W. B. イエイツ William Butler Yeats  1865年06月13日生まれ

出生時間:22:40 LMT 出生地:アイルランド・ダブリン近郊

職業、経歴:詩人、劇作家

ウェブ上から落としてきた彼のプロフィールは以下の通りである。

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★(1865-1939)ダブリン生まれ。1923年ノーベル文学賞受賞。20世紀の文学と演劇を代表する作家で、アイルランド文芸復興の先導者でもあった。肖像画家として身を立てるべくロンドンに移住したが、休暇ごとに故国アイルランドに戻って詩作に励んだ。アビー劇場で同時期に活躍した劇作家シングなど、多くの作家に影響を与えたが、彼もまたケルト的な幻想物語や妖精伝説を好んだ。また、彼は22〜23歳のころ、日本の演劇形式「能(のう)」を知り、24歳(1888〜89年)の時に書いた作品「オシーン(オシアン)の放浪」の中では、日本の能でいえば化身や亡霊に語らせる役(能特有の形式)を、伝説の英雄オシーン(オシアン)にさせているのである。ジョージ・ムアとの共作「ディアルムドとグラニア」、「キャスリン伯爵夫人」、「虚無の国〜The Land of Heart's Desire」、「クールの白鳥」ほか。1888年には民話を収集した「アイルランド農民の妖精物語」を刊行している。----- ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は彼のことを良く知らないが、ウェブ上で調べた限りでは彼がノーベル文学賞の受賞者であり、アイルランド文芸復興の先導者であったということでは有名らしい。また今世紀最高の詩人の一人という評価もあるようである。 また、「黄金の夜明け団」というオカルトサークルで熱心に活動していたという経歴もあるようである。かれの場合、出生時間もウェブ上で落とすことができたため、ダシャーを検証すればよいと思われるのである。そして、ダシャーを検証してみた結果、非常に機能していることが分かったのである。

 

以下には経歴とその時期のダシャー、そして、それに関するインド占星術的解釈を下に書き加えている。

イェイツの魔術傾向は若年時より顕著であり、アイルランド名物の妖精譚や幽霊譚に浸りきった少年時代を送っている。長じてはAEの影響を受け、主観的実体験としての「ヴィジョン」を言語に置換することに興味を抱くが、同時に、ある種の言語や象徴を「ヴィジョン」誘発の引き金として用いることも思いつく。ゆえに、「ヴィジョン」とそれに関連する言語と象徴に満ち溢れているオカルト界に足を踏みいれたのは当然であったといえよう。 イェイツが本格的に隠秘学に染まり始めたのは1885年、ダブリンに於いて自ら「ヘルメス協会」を組織した頃である。この協会は実質的には同好の士の読書会どまりであったが、AEも参加している。ここでイェイツはA.P.シネットやブラヴァッキーの著作に接し、1885年には後者の弟子であるモヒニ・チャタージ(バラモン階級出身のインテリであり、神智学のみならずインド的神秘思想全般に精通していた人物)の講演に接して深く影響を受ける。(ラーフ/太陽→ラーフ/月)

 

ラーフは10室に在住し、ラーフを1室とすると、太陽は11室支配で9室に在住。月は10室支配で4室在住。この頃はマハダシャー木星期に入る直前であり、ラーフ−太陽にしても、ラーフ−太陽は交友関係が盛ん(11室)な様子が見られ、9室に在住していることから、交友関係を通じて知識や宗教性などを獲得できたような配置である。 ラーフ−月は10室支配の月が4室に在住のため、何かもっと身内的なアットホームな組織を形成し、そこで活動をしていたような印象がある。

 

1887年、ダブリンからロンドンへ移住したのを機会にブラヴァッキーに接触し、神智学協会に入会するが、当時の幹部連と気が合わずに2年足らずで退会となっている。(ラーフ/火星 ※火星はアセンダント、月から7室目※2年足らずで退会の為、アンタルダシャー火星期のあいだに退会)

 

ラシチャートでは4室、11室を支配する火星が7室で減衰しており、月から見ても火星は7室で減衰しており、また、ラーフを1室とすると、火星は2室、7室の支配星で10室で減衰しており、また、ナヴァムシャでは火星がラグナで高揚し、7室にアスペクトしている。こういった配置を見ると、このラーフ−火星の時期では対人関係でのトラブル(7室)、名誉や地位の失墜(10室)が考えられるが、これは上記の「ブラヴァツキーと接触し、神智学協会に入会するが幹部連と気が合わずに2年足らずで退会となっている」という事象と一致する。

 

