占星コラム


2013/4/19 中国国家主席・習近平のチャートについて

 

昨年の11月に中国の新しい最高指導者に選出された習近平の人物像について既に「尖閣情勢について」の中で書いたのだが、今後の中国の動きについてのキーとなる人物であるだけに出生図のラグナがどこになるか、正確な出生ホロスコープが気になる所であった。

週刊現代の4月20号に興味深い記事が掲載されており、出生図のラグナを明らかにする重要な事実が含まれていた。

それを基に種々検討した所、おそらく、 習近平のラグナは獅子座である。(ナヴァムシャは未確定)

そのロジックについて以下に明らかにしたいと思う。

チャートの一瞥鑑定においては、中国の政治的最高指導者であり、行政のトップであることから、10室に太陽が在住する獅子座ラグナであるということは最初に検討するべき線であるが、 公式に報じられている彭麗媛との結婚の時期が、ダシャーと一致しないため、獅子座ラグナという確信が持てなかったのだが、週刊現代4月20日号にその謎を解く、事実が記されていたため、結婚の時期を修正し、それで、獅子座ラグナであることに納得した。(それについては後で詳述する)


結婚、離婚、そして、妻子を捨てる

現代ビジネス 4月15日(月)に掲載された「週刊現代」2013年4月20日号の抜粋記事(文末に引用)を読んで頂くと、そこには最初の結婚と、離婚、そして現夫人との再婚についてのドラマが明かされている。

習近平は、1975年に父親のコネで清華大学に入学し、1979年に卒業し、再び父親のコネで、中央軍事委員会に就職し、耿国防部長(国防相)の秘書などを3年間務めている。記事では、この頃、彭麗媛と出会い、恋愛関係になったという。

然し、この頃、厳格な父親が結婚に反対し、エリート外交官の娘・柯小明と無理
やり見合いさせられ、そして、結婚している。

そして、記事はほどなく1人娘が誕生したと伝えている。

習近平は、結婚はしたものの、彭麗媛とのドロドロの三角関係を続け、家庭は修羅場になったそうだ。

結局、 習近平は1982年に妻子を捨てて、彭麗媛の元へ走ったという。

柯小明 彭麗媛

この最初の妻と結婚した時、獅子座ラグナであれば、 ダシャーは、ラーフ/木星⇒ラーフ/土星期である。

獅子座ラグナとすれば、ラーフは6室に在住し、土星は6、7室の支配星で2室に在住している。

この時、トランジットの木星と土星は獅子座1室で逆行しており、1室と7室にダブルトランジットを形成していた。

アンタルダシャーの支配星が配偶者を表わす7室支配の土星で、結婚の2室に在住し、 ダブルトランジットが7室と1室に形成していたため、結婚のタイミングである。

程なくして、子供が誕生したということだが、この結婚した時、木星は5室にアスペクトして、土星は10室に在住する5室支配の木星にアスペクトしていたため、5室にダブルトランジットを形成している。アンタルダシャーの土星は木星からみて5室に在住し、逆行して5室の支配星にアスペクトしており、またマハダシャーのラーフからみて5室に木星や木星以外の惑星も集中している。

結婚したと同時に子供が誕生した理由がよく分かる。

然し、この結婚ははじめから父親に命じられての見合い結婚であり、習近平にとって気のすすまないものであった。

従って、結婚した時から意見の不一致が伴っていたことが推測される。

それはマハダシャーのラーフが6室に在住し、土星が7室の支配星ではあるが、6室の支配星でもあるためである。

土星と木星は結婚後、直ぐに2室に移動するが、そこには6室支配の土星が在住しているため、6室にダブルトランジットを形成している。

この時期、 習近平は、彭麗媛とのドロドロの三角関係を続け、家庭は修羅場になったという。

土星は6室(争い、議論)の支配星で2室(家族)に在住しているため、ダシャーとトランジットはこの頃の状況をよく物語っている。

土星と木星は2室から8室にアスペクトして、8室にダブルトランジットが生じていたが、8室は不倫や三角関係のハウスである。

従って、2室、6室、7室、8室にダブルトランジットを形成して、この時期は妻との関係の悪化や不倫による三角関係などがよく説明できるのである。

そして、結婚した2年後の1982年に妻と早くも離婚しているが、この時のダシャーがラーフ/土星期からラーフ/水星期に移行するタイミングである。

マハダシャーのラーフは6室に在住し、土星は6室の支配星で、次のアンタル水星期も水星は、6室の支配星であった。

結局、習近平は妻子を捨てて、彭麗媛の元へ走るのだが、直ぐには結婚していない。

事実婚のまま過ごし、正式に結婚したのは、1987年であると記事は伝えている。

ここで中国共産党機関紙『人民日報』社発行のニュース週刊誌『環球人物』('11年6月26日号)が伝えた結婚についての公式報道は、全くの捏造であることがよく分かる。あるいは捏造でなかったとして、この時期に公式な形での結婚はしたかもしれないが、事実を正確に伝えている訳ではない。


(略)「習近平は結婚後も、彭麗媛とのドロドロの三角関係を続けた。それで家庭が修羅場になった。結局、習近平はいともあっさりと妻子を捨てて、彭麗媛の元へ走った。習近平は少年時代から感情のない男で、一人の親友もなかったが、あの時の行動には驚いた」(同幼なじみ)

中国の公式報道はずい分違う。中国共産党機関紙『人民日報』社発行のニュース週刊誌『環球人物』('11年6月26日号)は、14ページにもわたる彭麗媛特集を組んだ。その時、大変珍しい「彭麗媛独占インタビュー」を行っていて、彭麗媛から記者が聞いた話として、次のように記されている。

〈'86年の暮れに、友人から「福建省アモイの習近平副市長とお見合いしないか」と誘われた彭麗媛は、会いたくもなかったが、友人がしきりに「飛び切りの男だ」と勧めるので、わざと汚い軍服を着て行ったら、習近平もまったくの普段着で来た。習近平からは、よく幹部に聞かれる「出演料いくらもらってるんだ」という質問が出るかと思いきや、「声楽の発声法について教えてほしい」と問われ、驚愕した。すぐ帰るつもりがすっかり長居し、別れ際には夫にするならこの男だと確信した。後に習近平も、「会って40分で君を妻にしようと思った」と告白した。山東省の彭麗媛の両親が、「太子党(幹部の子息)と結婚すると大変だ」と反対したが、習近平は「父は農民の息子で気さくな人です」と言って押し切った〉

何とも麗しい恋愛物語だ。この記事では新婚の様子も、次のように麗しく描写されている。

〈'87年9月1日、彭麗媛は飛行機で北京からアモイへ降り立ち、二人は写真館へ行って婚礼写真を撮った後、市役所へ行って結婚手続きをした。4日目には彭麗媛は北京へ戻って全国芸術祭に参加、そのままカナダ、アメリカ公演に出て、3ヵ月別居が続いた。

