佐藤 優





・人物と思想


佐藤優が「外務省のラスプーチン」と呼ばれ、鈴木宗男事件に絡む背任容疑と、偽計業務妨害容疑で再逮捕され、512日間拘留されている時、私は佐藤優のことを知らなかった。

佐藤優の思想と学問について知るようになったのは佐藤優が文筆家になってからである。

『国家の罠−外務省のラスプーチンと呼ばれて』、『自壊する帝国』、『甦るロシア帝国』、『私のマルクス』などの作品を読むにつけて、私は佐藤優の思想に惹きつけられた。

外務本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として活躍した時の出来事を綴った作品群はロシア知識人やロシアの思想状況、ソビエト崩壊時の国民の生活などについて、貴重な情報をもたらしてくれる。

そこで私は佐藤優の本を熱心に読んでいた頃、佐藤優のことをコラムにまとめようとしたが、佐藤優の人生と思想を完全にまとめ上げようと欲を出した結果、その全体像が大きすぎて必要な時間が取れず、まとめきれなかった。

読んだ直後に書けばよかったが、時が経つにつれて、読んだ本の内容を思い出すことが出来なくなり、結局、書くのが今になってしまった。


佐藤優は、同志社大学神学部で、組織神学、無神論を学び、大学時代は学生運動にも参加した。

研究のテーマは、チェコの神学者・ヨセフ・ルクル・フロマートカの思想であり、『チェコスロバキアの社会主義政権とプロテスタント神学の関係について」をテーマにしていたようだ。

※ヨセフ・ルクル・フロマートカは、チェコスロバキアで反ソ主義を標榜した反体制派と見なされていたようである。


同大学大学院神学研究科前期課程を修了し、神学修士号を取得、その後、外務省の専門職員募集に応募し、ノンキャリアの専門職員として外務省に入省している。


・読書家で博識


佐藤優は、大変な読書家で、博識である。

『自壊する帝国』の中で、佐藤優は、学生時代にいくつ語学を勉強したかという質問に対して、「大学では英語、ドイツ語とロシア語、それから専門との関係では独学でチェコ語を勉強しました」と答えている。

また「古典語はやったか」という質問に対し、「ラテン語と古典ギリシア語、コイネー・ギリシア語(新約聖書のギリシア語)は一生懸命勉強しました。べブライ語も一応、勉強しましたが、辞書と注解書がなくては旧約聖書をきちんと読むことはできません。(旧約聖書の一部文献が書かれている)アラム語は、残念ながら勉強する機会がありませんでした」と回答している。

つまり、古典を読むためにラテン語やコイネー・ギリシア語などに手をだし、ヘブライ語まで学習している。

また別の読書についての著作によれば、役に立つ古典として、『論語』、『孫子』、『維摩経』、『法華経』、『旧約聖書』、『新約聖書』、『古事記』、『太平記』、『国家』、『形而上学』、『歴史序説』、『方法序説』、『モナドロジー(単子論)』、『純粋理性批判』、『精神現象学』、『論理学研究』、『論理哲学論考』、『存在と時間』、『善の研究』などの古典を羅列し、古典を読むことの重要性を説いている。佐藤優自身、考えの基礎は、これらの古典がベースになっているのだという。

古典文学や古典の知識と言えば木星であり、木星が5室に絡んでいなければならない。

従って、そのような観点から私は、佐藤優のラグナを蟹座に設定した。



また現在、佐藤優は非常に学問や真理の探究において真摯であり、またテレビに出ずに著作に専念し、時々、講演や講義を行っている。

このような性質は蟹座のプシュヤではないかと思われる。性格的な特徴からプシュヤの性質が滲み出ている。

特に私自身が、何故、佐藤優の著作にこれ程までに入れ込んだかということを考えると、おそらく私の4室蟹座に自室の月と5室支配の太陽がプシュヤに在住しているからである。

だからラグナがプシュヤである佐藤優の著作を夢中で読んだのではないかと思うのである。



・ロシア崩壊の目撃者及び、ロシア保守思想の解説者



佐藤優はソビエト連邦の崩壊に立ち会い、そのソビエト国内の混乱や過渡期の政治状況を目撃した稀有な体験の持ち主である。

1987年9月から1988年5月までモスクワ国立大学言語学部に留学しているが、ソビエトでは科学的無神論を国是としているため、科学的無神論の研究という建前で、神学や宗教学、また西側の資本主義などを研究していたという。

この留学時に沿バルト三国出身のモスクワ大学哲学部の学生で、政治活動家のアレクサンドル・カザコフ(サーシャ)と出会っている。

当時、共産主義イデオロギーというものがもはやソビエト連邦の国民を束ねる求心力を失っていたので、それに代わるものを求めていたサーシャは、二十世紀初めのロシアの「道標派」と呼ばれる哲学者たちの思想に注目していた。

