川田龍平は、遺伝性疾患である血友病の治療のため、非加熱輸入血液製剤を使用して、エイズウイルスに感染し、厚生労働省とミドリ十字との訴訟の原告団に加わり、裁判を傍聴、後に実名を公表して、メディアの注目を浴び、裁判では、実質勝訴となる和解を勝ち取った。
この薬害エイズ事件に人生の出発点で、巻き込まれたことがきっかけとなり、後に参議院議員に立候補し、現在、人権活動家としても、活動している。
川田龍平の人生のダシャーの推移を確認すると、生まれた時がマハダシャー金星期の終わりで、直ぐにマハダシャー太陽期に移行している。
太陽は8室支配で12室に在住し、逆行の土星と火星からアスペクトを受けている。
この太陽は、ヴィーパリータラージャヨーガ(逆転のラージャヨーガ)であり、彼の数奇な運命を物語っている。
太陽は身体の表示体であり、8室を支配で12室に在住することで、遺伝性の疾患(8室)を持って生まれて、幼少年期に闘病生活(12室)を送ったことを意味している。
然し、この太陽は土星、火星から激しく傷つけられている。
従って、傷ついたヴィーパリータラージャヨーガである。
川田龍平は、1979年8月に遺伝性疾患である血友病の治療のために非加熱製剤を使用したが、このことでエイズウイルスに感染する。
このタイミングはちょうどマハダシャー太陽期に移行したタイミングである。太陽期に移行したのは1979年8月1日である。
従って、このマハダシャーの太陽は、彼にとって、その後の人生を決定づける運命の体験を象徴している。
そして、1986年1月に川田龍平の母親が、医師からエイズへの感染を宣告され、同年12月に母親から川田龍平にエイズの感染を伝えられている。
それぞれ月/月期、月/火星期の出来事である。
月はマラカの7室の支配星で、母親の4室に在住し、ケートゥと接合し、土星からアスペクトされ、更に逆行の火星と絡んでいる。
従って、凶星から激しく傷つけられたマラカの時期である。
この月期を通して、いつ死ぬか分からない恐怖におびえ、発症予防目的でインターフェロンを打ち続ける、母親との苦闘が始まるのである。
母親の4室が傷ついているため、まさに母親への失望と批判、母親に対する抑うつ的な感情、そして、それでも母親との関係が密接で切っても切れない縁であることを物語っている。
そして、この月とケートゥはバラニーに在住していることから、この月期を通じて、政治と企業の癒着などの不正について知ることとなったのではないかと思われる。
そして、政府と企業の癒着を批判する人権活動家となっていくのである。
次のマハダシャー火星期は4室、11室支配の火星が5室に在住して、5、10室支配の金星と相互アスペクトしている。
また火星と金星は5室と11室で星座交換している。
4−5、5−10、5−11のラージャヨーガ、ダナヨーガを形成している。
この時期は、火星は5室や5室の支配星と絡んでおり、また11室の支配星とも絡んでいるため、東京経済大学で学業(5室)を行い、またドイツ・ケルンに留学(5室)したり、また川田龍平と人権アクティビストの会(11室)を設立している。
また火星は4室の支配星であるからか、母親の川田悦子が衆議院議員に立候補するのに伴い、帰国して手伝ったり、母親が衆議院議員に当選することに伴い帰国して秘書として、仕事を手伝っている。
この火星は5−11室で星座交換し、ダナヨーガを形成しているため、この時期に行ったことは将来の政治家としての活動に備えた準備期間のようである。
海外への留学、秘書として母親を手伝うなど、将来有望な政治家が辿るようなエリートコースにこの時期から入っているように見える。
太陽期、月期と、闘病生活を送り、人生の試練を過ごしてからのこの強力なラージャヨーガの発現である。
因みにこの火星は、ナヴァムシャでは蟹座で減衰しているが、火星は減衰する月と星座交換しており、ニーチャバンガラージャヨーガを形成すると共に乙女座ラグナから見て、3、8室の支配星が減衰しているため、パラシャラの例外法則で、ラージャヨーガ的に働く配置である。
この時期から薬害エイズ事件の原告として活動してきた実績から、人権活動家として活動する道が開けて来て、人脈も広がり、世間的な評価や知名度や肩書きを得た時期である。
そして、2003年3月に東京経済大学を卒業した頃から、マハダシャーラーフ期に入っている。
ラーフ期にはディスポジターの理論が有効である。
従って、ディスポジターの金星を見ると、やはり、金星は5、10室支配のヨーガカラカであり、火星と5−11室で星座交換して、強力なダナヨーガを形成している。
ナヴァムシャでは、ラーフは9室で高揚し、1、10室支配の水星と接合し、4、7室支配の木星からアスペクトされて、ラージャヨーガを形成している。
更に11室支配の月がアスペクトして、1−11室のダナヨーガを形成している。
この牡牛座で高揚して、トリコーナに在住して、ケンドラの支配星とコンジャンクションや、アスペクトを受けるラーフは強力である。
このラーフ期から、松本大学非常勤講師となったり、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出されたり、また参議院議員に立候補して当選するなど、明らかにこの時期から人生における上昇が始まっている。
中でもラーフ/木星期に世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出され、参議院議員に無所属で出馬し、63万票を獲得して当選している。
まさにもっとも上昇した時期であると言えるが、この時期は、ダシャームシャで見ると、ラーフも木星も1室に在住している。
マーク・ボニーの研究で、ダシャームシャで1室に在住するダシャーの支配星の時期にキャリア上の上昇がもたらされるという研究がある。
この論理に照らし合わせてみると、川田龍平は、ラーフ/木星期に人生で最も輝かしい成功に導かれており、この法則が機能していることがよく理解できる。
2011年5月には 国連列国議会連盟(IPU)のアドバイザー委員に就任しているが、この時期は、ラーフ/水星期である。
水星はナヴァムシャで1、10室支配で9室に在住し、高揚するラーフと接合して、4、7室支配の木星からアスペクトされている。