以後も北京と福建ですれ違いの別居生活が続き、互いに会いに行ってもすぐとんぼ返りという日々だった。そんな中、彭麗媛はある時は、図体の大きい習が小さな布団に寝ているのを哀れに思って、母親に作ってもらった綿の大型布団を届けたし、またある時は習の食生活を哀れに思って、香港公演の時に大量のカップラーメンを買い込んで習に届けた。そんな妻に感謝した習は、出張時には必ず妻の歌のテープが入ったテレコを持参した〉

実際のところはどうだったのか。福建省時代の習近平について取材した香港人記者が語る。

当時の習は有名なプレイボーイで、地元の女子アナなどとの浮き名が絶えなかった。'80年代の中国は、太子党以外の国民は全員貧しかったので、習がモテたのも当然だろう」(略)

現代ビジネス 4月15日(月) (「週刊現代」2013年4月20日号より)引用抜粋

記事にあるように公式報道によれば、習近平は1986年に彭麗媛と見合いで出会い、翌1987年9月1日に結婚したという無難な物語にまとめられている。

然し、実際には彭麗媛とは上述したように既に中央軍事委員会に勤務していた頃の1980年に出会って恋愛関係に入り、事実婚の状態にあったのである。彭麗媛が18歳(1980年)で人民解放軍の文芸兵となっているため(wikipedia)、それで出会ったのである。

1987年のダシャーを見ると、ラーフ/金星期であるが、金星はラグナからみて3、10室支配で9室に在住し、月から見ても5、10室支配で4室に在住している。金星は結婚の表示体ではあるが、特に配偶者のハウスや結婚のハウスに絡んでいる訳ではないため、このタイミングでの結婚について理解が出来ない。

然し、上記の記事が明らかにするように彭麗媛とは既に恋愛関係にあり、事実婚の状態にあった。それならばこのラーフ/金星期が、結婚の時期であるとはっきり説明できなくても問題ないと言える。

因みにトランジットでは木星が7室水瓶座をトランジットし、土星が4室蠍座をトランジットして、獅子座1室(7室から7室)にダブルトランジットを形成していた。

一応、結婚のタイミングとして説明はつかなくはないが、然し、ダシャーのロジックはすっきりしないのである。

この公式に結婚したとされる1987年は、チャラダシャーでは魚座/天秤座の時期である。 魚座からみて天秤座は8室目で魚座も天秤座もDKにもDKNにもUPにも全く絡んでいない。

然し、 習近平が、彭麗媛と出会った1980年頃のチャラダシャーを調べると、メジャーダシャーが山羊座の時期であり、そこには、DKとDKNが在住し、山羊座はUPから見て7室に在住している。そして、この時期には最初の妻とも結婚している。





山羊座/牡羊座 1980/1/31
山羊座/  魚座 1980/6/01
山羊座/水瓶座 1980/9/30
山羊座/山羊座 1981/1/30


事実婚に入ったタイミングが、チャラダシャーであれば鮮やかにそして、完璧に説明できるのである。

(つまり、結婚、そして、事実婚のタイミングが鮮やかに説明でき、また山羊座から見て5室にジャイミニラージャヨーガが形成されていることから、この時期は恋愛情事(Love Affair)の時期であるとも言えるのである。 然し、この時期に離婚も経験しているというのは山羊座がラグナからみて6室であることも関係しているように思われる)

そして、山羊座のメジャーダシャーが終わると、水瓶座のダシャーに移行するが、水瓶座はラグナからみて7室であり、配偶者の固定表示体である金星がジャイミニアスペクトし、水瓶座からみて7室にDKとDKNがアスペクトしている。水瓶座にはUPもジャイミニアスペクトしている。 (但し、水瓶座のダシャーは1年で終わる)

〈'87年9月1日、彭麗媛は飛行機で北京からアモイへ降り立ち、二人は写真館へ行って婚礼写真を撮った後、市役所へ行って結婚手続きをした。4日目には彭麗媛は北京へ戻って全国芸術祭に参加、そのままカナダ、アメリカ公演に出て、3ヵ月別居が続いた。

以後も北京と福建ですれ違いの別居生活が続き、互いに会いに行ってもすぐとんぼ返りという日々だった。そんな中、彭麗媛はある時は、図体の大きい習が小さな布団に寝ているのを哀れに思って、母親に作ってもらった綿の大型布団を届けたし、またある時は習の食生活を哀れに思って、香港公演の時に大量のカップラーメンを買い込んで習に届けた。そんな妻に感謝した習は、出張時には必ず妻の歌のテープが入ったテレコを持参した〉

当時の習は有名なプレイボーイで、地元の女子アナなどとの浮き名が絶えなかった。'80年代の中国は、太子党以外の国民は全員貧しかったので、習がモテたのも当然だろう」(略)

習近平の彭麗媛との新婚当時の関係を見ると、結婚してはいるが、結婚生活はしていない印象である。つまり、彭麗媛は女優であって歌姫であるから、家庭に収まってくれる訳ではなく、結婚というよりも、恋愛が継続している感じである。

一方の習近平は、有名なプレイボーイで、地元の女子アナなどとの浮き名が絶えなかったと記されている。

つまり、この時期、 習近平は、マハダシャーラーフ期であり、ラーフから見ると、火星、水星、太陽、木星が5室に惑星集中している。

5室はLove Affair(恋愛情事)のハウスであり、結婚のハウスではない。また5室は結婚にはあまりよくないハウスであると言われている。

つまり、 習近平は妻との結婚生活ではなく、Love Affair(恋愛情事)に浸ることを望んだといえる。その本命が彭麗媛であり、そして、1987年頃にそろそろ、落ち着きたいと思って、公式に結婚したというのが実際のところであろうと思われる。

因みに彭麗媛との一人娘が1992年に誕生しているが、この時、ラーフ/火星期から、木星/木星期に移行しており、木星は5室の支配星である。

その前年の1991年8月頃に木星が1室獅子座に入室し、土星が6室で逆行していたため、5室にダブルトランジットが形成されており、子供の誕生のタイミングである。

チャラダシャーでは、魚座/魚座から牡羊座/牡牛座に移行したタイミングである。

魚 座 /魚 座  1991/8/01
牡羊座/牡牛座  1992/5/31

魚座から見ると、PKの木星が5室にアスペクトし、次のサブダシャー牡牛座の時期にはPKの木星が牡牛座に在住しているため、子供の誕生のタイミングである。

子供の誕生について、ヴィムショッタリダシャーと、チャラダシャーで説明が出来ることが分かる。




政治家としての歩み

この辺りで、獅子座ラグナであることは十分に確信できるのだが、更に習近平の政治家としての歩みを見ていくと、主にマハダシャー木星期に

廈門副市長⇒福州市党委員会書記⇒浙江省党委書記⇒上海市党委書記⇒中央政治局常務委員(二階級特進)⇒中央書記処常務書記・中央党校校長⇒国家副主席というように、出世街道を駆け上がってきたことが分かる。