「道標派」はレーニンが最も嫌悪した思想家のグループで、当時、ソ連では禁書になっていたという。「道標派」の代表者は、ニコライ・ベルジャーエフ、セルゲイ・グルガーコフである。

『自壊する帝国』には道標派について以下のように説明が為されている。

彼らは、19世紀のロシアにマルクス主義を導入した大学教授たちだ。日露戦争に行き詰ったロシアでは1905年に一種の市民革命が起きるが、そのときにベルジャーエフらは論文集「道標」を出版。そのなかでロシアの病理現象は腐敗した体制だけでなく、全ての問題を社会のせいにして人間性に潜む悪を直視しないマルクス主義者や革命思想家にもあると批判し、ロシア土着の保守思想を構築する必要を訴えた。いわば転向者である。

サーシャは、ベルジャーエフ、フランクの論議に即しながら、ゴルバチョフのペレストロイカ路線、特にインテリやモスクワ市民から人気の高いエリツィン(当時、モスクワ市共産党第一書記、後のロシア大統領)をこきおろした。

「共産主義体制下でロシア人は、『どれだけ分け前を得られるか』という分配にしか関心をもたない。急進ペレストロイカ派で鳴らしているエリツィンにしても、共産党官僚の特権打破というスローガンでポピュリズムに訴えているが、国家に訴えれば何かが出てくるという発想自体が間違いだ。ロシア人はもう一度生産に目を向けなくてはならない。そのためには、マルクス・レーニン主義という腐りきったイデオロギーと一日も早く訣別し、ロシア正教の伝統に則った保守主義を復活させなければならない」

(『自壊する帝国』より引用抜粋)


サーシャは反体制派の活動家であり、保守思想の持ち主である。

このように佐藤優は、非常に右寄りの保守イデオロギーの持ち主と交友を広げる人物なのである。

実際、佐藤優が親しくした鈴木宗男も保守的な人物で、非常に蟹座的な人物である。

鈴木宗男の支持基盤である北海道も蟹座の都市である。私は以前、札幌に行った時にそこで歩いている市民が蟹座的な人々で満ちていることを確認した。

広大な北海道という土地を開拓するために移り住んだ人々は、リバータリアン的な人物が多く、蟹座的な個人主義者が多いようなのである。


・イヴァン・イリインの保守思想

因みにサーシャは、後にベルジャーエフの思想も批判し、イワン・イリインの思想をロシアに甦らせることが必要であると主張する。

イワン・イリインはロシアにおける最も優れたヘーゲル哲学の解釈者であり、イワン・イリインは1918年に『神人の具体性に関する言説としてのヘーゲル哲学』というテーマで博士号を取得している。

イリインは、ナチズムをボリシェビズムと並ぶ文明の病理現象と考え、ヒトラーを徹底的に批判した。ただし、ヒトラーのファシズムとイタリアのファシズムを区分し、ファシズムについては、知的水準が高く、資本主義がもたらす社会問題を共産主義以外の処方箋で解決しようとするものと認めるが、個人の自由を侵害するので、採用するべきでないとする。むしろファシズムから学びファシズムを超克しようとするのである。

(中略)

イリインは、個人の自由をあくまでも担保し、「生産の哲学」によって国内の生産性を向上させることを基本に、植民地からの収奪という形をとらない形態にファシズムを転換しようとしたというのが、サーシャの解釈だった。

(『自壊する帝国』より引用抜粋)

プーチン大統領はこのイリインの信奉者であり、ロシアにおいて自らをヘーゲルの言う世界精神の顕現と見なして、一種のファシズム、帝国主義による現実政治を行おうとしていたと、佐藤優は考えていた。

現在、欧米と距離を置き、独自の路線を歩むプーチンのロシアはこの佐藤優が予言した通りの情勢となっている。

以前、『国際主義と民族主義(カント哲学とヘーゲル哲学)』というブログ記事の中でも書いたが、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』とは、このイワン・イリインの思想の焼き直しであるという。

従って、民主主義を世界に普及する帝国主義思想について述べているのである。


佐藤優の著作を読んでいるとファシズムは共産主義に嫌悪した人々による政治運動であるとして、ファシズムの積極的な意味づけについて述べている箇所が多い。

これは佐藤優が接触する人物のほとんど全てが、保守イデオロギーの高度な知識人や哲学者だからである。

佐藤優は同志社大学で学生運動もしたことがあるが、マルクス主義について以下のように記している。

大学、大学院の六年間を通じ、私は高校時代を含め、過去に自分がマルクス主義者であったことは、実は一度もなかったのだということを確信した。同時に、資本主義の内在的論理についてマルクスが『資本論』で解明した論理は、超克不能であるということも納得した。しかし、私にとってマルクス主義は行動に規範にならない。行動の規範は、あくまでもイエス・キリストである。なぜなら、イエス・キリストを救世主と信じる者は、誰よりも現実をより精確かつ深く理解できるからであるという信念をもつようになったからだ。(佐藤優『私のマルクス』)



