ヒラリー・クリントン



アストロデータバンクによれば、ヒラリークリントンの出生データは、1947年10月26日 イリノイ州シカゴであるが、出生時間は、AM8:02という説と、20:00という説が掲載されている。

そこで以前から掲載されてきた20:00のチャートと、AM8:02のチャートを比較して、どちらが正しいか、また結婚のタイミングや子供の誕生のタイミングなどが説明できるか検討してみた。

すると不可解なことにどちらの時間でも、これらの出来事がダシャーでもトランジットでも説明できてしまう。

然し、それ以外の出来事や状況から検討すると、やはり、出生時間は20:00で良さそうである。


例えば、ヒラリークリントンは、マハダシャー水星期となった頃から積極的に政治活動に身を投じている。

1964年の水星/水星期に大統領選で共和党のバリー・ゴールドウォーター候補を応援するゴールドウォーターガールを務めたことを皮切に以後、一貫して政治活動に身を投じている。

このマハダシャー水星期に政治活動に身を投じて、マサチューセッツ州の名門女子大・ウェルズリー大学1年生の時に学内青年共和党の党首に選ばれているが、ベトナム戦争や公民権に関する共和党の政策に疑問を持ち始めて、その後、辞任している。

上記のエピソードからも非常に政策論争を伴う質の高い政治活動を行っていたことが分かる。

何故、マハダシャー水星期に政治活動に身を投じたかと言えば、ナヴァムシャを見るとそれがよく現れている。

7、10室支配の水星が7室でバドラヨーガを形成し、9室支配でラグナに在住する太陽と相互アスペクトして、7−9、9−10室のラージャヨーガを形成している。

10室の支配星に太陽が絡んでいるので、政治活動を表しており、9室と10室の支配星が相互アスペクトして、ダルマカルマラージャヨーガを形成している。

従って、質の高いラージャヨーガが形成されており、ベトナム戦争介入反対を掲げる候補を応援していることからそうした質の高さが感じられるのである。

水星/金星期にウェルズリー校の卒業生総代として行ったスピーチが賞賛から非難までさまざまな反響を呼び、地元のテレビ局のインタビューに出演して、『ライフ』誌にも取り上げられた(wikipedia)と書いてある。

金星は5室支配で5室に在住して3室支配の太陽と接合しているので、金星期にメディアに登場したことは理解できるのである。

また水星/木星期にビル・クリントンと結婚しているが、マハダシャーの水星は1室の支配星で、アンタルダシャーの木星は7室の支配星である。

またナヴァムシャを見てもマハダシャーの水星は7室の支配星であり、アンタルダシャーの木星はラグナ(7室から見た7室)の支配星である。


またこの時、トランジットの木星は魚座を通過して、7室支配の木星にアスペクトし、土星は双子座をトランジットして、7室にアスペクトしていた。

従って、7室にダブルトランジットが成立している。

チャラダシャーは、おそらく山羊座/魚座であり、山羊座にはDKNがアスペクトし、魚座にはDKが在住している。

ヨーギニダシャーでも木星/木星期に移行するタイミングであり、木星はパートナーの7室の支配星である。





水星は7、10室支配で9室支配の太陽と相互アスペクトしているからこそ、マハダシャー水星期にパートナーであるビル・クリントンと出会い、共に政治活動を行ってきたのである。


ヒラリー・クリントンは、1980年2月27日に娘のチェルシーを出産している。

このこともバイオロジカルファクト(生物学的事実)として、ダシャーの検証にとって重要な出来事である。


ダシャーはケートゥ/ケートゥ/木星期であり、ケートゥはサプタムシャ(D7)の5−11室の軸に在住し、5室支配の火星と接合している。

またケートゥのディスポジターの金星は9室で高揚している。


従って、子供の誕生を説明することができる。




またヨーギニダシャーでは火星/土星期であり、火星は5室の支配星で、土星はD7のラグナに在住している。

またチャラダシャーを見ると、射手座/獅子座であり、PKの太陽はD7の射手座に在住し、獅子座から見た5室に在住している。

トランジットも木星と土星が獅子座から水瓶座にアスペクトして、9室にダブルトランジットを形成している。




このようにヒラリークリントンのマハダシャー水星期の政治活動、そして、結婚のタイミングと、子供の誕生のタイミングなどから検討すると、双子座ラグナで正しそうである。

出生時間がAM8:02の天秤座ラグナでも結婚や出産のタイミングが説明できてしまう所に難しい要素があるが、マハダシャー水星期に政治活動に没頭して、大統領のキャンペーンを手伝うような公の活動に従事したことは、出生時間が20:00の場合の双子座ラグナのチャートのナヴァムシャでなければ説明できない。



上記のようにナヴァムシャ(D9)において、7、10室支配の水星が7室でバドラヨーガで、9室支配の太陽と相互アスペクトする配置となって初めて、そうした学生時代や青年時代の政治活動での躍進を説明することができる。


因みに2016年5月現在、ヒラリークリントンはマハダシャー月期で、月/木星期である。

この月/木星期がどの程度のポテンシャルを持っているかは、過去のアンタルダシャーを調べてみると明瞭である。


例えば、金星/月期は、ヒラリークリントンにとって不運な時期であった。

金星/月期は、法律事務所や「ウォルマート」の社外取締役、児童防衛基金の会長などの職を次々に辞したり、夫であるビルクリントンが不倫をして、大統領支持率が低下するなどの不運に遭遇している。

1991年   ビルの大統領選挙運動中、新しいイメージで登場したヒラリー。ソフトなボブカットが話題になった。
1991年にビルは大統領選に出馬。その選挙運動中、ヒラリーが「家にいてクッキーを焼いてお茶を入れることもできたが、自分の職業を全うすることを選んだ」とコメントしたことで、一部から「専業主婦に対して冷淡」とか「急進的フェミニスト」などという批判を浴びることになった。こうした批判は選挙運動中収まることはなく、ヒラリーはその対応に苦慮した。この頃、法律事務所や「ウォルマート」の社外取締役、児童防衛基金の会長などの職を次々に辞している。
金星/太陽
金星/月
     
1991年 同年秋、ビルとクラブ歌手ジェニファー・フラワーズの不倫問題が公になり、この両者の間で交わされた電話の会話の一部を録音したテープがマスコミに流出すると、それまで選挙戦を優勢に戦っていたビルの支持率が急落した。 金星/月      


