福原 愛 Ai Fukuhara 1988年11月1日宮城県仙台市生まれ。
小学4年生のとき大阪に移住し、ミキハウスJSCに所属。青森山田中2年生。
3歳9ヶ月で卓球を始め、4歳の春に1000本ラリーを達成。
全日本選手権大会バンビの部(小学2年生以下)に5歳で優勝して以来、バンビ3回、カブの部(小学4年生以下)2回、ホープスの部(小学6年生以下)2回、カデットの部(中学2年生以下)3回制覇。2001年にはジュニアの部(高校2年生以下)で初優勝、一般の部でもベスト8に入る。
昨年秋の釜山アジア競技大会に日本選手団の最年少として出場。銅メダルを獲得した日本女子の団体メンバー(5名)に名を連ね、2戦2勝の成績を収めた。
チャートの持ち主は、幼い頃にマスコミに天才卓球少女愛ちゃんとして紹介され、 以後、お茶の間のアイドルとして、皆に愛され続けてきたのである。
出生時間が分からない為、12:00でチャートを作成し、チャンドララグナでチャートを見ると、彼女がマスコミに注目されてきた理由がよく分かる。
まず蟹座ラグナで、3室に金星と水星がコンジャンクトし、水星は高揚する星座に在住し、ヴァルゴッタマで非常に強いのである。
3室はマスコミ、芸能、パフォーマンスの部屋であり、吉星が在住することで、努力しなくても成功する傾向を示す。
例えばアイドルが誕生する過程として、突然、スカウトマンにスカウトされ、自分で努力しなくてもマスコミに露出して、人気者になり、それで売れてしまうというパターンがあるが、それと似ているのである。
卓球の腕自体は努力によって、獲得でき、また努力したからこそ、獲得できる分野であるが、彼女がマスコミに取り上げられることで、アイドル化し、様々な芸能人的恩恵を受けていること自体は3室の吉星の影響によるものと思われる。3室では水星が非常に強いが、金星が同室して減衰している。
3室に在住する金星はまさしく典型的に踊りやパフォーマンス、演技などをする芸能人である。然し、金星のディスポジターである水星が高揚の星座に在住し、また減衰する金星が高揚する惑星とコンジャンクトすることによって、ニーチャバンガが生じており、減衰が逆にラージャヨーガ的に働く配置である。
金星が減衰すると、通常、大人の美しさ、華やかさを失うと思われるが、然し、年齢がかなり高齢であるにも関わらず、幼く見えることによって、逆に若々しい、可愛らしさを醸し出すのである。従って、金星が減衰することの良い面を考えると、幼い愛嬌をもたらす点である。彼女の場合、その点で、減衰する金星は逆に有利に働いているとも思えるのである。
そして、ナヴァムシャを見ると、金星は高揚し、ヴァルゴッタマの水星と相互アスペクトで絡んでおり、潜在的には金星の華やかさを持っており、また金星の強さというものを持っていることになる。しばしば、ラシチャート上の状態よりもナヴァムシャでの惑星の状態がヴィムショッタリダシャーで表現されることがあるようである。
であるから、彼女はスポーツ選手というよりも芸能人、アイドルのような配置をしている。
然し、スポーツ選手としての強さが全くないかというとそうではなく、5、10室支配のラージャヨーガカラカの火星が9室から3室にアスペクトし、土星も6室からアスペクトしており、努力をし、困難に打ち勝つ意志力が見られ、6室土星の在住で勝負強さや集中力も見られる。
これは太陽から見ても同様で、3室に土星が在住し、6室に火星が在住している。
であるから、アイドルであるだけでなく、スポーツ選手としての資質も備えていることが分かる。
彼女の家族構成を見てみると、兄が一人おり、兄の影響で卓球を始めたようである。つまり、兄に恵まれ、兄からの精神的、教育的恩恵を受けているようである。
月から11室目を見ると、9室支配の木星が在住しており、11室の象意が良いことが分かる。11室は兄を表しており、9室の支配星が11室に在住している為、教師やグルが11室の兄として現れやすいと考えられる。またこのことから、彼女が実の兄だけではなく、人間関係全般において、兄姉的な人物から精神的恩恵を受けやすいことが考えられるのである。
