占星コラム


2011/12/5 DeNA創業者・南場智子(元)社長について

横浜ベイスターズの買収劇で携帯ソーシャルネットワークサービス(SNS)のモバゲータウンの提供会社・DeNAが注目を集めた。

その創業者である南場智子氏が、今年の5月25日に夫の病気の看病をするという理由で突然、退任して、話題になっている。

DeNAの南場社長が退任 家族の看病を優先
2011.5.25 16:01 産経ニュース

 ソーシャルゲームサイト「Mobage(モバゲー)」を展開するディー・エヌ・エー(DeNA)は25日、南場智子社長(49)が退任し、守安功取締役(37)が後任に昇任するトップ人事を発表した。6月25日付で、南場氏は代表権のない取締役に就任予定。南場氏が病気療養中の家族の看病を優先するために、トップ交代を決めたとしている。

 守安氏は、取締役ソーシャルメディア事業本部長兼最高執行責任者(COO)として、南場氏を実務面で支えてきた。

 南場氏は、米系コンサルティング会社のマッキンゼーのパートナー(役員)を経て、1999年にDeNAを設立して社長に就任。当初、オークションサイトを主力として赤字続きだったが、2006年にソーシャルゲーム事業を立ち上げて躍進し、07年には東証1部上場も果たした。

今、話題になっているこのDeNAの創業者・南場智子氏に興味を覚えたため、さっそくチャートを作成してみた。

今年の5月というとちょうど、木星が牡羊座に入室したタイミングである。

そのタイミングで、 社長を突然退任しているとなると、ラグナの範囲は必然的に特定されるのである。

通常、社長を退任するとなると、12室(引退、隠遁)や、8室(突然、中断)や、9室(10室から12室目)が考えられる。

今回は、夫の看病という理由で、しかも本人は止むを得ず退任するかたちであり、必ずしも自分の自由意思ではなかった点がポイントである。

従って、9室の象意である仕事を辞めて留学とか、海外にいって教師のもとで学習するなどの積極的な理由ではなく、むしろ、災難による中断という8室の象意が該当してくるのである。

ラグナを乙女座のチトラーにして検討してみると、ダシャーバランスは事象と一致しているのではないかと思われた。

例えば、乙女座ラグナに設定すると、ラグナからみても月からみても5室支配の土星が自室に在住して強いが、その5室支配の土星にケートゥが接合している。

語学を学んだことを示しており、またプログラミングなどが多少分かることを示しているかもしれない。

津田塾大学英文科を出ているが、大学に入学した時は土星/ケートゥ期であり、まさに語学の学習を表している。

また土星/ケートゥ期が終わると、土星/金星期に移行しているが、土星は5室(学習)の支配星で金星は9室の支配星であり、この時期、大学教育(9室)を受けて、教授(9室)などから指導を受けたことを示している。

そして、卒業後はマッキンゼーに入社しているが、アンタルダシャーの金星は水星、太陽と接合しており、太陽と水星の絡みは数学の表示体であり、ビジネスの表示体でもある。また水星と太陽の絡みは経理や会計なども表している。

マッキンゼーと言えば、公認会計士に当時最年少で合格したという勝間和代も在籍していたコンサルティング会社であるが、基本的に経理や会計、数字を扱うような仕事であり、水星や太陽が表示体となると言える。

従って、土星/金星期、土星/太陽期に就職したというのはよく理解できる。

1988年にマッキンゼーを退職してハーバードビジネススクールに入学し、ハーバードでMBAを取得している。

入学したのが土星/月期で、11室支配で2室に在住し、9室支配の金星やラグナロードの水星と相互アスペクトしている。
このアンタル月期でビジネススクールに入学したというのも理解できる。

そして、1990年の土星/ラーフ期にハーバードでMBAを取得しているが、ラーフは11室(取得)に在住し、5室支配の土星からアスペクトされている。

1996年の水星/水星期に入ってから、マッキンゼーでパートナー(役員)に就任しているが、水星は1、10室支配で8室に在住し、12室支配で高揚する太陽と接合し、9室支配の金星とも接合して、1−9、9−10室のラージャヨーガ、1−11、2−11、9−11室のダナヨーガなどを形成して強力な配置である。

従って、日本人でこの非常に有名な外資系の会社で役員に選ばれるのは快挙であるが、これがラグナロードで10室の支配星でもある水星期に役員として就任したというのは至極、納得できるタイミングである。