また2012年12月に月/月期になると、ウイルス性の胃腸炎に伴う脱水症状で倒れた際に脳振盪を起こし検査で頭部の静脈に血栓が見つかり、30日から入院して治療している。(wikipedia)


またマハダシャー月期になったタイミングで、国務長官を辞任して政権を去っている。

つまり、マハダシャー月期に政治を辞めているのである。

従って、月/木星期の今(2016年5月現在)、大統領になろうとしていることは少しおかしいと言わざるを得ない。

2012年 12月 2012年12月、ウイルス性の胃腸炎に伴う脱水症状で倒れた際に脳振盪を起こし検査で頭部の静脈に血栓が見つかり、30日から入院して治療し、2013年1月2日、ニューヨーク市内の病院を退院した。
月/月      
2013年 1月25日 2013年1月25日、オバマ大統領と初めて二人だけでCBSテレビに出演し、大統領からは「彼女は最高の国務長官の1人として政権を去る。公の場で感謝を伝えたかった」と称賛された。翌日にCBSで放送された単独インタビューでは2016年の大統領選挙について訊かれ、「あす、あるいは来年のことは予測できない」と立候補に含みを持たせたともとれる発言をしている。任期の終わり頃には国民の人気は高くなっており、退任直前の2013年1月にワシントン・ポストとABCが共同で行った世論調査では支持率65%だった。
2月1日、「皆とともに米国を安全にし、国益を促進し、われわれの価値が敬われるよう努めてきたことを誇りに思う」と挨拶をし、国務省を後にした。直前にトルコの首都アンカラのアメリカ大使館で自爆テロが発生したため、最後までその対応に追われての退任だった。
月/月      
2015年 4月12日

2015年4月12日、ヒラリーは2016年大統領選出馬を正式に表明した。14日、アイオワ州で討論会を開催し、「ヘッジファンドの幹部が低い税率で納税しているのはおかしい」と富裕層優遇政策を批判した。16日には、オバマ政権で商品先物取引委員長を務めたゲーリー・ゲンスラーを選挙戦最高財務責任者に任命することが報道された。2015年5月5日、クリントン財団の金の問題を追及した書籍『Clinton Cash』が発売されたのを受けて反論サイトを立ち上げた。

月/ラーフ      
2015年 4月16日 2015年4月16日付けで、ローレン・パウエル・ジョブズは、TIME誌にヒラリーを支持する内容の寄稿をし、また最大の献金者として知られている。 月/ラーフ      
2016年 3月16日 2016年3月16日ウィキリークスが、2010年6月30日から2014年8月12日までにヒラリーの個人サーバーが送受信した3万322通の電子メールおよび添付ファイルを公開した。このうちでヒラリー自身の手による記事は7570件にのぼる。これら電子メールは夫のビルが署名した情報公開法によりPDF 形式で入手できるが、最後にPDF 化されたのは2016年2月29日であり、まだ周知されていない事実を相当含むと目される。 月/木星      



月はマラカの2室の支配星であり、ケーマドルマヨーガで、蟹座には火星と土星が在住しているため、火星と土星のディスポジターとなることで月は傷ついている。

またナヴァムシャでも8室支配で9室に在住し、火星からアスペクトされており、ダシャムシャ(D10)では、12室支配で6室に在住し、太陽、ラーフと接合し、火星からアスペクトされることで傷ついている。

従って、月は激しく傷ついており、弱い配置である。


過去の月期や、マハダシャー月期になったタイミングでそれを象徴する出来事が生じている。

従って、月/ラーフ期にヒラリークリントンは、大統領選に立候補したが、民主党の候補者選びで、サンダース議員に追い上げられており、かなり接戦の状況である。

こうしたことからマハダシャー月期に圧勝という訳にはいかないことが分かる。


因みにビル・クリントンが大統領に当選してから8年間、ホワイトハウスでファーストレディーとして、辣腕を振るっている。

ヒラリーは当時、「最強のファーストレディー」と評され、ビル・クリントンは就任早々にヒラリーを医療保険改革問題特別専門委員会の委員長に任命し、ヒラリーはクリントン政権を通じて閣議に臨席するという特別な存在であった。(wikipediaより)

この時期は、マハダシャー金星期であり、金星は、ダシャムシャの10室で、マラヴィアヨーガを形成している。

従って、ファーストレディー時代が最もヒラリークリントンが繁栄して輝いた時代であったことを物語っている。

金星が強い配置であるため、カリスマがあり、美的な面でも輝いていたことが分かる。


然し、マハダシャー太陽期になると、オバマ大統領との候補者選びで敗北し、後にオバマ政権で、国務長官として奮闘したが、非常に苦労して心労が絶えない様子であった。国務長官を1期務めて辞めたのはその為である。

ダシャムシャ(D10)のラグナロードであるため、国務長官という形で、国政の重要な役職に就任したが、経験がないため、苦労したようである。

また中東和平や対テロなどの課題を多く抱える重要地域には外遊させてもらえずに東アジア諸国といった重要案件の少ない無難な地域での仕事をあてがわれたり、右ひじ骨折のため、オバマ大統領のロシア訪問に同行できず、主要国(G8)外相会談に出席も出来ず、訪問国ケニアで夫のことを質問されるなどの屈辱を経験している。

またコンゴでは、「クリントン元大統領」はどう考えているのかという誤訳に対して、ヒラリークリントンが夫のことを持ち出されたと勘違いして憤慨し、プライドを大きく傷付けられている。またヒラリーがそうした質問に気色ばんだことから、夫の影についてのコンプレックスがあることも露呈している。

また娘の結婚式での乱痴気騒ぎで、支持率を落とすなどの不運にもさらされている。

国務長官

(略)

国務長官としてのヒラリーの最初の外遊先は東アジア諸国であり、日本、インドネシア、韓国、中国を順に訪問して無難な外交デビューを飾った。他方で中東和平・対テロなど喫緊の課題を多く抱える中近東・西南アジアで、大統領と直接協議する権限を与えられた特使が実務に当たっており、外交経験の少ないヒラリーは大きな懸案の少ない無難な地域で仕事を始めざるを得なかったという事情があった。

