1948年9月10日 時間不明 秋田県秋田市生まれ
秋田市生まれの東京育ち
武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業 入社
13年半のOL生活を経て。1988年に脚本家デビュー
現在、東北大学大学院文学研究科に在学中
チャートの持ち主は脚本家として有名だが、彼女の描く作品は脚本にしてもエッセイにしても非常に女性の情念や執念を描いたものが多い。『週末婚』、「愛しすぎたら愛は死ぬ」 、『忘れないでね、わたしのこと』 、『朝ごはん食べた?』、『昔の男』、『都合のいい女』など、女性の執着心や情念、不倫関係などを描いたものが多く、やはり、ラシチャートで、月が蠍座、ナヴァムシャで太陽が蠍座というように非常に蠍座的な執着の強い性格をしていることが伺える。
ちなみに蠍座で月が減衰すると薬物やアルコールへの耽溺や中毒などの傾向があるが、彼女は酒が好きなようである。
月をラグナとして、9室支配の月と、2、5室支配の木星が蠍座でラージャヨーガを形成する。蠍座の木星は非常に利己的で嫉妬深い愛情表現をし、物事に対しとことんまで探究する根気強さや持続力の強さを与えるかもしれない。太陽は、ムーラトリコーナの獅子座20°を外しているが定座で非常に強く、ドレッカーナやダーシャムシャでは高揚している。
非常に自信があり、威厳を備え、プライドが高くいことが伺われる。横綱審議委員として、朝青龍のマナーの無さに対して、批判し、強い態度に出るところなど、太陽の強さを見ればなるほどと思われる。
<大相撲>横審・内館委員、横綱の手刀に注文(毎日新聞) 29日に開かれた横綱審議委員会(横審)で、2場所連続全勝優勝を果たした横綱・朝青龍に対し、内館牧子委員(脚本家)が「(懸賞金を受け取る際)左手で手刀を切るのはおかしい」と注文をつけた。 朝青龍は春場所では214本(手取り642万円)の懸賞金を、すべて利き手の左で受け取った。右手が慣例で、内館委員は「守る伝統は守るべき。このままでは、ハイヒールを履いた女性が土俵に上がるようなことになる」と話した。 内館委員は横審の席上、北の湖理事長に「右手で取るように明文化した方がいい」と進言したが、理事長は苦笑い。日ごろ「土俵の上では勝つことで精いっぱい。自然な流れで、ああなる」と話している横綱。あれこれ注文を付けられるのも、非の打ち所のない強さのゆえか。【上鵜瀬浄】 [ 3月29日 20時27分 更新 ] 週末婚 内館 牧子氏 略歴 脚本家 秋田市生まれの東京育ち 武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業 入社 13年半のOL生活を経て。1988年に脚本家デビュー 現在、東北大学大学院文学研究科に在学中 主な作品: ドラマ『都合のいい女』(フジテレビ)『ひらり』(HNK朝の連続テレビ小説) 『毛利元就』(NHK大河ドラマ)『週末婚』(TBS) 『私の青空』(HNK朝の連続テレビ小説)『昔の男』(TBS)『年下の男』(TBS)など 小説『義務と演技』(幻冬舎)『必要のない人』(角川書店)など エッセイ集『朝ごはん食べた?』(小学館)『きょうもいい塩梅』(文藝春秋) 『忘れないでね、わたしのこと』(朝日新聞社)など 1993年・第1回橋田寿賀子賞 受賞(『ひらり』) 1995年・文化庁芸術作品賞 受賞(『てやんでえッ!』) 1995年・日本作詞大賞 入賞(唄・小林旭『腕に虹だけ』) 2000年・放送文化基金賞 受賞(『私の青空』) ・日本相撲協会 横綱審議委員会/審議委員 ・文化庁 文化新議会/審議委員 ・東京都教育委員会/教育委員 ◎若いボクサーを追った初のノンフィクション『夢を叶える夢を見た』を2002年12月に幻冬舎より刊行。 内館牧子著 「愛しすぎたら愛は死ぬ」 -------------------------------------------------------------------------------- このタイトルに妙に心ひかれ納得するものがあって迷わず手に取りました。 