1963年12月9日 時間不明 東京都 

皇太子妃 雅子 (こうたいしひ・まさこ)

チャートの持主は父親に外務省、西の横綱と言われる小和田恒を持ち、徳仁皇太子と結婚し、皇室に入ったのである。

ダイアナ妃と同じように一般人から皇室に入門したのであり、非常に突然の地位の向上を経験したのである。

チャンドララグナから7室目に魚座定座も木星が在住し、ガージャケーサリーヨーガを形成し、記憶力、長寿、知性、名声、成功に恵まれる配置をしているが、特にこれは配偶者からの幸福となりやすいと思われる。7室は海外との貿易、外交という意味もあり、外交官として活躍し、非常に地位が高く、優れた人々との交流があったことを示している。

然し、チャンドララグナの両側には惑星がなく、ケーマドルマヨーガであり、身近に気軽に付き合える相手がいないことが考えられる。左右に天王星、冥王星、海王星が在住しているが、占星術的に凶星に位置付けられるので、周囲には、自分の味方でない人々に囲まれているということかもしれない。天王星は形、制度、冥王星は権力、意志、海王星は理想主義を表し、これらの象徴的人物たちに周囲を取り囲まれて、非常に窮屈な思いをしているかもしれない。

然し、7室はおそらく徳仁皇太子を表していると思われるが、魚座の木星という人々の理想の対象、崇拝される対象となる最も日本的な配置である。これが配偶者のカラカであり、月から7室に在住していることから、間違いなく、徳仁皇太子を表していると思われる。そして、カラカとしてではなく、本人の力量としてみても魚座の木星は人々に徳を施す、奉仕性に富んだ木星で、献身的で人の上に立つ人物、人の理想となる人物となる才能を示す。(池田大作がこの配置であるが、彼が尊敬できるかどうかは別にして、一応、魚座の木星を持っている)

木星は父親、上司のカラカであり、外交官の小和田亙はその象徴的存在である。日本をトップで動かす人物である。

1−7室のガージャケーサリヨーガは、特に配偶者絡みの上記の象意に関する幸福を表していると考えられる。

また、5室には定座の土星が在住しているが、5室は、学問、創造、妊娠、娯楽、文化、趣味などを表す。5、6室支配の土星が強い状態で在住しているので、これらの象意における発展と6室の象意である障害が生じることが考えられる。学問、創造、妊娠に関しては、着実に堅実に歩み、遅延をもたらすが最終的には成就できることを示している。妊娠も周囲に期待されてプレッシャーの中、遅延が生じ、最終的に成就したと考えることができる。また、5室は子供を表すが、子供による幸福と子供との障害を表している。娯楽、趣味、文化に関しては、古風で、伝統美を好み、皇太子の登山の趣味と共通点があり、性格もこの点で性格もよく一致していると思われる。

月から4室に惑星集中で、7室木星であり、基本的に家庭と配偶者がチャートの持主を心理的に支える存在である。4室には、2、9室支配の金星、1、10室支配の水星、3、8室支配の火星、ケートゥが在住し、金星にケートゥが緊密にコンジャンクトし、彼女は心理的に解放的な感情表現や快楽主義に浸ることができない、禁欲主義的な傾向があることを示している。

9、10室のラージャヨーガを形成し、家庭は仕事に結びついており、仕事は奉仕活動である。また9、10室のコンビネーションで、家庭は非常に地位が高い家庭で皇室である。

火星が3、8室支配で凶星化していることから、何か彼女の心を攻撃する攻撃的人物が皇室内に居たり、その人物を通じて、困難、苦悩が生じていると考えることが出来る。

乙女座ラグナにとって、火星は凶星化する。乙女座ラグナの知人がよく、威張っている人が大嫌いと言っていたことがあるが、それは火星の表示体的人物が知人を攻撃したからであろう。

