2010/12/8 開運のための理論 2
意識性と無意識性
先日、プラーナダシャーの検証に関して、興味深い体験があったのだが、(と言っても既にこのようなことは何度も経験していることではあるが)、スクーシュマ/プラーナが、木星/水星⇒木星/ケートゥとシフトしていく時期だったのである。
木星から見ると、水星は6室支配で、ラグナから見ても、6室支配のため、 6室の体験が伴って、人との関係がギクシャクして、うまく行かなかった。
翌日、木星/ケートゥ期となり、やはり、木星から見るとケートゥは6室に在住しているため、人との関係がギクシャクして、議論、論争の関係が噴出した。
この時、私は木星/ケートゥ期になっていることを調べておらず、言わば、無意識的な状態であり、6室の象意を体験してから、それを後付けで解釈することとなった。
問題は、事前に木星/ケートゥが来ることを察知してあらかじめ意識の中にいれておいた場合、どうなるのか?ということである。
通常、ジョーティッシュのコンサルテーションを受けると、ダシャーとトランジットによる近未来予測を聞くことになるため、多くの場合がこれに当てはまるのである。
結論としては、過去の経験から言うと、事前に起こることの傾向(内容)を知ったとしても、それを回避することは出来ないのである。
この木星/ケートゥの事例で言えば、もし私がケートゥが木星から6室に在住しているので、6室(議論、争い)的な出来事に気を付けようと考え、それに意識的に備えたとしても、それでも6室的な出来事は起こるのである。
それでは、ジョーティッシュで事前に起こる出来事の内容を知って、それに備えることは全く意味がないのか?
前回の『開運のための理論』で展開した話の続きとなるが、そこで展開した論理から演繹すれば、それは全く無意味ではないのである。
これからやってくる出来事に意識的で注意深くあることによって、大難が中難になったり、中難が小難になったり、あるいは、それ程、大きな変化ではなくても、起こる出来事に微妙な変化をもたらすはずである。
それは意識性とは、目覚めた状態であり、前回述べたような3室、6室、11室の欲望、怒り、貪欲のハウスのトリシャダヤ原理の影響を多少でも意識(理性)のコントロール下に置くことができるからである。
それによって、(トリシャダ)×(ドゥシュタナ)で、欲望の苦しみから新たなカルマを築いていく、度合いをおそらく軽減することが出来るのである。
従って、これからやってくるカルマの影響を軽減するということよりもむしろ、このカルマが新しいカルマを築いていくという連鎖的二次災害を防ぐという意味合いが大きいかもしれない。
トリシャダハウス(3室、6室、11室)の影響を、普段よりも注意深くして、意識(理性)のコントロール下に置くことによって、 トリシャダヤ原理に振舞わされない性質を多少でも得るようにするのである。
これは例えば、火星が高揚している人の事例で、よく経験したことであるが、火星が高揚する人が、酒などを飲んで抑制が効かなくなって、言動が大胆、粗暴になるというケースがある。
火星が高揚していなくても、アルコールなどを摂取して、意識が眠った状態(無意識性)に陥ると、途端に、笑い上戸になったり、怒りっぽくなったり、普段とは違う行動をとり出すものである。
こうした経験自体は時には面白いかもしれないが、意識が眠った状態(無意識性)に陥ると、3室、6室、11室の欲望、怒り、貪欲のトリシャダハウスの影響が最大限発揮されてしまう一例である。
普通の一般人にとって、意識的に生きるということはまれである。
皆、日常の繰り返しや、パターン化された生活の中で、無意識に陥りやすいのである。
そうした時にダシャーとトランジットによって、事象はその当人には、意識的でいるよりも、強い影響を振るうのではないかと思われ、それによって、ダシャーとトランジットによって予定された結果が、予測され可能な選択肢の中で最も否定的に起こるかもしれない。
冒頭で挙げた私自身の木星/ケートゥの事例で言えば、私はケートゥが木星から見て6室目に在住しているということを、その日はすっかり忘れていたのである。
それで、論争(6室)を経験した後で、ケートゥが木星から見て6室に在住しているプラーナダシャーの時期(日)であることに気づいたのである。
それで思うことは、もし、私が事前に6室の論争に備えていれば、その論争を回避することは難しいにしろ、もう少し、その論争の内容が軽減されたり、害の少ないものに変わったのではないかと言うことである。
これらは実験して比較することは出来ず、一回切りの出来事であり、人生選択であるので、客観的に検証することは出来ないのであるが、 意識しながら生きるということと、眠った状態で、無意識的に生きるのとでは微妙な違いが出てくると思われるのである。
