フィデル・カストロ Fidel Castro

生年月日:1927年8月13日 

出生時間:12:07PM(EST) (Jakubowsky rectification)

出生地:キューバ・マヤリ Mayari, Cuba

経歴、職業:キューバ革命の指導者、キューバ首相

 

 

カストロ首相のチャート

ラグナは天秤座で支配星の金星は12室の乙女 座で減衰している。彼は人生全般の傾向として 、物質的、感覚的享楽を損失しており、またユ ーモアのセンスや演劇的演出などパフォーマン スをしない人物だろう。世界の政治の最も脇役 の場所で、自己表現の機会を失いがちになっていることが読みとれる。

彼は世界の資本主義のメジャーの流れから取り残され、着々と自分の道を歩む人物であり、世界の檜舞台で活躍するというよりも監禁的、隠遁的な小さな島国で黙々と共産主義理論を実践する孤独な修行者とも言える。10室を見ると、9室支配の水星と11室支配 の太陽がコンジャンクションしている。太陽は政府の仕事を表すが、彼はキューバの首相で、キューバ政府の最高執行者である。太陽は蟹座に在住しているため、自分の縄張りや家を持つ傾向などから、やはり、一国一城の主になりやすく、キューバの首相というのはまさにはまり役と言えるほど向いている。

10室でダナヨーガとラージャヨーガが形成さ れており、9室を支配する水星の徳行志向的知的能力は10室に在住し、その能力の最高の発揮場所(政府)を得ている。太陽は11室を支配し、パーソナリティ的には、欲望の最後の段階である地位や名誉、評価を求めたりする欲求 、また報酬を求める欲求の表現もあるかもしれない。然し、6室で魚座で定座の木星が10室にアスペクトしており、彼の活動は非常に奉仕を志向するものだろう。 また10室支配の月が5室の水瓶座に在住しているが、水瓶座は博愛や民主主義を表す星座であるため、大衆に共産主義(民主主義)を教育するのが彼の仕事だと言える。

月は大衆受けすることを示し、対向の11室から月と相互アス ペクトする火星はそれに勢いや積極性を与える 。 ナヴァムシャを見ると、5室に7・12室支配の火星と2・5室支配で高揚する水星、そして 、ラージャヨーガカラカの土星がコンジャンク トしており、対向のアートマカラカの太陽と相 互アスペクトしている。5室の状態を見ると、 人々を啓蒙、教育するのが仕事であることがよ く出ている。水星は乙女座で高揚し、土星と絡むことから、共産主義理論を教育するのには非常に実践的で、正確で、緻密である知性の働きや、また火星による判断力の速さ、機敏に働く知性、早急な決断などを表しているように思われる。 ナヴァムシャはその人物の本質を表すチャート で人生の後半を表すと言われるが、7室で3室 支配の月が減衰し、また減衰するラーフとコンジャンクトしており、月は激しく傷ついている 。この月の状態が7室で形成されていることから、彼は対人関係、パートナーとの関係におい て精神がかき乱されるような体験をする傾向が示されている。

月は土星からのアスペクトも受 けており、激しい感情の暴発や凶暴さ(ラーフ &月)や抑制(土星)などを経験する配置をしている。 また出生図の2室を見ると、ラージャヨーガカ ラカの土星が在住しており、4室の定座にアスペクトを返している。この配置から、幼少時に貧しい家庭で育ったことを暗示している。土星は4室の定座に対して、アスペクトを返しており、厳しく質素倹約で忍耐強い母親や家庭とい う象意が出てくる。

また出生図の特徴として、9室にラーフが在住 し、ディスポジターが水星のため強い配置だが 、9室にラーフが在住すると、父親との対立や父親との関係における問題をもたらすのである 。カストロ首相は米国の傀儡政権であるバチスタ独裁政権を武力で倒して、革命につなげるという経歴から考えると、これは非常に良く分かるのである。

アメリカはキューバに資本を投入して、アメリカに利益を与える国にして、将来はアメリカに併合するよう育成していたのであるが、カストロはいわば父親と言えるようなアメリカに対して反発したのである。

 

 