恋に憧れ、あるいは恋が始まったばかりの、うら若き乙女(もう死に絶えていない?!)には、反論したい言葉でしょうね。 内館牧子のドラマは、女の胸にグサリとくるのが多いです。 キャラ子なんか「都合のいい女」なんてのにハッとさせられ、自分はどうなんだろうとよく考えたもの..。 あっ、でも昔の話。いまはぜんぜん!! この言葉もテレビドラマ「愛しすぎなくてよかった」の主題歌の中にある一節なんですね。 でも「愛しすぎたら愛は死ぬ」に共感しても、「愛しすぎなくてよかった」は釈然としないな。 「愛しすぎたら・・」の方には、 ”愛するあまり相手も自分も束縛してはいけない! それを「愛は死ぬ」という最もつらい言葉で、何とか伝えたい!” そんな内館牧子の親心を感じるんです。 でも「愛しすぎなくてよかった」には冷ややかなものを感じてしまいます。 もし、「愛しすぎたら・・」を戒めにして愛が成就(結婚とは限りませんよ。念の為。)したとして、彼女は「愛しすぎなくてよかった」と思うでしょうか。否、「愛し方を間違わなくてよかった」とは思うでしょうけれど..。 恋愛にまつわるエッセイだけかと思ったら、それはほんの一部。このタイトルではそれも当然のことですね。エッセイはどれも共感できるものだけど「女と年齢」「女と仕事」「プロフェッショナル」は全面的に賛成。「仕事が趣味」にはビックリ。この掲示板の「No.017 マスターしたいことは仕事にするのが主義」で同じこと言っている! 「本を忘るるものは、すべて空なり」をキャラ子も肝に命じ、「安楽の夢」「父の足音」で胸がキュンとなった。村上龍との対談には思わず声を出して笑ってしまった! ■文部省 国語審議会 委員 ■放送番組向上委員会・協議会 委員 ■(財)日本顕彰会 評議員 ■(財)日本国際フォーラム 政策委員会 言論人政策委員 ■TOKYO FM番組審議会 審議委員 ■学校法人 資生堂学園 理事 ■日本相撲協会 横綱審議委員会 委員 秋田生まれの東京育ち。 武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業入社。 13年半のOL生活を経て、1988年に脚本家デビュー。 内館牧子先生って。。。 巧まざるリアリティ溢れる場面展開と「そうそう!」と思わせるセリフの内館作品。とてもナチュラルに現実とだぶっている感を覚えるのではないでしょうか。 ご来校の折も、学生に、教職員スタッフにまるで親しい友人に対してのようなとびきりの笑顔で気さくに声を掛けてくださる先生なのです。 一流企業のOLから押しも押されぬ人気脚本家への転身。好きなことをJOBとして実現した誰もが夢見るサクセスストーリー。そんな先生にも実は世の中は甘くはなかった。 [ 切ないOLに捧ぐ](講談社)は必読!先生が更に身近に感じると共に、きっとあなたに元気パワーを届けてくれるはずです。 (資生堂学園 総務グループ:伊藤恵美子) (1/4page) うちだて まきこ 内館牧子さん 脚本家。日本放送作家協会会員。 昭和23年秋田県生まれ。 昭和46年武蔵野美術大学デザイン科卒。 OLを経てシナリオライターに。 昭和58年よりNHKラジオドラマの脚本を担当。 昭和60年NHKテレビ朗読ドラマ「男どき・女どき」、平成4年NHK朝の連続テレビ小説「ひらり」を執筆。 作品に映画「BU・SU」、テレビのトレンディードラマ「想い出にかわるまで」、「クリスマス・イヴ」、「あしたがあるから」、「寝たふりしてる男たち」、「都合のいい女」、小説「リトルボーイ・リトルガール」、「義務と演技」、エッセイ「切ないOLに捧ぐ」などがある。 平成9年NHK大河ドラマ「毛利元就」で初の時代劇を手がける。 平成10年国語審議会委員となる。現在はこの4月から放映されるNHK朝の連続テレビ小説「私の青空」に取り組む。 平成3年SJ賞、平成5年第1回橋田寿賀子賞受賞。 趣味は大相撲観戦。 連続テレビ小説 「私の青空」台本 -------------------------------------------------------------------------------- はじめての東京は 街頭テレビの中の力道山。 