この会社への縁は、土星/金星期や土星/太陽期に生じているのであり、これらの惑星は水星と絡んでいる。

然し、ラグナロードの水星が8室に在住しているということは、パートナー役員に選ばれたというのは、ある意味では会社を実効支配するほどの実力を示したというよりも、支配者から引き上げられたという立場であったと考えられる。すなわち棚から牡丹餅の思いがけない話である。

南場智子氏は権力者、支配者に奉公し、労働力を費やして経営者に貢ぐという立場であったのであり、そういう奉公に対する報酬として、役員に引き上げられたと言える。

役員ポストの贈与という意味合いもあったかもしれない。

そして、1999年の水星/金星期に株式会社ディー・エヌ・エーを設立し、代表取締役に就任している。

ダシャーとしては、マハダシャーロードの1、10室支配の水星とアンタルダシャーロードの2、9室支配の金星が牡羊座で接合して、1−9、9−10室のラージャヨーガを形成して、非常に強力なラージャヨーガを形成しており、牡羊座の象意からすると、企業の立ち上げに関わった時期であり、創業とは牡羊座の象意である。

ダシャーバランスを見ると分かるように、マハダシャー土星期は、土星がラグナから見てもつきから見ても5室の支配星であるため、大学で学んだ後は、ハーバードビジネススクールでMBAの勉強をしたり、学習に力を入れた時期である。

そして、マハダシャー水星期になると、自分のビジネスを始めるのであるが、彼女の仕事自体は、資金繰りの為に融資を依頼して回ることであったという。

つまり、金融機関に資金を借りに行くことが、主な仕事だったそうだ。


これはラグナロードの水星が8室に在住して、8室に惑星集中していることで納得できる。8室が銀行だとすると、南場智子氏はお金を借りる才能があったと思われる。

そして、2011年5月25日にディー・エヌ・エーは創業者の南場智子氏が家族(夫)の看病の為に代表取締役を退任すると発表している。

ちょうど木星が牡羊座に入室した直後のタイミングである。

これはおそらく南場智子氏の8室に木星が入室し、中断、変化という象意が顕現したからであると思われる。

また8室というのは夫(7室)からみた家族を表す2室であり、 家族の看病の為というのはおそらく嘘ではない。

特に8室は自由を失い、拘束されるハウスであるため、夫の看病のために仕方なくやめるような形である。

決して、自分自身でも辞めたいとは思っていなかっただろうことが推察される。


そして、そのタイミングでケートゥ期になるのであり、これはダシャーバランス的にも納得できるタイミングである。

ケートゥは6室支配の土星と絡んでおり、ケートゥ期には配偶者の看病(6室)などに費やされると解釈できる。

また3、8室支配の火星が7室に在住して、6室支配の土星がアスペクトしているため、パートナー関係ではかなり苦労してきたのではないかと思うのである。

私生活が明かされることはないが、夫が支配的で夫との関係によって振り回されることもままあったと思われる。

従って、今回の退任というのは、不本意な面もあったかもしれないが、ケートゥ期に入っていくこともあり、避けられないものであったと考えられる。

彼女は創業して、最初はインターネットオークションを運営していたが、そのうち、部下(社員)がモバゲーのサービスを立ち上げ、想定外に、急成長したのである。
それで本来、純粋に彼女が関わったプロジェクトではなかったにも関わらず、彼女は敏腕経営者としてクローズアップされた。

然し、実際にモバゲーを運営していたのは部下であり、南場氏自身はプロジェクトの詳細な内容について把握していない様子であった。

ここ最近は会社の代表兼、広告塔として、メディアの取材を受けたり、講演をするなどの仕事が主だったようである。

だから、この会社は南場智子氏が創業したが、自分でも知らないうちに部下が勝手にモバゲーというサービスで会社を急成長させて、彼女自身も全く分からないまま、テレビ局の時価総額に匹敵するほどの巨大な会社となってしまったようなもので、これは棚から牡丹餅という状況である。