木星は5室支配で10室に在住し、ラグナロードの太陽、2、11室支配の水星、そして、4、9室支配のラージャヨーガカラカの火星と接合している。

木星は5−10、1−5、4−5、5−9、5−11、2−5といったラージャヨーガとダナヨーガをキャリアのハウスである10室で形成している。

従って、木星期に習近平が政治家としてのキャリアを築いたことがよく分かる。

チャラダシャーでは1992年5月31日から牡羊座で、1993年6月1日から2004年5月31日までメジャーダシャーが牡牛座である。

牡牛座にはAK、PK、5Lが在住し、DKがアスペクトして、ジャイミニラージャヨーガを形成し、Amkが5室から11室にアスペクトしている。

次は双子座のメジャーダシャーが2004年から続いているが、 双子座から見ると、Amkが10室にアスペクトしている。

現在、双子座/獅子座であり、双子座から見ると、Amkが10室に在住しているため、それで国家主席まで登りつめたことが説明できる。

このAmkが10室にアスペクトした時期は二階級特進など尋常でない昇進をしており、またこの時期、前任者の汚職事件と罷免による棚から牡丹餅的な昇進をしていることを考えると、AK、PK、5L、DKがジャイミニアスペクトなどで絡んで、8室でラージャヨーガを形成していることなどが注目に値する。

因みに2007年に香港紙が習近平と彭麗媛とか離婚秒読みと報じているのだが、この時のダシャーが木星/ラーフ⇒土星/土星期への移行期である。

習主席は3月22日に、政府専用機でモスクワ空港に降り立った時、仲睦まじく彭麗媛夫人の手を取ってタラップを降りてきた。この時の映像を見た前出の矢板氏は、思わず首をかしげたという。 「わざとらしいなと思いました。私の取材によれば、習近平と彭麗媛の仲はもうとっくに冷め切っていて、'07年頃には、離婚秒読みという報道が、香港紙に出たほどです。 (週刊現代記事より)

ラーフは6室に在住し、土星は6室の支配星である。

また土星は12室をトランジットし、6室にアスペクトし、木星は4室から12室にアスペクトし、12室にダブルトランジットが生じていた。

またチャラダシャーでは2004年から双子座のメジャーダシャーに移行していたが、双子座から見るとDKが8室に在住している。

従って、2004年頃から夫婦仲が変化し、2007年には6室支配の土星期に移行して、その不仲が離婚秒読みと報じられるほど表立って現われたと考えられる。

 

党・国家・軍の三権を正式に掌握

2012年11月15日、第18期1中全会において習近平は政治局常務委員に再選され、党の最高職である総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出された。

そして、2013年3月14日、第12期全人代第1回会議において国家主席・国家中央軍事委員会主席に選出され、党・国家・軍の三権を正式に掌握した。

ここにおいて、中国の最高指導者が誕生した訳であるが、この時、そして、今現在も、木星は10室牡牛座をトランジットし、木星は3室の天秤座から9室に在住する10室支配の金星にアスペクトして、10室にダブルトランジットが生じており、昇進の時期であることが分かる。

現在、マハダシャーは土星/水星期であり、土星は7室の支配星であり、通常、7室の支配星の時期というのは、社会的な立場が確立していく時期である。つまり、7室の支配星の時期はデビューの時期であると言われている。この土星は逆行して10室にアスペクトしている。

そして、7室は10室からみた10室であり、10室の本質のハウスである。

アンタルダシャーの水星は11室(称号、評価)の支配星で10室(地位、名誉、昇進)に在住している。

従って、この現在のトランジットから考えても、 習近平は間違いなく獅子座ラグナである。


習近平は、党・国家・軍の三権を正式に掌握した訳であるが、このことは共産党の歴史の中でも異例のことであるようだ。

習近平が3大権を掌中にしたのは共産党の歴史でも希有の事態
NEWS ポストセブン 4月18日(木)7時6分配信

 3月中旬に閉幕した全国人民代表大会(全人代=国会)で、習近平・党総書記は国家主席と国家中央軍事委員会主席に選出され、党、国家、軍の大権をすんなりと平和的に掌中に収めた。

 この3大権を握った歴代指導者は、毛沢東を除くと、華国鋒、江沢民、胡錦濤の3人しかいない。

 しかし、華国鋒への権力移譲は1976年の毛沢東の死去という異常事態のなかであり、江沢民も1989年の天安門事件による趙紫陽・総書記失脚などの政治的混乱が背景にあった。

 胡錦濤はといえば、党総書記と国家主席に就任したものの、江沢民が軍事委主席に居座ったため、同主席への就任は2年間も待たなければならなかった。

 習近平が“民主的”に3大権を一挙に掌中にしたというのは、1990年あまりの中国共産党の歴史からみても極めて希有の事態である。「奇跡的」という言葉を使っても不思議ではないと思うくらいだが、習近平がそれを成し遂げたのは、軍の支持を得ていたからにほかならない。

 習近平は全人代期間中の3月11日、解放軍代表団全体会議に出席して、

「党の指揮を聞いて、強軍の魂をしっかり鋳造し、党が軍を指導するという根本原則と人民軍隊の根本的な宗旨を絶対に動揺させてはならない。部隊の絶対の忠誠や純粋性、信頼を確保し、一切の行動は党中央及び中央軍事委の指揮に従わなければならない」

 と述べて、軍は党に服従すべしという1927年の軍創設以来の大原則を強調してみせた。言い換えると、「党の最高指導者である俺(習近平)の命令は絶対だ」というメッセージである。

元々、父親のコネで中央軍事委員会に就職し、国防相の秘書などを3年間務めるなど、軍人出身であることから、軍部の支持を受けるのが早かったようである。

習近平の出生図を見ても、10室に火星が在住しているため、軍人であり、司令官なのである。

また太陽が在住している為、国家の行政の最高執行官であり、かつ、木星が在住しているため、毛沢東の詩を引用して、「中華民族の偉大なる復興」 といった建国の精神を説く、理想主義者である。 民族主義やナショナリズムを煽るイデオロギストである。