また水星はダシャームシャのラグナロードで9室に在住し、7、10室支配の木星、9室支配の土星、11室支配の火星からアスペクトされている。
従って、ラーフ/水星期も、マハダシャーラーフ期の結果をもたらす時期である。
このように川田龍平は、今、強力なマハダシャーラーフ期を経過している。
ラーフ期は2020年7月31日まで続くため、人権活動家としての活動は続きそうである。
おそらくダシャームシャの1室でラーフと接合しているのが、木星であるため、人道主義者であり、広い意味での人権活動家なのである。
職業政治家ではないことは、太陽がそれほど10室の象意に対して積極的な役割を果たしていない為である。
またプライベートについて確認すると、2008年2月にジャーナリストの堤未果と結婚している。
結婚した時のダシャーはラーフ/土星期である。
ラーフは、月からみた7室に在住しており、土星はラグナロードで、2室(結婚生活)の支配星であり、7室に在住している。
またナヴァムシャでも月からみた7室にラーフが在住しており、ラグナに土星が在住している。
分割図のラグナの在住星はその分割図のテーマについての実現や成就を表す上で重要である。
ナヴァムシャにおいてもアンタルダシャーの土星期に結婚したのは、ナヴァムシャのラグナに土星が在住しているからであると思われる。
川田龍平のマハダシャー太陽期は、太陽は8室の支配星で、12室に在住して、火星や土星からアスペクトされている。
この配置は、明らかに太陽が傷ついている配置である。
またこの太陽期に入ったタイミングで、非加熱製剤を使用して、エイズに感染していることから、この太陽期は不治の病(8室)と闘病生活、入院、引きこもり(12室)などに関係している。決して、この時期が良い時期であるということはできない。
然し、この太陽は同時にヴィーパリータラージャヨーガを形成している。
結局、川田龍平は、政府がミドリ十字の企業利益に便宜を図り、その犠牲になってエイズに感染したのであるから、政府によって支配されたことになる。
つまり、それは8室を支配する支配者としての太陽(国家権力)を意味している。
然し、その太陽が12室(損失)に在住することによって、二重否定となり、国家権力からの支配を損失するという配置になっている。
結局、彼は国家権力からの支配を受けて、エイズに感染したが、最終的には国家権力から勝訴に近い和解を勝ち取り、またそのことがきっかけとなって国政にも進出して、人権活動家になった。
そうした経歴を通じて獲得した政治力(太陽)は、この8室支配で12室に在住して、ヴァルゴッタマのヴィーパリータラージャヨーガの太陽がもたらしたのではないかと思われる。
ヴィーパリータラージャヨーガは、あり得ない形で、普通でないやり方で、その人にラージャヨーガをもたらすのである。
そして、エイズウィルスに感染はしたが、今なお、発病しておらず、wikipediaには、
「血友病の治療経過中にC型肝炎ウィルスにも感染したが治療を経て治癒。2007年11月現在、HIV感染に伴うAIDS(エイズ)は未検出。」
と記されており、不治の病や難病の発病も免れている。
従って、このこともヴィーパリータラージャヨーガではないかと思われる。
ヴィーパリータラージャヨーガは、まさに「逆転」なのであり、災いが福に転じるヨーガであると言える。
(Wikipedia 川田龍平より引用抜粋、一部編集)
西暦 |
月日 |
出来事 |
ヴィムショッタリダシャー |
チャラダシャー |
トランジット |
1976年 |
1月12日 |
東京都小平市に生まれる。 |
金星/水星 |
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1976年 |
7月 |
遺伝性疾患である血友病の診断を受ける。クリオ製剤使用開始。乳児期に3度の脳内出血も発症するが、同薬により救命された。 |
金星/水星 |
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1979年 |
8月 |
非加熱輸入血液製剤使用開始。 |
太陽/太陽 |
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1983年 |
9月 |
家族療法開始(母が注射)。 |
太陽/水星 |
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1985年 |
8月 |
自己注射開始(自分で製剤を注射)。 |
月/月 |
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1986年 |
1月 |
母が医師からHIV感染を告知される。 |
月/月 |
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1986年 |
12月 |
母からHIV感染を告知される。 |
月/火星→月/ラーフ |
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1987年 |
7月 |
発症予防目的でインターフェロン治療開始。 |
月/ラーフ |
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1988年 |
3月 |
小平市立小川東小学校卒業。 |
月/ラーフ |
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1991年 |
3月 |
小平市立小平第二中学校卒業。 |
月/土星 |
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1992年 |
9月 |
裁判に参加することを決意。 |
月/水星 |
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1993年 |
9月 |
初めて裁判を傍聴。原告団に加わる。 |
月/金星 |
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1994年 |
3月 |
東京都立小平高等学校卒業。 |
月/金星 |