・蟹座ラグナ(プシュヤ)


私はこれらのことから佐藤優を蟹座ラグナに設定し、その上で、ダシャーバランスを修正した。

すると、佐藤優が外交官として、活躍した時代はマハダシャーがラーフ期となり、佐藤優が外務省を辞めた後、文筆家として、沢山の著作を世に出し始めたのがマハダシャーが5室に在住する9室支配の木星期に移行してからである。

その中には、ロシアの外交官時代の経験について綴ったものや、インテリジェンスについて語ったものや、様々なものがある。



ラーフ期はラーフが乙女座3室に在住し、ディスポジターの水星が12室(海外)支配で6室に在住して、土星、火星と接合しているため、奮闘の日々であったことが分かる。またラーフ/水星期に佐藤優は離婚を経験している。

ラーフのディスポジターである水星は6室に在住し、アンタルダシャーの水星は6室に在住している。


・離婚と父親の病気

この時、トランジットの木星が6室支配の木星にリターンし、また11室支配の金星に接合していたが、トランジットの土星が8室から6室支配の木星と11室支配の金星にアスペクトして、6室(離婚)と11室(離婚:6室から6室目)にダブルトランジットが生じている。



またこの時、父親が癌で長期入院していたというが、ダシャーはラーフ/水星期で、父親の9室から見るとラーフは7室(マラカ)に在住し、水星は7室(マラカ)の支配星であった。

従って、ヴィムショッタリダシャーで、離婚と、父親の病気が説明できる。

またマハダシャーラーフ期において、佐藤優は、外交官として、ロシアにずっと勤務していたが、ラーフは3室に在住して、ディスポジターの3、12室支配の水星が6室に在住して、土星と火星と接合して傷ついている辺りは、外交官としての厳しい諜報活動を表していることが分かる。

当時、外交官としての給与がよかった佐藤優は、ロシアの政治家や知識人を料理店に接待などして、優位な立場に立っていた。

これは6室の射手座に水星、火星、土星が在住する配置そのものである。

経済的におごることで相手よりも優位に立っていたのである。但し、相手は皆、射手座が象徴するように非常に有能な人物たちである。

当時のロシアの経済状況から、有能な人物たちも、佐藤優の経済的援助がありがたかったということである。


・再婚、引っ越し



そして、2005年5月の木星/木星期に再婚して、引っ越ししている。



2005年5月のトランジットを見ると、5月6日から土星が蟹座に入室し、蟹座から見て7室に木星と土星がダブルトランジットしている。

また蟹座から見て引っ越しの3室に木星と土星がダブルトランジットしている。

従って、離婚と引っ越しが説明できる。


検証の途中で、蠍座ラグナの可能性もあり得ると考えていたが、然し、結婚や離婚時のダシャーやトランジットを確認すると、佐藤優の出生図は、蟹座ラグナでなければならないようである。

因みに佐藤優は、愛国者で、北方領土問題では、鈴木宗男と共に返還を模索し、またヘーゲル哲学の研究者で、帝国主義思想のイヴァン・イリインの政治思想やイタリアのムッソリーニのファシズムに対しても、好意的である。


つまり、蟹座−牡羊座ラインの行動規範やイデオロギーに彼は共感している。

インテリジェンスも、国家への忠誠心や愛国心がなければそれは無意味である。

インテリジェンス自体が、ナショナリズムなのである。


西暦 年月 出来事 V.Dasha C.Dasha Transit

1968年

  小学三年時に半田ゴテを握って、父親と一緒にラジオを組み立てる。

太陽/水星、太陽/ケートゥ

   
1971年  

小学6年生の時にアマチュア無線の資格を取る。
夏休みに肝炎にかかり、学校を三ヶ月長期休学する。

月/火星、月/ラーフ    
1975年   埼玉県立浦和高等学校に入学。同年夏に東欧・ソ連(当時)を一人で旅する。 月/土星
月/水星
   
1979年   卒業後、1年間の浪人生活を経て同志社大学神学部に進学。

主に緒方純雄、野本真也、樋口和彦、渡邉雅司教授等に師事し、組織神学、無神論を学ぶ。また、在学時代には学生運動にも傾倒した。同大学大学院神学研究科前期課程を修了し、神学修士となる。研究のテーマは「チェコスロバキアの社会主義政権とプロテスタント神学の関係について」。特にチェコの神学者、ヨセフ・ルクル・フロマートカに強い興味を持ち、外務省の専門職員募集に応募した。
月/金星
月/太陽
   