・カストロのラーフ期

カストロは1928年の12月頃からラーフ期 に入り、1945年11月頃(18歳ぐらい) までの青年期をずっとラーフのマハダシャーで 過ごしており、ラーフを1室とすると、父親を 表す9室の支配星は同時に8室を支配して、6 室に在住している。少年期を通じて彼が父親や父親的存在に対する反発精神を形成していったことが読み取れる。

資料によると、アメリカは 「1902年から1953年までの51年間キ ューバの実質的な主人として君臨した」ととあるため、カストロは少年期を通じて、アメリカ の支配を経験し、それに懐疑し、また反発を経験したのだと推測できるのである。

 

・カストロの木星期

カストロは木星期の中頃である1953年7月 26日にバチスタ独裁政権(アメリカの傀儡政権)に最初に武装蜂起してから、逮捕投獄され、釈放されて、メキシコに亡命 したり、再び武装蜂起して失敗するなど、紆余曲折を経て、最終的には1959年にバティスタ大統領が亡命して、闘争に勝利するがこの間 はずっとマハダシャーは木星期であった。 木星は闘争の6室で定座に在住しており、木星 をラグナとすると、6室目には2・9室支配の ヨーガカラカでアマティアカラカの火星が在住 しており、闘争には負けない強さと集中力を表 している。

ナヴァムシャでも木星は6室に在住し、(※出 生時間が正確に修正できている場合)木星から 6室目にはアートマカラカでシャドバラでも1 .4ポイントと非常に強い太陽が6室目に在住 している。木星期には闘争に強い配置をしていることがよく分かる。

 

・カストロの土星期

1959年1月1日、キューバ革命に成功した後、キューバ全土で反革命分子や革命便乗派などが活動し混乱を極めたと資料にある。つまり 、革命後も闘争は続いていたのである。

1959年5月に「第一次農業改革法」を実施 し、社会構造の改革を図り、ここからアメリカ 政府との関係が悪化していったと資料にある。 こういった措置によって、アメリカの圧力を受けたラテン・アメリカの国々からも孤立させられたキ ューバは1960年2月にソ連からの経済援助を受ける(キューバ・ソ連貿易援助協定)ことで、アメリカのキューバ糖の輸入停止を招き、 さらに8月頃にアメリカ系企業を接収し、次々と国有化していったことで、1961年1月に ついにアメリカはキューバとの国交断絶を行っ たとある。さらに翌年、1962年1月アメ リカ(ケネディ政権)は米州機構からキューバ を除名し、そして2月にはキューバに対する全面的な輸出禁止を断行し、そして、1 0月にはソ連がキューバにミサイル基地を建設 し、「キューバ危機」が勃発するのであるが、 この時からカストロは土星期に突入していくの である。

つまり、木星期の終わり頃、キューバ(カスト ロ)はアメリカとの関係が悪化し、「キューバ 危機」というクライマックスを経て、土星期に突入していくのである。

カストロはキューバ政府そのものであるから、キューバはカストロに置き換えることができるが、「キューバ危機」を境に木星期から土星期に切り替わるのは非常に注目すべき事実であり、ダシャーの変り目、特にダシャーの支配星がラシチャート上で、全く異なる部屋にあって異なる状況を示すヨーガなどを形成している時には、その境目の前から少しずつ生じていた変化が 、一気に現象化するような出来事を経て、状況が転換することを示しているように思われる。

こうして、キューバ革命成立後、キューバは急激にソ連と接近していくが、それは共産主義を表す土星はマハダシャーの支配星であることはもちろん最も注目すべき点である。 カストロのラシチャート(出生図)では土星は 4・5室を支配するラージャヨーガカラカであ り、物質や金銭、食料を表す2室に在住して、 4室の定座にアスペクトしている。つまり、国内では経済が困窮し、ソ連の援助によってやっ と経済を支えていけるような状態を示している 。(この場合、木星が土星に9室目のアスペク トをしており、ソ連が木星的に働いていたと考えられなくもない)

4室は家庭を表すがカストロのチャートでは、 これは国家そのものや国民生活を表すと思われ 、物質的には困窮していたが、必ずしも精神的にも貧困である訳ではなく、土星の質素、倹約 、忍耐などの美徳を発揮しつつ共産主義の良い面を表現できる配置である。 また、ナヴァムシャでも土星は9・10室支配 のラージャヨーガカラカであり、乙女座で高揚する2・5室支配の水星とコンジャンクションしており、4室支配の太陽と相互アスペクトして良いコンビネーションを形成している。 このようにカストロの土星は強く、民主主義(土星)の精神を実践したり、表現することができる。

