細木数子といえば、 今回、週刊現代でジャーナリスト溝口敦氏が収集した細木数子に関する詳細な経歴を見ていたら、細木数子のチャートが正に彼女の人生そのものを表していることが分かったのである。 出生時間が分からないので、12:00でチャートを作成すると、月が牡牛座クリティッカーに在住し、ケートゥとコンジャンクトしている。 細木数子は、京都府内に豪邸を持ち、そこには高価な骨董品やブランド物を収集しているらしく、それがテレビでも放映されたようであり、月の配置が示す特徴をよく示している。 そして、その月にはケートゥがコンジャンクトしているが、ケートゥは減衰している。月とケートゥのコンビネーションを持つ人で、霊感を持つ人を今まで何例かで確認している。例えばクロードボリロン・ラエル、あるいはアメリカ国務長官のコンドリーザ・ライスも月とケートゥのコンビネーションを双子座に持っている。 細木数子の月とケートゥもそうした月とケートゥのコンビネーションを性質を多少示すのか、初期の出版物では、先祖供養とか、霊について語っていたようである。然し、ケートゥが減衰しているからか、霊的直感の方に向かうというよりも、墓石や仏壇の販売などの物質を扱う霊感ビジネスの方にこのケートゥの象意が使われた感じである。 最も物質を好む牡牛座の月と霊感や幽霊を表すケートゥが絡むことによって、また土星がそこにアスペクトすることによって、”墓石”という象意を表しているように思われる。 牡牛座の月をラグナとすると、12室に2、5室支配の水星、7、12室支配の火星、ラグナロードで6室支配の金星がコンジャンクトしている。 この12室への惑星集中こそが、彼女が銀座のホステスで、占星術師であり、数回の結婚、離婚歴を持ち、暴力団との繋がりがあり、また夜にホストクラブで豪快に遊ぶなどの彼女のほとんどの行動パターンを説明してくれるのである。 例えば、12:00で作成のチャートだと、幼少期の月期が終わり、マハダシャー火星期に切り替わる時期が1950年10月27日となっている。 経歴データから、実際にはいつ頃がマハダシャー火星期への切り替わり時だったかを検討すると、1954年に高校を中退して、おでん屋を始めたところ、『・・・おでん屋のお客だった株屋の社長に『店』を持たないかといわれた・・・』とあり、おそらくこの時期の前後に株屋の社長が象徴する7室支配で12室で自室で強い火星のダシャーが訪れたのではないかと思われるのである。 おでん屋というのは夜開店しているものであり、この夜に創業するおでん屋で株屋の社長というような大きな金銭を動かす力を持つ経営者と出会い、その人の勧めで、店を持つことになるというのは、7室支配の火星が12室に在住している象意であると考えられる。つまり、ビジネスパートナーと夜の世界で出会うという配置である。 そして、翌年の’55年に東京駅近くの丸の内に喫茶店『ポニー』を開業したとあるが、「初体験は17歳のときよ。好きな人と、ちゃんとしたお茶屋の座敷でね」と書かれている。 この頃はちょうど、マハダシャー火星期に入った時期であり、ラグナロードの金星と7室支配の火星が12室でコンジャンクトしており、性的関係を表していることから、火星期に入って、ビジネスパートナーと出会い、そのパートナーと性的関係も結んだと考えられるのである。 火星と金星のコンビネーションは性的関係を表しており、また12室は性生活、ベッド上の私生活を表している。 そして、2年後の1957年に喫茶店を売却し、銀座で『クラブ潤』を開業とあるが、その後、銀座の夜の世界で、クラブの経営者として、ママとして、頭角を現していくのである。 1958年 クラブ『かずさ』(銀座8丁目)開業 ’59年の経歴には、「21才のとき、お店のお客さんだった静岡の人と結婚したけど、嫁いで1か月ほどで家が火事になって燃えてしまったり、主人の母とうまくいかなかったりで、3か月で離婚して東京へ舞いもどり、また銀座でクラブを始めたんです」と書かれており、この時期に店のお客さんと結婚し、離婚したことが示されている。 