2009年6月にヒラリーは右ひじを骨折したために、オバマ大統領のロシア訪問の同行、さらに主要国(G8)外相会議の出席ができなかった。そして8月にアフリカ7カ国を訪問したときには、夫のビル・クリントン元大統領が北朝鮮を電撃訪問。最初の訪問国ケニアは夫の訪朝を質問されることになった。

さらにコンゴのキンシャサでの対話集会の席上「コンゴと中国との金融協定」について「オバマ大統領」はどう考えているのかのと男子学生がフランス語で質問したところ、同時通訳が「クリントン元大統領」と誤訳した。それを聞いたヒラリーは気色ばみ、「私に夫が何を考えているか話させたいの?国務長官は私よ。夫じゃない(My husband is not secretary general, I am!)」といい「私の考えなら話すけど、私は夫とは交信しない」と返答した。あとで誤訳の事実を知らされるとヒラリーは機嫌を取り戻したが、「元大統領が、妻に向けられるべきスポットライトを奪った」(AP通信)と報じられた。

2010年、娘・チェルシーがニューヨーク州ラインベックで催した結婚式で乱痴気騒ぎを起こした際には、ニューヨークでの自身の支持まで大きく失った。

(wikipedia ヒラリー・クリントン より引用抜粋)


これは太陽がダシャムシャ(D10)で6室に在住して、ラーフと接合し、火星からアスペクトされて傷ついているからであると分かる。




因みにこれらのことはアンタル木星期に起こっている。

2009年 1月13日 上院外交委員会は2009年1月13日、ヒラリーを召還して国務長官承認のための公聴会を開始し、オバマ大統領就任後の1月21日に上院の本会議が賛成94反対2でヒラリーの国務長官就任を承認した。これに伴いヒラリーは正式に国務長官に就任した。
国務長官としてのヒラリーの最初の外遊先は東アジア諸国であり、日本、インドネシア、韓国、中国を順に訪問して無難な外交デビューを飾った。他方で中東和平・対テロなど喫緊の課題を多く抱える中近東・西南アジアで、大統領と直接協議する権限を与えられた特使が実務に当たっており、外交経験の少ないヒラリーは大きな懸案の少ない無難な地域で仕事を始めざるを得なかったという事情があった。
太陽/木星      
2009年 6月 2009年6月にヒラリーは右ひじを骨折したために、オバマ大統領のロシア訪問の同行、さらに主要国(G8)外相会議の出席ができなかった。そして8月にアフリカ7カ国を訪問したときには、夫のビル・クリントン元大統領が北朝鮮を電撃訪問。最初の訪問国ケニアは夫の訪朝を質問されることになった。
さらにコンゴのキンシャサでの対話集会の席上「コンゴと中国との金融協定」について「オバマ大統領」はどう考えているのかのと男子学生がフランス語で質問したところ、同時通訳が「クリントン元大統領」と誤訳した。それを聞いたヒラリーは気色ばみ、「私に夫が何を考えているか話させたいの?国務長官は私よ。夫じゃない(My husband is not secretary general, I am!)」といい「私の考えなら話すけど、私は夫とは交信しない」と返答した。あとで誤訳の事実を知らされるとヒラリーは機嫌を取り戻したが、「元大統領が、妻に向けられるべきスポットライトを奪った」(AP通信)と報じられた。
太陽/木星      

木星は、出生図で10室の支配星であるが、奮闘(struggle)の6室に在住し、ケートゥと接合している。

従って、木星期は苦労する時期であることを物語っている。


ヒラリークリントンは、2016年の大統領選挙に立候補しているが、民主党の候補者選びにおいても苦戦しており、サンダース議員とかなり接戦を演じている。

本来、サンダース議員は泡沫候補であり、通常なら圧勝しなければならない所を苦戦を強いられているのである。

これは逆に言えば、ヒラリーの月/木星期の今(2016年5月現在)は、そのダシャーの弱さが正確に現れていることを示していると言うことができる。

サンダース陣営敗北認める クリントン氏「非常に興奮」
デモイン〈米アイオワ州〉=佐藤武嗣 2016年2月3日10時12分 朝日新聞DIGITAL

 米大統領選の民主党候補者を選ぶアイオワ州党員集会で2日、クリントン前国務長官(68)の勝利が確定した。大接戦となった左派のサンダース上院議員(74)を支持者獲得率でわずか0・2ポイント上回り、再集計の是非が注目されたが、サンダース陣営が同日、敗北を認め、再集計を求めないことを決めた。

 民主党は、州内計約1700の地区での党員集会の集計をすべて終了。クリントン氏の支持者獲得率は49・8%、サンダース氏は49・6%だった。アイオワ州民主党は「史上最も僅差(きんさ)だ」としながら、クリントン勝利は覆らないとの見解を発表していた。

 この結果、7月の同党全国大会に向けた代議員の獲得数はクリントン氏が23人、サンダース氏が21人となる見通しだ。


このようなことから、ヒラリー・クリントンの現在のダシャーと、実際の状況から考えて、ドナルド・トランプとの大統領選に勝利できるとは到底思えないのである。

それでは何故、それでも大統領選に立候補したのかと言えば、やはりヒラリークリントンが2016年度の大統領選への出馬を表明したのは、月/ラーフ期である。

ラーフは牡牛座で高揚しているため、大統領選に打って出たいという欲望を押さえられなくなったからである。

ディスポジターの金星は彼女にとっての強い金星である。

従って、自分は行けるのではないかとこの時は考えたと思われる。

月/木星期になると、木星は10室の支配星であり、その木星に対して土星がトランジットしており、2015年7月14日までは木星は蟹座をトランジットしていた為、10室にダブルトランジットが生じていた。

従って、大舞台で大統領予備選を戦っているのである。

然し、ヒラリー・クリントンにはかつて程のカリスマは見られず、泡沫候補に追い上げられている姿からは金星期や太陽期と比較した場合に弱さが感じられる。

2016年8月から木星が乙女座に入室すると、ヒラリークリントンの8室や12室にダブルトランジットが形成されるため、その段階で、圧倒的なドナルド・トランプを前に撤退を強いられることが推測されるのである。

(資料)