例えば資料の経歴には以下のように書かれており、彼女にはお姉さんのような存在のコーチ、すなわち先生がいることが分かる。
『・・・よき理解者である父母と兄に囲まれ「家族にはずっと支えてもらっている。もちろん今一緒に暮らしている中国人コーチ湯媛媛も家族同様。お姉さんのような存在」という。・・・』
そして、11室は賞や表彰、称号などの物資的名誉を表しているが、以下の資料からの抜粋のように彼女が幼少にして数々の表彰に恵まれていることを見ると、彼女の11室が良いことが分かるのである。
【受賞履歴】
1993年 功労賞 ((財)日本卓球協会)
1994年 未来賞 (ミロスポーツ大賞)
1995年 日本スポーツ賞(読売新聞社)、特別奨励賞 (宮城県体育協会)
1996年 奨励賞(宮城県体育協会)、感謝状(兵庫県卓球協会)、感謝状(ライオンズクラブ)
1997年 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
1998年 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
2004年 第4回日本卓球人賞(株式会社タマス) その他各地で一日警察署長、一日消防署長、一日駅長等協力
またさらに2室を見ると、ケートゥが在住しているが、彼女のたどたどしい会話や控え目に話すところなどは、2室のケートゥの影響が考えられるのである。また2室は両親を表すが、彼女がこれだけ騒がれても彼女の両親や実家がクローズアップされたことはなく、兄もマスコミに登場したことはないのであり、2室にケートゥが在住しているので、2室のお坊さん、清貧という象意が影響してあまり家族は前面に出てきていないと考えられるのである。
然し、2室支配の太陽が4室に在住していることから、家や母親からの経済的援助という象意が考えられるのである。然し、2室のケートゥに加えて、2室の支配星の太陽が減衰していることも家族の自己主張が控えめに見える原因かもしれない。
また、彼女の5室を見ると、才能やどのような教育を受けるのかが分かると思われるが、5室を見ると、支配星は火星で、技術を表しており、火星は筋肉を表し、スポーツを表す表示体である。
このことから、彼女が技術的な訓練や教育を受けることが分かる。また5室支配の火星は3室に在住する金星、水星と相互アスペクトして絡んでおり、マスコミ、芸能界との接触も彼女に重要な教育を提供しているのである。彼女は幼少から常にマスコミに注目されてきたので、マスコミから学んだもの、受け取ったものは非常に大きいと思われるのである。
またそれは自らのマスコミに対してパフォーマンスする能力をも表しているのである。また5室には11室から9室支配の木星がアスペクトしており、これが前述した兄や姉的人物からの教育、指導の恩恵であり、これら全てが彼女の受ける教育であり、才能である。
つまり、才能とは教育のことであり、また教育というのは才能のことであり、才能ある人に教育は与えられるし、もしくは教育を与えられることによって才能ある人になるという相互関係を表していると思われる。
ヴィムショッタリダシャーを見ると、彼女の月は蟹座のプシュヤである。従って、マハダシャー土星期の途中に生まれたのである。
12:00作成のチャートで、蟹座11°52’に月が在住しており、プシュヤの範囲は蟹座3°20’〜16°40’である。月は2.25日(54時間)で30°(1星座分)移動するので、6時間で、3°20’移動し、1時間で33’移動する。仮に真の出生時間と最大6時間の開きがあったとしても+−3°20’されるだけであり、プシュヤであることは変わらない。
マハダシャー土星期は19年間であるから、3°20’分の誤差はトータルの13°20’の4分の1に当たるため、19÷4をした4.75年分だけ、土星期の終わるのが早くなるか、遅くなるかの違いである。