これはお店のお客さんと性的関係になり、そして、結婚をするが、別離に至るという7室支配の火星が12室で、金星とコンジャンクトする象意である。 この時、夫の母親と上手くいかなかったり、夫の家が燃えたというのは夫の4室を傷付ける配置であったことが考えられるが、家が火で燃えてしまったことから、牡羊座の火星が表す象意ではないかと考えられる。 この’59年は、12:00作成のチャートでは既にマハダシャーラーフ期にシフトしているが、出生時間の修正により、若干、火星期が後ろにずれ込むことが考えられる。 然し、7室支配の火星期同様、マハダシャーラーフ期も7室に在住して7室の象意を表しているようである。 「1963年、3月、客の一人だった静岡の老舗眼鏡店の御曹司と結婚するが、1週間で飛び出す。」とあり、再び、4年後に結婚しているが、直ぐに家を飛び出すというように長続きしない短気な性質を示している。この結婚は結局、66年に協議離婚しているようである。 7室にラーフが在住する場合、パートナーに満足せずに次々とパートナーを変えたり、パートナーとの交際が非常に活発で貪欲な様子を示すようである。1−7室の軸にラーフ/ケートゥ軸が重なるとパートナー関係が不安定で波乱に富む性質があり、チャンドララグナとは言え、細木数子の落ち着かないパートナー関係をよく示している。 1965年には、世田谷区に邸宅を購入したようであるが、マハダシャーラーフ期はよくも悪くも物質的には躍進し、獲得していく時期である。 然し、1971年(33歳)頃に「店の客だった男に10億円をだまし取られ、暴力団からカネを取り立てられる生活を送る。」と経歴に書かれている。 おそらく、この時期はマハダシャーラーフ期の終わりであり、この時期にラーフ期に獲得したもの全てを失ったのではないかと思われる。 そして、この時期はサターンリターンに該当するが、33歳というと土星が月から11室を抜けて、12室にシフトした時期であり、ちょうど、ハウスの境目辺りである。 サターンリターンは、出生図で形成された土星のカルマが噴出する時期であるとともに、その土星の在住するハウスに関する責任が生じたり、6室や10室の表示体として、強制的な労働、闘争、仕事上の責任が生じた時期であることが考えられる。 土星はサターンリターンで、4室支配の太陽と、9、10室支配の土星がコンジャンクトする11室にトランジットし、収入に関する責任が生じる時期だと考えられる。また土星は次に12室で、12室に在住する惑星群にトランジットし、損失に関する試練を引き起こしたのかもしれないのである。 そして、その流れで、彼女はサディサティに入っていくのであり、この時期が彼女の人生ではどん底の時期であったと言える。 この11室で太陽にコンバストされている土星は堅実に管理されていた収入が太陽が象徴する力で、焼かれて、不本意にカネを貸す行為に繋がったと考えることもできる。男に10億円騙し取られるカルマがこの時期にまさに噴出したと考えられる。 サターンリターンは土星の試練を受けて、成熟した責任ある社会人へと成長していく時期とも考えられるが、この時期、借金取りたちは、細木数子をつぶすのではなく、むしろ励まして回収しようとしたらしく、彼女はこの時期に人間関係の仕組みを学んだと思われる。 結局、借金をしていても逃げないで誠実に返済していれば、借金取りはむしろ、細木を援助しようとしたのである。(おそらく、そのような教訓を細木数子自身がテレビ番組内で語っていた)※細木数子はつい最近までその借金を返済していたと番組内で語っている。 この1971年(33歳)の時期は、経歴に「青山の2LDKのアパートで、手首にかみそりを当てた」と書かれているようにどん底の時期であったことが示される一方で、「・・・(中略)人の運命とかそういう本ばかり読んでいた。その中に陽明学者・安岡正篤という人の『易と人生哲学』『運命と立命』という本もあった」と書かれているように、ラーフ期の終わりと、次の木星期への転換を象徴するような一筋の希望や精神性への方向転換などが見え隠れしているのが分かる。 