この10室における木星、火星、太陽の組み合わせが、その政治手法を物語っている。

そして、この10室は牡牛座であり、牡牛座は所有にこだわる星座である。牡牛座の主な目的は所有することである。

そして、頑固であり、意志が強固である。このことが非常にやっかいに思えるのは、尖閣諸島についても激しい所有欲を燃やしてくることが考えられるからである。

また習近平は、山羊座で月とラーフがコンジャンクトしている。月とラーフがコンジャンクトすると、心穏やかでなく、異常に支配欲や攻撃欲を燃やす人物になる傾向がある。これは私の経験では以前、テコンドーをしていた人が3人ともラーフと月がコンジャンクトしていた。つまりサンドバックを蹴ったり、叩いたりして定期的に内的衝動を燃焼させないと気がすまないのではないかと理解したことがあったが、心が平穏で平和的であるとは言い難い。

因みに山羊座で月とラーフがコンジャンクトしていることは確実である。結婚のタイミングがDKの月が山羊座にあることで最もよく説明でき、また月が射手座に移動した場合、AKが月になり、DKは金星になるが、金星では結婚のタイミングが月ほどには上手く説明出来ない。

この習近平が国家主席となると同時に彭麗媛夫人がファーストレディーとして注目されている。

彭麗媛夫人の月は獅子座に在住し、月から見ると3、10室支配の金星が3室天秤座に在住しており、現在、トランジットの土星が10室支配の金星に接合し、木星が10室をトランジットして、10室にダブルトランジットが生じている。

習近平が注目されたと同じタイミングで、夫人の方も注目を浴びたのはその為である。

 

習近平の健康問題

このように習近平のラグナは獅子座である。

そうすると、マハダシャー土星期になって、土星は7室支配のマラカであり、病気の6室を支配して、マラカの2室に在住している。
また土星は逆行してラグナにかかっている。

習近平副主席、10日間姿見せず 世代交代をめぐる憶測も
2012.09.12 Wed posted at 10:46 JST CNN.co.jp

(CNN) 中国の次期最高指導者と見られている習近平(シーチンピン)国家副主席(59)が、公の場に姿を見せなくなってから10日 がたった。原因についてはさまざまな説が飛び交い、中国共産党指導部の世代交代をめぐる憶測に結びついている。

通常なら指導部の動きを逐一伝える同国の国営メディアは過去10日間、習氏の動静を伝えていない。習氏は来月、中国共産党の党大会で 胡錦濤(フーチンタオ)総書記(国家主席)の後任に選ばれ、来年初めには国家主席に就任する見通しとされる。

そうしたタイミングの中で、習氏は9月5日、訪中したクリントン米国務長官との会談予定を突然キャンセルした。さらにシンガポール首 相など外国要人との会談も相次いで中止になった。

米当局者によれば、会談中止の理由について中国からは「日程が合わなかった」との説明を受けたという。中国当局者は詳しい説明を避け ている。

香港の日刊紙「大公報」は習氏が10日にデンマーク首相と会談する予定だと伝えたが、CNNが中国外務省に問い合わせたところ、「我 々のウェブサイトに掲載されていない行事は非公開だ」との返答だった。10日が過ぎても習氏の動静は伝えられず、インターネットでは 自動車事故説から暗殺未遂説に至るまで、裏付けのない憶測に火が付いている。

一方、専門家やメディアからは、背中の負傷や軽度の脳卒中などの健康問題が原因との見方が出ている。中国の当局者はこれまでのところ 沈黙を保っており、外務省報道官は数日間連続でこの問題に関する質問をかわした。

「網易」などの大手ニュースサイトは10日、習氏が最後に公の場に姿を見せた9月1日の写真を掲載した。写真の習氏は黒いスーツと紫 のネクタイ姿で北京の共産党中央党校の生徒を前に演説し、健康に問題はなさそうに見えた。

共産党指導部の世代交代の場となる第18回中国共産党大会は10月半ばに開かれるとの見方が有力だが、日程はまだ正式発表されていな い。

当局者が直前になっても沈黙を保っていることは、指導部の間で直前の駆け引きが続いていることを示唆しているのかもしれないとの見方 もある。現世代の指導者は、天安門事件への対応をめぐって党上層部が分裂した1989年以来、表面上の統制を維持することに特に腐心 してきた。

中国に詳しい大学教授のウィリー・ラム氏は「習近平氏は自らの権力基盤を持たないことから、既に指導者としての弱さが指摘されている 」と解説し、胡錦濤氏は習氏に総書記と国家主席のポストを譲った後も、2〜3年は中央軍事委員会主席のポストにとどまるだろうと予想 。「胡氏は影の実力者になるかもしれない」と話している。

上記は昨年9月に習近平が公の場に10日間姿を見せなくなったという記事であるが、一部、専門家やメディアは健康問題の可能性を伝えている。

然し、中国の当局は、公式には健康問題だということを認めていない。そうした健康問題を示唆する記事を集めたサイトもある。

ダシャーとトランジットから考えると、習近平に健康問題があることは明らかである。

習近平がメディアに姿を見せなくなった昨年9月頃、トランジットの土星は天秤座にいたが、その1ヶ月前の8月1日には乙女座の2室をトランジットしていたため、9月の時点ではまだ2室への影響を残していた。

木星は10室をトランジットして2室支配の水星と接合し、また2室にもアスペクトしている。

つまり、マラカの2室にダブルトランジットが生じていた。 土星はマラカの7室支配で病気の6室も支配し更にマラカの2室に在住する出生の土星(逆行)に対して、リターンしていた。つまり、病気の象意が顕現するタイミングである。

しかし、この土星は木星からアスペクトされているため、おそらく大事には至らなかったのである。

 

今後の習近平の動向について

習近平は現在、土星/水星期であるが、おそらく来年の2014年の夏頃には土星/ケートゥ期に移行するのである。

ケートゥは12室の蟹座に在住しているが、蟹座は敵対星座であり、ディスポジターの月も一時的敵対の配置にあるため、強い敵対の座にある。

そして、そこに12室支配の月がアスペクトバックして、ケートゥには冥王星が同室している。冥王星は外部からの強制力を表わしている。

ちょうどこの頃、 2014年6月後半から木星が蟹座に移行して、蟹座にダブルトランジットが形成されるが、この蟹座は習近平にとっての12室である。

12室は海外を表し、ケートゥは誤診や思い違い、放棄を表わす惑星である。

ケートゥはディスポジターの理論が重要になるため、ケートゥのディスポジターである月が6室でラーフと接合していることは重要である。

これは意見の不一致、訴訟を表わしている。月には木星がアスペクトしている。

チャラダシャーは双子座/双子座である。

チャラダシャーが双子座の時期はAmkが10室にアスペクトするため、習近平の権力基盤が最も強固であると考えられる時期である。

またAmkは4室(土地)に在住している。

 

