野口みずき

【生年月日】:1978年7月3日 

【出生地】:神奈川県

【出生時間】:不明

中学1年から陸上を始めた。宇治山田商業高校時代には3000mでインターハイに出場、駅伝でも活躍した。1997年にワコールに入社したが、翌年10月、会社と対立した藤田信之監督がコーチと少数の選手を連れて辞任すると、野口もこれに従った。一時は失業給付を受けながらも現役を続行。1999年2月、監督らとともにグローバリーに入社した。この年の犬山ハーフマラソンに優勝したのをきっかけに、ハーフマラソンを中心に取り組むようになる。1999年の世界選手権では2位、2001年全日本実業団で優勝するなどその活躍はめざましく、「ハーフの女王」として知られた(2004年1月の宮崎女子ロードレース大会優勝までハーフマラソンでは24戦14勝、日本人に負けたのは2度だけである)。身長150cmと小柄ながらも、強い筋力を生かしたストライド走法の力強い走りが持ち味。

マラソン歴 2002年3月、初のフルマラソンとなる名古屋国際女子マラソンで優勝。2003年1月には大阪国際女子マラソンを2時間21分18秒という当時日本歴代2位の記録で制した。同年8月の世界陸上選手権パリ大会では銀メダルを獲得して、アテネオリンピックの代表に内定した。 2004年8月22日(日本時間23日)、アテネ五輪のマラソン(女子)にて優勝候補筆頭の世界記録保持者ポーラ・ラドクリフやキャサリン・ヌデレバらの強豪をおさえて優勝。シドニーオリンピックの高橋尚子に続き、日本に2大会連続のオリンピック女子マラソン金メダルをもたらした。記録は2時間26分20秒。25キロからの鮮やかなロングスパートだった。 故郷の三重県伊勢市では、高校時代の野口の練習コースの道が「みずきロード」と命名された。 また長野県では、野口の国内練習拠点である菅平高原クロスカントリーコースが「野口みずきクロカンコース」と命名された。

【主なレースデータ】

1999年10月 世界ハーフマラソン選手権 (ハーフマラソン) 1時間09分12秒 2位

2001年8月 世界選手権 エドモントン大会 (10000m)   32分19秒94  13位

2002年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間25分35秒 優勝

2003年1月 大阪国際女子マラソン大会 2時間21分18秒 (日本国内最高記録) 優勝

2003年8月 世界選手権 パリ大会 2時間24分14秒 銀メダル

2004年2月 青梅マラソン(30km) 1時間39分09秒(日本最高記録)優勝

2004年8月 アテネオリンピック 2時間26分20秒 金メダル

(データはウェブ上より引用)

チャートの持ち主はアテネオリンピックの女子マラソンで優勝した野口みずき選手である。

出生時間が分からないため、12:00でチャートを作成すると、月はローヒニーで高揚しており、テレビ画面で見る彼女はいつも朗らかで明るいため、月が高揚していることが納得できるのである。

然し、一方で、悪徳先物業者で名高いグローバリーに所属し、明るい性格をしている一方で、暗い部分も顔をのぞかせるのである。

ヴィムショッタリダシャーは出生時間が正確でないため使えないが、もし出生時間がそれ程、12:00から離れていないのであれば、幼少期と青年期はマハダシャー火星期と次いで、ラーフ期だったのであり、アテネオリンピックに優勝して桧舞台に立つまでにはかなりの苦労があったことが予想される。そしてアテネオリンピックに優勝した頃から、マハダシャーが木星期にシフトしたのだと考えると、長い苦労の末にようやく、幸福がやってきたという人生のシナリオが描かれるのである。

注目すべきはアテネオリンピックで優勝した2004年8月頃にトランジットの土星がアシュタカヴァルガのビンドゥー値が6/33と非常に高いハウスを通過していたことである。(土星は2002年8月に一度、双子座に入り、逆行したりなどして、本格的に双子座に入ったのが2003年4月頃で、2004年9月に一度、蟹座へ移った後、逆行して完全に蟹座に移ったのが2005年6月頃である)

この時、土星は蟹座にシフトする最後の度数辺りを通過中で、ぎりぎり双子座に留まっていたようであり、土星が6点である好影響を受けられる最後のタイミングだったようである。