そして、1973年の経歴では、「35才ごろだったと思うけど、そのころから占いに関心をもつようになって、まず方位学の本を買ったのが最初でした。(中略)独学で方位学のほか、算命学、万象学、帝王学などから勉強して、細木流『六星占術』が生まれた」と書かれているように、ここではマハダシャー木星期が示すような精神的、教育的な世界へと進み始めているのが分かる。 木星は教師のカラカであり、以後、秘教的な知識、道徳や人間の生き方、人生哲学を学び、それを人に教え、指導する立場に立つのであり、正にマハダシャー木星期への移り変わりをこの頃にははっきりと示している。 1975年にはディスコ『マンハッタン』を開店したと書かれているが、このディスコは今までのホステスの流れを汲むものの、多少、性質が異なっているようにも感じられるのである。大勢の人間が遊ぶ場所を運営するのであり、より水瓶座木星の象意を含んでいる気もしてくるのである。 1981年には、「『六星占術による運命の読み方』がベストセラーに」なったと書かれており、出版における成功が認められ、それが大きな印税収入に結びついたことが分かる。 また1983年には、当時83歳だった安岡正篤と知り合い、婚姻届の提出後、安岡が心不全で死去すると、遺族に婚姻無効の訴訟を起こされている。安岡正篤は彼女の師匠にあたる人物である。
1986年以降の細木数子の経歴を追っていくと、この時期には木星期の精神的、教育的な性質が陰を潜め、出版やマスコミへの露出が目立つようになっている。また弟の久慶氏の選挙への立候補と落選や不祥事や逮捕など、弟のことが非常にマスコミに取り上げられるようになっている。出版、マスコミ、弟もいずれも3室の象意であり、この時期のいずれかのタイミングでマハダシャー土星期にシフトしていると考えられる。その場合、3室と土星が絡んでいることが分かる。 弟が非常に不祥事でマスコミに露出しているのと同様、細木自身もテレビのレギュラー番組を複数持ち、マスコミに露出する一方、予言をたびたび外したり、問題発言で視聴者から苦情や抗議を受けたりなど、マスコミの現場での問題行動や闘争劇などが見られる。
【1986年以降の経歴】 1986年『大殺界』シリーズ400万部突破。
2005年『新潮45』(4月号)で「一回、四百万よ。テレビのギャラは、各局の取り決めがあってね、私は『吉永小百合』より高いんだから。(中略)いま決まってる特番が四本、これは一本につき一千万。それでテレビやめるバカがいるわけないじゃない」と発言。 2006年1月、ポスト小泉は誰になるかを占うテレビ、新聞の企画で、武部勤幹事長の名前を挙げる。1月27日、弟の久慶、茨城県セーフティネット融資制度を悪用した詐欺事件に関わったとして、茨城県警に詐欺容疑で逮捕される(水戸地方検察庁は不起訴処分に)。
現在、彼女はマハダシャー土星期で、月をラグナとすると、9、10室支配のラージャヨーガカラカの土星が11室に在住している。凶星が11室に在住すると良いと言われ、また11室は収入、飛びぬけて高い地位、称号、表彰などを表す。現在の視聴率女王という彼女の高い評価がそれを物語っている。彼女の予言は全く当たらなくても、番組での人生哲学や説教は、古風な日本の伝統的保守的考え方を反映しており、支持をする人たちも多いようである。 12:00作成のチャートだと、マハダシャー水星期が2010年10月27日頃からやってくることになっている。 然し、何れにしても遅くともあと、3〜4年ぐらいで細木数子はマハダシャー水星期に移行するようである。 因みに12室に在住する7室支配の火星は牡羊座バラニーに在住している。バラニーは露骨で手段を選ばず、また諜報活動に優れ、情報を入手する為の情報網を持っており、情報収集能力に優れている。 テレビ番組中に、細木が芸能人の鑑定を行う際に既に相手の情報についてよく知っているようなところがあったのはあながち本当である。 おそらく、銀座のクラブに来る客や鑑定を受けた人、あるいは暴力団員の知り合い、彼女が遊ぶホストクラブ(一晩で数百万使って豪遊すると言われている)のホストなど、彼女に情報をもたらす経路や人脈は非常に多いと思われる。夜の世界で接待したり、接待されたり、場合によっては肉体関係を結んだ客などから、様々な世の中の裏情報や他人の家庭の事情やプライベートな秘密などを得ていることが予想される。
