占星コラム


2012/12/1 iPS細胞生みの親・山中伸弥教授について

成熟した細胞を初期化し、多機能をもたせるiPS細胞の研究で、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授が受賞までの歩みについて語った第26回京都賞ウイーク 教育イベント 高校生特別授業「京都賞 高校フォーラム 」 −人間万事塞翁が馬 −の内容が素晴らしい。

是非、聴いて頂きたい。最近、出版されている「大発見」の思考法も益川敏英教授との共著であるが、こちらにも、受賞までの興味深い歩みが綴られている。


山中教授の経歴の時系列を見ると、大きく3つの時期に分けられることが分かる。

まず、マハダシャー木星期であり、これは医学部を卒業して、整形外科の臨床医として活動した時期である。

そして、次に土星期になるのだが、この時期は、臨床医の道から研究者志望に切り替えて、特定の遺伝子を組み替えたネズミ(ノックアウトマウス)のつくり方などを習うためにカリフォルニア州のグラッドストーン研究所に研究員として留学し、本格的に遺伝子やDNAなど分子レベルの生物学を扱う分野に取り組んでいく時期である。

この時期から山中教授が最も自分の得意とする分野で、才能を発揮していく時期である。

そして、各方面から研究成果に対する賞が贈られ、高い評価を受け始め、ノーベル賞の受賞に導かれる水星期がその後に続く。

つまり、木星期→土星期→水星期の変化について、このタイミングで人生にどのような変化が起こったかを分析すればある程度、ラグナの目安はついてくると思われた。

まず木星期であるが、この時期、山中教授は手術が上手く出来なかったり、点滴に失敗するなどして、「じゃまなか」と呼ばれて屈辱を味わい、重症の患者にどうすることも出来ないことにショックを受けたという。

臨床医志望から研究者志望へ

神戸大学卒業後、国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務。学生時代柔道やラクビーで10回以上骨折するなど怪我が日常茶飯事だったため整形外科の道を選んだが、他の医者が20分で終わる手術に2時間ほどの時間が掛かったり、点滴に失敗するなどし、指導医からは、「お前は「やまなか」ではなく、「じゃまなか」や」と怒鳴られ邪魔者扱いされ、「向いていない」と痛感したという。重症になったリウマチの女性患者を担当し、患者の全身の関節が変形した姿を見てショックを受け、重症患者を救う手立てを研究するために研究者を志すようになった。(wikipediaより)

これらの情報から私は木星期はわるいと判断し、木星の配置を6室に設定した。

また木星期は臨床医として実際に対人的に患者の診察をした時期で、木星が6室に在住していることは妥当なのである。

6室の木星はヒーラーとか、整体などの施術師などに多い配置であり、基本的に人に奉仕する配置なのである。

従って、6室の木星期に臨床医として活動したというのは納得できる。またこの木星は10室にアスペクトしているが、10室の木星はカウンセラーであり、コンサルタントである。そういう意味で臨床医として患者と向き合い、アドバイスをしたり、カウンセラーとしても活躍した時期であると分かる。

このような考えから木星を6室に設定し、ラグナが乙女座ラグナとなったが、 この場合、木星期は4、7室支配で2つのケンドラを支配する機能的凶星で6室に在住することから非常にわるい時期である。

非常に奮闘(Struggle=6室)が必要で、心理的にも鬱になったり(4L→6H)、 また木星は10室にアスペクトすることで10室に絡んでいるが、10室には8室支配の火星が在住している。これは中断や停滞をもたらす8室の支配星であり、また火星は外科の表示体である。従って、手術が全く上手くできずに悩んだというのはこの8室支配の火星が表示している。

この8室支配の火星が5室に在住する6室支配の土星にアスペクトしているので、判断力にも支障が生じ、全く自分でも向いていないと諦めるほど、整形外科は上手くいかなかったということなのである。

このような屈辱を味わい、人生が大きい流れで全く上手く行かなかったというのがこの2つのケンドラを支配する木星期であると考えると、非常に納得できるのである。

然し、この木星期は小学校卒業して、中学に入る頃から続いており、高校2年(17歳)で妻の知佳夫人と出会い、20歳で結婚したというのは、木星期が7室の支配星だからである。比較的早い時期に人生の伴侶を見つけたというのは、木星が7室の支配星であった為である。

出会った時期のダシャーが木星/水星期で、結婚したのが木星/金星期である。

結婚した時、土星はラグナで逆行して2室にアスペクトし、木星は2室をトランジットしていたため、2室にダブルトランジットが生じていた。
また木星は7室支配の木星にアスペクトし、土星は7室にアスペクトしていたため、7室にダブルトランジットも生じていた。