実際、このアテネ・オリンピックで優勝するかなり前から彼女は非常に調子が良かったようで、土星が双子座に入室する直前から、アテネオリンピックの当日までの間に優秀な成績を収め、アテネ五輪代表選考においても1年前の2003年8月ごろに早々の内定を受けている。

 

【土星が双子座トランジットする直前、及び通過中の成績】

2002年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間25分35秒 優勝 (※双子座に入る直前だったが、4/33の牡牛座を通過中だった)

2003年1月 大阪国際女子マラソン大会 2時間21分18秒 (日本国内最高記録) 優勝

2003年8月 世界選手権 パリ大会 2時間24分14秒 銀メダル

2004年2月 青梅マラソン(30km) 1時間39分09秒(日本最高記録)優勝

 

この頃の心境を本人自身が語った内容を(資料)より以下に引用するが、アテネオリンピックのかなり前から、野口選手自身が非常に調子が良いことを自覚していたようである。

『 「自分でも順調すぎて怖いんです。アテネ本番までこの調子で行ければいいんですけど」  アテネ五輪まであと4カ月に迫った4月25日、兵庫リレーカーニバル・1万mで野口みずき(グローバリー)は自己記録を30秒近くも更新した。昨年8月の世界陸上から課題のひとつとして取り組んできたスピード練習の成果をレースで実証してみせた。 「目標にしていた31分30秒を9秒も切ることができたのでよかったです。次は30分台を狙いたいですね」 代表の座を野口が手にしてから、既に8カ月がたっている。 』

【2004年8月23日、アテネ五輪優勝】

 

因みに最近のニュースによれば、彼女が所属するグローバリーが顧客の資金返還に応じなかったとして経済産業省などの行政処分を受けた上、愛知県警の家宅捜索もあり、信用が失墜し、商品先物取引業を自主廃業したという。そして、グローバリーは野口みずき選手の移籍も示唆しているという。

性格が明るく朗らかな彼女の幸運な雰囲気からすると、唯一、このグローバリーの一件が非常にマイナスで暗いイメージをもたらしているが、これは獅子座に在住する土星と火星の象意であることは容易に推測される。先物取引などの投機は獅子座の象意であり、この獅子座に土星と火星がコンジャンクトし、暴力的行為や、乱暴で不正な手段などを示唆しているのである。

この土星と火星が月から4室に在住するため、彼女は落ち着いて安定したアシュラム(道場)を得られないことを意味している。従って、グローバリーに移籍する前も、1997年にワコールに入社したが監督である藤田信行氏が会社と対立して辞任したため、やむなくワコールを辞めて、その後、失業給付を受けながら、現役を続行するというように非常に居場所に苦労する傾向があることが分かる。

土星は2007年7月頃に獅子座に移行するが、この獅子座における土星のビンドゥー値が0/18で非常に危険な数値を示している。

土星は月から見て、4室に在住し、6室と10室、そして、1室の月にアスペクトする。つまり、月から見て4室と月を傷つけており、強制労働、借金、闘争の6室と仕事の10室にアスペクトしている。

従って、上述したようにアシュラムを失ったり、居場所がなくなるなどの貧しく過酷な境遇になる可能性を示唆しており、母親、故郷、家、土地などの4室の象意において、非常に問題が生じる可能性が高く、それらが心理的な負担となることが予想されるのである。

そして、この頃のダシャーが木星/土星であるかもしれず、そうすると、2007年7月付近を土星のアンタルダシャーの時期に修正する時刻修正も検討の余地がありそうである。

従って、野口みずき選手はもっと上を目指したいと意気込みを語っているようであるが、土星が獅子座にシフトする2007年7月以降の成功は難しいのではないかと思われるのである。

土星はサターンリターンであり、これはちょうど、人生で新たに成熟した大人としての責任を背負うようになる転機を意味している。このサターンリターンを期に人生が大きく変化し、何らかの責任を背負う社会的立場に立たされるケースが多いようである。