チャラダシャーが双子座になったのは2004年5月頃からだが、双子座から見ると12室に木星、太陽、水星、火星(AK、MK、BK、PK)が在住して、DKが8室からアスペクトしている。

おそらく習近平が、アフリカなど海外を積極的に訪れているのはその為である。



それは資源獲得という戦略的な目的があることが考えられるが、しかし、アフリカの諸国は中国に必ずしも好意を持っていない。

したたかな“甘い顔”で中国・習近平国家主席、アフリカ歴訪終了 支援引き換えに支持獲得
2013.3.31 00:00 産経ニュース

 【北京=川越一】中国の習近平国家主席は29日、コンゴ共和国議会で中国とアフリカの友好促進を訴える演説を行い、国家主席就任後初の外国訪問を締めくくった。ロシア、アフリカ3カ国を巡る中で特に目立ったのは、アフリカ諸国に対する“甘い顔”。経済支援と引き換えに支持を集めた歴訪を、中国メディアは「希望に満ちた夢の旅」と称賛している。

 中国は新しい最高指導者の最初の訪問先を重要視する伝統があり、新政権の外交方針を示す重要指標といわれている。ただ、最初のロシア訪問は「外相レベルでの下準備が整った『成功間違いなしの外遊』」(日中外交筋)。いわば儀礼的なもので、習氏の目はアフリカに向いていた。

 習氏が今回、アフリカで訪問したのはタンザニア、南アフリカ、コンゴ共和国の3カ国だが、南アで26〜27日に開かれた新興5カ国(BRICS)首脳会議の場を活用したアフリカ諸国首脳との対話も行い、十数人に上る首脳らと面会した。

 さらに28日朝には首脳ら十数人を招いて円卓を囲み、春巻きや桃をかたどったまんじゅうなどを振る舞った。

 訪問した3カ国では個別にインフラ整備の支援などを約束する一方、演説では常に「国際情勢が変わっても中国は常にアフリカの友人であり、パートナーだ」とアフリカ全体に向けて呼びかけた。そして、「核心的利益と重大な懸念に関わる問題においてアフリカと支持し合っていく」「中国は約束すれば、必ず実行に移す」「いかなる政治的条件もつけない援助を提供する」と強調した。

 中国がアフリカ進出を進める背景には、資源や将来の市場の確保に加えて、欧米諸国と対抗するための勢力固め、台湾問題など核心的利益に絡む牽(けん)制(せい)など、外交上の思惑が絡み合っている。

 タンザニアのキクウェテ大統領は、「主権や領土保全に関わる重大問題で継続して中国を支持する」と表明。コンゴ共和国のサスヌゲソ大統領は、「新植民地主義」との批判が高まっている中国のアフリカ政策を擁護した。

 共産党機関紙、人民日報(電子版)は「習主席の演説での“中国の夢”の声は世界の関心を引いた」と評価。シナリオ通りに進んだ歴訪は、習氏が唱える「中華民族の偉大な復興」に向けた布石の一つだ。
習近平氏、アフリカ支援強化 「新植民地」手法に批判
2013年3月28日 東京新聞

 【北京=佐藤大】初外遊となったロシアに続き、アフリカを歴訪している中国の習近平国家主席がアフリカ支援強化を相次いで表明している。経済支援を打ち出して資源獲得や国際的な影響力の拡大を狙っているが、「新植民地主義」との批判も相次いでいる。  国営新華社通信によると、習氏は二十六日、南アフリカでズマ大統領と会談。中国の企業や金融機関がインフラ設備の建設や鉱業、エネルギーなどの分野で投融資の協力を後押しすると表明。ズマ大統領は中国側に感謝の意を示した。

 これに先立ちタンザニアを訪れた習氏は二十四日、キクウェテ大統領との会談で、中国企業のタンザニアへの投資を促すと約束。習氏は演説で、アフリカ諸国向けに今後三年間で二百億ドル(約一兆九千億円)の投融資枠の設定も表明した。
 習氏はこうした経済支援の強化と引き換えに、中国の「核心的利益」への支持を求める発言も相次いでいる。ズマ大統領との会談では、「相手の核心と重大な利益の問題で相互に理解し支持し続けなければならない」などと語った。
 アフリカへの影響力を強める中国だが、旺盛な資源獲得の動きへの批判も出ている。ナイジェリア中央銀行のサヌシ総裁は今月、英紙フィナンシャル・タイムズへの寄稿で、中国がアフリカの資源を輸入し工業製品を輸出する構図を「植民地主義の神髄」と非難した。

また近年、日本に尖閣諸島の領有権をめぐって領海侵犯を繰り返しており、またベトナムといった近隣諸国とも国境問題で揉め事を起こしている。

これは双子座からみてDKが8室に在住しているからとも考えられる。

習近平は、2015年6月1日からチャラダシャーのメジャーダシャーが蟹座に移行するため、ここ数年の政治スタイルがこのタイミングで変わるかもしれない。つまり、海外重視の姿勢が転換したり、またDKが蟹座からみると7室になるため、外交関係なども今よりもよくなる可能性がある。

12室にケートゥが在住する配置というのは、結局の所、海外での損失という意味になるはずである。ディスポジターの月は6室でラーフと接合している。何かこのタイミングで揉め事が起こる可能性があるが、決して、 習近平にとって良い体験とはならないはずである。12室にダブルトランジットが生じるのであり、出費か損失の体験になるはずなのである。

それは損失の体験に違いないし、あるいは争いの苦い体験である。

この蟹座に木星が入室するタイミングで、中国建国図のダシャーは土星/ラーフ期に移行する。

ラーフは不動産、土地(4室)を損失(12室)する3室に在住し、ディスポジターの木星は損失の12室に在住している。

現在、中国は土星/火星期におり、火星は戦争の7室に在住しているので、尖閣諸島の国境線を繰り返し、激しく侵犯しているのはその為である。

これが火星期の間は暫く続くことと思われる。

然し、これが結局のところ、土星/ラーフ期に入ったときに中国のもくろみは頓挫するのではないかと思うのである。

それは土星からみてラーフは8室に在住していることからも考えられる。8室は中断のハウスである。

習近平のラグナを獅子座に修正したことで、習近平の今後の動向が予測可能となった。

ポイントは土星/ケートゥ期であり、ケートゥは12室に在住しているということである。(そしてディスポジターの月は6室に在住している)

この配置では例えば、中国が尖閣上陸という行動を大胆にも起こしたとしても成功するようには思えないのである。

何故なら、ケートゥは誤診、思い違い、損失、放棄の表示体だからである。

西暦 年月 出来事 V.Dasha C.Dasha Transit
1969年 父・習仲勲が批判された文化大革命において反動学生とされ、1969年から7年間、陝西省延川県に下放された(重労働させられていた) 火星/ラーフ
火星/木星
1975年 国家重点大学の清華大学化学工程部に入学 ラーフ/ラーフ
1979年〜1982年 26歳でようやく大学を卒業し、父親のコネで中央軍事委員会に就職し、耿国防部長(国防相)の秘書などを3年間務めた。