そう考えると、彼女は幼少期、確かに土星期を経験しており、非常に困難なトレーニングの日々だったのである。土星は月から見て7、8室支配で6室に在住しており、太陽から見て、3室に在住し、ナヴァムシャでも4、5室支配で8室に在住している。土星はラシとナヴァムシャで6室と8室に在住しているのであり、困難な時期である。
彼女が負けて悔しくて、泣きながら素振りをする情景がマスコミの報道で流されたことがあったが、そうした情景は土星のトレーニングの時期が象徴されているかもしれない。
ダシャーの流れからすると、おそらく、1995年(+−4.75年)の7歳頃(+−4.75歳)におそらく、マハダシャーが水星期に移行して、マスコミに注目され始めたのである。
水星は高揚星座の3室でヴァルゴッタマであり、金星とコンジャンクトし、5、10室支配の火星からアスペクトされており、まさに才能(5室)を発揮して、自分の仕事(10室)を開始し、マスコミに露出(3室)し始めた時期である。
現在、彼女は数々の成績を残し、2004年8月にはアテネオリンピックに参加し、健闘してベスト16に入賞し、現在でもマスコミに注目されることには変わりなく、今現在も水星期を経過しているようである。
ところが次のダシャーはケートゥ期である。ケートゥ期が来るのがおそらく、2012年(+−4.75年)頃であり、24歳(+−4.75歳)の頃である。
ケートゥは2室に在住し、他の惑星からのアスペクトは受けておらず、ディスポジターの太陽が4室で減衰し、火星のアスペクトを受けている。
おそらく、24歳前後に彼女は卓球の競技生活を終えて、暫くマスコミから姿を消し、静かに暮らしていくことと思われる。2室は両親、家族を表すため、実家で暫く7年程、静かに今までの卓球人生から退いたところで、暮らしていくものと思われる。2室はマスコミ、パフォーマンス、コミュニケーション(3室)を損失する(12室)部屋であり、彼女はこのケートゥ期、7年間はマスコミへの露出がなくなり、暫く注目されない中で生活していくことだろうと思われる。
ケートゥの象意は簡単に言えば、”無人島”である。コミュニケーションが少なくなり、一人で静かな環境で生活することにより、自然と関心も内側に向かっていくのである。
ケートゥは変容をもたらすため、その過程で彼女はケートゥ期の間に全く別人のように変化することと思われる。そして、ケートゥ期から抜ける前後にはサターンリターンが訪れ、社会的責任を自覚したより成熟した大人のパーソナリティに成長していくのである。
そして、ケートゥ期が終わるとマハダシャー金星期が訪れるが、金星は4、11室支配で3室に在住し、ナヴァムシャでは月をラグナとすると、1室支配で6室で高揚している。
おそらく、この30歳前後のマハダシャー金星期から、再び彼女はマスコミや芸能界との接触を取り戻すのではないかと思われるのである。
然し、金星は4、11室の支配星のため、基本的に家庭と交友などの象意を示すと思われるが、金星が3室に在住することで、マスコミへの登場、芸能活動を期待することが出来る。
特に金星/水星期などには彼女の強い3室支配の水星が機能して、マスコミへの登場も多くなることと思われる。
最後に彼女のチャートの特徴を述べると、まず、一番、目につくのは3室での金星、水星のコンジャンクション、金星減衰、水星高揚によるニーチャバンガ、また水星のヴァルゴッタマ、また3室への土星、火星、木星のアスペクトである。非常に3室にエネルギーが集中しており、吉星、凶星両方の影響が目につく。
これだけ3室が強く、また文筆を表す水星が強いため、文筆活動などに興味があることも考えられるのである。
(資料)
福原愛【Ai Fukuhara】 卓球 1988年11月1日生まれ 身長155cm 宮城県出身
<経歴>
1998年 ミキハウスジュニアスポーツクラブ所属。現在、青森山田高等学校一年生
<戦績>
1998年全日本卓球選手権大会 一般の部 ダブルス 史上最年少出場 ベスト32/