1985年 4月 ノンキャリアの専門職員として外務省に入省(2度目の受験で合格) 火星/金星    
  5月 欧亜局(現在は欧州局とアジア大洋州局に分割)ソビエト連邦課に配属された。なお、当時のソ連課長は野村一成、首席事務官は宮本雄二(後の駐中国大使)であった。 火星/金星    
1987年 8月末 ロンドン郊外ベーコンズフィールドの英国陸軍語学学校(Defence School of Languages)でロシア語を学んだ後、1987年8月末にモスクワ国立大学言語学部に留学した。 ラーフ/ラーフ    
1988年   在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務(〜1995年)
ラーフ/ラーフ    
1991年 8月 クーデターの際、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生死について東京の外務本省に連絡する。 ラーフ/木星    
1998年   国際情報局分析第一課主任分析官(課長補佐級、佐藤のために急造されたポストといわれる)となり、橋本龍太郎首相とボリス・エリツィン大統領のクラスノヤルスク会談にもとづく2000年までの日露平和条約締結に向け交渉する。

また、外交官として勤務するかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の講師(弁証法神学)や東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務める。
ラーフ/ケートゥ
ラーフ/金星
   
1991年 9月 日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた、鈴木宗男の通訳と車の手配などを佐藤が行った件を機に知り合い、鈴木と関係を築く。主任分析官となった背景にも鈴木の威光があったといわれる(鈴木とともに仕事をし、鈴木から「外務省のラスプーチン」というあだ名をつけられたと佐藤は『上柳昌彦のお早うGoodDay!』(ニッポン放送)において主張している。 ラーフ/木星    
1995年 3月

モスクワから帰国した直後に離婚
父親が癌で長期入院する

ラーフ/水星
   
2000年 1月 ガブリエル・ゴロデツキー(テルアビブ大学教授)夫妻がイスラエルから日本に招待される。

※本件の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いで逮捕される
ラーフ/金星    
2000年 3月 国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札で、鈴木の意向を受け、三井物産が落札するように違法な便宜を図ったり支援委員会の業務を妨害したとの疑いをかけられる。

※北方領土支援にからむ偽計業務妨害容疑
ラーフ/金星    
  4月 テルアビブ大学主催国際学会「東と西の間のロシア」に7名の民間の学者と外務省から6人のメンバーが派遣される。

※本件の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いで逮捕される
ラーフ/金星    
2002年 2月22日
4月
鈴木宗男に絡む疑惑が浮上したことによる連座する形で、2月22日に外交史料館へ異動。4月に外務省を混乱させたとして給与20%一カ月分の懲戒減給を受ける。 ラーフ/太陽    
2002年 5月14日 鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕。 ラーフ/太陽    
  7月3日 偽計業務妨害容疑で再逮捕 ラーフ/月    
2003年 10月 保釈 ※512日間拘留される ラーフ/月
ラーフ/火星
   
2005年 2月 東京地方裁判所(安井久治裁判長)で執行猶予付き有罪判決(懲役2年6ヶ月 執行猶予4年)を受け控訴する。 木星/木星    
2005年 3月 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版。
自身にかけられた一連の容疑・判決を「国策捜査」であると主張。
第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。
木星/木星    
2005年 5月 再婚し、引っ越しをする 木星/木星   土星:双子座→蟹座
木星:乙女座逆行
2006年   魚住昭、宮崎学らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。 木星/木星    
2007年 1月31日 二審の東京高等裁判所(高橋省吾裁判長)は一審の地裁判決を支持し控訴を棄却。 木星/土星    
2008年 8月20日
9月3日
小林よしのりが「SAPIO」(8月20日・9月3日合併号小学館)連載の『ゴーマニズム宣言』で佐藤優批判を3ページに渡って掲載。

※佐藤優が『琉球新報』の連載で「沖縄は全体主義の島だ」と主張する一論客を非難したことに対するもの。
木星/土星    
2008年   佐藤から「言論弾圧」が加えられたとして『わしズム』の廃刊を宣言。 木星/土星    
2009年 6月30日 最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)は2009年6月30日付で上告を棄却し、期限の7月6日までに異議申し立てをしなかったため、判決が確定した。 木星/土星    
2010年   外務省時代の体験を元にした漫画「憂国のラスプーチン」の原作を手がける(伊藤潤二作画、長崎尚志脚本)。 木星/水星    
wikipedia 佐藤 優 より引用抜粋、一部編集


(参考文献・資料)

wikipedia 佐藤 優