彼女の創業者としての持ち株が、相当な金額に跳ね上がり、その時点で、巨額な不労所得を得たのであり、これは1つの8室の不労所得という象意における成功である。

西暦 年月 出来事 V.Dasha C.Dasha Transit
1962年 4月〜 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校 木星/木星
1980年-84年 津田塾大学英文学科入学―卒業 土星/ケートゥ
土星/金星
1986年 マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン入社 土星/金星
土星/太陽
1988年 マッキンゼーを退職し、ハーバード・ビジネス・スクールに入学 土星/月
1990年 ハーバードでMBAを取得 土星/ラーフ
1996年 マッキンゼーでパートナー(役員)就任 水星/水星
1999年 株式会社ディー・エヌ・エー設立、代表取締役に就任 水星/金星
2003年 内閣IT戦略本部員に就任。 水星/月
2004年 規制改革・民間開放推進会議委員に就任。 水星/火星
2011年 5月 療養中の夫の看病に力を注ぐため、ディー・エヌ・エー代表取締役兼CEO退任、代表権のない取締役となる ケートゥ/ケートゥ
wikipediaより引用抜粋、一部編集


何故、南場智子氏が乙女座ラグナであると分かったかというと、彼女がメディアのインタビューなどあちこちで、少女時代に父親から絶対的な支配を受けたことを語っているからである。

以下の(参考資料)にその記事のいくつかを引用している。


これだけ父親が絶対的に権力を振るう暴君であったというのであれば、父親の象意が傷ついているはずである。

然し、出生図を見ると、父親の表示体である太陽は高揚しているため、父親は力強く、パワフルであったことが分かる。

然し、その父親の力は否定的な形で顕現したと考えられるため、それには太陽が悪いハウスを支配するか、悪いハウスに在住する必要がある。

そうした観点から検討した所、考えられるラグナは乙女座のみである。

乙女座ラグナにすると、ラグナロードの水星が8室牡羊座に在住しており、牡羊座の象意を持つ人物に支配され、その相手に貢いだり、献身するという配置になっている。

そして、父親の表示体である太陽が12室を支配して8室に在住しているが、太陽が8室に在住すると、父親が原因となって、物事が中断したり、妨害されることを表しており、また父親が支配者として君臨することも示している。

また9室支配の金星も8室に在住しており、これも父親に関して、中断や停滞、父親の損失などを示す絡みである。

乙女座ラグナにすると、父親の表示体である9室の支配星と太陽が共に傷つき、父親が原因で物事が中断したり、妨害されたり、父親に支配されたりといった配置として、最も納得がいくものであった。

そして、乙女座ラグナに設定してダシャーを検討しても、事象とよく一致している。

特にマッキンゼーでパートナーに就任したり、株式会社ディー・エヌ・エーを設立して、代表取締役となった頃は、水星/水星期、水星/金星期であり、最も強力なヨーガを形成しており、水星期の力強さは、チャートからはっきりと読み取れるものである。

現在、南場智子氏はマハダシャーケートゥ期に入り、退任の発表後は、全くマスメディアに出ずに、一切の仕事から手を引いて引退をしてしまった。

退任の発表前は、メディアの取材を受けて、インタビューや講演などで、忙しくしており、社会性があって、人との関わりが賑やかであったが、退任後の隠遁してしまい、全く落差が激しいのである。

これはケートゥ期に入ったことを如実に物語るものである。

ケートゥは5室に在住して、5室の支配星と接合している為、引退した後は、夫の看病をしながら、何か語学の勉強やプログラミングなどの学習をしていくのかもしれない。

5室はプライベートなハウスであり、趣味や学習、娯楽を表すため、暫くはプライベートな生活を楽しむはずである。

ケートゥ期は7年間続くため、まさにそういう隠遁の時期に入ったと言える。


またもう1つ乙女座ラグナに設定した理由として、勝間和代が、アエラ新連載「勝間和代の変革の人」の中で、ゲストとして、南場智子と対談していることが挙げられる。

南場智子は勝間和代のマッキンゼーでの先輩だそうである。

勝間和代の11室乙女座には、月、木星、ケートゥ、火星が在住し、対向から土星がアスペクトして強力である。

この11室は仕事上の同僚や社交場の交流を表している。また11室は社会的地位が高い社交上の有力者を表している。

勝間和代との関係は、マッキンゼーでの先輩・後輩の間柄であり、勝間和代の方が後輩であり、また後にマッキンゼーの取締役に就任した南場智子は勝間和代にとっては11室の表示体である。従って、そうした観点からも南場智子は乙女座ラグナではないかと思ったのである。