従って、何らかのイベントにより彼女の今後の人生が大きく変化していくことが予想されるのである。

これらの状況の中で肯定的な要素は木星のトランジットであるが、2007年11月頃に射手座6/30に移行し、月から4室の獅子座土星、火星にアスペクトする。

従って、土星の凶意を木星が射手座をトランジットする1年間は、若干、弱める働きをすることが期待できる。

 

もう一つ注目すべき点は、火星のビンドゥー値が月から見て9室山羊座で0/22と低いことである。これは父親、監督などが血の気が強く、喧嘩っ早い傾向があるかもしれない。

山羊座は火星が高揚する星座であるが、その山羊座でビンドゥー値が低いため、吉星として働く要素の少ない火星が強い凶意を発揮することを意味しているのである。

ワコールを辞めた原因が監督の会社との対立であるように、監督や父親は血気盛んであり、ある時、非常に凶暴になり、害を及ぼすのかもしれない。

つまり、監督の事情で、会社を辞めなければならなくなったのであり、監督に振り回されている形になるのである。

 

最後に2004年8月23日、アテネオリンピックで優勝した時のトランジットを調べてみると、木星、太陽、火星、水星が獅子座をトランジットしており、土星、金星が双子座をトランジットしていた。ビンドゥー値はそれぞれ、木星5点、太陽3点、火星3点、金星3点、水星4点であり、やはり、木星と土星の点数が高いのが影響したと思われる。火星がほぼ同じ度数にリターンしていた時でもあり、強い火星のバイタリティを発揮したかもしれない。月は蠍座で減衰していたようである。

このように直近で、土星の試練が待っていると思われるが、アテネ五輪を境にマハダシャー木星期に入ったと思われ、競技者としての最盛期は終わったかもしれないが、今後の人生は全体としては幸運が保証されているのではないかと思われる。

 

(資料)

野口みずき(のぐちみずき) 出身地:三重県伊勢市 生年月日:1978年7月3日 学歴:宇治山田商業高卒 身長:150cm 体重:40kg 中学1年生から陸上を始める。 高校2・3年で高校総体3000メートルに出場。 平成9年ワコールに入社。11年グローバリーへ移籍。 実業団では3年目の99年に世界ハーフマラソン選手権で2位。 フルマラソンでは昨年の名古屋国際、今年の大阪国際と2戦連勝している。 3月9日に行なわれた全日本実業団ハーフマラソンでは大会新記録で優勝している。

野口 みずき(のぐち・みずき) 1978年7月3日生まれ。三重県出身、150センチ、40キロ。三重・宇治山田商高からワコール入社。1999年に藤田監督とともにグローバリーに移籍。ハーフマラソンが得意で、世界ハーフ選手権は1999年2位、2000年、2001年はともに4位。2001年世界選手権は1万メートルで13位。2002年3月の名古屋国際でマラソン初挑戦で優勝。2003年1月の大阪国際を2時間21分18秒の日本歴代2位で制し、8月の世界選手権(パリ)で銀メダルを獲得、早々と五輪代表に内定した。