2室や7室へのダブルトランジットのタイミングは結婚のタイミングである。

ダシャーも出会ったときのアンタルダシャーの水星はラグナロードで7室から7室目、結婚したアンタル金星期は2室の支配星である。

そのアンタルダシャーロードの金星に対して、木星と土星がダブルトランジットしていた。

またちょうど、このタイミングでDKの金星に対して、木星や土星がトランジットするタイミングでもある。チャラダシャーもDKが在住する天秤座の時期である。

従って、このタイミングで結婚したというのはよく理解できる。

因みに山中教授が17歳で出会い、20歳で結婚したというのは典型的な早婚タイプである。

これはラグナから見た7室支配の木星はそれ程、傷ついておらず、7室にはバドラヨーガの強い水星がアスペクトし、8室には金星と月がアスペクトし、8室の支配星にも木星がアスペクトし、凶星は絡んでいない。 月や金星をラグナとしてみた場合でも7室や8室に吉星が絡み、木星のアスペクトなどが働いており、凶星からの絡みはそれ程、見られないことが原因であると分かる。(ナヴァムシャのラグナは特定していない為、出生図のみの検証である)


マハダシャー木星期には柔道をして、10回も骨折をしていると言うが、これは尋常でない回数である。

このことは出生図に出ていなければならない。身体に何か変化が起こる時は、必ず、ラグナかラグナロードに何か絡みが生じていなければならないのである。すると、木星期は10室にアスペクトしているため、10室に在住する8室支配の火星がクローズアップされるのであるが、この火星がラグナとラグナロードにアスペクトしている。

そして、この火星は怪我を表わす6室支配の土星にアスペクトしているが、土星は骨を表わす表示体である。

また土星は5室に在住している為、判断能力を表わしている。従って、木星期に活性化された8室支配の火星が判断能力の5室にアスペクトしているため、自分に全く向いていない整形外科の道に進んだという、間違った判断という象意も生じてくる。

然し、10回も骨折しながらも、無事でいられたのは木星が火星にアスペクトし、ラグナとラグナロードに逆行のアスペクトを投げていたからである。
木星が身体を保護したのであり、それで大事に至らなかったのである。

(そう考えると出生図上での逆行の惑星も一つ前のハウスからアスペクトしていると考えるのが妥当ではないだろうか、これはBVBでも議論があるトピックであり、逆行惑星の逆行のアスペクトは、出生図上でも働くのか、それともトランジットのみであるかというテーマである)

このように木星期というのは山中教授にとってはあまりよくない時期で、試練の多い時期であった。精神的に安定しない、鬱な日々であったと思われる。
また木星期に怪我が多かったのは、そもそも木星が6室に在住しているからである。


次に木星期から土星期に移行するが、 この頃から山中伸弥教授は変容していくのである。

まず、木星期の最後のアンタルダシャーの時期に臨床医をやめて、研究者の道を志し、その為に大阪市立大学の薬理学専攻博士課程入学するのである。つまり、研究者を志す為に再び、勉強し直したということである。

そして、 その博士課程の途中で、土星期に移行し、研究者としての才能に目覚めたのかもしれない。

何故、研究者の道へ進んだかというと、臨床医をやっていた時に重篤のリューマチの患者さんに対して、何もしてあげられないことにショックを受けて、何とか治療する方法を見つけたいと思ったからである。

従って、研究者の道を志して、勉強に励むということは、非常に志高い、慈善的、社会奉仕的な目的のためである。 ここが重要ポイントである。

このように人生に崇高な目的や理想が生じる時、その時はサットヴァが支配し、ダルマハウスが始動していなければならない。
つまり、土星は1室や5室や9室の支配星でなければならないということである。

従って、そういう観点から考えると、土星がこれらの支配星になり得るのは、山羊座ラグナと、牡牛座ラグナと、乙女座ラグナの場合だけである。

そして、先の木星期の観点や、木星期に結婚し、早婚であったといった観点も加味して、そして乙女座ラグナが正しいだろうということになるのである。


乙女座ラグナであれば、土星は5、6室の支配星であり、5室に在住して強く、またケートゥが在住しているので、微細な事柄に取り組む配置である。

例えば、生物学は、Living being(生物)を表わす木星と微細なものを表わすケートゥの絡みであると言われる。

従って、非常に実際的で現実的実務的である5室の強い土星に微細なものに興味を持つケートゥが絡み、更に逆行の木星が5室に絡むことで、生物学、遺伝子工学、分子生物学といった分野への転向がこの土星で表されているのである。木星は病気の6室に在住し、そして逆行して土星に絡んでいるために常に医療(6室)に役立てるという観点もそこに付け加わっているのである。