然し、太陽が蟹座にあり、またアートマカラカの太陽が魚座に在住しており、一国一城の主的な家父長的な気質も持っているのである。 そして、19年間の土星期を経て、次に水星期が17年間続くが、水星はラシでは9室支配で 、11室支配の太陽と10室でコンジャンクトし、ナヴァムシャでも2・5室支配で、4室支配の太陽と相互アスペクトしており、やはり、 水星期も同じように良い時期を示している。この時期になると、カストロはキャリア的にも非常に円熟してきていると考えられる。

・カストロの現在(ケートゥ期)

この文章を書いている2002年6月28日現在は、ケートゥ−木星期であり、ケートゥはラシチャートでは3室に在住し、努力や忍耐を強いられており、ナヴァムシャでは牡牛座で減衰しており、物質的欠乏や物質的無執着を表している。木星はラシでは定座だが、ナヴァムシャではケートゥから8・11室目を支配して、凶星化し、6室目に在住している。 ラシだと水星はケートゥから数えて、7・10室のケンドラ支配で吉意を失い、9室支配の太陽も8室で傷ついている。

6・11室支配の凶星化した金星が10室で減衰し、土星も2・3室支配で凶星化し、12室目に在住して傷ついている。

本質的には彼は健在だが、物質面、現象面ではあまり良い表示がでていない。彼は青年期からの偉大な活躍を思えば現在は休息期間に入っていると言えるのかもしれない。

 

追記

上記のようにカストロについて、よく知らなかったにも関わらず、ダシャーとキューバ革命などの年表と比較してみると、彼が実際、

共産主義革命を起こして、「キューバ危機」を境に土星期に移行することはインド占星術的に見て、非常に興味深い事実だと思われる。

然し、調べていくと、実際、彼は裕福な生まれで、弁護士であったようで、決して貧困な階層の出身ではなかった。ラシチャートの解釈で

2室に土星が在住していることから、幼少時の物質的欠乏や両親保護の不足を考えたが、実際には彼は農園主の父親の下に生まれた

ようで、贅沢などはせず、両親は普通に育てたということであり、厳しく育てられたかもしれないが、決して貧乏ではなかった。

木星からのアスペクトなどがあり、それが大きく働いているのかもしれない。

2室土星があるからと言って、木星のアスペクトなどを良く見ないと間違った鑑定をしてしまうのだと思われる。すべての惑星がどこに在住し、

どんなアスペクトがあるかは基本的にチェックする必要があると感じた。

 

 

 

 

資料(ウェブからの引用)

 

キューバ革命  

キューバを知るには、まずキューバ革命に関 して正確に理解することを第一歩としなければ ならない。  

キューバ革命は1953年7月26日早朝に 青年フィデル・カストロが率いる165名の2 0代の若者たちが、米国の傀儡となっていたバ チスタ独裁政権を打倒するために、バチスタの 政府軍2000名が常駐しているモンカーダ兵 舎を襲撃したことを嚆矢(こうし)とする。  

カリブ海地域で資産価値のある国々をアメリ カの属領(アメリカの領土に帰属)にする「併 合主義」は19世紀初頭からアメリカ政府の国 策であった。(その結果プエルトリコはアメリ カの領土になってしまった。)併合主義路線に 沿って、アメリカはキューバに莫大な資本を投 下した。

キューバの基幹産業である砂糖にはじ まり、金融、鉱山、鉄道、電力、電信、貿易、 商業、観光等公益事業のすべてを支配した。( 将来キューバをアメリカの領土にすることを計 算にいれてアメリカ資産を形成していったので ある。)アメリカの傀儡となっていたバチスタ 政権は、砂糖産業のプランター(農園主・耕作 人)たちと同様にアメリカの利権と深く密着し ていた。キューバの農民や労働者たちはアメリ カの利益を産む道具にすぎなかった。彼らは安 い賃金で過酷な労働を提供させられていた。ア メリカは1902年からカストロが蜂起する1 953年までの51年間キューバの実質的な主 人として君臨したのである。  