新ゲームの制作発表会などで部下と一緒に映っている写真があるが、DeNAの新卒採用は、ほとんど東大卒であると書かれていた。
これなどは、やはり日本の最高学府で権力の中枢に最も多くの人数を送り込む東大が牡羊座の太陽の表示体だからではないかと思われる。

南場智子氏のラグナロードの水星が牡羊座で金星、太陽と接合して、何でも一番を目指すような配置なのである。

それは雇用や人事にも表れてくると言える。

然し、乙女座ラグナは牡羊座からみると6室目であり、牡羊座とは6−8の関係が成立する為、どこかちぐはぐな所がある。

それは彼女の父親との関係として表れてくるし、また部下との関係性も、どちらが部下なのか分からないような雰囲気も感じられる。

結局、南場智子氏は自分の能力で把握できる限界を超えて会社が成長し、会社が更に成長する為には、経営を部下に任せて、自らは引退する必要に迫られたのではないかと思われる。

夫の看病というのも大きな理由の1つとして在るかもしれないが、それ以外にも経営者としての立場についての変化の時期であったと考えられる。

木星が8室に移行して、マハダシャーケートゥ期に移行するタイミングが、そのような状況であったのではないかと思われる。


(参考文献)

wikipedia 南場 智子


起ちあがれニッポン DREAM GATE
ドリームゲートスペシャルインタビュー
MY BEST LIFE 挑戦する生き方

第108回 株式会社ディー・エヌ・エー 南場智子 2

「モバオク」「モバゲータウン」で右肩上がりの成長を継続中――
5年以内に、世界にインパクトをもたらすビジネスを!

 「モバゲータウン」「ポケットアフェリエイト」など、日本最大規模のモバイルサービスを展開し、右肩上がりの成長を続けている株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)。「モバゲータウン」を介した、月間のページビュー(PV)は600億PVを軽く超え、日本の携帯電話の総トラフィック数の15%を獲得するまでに。モバイル先進国といわれる、日本での成功と10年をかけて培ってきた実績を武器に、今、チームDeNAが目指すのは、世界のリーディング・カンパニーの仲間入りをすることだ。同社の創始者であり、代表取締役社長の南場智子氏は言う。「すべての企業は成長を目指すべきか? 自問してみたのですが、これは好みの問題だと思います。私を筆頭に、チームDeNAは、フラットが嫌い。右肩上がりが大好きなのですよ(笑)」。今回は、そんな南場氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<南場智子をつくったルーツ1>

父がダメと言ったことは、理由なくダメ!絶対権力を持った父の元で育った少女時代

 年がばれてしまいますが、「寺内貫太郎一家」って覚えていますか? 小林亜星さんが下町の頑固で短気でケンカっぱやい、石材店のオーナー兼親父役を好演したテレビドラマ。うちの父も新潟で経営者をしていましたが、貫太郎のかわいげを全部とっぱらった感じ。母、姉、私にとって、ものすごく怖い存在でした。とにかく厳格な人で、高校までずっと門限があって、それも18時。友だちと喫茶店で話が盛り上がって、帰りが少しでも遅れたら、「どこに行ってたんだ!」となる。喫茶店は校則で出入りが禁止されていましたから、友だちに悪いと思い、「ひとりで喫茶店へ行っていました」とうそをついたら、父はその喫茶店に電話して、「今日の顧客の記録を見せてほしい」と迫る。姉が夜、海浜公園のバーベキューに行った時もすごかった。お迎えの車を派遣して、公園の周りを走らせ、姉の名前を大声で呼びながら捜索させましたからね。

 小学校の頃から、私、父のお酌をしたり、ふとんをひいたり、腰をもんだり、靴を磨いたり、「これをやりなさい」と言われたら、基本的に「はい」以外はありえない世界です。絶対服従です。毎晩、母は父が20時に帰宅することを想定して夕食を用意していました。ただ、父の帰宅時間は決まって遅くなる。冷めた御膳は許されませんから、20時半をすぎるといったん下げて、帰宅時にまた温め直して出しました。また、深夜近くに帰宅した時には、よく「うどんにしてくれ」って言い出すんです。常にうどんを冷蔵庫に常備していたのですが、運悪く切らしていた日がありました。焦った母は、すぐに夜中でも外に駆け出して行き、明りのついている近所の家を探し回って、「うどん、譲っていただけませんか?」と。

