少年隊の東山紀之のチャートである。
ラグナが蠍座のアヌラーダに在住しており、ラグナロードの火星が2、5室支配で9室で高揚する木星と接合している。
火星は減衰しているが、高揚する木星とコンジャンクションすることで、ニーチャバンガラージャヨーガを形成している。
1室と9室の支配星が9室で接合している配置は、非常によい配置であり、
師匠からの恩寵を受ける配置である。
この東山紀之の師匠運については、以下のようなエピソードがwikipediaに記されている。
1979年、あと1か月で小学校を卒業という春先、当時、NHK放送センターの理容室に勤務していた母親から音楽番組『レッツゴーヤング』の公開収録のチケットを貰い受け、友人3人とNHKホールへ観覧に行った。その帰り道、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていた東山の姿に、たまたま車で通りがかったジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川の目が留まった。すぐさま社長自ら車から降りて声をかけたという。(wikipediaより) |
wikipediaによれば、東山紀之は、ジャニー喜多川から直接スカウトされた数少ないタレントの一人であるというが、これは彼の師匠運が飛びぬけて良いことを表している。
因みに東山紀之は、森光子から寵愛され、その寵愛ぶりはストーカーまがいであったと言われている。
森光子の月が山羊座であり、木星が蟹座アーシュレーシャで高揚している。従って、蟹座アーシュレーシャの木星はパートナーの表示体である。
東山紀之のラグナロードの火星は9室で蟹座のアーシュレーシャに在住している。
従って、東山紀之は、森光子の7室に在住する木星の表示体である。
東山紀之と、森光子は、お互いに「友達以上、恋人未満」とお互いに宣言したというが、そのような関係性は、このようにナクシャトラレベルで緊密な惑星同士のつながりがある場合に生じる。
森光子の高揚する木星が東山紀之のラグナロード、ラグナ、月といった主要なポイントにアスペクトしており、また東山紀之の木星も森光子の月にアスペクトしている。
従って、このようにお互いのラグナやラグナロード、月などに木星が絡む場合、精神的な安らぎや保護を与えるため、非常に理想的なカップルと言える。
森光子からストーカーされたのは、7室支配の金星が8支配の水星と接合しているからである。
またチャンドラグナでは7室支配の水星が8室支配の金星と接合している。
7室と8室が絡む場合、パートナーからの支配を表している。
森光子は逝く前に、東山紀之に遺産の一部を譲るとの遺言を残しているが、東山紀之は8、11室支配の水星が11室で自室に在住しているためである。
収入の11室に在住する強い8室の支配星は、莫大な遺産や贈与による利益を表している。
然し、生前、森光子は、ジャニ喜多川氏と基金を作り、ジャニーズ事務所の若者を育成するために使用すると伝えていたようだが、実際は、遺言状に遺産の一部を東山紀之に譲ると残したようである。
このことで、ジャニーズ喜多川氏が、嫉妬したようである。(Johnny's Watcherより)
9室支配の月には2、3室支配の土星が接合しており、また8室室支配の水星にも土星がアスペクトしている。
従って、東山紀之の遺産相続運、贈与運を傷つけている。
ネットからの情報によれば、東山紀之の父親は、酒と遊びに溺れ、借金取りから逃げるために住まいを転々としていたという。
そして、3歳の時に両親が離婚してそれ以降は母親から育てられている。
9室支配の月に8室の表示体の土星が接合し、太陽は8室の支配星と接合して、土星からアスペクトされている。
8室は父親の9室を損失する(12室目)ハウスであるため、父親が支配的だったり、父親不在を表している。
一方で、9室では5室支配の木星が高揚しており、9室の象意に関しては、吉凶混合している。
また3、4室支配の土星が母親の表示体である土星と接合しているが、幼少時に母親が働きに出ているため、家事を手伝っていたという。
4室支配の土星は3室(母親の損失)を支配しており、母オアの表示体である月に接合しているため、この土星と月の絡みは、母親不在を表している。
母子家庭で、母親も家にいなかったことを表している。またこの土星と月に対して、8室支配の水星がアスペクトしているため、再婚して、再び、離婚するなど、母親の都合で、色々と環境が移り変わる様子を表している。
因みに東山紀之は2010年10月23日に女優の木村佳乃と2年半の交際期間を経て結婚している。
この時、ダシャーは、マハダシャーが太陽であり、太陽/月/木星期に結婚している。
つまり、2年半の交際を経ているため、金星/水星期→金星/ケートゥ期→太陽/太陽期と交際したはずであるが、金星は出生図の7室の支配星である。
また金星はナヴァムシャのラグナの支配星である。
また水星は出生図では7室支配の金星と接合し、ナヴァムシャでは7室支配の火星と相互アスペクトしている。
またケートゥは出生図の12室に在住しているが、ディスポジターの金星は7室の支配星であり、ナヴァムシャではケートゥは7室に在住している。
マハダシャー金星期が終わると、マハダシャー太陽期に入って、太陽/太陽期を経過するが、太陽は出生図で7室の支配星と接合し、ナヴァムシャでは7室に在住している。
因みに結婚した時は金星/月期であるが、月は出生図で7室の支配星と相互アスペクトし、ナヴァムシャでは月のディスポジターの木星が7室支配の火星と相互アスペクトしている。
このように見てくると、マハダシャー太陽期に入ったタイミングで、木村佳乃と結婚していることから、ナヴァムシャのラグナは天秤座で良さそうである。