私は出身は秋田なんですけれども、小学生の頃から東京に住んでいますので、生まれは秋田、育ちは東京といったところでしょうか。はじめての東京のイメージは強烈な印象として残っているんですけれどテレビの中の力道山なんです。5歳のとき、昭和29年の2月でしたが、親戚の結婚式で上京しまして、そのとき父が私を背負って神社の境内の街頭テレビを見せに連れて行ってくれたんです。たくさんの人たちが小さな、もちろん白黒のテレビの画面に釘づけになっていて、TVに映る力道山の黒いタイツをはっきりと覚えています。私、4歳の頃から大相撲がすきで、相撲の知識はありましたけれど、プロレスははじめて見ました。倒れても負けにならない格闘技があるんだというのが新鮮だったんです。大人になってこの話をしますと、「そんな昔のこと覚えている訳がない」と人にいわれて、悔しくなって調べましたら、昭和29年というのは力道山の試合がはじめてTVで放映された年だったんです。何かつよい結びつきのようなものを感じますね。 大学時代は新宿の混沌さ。 OL時代は青山の洗練さ。 私は大学時代はほとんど授業に出ていませんでしたね。学校が国分寺だったものですから足が向くのは新宿で、よく朝までお酒を飲んでいました。道端に寝転がったりすることもあって。新宿のぐちゃぐちゃな混沌としたところが魅力でしたね。野良猫とカラスしかいない夜明けの新宿を友達と「ごはんでもたべようか」なんて2日酔いのぼーっとした頭で歩いていて、ふと見上げた空が悲しいほど青かったのが思い出として残っています。大学を卒業して企業のOLになりました。勤め先は横浜、住まいも横浜に移りました。OL時代の東京は私にとって逃げ場でしたね。これといったやりがいのある仕事も任せられず顔を見れば「まだ結婚しないの?」と嫌味をいわれるような職場から解放されるための。だから休日は朝から青山に出て、なんとなく歩いているだけで洗練されてくるような雰囲気のなかでストレスをいやしていました。休日、横浜にいるとどうしても仕事を引きづってしまうんですね。だから友達と食事をするのも青山、買物をするのも青山という感じで。秋になったら青山学院のいちょう並木で銀杏を拾ったりして。そんな時間がいちばんほっとできるひとときでしたね。 青山 -------------------------------------------------------------------------------- どこかもろくて脆弱な セクシーさのある東京タワー。 私、NHKの朝の連続テレビ小説「ひらり」の脚本を書きまして、そのとき「ひらり」は私から東京への8000枚のラヴレターだとよくいっていたんですけれども、仕事を終えて、しばらくパリで生活していたんです。そして久しぶりに成田からリムジンバスで東京に帰ってきまして、窓の外の夜景に東京タワーが見えてきたとき、「あぁ、私はやっぱり東京がすきだ」と実感しました。東京の魅力は混沌とした新宿とか洗練された青山とか人間味のある浅草だとか、ひとつのエリアにこれだけ多面体の魅力ある街がそろっているというところだと思います。そしてどこかもろくて脆弱なセクシーさのあるところ。 パリ帰りに見た東京タワーはエッフェル塔にくらべて随分きゃしゃな姿でしたけれど、それでも「オレは東京の顔だから精一杯がんばって立ってるんだぞ」っていうけなげさがあって。 東京タワー 私、はじめて東京タワーの足元に行った時、赤富士を見た時と同じような感動を受けたんです。煌々とした照明に煽られて、いかにもこの足で踏んばっているんだという迫力があって。東京には人のつくったものの凄さがあふれてますね。 さよなら20世紀 ーカメラがとらえた日本の100年ー」 東京都写真美術館 2000年3月22日(水)〜5月26日(金) 力道山対ルー・テーズのタイトルマッチ(東京・後楽園) 1957(昭和32)年10月9日 毎日新聞社提供 大相撲の魅力は 江戸前のいさぎよさ。 私は4歳の頃から紙相撲で遊ぶほど大相撲がすきで両国の国技館にもよく足を運びます。いただきもののチケットのときはいい席で見ますけれども、そうでないときは、上のほうの席で歌舞伎を一幕だけ見て帰るような気軽さで。