西暦 月日 出来事 ヴィムショッタリダシャー チャラダシャー ヨーギニダシャー トランジット
1947年   1947年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。一家はメソジスト教派であり、彼女は白人中産階級が多く住むイリノイ州パークリッジで成長する。父親のヒュー・ローダムは保守主義者であり、繊維業界の大物であった。母親のドロシーは専業主婦であり、ドロシーの両親はドロシーが幼い頃離婚、ドロシーは父方の両親に預けられ寂しい子供時代を過ごした。ヒラリーには二人の兄弟、ヒューとトニーがいる。ヒラリーは幼少時からスポーツに興味を持ち、テニスやスケート、バレーボールなどを楽しんだ。また早くから政治に興味を持ち、若き共和党員として活動する。 土星/水星    
1964年   1964年の大統領選では共和党のバリー・ゴールドウォーター候補を応援するゴールドウォーターガールを務める。 水星/水星      
1965年   メイン南高校を卒業後、1965年にマサチューセッツ州の名門女子大であるウェルズリー大学に入学、1年生の時、学内青年共和党の党首に選ばれるが、ベトナム戦争や公民権に関する共和党の政策に疑問を持ち始め、その後辞任。 水星/水星
水星/ケートゥ
     
1968年   1968年の大統領予備選では、ベトナム戦争介入反対を掲げる民主党のユージーン・マッカーシー候補を支持した。その一方で、同年の夏には首都ワシントンの下院共和党議員総会でインターンを経験、共和党党大会ではニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーのために働いた。その後ウェルズリー校を優秀な成績で卒業、同大学初の卒業生総代として行ったスピーチが賞賛から非難までさまざまな反響を呼び、地元のテレビ局のインタビューに出演、『ライフ』誌にも取り上げられた。 水星/金星      
1969年   1969年、ヒラリーはイェール・ロー・スクールに進み、そこでビル・クリントンに出会う。在学中はマリアン・エデルマンが始めた児童擁護のための組織で働き、また法律が子供に与える影響について特に学んだ。 水星/金星
水星/太陽
     
1972年   1972年の大統領選ではビル・クリントンが参加していた民主党のジョージ・マクガヴァン大統領候補の選挙運動に加わった。 水星/火星
水星/ラーフ
     
1973年   1973年のロースクール卒業(法務博士(Juris Doctor)の学位を受ける。)後は、エデルマンが新たに始めた児童防衛基金 (Children's Defense Fund) で働いた。 水星/ラーフ      
1974年   1974年には下院司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に参加している。調査団解散後はビルのいるアーカンソー州に移り、ビルとともにアーカンソー大学ファイエットビル校ロースクールで教鞭を取った。この年ビルがアーカンソー州で下院議員選に出馬するが落選した。 水星/ラーフ
水星/木星
     
1975年   ビル・クリントンと結婚。 水星/木星 山羊座/牡羊座
山羊座/魚座
山羊座/水瓶座
太陽/金星
太陽/ラーフ
太陽/月
木星/木星

土星:双子座
木星:魚座
DT:7室


【1975/7/24以降】
土星:蟹座
木星:牡羊座
DT:7室

1976年   1976年にはビルがアーカンソー州の司法長官に選出されて州都リトルロックへ移るのに伴い、アーカンソー大学での職を辞し、ビンス・フォスターがパートナー(共同経営者)を務めるローズ法律事務所に移った。また同じ年の大統領選では、ビルとともにジミー・カーター民主党候補の選挙戦に参加した。 水星/木星      
1978年   1978年ビルが32歳の若さでアーカンソー州知事に当選するとアーカンソー州のファーストレディとなったが、弁護士としての活動も続けた。 水星/土星      
1979年   1979年にはローズ法律事務所の女性初のパートナーとなった。その一方で、アーカンソー州における質の高いヘルスケアの普及を目的とした地方健康諮問委員会 (Rural Health Advisory Committee) の議長を務めるとともに、児童防衛基金の活動にも参加。またカーター大統領の指名により、連邦議会が設立した非営利団体の司法事業推進公社 (Legal Service Corporation) の理事を務めた。 水星/土星
ケートゥ/ケートゥ
     
1980年 2月27日 1980年2月27日 ヒラリーは娘のチェルシーを出産。ビルは再選をかけた同年の知事選に破れた。(当時のアーカンソー州知事の任期は2年) ケートゥ/ケートゥ/木星
射手座/獅子座
火星/土星 木星:獅子座逆行
土星:乙女座逆行

DT:9室

【9ヶ月前】
木星:蟹座
土星:獅子座

DT:9室

1982年   ビル・クリントンが1982年の知事選で当選してカムバックした。この82年の選挙戦を機に、ヒラリーは結婚後も引き続き使っていた「ヒラリー・ローダム」を「ヒラリー・ローダム・クリントン」に替えている(「名前のこだわり」の節を参照)。
この第二期目のクリントン知事のもとで、ヒラリーはアーカンソー州の教育制度改革を目的とした教育水準委員会 (Education Standards Committee) の委員長を務めた。
ケートゥ/月
ケートゥ/火星
ケートゥ/ラーフ
     
1991年   ビルの大統領選挙運動中、新しいイメージで登場したヒラリー。ソフトなボブカットが話題になった。
1991年にビルは大統領選に出馬。その選挙運動中、ヒラリーが「家にいてクッキーを焼いてお茶を入れることもできたが、自分の職業を全うすることを選んだ」とコメントしたことで、一部から「専業主婦に対して冷淡」とか「急進的フェミニスト」などという批判を浴びることになった。こうした批判は選挙運動中収まることはなく、ヒラリーはその対応に苦慮した。この頃、法律事務所や「ウォルマート」の社外取締役、児童防衛基金の会長などの職を次々に辞している。
金星/太陽
金星/月
     