(年表は、週刊現代’06年5月20日号P30-31溝口敦氏記事より引用)
(資料) 細木数子さん弟ら逮捕=信金から3000万円詐取−茨城県警 信用金庫から約3000万円をだまし取ったとして、茨城県警日立署は27日までに、同県友部町平町の無職白山真一容疑者(59)、東京都町田市上小山田町の画家細木久慶容疑者(66)ら5人を逮捕した。同署によると、細木容疑者は占師の細木数子さん(67)の弟。
調べでは、白山容疑者らは2004年2月、県の融資制度を利用し、水戸市内の信用金庫から金をだまし取ることを計画。休眠状態にあった建築会社を使い、売上高を水増しするなどした決算書を提出し、同年4月、約3000万円を口座に振り込ませ詐取した疑い。 細木 数子(ほそき かずこ 1938年4月4日 - )は占い師である。東京都出身。東京成徳高校中退。弟に細木久慶がいる。 人物 10代でコーヒー店を経営し、20歳で銀座にクラブを開き、実業家として活躍。21歳の時に結婚その後間もなく離婚。波乱万丈の人生を経て1982年から六星占術に関する著作を次々に発表して一躍有名になった。
銀座時代(1983年)に、終戦の詔書に携わったという陽明学者の安岡正篤と、六星占術の禁を犯し、六星占術で言うところの自分の「大殺界」の真っ最中に再婚したが同年死別。結婚当時、安岡は85歳と高齢だったこともあり、遺族とは訴訟合戦となった。
著書は100冊以上に上り、その売り上げは総計3900万部以上と言われ、「占いの本を世界一売った人」としてギネスブックにも掲載されている。京都府内に豪邸があり、多数の高価な骨董品やブランド物は『ウンナンの気分は上々。』などテレビ番組で紹介された。
愛のエプロンでは、大変腕前がよく、ジャッジマンからも「最高だ!」と言われ評判となっている。K-1ファイターの魔裟斗とは仲がよく、彼からは「カズー」と呼ばれている。2006年1月28日には、細木久慶が信用金庫より300万円を騙し取ったとして警察に逮捕された。1994年にも細木久慶が恐喝罪で逮捕され、執行猶予判決を受けたことがあり、その為細木数子とはほぼ絶縁状態であると報道された。視聴率の女王
2003年頃からテレビ各局で人生相談を行う特別番組が20%前後の高視聴率を叩き出すようになり、各局が争奪戦を繰り広げ「視聴率の女王」とまで呼ばれた。番組に共通する特徴としてウッチャンナンチャン、ネプチューン、くりぃむしちゅーといったお笑いタレントが司会を担当している。2004年後半にブームのピークを迎え、8月には『ズバリ言うわよ!』(TBS系)、10月には『幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜』(フジテレビ系)と2本のレギュラー番組が始まった。両局とも細木好みの若手イケメンタレント(滝沢秀明(タッキー&翼)、要潤)を用意するなど、細木に最大限配慮した番組になっている。しかし滝沢秀明と要潤の扱い方が違う。滝沢秀明に対するむき出しの愛情表現からは、男性に対して思い込みの強い一面が窺える。タレントに対して改名(売れるからと周囲に言われて改名したモンキッキーなど)を迫ったり「地獄に堕ちる」など歯に衣着せない発言で知られる。(モンキッキーに関しては、その後の彼本人と彼女の会話から、実際に改名前よりも売れるようになったと思われているが、当人はテレビ番組やインタビューなどで「すぐにでも名前を元に戻したい」と発言していた。)番組で目立つのが、男女の性差を極度に重視する発言である。もっとも彼女自身の言動はその縛りを受けないらしい。