 当時はコンビニなんてありません。で、家に戻って、譲ってもらったうどんをつくって父に出したら、「バーン!」とひっくり返される……。すごいでしょう。もちろん、テレビのチャンネル権も私たちにはありません。「レコード大賞」が見たいのに、なぜか父は裏番組の「マジックショー」をよく見ていました(笑)。一度口に出したことを、絶対に覆さない人でもありました。同級生のみんなが持っていたから、自転車がほしい時があったのです。母と一緒に、「みんなが持っているからほしい」などと言っては絶対にダメに決まっています。「どうお願いするのが一番良いか」と作戦を練った結果、正直に「自転車を買っていただきたいのです」と伝えました。父からの返答は、「必要ない」。以上です。二度目の交渉の余地はなし。父がダメと言ったことは、理由なくダメ。あきらめるしかありません。
ビジネスコラム
2005/12/20 株式会社日立ソリューションズ

平成の世にサムライを探して
株式会社ディー・エヌ・エー
代表取締役 南場智子 前編

たった一度の人生なら、こんな風に生きてみたいと思わせてくれる熱血仕事人を訪ねるこのコーナー、第ニ回は、「ビッダーズ」「モバオク」などを展開し、社会に新しいショッピング習慣を持たらしている株式会社ディー・エヌ・エーの南場智子氏の素顔に迫る。切れ者の負けずぎらいが歩む成功への道。現代は女性だってサムライだ。まずは、ちょっと特異な彼女の前半生をご紹介しよう。

厳格な父親に絶対服従だった幼少期

新潟生まれ。86年、経営コンサルティング会社マッキンゼー入社。96年に同社のパートナー(共同経営者)に就任。99年独立。 So-net、リクルートなどの出資を受け、ディー・エヌ・エーを設立。オークション&ショッピングサイト「ビッダーズ」を立ち上げる。その後、不用品の買取見積りを取るサービス「おいくら」、携帯電話を主体としたオークションサービス「モバオク」などを次々と立ち上げて、日本のeコマースに新風を巻き起こしている。

このコーナーは、稀代の仕事人を取材するのを目的としている。が今回は、前半を南場さんの仕事人となるまでの前半生の話で紙幅を割くことをお許しいただきたい。それは彼女の今日を語るのに決して端折ってはいけない前置きだからである。「今の時代にそんなことが」と思われるような特異な前半生を彼女は過ごしてきた。しかし、今にして思えば、そうだったからこそ、ITベンチャーのトップなどという激務を生き抜く素地ができたと思うからだ。

南場さんは新潟生まれ。非常に厳格な家庭で育った。いや、もう封建的といってもいいだろう。父親が絶対的な権力を持っており、そこに母親や娘である彼女に発言権というものはまったくなかった。会社経営していたという南場さんの父親は、身長は180cmを越え、体重は100kg前後という身体的にも大人物。幼少期の彼女にとってただただ怖い存在だった。たとえば、彼女が自転車が欲しいと思う。母親に頼んで上申する。父親が「だめだ」という。それでこの一件は終了である。彼女に食い下がる余地はない。父親が「だめだ」といったら理由も何もなくだめで、一度下された決定は絶対にくつがえらなかった。父親の許可を得なければ、彼女は何もできなかった。彼女の行動の是非のすべてを判断していたのは父親だった。

南場さんの父親はまた、女に教育は必要ないと考える人だった。学校教育そのものも信じていなかった。だから彼女は小・中学校時代、学校で出た宿題を家でやったことがない。父親が「そんなものはする必要がない」といったからである。机に向かっている姿を見られようものなら、「お前が勉強なんかしたら天変地異が起こる。そんな暇があったらお父さんの靴を磨きなさい」といわれる。そうすると彼女はただちに勉強を中断して、靴を磨きにいかなければならない。靴磨きが父親にお酌をすることであったり、父親の腰をもむことであったりもした。しかし、そこに親子らしい会話はない。南場さんに許されているのは、父親の問いに「はい」「いいえ」で答えることだけである。


宿題をしなくてもいいというのは喜ばしいことのようでいて、学校に行けばそれは立派な罪である。南場さんは宿題をしていかなかったことで体罰をよく受けた。黒板に自ら頭をぶつけて「ごめんなさい」と謝罪したり、堅い木の椅子に何時間も正座したり、そうしたことは彼女にとって日常茶飯事だった。しかし、つらいと思ったことはなく体罰もルーチン化してこたえなくなっていた。