幕下以下の取り組みは1日おきなので2日続けて見に行ったり、中日8日目は番付にのっていない力士の出世披露があるので楽しみです。一場所15日のうち6日くらい見に行くこともあります。大相撲っていうのは誰が何といってもやっぱり江戸前のものですよ。江戸の男のいさぎよさを感じますね。私は秋田生まれですけど気質は江戸っ子です。小さいとき、ピアノを習わされていたんですけれども、なんだかピンと来なくて。それより、父が聞かせてくれた小唄のほうに興味があったんです。いまはちょっとおやすみしてるんですけれども、新橋の金春芸者のお師匠さんのところに小唄と三味線のお稽古にかよっていたこともあるんです。三味線っていうのはだいたいここが4、ここが1って見当で弦をおさえるでしょ。いいかげんなんだけれど、うまくなるとぴしゃっ、ぴしゃっ、っておさえて、気前がよくてさらっとしていて。キップのいい江戸そのものなんですよ。最近、新しい地下鉄の名前が大江戸線に決まったけれども、こういう大胆なセンスのある命名なら私は大賛成ですね。 両国国技館 生活感のある街もあって 東京が成り立っている。 ドラマの中で描く東京はジャンルによって違いを出しますけれど、一時のHanako族とかアンノン族がよろこぶようなおしゃれな街は私はあまり舞台にしないんです。そういう場所をテレビの画面に切り取ると、軽くなってしまうんですよね。以前、「都合のいい女」っていうドラマを書いたときに、主人公は型紙をつくるために、からだじゅうにピンを刺されるうらぶれたモデルだったんですけれど、このモデルを代官山だけには住まわせたくなかったんです。それで設定を五反田の川沿いのワンルームっていうより、一間って感じの部屋にして。地方の人からは「あんな生活臭のする東京は見たくなかった」ともいわれたんだけれども、生活感のある街も東京だし、おしゃれな街も東京なんです。しっかりと地面に足をつける街があって、はじめておしゃれな街も成り立っていく。どっちが偉いという訳ではない。武蔵小山とか戸越銀座みたいなざっくばらんな街もあって、それこそ田園調布とか成城とかすました街もあって、築地とか深川とか人情味のある下町もある。そういう多面性が豊かな東京をかたちづくっていると思うんです。この4月から放映されるNHKの朝の連続テレビ小説「私の青空」は青森の港町と築地の魚河岸が舞台です。築地はべらんめぇのまさに江戸っ子の世界ですけれどもこれもまたおもしろいひとつの東京ですね。この脚本に取り組んでいて思ったんですけれども北の港町の気風と江戸っ子気質には似たところがありますね。気前のよさ、さらりとして男らしいところが。 -------------------------------------------------------------------------------- 東京的なるものの ありのままを見てほしい。 地方から上京する人に東京を案内するとしたら、まずは絵葉書的なる東京を見せたいですね。オーソドックスなんですけれども、緑にあふれる静かな皇居とか、東京タワーを間近で足元から見てもらうとか、モダンな銀座とか、朝早くないとだめですけれども、築地の魚河岸とか、あ、それから、半端でない若者の街として渋谷もね、どの年代の人にも見てもらいたいですね。そういうものをぜんぶ見てもらって多面体の東京を納得してもらいたい。たべものもね、東京でフレンチをたべることはないと思うんです。駒形のどじょうとか、神田のそばとかね。おみやげなら長命寺の桜もちとか東京羊羹のどらやきとか。いわゆる東京的なもののありのままを体験してもらって、多面体のごった煮の東京を感じてほしいと思うんです。東京は底の厚い街ですよ。渋谷で茶髪で「っちゅかねー」なんて、言葉も全然違うような若者もいたりして。ニューヨークが最近ではきれいになりすぎちゃったから、東京がいちばん「魔都」と呼ぶにふさわしい、どこか危なげな魅力をもった街なんじゃないかしら。東京を男か女かと聞かれたら、迷わず男。ちょっとお調子者で脆弱でもろくて、だけどつっぱってる。考えてみたら、私の男のタイプそのものですね。