山中伸弥教授が最初にやったことは、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所に留学して、特定の遺伝子を取り除いたネズミ(ノックアウトマウス)のつくり方を習いに行くことであった。

5室は9室から9室目のハウスであり、学習(5室)のために留学(9室)もするハウスである。マハダシャーの土星をラグナとすると、9室支配の水星が9室で高揚しているため、土星期は留学で高度な学問を学ぶという時期である。

然し、山中教授の話ではこの頃、ノックアウトマウスの飼育に追われて疲労し、うつ状態になったそうである。 これは土星期が6室の支配星でもある為である。6室はペットを表し、飼育のために奮闘(struggle)する時期である。

また土星は逆行して4室に絡み、月にもアスペクトしているため、うつ状態になったのもよく理解できる。

また土星は8室支配の火星からアスペクトされていることも見逃すことはできない。土星期は決して、平坦な道ではなかったのである。

然し、土星期はラグナから見ても月からみても5室の支配星であり、研究し、新しい何かを生み出す時期であった。

そして、この土星期に生み出したものが、iPS細胞である。人類の未来を変えてしまう、偉大な研究である。

臓器移植などが必要なくなる、損傷した臓器を再生し、医療を根本的に革新する発見である。

それを成し遂げたのが、この土星期である。

それはそもそも、難病のリューマチ患者を救いたいというサットヴァな精神から出発しているということである。


そして、次に来たのが水星期である。

水星は乙女座ラグナであれば、1、10室支配で1室でバドラヨーガを形成している。

通常、授賞する場合は11室を考えるのだが、山中教授はノーベル賞の受賞会見中にも、これで研究が終わる訳ではなく、早く医療に役立てる技術を開発したいと、なるべく研究の現場に戻ることを強く願っていた。

つまり、成功して名声を得て高い評価を得ると、講演旅行とか地位の高い人との社交などに明け暮れて、仕事の現場から離れてしまう場合も多いのであるが、そうしたことはあまり望んでいないようである。

つまり、iPS細胞の研究を続けて生きたいと望んでおり、そのために直ぐにでも現場に戻りたいと主張しているのである。

従って、これは水星が1、10室支配の支配星でバドラヨーガを形成しているということで納得できる。

まだこれから水星期の間、このiPS細胞の技術を完成させるべく、よい仕事を行なっていくことを表わしているのである。

それが10室支配で1室でバドラヨーガを形成する水星期なのである。そして、それは水星が1室の支配星で1室に在住していることもあって、山中教授の自己実現の一部であると言えるのである。

ノーベル賞の受賞記者会見で、妻の佳夫人も会見に同席していたが、現在、土星が2室をトランジットして、木星が牡牛座で逆行して2室にダブルトランジットが生じている。



この2室は家族のハウスである。従って、今は家族総出で、この山中教授の名誉ある授賞をサポートしていると言える。

そして、2室には11室支配の月と9室支配でムーラトリコーナの強い金星が在住して接合している。

サラスヴァティー女神やラクシュミー女神の祝福を受けて、この名誉あるノーベル生理学・医学賞を授賞したのである。

山中伸弥教授の経歴を読むと、そこには決して、一直線に成功したのではない、様々な試練に直面した人生が垣間見える。

山中教授の人生の魅力は決して、ノーベル賞を受賞した最終結果にあるのではなく、その過程にあるのである。

木星期に手術が上手く出来ずに「ジャマナカ」と呼ばれた屈辱や、ネズミの飼育に追われて鬱になったりなど、そうした人生の試練そのものも、人生全体の魅力の一部を形成している。

まさに木星期なくしては土星期もないし、土星期なくしては、水星期もなかったのである。

そういう意味では、人の人生において、ダシャーがわるいから、よいからと一喜一憂するのもばかげたことなのである。

わるい試練のダシャーこそは、未来の良いダシャーが訪れるための条件であり、また一人一人の魅力ある人生を作るために必要な過程なのである。

良い時期しかない人生など何の魅力もないのである。



(その他)

以上、山中伸弥教授が、乙女座ラグナであることについて検証したが、伏線として、様々なエピソードがある。

例えば、小さい頃、父親の工場の整理を手伝うためにコンピューターのBASICのプログラムを学んで、プログラムを作成したことがあったのだという。

また時計を分解したり、ラジオを分解したりしては、また元に戻すといったことを趣味としていたようである。

これらはおそらく5室に在住する土星とケートゥの絡みが示すものである。土星は工学、機械工学であり、ケートゥはプログラミングである。

例えば、インドの哲人クリシュナムルティが、時計を分解して中を調べたりとかそうしたことが趣味だったといったエピソードがあるが、本来、山羊座というのは、そうした地味な実務作業を好む星座と言えるかもしれない。