家庭教育を学校教育より優先させるべきものだと考えていた南場さんの父親は、「授業などというのは聞くものではない」と彼女に教えていた。だから、彼女は先生の話をまったく聞かなかった。小学校時代などは、友達とおしゃべりに興じたり、授業中歩き回ったり、困った生徒だったらしい。しかし、こうした授業態度にも関わらず、南場さんの成績は常にトップを走っていた。試験対策は前日に初めて教科書を開いて一夜漬けで突破を図るという泥縄方式なのだが、人の数倍負けずぎらいで順位や成績の出るものはすべて一番にならなければ気が済まなかった。それは運動においても同じで、徒競走や1000m走など時には自分の実力以上にがんばりすぎて倒れることもあったほど、一番には執着した。

対人関係はどうだったのか。南場さんによると、「完全なルールメーカーだった」という。いつでも場を仕切っていて、遊びのルールや友達の役割を決めるのも彼女だった。こういう仕切り好きは父親似かもしれない。そういうと、南場さんは「DNAは受け継いでいるかもしれませんね。『いやだなあ』と思っているんですけど」といって笑った(笑)。

それにしても、明治時代でもないのに思春期の女の子がここまで父親に抑圧されてよく耐えられたものだ。そこには秘密があった。母親がその分やさしかったのである。たとえば、父親と一緒の食卓では最初から最後まで正座のまま、出された食事を残すことなく食べなければならなかった。しかし、父親は仕事が多忙で帰りが遅いことも多い。そんな日は足をくずして食べてもいいし、おかずを残しても「もうおなかがいっぱいなのよね」といって許してくれた。父親は母親に対しても決して口答えを許さない人だったが、父親の機嫌のいいときをみはからって彼女に関する話を持ち出すなど、何かにつけて彼女の味方になってくれたのが母親だったのである。彼女がいたからこそ、父親からときに理不尽と思える仕打ちを受けても、南場さんはそれほど気にやまずにすんだのだといえるだろう。
「夫の病気にも圧勝する」 DeNA南場社長、退任への思い
「会社は公器」を貫いた決断
2011/5/27 12:12 日本経済新聞

 会員数2700万人の携帯電話向け交流サイト(SNS)「mobage(モバゲー)」を擁し、急成長を遂げているディー・エヌ・エー(DeNA)。創業社長の南場智子(49)は病気療養中の夫の看病に時間を割くため、6月の定時株主総会で非常勤の取締役に退く。日本を代表する高収益ネット企業を育てた経営者の唐突な退任発表。「夫の看病」が今回の社長交代を招いたのは事実だが、南場本人にとっては既定路線の誤差に過ぎない。

 退任を公表した5月25日の夕方、南場は後任社長でモバゲー事業を引っ張ってきたCOO(最高執行責任者)の守安功(37)とそろって東京証券取引所(東京・中央)での記者会見に臨んだ。そして会見直後、南場はハイヤーに飛び乗り、早稲田大学の早稲田キャンパス(東京・新宿)に向かった。6時限目の授業で特別講師として教壇に立つためだ。

 社長交代は企業にとって「重要事項の適時開示」だ。堅苦しい会見を終えたばかりの南場だったが、ラフな格好の学生を前にして、いつもの「南場節」を取り戻していた。「まぁ、そういうわけでして。あのー、なんかタイミング悪くてですねー。いろいろ話をしようと用意してきたんですが、今日は全部Q&Aにします! で、何か聞きたいことあります?」

 のっけから南場らしい軽妙なキャラクター丸出しで始まった特別授業。まず飛び出したのはこんな質問だった。「プレスリリースを見て大変、驚きました。現時点での率直なお気持ちをお聞かせください」。記者会見顔負けの突っ込みが南場の本音を引き出した。

 「5月10日くらいに(辞めることを)決めたんですよ。この2週間くらい、重大なインサイダー情報を抱えて、誰にもバレないように生きてきたのが辛くて。会議で詰めが甘い社員なんか、いつもの5倍くらい怒ったりして。キミは怠慢だ、とかいって。私は焦っていて、引き継ぐまでにしっかりさせなきゃと思ってるから。でも、『じつは辞めるんです』とは言えない。だから、心境としては、今は、すごくすっきりしていますね」