1991年 同年秋、ビルとクラブ歌手ジェニファー・フラワーズの不倫問題が公になり、この両者の間で交わされた電話の会話の一部を録音したテープがマスコミに流出すると、それまで選挙戦を優勢に戦っていたビルの支持率が急落した。 金星/月      
1993年   ビルが大統領に当選すると、ヒラリーは翌1993年から8年間、アメリカ合衆国のファーストレディとなった。ヒラリーはアメリカでは初の、院卒にして弁護士のファーストレディーであり、したがって初のキャリアウーマンのファーストレディーである。そのため当時アメリカではヒラリーのことを、かつて国連代表を務めたエレノア・ルーズベルトと並ぶ「最強のファーストレディー」と評していた。
就任後早々、ビルはヒラリーを医療保険改革問題特別専門委員会 (Task Force on National Health Care Reform) の委員長に任命した。同委員会は、国主導型の健康保険制度導入を視野に入れた「クリントン医療保険計画」を答申したが(アメリカは先進国で唯一、国民皆保険ではない)、アメリカ医療保険制度の抜本的改革となりかねないこの計画は、野党共和党や保険会社、製薬会社、中小企業などによる大規模な反対活動にあい、民主党多数議会をもってしても支持を得ることができなかった。
金星/火星      
1994年   クリントン医療保険計画は、翌1994年に廃案となってしまった。これに勢いを得た共和党は、クリントン政権の政策を「急進的なリベラル改革」と位置づけて攻撃、同年の中間選挙では大幅に議席を伸ばして両院で多数となり、行政府と立法府のねじれ現象が生じることになっ 金星/ラーフ      
1996年   1996年の著作It Takes a Village and Other Lessons Children Teach Us はベストセラー本となり、ヒラリーの子供を中心とした政策課題は過半数の女性には好感を持って迎えられ、また大多数のアメリカ国民は「国主導型の健康保険制度導入ということ自体がアメリカにとっては時期尚早だった」と見ていたことが世論調査などで明らかになっている。 金星/ラーフ      
2000年   2000年、長年ニューヨーク州選出上院議員を務めた民主党のダニエル・パトリック・モイナハンが引退を表明すると、ニューヨーク市市長で共和党のルドルフ・ジュリアーニが出馬を表明した。ジュリアーニ市長の高い支持率を危惧した民主党は、冷めることないクリントン人気に期待をかけ、ヒラリーに白羽の矢を立てた。選挙区の住民でもなく、しかもファーストレディーの国政選挙出馬は前代未聞で、現職市長相手の選挙は接戦が予想されたが、ジュリアーニが前立腺癌治療のため出馬を取り止めると、共和党の後継候補ラヅィオ下院議員では勝負にならず、ヒラリーは得票率で55%を得て当選した(なおこの出馬も1964年にマサチューセッツ州出身のロバート・ケネディ司法長官が民主党に乞われて上院選にニューヨーク州から出馬し当選した例を踏襲したものだと言われる)。 金星/土星      
2006年   再選をかけた2006年の上院選では、共和党候補に得票率で67%対31%という大差をつけて勝利した(このため「ヒラリー当確」は全米一早く出た)。この圧倒的な再選をうけ、かねてより噂になっていたヒラリーの2008年大統領選への出馬は現実の選択肢として取沙汰されるようになった。また選挙後ビルが複数のインタビューで「ヒラリーが大統領選に出馬するかしないかは分らないが、ヒラリーが大統領になったとしたら素晴らしい大統領になることは間違いない」と彼女の出馬を言外に臭わせたことから、ヒラリー出馬説は一層真実味を帯びるようになった。
金星/ケートゥ      
2008年   2008年11月の大統領選挙ではバラク・オバマが当選した。民主党の指名争いで劣勢になった頃から、ヒラリーがオバマの副大統領になる可能性が報じられたが実現せず、オバマが次期大統領として翌年発足する政権の人事に着手した11月ごろからヒラリーは国務長官など閣僚候補として名前が取りざたされていた。それに対して、「上院を離れることに気が進まない。国務長官という新しい地位は“困難にして魅力的な冒険”だ」と発言するなど、政権入りには後ろ向きであった。しかし、11月20日には彼女は指名を受諾した。
2008年12月1日にオバマ次期大統領はヒラリーを正式に国務長官に指名したことを発表した。ヒラリーは「合衆国にすべてをささげる」と指名を受け入れた。
ヒラリーは上院時代も含め、必ずしも外交に力を入れてきたとは言い難く、外交通とは言い難かったが、大統領選挙においては、ファーストレディとして世界中の要人との人脈を築き上げたことを強くアピールしてきた。オバマが彼女を国務長官に指名した背景には、圧倒的な知名度など彼女の「即戦力になる経験」を重視し、「実利的」な政権であることを示す一方で、大統領選挙で党内に入った亀裂を融和し「超党派」性をアピールしたかったという事情がある。
太陽/ラーフ
太陽/木星
     
2009年 1月13日 上院外交委員会は2009年1月13日、ヒラリーを召還して国務長官承認のための公聴会を開始し、オバマ大統領就任後の1月21日に上院の本会議が賛成94反対2でヒラリーの国務長官就任を承認した。これに伴いヒラリーは正式に国務長官に就任した。
国務長官としてのヒラリーの最初の外遊先は東アジア諸国であり、日本、インドネシア、韓国、中国を順に訪問して無難な外交デビューを飾った。他方で中東和平・対テロなど喫緊の課題を多く抱える中近東・西南アジアで、大統領と直接協議する権限を与えられた特使が実務に当たっており、外交経験の少ないヒラリーは大きな懸案の少ない無難な地域で仕事を始めざるを得なかったという事情があった。
太陽/木星      
2009年 6月 2009年6月にヒラリーは右ひじを骨折したために、オバマ大統領のロシア訪問の同行、さらに主要国(G8)外相会議の出席ができなかった。そして8月にアフリカ7カ国を訪問したときには、夫のビル・クリントン元大統領が北朝鮮を電撃訪問。最初の訪問国ケニアは夫の訪朝を質問されることになった。
さらにコンゴのキンシャサでの対話集会の席上「コンゴと中国との金融協定」について「オバマ大統領」はどう考えているのかのと男子学生がフランス語で質問したところ、同時通訳が「クリントン元大統領」と誤訳した。それを聞いたヒラリーは気色ばみ、「私に夫が何を考えているか話させたいの?国務長官は私よ。夫じゃない(My husband is not secretary general, I am!)」といい「私の考えなら話すけど、私は夫とは交信しない」と返答した。あとで誤訳の事実を知らされるとヒラリーは機嫌を取り戻したが、「元大統領が、妻に向けられるべきスポットライトを奪った」(AP通信)と報じられた。
太陽/木星      
2010年 9月23日

2010年、娘・チェルシーがニューヨーク州ラインベックで催した結婚式で乱痴気騒ぎを起こした際には、ニューヨークでの自身の支持まで大きく失った。尖閣諸島中国漁船衝突事件に関しては9月23日、日本の前原誠司外務大臣との日米外相会談で、「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象範囲内である」との認識を示した。