意識的に生きるとは、意識の連続性を保つことであり、それは瞑想の過程と言える。
前回の「開運のための理論」で展開したロジックによれば、それはカルマヨーガ(行為のヨーガ)に似た状態に導き、結果として、トリシャダと、ドゥシュタナの相乗効果による新たなカルマを形成しない方向に結びつくのである。
ジョーティッシュ(光の知識)は、それを学習し、その法則を研究する人に、サットヴァ(純質)の喜びや、忘我(瞑想)をもたらすものであり、ジョーティッシュの本当の意味での恩恵というものは、ジョーティッシュの学習者にもたらされるものである。
しかし、そうは言っても、ジョーティッシュコンサルテーションを受けることで、クライアントの意識性が促進されるとしたら、クライアントにも多少なりとも、”光”の恩恵があるということかもしれない。
従って、鑑定師の未来予測を聞いて、ある程度の心構えとか、注意を払うことは、必要なことであり、有益なことにも思えるのである。
3室、6室、11室と、肉体、アストラル体、メンタル体
3、6、11室の性質について考えていた時に思いついた仮説であるが、3室、6室、11室は、それぞれ肉体、アストラル体、メンタル体の訓練に関係しているのではないかということである。
3室 ⇒ 肉体
6室 ⇒ アストラル体(感情、情緒)
11室 ⇒ メンタル体(思考)
3室は食欲、性欲、睡眠欲などの低次の肉体の欲望のハウスであり、ここに凶星が在住することは、これらの欲望を安易に満たさずにこれらの欲望に打ち勝つことを表わすとされる。
努力(3室) しようとする人は、まず、肉体の惰性と戦わなければならないのである。
肉体に負荷をかけて、忍耐力を養なうのである。
3室を訓練と関連づけた時、3室は肉体のコントロールに関係しているようである。
次の6室は怒りのハウスであるが、対人関係のハウスであり、部下や目下の者を表わすハウスである。
また離婚のハウスでもあり、暴力のハウスでもある。
人が怒るのは、相手が自分の思い通り、期待通りになってくれない時である。
対人場面でフラストレーションを感じると人は怒るのである。
6室とは、相手の批判や敵対的行為にさらされながら、それに何とか耐えなければならないハウスであり、その過程で、人は恐怖や怒りなど湧き起こってくる様々な感情に対処しなければならない。
誰でも他者から認知され評価されたいという欲求を持っているが、相手が自分を承認し評価してくれないと、それは怒りへと転化してゆく。
通常は、
愛されたい欲求 ⇒ 恐怖、フラストレーション ⇒ 怒り ⇒ 暴力
というように相手への期待感が満たされないと、最終的に怒りや暴力に進展してゆくのである。
だから6室とは、対人関係で発生してくる感情のコントロールに関係するハウスであると考えることができる。
6室が感情のコントロールの訓練に関係するハウスであるということは、精神分析の発達理論を考えた時にいっそう確からしく感じられる。
例えば、メラニー・クラインの対象関係理論の中では、出産したての母親が乳幼児の欲求に敏感になり、乳幼児の欲求を即座に満たすように振舞う感受性が高まる状態(マターナルアタッチメント:Maternal
Attachment)において、乳幼児が感情的に母親と一体の状態(太古的自己愛的万能)を形成するが、後に、母親が乳幼児の欲求に応じることに適度に失敗し、乳幼児がフラストレーションを感じつつ、徐々に母親と感情的に分離していく過程(分離個体化)について、臨床的に観察し、記述されている。
ここでは、まさに乳幼児が相手(母親)への期待や甘えが満たされないことによって、アストラル体が鍛錬され、母親のアストラル体の動き(振動)から独立した自分自身の振動を持つアストラル体をおそらく獲得するに至るのである。
この分離個体化の過程で、あまりにも強いストレス(母性愛欠乏:Maternal Deprivation)を体験すると、分離個体化に失敗し、精神病や境界例といった、言わば、アストラル体の病気の状態に陥るのである。
分離個体化のプロセスでは、あくまでも適度なフラストレーション(母親の失敗)が必要なのであり、過度のフラストレーションを与えてしまうことは、母親の怠惰であり、外傷(トラウマ)となって健全なアストラル体の発達を阻害してしまう。
これは後にハインツ・コフートによる自己心理学においても、母親(や父親)の鏡映機能(幼児を承認し肯定する)によって、変容性内在化(母親や父親の愛や心の落ち着きが徐々に幼児に内在化され、幼児自身の性質の一部となる)が生じる過程-健全な自己愛が発達する過程-として、臨床的に観察され、理論化されている。
