ジョン・アディ


ハーモニクス(アディ―調波)の創始者、ジョン・アディ―の出生図である。

ラグナが蟹座プシュヤで、9室支配の木星が1室で高揚の座に在住し、5室、7室にアスペクトし、9室にアスぺクトバックしている。

9室支配の木星がラグナで高揚の座におり、9室にアスぺクトバックもしているため、グルからの教えに恵まれ、そうした教えによって自己実現したい配置である。

木星は占星学の表示体であり、古典文学や聖典の表示体である。

従って、ジョン・アディ―は、ヒンドゥー教やヴェーダ哲学、ジョーティッシュなどを研究して、結果として、ジョーティッシュのナヴァムシャの概念に辿りつき、そして、それを参考にハーモニクスを考案したのである。

ジョン・アディ―は1952年(32歳)から2月25日からマハダシャー木星期に入っている。

つまり、この32歳以降、秘教学校に参加し、神秘家、哲学者としての生活に移行したのである。

ラグナ、及び、マハダシャーの木星から見ると、3、12室支配の水星が12室に在住しており、2室支配の太陽と接合している。

水星はプナルヴァス(木星)に在住している。

水星は占星術の表示体であり、12室は神秘学、隠された教えのハウスであり、また12室はモクシャハウス(解脱)のハウスである。


ジョン・アディ―は若い頃は、走り幅跳びやフットボール、クリケットをし、ゴルフに熱心であったと書かれている。

1928年(8歳)からマハダシャー火星期になり、15歳まで火星期を過ごしている。

火星は5、10室支配で3室に在住しているが、3室はスポーツのハウスである。

通常、3室は踊り、パフォーマンスなどの身体運動を表していることも多いが、これらも広義のスポーツと考えてよいと思われる。

その3室に火星が在住しているので、走り幅跳びやフットボールなどの競技系のスポーツを実践し、またクリケットやゴルフなどの手を使う技術的なスポーツも経験している。

3室には手を使うという象意があるためである。


23歳の時にアディ―は強直性脊椎炎(一種の急性リウマチ)で倒れている。

この頃はマハダシャーラーフ期で、ラーフ/土星期である。

ラーフは4室に在住し、月から6室に在住しており、アンタルダシャーの土星はラグナから7、8室支配のマラカであり、マラカの2室に在住している。

またこの土星は、ラーフにアスぺクトして、ラーフと土星は絡んでいる。

健康を見るドレッカーナでも、ラーフは8室に在住し、マラカの2室に在住する土星からアスペクトされている。

そして、8室には身体の表示体である太陽も在住して、ラーフと接合し、土星からアスペクトされている。

このマハダシャーラーフ期から健康状態が悪くなったことが予想される。

特に8室支配の土星とは原因不明の慢性病を表しており、以後、杖で歩くような生活に入って行ったことが分かるのである。


若い時は激しいスポーツに興じたが、火星期が終わり、ラーフ期に入るとこのように体調を崩して、晩年はマハダシャー土星期であるため、杖をつく生活であったようである。


アディ―が亡くなった1982年3月27日は、土星/火星期である。

土星は7、8室支配のマラカで、マラカの2室に在住し、ダシャーロードの土星から見るとアンタルダシャーの火星はマラカの2室に在住している。

また火星は月から見ると7、12室のマラカである。

ナヴァムシャを見ると、マハダシャーロードの土星はラグナにアスペクトし、アンタルダシャーロードの火星はマラカの7室を支配し、12室からマラカの7室へアスペクトバックしている。

ドレッカーナでは、土星はマラカの2室に在住し、火星はラグナロードでマラカの7室に在住している。


ジョン・アディ―はThe Friends' Ambulance Unit (FAU)で出会ったベティ・プールと1946年に結婚している。

ダシャーはラーフ/ケートゥ期、あるいは、ラーフ/金星期である。

ナヴァムシャにて、ラーフは7室に在住し、ケートゥはラグナに在住している。

また金星はナヴァムシャのラグナロード(7室から7室目)であり、ラーフからみて7室の支配星である。



ジョン・アディ―の人生を簡単に要約すると、9室支配でラグナで高揚し、9室にアスぺクトバックする強い木星のために彼は青春期にクエーカーの伝統の中で過ごし、スポーツに興じていた間もクエーカーの神秘的で内的な教えの元で、精神的に深い生活を送っていたようである。