この軍勤務の時代に、習近平と彭麗媛が知り合い、恋愛関係になったようだ。 ところが、習近平が結婚したのは『憧れのマドンナ歌手』ではなくて、エリート外交官の娘だった。厳格な父親に『歌手などまかりならん!』と一喝され、無理やり見合いさせられたのだ」 そこで習近平は'80年に、イギリス大使などを歴任した著名な外交官・柯華大使の娘の柯小明と結婚した。習の両親の家に同居し、ほどなく一人娘が生まれた。(週刊現代記事より)
ラーフ/木星
ラーフ/土星
ラーフ/水星
山羊座/牡羊座 山羊座/ 魚座 山羊座/水瓶座 山羊座/山羊座
1982年

北京郊外の河北省正定県に、党委副書記として勤務した'82年に、妻と離婚する。

「習近平は結婚後も、彭麗媛とのドロドロの三角関係を続けた。それで家庭が修羅場になった。結局、習近平はいともあっさりと妻子を捨てて、彭麗媛の元へ走った。習近平は少年時代から感情のない男で、一人の親友もなかったが、あの時の行動には驚いた」(同幼なじみ)

ラーフ/土星
ラーフ/水星

水瓶座/蠍座
水瓶座/射手座
水瓶座/山羊座
水瓶座/水瓶座

水瓶座から見てDKが12室

但し水瓶座からみて7室にDKがアスペクト
1992年 92年に、一人娘(習明沢:浙江大学外国語学部に入り、ハーバード大学に留学)が生まれる。 ラーフ/火星
木星/木星

魚座/魚座
魚座からみてPKが5室にアスペクト

2000年 廈門副市長、福州市党委員会書記を経て、2000年に福建省長となる。 木星/ケートゥ
木星/金星
2002年 11月 浙江省党委書記に就任する。 木星/金星
2007年 上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委書記陳良宇が罷免されると、翌2007年3月24日、書記代理を務めていた韓正(上海市長)に代わって上海市党委書記に就任する。

同年10月の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、中央書記処常務書記・中央党校校長にも任命された
木星/ラーフ
2007年 香港紙が習近平と彭麗媛とか離婚秒読みと報じる。

習主席は3月22日に、政府専用機でモスクワ空港に降り立った時、仲睦まじく彭麗媛夫人の手を取ってタラップを降りてきた。この時の映像を見た前出の矢板氏は、思わず首をかしげたという。 「わざとらしいなと思いました。私の取材によれば、習近平と彭麗媛の仲はもうとっくに冷め切っていて、'07年頃には、離婚秒読みという報道が、香港紙に出たほどです。 (週刊現代記事より)
木星/ラーフ
土星/土星
双子座/魚座
双子座/水瓶座
DKが双子座からみて8室
土星:蟹座
木星:蠍座
DT:12室
2008年 3月15日 第11期全国人民代表大会第1回会議で国家副主席に選出される。 木星/ラーフ
2009年 9月 第17期4中全会で党中央軍事委員会副主席に選出されるという見方があったが、結局選出されなかった。その理由として、背後で胡直系の共青団出身の李克強を推そうとする勢力と、江沢民系の上海閥と呼ばれる勢力との間に生じた権力闘争が原因だとする見方があった。
これによると、習は上海閥の流れを汲む人物であり、共青団系の勢力が躍進している現在においては党内基盤が弱くなっているという見方もあった。
土星/土星
2010年 10月18日 第17期5中全会で党中央軍事委員会副主席に選出された。中国共産党中央軍事委員会は、共産党が国家を領導するという中国の政治構造上、事実上の最高軍事指導機関である。副主席として党中央軍事委員会に入ったことで、習は胡の後継になることが事実上確定した。

同月28日、全国人民代表大会常務委員会の決定によって国家中央軍事委員会副主席に就任した。

土星/土星

2012年 11月 第18回党大会を以て胡錦濤・温家宝ら第4世代の指導者は引退し、11月15日に開催された第18期1中全会において習近平は政治局常務委員に再選され、党の最高職である総書記と軍の統帥権を握る党中央軍事委員会主席に選出された。 土星/水星 木星:牡牛座
土星:天秤座
DT:10室
2013年 3月14日 第12期全人代第1回会議において国家主席・国家中央軍事委員会主席に選出され、党・国家・軍の三権を正式に掌握した

翌日、李克強を国務院総理(首相)に任命し、中国共産党の第5世代である習・李体制を本格的に始動させた。
土星/水星 木星:牡牛座
土星:天秤座
DT:10室
wikipedia 習 近平 より引用抜粋



(参考文献・資料)

現代ビジネス 4月15日(月) (「週刊現代」2013年4月20日号より)

コワモテの隣国の新指導者に、さらにコワモテの夫人が外交デビューした。国民的歌手にして人民解放軍少将という習近平夫人は現代版西太后≠ネのか。北京で、その知られざる素顔を追った。

資生堂の化粧品が大好き

「中国人にとっては、習近平主席夫人の彭麗媛ではなく、歌手・彭麗媛の夫である習近平主席なのです。それくらい彼女は、中国で国民的歌手です」

こう語るのは、『習近平共産中国最弱の帝王』の近著がある産経新聞北京特派員の矢板明夫氏だ。

習近平新主席が、初めての外遊(3月22~30日、ロシアとアフリカ3ヵ国)に彭麗媛夫人を同行させたことで、このファーストレディの動向に、世界の視線が集まっている。

中国でも、この時の彭麗媛ファッションは大々的に報道された。

例えば、大手ネットメディアの「網易」は、詳細な写真付きで次のように誉めたたえた。

〈3月22日午後、モスクワ空港のタラップから降り立った時、深い色のコートは(モスクワの)冷気とマッチし、真珠のイヤリングと水玉スカーフの配合、ベルトの締め方、コートとスカートの長さ、靴の長さなどコーディネートは完璧だった。しかもどのグッズにもロゴが付いていないのだ〉

中国共産党機関誌『人民日報』が発行する中国最大の国際ニュース紙『環球時報』(3月28日付)も、以下のように報じた。

〈習近平主席の妻で、第一夫人の彭麗媛夫人が、国産ブランドを身につけて、国産ブランドの発展の扉を開けた。第一夫人は民族ブランドを牽引するモデルであり、それによってわれわれの中国文化への自信も強まっていくであろう〉