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1995年 |
3月 |
実名公表。 |
月/太陽 |
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1995年 |
4月 |
東京経済大学入学。 |
月/太陽 |
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1996年 |
1月 |
成人式を迎える。 |
火星/ラーフ |
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1996年 |
3月 |
東京HIV訴訟和解成立(実質原告勝訴) |
火星/ラーフ |
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1997年 |
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川田龍平と人権アクティビストの会設立 |
火星/木星 |
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1998年 |
9月 |
大学を休学し、ドイツ・ケルンに留学 |
火星/土星 |
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2000年 |
9月 |
母・川田悦子の衆議院議員立候補に伴い帰国 |
火星/金星 |
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2000年 |
10月 |
母の衆議院議員当選に伴い帰国。秘書として仕事を手伝う( - 2003年11月) |
火星/金星 |
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2003年 |
3月 |
東京経済大学卒業。 |
ラーフ/ラーフ |
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2003年 |
4月 |
松本大学非常勤講師 |
ラーフ/ラーフ |
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2007年 |
2月 |
世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。 |
ラーフ/木星 |
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2007年 |
1月12日 |
31歳の誕生日に国政への挑戦を決意 |
ラーフ/木星 |
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2007年 |
7月29日 |
第21回参議院議員通常選挙に東京選挙区から無所属で出馬、683,629票を獲得して当選。 |
ラーフ/木星 |
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2008年 |
2月 |
ジャーナリストの堤未果と結婚。 |
ラーフ/土星 |
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2009年 |
12月 |
みんなの党へ入党。党副幹事長、政調会長代理に。 |
ラーフ/土星 |
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2011年 |
5月 |
国連列国議会連盟(IPU)のアドバイザー委員に就任。 |
ラーフ/水星 |
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2013年 |
2月 |
子供と妊婦を放射能から守る「子ども・被災者支援法」を発議。同法成立後、子ども・被災者支援議連を設立し事務局長に就任。同年、薬害再発防止議連も設立し、事務局長に就任。 |
ラーフ/ケートゥ |
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2013年 |
7月21日 |
第23回参議院議員通常選挙にみんなの党全国比例区から出馬。党内比例区では最多得票の117,389票を獲得して再選。 |
ラーフ/ケートゥ |
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2013年 |
12月9日 |
「特定秘密保護法」に反対し、江田憲司らとともに離党。 |
ラーフ/ケートゥ |
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2013年 |
12月 |
結いの党結党。政策調査会長代行、国対委員長(参)代理、ネットワーク委員長代理、政治改革本部長、選挙対策委員長を兼務。 |
ラーフ/ケートゥ |
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2014年 |
5月 |
結いの党の都内各支部で構成される都連「結いの党TOKYO」が発足し、会長に就任。 |
ラーフ/金星 |
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2014年 |
9月 |
維新の党結党。党国会議員団総務会長に就任(党は同年12月に国会議員団を事実上廃止)。 |
ラーフ/金星 |
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2014年 |
12月 |
第47回衆議院議員総選挙後の役員人事で維新の党党規委員長(国会議員団党規委員長から改組)に就任。 |
ラーフ/金星 |
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wikipedia 川田龍平 より引用抜粋、一部編集 |
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