これは結局の所、アストラル体の発達や自律的コントロールについて語っているのである。
アストラル体のコントロールとは、対人関係とは不可分であり、その発達と統御の成功も失敗も対人関係が握っているのである。
普通、人は乳幼児期や乳児期に体験した親子関係、母子関係を成人になった後においても何度も人を変えて繰り返すというのは、殆ど、アストラル体の発達やコントロールが乳幼児期や幼児期から進展していないからである。
あるいは外傷があって、それ以上の発達ができないのである。
精神分析ではこの外傷を解消し、感情的成熟を促進するものとして、”感情転移”に注目している。
”感情転移”とは、まさに幼児期に両親から満たされなかった感情的欲求が成人してから出会った相手との間で再現することである。
それはセラピスト(治療家)とクライアント(患者)という臨床場面において起こるもの(例えば、クライアントがセラピストをあたかも父親のように慕い、甘える)が最も代表的でステレオタイプであるが、”感情転移”とは、上司や部下、恋人同士、友人関係など、様々な対人場面で日常的に起こっている現象である。
人は皆、対人場面で幼児期の太古的自己愛的万能感の名残りで、人に感情的に期待や依存をし、それが期待外れに終わると相手に怒りを感じるのである。
然し、そこで自分が相手に期待や依存をしていたことを認め、相手への怒りや攻撃に転化せずに許しや、(相手の反応への)無執着な対応をしていくことができれば、それはカルマ的にもアストラル体の発達、コントロールにとっても前進である。
人は社会の中で、様々な対人関係を通じて、アストラル体が鍛錬されていくのであり、相手の反応にまったく期待や依存をせず(無執着)に全く、自律的自発的に相手に感情的支援やサポートを与えることができる時、それこそがおそらく、無条件の愛情と言えるものである。
結論として、6室とは対人関係のハウスであり、アストラル体の発達とコントロールは対人関係における経験とは不可分であるため、6室とはアストラル体の訓練に関係するハウスではないかと思うのである。
6室に惑星が在住すると、部下や目下の人に奉仕したり、献身する必要が生じ、またそうした部下や目下の人から、誤解を受けたり、批判されることが多くなるため、それらの対人的ストレスに耐えなければならない。
これこそが6室におけるアストラル体の訓練である。
その経験を通じて、人からどう思われるかとか、どう評価されるか、といった期待や甘えに無執着となっていくのである。
もし6室に凶星が在住すると、相手の反応に対する期待が満たされず、結果的に対人的に強くなるようである。
6室が傷つくので、部下や目下の者との関係が厳しいものとなり、批判や敵対的態度も受けるが、相手への期待や依存心を破壊して、相手に強い態度で望むことが出来る。
6室の凶星とは敵を粉砕する配置である。
このように考えると、スポーツの役目や社会的意義について非常に理解できるのである。
競技系、格闘技系のスポーツに熱心に取り組む人は3室や6室に凶星が在住している人が有利である。
このことは、M.S.Mehta氏の『Analysing Horoscope Through Modern Techniques』のP.53に書いてある。
(原文)
According to K.N.Rao, in astrology the will to fight and win are
the gifts of malefics in the 3rd and 6th house which are the houses
of heroism and sports, and bloody 'killer instinct'. |
(訳)
K.N.ラオによれば、占星術において、戦いや勝利に対する意思は、ヒーローイズム(英雄主義)やスポーツ、血の殺人本能のハウスである3室や6室に在住する凶星の贈り物である。
|
スポーツ選手は、日々、練習や筋力トレーニングに励み、試合や競技大会といった大舞台では、競争相手や対戦相手に勝利するために激しい闘争心をむき出しにするのであり、そうして勝利を掴んだ人が社会的に尊敬されるのは、自らの3室や6室といったトリシャダハウスの誘惑に打ち勝ったからである。
スポーツというのは、人間を肉体的精神的に鍛錬し、成熟した人格をつくるための王道の一つと言えそうである。
もう一つ最後に考察したいのが11室とメンタル体(思考)の訓練との関係である。
11室は社会的地位、高い評価、称号、受賞、名声のハウスであり、このハウスが強い人は、社会的に高く評価され、願望成就し、収入も入って来て、自分の業績からもたらされた成功の果実を味わうのである。