彼女は男性にも、男性が女子供を養うことを当然の義務と断じるなど、極めてハードルの高い男性らしい態度を求めているが、とりわけ「女は男に尽くすべき」「女は料理ができなきゃダメ」など細木流の「女性としての常識」を求める発言に対し男尊女卑だと問題になった。フェミニズム的思考の強い杉本彩、神田うの、インリン・オブ・ジョイトイなどが反発するも一喝。独身女性に結婚を促すなど、女性一般に対して思いやりのある面をもつ一方、細木自身が女性として平凡な人生を生きてきたわけではなく、女性のあり方に対する細木の持論が説得力に欠けるというという点は否定できない。また、細木は「ハードゲイ」として人気の芸人レイザーラモンHGこと住谷正樹が、「ズバリ言うわよ!」の2005年8月9日放映分「芸人直談判SP」に出演した際、住谷のパフォーマンスに激怒。住谷が細木に対し、「(あなたは僕の事を)占う気ないでしょ」と返すが、細木は「占わない自由もある」と門前払い。同番組開始以来初の鑑定拒否(細木数子の鑑定自体、ただの自身からの批評にしか過ぎない箇所が多々あるが)となった。そして、2005年9月27日(火)18時55分〜22時54分の「いつもよりズバリ言うわよ!細木数子vs教育問題女子高生&男子高生&現役教師総勢300人!メッタ斬りスペシャル!!」では、泉谷しげるのアウトローな言動に激怒し途中退出する。その他のゲスト小川直也、蛭子能収、パク・ソルミはオンエアーされたものの、泉谷しげるはオンエアーもなかった。2005年4月9日に放送されたフジテレビ系めちゃ2イケてるッ!の「め茶の水女学園」の抜き打ち期末テストでは6位という成績。かなりの珍解答を出していたが、先生役のナインティナインの岡村隆史が調べた結果、細木の誤答が実在する会社の名称であることが明らかになった。
正答:モアイ、細木の答え:ヘモア 正答:メロス、細木の答え:メディス ヘモア ⇒ 韓国の香辛料メーカーの名称。 メディス ⇒ NHK九州メディス
福岡県にあるNHKの関連会社。 NHK九州メディス 2005年7月23日に放送された25時間テレビでライブドアの堀江貴文と対談した際に 「欠如(けつじょ)」を「けつにょ」
「何卒(なにとぞ)」を「なにそつ」 「出る杭は打たれる」を「出る釘は打たれる」 「ポータルサイト」を「ポーターサイト」 「携帯サイト」を「携帯サイド」
「紆余曲折」を「紆余屈折(うよくっせつ)」 「一朝一夕」の事を「一長一短」 「乱高下」を「乱気流」 既婚で子供もいるライブドア広報の乙部綾子に対し「いい人が出来るわよ」
などと独特の感性で語った。また、ライブドア株について番組中で「将来5倍になる」と発言した。だが2006年1月に発生したライブドア・ショックにより、ライブドアの株価は5分の1以下にまで低下。細木数子の発言で株を購入したが失敗したとの意見がマスメディアに取り上げられた。それ以外にも堀江貴文に対し「女性関係に気をつけないと失敗する」と発言。細木本人は2006年2月3日放映の『幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜』でこの発言が予言として当たったと主張している。さらに2005年9月9日に放送された『幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜』において、ゲストの春風亭小朝の、「細木自身が困ったときはどうするのか」との質問に対し、「これを言うと私のメッキが剥れる」「10年後に話そうと思っていた」と、もったいぶるように前置きした後、「私には全能観世音菩薩(由来は不明)がついている。30年前に修行で得た。全能観世音菩薩が世界中の事象(「じしょう」と読む。細木はたびたびこの言葉を「じぞう」と読み使用している)を語ってくれる。」と告白した。
2005年11月11日には『幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜』で「養鶏場で作られる卵は薬を使って1日に何個も鶏から卵を産ませている」と発言。養鶏団体が細木数子の発言は虚偽だとして抗議をし、放送したフジテレビが謝罪した。だが、細木数子はこの発言について取り消してはいない。