1999年全日本卓球選手権大会 一般の部 シングルス史上最年少出場 ベスト64/
2002年釜山アジア大会 女子団体 銅メダル/全日本卓球選手権 女子ダブルス(ペア 小西杏)優勝/
2003年アジア選手権 女子ダブルス 準優勝世界選手権(パリ)女子シングルス ベスト8/
2004年全日本卓球選手権 女子ダブルス(ペア 小西杏)優勝 ジュニアの部 優勝/
アジア大陸予選シングルス3位 3歳から卓球。悔しくて泣きながらラケットを振る。
いじらしいその姿がテレビでオンエアされると、たちまちお茶の間のアイドルに。卓球少女・愛ちゃんは、否応なく行く先々で好奇の視線に晒され、プレイ以上に私生活へも注目が集まる。15歳のアスリートは今、どんな想いでいるのだろう。
〜卓球の力が、すべての原動力に〜
「泣き虫、負けず嫌い、何事も気にしない性格」 まだあどけなさが残る15歳の愛ちゃんが、自らの幼い頃をこう表現する。
涙こそ流さないが、勝ちにこだわる姿勢は今も卓球界を揺さぶり続ける。
卓球のために仙台から大阪、そして青森へと移住。卓球を軸に、家族も全面的サポートをしてきた。
毎日がハードスケジュール。学校、練習、クタクタになって帰宅してから約30分の間に入浴と食事を済ませ、2時間びっしり家庭教師と勉強。
やっと就寝できるのは11時過ぎる。「よく寝て、よく食べ、よく笑う」を信条に、日々を乗り越える。
青森山田高等学校は、東大を目指す子が集まる進学校であり、卓球をはじめ野球・バスケ・柔道などスポーツに特化した学校である。
体育の授業はない代わり、各スポーツの練習がそれに該当する。ちなみに、愛ちゃんの好きな科目は英語という。
アテネオリンピック選手に選ばれたことはまだ実感が湧かない、と淡々としている。
彼女の一挙一動をマスコミがネタにしたがるから、アイドルのようには笑顔を振りまかないし、大人受けするような狙ったコメントはしない。
あくまで自然であり、それが福原愛の可愛さでもある。卓球が愛ちゃんに与えてくれたことは数知れない。
「物心ついてからずっと卓球があった。だから卓球を辞めて気づくことがあると思う」
自分の限界がみえて、卓球を辞めようと思ったことも多い。まだまだやりたいことがある。将来役に立つ勉強もしたい。
世界選手権の際に、栄養士が同行し食べ物の与える影響について色々教えてもらった。
「自分も、こんなふうに人の役に立つ仕事ができるといいな」と目を輝かす。練習以外の楽しみは「小4から6年間やっている携帯メール」と屈託がない。
〜オリンピックでは最大限の力を〜
オリンピックでは「何試合できるかわからないけれど、一試合一試合がんばれるところまでがんばりたい。
オリンピックが終わってからは3日間くらい少し休みたい」と表現も希望も控えめだ。
ミキハウスというスポンサーについては、一言で表現すると「中国語でいえばハオ。とてもいいという意味。おもしろくて楽しくてやさしい会社。
ものすごく優秀な人が集まっているのに、皆フランク。社長さんが気どらない人だからかな」と笑う。「アテネでは自分の持っている力以上、最大限に発揮してきます。応援よろしくお願いします」と、ファンへも気遣いを忘れない。
よき理解者である父母と兄に囲まれ「家族にはずっと支えてもらっている。もちろん今一緒に暮らしている中国人コーチ湯媛媛も家族同様。お姉さんのような存在」という。
朝ごはんは、お母さんお手製の料理。卵野菜スープや野菜炒め、魚、果物など好きなものだけに箸をつける。
将来、自分の子にも卓球をさせる?の問いには「いえ、させません」と即答。「自分がその厳しさ、辛さをよくわかっているので耐えられないと思うから。
もちろん、その子がやりたいということであれば、あとは本人の自己責任。途中であきらめたり投げ出したりしなければ、やりなさいという」その実力を人気に比例させてきた選手。
卓球歴12年のこの夏、どんな成長ぶりを試合で見せてくれるのか。愛ちゃんが闘う姿を見ていると、まるで自分の家族がプレイしているように手に汗を握ってしまいそうだ。心からエールをおくりたい若さである。