イェイツの「黄金の夜明け」団参入は1890年3月7日(木星-木星 ※木星は12室在住)のことであるが、その数年前からすでにマサースと大英図書館で出会っており、神智学協会会員にして「黄金の夜明け」団団員でもある数名とプライベートな集会を組織していたから、神智学協会からの移籍は支障なく行われている。  ある意味では、イェイツほど「黄金の夜明け」団に於いて公私混同をなした人物も少ないであろう。彼は自分の参入からわずか4か月後に当時のガールフレンドであったフロレンス・ファーを団に勧誘しているし、1891年には見果てぬ夢の女性モード・ゴンを説得して入団させている。(木星-土星 ※木星は12室、土星は10室、木星から見て、11室。土星はラーフとコンジャンクション)

 

ウェブ上の経歴によると、イェイツが「黄金の夜明け」団参入をしたのは1890年3月7日とのことであるが、この時のダシャーは木星−木星であり、木星は隠遁、隔離を表す12室でムーラトリコーナの配置で強い配置となっている。これは「黄金の夜明け」団が一般社会から隔離されたサークルであることから、事象と完全に一致している。イェイツは後に記載があるが、この「黄金の夜明け」団に次々と友人を勧誘し、サークル内での位階(地位)も得ていくため、このサークルが非常に居心地の良いものであったことが確かである。ムーラトリコーナの木星が物語っている。 また、イェイツは入団して4ヶ月後に当時のガールフレンドであったフロレンス・ファーを、そして、1891年に見果てぬ夢の女性モード・ゴンを説得して入団させていると上記の履歴に書かれているが、この時のダシャーは木星−土星であり、土星は10室(行為、名誉)在住で、木星を1室とすると、11室(交友関係)に在住しているため、この時に友人を勧誘したというのは良く分かるのである。

 

皮肉なことに、彼と切れたファーは後に団内で頭角を現したのに、肝心のゴンにはすぐに逃げられてしまった。 イェイツはファーとともに1900年のマサース追放劇の主役をつとめ、クーデター後に「黄金の夜明け」団のインペレーター1に就任しているが、その直後にアニー・ホーニマン vs ファーの大喧嘩が突発し、事態の収拾もならぬままインペレーターを辞任している。(木星-月→木星-火星)

 

木星を1室とすると、月は8室支配で、2室に在住し、火星は5室、12室を支配し、8室で減衰している。また、火星はラシチャートでは7室で減衰している。1900年にマサースを追放するクーデターを起こしているようであるが、木星−月でも、木星−火星でも共に突発性を表す8室が関係している。例えば、ラグナや月から見ると、火星が7室で減衰し(対人関係のトラブル、争い)、また、木星から見ると、8室(突発性、事故)で火星が減衰しているので、こうしたことから考えるとクーデターというのは非常に事象と一致しているのである。

 

黄金の夜明け」団に於けるイェイツの立場は微妙なものがある。彼は5=6ではあるが、5=6の上部位階であるTh.A.M.には昇進しておらず、彼の発言権の大部分はマサースと親しく交わっていたことに起因するものであり、また神秘思想の解説に長けていた点が買われたものといえる。  インペレーター辞任後、イェイツは団内で積極的な立場をとることなく、1903年の団最終分裂(木星-ラーフ-ケートゥ)後は、そのまま流される形で「暁の星」団に居残っている。「暁の星」団に於いてイェイツは7=4にまで達しているが、この種の位階はまず無意味といってよい。この時期の最大の収穫は後の夫人となるジョージ・ハイド−リースとの出会いであろう。イェイツが彼女と知り合ったのは1911年のこと(土星-金星期、金星は土星から見て7室目)であるが、例によって例のごとく、1914年には彼女を「暁の星」団に引き入れている。(土星-太陽期)

 

1903年に「黄金の夜明け」団が最終分裂し、分裂後の「暁の星」団に居残ったと上記にあるが、この時期は木星−ラーフ期であり、マハダシャー木星期の終わりに該当する、この「暁の星」団は「黄金の夜明け」団に比べると既に勢いを失って、形のみ継続しているような状態であることが予想され、イェイツが木星期に「黄金の夜明け」団に入会し、木星期の終わりには団が崩壊し、事実上、この「黄金の夜明け」団での活動は終了し、その後も初期の頃の熱意で活動をしていない事は注目に値する。つまり、「黄金の夜明け」団は12室、ムーラトリコーナの木星が顕した事象なのだと言える。 そして、「この時期の最大の収穫は後の夫人となるジョージ・ハイド−リースとの出会いであろう」と上記にあるが、彼女と知り合ったのは1911年の事らしい。ダシャーは土星−金星であり、土星を1室とすると、金星は7室に在住しているのであるが、金星は配偶者のカラカでもある。また金星はラシチャートでは5室、10室支配のラージャヨーガカラカであり、友好惑星でラグナロードの土星と4室−10室の軸で相互アスペクトし、ラージャヨーガ、ダナヨーガを形成しているのである。この時期に出会ったジョージ・ハイド−リースとは後に出てくるように結婚の至る状況はむちゃくちゃであったが、夫婦の仲は良く、新婦が後に『ヴィジョン』として知られる一連の霊界通信文書の自動筆記をしていることが示すように精神世界の探求において、いわばイェイツと共同作業的をしているようなところがあり、4室−10室の軸でラージャヨーガを形成していたことと、非常に関連性が感じられるのである。