今回の外遊の彭麗媛ファッションを担当した広州のブランド『例外』の社員が誇らしげに語る。

「彭麗媛教授には昔から、われわれ『例外』ブランドを贔屓にしていただいています。今回の外遊のファッションは、環境に優しい素材というテーマで、すべて手作りで行いました。中国ブランドが支持を受けて、大変嬉しく思います」

中国メディアはまた、彭麗媛効果で、ファッション関連株が急騰していると伝えた。習近平主席の背広などを仕立てた大楊創世が10%以上高騰して取引停止になったのを始め、彭麗媛ファッションに関わった企業は軒並み急騰した。

ちなみに上海市場はこれまで習近平主席のせいで、3度の大暴落に陥っている。1度目は、'07年10月の第17回共産党大会で、習近平の事実上のトップ後継が決まった時。2度目は昨年11月8日に、習近平の総書記就任を決める第18回共産党大会が始まった時。そして3度目が、今年3月5日に習近平の国家主席就任を決める全国人民代表大会が開幕した時である。

それが今回ばかりは、彭麗媛のおかげで株価も急上昇と、中国官製メディアは強調しているのだ。

だが、冒頭の矢板特派員は、こうした降って湧いたようなファーストレディ礼賛報道を、冷淡に見ているという。

「他にも、彭麗媛がある宴席に出席した際、若い歌手が舞台で歌っていたが、宴席の人たちは、自分たちのおしゃべりに夢中で、誰も聞いていなかった。その時、彭麗媛が、『皆さん、ちゃんと歌を聴きましょうよ。私は歌手だから、歌い手の気持ちが分かるんです』と周囲をたしなめたというのです。実に白々しい報道です。

今回の習主席の外遊については、中国当局が、新主席の初外遊に合わせて彭麗媛特別チームを作って演出し、国内マスコミにイメージ操作して報道させただけのことです。習近平政権は、深刻化する社会問題を改善することもできず、国民の不満が高まる中、少しでも彭麗媛人気にあやかろうという戦略なのでしょう」

たしかに、本誌記者はかつて彭麗媛夫人を北京で見かけたことがあるが、愛用ブランドは、国産の『例外』ではなく、フランスのクリスチャン・ディオールだった。

また、愛用の化粧品も中国産ではなく、資生堂だという。彭麗媛夫人をよく知る東京在住の中国人が証言する。

「反日派の夫と違って、彭麗媛は大の日本贔屓、というより日本製品贔屓で、これまで何度となく訪日しています。東京での定宿は帝国ホテルです。なぜなら帝国ホテルから目と鼻の先の銀座で買い物しやすいから。毎回の訪日時には、資生堂の高級化粧品を大量に買って帰っています。

最後に訪日したのは、'09年11月でした。その翌月に訪日した夫の習近平副主席(当時)が、天皇陛下に会う会わないで大モメにモメたため、それ以降は大好きな銀ブラを自粛しているのです」

素晴らしい歌声

「中国の美空ひばり」彭麗媛は、そう呼んでもよいほどの「歌謡界の女王」である。

1962年に山東省の寒村に生まれた彭麗媛は、18歳で北京へ出て、人民解放軍総政治局の歌舞団に入った。'84年には早くも、中国版の紅白歌合戦にあたる第2回目の「春晩」で、『希望の田畑の上で』などを歌って、一躍スター歌手となった。

その後、「春晩」の常連歌手となり、ニックネームは、「人民解放軍のマドンナ」。女性歌手で初めて少将にまで出世した。また、中国政府への唯一の諮問機関である中国人民政治協商会議の代表を15年間も務めた。また、故・金正日総書記からプーチン大統領まで、面会した外国の国家元首も数多い。

中国音楽学院時代の同級生が語る。

「彭麗媛はとにかく上昇志向の強い学生でした。自分がどう振る舞えば音楽関係のキーパーソンに取り入ることができ、テレビに出られるかということを常に考えていました。そして、それに向かってなりふり構わず突進していくタイプでした。まさか第一夫人になるとは思いませんでしたが、権力者の夫人に収まるとは思っていました」

一方、習近平主席の北京の幼なじみは、次のように証言する。

「父親が軍人(習仲勲元副首相)だった習は、少年時代から女性歌手に憧れ、女性歌手のブロマイドを集めるのが趣味だった。当時の歌手というのは、ほとんどが軍属で、女性歌手でも軍服を着ていた。後に夫人となる彭麗媛も、そんな一人だった」

習近平は'69年、15歳の時に下放され、陝西省で7年間も重労働させられた。22歳になってようやく北京へ戻り、父親のコネで名門・清華大学に入学。当時は学生の恋愛はご法度で、結婚も禁じられていた。


前出の幼なじみが続ける。

「習近平は26歳でようやく大学を卒業し、父親のコネで中央軍事委員会に就職し、耿国防部長(国防相)の秘書などを3年間務めた。この軍勤務の時代に、習近平と彭麗媛が知り合い、恋愛関係になったようだ。


ところが習近平が結婚したのは『憧れのマドンナ歌手』ではなくて、エリート外交官の娘だった。厳格な父親に『歌手などまかりならん!』と一喝され、無理やり見合いさせられたのだ」

そこで習近平は'80年に、イギリス大使などを歴任した著名な外交官・柯華大使の娘の柯小明と結婚した。習の両親の家に同居し、ほどなく一人娘が生まれた。


妻子を捨てても結婚したい

ところが、習が北京郊外の河北省正定県に、党委副書記として勤務した'82年に、二人は離婚し、柯小明はイギリス留学に出て行ってしまう。


「習近平は結婚後も、彭麗媛とのドロドロの三角関係を続けた。それで家庭が修羅場になった。結局、習近平はいともあっさりと妻子を捨てて、彭麗媛の元へ走った。習近平は少年時代から感情のない男で、一人の親友もなかったが、あの時の行動には驚いた」(同幼なじみ)


中国の公式報道はずい分違う。中国共産党機関紙『人民日報』社発行のニュース週刊誌『環球人物』('11年6月26日号)は、14ページにもわたる彭麗媛特集を組んだ。その時、大変珍しい「彭麗媛独占インタビュー」を行っていて、彭麗媛から記者が聞いた話として、次のように記されている。

〈'86年の暮れに、友人から「福建省アモイの習近平副市長とお見合いしないか」と誘われた彭麗媛は、会いたくもなかったが、友人がしきりに「飛び切りの男だ」と勧めるので、わざと汚い軍服を着て行ったら、習近平もまったくの普段着で来た。習近平からは、よく幹部に聞かれる「出演料いくらもらってるんだ」という質問が出るかと思いきや、「声楽の発声法について教えてほしい」と問われ、驚愕した。すぐ帰るつもりがすっかり長居し、別れ際には夫にするならこの男だと確信した。後に習近平も、「会って40分で君を妻にしようと思った」と告白した。山東省の彭麗媛の両親が、「太子党(幹部の子息)と結婚すると大変だ」と反対したが、習近平は「父は農民の息子で気さくな人です」と言って押し切った〉