こうした細木の独断的な発言は(やや保守的な常識にささえられた)彼女なりの良識に貫かれており、それが人気の理由でもある。 2005年現在、ブームはやや沈静化しつつあるが、レギュラー番組は高視聴率をキープしている。
主な批判 「花粉症患者は心が悪い」という問題発言から反発を招いた。放送倫理・番組向上機構(BPO)の2004年11月中にBPOの視聴者応対窓口で受け付けた苦情は細木の発言についての苦情が多かったという。 月刊誌 『サイゾー』 は島倉千代子との過去や、占い師業界の中での評価を理由に批判を行っている。 人気占い師細木数子の過去 島倉千代子50周年の陰で語られた 「アテネオリンピックでは谷亮子は相当努力しないとメダルを取るのは無理」(実際には金メダル)、2005年7月に行われた川嶋勝重vs徳山昌守のタイトルマッチ前には「絶対に川島くんが勝つわよ」(実際には敗北)、また芸人のヒロシのネタに対して「みっともないからポケットから手を出してネタをやりなさい」やレイザーラモン住谷正樹のハードゲイの芸に激怒して仕事放棄するなど好き嫌いとも取れる予言や占いも行った。 更には2005年9月5日に第44回衆議院議員総選挙自民党公認の比例近畿ブロック候補柳本卓治へ自ら志願して行った応援演説の際には「私と握手した人が自民党に入れないと交通事故を起こす」と言った有権者に対して脅迫とも取れるような発言まで行い、物議を醸している。(ちなみに、弟の久慶がかつて新自由クラブ推薦やスポーツ平和党公認で衆議院選挙に何度も立候補したことがあり、数子も支援したが落選している。余談ではあるが、久慶が麻原彰晃と同地区で選挙に立候補し選挙で対決したことがあり選挙結果では麻原彰晃よりも投票数は多かったものの落選している。) このように、一般には分かりづらいことや突拍子もないことを話したり過激な発言で鑑定相手を恫喝するような態度に対する批判も多く、またその前時代的で保守的な思想に反感を覚える人たちも多い。鑑定の信憑性に対する疑問もある一方で、鑑定内容とは無関係に人格を否定した誹謗中傷も多いことも事実である。またテレビというメディアの性質上、面白くしようとするあまり細木の言葉の真意が伝わってないという面も否定できない。 何分高齢であるため最近の時勢に疎かったり、対話者とのジェネレーションギャップからくる言葉の齟齬や認識違いなどから、その見識に対して苦情もあるようである。また細木自身も癖が強く気難しい性格であるためか、自ずと辛口発言や相手に対し脅迫とも取れてしまうような発言も多くなるものと考えられる。 個人鑑定 (以下鑑定経験者体験に基づく。) 個人鑑定を受けるには、まず勉強会に参加することが必要(勉強会参加料1万円、個人鑑定10万円。1991年当時。)。細木の機嫌が悪いときには勉強会の途中で帰ってしまうことも。個人鑑定は、事前に何代か前までの先祖の戸籍謄本をとって提出しなければならない。鑑定当日は、事務所の従業員に、「細木先生に聞かれたこと以外の口をきいてはならない」という趣旨の念押しをされ、鑑定室に通される。(鑑定は墓地と仏壇購入が前提。)鑑定中、細木は紙に、 1枚目 古い仏壇の供養の仕方 新しい仏壇の開眼供養に必要なもの 新しい位牌の戒名 本尊の仏像 2枚目 古い墓地の供養の仕方 新しい墓地に建てるお墓の図 開眼供養の日にち を記入する。 以上のように、個人鑑定の内容は六星占術にとどまらない。むしろ、たびたび細木自身がある種の仏教的修行を積んだことをほのめかしているように、個人鑑定に訪れる者たちも、占いを越えた救いを求めてやってくると考えられる。そのためには定まった仏壇・墓の形や配置が必要であり、新規に購入が必要ということである。細木は「だまって言うとおりにすれば救われる」といったスタンスで、相談者はリスクの伴う決断が必要になる。仏壇・墓の他に、戸籍の記載内容にもこだわりが見られる。 主な著作
|