 

 1917年、イェイツは、よせばいいのにモード・ゴンにしつこくプロポーズして断られ、何を考えたのか続いてゴンの養女に言い寄って当然ながら拒否されて男を下げた後、10月21日、あたかも予備にとっておいたようにハイド−リースと結婚している。(土星-火星 ※火星は7室在住)結婚に至る状況はむちゃくちゃであったが、夫妻の仲は良く、新婚4日目、新婦は現在『ヴィジョン』として知られる一連の霊界通信文書の自動筆記を始めている。  1923年、「暁の星」団の潰滅を契機に儀式魔術活動から足を洗うと、まるでご褒美のようにノーベル文学賞を受賞。(1923/3/27〜:水星-水星 ※足を洗う前は土星-木星で、木星は12室在住)彼の詩人としての国際的評価は確固たるものとなる。 「暁の星」団潰滅後、イェイツの研究題目は主に東洋神秘思想であり、英訳された『太乙金華宗旨』に夢中になったり2、ほぼ晩年に至ってクロウリーばりの性的熱狂の詩を発表するなどして、研究家を困らせている。魔術的に見るならば、クンダリニー・ヨガでも実践していたのであろう。  1939年1月28日、心臓麻痺で死去。(水星-土星-太陽-金星)

 

面白いことに上記にあるように、1917年にモード・ゴンにしつこくプロポーズして断られ、続いてモード・ゴンの養女に言い寄って拒否されて男を下げたというこの時期のダシャーが土星−火星期であり、火星は2室、7室(対人関係)支配で、10室(名誉・地位)に在住して、減衰しているのであるが、これは対人関係、パートナー、配偶者を通じて、名誉、地位に関する失墜(10室で火星が減衰)が生じるというように解釈すると、事象にピタリと一致しているのである。火星はラシチャートでは7室で減衰であり、ナヴァムシャでは1室で高揚して、7室にアスペクトしている。このことからもかなり、配偶者候補、パートナーに対して、火星の強いエネルギーを振り向け、強引なしつこいプロポーズを行っていたことが伺えるのである。そして、10月21日にハイド−リースと結婚とあるが、10月21日頃は土星−火星期の終わり頃であり、あと、10日もすれば、アンタルダシャーがラーフに変わる、ちょうど境目であった。つまり、アンタルダシャー火星期に女性に対して狂ったように求婚し、その火星期の終わり頃にようやく落ち着いたと言える。

そして、「1923年、「暁の星」団の潰滅を契機に儀式魔術活動から足を洗うと、まるでご褒美のようにノーベル文学賞を受賞」と上記にあるが、この時のダシャーが水星−水星であり、まさに実際の生活上の変化と同じようにダシャーからも全く新しい象意をもたらす水星の時代へと移行したことが分かるのである。 水星は9室支配で5室に在住して、ダナヨーガを形成しており、他の惑星の影響を受けていないため、水星が絡む時期は今までも純粋に創造性が発揮できるような時期であったのではないかと思われる。水星は、ナヴァムシャでは9室支配で4室に在住し、木星と同室し、ラグナロードで10室の天秤座で高揚する土星、ラージャヨーガカラカでムーラトリコーナの金星と相互アスペクトし、また山羊座で高揚する火星からアスペクトされており、 非常に強い惑星からの影響を受けている。ここで、イェイツが儀式魔術活動から足を洗う時期にダシャーが水星期に移る様は非常に鮮やかであり、ダシャーがこれほど明白に機能していることが見られるのは驚きでもある。 そして、最後に1939年1月28日、心臓麻痺で死去とのことであるが、この時のダシャーが水星−土星−太陽−金星であり、土星はラシチャートでもナヴァムシャでも2室支配のマラカであった。また土星は単独でマラカとして働く惑星であるらしい。

<ヴィムショッタリ・ダシャー>