野口みずき 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 野口 みずき(のぐち みずき、1978年7月3日 - )は、日本の女性マラソン選手である。神奈川県出身。三重県伊勢市で育つ。グローバリーに所属する。血液型はO型。150cm,40kg。 目次 [非表示] 1 陸上選手歴 2 マラソン歴 3 主なレースデータ 4 外部リンク [編集] 陸上選手歴 中学1年から陸上を始めた。宇治山田商業高校時代には3000mでインターハイに出場、駅伝でも活躍した。1997年にワコールに入社したが、翌年10月、会社と対立した藤田信之監督がコーチと少数の選手を連れて辞任すると、野口もこれに従った。一時は失業給付を受けながらも現役を続行。1999年2月、監督らとともにグローバリーに入社した。この年の犬山ハーフマラソンに優勝したのをきっかけに、ハーフマラソンを中心に取り組むようになる。1999年の世界選手権では2位、2001年全日本実業団で優勝するなどその活躍はめざましく、「ハーフの女王」として知られた(2004年1月の宮崎女子ロードレース大会優勝までハーフマラソンでは24戦14勝、日本人に負けたのは2度だけである)。身長150cmと小柄ながらも、強い筋力を生かしたストライド走法の力強い走りが持ち味。 [編集] マラソン歴 2002年3月、初のフルマラソンとなる名古屋国際女子マラソンで優勝。2003年1月には大阪国際女子マラソンを2時間21分18秒という当時日本歴代2位の記録で制した。同年8月の世界陸上選手権パリ大会では銀メダルを獲得して、アテネオリンピックの代表に内定した。 2004年8月22日(日本時間23日)、アテネ五輪のマラソン(女子)にて優勝候補筆頭の世界記録保持者ポーラ・ラドクリフやキャサリン・ヌデレバらの強豪をおさえて優勝。シドニーオリンピックの高橋尚子に続き、日本に2大会連続のオリンピック女子マラソン金メダルをもたらした。記録は2時間26分20秒。25キロからの鮮やかなロングスパートだった。 故郷の三重県伊勢市では、高校時代の野口の練習コースの道が「みずきロード」と命名された。 また長野県では、野口の国内練習拠点である菅平高原クロスカントリーコースが「野口みずきクロカンコース」と命名された。 [編集] 主なレースデータ 1999年10月 世界ハーフマラソン選手権 (ハーフマラソン) 1時間09分12秒 2位 2001年8月 世界選手権 エドモントン大会 (10000m)   32分19秒94  13位 2002年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間25分35秒 優勝 2003年1月 大阪国際女子マラソン大会 2時間21分18秒 (日本国内最高記録) 優勝 2003年8月 世界選手権 パリ大会 2時間24分14秒 銀メダル 2004年2月 青梅マラソン(30km) 1時間39分09秒(日本最高記録)優勝 2004年8月 アテネオリンピック 2時間26分20秒 金メダル