1953年7月26日、ホセ・マルティ生誕 100周年を期して、26歳のカストロ以下1 65名の20代の青年たちはバチスタ傀儡政権 の政府軍2000名が常駐しているサンチャゴ ・デ・クーバのモンカダ兵営を襲撃した。  政府軍との戦闘においてカストロ側は80名 が犠牲になった。死者が21名、負傷者が5名 である。それに54名が逮捕され、全員が拷問 にかけられたすえに虐殺された。バチスタ側の 死者は19名、負傷者は30名であった。カス トロも捕らえられて裁判にかけられた。裁判に おいて「蜂起の首謀者は誰だ?」ときびしく問 責をされた。これに対してカストロは「ホセ・ マルティである!」と傲然と応えた。この話は いまや伝説的な物語になっている。

カストロは 15年の刑を宣告され、重罪監獄に収監された 。しかし世論の強い要求に屈したバチスタは恩 赦という形をとり1年9ヶ月後の1955年5 月にカストロを釈放した。カストロは7月には メキシコにわたった。そこで生涯の盟友となる アルゼンチン人の医者であるエルネスト・チェ ・ゲバラと宿命的な出合いをすることになった 。チェ・ゲバラをはじめ数少ない同志とともに ゲリラ戦の準備をはじめた。メキシコではキュ ーバ生まれで元スペイン軍人であったゲリラ戦 の専門家であるアルベルト・バヨ元大佐から密 かに軍事訓練をうけた。  

1956年2月2日、武器弾薬を積み込み8 2名が乗り込んだグランマ号という小さな船が メキシコからキューバ東部のシエラ・マエスト ラ山の山岳地帯に近い海岸に上陸した。このこ とについてカストロは武器や資金の調達をして いた先々で堂々と公表していた。そのために政 府軍もカストロたちのキューバ上陸については 事前にしることになった。カストロたちが乗っ た船が接岸するやいなや激しい銃撃戦であびせ た。カストロ側82名は四散した。命からがら 逃げ延びた者たちが1957年1月1日にシエ ラ・マエストラ山脈の最高峰である2005メー トルのピコ・トルキーノの山頂で再び合流した 時に生き残っていた同志は僅かに12名になっ てしまっていた。彼らの革命の本格的な準備は この山中から再開された。革命の同志を募り、 武器弾薬を集めるために都市部を中心に密かに 地下活動を展開していった。  

1953年の蜂起といい当初から革命闘争に 参加していた者たちはだれもが都市部の豊かな 中産階級の子弟たちであり、大学出の青年たち であった。彼らの中で過去にキューバの貧しい 農民や労働者と生活を共にした経験をもつもの はだれもいなかった。中産階級の若い青年たち がそのような生活をする必要もなかった。農民 や労働者と共に革命準備を進めていた山中にお ける共同生活の中で、カストロをはじめ若者た ちはキューバ人民の底なしの悲惨さをはじめて 知ることになった。「農民や労働者を敬愛する ことを我々はシエラ・マエストラで学んだのだ 」と後日カストロは述懐している。  

キューバ革命は、モンカダ兵営襲撃事件をは じめとして、当初は憲法闘争、つまり、違憲独 立政府のバチスタ政権に対する闘争として出発 した。カストロたちが山中で毛沢東を読み、マ ルクスも勉強していたが、キューバ革命のイデ オロギーの出発点は民族主義、正確にいえば、 「キューバ独立の父」ホセ・マルティ精神の継 承である。1959年のキューバ革命がホセ・ マルティの夢を実現した「第二の独立革命」で あると言われる所以である。  

1959年1月1日、シエラ・マエストラ山 中の準備から2年後に、「キューバ革命」はつ いに成功した。カストロ32歳のときである。  

1959年2月6日、革命に成功したゲリラ 部隊の兵士たちが首都ハバナ市に入ってわずか 一ヵ月後、革命直後の大混乱がキューバ全土を おおった。革命政府は、バチスタ独裁の悪政の 遺産を一掃し、無辜の民を弾圧するだけのため に存在していた軍隊を解散し、農地改革を進め ねばならず、しかも失業をなくし、生活水準に 向上につとめなければならない。兵営を子供た ちの学校に変えなければならない。内外の反革 命分子は混乱を利用して若い革命を破壊しよう とした。これに革命便乗派が横行して混乱に輪 をかけた。  革命政府はキューバ社会の構造改革の第一歩 として1959年5月に「第一次農業改革法」 を実施した。アメリカ政府との関係が悪化する はじまりである。  