同年に一部では二年後の大統領選挙に向けて、副大統領候補としてバイデン副大統領と副大統領職と国務長官職を交代するのではないかという憶測が飛び交ったが、オバマ政権は「全く真実ではない」と否定する声明を出しており、ヒラリー本人もこの時点ではこれを否定していた。

太陽/水星      
2011年 3月18日 2011年3月18日、国務長官の職を一期限りで引退する旨を明らかにし、同時に次期大統領選選挙出馬も否定した。 太陽/水星      
2012年 12月 2012年12月、ウイルス性の胃腸炎に伴う脱水症状で倒れた際に脳振盪を起こし検査で頭部の静脈に血栓が見つかり、30日から入院して治療し、2013年1月2日、ニューヨーク市内の病院を退院した。
月/月      
2013年 1月25日 2013年1月25日、オバマ大統領と初めて二人だけでCBSテレビに出演し、大統領からは「彼女は最高の国務長官の1人として政権を去る。公の場で感謝を伝えたかった」と称賛された。翌日にCBSで放送された単独インタビューでは2016年の大統領選挙について訊かれ、「あす、あるいは来年のことは予測できない」と立候補に含みを持たせたともとれる発言をしている。任期の終わり頃には国民の人気は高くなっており、退任直前の2013年1月にワシントン・ポストとABCが共同で行った世論調査では支持率65%だった。
2月1日、「皆とともに米国を安全にし、国益を促進し、われわれの価値が敬われるよう努めてきたことを誇りに思う」と挨拶をし、国務省を後にした。直前にトルコの首都アンカラのアメリカ大使館で自爆テロが発生したため、最後までその対応に追われての退任だった。
月/月      
2015年 4月12日

2015年4月12日、ヒラリーは2016年大統領選出馬を正式に表明した。14日、アイオワ州で討論会を開催し、「ヘッジファンドの幹部が低い税率で納税しているのはおかしい」と富裕層優遇政策を批判した。16日には、オバマ政権で商品先物取引委員長を務めたゲーリー・ゲンスラーを選挙戦最高財務責任者に任命することが報道された。2015年5月5日、クリントン財団の金の問題を追及した書籍『Clinton Cash』が発売されたのを受けて反論サイトを立ち上げた。

月/ラーフ      
2015年 4月16日 2015年4月16日付けで、ローレン・パウエル・ジョブズは、TIME誌にヒラリーを支持する内容の寄稿をし、また最大の献金者として知られている。 月/ラーフ      
2016年 3月16日 2016年3月16日ウィキリークスが、2010年6月30日から2014年8月12日までにヒラリーの個人サーバーが送受信した3万322通の電子メールおよび添付ファイルを公開した。このうちでヒラリー自身の手による記事は7570件にのぼる。これら電子メールは夫のビルが署名した情報公開法によりPDF 形式で入手できるが、最後にPDF 化されたのは2016年2月29日であり、まだ周知されていない事実を相当含むと目される。 月/木星      
wikipedia○○○より引用抜粋、一部編集 

 

【出生時間がAM 08:02:00の場合】 

※この出生時間に設定すると、かろうじて、結婚や子供の誕生は説明できるが、状況的に説明できないものが生じてくる。
西暦 月日 出来事 ヴィムショッタリダシャー チャラダシャー ヨーギニダシャー トランジット
1947年   1947年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。一家はメソジスト教派であり、彼女は白人中産階級が多く住むイリノイ州パークリッジで成長する。父親のヒュー・ローダムは保守主義者であり、繊維業界の大物であった。母親のドロシーは専業主婦であり、ドロシーの両親はドロシーが幼い頃離婚、ドロシーは父方の両親に預けられ寂しい子供時代を過ごした。ヒラリーには二人の兄弟、ヒューとトニーがいる。ヒラリーは幼少時からスポーツに興味を持ち、テニスやスケート、バレーボールなどを楽しんだ。また早くから政治に興味を持ち、若き共和党員として活動する。 木星/太陽
木星/月
   
1964年   1964年の大統領選では共和党のバリー・ゴールドウォーター候補を応援するゴールドウォーターガールを務める。 土星/月
土星/火星
     
1965年   メイン南高校を卒業後、1965年にマサチューセッツ州の名門女子大であるウェルズリー大学に入学、1年生の時、学内青年共和党の党首に選ばれるが、ベトナム戦争や公民権に関する共和党の政策に疑問を持ち始め、その後辞任。 土星/火星
土星/ラーフ
     
1968年   1968年の大統領予備選では、ベトナム戦争介入反対を掲げる民主党のユージーン・マッカーシー候補を支持した。その一方で、同年の夏には首都ワシントンの下院共和党議員総会でインターンを経験、共和党党大会ではニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーのために働いた。その後ウェルズリー校を優秀な成績で卒業、同大学初の卒業生総代として行ったスピーチが賞賛から非難までさまざまな反響を呼び、地元のテレビ局のインタビューに出演、『ライフ』誌にも取り上げられた。 土星/ラーフ
土星/木星
     
1969年   1969年、ヒラリーはイェール・ロー・スクールに進み、そこでビル・クリントンに出会う。在学中はマリアン・エデルマンが始めた児童擁護のための組織で働き、また法律が子供に与える影響について特に学んだ。 土星/木星      
1972年   1972年の大統領選ではビル・クリントンが参加していた民主党のジョージ・マクガヴァン大統領候補の選挙運動に加わった。 水星/水星      
1973年   1973年のロースクール卒業(法務博士(Juris Doctor)の学位を受ける。)後は、エデルマンが新たに始めた児童防衛基金 (Children's Defense Fund) で働いた。 水星/水星
水星/ケートゥ
     
1974年   1974年には下院司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に参加している。調査団解散後はビルのいるアーカンソー州に移り、ビルとともにアーカンソー大学ファイエットビル校ロースクールで教鞭を取った。この年ビルがアーカンソー州で下院議員選に出馬するが落選した。 水星/ケートゥ
水星/金星
     