黒井克行=文 text by Katsuyuki Kuroi  「自分でも順調すぎて怖いんです。アテネ本番までこの調子で行ければいいんですけど」  アテネ五輪まであと4カ月に迫った4月25日、兵庫リレーカーニバル・1万mで野口みずき(グローバリー)は自己記録を30秒近くも更新した。昨年8月の世界陸上から課題のひとつとして取り組んできたスピード練習の成果をレースで実証してみせた。 「目標にしていた31分30秒を9秒も切ることができたのでよかったです。次は30分台を狙いたいですね」 代表の座を野口が手にしてから、既に8カ月がたっている。 「パリでの世界陸上の直後は、表彰とかイベントに時間をとられてしまって、思うように練習ができませんでした。予定していた10月の世界ハーフを走れませんでしたし、11、12月のハーフマラソンも優勝できましたが、思っていたような記録が出せずじまいでした。結局、本格的に練習ができたのは12月に入ってからですね」  残念そうに語る野口だが、その頃はまだ東京国際(11月16日)が終わったばかりである。高橋尚子(スカイネットアジア航空)の失速で代表選考が混沌とした状況になったなか、野口はアテネ五輪に向けて本腰を入れ始めていた。彼女と行動をともにしている廣瀬永和(ルビ:ひさかず)コーチが当時を振りかえる。 「野口の言うとおり、代表内定以降は、取材が殺到して、環境の変化にとまどうこともありました。世界陸上の直後は、練習の質も量も落ちてしまったことは事実です。彼女もおそらくストレスを感じていたでしょう。でもたまっていた肉体的な疲労を回復できたという風に捉えることもできるわけで、12月以降はきちんと練習もできましたし、毎月1本のレースに出て調整してきたので、プラス材料の方が多かったのはまちがいないですね。  欲を言えば、駆け引きができるような競ったレースも経験させたかった。競り合った上で勝つことも経験しないと、オリンピックのような大きな大会では、苦労するかもしれませんからね。まあ、野口のスタイルでは、どうしても一人でピョンと飛び出して、そのままゴールまで行ってしまうんですよ」  年が明けてからは、奄美大島、中国・昆明、熊本と合宿地を変えながら、ハードなトレーニングを続けてきた。その結果は、予想よりも早く目に見える形で現れた。今年最初のレースとなった1月の宮崎女子ロード(ハーフマラソン)で、自己ベストを35秒更新。つづく2月の青梅マラソンでは30kmを1時間39分09秒と高橋がもっていた大会記録を2分48秒も更新した。高低差87・5m、前半上り、後半下りという青梅マラソンのコースはアテネのコースを連想させる。それは野口自身も意識していた。 「高橋さんの大会記録を破るぞ、って思いながら走っていました。それにオリンピックに似たコースを調子よく走れたことはやっぱり自信になりました」  廣瀬コーチも言う。 「あのペースでいけば、フルマラソンだと2時間20分もきれます。しかも、アップダウンが激しいコースだったので、あらためて彼女が力をつけてきていることを実感したし、もう少しで堂々と世界と戦えるじゃないか、と思いましたね」  野口の口ぶりからは、後半にスピードが落ちなかったことが大きな自信につながっていることもうかがえる。 「直前の昆明合宿ではクロスカントリーのコースを走って、スピードの持久力を支える脚筋力を強化してきました。その成果がさっそく出た? うーん、まだまだですね(笑)」  今のフルマラソンでは後半の走りが順位、タイムに大きな影響を及ぼしている。代表を勝ち取った世界陸上で野口は、スピード強化の必要性を実感させられた。途中まで先頭集団を引っ張っていたものの、キャサリン・ヌデレバ(ケニア)の32km付近からのスパートについていくことができなかった。完全に力負けだった。 「あのときもヌデレバさんについていこうと思っていたのに、30kmまでに石畳のコースで消耗してしまって、足が動かなかったんです。離された瞬間にスピードを上げるなんて、とてもじゃないけどできなかった」  熊本での合宿中も、坂道を往復するという練習をくりかえしていた。こうした補強ができるのも、昨年のうちに内定を勝ち取ったからできることだろう。時間に余裕がなければ、結果を急いで故障につながったり、逆に怪我を恐れて思い切った練習ができなくなってしまう。 「パリではアテネ行きを決めることができましたし、国内での選考レースを走らずに済むという時間的な余裕もあたえてくれました。それに後半のスピードという課題も見つかりました。もしかしたら、パリは私のこれからの陸上人生における原点になるかもしれません」  3月15日に行なわれた代表選考は、大きな波紋をよぶ結果となった。国内における3つの選考レースを見ていた野口の頭の中を複雑な気持ちがよぎっていた。 「実績のある選手たちが集まった大阪国際、名古屋国際をテレビで見て、ゾッとしたんです。大阪国際はあれだけのメンバーだからすごいタイムが出ると思っていたんですが、あそこまで遅いペースになって驚きました。世界陸上で内定を取れていなかったら、たぶん私も大阪国際を走っていたと思うんです。それを考えたら……。  私も走ったことがある名古屋国際では、土佐(礼子・三井住友海上)さんのねばり強い走りを見て、ゴールの時にテレビの前で感動してましたね。オリンピックに懸ける執念を感じたし、土佐さんの気合いが私にも伝わってきました」 (以下、Number603号へ) <プロフィール> 1978年7月3日、三重県伊勢市生まれ。宇治山田商を卒業後、'97年にワコールに入社。'98年10月、藤田監督(当時)の退任にともない退社し、'99年、藤田監督とともにグローバリーへ。'99年札幌ハーフマラソン2位。同年10月の世界ハーフで2位などの実績から「ハーフの女王」と呼ばれるようになる。'02年3月の名古屋国際でマラソン初挑戦し、2時間25分35秒で優勝する。昨年の世界陸上パリ大会では2位に入り、アテネ五輪代表に内定した。150cm、40kg