ラテン・アメリカ諸国、とくに中米・カリブ 海諸国はアメリカとの経済関係によって国家を 成り立たせている国々ばかりである。アメリカ を怒らせることはラテン・アメリカで禁物であ った。アメリカからの圧力でラテン・アメリカ 諸国はキューバにソッポを向けた。  

バチスタ独裁政権側に与していたキューバ人 は革命政府からの仕返しを恐れ次から次へとア メリカに逃亡していった。その数は当時のキュ ーバ総人口650万人の約5%にあたる30万 人位であろうと推定されている。彼らは独裁政 権に与し、アメリカへの併合を望み、キューバ がアメリカの領土になっても痛痒を感じない部 類の人々であった。キューバのような国で富裕 であった者たちが、同じような生活を維持する ためにはアメリカに行くしかないのである。キ ューバを棄ててアメリカに行くのは不思議でも なんでもないのである。  

アメリカに逃げた30万人のキューバ人たち は社会階級が最上位であるばかりではなく、知 識と技術をもったキューバ社会の中核であった 。その中核が欠落したことにより、キューバ国 家はドーナツ現象が生じてしまった。アメリカ の圧力に追随した周辺諸国からソッポを向かれ 国際的には孤立し、自国は中心が抜けたために 空洞化現象がおきてしまった。  

当時米ソ対決は猖獗を極めていた。老獪なフ ルシチョフは若いケネディに一泡吹かせたいと 企てていた。孤立したキューバに手を差しのべ る願ってもない好機が到来したのである。空洞 化したキューバは背に腹は変えられず、196 0年2月にソ連とキューバとの間に「キューバ ・ソ連貿易援助協定」を締結し、経済援助をソ 連に仰ぐことになった。アメリカは直ちにキュ ーバ糖の輸入を停止した。  

キューバは半年後の8月にアメリカがキュー バに作った資産を全面的に接収し、アメリカ系 企業を次々に国営化していった。アメリカが莫 大な資本を投入してつくりあげた資産を国有化 するカストロのこのようなやり方にアメリカは 激怒した。そして、アメリカは「カストロは共 産主義者である。キューバ革命は共産主義革命 である!」と世界に宣伝をはじめた。カストロ を共産主義者呼ばわりしたのはもともとアメリ カである。

1961年1月にアメリカはキュー バとの国交断絶を行った。  1962年1月アメリカ(ケネディ政権)は 米州機構からキューバを除名した。そして2月 にはキューバに対する全面的な輸出禁止を断行 した。この年の10月に「キューバ危機」(ソ 連がキューバにミサイル基地建設中、アメリカ は艦艇183隻+軍用機1190機を動員し海 上封鎖した事件)が発生することになる。

キューバ建国の歴史  

1492 コロンブス、キューバ島に到着  

1509 ディエゴ・ベラスケス、キューバ総督に任命  

1868 第一次独立戦争開始  

1878 第一次独立戦争終結  

1895 ホセ・マルティ、オリエンテのラプライータ上陸。第二次独立戦争開始。マルティ戦士  

1899 米国の占領始まる  

1902 独立、キューバ共和国パルマ政権発足  

1940 新憲法公布  

1952 バティスタ軍曹のクーデター  

1953 カストロらモンカダ兵営襲撃。モンカダ裁判  

1954 カストロ恩赦。メ キシコ亡命  

1958 反乱軍の最終攻勢開始  

1959 バティスタ大統領亡命、革命勝利。カストロ、首相に就任  

1960 米国政府、キューバ糖輸入割当廃止。キューバ、ソ連通商協定調印  

1961 カストロ、「社会主義革命宣言」。米国、対キューバ全面的貿易封鎖発表  

1965 キューバ共産党創立  

1970 制度転換始まり  

1976 経済運営計画システム導入、新憲法公布  

1993 ドル所有の合法化、ソ連軍撤退終了。個人営業制限緩和  

1994 国会、100%外資企業導入法案採択