■インタビュアー・プロフィール 阿部 美知子<Michiko Abe> 1967年東京生まれ、横浜在住。広告代理店のコピーライターを経て、 平成14年よりフリーランス。平成16年4月に企画制作会社(有)マザールを立ち上げ、 現在代表取締役兼こづかいさん。 広告をはじめ雑誌やweb、イベントなどさまざまな分野で活動中。 育児、教育、仕事、家族など女性のライフスタイルや人の生き方に触れるテーマが好きで、 これからも取り組んでいこうと奮闘中。マザールは『母親=motherの視点から、 あらゆる垣根を越えて混ざり合い、新しいクリエーティブを創造する』意味の造語。 山とスペインと落語が好きな6才男児の母。
卓 球 歴
1992年8月 3歳で初めてラケットを握る。
1993年9月 4歳で全日本バンビの部宮城県代表で全国ベスト16となる。
1994年9月 平成6年度全日本卓球選手権大会 バンビの部優勝(8歳以下の部)
1995年9月 平成7年度全日本卓球選手権大会 バンビの部優勝
1996年9月 平成8年度全日本卓球選手権大会 バンビの部優勝
1997年8月 東アジアホープス大会 日本代表
1997年9月 平成9年度全日本卓球選手権大会 カブの部優勝(10歳以下の部)
1997年11月 平成9年度全日本卓球選手権大会 カデットの部優勝(13歳以下の部)
1998年7月 大阪に転居。ミキハウスJ.S.C.(ジュニアスポーツクラブ)に所属。
1998年8月 東アジアホープス大会 日本代表
1998年9月 平成10年度全日本卓球選手権大会 カブの部優勝(10歳以下の部)
1998年11月 平成10年度全日本卓球選手権大会 カデットの部(14歳以下の部) ダブルス優勝・シングルス準優勝
1998年12月 平成10年度全日本卓球選手権大会 一般の部 ダブルス 史上最年少出場 ベスト32 ジュニアの部(17歳以下の部)シングルス 史上最年少出場 準優勝
1999年3月20日付けで 日本卓球協会の理事会で承認され、レジスタードプロに登録
1999年8月 東アジアホープス大会 日本代表 シングルス ベスト8
1999年9月 平成11年度全日本卓球選手権 ホープスの部優勝(12歳以下の部)
1999年11月 平成11年度全日本卓球選手権 カデットの部準優勝(14歳以下の部)
1999年12月 平成11年度全日本卓球選手権 ジュニアの部(17歳以下の部) ベスト4 一般の部 シングルス史上最年少出場 最年少勝利 ベスト64
2000年6月 初めて全日本代表選手として国際大会、ジャパンオープンに出場。 シングルス ベスト64 ダブルス ベスト32
2000年9月 平成12年度全日本卓球選手権 ホープスの部優勝(12歳以下の部)7連覇
2000年11月 平成12年度全日本卓球選手権 カデットの部優勝(14歳以下の部)
2000年12月 平成12年度全日本卓球選手権 ジュニアの部(17歳以下の部)ベスト32
2001年1月 第30回 後藤杯選手権 女子シングルス 優勝
2001年4月 東アジアホープス大会 日本代表 女子団体 2位 女子シングルス 3位
2001年6月 中国オープン 決勝トーナメント進出 世界ランク126位
2001年9月 ジャパンオープン 女子シングルス ベスト16 女子ダブルス ベスト8 世界ランク 98位
2001年12月 デンマークオープン 女子シングルス ベスト8 女子ダブルス ベスト8 世界ランク 67位 平成13年度全日本卓球選手権 ジュニアの部 優勝 一般の部 シングルス 7位 ダブルス 3位
2002年8月 全国中学校体育大会 女子シングルス 優勝
2002年9月 ジャパンオープン 女子ダブルス ベスト8
2002年10月 釜山アジア大会 女子団体 銅メダル
2002年12月 全日本卓球選手権 女子ダブルス(ペア 小西杏)優勝 ジュニアの部 優勝
2003年2月 2003年2月 アジア選手権 女子ダブルス 準優勝