また山中教授は、骨折を10回以上しているそうだが、それはラグナとラグナロードに土星と火星がアスペクトしているからである。
尋常ではない数の骨折をしているからにはラグナやラグナロードにその影響が現われていなければならない。
また土星はナヴァムシャで減衰していることもこれに関係しているかもしれない。

乙女座ラグナであると、2011年9月4日からチャラダシャーが双子座に移行したが、双子座にはAmkの火星が在住し、双子座から10室にジャイミニのラシアスペクトをしている。この今のタイミングでのノーベル賞の受賞を表わしていると言える。

 

西暦 年月 出来事 V.Dasha C.Dasha Transit
1975年 3月 奈良市立青和小学校卒業 木星/木星    
1978年 3月 大阪教育大学附属天王寺中学校卒業 木星/土星    
1981年 3月 大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎卒業 木星/水星    
1982年   20歳の時に高校2年時から交際していた知佳夫人と結婚 木星/金星    
1987年 3月 神戸大学医学部医学科卒業 木星/月    
1987年 4月 大阪市立大学医学部整形外科学教室入局 木星/月    
1987年 7月 国立大阪病院臨床研修医(1989年6月まで) 木星/月    
1989年 4月 大阪市立大学大学院医学研究科薬理学専攻博士課程入学 木星/ラーフ    
1993年 3月 大阪市立大学大学院医学研究科薬理学専攻博士課程修了、博士 (医学) 土星/土星    
1993年 4月 カリフォルニア大学サンフランシスコ校 (UCSF) グラッドストーン研究所 (Gladstone Institute) 博士研究員 土星/土星    
1996年 1月 日本学術振興会特別研究員 土星/水星    
1996年 10月 大阪市立大学医学部助手(薬理学教室) 土星/水星  

 

1999年 12月 奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授(動物分子工学部門) 土星/金星    
2003年 9月 奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授(動物分子工学部門) 土星/月
土星/火星
   
2004年 10月 京都大学再生医科学研究所教授(再生誘導研究分野)(2005年3月まで奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授兼任)

土星/火星
土星/ラーフ

   
2005年 4月 奈良先端科学技術大学院大学大学院バイオサイエンス研究科客員教授(2007年3月まで) 土星/ラーフ    
2007年 8月 カリフォルニア大学サンフランシスコ校 (UCSF) グラッドストーン研究所上級研究員 (Senior Investigator) 土星/木星    
2007年 9月 カリフォルニア大学サンフランシスコ校客員教授 土星/木星    
2008年 1月 京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長 土星/木星    
2010年 4月 京都大学iPS細胞研究所所長

水星/水星

   
2010年 9月 奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授 水星/水星    
2012年 6月 国際幹細胞学会 (ISSCR) 理事長 水星/水星    
2012年 10月 ノーベル生理学・医学賞受賞発表 水星/ケートゥ    
2012年 12月 ノーベル生理学・医学賞授賞式(予定) 水星/ケートゥ    
           
wikipedia 山中伸弥より引用抜粋



(参考文献・資料)

ノーベル賞に山中伸弥教授
2012.10.8 19:05 産経ニュース

 スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、2012年のノーベル医学・生理学賞を、あらゆる細胞に分化する能力があるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発した京都大の山中伸弥教授(50)と英ケンブリッジ大のジョン・ガードン教授の2氏に授与すると発表した。患者自身の細胞を移植して病気やけがを治療する「再生医療」への道を開いた功績が評価された。

 日本人のノーベル賞受賞は2年ぶりで、米国籍の南部陽一郎氏を含め計19人。医学・生理学賞は1987年の利根川進氏以来、2人目の快挙となった。

 iPS細胞は、あらゆる細胞に分化する能力を持つ万能細胞の一種。これを基に神経や肝臓、心臓などの細胞を作製し、病気や事故で機能を失った患者の臓器などに移植することで、難治疾患を治療する再生医療の実現が期待されている。

 研究はまだ安全性評価の段階で、実際に患者に使われたケースはない。医療分野のノーベル賞は広く実用化した段階で授与されるのが通例で、極めて異例のスピード受賞となった。

 山中氏は平成18(2006)年、マウスの皮膚細胞に4つの遺伝子を導入することで世界で初めてiPS細胞の作製に成功。19年には同じ手法でヒトの皮膚から作製することにも成功し、世界の第一人者として研究をリードしている。

 授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、賞金計800万スウェーデンクローナ(約9500万円)が贈られる。