【マラソン】野口みずきが「金」、伝説の地で「最強王者」の名刻む  やった、連覇だ、金メダルだ! 陸上女子マラソンで、野口みずき(26)=グローバリー=が2時間26分20秒で金メダルを獲得した。前回シドニー五輪の高橋尚子に続く優勝で、日本勢が五輪2連覇を達成した。マラソン発祥の地で、日本の新エースが最高の走りを見せた。土佐礼子(28)=三井住友海上=は5位、坂本直子(23)=天満屋=は7位入賞。マラソンで日本女子代表が3人全員入賞するのは初めて。〔写真:金メダルだ。先頭でゴールテープを切った野口。ワタシがイチバンよ=撮影・奈須稔〕 ◇  壮麗なパナシナイコ競技場に沸く大歓声の中に、1メートル50、40キロの小柄なランナーが飛び込んできた。野口だ! 00年シドニー大会の高橋尚子に続く2大会連続の「金」へのラストスパート。猛追するヌデレバを振り切るように、ゴールへの一歩、また一歩に観衆のボルテージが高まる中、新女王が歓喜のゴールに身を躍らせた。  「すごくうれしいです。ラスト勝負は不利。25キロすぎからラストスパートしろといわれてました。頑張ってきてよかったです」。ゴール直後に嘔吐するほど激しいレースだった。係員に連れられ医務室へ。戻ってきてから、喜びを爆発させた。  2位ゴールのヌデレバとの差は12秒。歴代最も過酷といわれたコースで繰り広げられた歴史に残るデッドヒートを、小さな体でしのいだ。25キロ付近で“本命”ラドクリフのペースが落ちると、27キロでスパートを仕掛けて単独トップに立った。4年前、高橋の金メダルをテレビで見て心に誓った夢の舞台。栄光を後押ししたのは、家族のきずなと深い愛情だった。  中学時代、三重県大会で好成績を挙げて、周囲から強豪高への進学を勧められた。だが、姉、兄はともに中学卒業と同時に就職。「みずきだけ高校に行かせるのもどうか」という両親に姉と兄が訴えた。「自分たちのぶんまで、みずきを高校に行かせてほしい」。  指導法をめぐる対立から所属するワコールを退社した藤田信之監督と行動を共にしたため、4カ月は無職で練習を続けた。苦しい環境、先行きの見えない将来…。それでも笑顔を絶やさない野口が、周囲に明るさをもたらした。ヌデレバの猛追で、一時は30秒以上あった差が40キロでは12秒まで縮められたが、苦労して野口に走るチャンスを与えてくれた家族のことを考えれば、苦しいレースも辛くはなかった。  沿道で応援した母・春子さん(53)は「こんなドキドキしたことはない。足が震えてきました」と目を潤ませた。アテネ市民のためマラトンからアテネまでを走り命を落とした戦士の伝説から生まれたマラソン競技。そのアテネで、最愛の家族のためにすべてを出しきった42・195キロ。伝説の地に残した野口の足跡は、いま新たな伝説となった。 (牧慈)  野口みずき(のぐち・みずき) 1978(昭和53)年7月3日、三重・伊勢市生まれ、26歳。三重・宇治山田商高からワコールを経て99年からグローバリー。初マラソンの02年名古屋国際で優勝。03年は1月の大阪国際を日本歴代2位の2時間21分18秒で制し、8月の世界選手権で銀メダルを獲得してアテネ五輪代表を決めた。大きなストライド走法が持ち味。1メートル50、40キロ。  ◆ハーフの女王 世界ハーフマラソン選手権に4度出場、99年は銀メダル。ハーフ24戦で日本選手に負けたのは高橋尚子ら2人だけ  ◆犬は嫌い 中国・昆明合宿中の2週間は世界遺産の町並みが広がる麗江で走りこみ。その際、野良犬に尻をかまれた。中国語で「野口」はイエコウ、「犬」もイエコウで、発音が似ているが、大嫌いになった  ◆サザン アテネには自分で編集したMDを6枚持参。サザンオールスターズの「君こそスターだ」を聴きまくっていた  ◆チーム野口 長期合宿にマンツーマンで帯同する広瀬永和コーチ(38)ら総勢8人のスタッフがサポート。この1年間の活動資金は総額5000万円超  ◆マグロ マグロの刺し身が大好物。5人前くらいはペロリと平らげる。好き嫌いはなく、焼き鳥も大好物だ  ◆イラスト 絵を描くのが好き。アニメっぽい絵が得意で、手紙には必ずイラストを添える  ◆命名 みずきの名はハナミズキからとられた。東京が米ワシントンに桜を贈ったお返しとして贈られた花がハナミズキ。さまざまな人種が支えあって生きている米国のように、いろんな人と支え合いながら生きてほしい、という父の願いがこめられている  ◆家族 父・稔さん(51)、母・春子さん(53)。姉・友代さん(36)、兄・尚徳さん(31)、弟・正宏さん(24) データBOX ▼野口の金メダルで日本勢の今大会における獲得金メダル数は13個となり、72年ミュンヘン大会に並んで日本歴代2位となった。史上最多は64年東京大会の16個で、レスリング女子、野球などの有望種目が続く今後での記録更新に大きな期待がかかってきた。 ▼84年ロサンゼルス大会から正式種目となった女子マラソンだが、00年シドニー大会までの金メダル獲得国は米国、ポルトガル、EUN、エチオピア、そして日本。野口の快走で、日本は史上初の2大会連続の金メダル獲得国となった。 ★そのとき★  野口の金メダルに兄・尚徳さん(31)は顔をこわばらせ、「信じられない。追い上げられて心配した。メダルおめでとうと言ってあげたい」と話した。沿道の応援からゴールの瞬間を見るため競技場に駆け付け、汗だく。  父・稔さん(51)は沿道でトップの野口を待つ際、「中学校、高校の先生に『この子は将来がある』と言われていたことが現実に…。おい、本当かよという表現しかない」と落ち着かない様子。一緒にいた母・春子さん(53)は「こんなにドキドキしたことはない。飛ばしすぎて大丈夫だろうか。駄目にならないか心配。足が震えてきました」と目を潤ませていた。 ◆シドニー五輪金メダルの高橋尚子は、合宿中の米コロラド州ボールダーで声援 「野口さん、すごい!テレビ放映がなかったので、電話で経過を聞きながら応援した。映像がなくても大興奮。最後は日本のテレビの音声を聞かせてもらって電話口で叫びながら応援した。土佐さんも坂本さんも入賞して本当によかったです」 ★鈴木博美★  野口さんの鮮やかな作戦勝ちでした。あらかじめ勝負のポイントを25キロ過ぎと決め、そこで迷うことなく仕掛け、追いすがってきたアレムを27キロ過ぎの再スパートで引き離しました。もともとは下りを苦手としていただけに、ならば後半の長く続く下りに入る前にできるだけリードを奪い、あとは逃げ切るという青写真通りの勝利でした。  レース前のインタビューで「スタミナに関しては不安はない」と話していた通り、逃げ切るだけの準備は十分にしていました。下りを得意とするヌデレバとのタイム差は最終的に12秒でしたが、25キロ過ぎでのスパートがなければ逆転されていたかもしれません。本命のラドクリフが本調子だったとしても、野口さんはあの場面で勝負をかけていたはずです。作戦を含めた準備、仕掛ける度胸、苦手を克服した努力。歴史に残る素晴らしい金メダルだったと思います。 (97年アテネ世界陸上金メダリスト、現姓伊東)  ◆藤田信之監督 「30キロまで待っていたら勝機はなかった。外国人のストライドと山道を考え、早めにスパートをかけろといった。指示どおりです」  ◆陸上・沢木啓祐監督 「改良点はあるが、結果的には最高の成績となった。筋力トレーニングとメニューを慎重に選択し、コースに合った場所を選んでトレーニングした成果だ」  ◆竹田恒和・日本選手団団長 すごいですね。よく頑張った。4年前の高橋(尚子)のゴールを思い出した。最後まで実力を出し切ってくれて感無量です。選手の努力に感謝したい」 ★過酷なコース、世界記録保持者ラドクリフも涙のリタイア  世界記録保持者で優勝候補に挙げられていたラドクリフ(英国)が、まさかのアクシデント。36キロで突然スピードを緩め、力なく歩いてしまった。思い直して走りだしたが、やはり力は戻らず、最後は座り込んだ。金メダルの夢がかなわず、無念さに体を震わせ、涙を流していた。