1975年   ビル・クリントンと結婚。 水星/金星 射手座/牡羊座
射手座/魚座
月/木星〜太陽/太陽

土星:双子座
木星:魚座
DT:6室


【1975/7/24以降】
土星:蟹座
木星:牡羊座
DT:7室

1976年   1976年にはビルがアーカンソー州の司法長官に選出されて州都リトルロックへ移るのに伴い、アーカンソー大学での職を辞し、ビンス・フォスターがパートナー(共同経営者)を務めるローズ法律事務所に移った。また同じ年の大統領選では、ビルとともにジミー・カーター民主党候補の選挙戦に参加した。 水星/金星      
1978年   1978年ビルが32歳の若さでアーカンソー州知事に当選するとアーカンソー州のファーストレディとなったが、弁護士としての活動も続けた。 水星/太陽
水星/月
     
1979年   1979年にはローズ法律事務所の女性初のパートナーとなった。その一方で、アーカンソー州における質の高いヘルスケアの普及を目的とした地方健康諮問委員会 (Rural Health Advisory Committee) の議長を務めるとともに、児童防衛基金の活動にも参加。またカーター大統領の指名により、連邦議会が設立した非営利団体の司法事業推進公社 (Legal Service Corporation) の理事を務めた。 水星/月
水星/火星
     
1980年 2月27日 1980年2月27日 ヒラリーは娘のチェルシーを出産。ビルは再選をかけた同年の知事選に破れた。(当時のアーカンソー州知事の任期は2年) 水星/火星 山羊座/天秤座 木星/ラーフ 木星:獅子座逆行
土星:乙女座逆行

DT:5室

【9ヶ月前】
木星:蟹座
土星:獅子座

DT:5室

1982年   ビル・クリントンが1982年の知事選で当選してカムバックした。この82年の選挙戦を機に、ヒラリーは結婚後も引き続き使っていた「ヒラリー・ローダム」を「ヒラリー・ローダム・クリントン」に替えている(「名前のこだわり」の節を参照)。
この第二期目のクリントン知事のもとで、ヒラリーはアーカンソー州の教育制度改革を目的とした教育水準委員会 (Education Standards Committee) の委員長を務めた。
水星/ラーフ      
1991年   ビルの大統領選挙運動中、新しいイメージで登場したヒラリー。ソフトなボブカットが話題になった。
1991年にビルは大統領選に出馬。その選挙運動中、ヒラリーが「家にいてクッキーを焼いてお茶を入れることもできたが、自分の職業を全うすることを選んだ」とコメントしたことで、一部から「専業主婦に対して冷淡」とか「急進的フェミニスト」などという批判を浴びることになった。こうした批判は選挙運動中収まることはなく、ヒラリーはその対応に苦慮した。この頃、法律事務所や「ウォルマート」の社外取締役、児童防衛基金の会長などの職を次々に辞している。
ケートゥ/火星
ケートゥ/ラーフ
     
1991年 同年秋、ビルとクラブ歌手ジェニファー・フラワーズの不倫問題が公になり、この両者の間で交わされた電話の会話の一部を録音したテープがマスコミに流出すると、それまで選挙戦を優勢に戦っていたビルの支持率が急落した。 ケートゥ/ラーフ      
1993年   ビルが大統領に当選すると、ヒラリーは翌1993年から8年間、アメリカ合衆国のファーストレディとなった。ヒラリーはアメリカでは初の、院卒にして弁護士のファーストレディーであり、したがって初のキャリアウーマンのファーストレディーである。そのため当時アメリカではヒラリーのことを、かつて国連代表を務めたエレノア・ルーズベルトと並ぶ「最強のファーストレディー」と評していた。
就任後早々、ビルはヒラリーを医療保険改革問題特別専門委員会 (Task Force on National Health Care Reform) の委員長に任命した。同委員会は、国主導型の健康保険制度導入を視野に入れた「クリントン医療保険計画」を答申したが(アメリカは先進国で唯一、国民皆保険ではない)、アメリカ医療保険制度の抜本的改革となりかねないこの計画は、野党共和党や保険会社、製薬会社、中小企業などによる大規模な反対活動にあい、民主党多数議会をもってしても支持を得ることができなかった。

ケートゥ/木星
ケートゥ/土星

     
1994年   クリントン医療保険計画は、翌1994年に廃案となってしまった。これに勢いを得た共和党は、クリントン政権の政策を「急進的なリベラル改革」と位置づけて攻撃、同年の中間選挙では大幅に議席を伸ばして両院で多数となり、行政府と立法府のねじれ現象が生じることになっ ケートゥ/土星
ケートゥ/水星
     