クエーカー教徒は、キリスト教の中では、神秘主義的な傾向を持つ、秘教的なグループであり、神父や牧師を仲介せずに神を直接体験できると考えている。

こうした伝統の中で育ち、そして、 強直性脊椎炎で、杖をついてしか歩けなくなった時、この体験がきっかけとなって、彼に精神的な探究に向かわせたと思われる。

しばしば臨死体験や難病などにかかることをきっかけとして、霊的な道へ目覚めることが多いが、そのパターンを彼も示している。

そして、 カーターという神智学協会の占星学部門の長であった人物から彼の神秘的傾向について励まされている。

こうした人物の影響は明らかに9室支配でラグナで高揚する木星(グル)の影響である。


西洋占星術を体系化したアランレオも神智学協会の占星学部門にいたが、ロシア人の神秘家・ブラバツキー夫人が設立した神智学協会というのは、こうした神秘的傾向を持つ人が必ずといっていいほど、関わっている。公か私的かに関わらずである。

そして、彼はこうした背景の元にインドの哲学やヒンドゥー教に触れて、ジョーティッシュのナヴァムシャや分割図の概念に辿りついたのである。

そして、アディ―調波(ハーモニクス)を開発した。

それはナヴァムシャなどの分割図の概念に基づいているが、ここに当時、辿りついたということが優れていると思われる。


これは彼にこのような質の高い深い精神的傾向があった為である。

もしジョン・アディ―が、現代に生きていたら、間違いなく、ジョーティッシュを研究していただろうと思われる。

その当時、今のようにジョーティッシュの学習は容易ではなかったはずである。




Biography

British theorist and researcher, the founder and developer of modern harmonics and author of "Harmonics in Astrology" 1976. An outdoor youth, he was an accomplished athlete who set long jump records, a champion football player, cricketeer, rower and rider; keen on horse races, gambling and golf. At 23 he was struck down overnight by ankylosing spondylitis, a kind of acute rheumatism. Raised as a Quaker and a pacifist, after a year flat on his back, he joined a mystery school and moved into his life position of being a mystic, a philosopher and a mathematician. A permanent cripple with calcified spine, he walked with canes. Married. Addey died 3/27/1982, London.
伝記

英国の理論家、研究者、現代ハーモニクスの創始者で、開発者、”占星学におけるハーモニクス”(1976年)の著者である。屋外の青春期、彼は、幅跳び記録、チャンピオン・フットボール選手、クリケット関係者、漕ぎ手とライダーを配置する洗練されたアスリートでした。競馬、ギャンブルとゴルフに熱心な。

23歳の時に彼は、一晩中強直性脊椎炎(一種の急性リウマチ)で倒れました。クエーカー教徒で、平和主義者として身を起こし、一年後、彼は秘教学校に加わり、彼の生活のポジションを神秘家、哲学者、数学者に移動しました。石灰化された脊柱による永久に手足の不自由な人、彼は杖で歩きました。 結婚しています。

アディ―は1982年3月27日ロンドンで亡くなりました。
アストロデータバンクより引用抜粋



Biography

John Addey was born in Barnsley, Yorkshire in the UK on 15 June 1920 at 8.15 am and died at the Royal Homeopathic Hospital, London at 5.17 pm on 27 March 1982.

He attended Ackworth School (in Pontefract, Yorkshire): Ackworth was a Quaker School, although the Addey family were not Quakers themselves, and Addey was much influenced by the spirit of Quakerism − he was a conscientious objector during the second world war − and was later to marry a Quaker. During his time at Ackworth he showed some talent for poetry, but more so for sports: he was captain of most of the various sports teams organised by the school. He was head boy before leaving in 1939 and going on to Cambridge where he read English literature. He left university and join the Friends Ambulance Unit: It was while working here that he was struck down by severe Ankylosing Spondylitis, and was unable to walk without the aid of a stick for the rest of his life.

Initial treatment required an 18 month stay in hospital, and it was during this enforced period of immobility that his energies turned inwards towards the two areas of study which were to occupy him for the rest of his life: philosophy and astrology (he had been interested in both from his mid-teens).

He studied with the Faculty of Astrological Studies and was awarded his Diploma in the early fifties. He rapidly came under the influence of Charles E O Carter who guided Addey’s explorations in both philosophy and astrology.

In philosophy this meant an acknowledgement of the worth of all the great world religions and philosophies, but an especial interest in the Platonic tradition; in astrology Carter (who was for some time the President of the Astrological Lodge of the Theosophical Society) encouraged Addey’s mystical leanings. Central to Addey’s later work on the Harmonic theory of astrology was the conviction that the mystical and the scientific were not mutually exclusive and that neither was complete without the other.

After leaving the Amubulance Unit (where he had met and married, in 1946, Betty Poole), Addey worked for a time as a private tutor in Wiltshire before taking up a teaching post at Queen Mary’s Hospital for Children, where for many years he taught young polio patients who often were hospitalised for long periods. John Addey had three children, Etain Addey (author, A Silent Joy), Tim Addey (author, The Seven Myths of the Soul, the Unfolding Wings − the Way of Perfection in the Platonic Tradition, and Beyond the Shadows − the Metaphysics of the Platonic Tradition) and Jane Addey.

