんな存在なのか分からない。数学の無限(∞)という概念と同じようにマインドが生み出した抽象的な概念である。

プラトンのイデアという考え方も、何か物がある場合、その物をそのように存在させたアイデアがあったはずだという推論から、導き出した概念であって、マインドが考案したものである。

このように哲学とか一神教の出現は、人間のマインドの能力を基礎にしている。

人間の理性というのは神から分かち与えられた自然を超越した原理であるため、西洋において人間は神になったと言える。

ギリシア時代に何か人間において、プラトンの登場という、人間の知性の飛躍的な増大を示す事件が起こり、ただ自然を受け入れるのではなく、自然を生み出した背後のイデアという超越的な原理を考案したり、神という概念を発明したりすることが出来るようになって初めて、絶対的な価値基準を人間は持つことが可能になった。

マインドによってそうした抽象的な超越的な原理を考案することで、人間は個別具体的な事物、現前する事実や物、そして、場当たり的な状況や相対的な状況から開放された。

そしてそうした原理を生み出すことによって普遍が可能になり、いつ、どこで、誰でも、そこから判断できるような基準が生まれたのである。

それを西洋人は真、善、美、正義、神などと呼ぶ。

それまでは全ては相対的であり、場当たり的で、普遍性や確実性がなかった。

その後、19世紀にニーチェとかハイデッカーとか、ニーチェ以降の知識人が理性とか神とかそうした形而上の価値に疑問を投げかけたようだが、それでも、それはあくまでも、プラトンから始まる西洋哲学の王道があって初めて成立する否定であって、プラトンから始まる西洋の哲学がなければ、ニーチェやハイデッカーの思想も生じ得なかった。

だからそれらはプラトン主義を覆すものではなく、修正するものに過ぎない。

また神智学という運動は、プラトン主義である。

そして、いつ、どこで、誰にでも通用する普遍が可能になることによって、世界は一つになることが出来る。

そういう意味で、プラトンのイデアから始まる西洋社会の思考様式は、歴史を推進させる力である。

私はまだ読んでないが、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』にはこのようなことが書いてあるのではないかと思うのである。

西洋近代というものが、このような強力な力を持っているため、TPPへの参加の議論などを見ても、日本人には何か西洋人にはかなわないという何か一つの白けムードが漂っているのではないかと思うのである。

どうせ西洋人にはかなわない。結局、彼らの価値を受け入れざるを得ないという、無意識的な無力感が支配しているのかもしれない。

然し、彼らが推進する普遍が本当に普遍なのか、真理が本当に真理なのか、それを慎重に識別することが私たちに出来ることである。

・西洋人のマインドは普遍を生み出した⇒その為、西洋人は強い⇒だから西洋人はアフリカやアジアを植民地にした⇒これは歴史の必然である

表面上、西洋近代を批判しながらも、無意識の中で、このような思考過程を受け入れている人が多いのではないかと思われる。

だから西洋人のマインドが生み出したこの文化や思考様式を乗り越えて、凌駕するには、マインドを訓練した上で、更にマインドを超越した直観を身につけるしかないようである。

一神教と多神教というテーマからかなり逸脱してしまったが、

これらは以下のように対比できる。

・個別的-具体的-人間的-多神教

・普遍的-抽象的-非人間的-一神教

上記で分かるように多神教というのは、具体的で、人間のような神である。

一神教の万物の創造主たる神というものは、抽象的で、人間の頭では想像することが出来ない。その存在が理論的には推測できるが、無限という概念を想像する時と同じように漠然としてあいまいにしか想像できない。また実際に体験することが出来ない。
但し、マインドがそのようなものを想定したのはすごい事である。

上記は、木田元氏の『反哲学入門』、『反哲学史』などを読んで思いついたことである。
また以前、『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人著 PHP文庫 という書籍を読んだが、そこで、苫米地氏は、具体的な考えよりも、抽象度の高い考えの方がより優れていると述べている。

抽象度の高い方が、より普遍性があり、適用範囲が広いのである。

そう考えると、多神教よりも、一神教の方が、神の概念としてはより抽象度が高いのである。というよりも、最も抽象度が高いのが一神教である。

知性の高いユダヤ人が一神教を信奉しているというのもこの抽象度の議論からすると非常に納得がいく。

結局の所、一神教の神とは、一つしかないのであるから、イスラム教の神でもあり、キリスト教の神でもあり、ユダヤ教の神でもある。

然し、多神教の方は、太陽系の惑星ロゴスをなぞらえた神々であり、人間により近い相対的な神々である。

この神々は唯一神によって造られた存在であり、人間とほとんど同じ立場である。

例えば、日本も多神教の国であるが、狐まで神にしてしまう所はほとんど、見たものをそのまま神にして祭ったということではないかと思うのである。ここには抽象度がほとんど見られない。

日本人は伝統的にマインドを使っていないのであり、考えるのではなく感じる民族なのであり、だからこそ、TPPの議論などは苦手である。雰囲気とかフィーリングで決めてしまう。

 















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西洋哲学、実存主義、認知科学について

最近、本屋に平積みにされていた『村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則』ダイヤモンド社という本を読んだ。

これが非常によい本だった。人にもお勧めしたい本である。

この本の中で紹介されていた哲学者の木田元氏の著作『反哲学入門』という本にもまた非常に教えられた。

これらの著書によって私の頭は最近、大きな刺激を受けている。

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