■唐突な社長交代に揺れたネットと市場

 DeNAの2011年3月期決算は売上高が前年比134%増の1127億円、営業・経常利益はそれぞれ同164%増の560億円、同161%増の562億円。5月26日時点の時価総額は4240億円と、同2860億円の日本テレビ放送網を筆頭とするテレビ民放各社を軽くしのいでおり、営業・経常利益ではともに電通(509億円、541億円)を抜き去った。設立からわずか12年で名実ともにネットメディア業界の雄へと育て上げた南場。辣腕経営者の突然の退任に多くの人が驚き、株式市場は動揺した。

 25日午後3時過ぎ、退任の報はネットを駆けめぐり、話題をさらった。「びっくり」「家族のために、すごい」……。国内で1700万人以上が利用する「Twitter(ツイッター)」では、最もつぶやかれた単語を抽出する「トレンド」の1位に「南場」が浮上。株式市場では、翌26日に売り先行で始まった株価は106円ほど値を下げた。

 実は南場にとっても、突然の退任は予期せぬ事だった。好決算を発表した大型連休前の4月28日、南場とCOOの守安が続投し、昨年買収した米ソーシャルゲーム大手、ngmocoのニール・ヤングCEO(最高経営責任者)が取締役に新任するなどの新体制を固めたばかりだった。連休前半には夫婦そろって結婚式に列席したとの話もある。ところが事態は急変した。

 「私の夫ということで、病気だということを世の中にさらされなければならないのは、私と結婚して貧乏くじを引いたなと、かわいそうだなと思う」と話す南場は、本音を言えば病気であることすら明かしたくはなかった。これまでも家族のプライベートについては言及を避けている。プライバシーを考慮したうえで概略を説明すると、次のようになる。

■「夫を支える妻」という立場に全力投球

 この連休中に夫の病状が悪化し、5月10日に手術を受けた。手術は成功、快方に向かっており、6月中には退院できる見込みだ。だが、中長期的な治療が必要な状況で、どの程度の看病が必要となるか先は読めない。社長業は常に全力が求められる。夫の看病で社業を最優先にできないのは社員にも申し訳ないと思い、退任を決意した。

 早稲田での特別授業を持ったこの日、「人生をかけて成し遂げたいことは何ですか?」と聞く学生に、南場はきっぱりとこう答えた。「旦那を救うことですね」

 夫は南場社長がコンサルティング会社のマッキンゼーにいた時の同僚。彼もまた1990年代後半からネット業界の最前線で数社の役員を歴任し、辣腕を振るった。互いに別の道を歩んできたが、夫の病を機に、今度は妻という立場で全力投球することを決めた。これが社長交代の直接的な理由だ。だが、それには裏がある。

 足下の業績は絶好調で、米社の買収を足がかりにグローバル市場での事業を本格展開しようとしていた矢先の出来事。「私の夢は、このDeNAという会社で世界のてっぺんに登りつめることです」。常々そう語っていただけに、道半ばでの挫折と考えてもおかしくはない。

 ところが南場は、「まあ、退任が1年早まっただけで、会社にとっては大したことはないですよ」と、”挫折説”を一蹴する。「夫の病気とは関係なく、もともと世代交代の準備を進めてきていた」と言うのだ。

時計の針をDeNAが上場した2005年以前に巻き戻してみよう。06年2月にモバゲーを開始し、わずか9カ月で会員数200万人達成と国内ネット史上最速のスピードで成長させる前のことだ。

■「南場カンパニー」か、「公器」か

 「南場さん、上場してさらに会社が大きくなる前に確認したいことあります。DeNAは南場智子カンパニーなのか、南場さんとは関係なく成長していく『公器』なのか。価値観としては、どちらでもあると思うし、僕は南場さんがどちらを選んでも支えていきますよ。ただ、はっきりとしてほしい」

 南場にこう突きつけたのは、DeNA設立の翌年の00年に住友銀行から転職して以来、ナンバー2として財務を担ってきた当時取締役だった春田真(現常務取締役兼CFO、42)だ。設立以来、短時間の睡眠で幾多のトラブルや金策に奔走してきた南場は、考えもしていなかった命題に、しばらく思いをめぐらせた。出した結論は、後者だった。