2003年3月 3月 ドリームチャレンジカップ 優勝 2003年5月 世界選手権 女子シングルス ベスト8
2003年8月 全国中学校体育大会 女子シングルス 優勝
2003年9月 アジアジュニア卓球選手権大会 女子団体 ベスト4入り 女子ダブルス(ペア 平野早矢香) ベスト4入り 中国オープン 2回戦でボロシュ(クロアチア WR4位)にストレート勝ちの快挙 3回戦で李楠(中国・WR9位)で敗れる ジャパンオープン 2回戦まで勝ち進むも、3回戦でまたしても李楠に敗れる
2003年11月 ドイツオープン アンダー21女子シングルスで優勝 スウェーデンオープン アンダー21女子シングルスで優勝
2003年12月 第1回世界ジュニア選手権大会(チリ) 女子ダブルス(ペア:平野早矢香) 銅メダル獲得 女子シングルスは準々決勝で敗退。
2004年1月 全日本卓球選手権 女子ダブルス(ペア 小西杏)優勝 ジュニアの部 優勝
2004年3月 世界選手権女子団体戦 銅メダル
2004年4月 アジア大陸予選 シングルス 3位・・・アテネオリンピック出場決定
2004年8月 アテネオリンピック シングルス ベスト16 受 賞
1993年 功労賞 ((財)日本卓球協会)
1994年 未来賞 (ミロスポーツ大賞)
1995年 日本スポーツ賞(読売新聞社)、特別奨励賞 (宮城県体育協会)
1996年 奨励賞(宮城県体育協会)、感謝状(兵庫県卓球協会)、感謝状(ライオンズクラブ)
1997年 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
1998年 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
2004年 第4回日本卓球人賞(株式会社タマス) その他各地で一日警察署長、一日消防署長、一日駅長等協力
福原 愛 Ai Fukuhara 1988年11月1日宮城県仙台市生まれ。小学4年生のとき大阪に移住し、ミキハウスJSCに所属。青森山田中2年生。3歳9ヶ月で卓球を始め、4歳の春に1000本ラリーを達成。全日本選手権大会バンビの部(小学2年生以下)に5歳で優勝して以来、バンビ3回、カブの部(小学4年生以下)2回、ホープスの部(小学6年生以下)2回、カデットの部(中学2年生以下)3回制覇。2001年にはジュニアの部(高校2年生以下)で初優勝、一般の部でもベスト8に入る。昨年秋の釜山アジア競技大会に日本選手団の最年少として出場。銅メダルを獲得した日本女子の団体メンバー(5名)に名を連ね、2戦2勝の成績を収めた。
Profile プロフィール 1988年11月1日 仙台市生まれ 身長:155センチ 血液型:B型 98年8月より 大阪府八尾市立中高安小学校 99年1月より 八尾市立大正北小学校 2000年6月より 八尾市立東山本小学校 転入 2001年3月 八尾市立東山本小学校 卒業 2001年4月より 八尾市立東中学校に入学 2001年5月より 青森山田中学校に転入 2004年3月 青森山田中学校 卒業 2004年4月 青森山田高等学校 入学 現在、中国・遼寧省チームの一員としても活躍中。
おかえりなさい! 福原選手-卓球チーム帰国 2004/08/26 アテネ五輪卓球の日本代表選手が25日帰国。15歳で女子シングルス16強入りを果たした福原愛(青森山田高)らが成田空港内で記者会見した。 「五輪で学んだことは?」と問われた福原は「まぐれや偶然では勝てないことが分かりました」ときっぱり。だが、初の五輪を終え、「今はラーメンが食べたい。それと友達からのメールにも返信しなければ」と15歳らしさものぞかせた。 話題になった「ター」か「サー」か。福原が試合中に何と言って気合を入れているのか? 説明を求められた福原は「恥ずかしいから答えません。試合会場で聞いてみて下さい」。 copyright(c)2004 (株)朝日新聞社 All rights reserved. 帰国会見で笑顔の福原愛=25日、成田空港で