ケートゥが在住しているので、金星の開放感を存分に発揮できないのである。

彼女の場合、月から見て、4室惑星集中、太陽から見て、2室惑星集中で、両方とも両親や家族、家庭が人生の主な舞台であり、そこでドラマが展開していくことを示している。

女優でも魚座が強い女優、アンジェリーナジョリーなどは、大衆のサインの求めには必ず応じるサービスの良さを示すという。魚座の木星も同様で、常に大衆の理想と

なるように大衆に対して、手を振るのである。

結婚が決まった時の雅子妃、記者会見の時は常にはしゃぐことのない落ち着いた大人の態度を示す。

定座の土星、木星の強さが光る。

車中から大衆に向かって手を振る雅子妃、魚座木星の務めである。

 

 

(資料)

皇太子ご夫妻、結婚後の歩み 平成5年  6・9 皇太子さま、雅子さまご結婚  6・25 ご夫妻で初めて地方ご訪問。伊勢神宮など参拝  8・13 雅子さま、初の里帰り。皇太子さまも小和田家を初訪問 6年  7・6 ご夫妻、旧赤坂御所を改修した東宮御所に引っ越し 11・5 ご夫妻で初めて海外へ 7年  1・20 ご夫妻、クウェートなどご訪問。阪神大震災に配慮し、日程を短縮して帰国される 8年 12・6  雅子さま、33歳の誕生日を前に初の単独記者会見 11年  6・26 雅子さま、妹の小和田節子さんと渋谷健司さんの結婚披露宴にご出席 12・10 「雅子さま、懐妊の兆候」との報道 12・13 雅子さま、宮内庁病院で検査。宮内庁「懐妊と発表できる段階にない」と発表 12・30 雅子さま、稽留流産と診断、手術を受けられる 12年  6・16 香淳皇后逝去 11・19 ご夫妻、雅子さまの妹の小和田礼子さんと池田祐久さんの結婚披露宴にご出席 13年  2・20 ご夫妻で長野・奥志賀高原でゲレンデスキー  4・4 雅子さま、「風邪のため」京都ご訪問取りやめ  4・16 雅子さまにご懐妊の兆候と宮内庁発表  4・18 紀宮さまの誕生日を祝う夕食会に出席  5・15 雅子さまのご懐妊を正式発表  7・10 雅子さまの安産願い「内着帯」 10・26 雅子さま、安産願い「着帯の儀」 11・30 雅子さま出産のため入院 12・1 雅子さま、女のお子さまご出産 12・7 「命名の儀」が行われ、お子さまのお名前は「敬宮愛子(としのみや・あいこ)」さまと宮内庁発表 12・8 雅子さま、敬宮愛子さまご退院 12・9 雅子さま38歳のお誕生日、ご一家3人で迎えられる

 

 

 

皇太子妃雅子さまが1カ月ぶりに帰京  長野県軽井沢町の別荘に滞在していた皇太子妃雅子さま(40)が26日夜、長女愛子さま(2)を伴い、車で東京・元赤坂の東宮御所に戻られた。3月25日に別荘に入って以来、約1カ月ぶりの帰京。午後8時前、両窓にカーテンを引いたワゴン車で東宮御所の正門に到着した。  記者会見した宮内庁の林田英樹東宮大夫は「自然の中で静かに、よい静養生活を送れた」とする一方「必ずしも体調は十分に回復したとは言えない」と話し、今後もしばらくは公務を休み、東宮御所で静養を続けるとしている。  5月に王室の結婚式などに招かれた欧州3カ国には、皇太子さまだけでの訪問が決定しているが、林田氏によると、雅子さまは各国からの招待に謝意を示し「体調回復に努めてきましたが、これらの大切な務めを果たすことができず、残念に思っています」と話しているという。  別荘では愛子さま、母親の小和田優美子さん(66)と過ごし、時折、任地のオランダから一時帰国した父の恒さん(71)や親族も訪れた。晴れた日には散策したり、愛車のハンドルを握ったりもしたという。  林田氏は「静かな環境を守りたい」と、現地での取材自粛や記事で滞在町名を伏せることを報道各社に求めていた。(共同) [2004/4/26/23:10]