伝記

ジョン・アディ―は1920年6月15日AM 8:15に英国のヨークシャー・バーンスレイに生まれ、1982年3月27日にロンドンの王立ホメオパシック病院で亡くなった。
彼はヨークシャーのポンテフラクトのアクワース学校に入学した。アクワースはクエーカーの学校だった。アディ―の家族はクエーカー教徒ではなかったが、アディ―はクーエーカー教徒の精神に大きな影響を受けた。彼は、第二次世界大戦の間の良心的兵役拒否者でした。そして、後にクエーカー教徒と結婚しました。アクワース時代に彼は詩の才能を示しましたが、より多くのスポーツの才能を示しました。学校が組織する多くのスポーツチームのほとんどで、キャプテンでした。彼は1939年に学校を離れるまで生徒会長でした。そして、ケンブリッジ大学に進み、そこで、彼は英文学を読みました。彼は大学を離れて、The Friends' Ambulance Unit (FAU)に加わった。そこで働いている間に彼は厳しい強直性脊椎炎で倒れた。そして、彼の残りの人生を杖をつかなければ歩けなくなった。最初の処置は18ヵ月の入院を必要としました。そして、この静止を強制的に強いられた期間に、彼のエネルギーは2つの勉強の領域に向かいました。それらは彼の残りの人生に占められました。それらは哲学と占星学(彼は10代半ばから両方に興味を持っていました)。彼は占星学研究の学部で学び、50代初めに卒業証書を授与しました。

彼は、速やかに哲学と占星学の両方におけるアディ―の探究を導いたチャールズE Oカーターの影響を受けるようになりました。

哲学において、これは相当の全ての偉大な世界宗教と哲学の承認、プラトンの伝統に対する特別な関心を意味しました。占星術において、カーター(しばらくの間神智学協会の占星学部門の長であった)はアディの神秘的な傾向を励ましました。

占星学のハーモニクスの理論における彼の後の仕事の中心は、神秘的であるものと科学的なものは互いに相容れなくなかったという、そして、どちらも他なしで完全でなかったという信念でした。

Amubulance Unit(彼はそこで1946年にベティ・プールと出会って結婚した)を去った後、 アディ―はメアリー女王の病院で教育の地位に就く前に子供たちのためにウィルトシャーの民間の家庭教師として、アディはしばらく働きました。(メアリー女王の病院では)何年間も彼は、しばしば入院した若いポリオ患者を教えました。ジョン・アディ―には3人の子供がいました。Etain Addey (作家, A Silent Joy)、Tim Addey(作家, 魂の7つの神話, the Unfolding Wings − 純粋な伝統における完璧な方法, 影を越える− 純粋な伝統の形而上学)、Jane Addey。

wikipedia より引用抜粋

 


西暦 月日 出来事 ヴィムショッタリダシャー チャラダシャー トランジット
1920年 6月15日 英国のヨークシャー・バーンスレイに生まれた 月/ラーフ
アクワース学校時代に彼は詩の才能を示しましたが、より多くのスポーツの才能を示しました。学校が組織する多くのスポーツチームのほとんどで、キャプテンでした。 MD火星期 双子座
1939年 ヨークシャーのポンテフラクトのアクワース学校を卒業する。 ラーフ/木星 牡牛座/射手座
牡牛座/蠍座
1943年 強直性脊椎炎(一種の急性リウマチ)で倒れた。以後、杖をついて歩く生活となる。 ラーフ/土星
ラーフ/水星
牡牛座/獅子座
牡牛座/蟹座
1946年 The Friends' Ambulance Unit (FAU)で出会ったベティ・プールと結婚する。 ラーフ/金星 牡牛座/牡牛座
牡羊座/牡牛座
彼は厳しい強直性脊椎炎で倒れた。そして、彼の残りの人生を杖をつかなければ歩けなくなった。最初の処置は18ヵ月の入院を必要としました。そして、この静止を強制的に強いられた期間に、彼のエネルギーは2つの勉強(占星学と哲学)の領域に向かいました。 木星期 牡羊座
1970年代はじめ 彼は占星学研究の学部で学び、50代初めに卒業証書を授与される。
哲学と占星学の両方におけるアディ―の探究を導いたチャールズE Oカーターの影響を受ける。
土星/土星 射手座/乙女座
射手座/獅子座
1982年 3月27日 ロンドンで亡くなる 土星/火星 蠍座/水瓶座
wikipedia及び、アストロデータバンクより引用抜粋、一部編集