野口みずき グローバリー陸上部の存続厳しく 2005年8月6日(土) 10時16分 毎日新聞 拡大写真  商品先物取引業務の廃止を5日に発表したグローバリーは、アテネ五輪女子マラソン金メダリスト、野口みずきらが所属する陸上部の活動を休止する見込みとなった。選手らは移籍を迫られるが、藤田信之監督は同日「(廃部などは)全く何も聞いていない。会社がはっきりと方針を示すまでは、これまでと同じように頑張るだけ」と話した。  野口は現在、9月のベルリン・マラソンに向けてスイス・サンモリッツで合宿中。藤田監督は他の選手を率いて北海道・士別で合宿を行っている。野口には「精神的な負担をかけたくない」(藤田監督)ため、業務廃止などについては伝えていないという。  藤田監督と野口らは、前所属のワコールを退社した後、無所属の時期を経て99年にグローバリー入りした。同社の不祥事について、藤田監督は「(問題が出始めた時)会社から『迷惑をかけて申し訳ない』と言われたが、私は構いませんと答えている。周囲から、イメージが悪いから別の会社(移籍)を考えた方がいいとも言われるが、そんなことをするつもりはない」と話した。  また、野口の母春子さん(54)=三重県伊勢市=は「ニュースを見てびっくりしている。もし所属が変わったとしても、体に気を付け、北京五輪を目指して走り続けてほしい」と話している。 [ 8月6日 10時16分 更新 ]