1996年   1996年の著作It Takes a Village and Other Lessons Children Teach Us はベストセラー本となり、ヒラリーの子供を中心とした政策課題は過半数の女性には好感を持って迎えられ、また大多数のアメリカ国民は「国主導型の健康保険制度導入ということ自体がアメリカにとっては時期尚早だった」と見ていたことが世論調査などで明らかになっている。 金星/金星      
2000年   2000年、長年ニューヨーク州選出上院議員を務めた民主党のダニエル・パトリック・モイナハンが引退を表明すると、ニューヨーク市市長で共和党のルドルフ・ジュリアーニが出馬を表明した。ジュリアーニ市長の高い支持率を危惧した民主党は、冷めることないクリントン人気に期待をかけ、ヒラリーに白羽の矢を立てた。選挙区の住民でもなく、しかもファーストレディーの国政選挙出馬は前代未聞で、現職市長相手の選挙は接戦が予想されたが、ジュリアーニが前立腺癌治療のため出馬を取り止めると、共和党の後継候補ラヅィオ下院議員では勝負にならず、ヒラリーは得票率で55%を得て当選した(なおこの出馬も1964年にマサチューセッツ州出身のロバート・ケネディ司法長官が民主党に乞われて上院選にニューヨーク州から出馬し当選した例を踏襲したものだと言われる)。 金星/月      
2006年   再選をかけた2006年の上院選では、共和党候補に得票率で67%対31%という大差をつけて勝利した(このため「ヒラリー当確」は全米一早く出た)。この圧倒的な再選をうけ、かねてより噂になっていたヒラリーの2008年大統領選への出馬は現実の選択肢として取沙汰されるようになった。また選挙後ビルが複数のインタビューで「ヒラリーが大統領選に出馬するかしないかは分らないが、ヒラリーが大統領になったとしたら素晴らしい大統領になることは間違いない」と彼女の出馬を言外に臭わせたことから、ヒラリー出馬説は一層真実味を帯びるようになった。
金星/木星      
2008年   2008年11月の大統領選挙ではバラク・オバマが当選した。民主党の指名争いで劣勢になった頃から、ヒラリーがオバマの副大統領になる可能性が報じられたが実現せず、オバマが次期大統領として翌年発足する政権の人事に着手した11月ごろからヒラリーは国務長官など閣僚候補として名前が取りざたされていた。それに対して、「上院を離れることに気が進まない。国務長官という新しい地位は“困難にして魅力的な冒険”だ」と発言するなど、政権入りには後ろ向きであった。しかし、11月20日には彼女は指名を受諾した。
2008年12月1日にオバマ次期大統領はヒラリーを正式に国務長官に指名したことを発表した。ヒラリーは「合衆国にすべてをささげる」と指名を受け入れた。
ヒラリーは上院時代も含め、必ずしも外交に力を入れてきたとは言い難く、外交通とは言い難かったが、大統領選挙においては、ファーストレディとして世界中の要人との人脈を築き上げたことを強くアピールしてきた。オバマが彼女を国務長官に指名した背景には、圧倒的な知名度など彼女の「即戦力になる経験」を重視し、「実利的」な政権であることを示す一方で、大統領選挙で党内に入った亀裂を融和し「超党派」性をアピールしたかったという事情がある。
金星/土星      
2009年 1月13日 上院外交委員会は2009年1月13日、ヒラリーを召還して国務長官承認のための公聴会を開始し、オバマ大統領就任後の1月21日に上院の本会議が賛成94反対2でヒラリーの国務長官就任を承認した。これに伴いヒラリーは正式に国務長官に就任した。
国務長官としてのヒラリーの最初の外遊先は東アジア諸国であり、日本、インドネシア、韓国、中国を順に訪問して無難な外交デビューを飾った。他方で中東和平・対テロなど喫緊の課題を多く抱える中近東・西南アジアで、大統領と直接協議する権限を与えられた特使が実務に当たっており、外交経験の少ないヒラリーは大きな懸案の少ない無難な地域で仕事を始めざるを得なかったという事情があった。
金星/土星      
2009年 6月 2009年6月にヒラリーは右ひじを骨折したために、オバマ大統領のロシア訪問の同行、さらに主要国(G8)外相会議の出席ができなかった。そして8月にアフリカ7カ国を訪問したときには、夫のビル・クリントン元大統領が北朝鮮を電撃訪問。最初の訪問国ケニアは夫の訪朝を質問されることになった。
さらにコンゴのキンシャサでの対話集会の席上「コンゴと中国との金融協定」について「オバマ大統領」はどう考えているのかのと男子学生がフランス語で質問したところ、同時通訳が「クリントン元大統領」と誤訳した。それを聞いたヒラリーは気色ばみ、「私に夫が何を考えているか話させたいの?国務長官は私よ。夫じゃない(My husband is not secretary general, I am!)」といい「私の考えなら話すけど、私は夫とは交信しない」と返答した。あとで誤訳の事実を知らされるとヒラリーは機嫌を取り戻したが、「元大統領が、妻に向けられるべきスポットライトを奪った」(AP通信)と報じられた。
金星/土星      
2010年 9月23日

2010年、娘・チェルシーがニューヨーク州ラインベックで催した結婚式で乱痴気騒ぎを起こした際には、ニューヨークでの自身の支持まで大きく失った。尖閣諸島中国漁船衝突事件に関しては9月23日、日本の前原誠司外務大臣との日米外相会談で、「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象範囲内である」との認識を示した。

同年に一部では二年後の大統領選挙に向けて、副大統領候補としてバイデン副大統領と副大統領職と国務長官職を交代するのではないかという憶測が飛び交ったが、オバマ政権は「全く真実ではない」と否定する声明を出しており、ヒラリー本人もこの時点ではこれを否定していた。

金星/土星      
2011年 3月18日 2011年3月18日、国務長官の職を一期限りで引退する旨を明らかにし、同時に次期大統領選選挙出馬も否定した。 金星/水星      
2012年 12月 2012年12月、ウイルス性の胃腸炎に伴う脱水症状で倒れた際に脳振盪を起こし検査で頭部の静脈に血栓が見つかり、30日から入院して治療し、2013年1月2日、ニューヨーク市内の病院を退院した。
金星/水星      
2013年 1月25日 2013年1月25日、オバマ大統領と初めて二人だけでCBSテレビに出演し、大統領からは「彼女は最高の国務長官の1人として政権を去る。公の場で感謝を伝えたかった」と称賛された。翌日にCBSで放送された単独インタビューでは2016年の大統領選挙について訊かれ、「あす、あるいは来年のことは予測できない」と立候補に含みを持たせたともとれる発言をしている。任期の終わり頃には国民の人気は高くなっており、退任直前の2013年1月にワシントン・ポストとABCが共同で行った世論調査では支持率65%だった。
2月1日、「皆とともに米国を安全にし、国益を促進し、われわれの価値が敬われるよう努めてきたことを誇りに思う」と挨拶をし、国務省を後にした。直前にトルコの首都アンカラのアメリカ大使館で自爆テロが発生したため、最後までその対応に追われての退任だった。
金星/水星      
2015年 4月12日

2015年4月12日、ヒラリーは2016年大統領選出馬を正式に表明した。14日、アイオワ州で討論会を開催し、「ヘッジファンドの幹部が低い税率で納税しているのはおかしい」と富裕層優遇政策を批判した。16日には、オバマ政権で商品先物取引委員長を務めたゲーリー・ゲンスラーを選挙戦最高財務責任者に任命することが報道された。2015年5月5日、クリントン財団の金の問題を追及した書籍『Clinton Cash』が発売されたのを受けて反論サイトを立ち上げた。

太陽/太陽      
2015年 4月16日 2015年4月16日付けで、ローレン・パウエル・ジョブズは、TIME誌にヒラリーを支持する内容の寄稿をし、また最大の献金者として知られている。 太陽/太陽      
2016年 3月16日 2016年3月16日ウィキリークスが、2010年6月30日から2014年8月12日までにヒラリーの個人サーバーが送受信した3万322通の電子メールおよび添付ファイルを公開した。このうちでヒラリー自身の手による記事は7570件にのぼる。これら電子メールは夫のビルが署名した情報公開法によりPDF 形式で入手できるが、最後にPDF 化されたのは2016年2月29日であり、まだ周知されていない事実を相当含むと目される。 太陽/火星      
wikipedia○○○より引用抜粋、一部編集