因みに東山紀之は、1990年から1994年ぐらいまで、牧瀬里穂と交際していたようである。
この時、東山紀之は、ナルシストで、この時、2人は半同棲をしていて、わがままな彼の身の回りの面倒を牧瀬里穂が見ていたという。(Johnny's Watcherより)
この期間は、マハダシャー金星期に入った直後であり、金星/金星期→金星/太陽期→金星/月期と経過している。
金星は7室の支配星であり、ラグナの支配星でもあることから、この牧瀬里穂との交際は、占星術的に考えれば、結婚と見なすことが出来る。
またその前にはマハダシャーケートゥ期があったが、東山紀之が森光子と出会ったのは、1986年頃である。
従って、ケートゥ/火星期やケートゥ/ラーフ期であるが、マハダシャーのケートゥは出生図では12室に在住し、ディスポジターの金星は7室の支配星である。
またナヴァムシャではケートゥは7室に在住している。
従って、マハダシャーケートゥ期も結婚していておかしくない時期である。
従って、占星術的に考えれば、少なくとも東山紀之は、結婚に関係する3回のマハダシャーを経験している。
また金星は月から見たときに8室支配で7室に在住し、6室支配の太陽と接合して、土星からアスペクトされている。
従って、パートナーとはすれ違いや意見の不一致により破局する配置を持っている。また8室が絡むため、三角関係のカルマも表している。
因みに東山紀之のチャートでは7室と8室の絡みが顕著であると書いたが、この配置がある場合、パートナーに支配されるため、妻の尻に敷かれる配置である。
例えば、ネット上には、東山紀之が、現在、以前のナルシストなキャラクターとは打って変わって、家庭的で子煩悩な父親に変貌したと書いている。
そして、それは木村佳乃の尻に敷かれているのだと評価されている。
(wikipedia 東山紀之より引用抜粋、一部編集)
西暦 |
月日 |
出来事 |
ヴィムショッタリダシャー |
チャラダシャー |
トランジット |
1979年 |
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あと1か月で小学校を卒業という春先、当時、NHK放送センターの理容室に勤務していた母親から音楽番組『レッツゴーヤング』の公開収録のチケットを貰い受け、友人3人とNHKホールへ観覧に行った。その帰り道、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていた東山の姿に、たまたま車で通りがかったジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川の目が留まった。すぐさま社長自ら車から降りて声をかけたという。 |
水星/木星 |
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1979年 |
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ジャニーズ事務所に入り、レッスン生として歌やダンスの稽古を受けながら、先輩タレントのバックダンサーも務めた。 |
水星/木星 |
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1982年 |
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少年隊のメンバーとなる。 |
水星/土星 |
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1985年 |
12月12日 |
少年隊として「仮面舞踏会」でレコードデビューする。
デビュー以降はグループ活動のかたわらソロとしても活躍。現在はソロ活動に比重を置き、俳優業を中心に、テレビ・舞台・映画にと多方面で活躍中。 |
ケートゥ/火星 |
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1986年 |
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『NHK紅白歌合戦』に少年隊が初出場した際に、審査員をつとめていた森光子が東山に「東山さん、あなたのファンです。いつも見ていますよ。」と声をかけたことがきっかけで親交が始まった。舞台やドラマ共演も多数でプライベートでもよく交流があったため、マスコミには「永遠の恋人」とも言われたが、森が亡くなった時には「師匠であり母だった」「アイドル出身の僕を1番最初に認めてくれた」「森さんがいなかったら今の僕はなかった」とコメントしている。 |
ケートゥ/火星
ケートゥ/ラーフ |
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2010年 |
10月23日 |
およそ2年半の交際を経て、女優の木村佳乃と結婚。 |
太陽/月 |
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2011年 |
11月4日 |
第1子となる長女が誕生。 |
太陽/ラーフ |
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2013年 |
5月29日 |
第2子となる次女が誕生。 |
太陽/土星 |
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wikipedia 東山紀之より引用抜粋、一部編集 |
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