野口みずき、陸上部廃部で移籍へ  アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずき(27)が所属する先物取引大手のグローバリー(名古屋市)は5日、基幹業務の商品先物取引業について自主廃業すると発表した。陸上部に関しては今後、廃部を検討する姿勢を示した。野口の処遇については9月25日のベルリン・マラソンまでは支援する、とした上で今後の移籍を示唆した。またこの日、藤田監督はスイス・サンモリッツで高地合宿中の広瀬コーチに、当面は従来通り活動するように伝えたことを明かした。野口は21日の帰国予定を取りやめスイス合宿を延長、直接ベルリン入りする見込みだ。

商品先物取引業から撤退 グローバリー、処分受け  グローバリー(名古屋市)は5日、基幹業務の商品先物取引業から撤退する、と発表した。経済産業省などから業務状況の虚偽報告をしたとして行政処分を受けたことなどで信用が失墜、今後の商品先物取引業務の継続が困難と判断した。  商品投資販売業務からも撤退する。撤退日は9月30日。同社は、投資家の資金は返却する、としている。  同社は、主力業務を廃止することで、名古屋証券取引所の上場廃止基準に抵触する可能性があるという。不動産業と金融業は引き続き、事業を継続する、としている。  同社に所属するアテネ五輪、女子マラソン金メダリストの野口みずき選手の処遇については未定としている。  (了) 2005年08月05日17時00分

愛知県警、グローバリーを商品取引所法違反容疑で家宅捜索 【ライブドア・ニュース 07月15日】− 商品先物取引大手のグローバリー<8745>は15日、愛知県警生活経済課が同日、同社本社と東京、大阪、札幌の3支店を商品取引所法違反の疑いで、家宅捜索したことを明らかにした。同社は、農林水産省と経済産業省から、今年4月と6月に商品取引所法違反で行政処分を受けているが、今回の家宅捜索はこの行政処分との関連で実施されたものとしている。   同社広報課は、家宅捜索を受けたことについて、「今後も当局の捜査に協力していく」としている。グローバリーの陸上部には、2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずき選手が所属している。【了】 ライブドア・ニュース 岩城伸也記者 (参照:http://blog.livedoor.jp/cowboymstn/) この記事に関するお問い合わせ先:newscenter@livedoor.net 2005年07月15日18時02分

商品先物取引、自主廃業 グローバリー、処分受け  先物取引大手のグローバリー(名古屋市)は5日、基幹業務の商品先物取引業について自主廃業すると発表した。  顧客の資金返還に応じなかったとして経済産業省などの行政処分を受けた上、愛知県警の家宅捜索もあり、信用が失墜。今後の同業務の継続が困難と判断した。  同社陸上競技部に所属するアテネ五輪、女子マラソン金メダリストの野口みずき選手の処遇については、今後の移籍を示唆した。ただ、9月25日のベルリン・マラソンまでは支援する、としている。  商品投資販売業務も廃業。廃業日は9月30日。不動産業と金融業は続けるという。同社は「預かった投資家の資金や株式は速やかに返す」としている。  名古屋証券取引所は、同社の営業収益のほとんどを占める商品先物取引業からの撤退が、上場廃止基準に該当する恐れがあるとして、2部上場の同社株を監理ポストに割り当てた。  (了) 2005年08月05日20時49分