何とも麗しい恋愛物語だ。この記事では新婚の様子も、次のように麗しく描写されている。

〈'87年9月1日、彭麗媛は飛行機で北京からアモイへ降り立ち、二人は写真館へ行って婚礼写真を撮った後、市役所へ行って結婚手続きをした。4日目には彭麗媛は北京へ戻って全国芸術祭に参加、そのままカナダ、アメリカ公演に出て、3ヵ月別居が続いた。

以後も北京と福建ですれ違いの別居生活が続き、互いに会いに行ってもすぐとんぼ返りという日々だった。そんな中、彭麗媛はある時は、図体の大きい習が小さな布団に寝ているのを哀れに思って、母親に作ってもらった綿の大型布団を届けたし、またある時は習の食生活を哀れに思って、香港公演の時に大量のカップラーメンを買い込んで習に届けた。そんな妻に感謝した習は、出張時には必ず妻の歌のテープが入ったテレコを持参した〉

実際のところはどうだったのか。福建省時代の習近平について取材した香港人記者が語る。

「当時の習は有名なプレイボーイで、地元の女子アナなどとの浮き名が絶えなかった。'80年代の中国は、太子党以外の国民は全員貧しかったので、習がモテたのも当然だろう」

外交に口出しする

それでも'92年に、一人娘が生まれ、習近平は尊敬する毛沢東にちなんで、習明沢と名づけた。彼女は浙江大学外国語学部に入り、ハーバード大学に留学した。だが最近になって、自分で火を付けた「国産品ブーム」に反するとして、娘を慌てて帰国させている。

習主席は3月22日に、政府専用機でモスクワ空港に降り立った時、仲睦まじく彭麗媛夫人の手を取ってタラップを降りてきた。この時の映像を見た前出の矢板氏は、思わず首をかしげたという。

「わざとらしいなと思いました。私の取材によれば、習近平と彭麗媛の仲はもうとっくに冷め切っていて、'07年頃には、離婚秒読みという報道が、香港紙に出たほどです。

そもそも習近平主席がバツイチであることさえ、中国国民には知らせていません。かつて毛沢東と江青夫婦は、10年以上も別居していましたが、当時は中国人の誰もが、二人は仲睦まじい理想の夫婦だと信じ込んでいた。それと同じように、いまは習近平夫妻の円満ぶりがアピールされていますが、虚像でしょう」

中国では「建国の父」毛沢東の第4夫人だった江青が、文化大革命の首謀者となり、国家を丸10年にわたって大混乱に陥れた。その教訓から、それ以降の最高指導者の夫人は、決して表には出て来なかった。

ケ小平夫人の卓琳は、「雲南省のハム王」と呼ばれた豪商の娘だが、世間的には無名である。江沢民夫人の王冶坪も、江の揚州の同郷で、上海電器科学研究所のOLに過ぎなかった。

胡錦濤夫人の劉永清は、胡の清華大学の同窓生で、化粧やオシャレ嫌いで知られ、地味な普通のオバサンだった。かつ胡錦濤政権の晩年は病気がちで、まったく表舞台に登場しなかった。

それだけに、突然表舞台に登場した彭麗媛は、中国人の目にも、意外に映ったようだ。

北京在住ジャーナリストの胡小兎氏が解説する。

「彭麗媛の登場で、一番戦々恐々としているのは、人民解放軍の軍人たちです。彼女は解放軍の少将で、軍の中枢である総参謀部の所属です。今後、彼女の鶴の一声≠ナ、軍の人事や戦略が変わる可能性もある。その意味で、釣魚島(尖閣諸島)問題とも無縁ではないのです」

習近平、アフリカ重視外交のしたたか
'No Political Strings Attached,' Says Xi
国家主席就任直後の習近平がロシアの次にアフリカ諸国の歴訪を選んだ訳
2013年3月26日(火)15時00分 ニューズウィーク日本版 プリヤンカ・ボガーニ、エリン・コンウェイスミス

微笑外交? 最初の訪問先タンザニアで演説した習近平は中国とアフリカの「対等な関係」を強調した
 今月中国の全国人民代表大会(全人代)で国家主席に選出された習近平(シー・チンピン)は、その10日後にはアフリカの地を踏んでいた。

 タンザニアから始まった習のアフリカ諸国歴訪は、途中南アフリカのダーバンで開催されるBRICSサミットへの出席を挟み、最後の訪問地コンゴ共和国まで続く。

 タンザニアの最大都市ダルエスサーラムにある、中国の援助を受けて建設された会議場で演説した習は、前胡錦濤(フー・チンタオ)政権と変わらずアフリカを支援すると誓った。「中国はこれまで通り、アフリカが必要な援助を政治的な要求なしで継続する。中国とアフリカは、対等な関係として友好を深めていく」。

 習はアフリカを「希望と約束の大陸」と呼び、アフリカへの「心からの友情」を強調した。さらに、中国が関心を持っているのはアフリカの天然資源の搾取だけだ、という批判に間接的に答え、「アフリカはアフリカの人々のものだ。アフリカとの関係を発展させる上で、すべての国々はアフリカの尊厳と独立を尊重しなければならない」と語った。

就任直後の歴訪が象徴する「兆候」

 習のアフリカ訪問はこれで6回目で、前回は2011年11月だ。今回の歴訪で習をはじめ中国政府一行は、訪問先の各国で貿易推進や開発援助を約束することになっている。

 さらにBRICSサミットで中国政府は、他のBICS諸国のブラジル、ロシア、インド、南アフリカと共同で出資し、発展途上国のインフラ整備などを援助する「BRICS開発銀行」を発足させる予定だ。

 習は今後3年間で合計200億ドルのアフリカへの借款を約束し、中国とアフリカの貿易額が昨年約2000億ドルに達したことを明かした。資源豊かなアフリカから、中国は鉱物資源など多くの原材料を輸入している。昨年のアフリカから中国への輸入総額は1130億ドルで、この10年で20倍に増加した。

 習の国家主席就任後初の訪問先はロシアだったが、その次がアフリカだというのは象徴的だ。これまで経済的な利害関係しか考えていなかった中国が、アフリカでの政治的な影響力も考慮し始めた兆候かもしれない。

 中国メディアは、アフリカ諸国との良好な協調関係を伝える高揚したプロパガンダ報道で埋め尽くされている。つまり、それが中国政府の至上命題の1つに位置付けられているということだ。