『ラオ先生のやさしいインド占星術』によれば、11室は解脱の為の最後の誘惑のハウスと呼ばれるが、人はこの11室の成功の中にいる時、全く自分の成功(力、権威、地位)に自己満足してしまい、他者に対する配慮や感受性を失ってしまうのである。
11室とは6室から6室目のハウスであり、対人関係場面での感情的葛藤をコントロールし、他者への期待や依存から脱却し、他者との競争に勝ち抜いて支配者として、他者の上に君臨する人々である。
だから11室が強い人とは、独立した経営者や投資家、あるいはある分野において秀でることにより、他人から高く評価され、多くの追随者を得ている人であったり、名の知れた人たちである。雇われるのではなく、雇う側の人々である。労働者に対する資本家といってもいいかもしれない。
この11室の成功者たちは、自分の成功に酔いしれて、同じレベルにいる成功者たちとの社交に夢中となって、そのレベルにいない人たちについての思いやりや感受性に欠けてしまうのである。
11室は貪欲のハウスと言われるが、それは3室や6室のように肉体的欲求や感情的欲求というように誰が見ても分かりやすいものではない。
11室の貪欲は最も洗練された思考のレベルで生じるのである。
これの最もよい例が、米国がワシントンコンセンサスによって推進した新自由主義という思想である。
これは資本を持っている人間が地球上の資源を自由に買い漁ったり、利益を極大化するためにリストラや賃金、福利カット、経営の合理化などを正当化し、民営化(私営化)によって、公共の福祉を削減して、私企業を潤わす思想である。
新自由主義を提唱したミルトン・フリードマンは純粋に市場原理が経済を促進し、富の分配に有効であると信じていたのかもしれないが、資本主義で最も恩恵を受ける人々は、新自由主義によって生じる弊害に目をつぶり、見て見ぬふりをする。
成功者たちは見た目は皆、よい人たちで、好印象な言葉を述べ、フィランソロフィー(慈善博愛事業)などを行ったりして、善意を装っているが、実際に自分たちの利権が脅かされるような場面においては貪欲の権化のように態度を急変させるかもしれない。
このレベルの貪欲というものは、思考、思想のレベルで働き、例えば、新自由主義、経済成長に関する計量モデルなどの中で、数字によって表わされるが、その数字が恐るべき貪欲を表わしているなどとは、普通の一般人には誰にも分からないのである。
このレベルの貪欲というものは、成功者たちの深いマインドの中で構築され、市場や政策決定の場に提示されるのである。
例えば、身近な例で、携帯電話購入時の料金プランにしても、最初に端末代を支払わなくて済むようになっており、特に最近は端末代が非常に高額であり、それをローンで支払わせる仕組みにいつの間にかなっている。
最初は、割安感があるが、途中で解約すると、端末の買取価格が高額で、中々解約できないようになっており、 これなども人間心理を研究しつくしたマーケティングプランである。まさに消費者とは中国の故事に由来する『朝三暮四』のように扱われている。
資本主義社会において構築されている様々な仕組みとは、このようなものばかりである。
発展途上国がIMF(国際通貨基金)から借金をして、ダムや発電所などのインフラをつくっても、そもそも、その経済成長モデル(計量モデル)が全くのデタラメで、実際にはあり得ない数字のトリックのようなもので、開発を正当化し、説得する為に用いられたという。借金が返済できなくなると、その発展途上国の財政決定権を奪い、福祉や教育、医療などの予算をカットし、民営化をすすめて、多国籍企業の資源供給国にその国を変えてしまう。然し、IMFは表向きは、世界の経済発展のために寄与しているといった装いを取るのである。
このように貪欲というのは、マインド(思考)の中で行われるのである。
そして、マインドがもたらす結果は強力である。
11室は、マインド(思考)の訓練に関わっており、自分のマインドの貪欲さが結果として、目に見えたり、体験して計られるハウスではないかと思われる。
11室にもし吉星だけが在住していたら、成功、高い評価、収入、達成、願望成就を満喫することになり、11室に凶星が在住していたり、傷ついていたら、評価が失墜したり、成功が一筋縄でいかず、多くの批判や反発に遭って、自己満足にひびが入り、自分の有り方に疑問を持たざるを得ない。
このように今回は、
3室 ⇒ 肉体
6室 ⇒ アストラル体(感情、情緒)
11室 ⇒ メンタル体(思考)
のように対応しているのではないかという仮説に関しての話である。
(参考文献)
『Analysing Horoscope Through Modern Techniques』 M.S.Mehta著
|