池田大作(いけだ だいさく) ・池田大作のラグナを特定する 池田大作のラグナを特定する場合、彼が日本全国に学会員の集会所として『池田文化会館』を建築していたり、『創価学園』、『創価大学』など、巨大な建造物をつくっていることから、4室に火星が絡んでいなければならないというのがまず彼のラグナを特定する際の私の観点である。 そして、獅子座ラグナに設定すると、マハダシャー太陽期に移行した頃に戸田城聖に師事し、創価学会に入会したことが分かる。 師匠との出会いは9室が絡んでいると考えられ、そうすると太陽を9室の支配星として考えたくもなるが、ラグナを射手座に設定すると、4室に火星が絡まないため、射手座ラグナは採用できない。然し、チャンドララグナで、9室に太陽が在住しており、スーリヤラグナで太陽が9室を支配しているため、太陽は9室の象意を十分に持っていると考えられる。獅子座ラグナで太陽が5室に在住しているということは彼は戸田城聖と出会い、創価学会に入会したことで人生の目的を発見したと考えられる。師匠の引き立てを受け、そして創価学会の中で水を得た魚のように学習し、力を得て、創造性を発揮したのである。太陽は力、権力でもあるため、この太陽期に創価学会内で権力を得たと考えることが出来る。 ウィキペディアによれば、1951年に戸田城聖が「青年訓」を発表し、1951年〜1969年青年部を中心に折伏大行進と呼ばれる大々的な勧誘キャンペーンを行ったとあるが、おそらく、この時期に池田大作が青年部を指揮して、教団の拡大に貢献したのだろうと思われる。 そして、『人間革命』はこの時の布教経験をつづった書籍であると思われるため、ラグナ、月、太陽から見てトリコーナの支配星であるマハダシャー太陽期はそれなりに志を高く持って、創造性を発揮したのだろうと思われる。 この頃の創価学会の強引な布教活動は問題になったらしいが、これはどの教団でも拡大していく時には強引になるものである。 このようにマハダシャー太陽期へのシフトが戸田城聖との出会いと、創価学会への入会のタイミングと考えると、4室に火星が在住する獅子座ラグナという観点と矛盾しないため、獅子座ラグナでよいという感じがしてくるのである。 そして、1949年の太陽/土星→太陽/水星期の時期において「日本正学館」という戸田城聖が経営する会社に入社したりして、この頃も戸田城聖と関わりがあるようであるが、マハダシャー月期になると、彼は第3代会長に就任している。 12室支配の月が9室に在住しており、12室(別離)と9室(師匠)の絡みが見られる。月期になって、会長に就任したということは戸田城聖は引退し、もう師との繋がりはなくなったのであり、師匠との別離(9室+12室)は月期の象意に一致しているようである。 公明党を発足し、創価学園を創設したのはマハダシャー火星期であるが、これらの活動はエネルギーの必要な作業である。 獅子座ラグナにすると、4室に惑星集中するが彼は基本的にマスコミには出ず、学会系の雑誌等に出るのみであるため、彼の活動は実際、創価学会内に限定されていると言える。公の場には一切出てこないのであり、これらはやはり家(4室)の中の活動であり、プライベートな活動を表している。 彼は相当の影響力を持ちながらも一切、マスコミに姿を現さない。基本的に彼は常に自分の家の中にいるのである。 然し、4室ケンドラには、火星、土星、ケートゥと、3つの凶星が在住している。 ケンドラに凶星が在住すると、凶星としての影響力を増してしまうのであり、ケンドラには凶星は在住してはいけないと言われる。 この蠍座4室は創価学会の体質や池田大作の心理状態(4室)、同時に創価学会の数々の不祥事も表している。 またそれ以外にも、替え玉投票事件、言論出版妨害事件、電話盗聴事件、『月刊ペン』事件、公明党議員汚職収賄事件、暴行・吊るし上げ事件、巨額の脱税疑惑など、創価学会批判サイトを見ると、いろいろな事件が綴られている。 これらの学会員が絡んだ犯罪的活動はトップダウンの権力構造の中では教団の最高権力者が指示を出したと考えるのは自然なことである。この4室に在住している火星や土星やケートゥなどの凶星群は教団内にこうした惑星が象徴する人物がいることを表しており、そうした人物が池田大作の心の中のビジョンを実行に移す実行部隊とも考えられる。 例えば電車内のつり革広告に必ず、第三文明社の『潮』や『Pumpkin』などの雑誌があるが、そこで日蓮正宗(宗門)の阿部日顕のことを毎回、執念深く批判する記事が載っているのを見ると、この新聞は池田大作の意思を実行しているとしか思えないのである。それは4室蠍座に在住する火星の象意と言えそうである。相手を絶対に許さず、永久に攻撃し続けるのである。
(資料) 池田大作(いけだだいさく、1928年1月2日 - )は、創価学会名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長。東京都大田区出身。富士短期大学卒業。 なお、創価学会に“名誉会長”という役職は公式には存在せず、内部でのみ通用し得るものである。 目次 [非表示] 1 人物 2 略歴 3 著書 3.1 共著 4 関連項目 5 外部リンク 人物 1928年に東京都大田区糀谷で生まれる。1946年に後に創価学会の第2代会長となる戸田城聖に師事し、同会に入会。1960年に創価学会第3代会長に就任。池田の指導のもと、公称800万世帯(NHKの出口調査などからは会員数は約400万人強であると推測されている)を越える国内最大規模の宗教団体となった。 一方で、僧侶=聖職者という会員間の意識改革路線をめぐる日蓮正宗(宗門)との対立が、1979年の管長交代で別な方向へと転換されてしまう。その後、宗門からの強い要望を受け、一時法華講総講頭に復帰したものの、結局、1990年に宗門(管長・阿部日顕)によって法華講総講頭の任を解かれ、1991年に創価学会とSGIが破門、1992年には池田自身を含む全創価学会員が信徒除名処分される。 創価幼稚園(札幌、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル)、創価学園(東京、大阪、ブラジル)、創価大学(東京、アメリカ)、(財)民主音楽協会、(財)富士美術館(東京、静岡)、(財)東洋哲学研究所、戸田記念平和国際研究所、牧口記念教育基金会など多くの団体を創立。公明党の創立者としても知られる。随筆、小説、対談など著書多数。写真家、詩人としても活動している。近年は外国の大学(特に中華人民共和国所在の大学)より「名誉博士号」を授与されることが多い。 1990年代、政教分離の問題に絡み、池田を証人喚問することが議題に上った事がある。マスメディアに登場しない為、写真以外で見たことのある人物は殆どいない。 (ウィキペディアより引用抜粋) |