1931年12月11日 名前 オショー・ラジニーシ 

Bhagwan Shree Rajneesh--controversial religious leader

12/11/1931, 11:43 AM UT, 26N30, 80E30

職業、経歴 宗教家 | 業績、作品  出生地 チベット 

(略歴−資料)

1952年3月21日 21才の春花が開くように悟りを開く サガール大学哲学科を首席で卒業 ジャバルプール大学で9年間哲学科教授として過ごした後、全国遊説へ 1974〜78年  ポンペイ郊外プーナのアシュラムで講話「イエス・仏陀・老子・荘子・ソクラテス から達磨・馬祖などの禅師に至る賢者を題材に、全ての賢者を語り尽くす 1989年2月 和尚ラジニーシと改名 1991年 「禅宣言」の講和を最後に死去(60歳)奇しくも出口王仁三郎と同じ月日である/ 世界中で刊行されている講話録は600冊以上に及ぶ

精神世界の夢と幻滅 1970年代から80年代にかけて若者やインテリの間で人気のあったインド人グル、バグワン・シュリ・ラジニーシとその教団に関する内幕暴露物。著者はラジニーシのボディガードであり側近のひとりだったイギリス人男性。ヒッピー文化華やかな60年代に青春を迎えたロマンチックな青年が「精神世界」に魅かれ、インドに行き、世界的な組織の中枢部に入り込み、裏切られ、幻滅を覚えて教団を去るまで、実に生き生きとリアルに描かれていて、多少なりとも「精神世界」に魅かれた人であれば、わがことのように息詰まる思いをするのではないだろうか。いわゆるグル、それも飛びきり知的だと目されていたグルのカリスマと空虚な内実がここまであらわになったことはないと思う。精神世界に関わる運動の典型例として、一読!価値はある。訳文は非常に読みやすい。

インドの神秘思想家バグワン・シュリ・ラジニーシの教団。ラジニーシはインドのサガール大学哲学科を主席で卒業し、その後インドのプーナにアシュラムを開く。教団は1981年に本拠をアメリカのオレゴン州に移すが、フリーセックスを説く教義などから住民の反発を招き、1985年10月に逮捕されて国外追放となった。

インド、ムンバイ(ボンベイ)から車で4時間位のプーナ(プネー)に、 1990年に肉体を離れたインドの巨星、和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)のコミューンがあります。 今も瞑想とヒーリングのメッカとして多くのひとがコミューンを訪れています。 コミューンの中では、和尚の開発した数多くの瞑想法やヒーリングのグループやトレーニングコースが行われています。 オーラソーマ、フラワーエッセンス、サイキックマッサージ、スリーインワン・コンセプツ、カラーパンクチャー、クラニオセクラル・・・ と数え上げればきりがないほどのヒーリングの技法がこのコミューンを経由し日本にもたらされました。 1999年の12月から2000年の2月までの滞在した3カ月の間、本当に多くの癒しと気づきを経験することができました。 コミューン内部の写真撮影は許可が必要だったので、コミューン周辺の写真を紹介します。