 

 

 

雅子さまの愛と喜び     ついに全国民待望久しい新宮さまが誕生した!!母親となった皇太子妃雅子さまその生い立ちから、華麗なる経歴、皇太子との出会いと再会、皇室入り、流産騒動、そしてご出産まで。心のうちに秘めたさまざまな想い、そして知られごるエピソードを交えて雅子さまのすべてを綴る!!また、雅子さまの素顔とともに、雅子さまを支え続ける皇太子の一途な純愛、美智子皇后の苦悩と決断も明らかにする!!   著者 河原敏明 出版社 講談社+α文庫/講談社 定価 本体価格 680円+税 第一刷発行 2001/12/20 ご注文 ISBN4−06−256562−5 文庫版まえがき 昭和六十一(一九ハ六)年十月十八日、スペイン国王の長女、エレナ王女を東宮御所(現・赤坂御所)に迎えてレセプションが催された。 独身の王女のため、こちら側も若い女性を中心に四十人近くを選んだが、その一人が小和田雅子さんだった。 雅子さんは皇太子殿下にものおじもせず、堂々とアメリカの生活体験などを伝えたが、巧みな話術と知的な話しぶり、スマートで人馴れした応対、美貌で健康美溢れるスタイル。 殿下には、極論すれば魂を奪われたようなショックだったらしい。 二年の英国留学を終え、帰国直前の殿下と二時間のインタビューをさせていただいたとき、殿下は女性観を、「ときにはきついと思うこともありますが、自分の意見をはっきり言い、男性とも対等に堂々と話すことを、僕は非常に魅力に感じますね……意見を言うときは、しっかり話せる人が好きですね」などとおっしやっていたが、雅子さんこそ、まさにその人であった。 殿下は、この日の出会いをご両親にちなんだ"運命的出会い"ととらえたようだ。 こういう方にこそ新しい時代の東宮妃、皇后として自分を支えてほしい……。 その決意のもと、デートが立て続けに数回もたれた。 ところが多くの上司、同僚、下僚を持つ職業女性、そして雅子さんの祖父が「水俣病」を引き起こしたチッソの役員だったという問題もあってか、宮内庁は容易に賛成しなかった。 雅子さんも皇室生活に自信が持てないと辞退していた。 殿下はそれでも初一念を崩さず、さらに美智子皇后の強い要請(お二人の婚約直後、某有名女優(夫君は政治家)が私にわざわざ「皇后さまは涙さえ浮かべて雅子さまを説得されたそうですね」と自信を持って話された)もあって、六年を経て、ようやく初志を貫徹された。 殿下の強い持久力、自己抑制心、清純性に感銘を禁じ得ない。 ただ二千年の伝統を固守する宮廷は特別の世界である。 独特の皇室神道、宮中祭祀、宮中儀礼、旧い慣習・習俗、百二十四代歴代天皇の事蹟、有職故実……。 雅子さまのたやすく適応できるところではないかもしれない。 皇室に入って急変した環境でしばしばカルチャー・ショックもあったに相違ない。 それに宮廷を取り巻く人々の考えも多様である。 旧時代の遺物的固陋な人もおり、対人関係には神経を擦り減らすこともあるだろう。 それらの克服には雅子さまの英知と外交的手腕・応対で乗り切るほかはない。 民間出身の皇后さま、雅子さまは庶民感情、対皇室感情の機微に通じていらっしゃる。 お二方の協力で国民との接点をより深くしつつ、皇室の開明化に努めていただきたい。 そこへ十二月一日、国中を揺るがした大朗報。 全国民待望久しい皇孫が誕生した。 ご結婚八年来の宿願が、ようやく達成されたのだ。 両陛下、とくに美智子さまの暖かい育児指導と母親雅子さまの愛情によって、すばらしいご成長を祈りたい。 平成十三年十二月の佳き日に 河原敏明