| 西暦 | 年月 | 出来事 | V.Dasha | C.Dasha | Transit | 
         
          | 1968年 |  | 小学三年時に半田ゴテを握って、父親と一緒にラジオを組み立てる。 | 太陽/水星、太陽/ケートゥ |  |  | 
         
          | 1971年 |  | 小学6年生の時にアマチュア無線の資格を取る。 夏休みに肝炎にかかり、学校を三ヶ月長期休学する。
 | 月/火星、月/ラーフ |  |  | 
         
          | 1975年 |  | 埼玉県立浦和高等学校に入学。同年夏に東欧・ソ連(当時)を一人で旅する。 | 月/土星 月/水星
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          | 1979年 |  | 卒業後、1年間の浪人生活を経て同志社大学神学部に進学。 
 主に緒方純雄、野本真也、樋口和彦、渡邉雅司教授等に師事し、組織神学、無神論を学ぶ。また、在学時代には学生運動にも傾倒した。同大学大学院神学研究科前期課程を修了し、神学修士となる。研究のテーマは「チェコスロバキアの社会主義政権とプロテスタント神学の関係について」。特にチェコの神学者、ヨセフ・ルクル・フロマートカに強い興味を持ち、外務省の専門職員募集に応募した。
 | 月/金星 月/太陽
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          | 1985年 | 4月 | ノンキャリアの専門職員として外務省に入省(2度目の受験で合格) | 火星/金星 |  |  | 
         
          |  | 5月 | 欧亜局(現在は欧州局とアジア大洋州局に分割)ソビエト連邦課に配属された。なお、当時のソ連課長は野村一成、首席事務官は宮本雄二(後の駐中国大使)であった。 | 火星/金星 |  |  | 
         
          | 1987年 | 8月末 | ロンドン郊外ベーコンズフィールドの英国陸軍語学学校(Defence School of Languages)でロシア語を学んだ後、1987年8月末にモスクワ国立大学言語学部に留学した。 | ラーフ/ラーフ |  |  | 
         
          | 1988年 |  | 在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務(〜1995年) 
 | ラーフ/ラーフ |  |  | 
         
          | 1991年 | 8月 | クーデターの際、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生死について東京の外務本省に連絡する。 | ラーフ/木星 |  |  | 
         
          | 1998年 |  | 国際情報局分析第一課主任分析官(課長補佐級、佐藤のために急造されたポストといわれる)となり、橋本龍太郎首相とボリス・エリツィン大統領のクラスノヤルスク会談にもとづく2000年までの日露平和条約締結に向け交渉する。 
 また、外交官として勤務するかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の講師(弁証法神学)や東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務める。
 | ラーフ/ケートゥ ラーフ/金星
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          | 1991年 | 9月 | 日本が独立を承認したバルト三国に政府特使として派遣されてきた、鈴木宗男の通訳と車の手配などを佐藤が行った件を機に知り合い、鈴木と関係を築く。主任分析官となった背景にも鈴木の威光があったといわれる(鈴木とともに仕事をし、鈴木から「外務省のラスプーチン」というあだ名をつけられたと佐藤は『上柳昌彦のお早うGoodDay!』(ニッポン放送)において主張している。 | ラーフ/木星 |  |  | 
         
          | 1995年 | 3月 | モスクワから帰国した直後に離婚父親が癌で長期入院する
 | ラーフ/水星 
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          | 2000年 | 1月 | ガブリエル・ゴロデツキー(テルアビブ大学教授)夫妻がイスラエルから日本に招待される。 
 ※本件の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いで逮捕される
 | ラーフ/金星 |  |  | 
         
          | 2000年 | 3月 | 国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札で、鈴木の意向を受け、三井物産が落札するように違法な便宜を図ったり支援委員会の業務を妨害したとの疑いをかけられる。 
 ※北方領土支援にからむ偽計業務妨害容疑
 | ラーフ/金星 |  |  | 
         
          |  | 4月 | テルアビブ大学主催国際学会「東と西の間のロシア」に7名の民間の学者と外務省から6人のメンバーが派遣される。 
 ※本件の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いで逮捕される
 | ラーフ/金星 |  |  | 
         
          | 2002年 | 2月22日 4月
 | 鈴木宗男に絡む疑惑が浮上したことによる連座する形で、2月22日に外交史料館へ異動。4月に外務省を混乱させたとして給与20%一カ月分の懲戒減給を受ける。 | ラーフ/太陽 |  |  | 
         
          | 2002年 | 5月14日 | 鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕。 | ラーフ/太陽 |  |  | 
         
          |  | 7月3日 | 偽計業務妨害容疑で再逮捕 | ラーフ/月 |  |  | 
         
          | 2003年 | 10月 | 保釈 ※512日間拘留される | ラーフ/月 ラーフ/火星
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          | 2005年 | 2月 | 東京地方裁判所(安井久治裁判長)で執行猶予付き有罪判決(懲役2年6ヶ月 執行猶予4年)を受け控訴する。 | 木星/木星 |  |  | 
         
          | 2005年 | 3月 | 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版。 自身にかけられた一連の容疑・判決を「国策捜査」であると主張。
 第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。
 
 | 木星/木星 |  |  | 
         
          | 2005年 | 5月 | 再婚し、引っ越しをする | 木星/木星 |  | 土星:双子座→蟹座 木星:乙女座逆行
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          | 2006年 |  | 魚住昭、宮崎学らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。 | 木星/木星 |  |  | 
         
          | 2007年 | 1月31日 | 二審の東京高等裁判所(高橋省吾裁判長)は一審の地裁判決を支持し控訴を棄却。 | 木星/土星 |  |  | 
         
          | 2008年 | 8月20日 9月3日
 | 小林よしのりが「SAPIO」(8月20日・9月3日合併号小学館)連載の『ゴーマニズム宣言』で佐藤優批判を3ページに渡って掲載。 
 ※佐藤優が『琉球新報』の連載で「沖縄は全体主義の島だ」と主張する一論客を非難したことに対するもの。
 | 木星/土星 |  |  | 
         
          | 2008年 |  | 佐藤から「言論弾圧」が加えられたとして『わしズム』の廃刊を宣言。 | 木星/土星 |  |  | 
         
          | 2009年 | 6月30日 | 最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)は2009年6月30日付で上告を棄却し、期限の7月6日までに異議申し立てをしなかったため、判決が確定した。 | 木星/土星 |  |  | 
         
          | 2010年 |  | 外務省時代の体験を元にした漫画「憂国のラスプーチン」の原作を手がける(伊藤潤二作画、長崎尚志脚本)。 | 木星/水星 |  |  | 
         
          | wikipedia 
            佐藤 優 より引用抜粋、一部編集 |