 「ベンチャーの精神は保ちつつも、こじんまりとした経営とは一線を画したい。DeNAという会社は、創業者個人の人生の浮き沈みや能力とは別に、隆々と成長すべきだ」。南場は春田にこう伝え、以降も腹心の春田にだけは、社長交代のタイミングや、次の世代の経営体制をどう構築していくべきか、相談を繰り返してきたという。

 米アップルのCEO、スティーブ・ジョブズ、ソフトバンク社長の孫正義、日本電産社長の永守重信……。創業社長というのは、辣腕であるほど会社と同一視されがちだ。だが、創業社長の存在が強みとして輝く一方、創業者個人の事情や浮沈に会社も引きずられる「創業者リスク」を抱え込むことにもなる。南場はその袋小路から脱却する決意を固め、準備を進めていた。

 「2012年3月期を終えた後の株主総会後に社長を退き、次の世代へと経営をバトンタッチする」ことも春田にだけは伝えていた。意中の後継者は、最初から守安だった。

 98年に東京大学大学院(工学系研究科航空宇宙工学)を修了した守安は、いったん大手IT企業の日本オラクルに入社するが、翌99年、DeNA創業の年にシステムエンジニアとして入社した。技術者でありながら携帯電話向けオークションサイト「モバオク」や、モバゲーなどの企画・運営も器用にこなす守安を、南場は重用した。モバゲー開始の06年には取締役に昇格、モバゲー事業の実質的なトップとして、大幅に権限を委譲してきた。

■モバゲーは「大放置プレー」

 そもそもモバゲー自体、守安ら現場からのボトムアップで始まった企画であり、南場は記者の取材の最中でも「守安に聞いて」と言うことが多くなっていった。モバゲーの会員数が700万人を超え、オークションサイトの運営から始まったDeNAの売り上げの過半を同事業が占めるようになった07年秋、モバゲー躍進の意義を問うと、南場はこう答えた。

 「まず、本当に組織に自信が持てるようになった。やっぱり創業社長というのは、何でも自分でやりたがるし、やらなきゃいけないという部分がある。自分以上にできる人間がなかなか育たないから。ところが、モバゲーは『大放置プレー』なんですよ。私はまったく企画に関与してないのに、こんなに素晴らしいものに育った。あまり慢心はできないんですが、組織として一回り大きくなったというか、1ランクレベルが上がったなと、正直思いましたね」

 そう話すと、おもむろに携帯電話を取りだし、「もしもし、モリちゃん、いま取材中なんだけど、モバゲーのこと説明してくれないかな」と守安を呼び出す。そして「ねえ、モリちゃんはモバゲーのポータル化はいつから意識したの?」と自ら取材を代行する場面もあった。南場にコンプレックスがあるとすれば、技術畑出身ではないということ。技術の細部はどうしても分からない。それを補う守安への信頼は厚かった。

 昨年からは、守安に国内のマネジメントをほぼ任せる一方、南場はグローバル市場の開拓に腐心していた。足繁く米国西海岸のシリコンバレーなどに通い、得意の英語とコミュニケーション能力を生かしてトップ営業にまい進。その成果の1つが、10年11月に4億300万ドル(約325億円)で買収した米ngmocoの案件だ。このグローバル市場の開拓も、社長交代の大きな動機となっていった。

 「(2012年に社長交代をして)バトンタッチをしても、ヒラ取でバリバリ働こうと思っていた。私はもともと海外戦略が好きで得意。社長じゃなくなったら東京にいる必要はないので、ずっとヨーロッパとシリコンバレーに置かせてもらおうと。そのためにシリコンバレーの人脈作りもきっちりとやってきたんですよ」

 創業社長個人の事情や能力によらない永続的な組織作りと若返り、加えて自身のやりたいことに専念するという野心を両立させる計画が、もともと心のなかにあった。そう強調したうえで、南場社長は「社長交代のタイミングを選べなかったことが誤算」だと続ける。

■誤算は1年社長交代が早まったこと

 「夫の(病気の)ことがあって、計画が1年早まっちゃった。あと、もう1つの誤算はフルタイムの海外担当としてやろうと思っていたのが、しばらくは非常勤になってしまうこと。それは多少残念だけれど、迷いはないですね。会社の今後には、何の不安もない。経営者として南場智子がすごいぞ、ということがあるとすれば、私の個人の人生の浮き沈みに関係なく、隆々と成長する組織を作ったということ。それが誇りです」

 残された社員・役員や株主らステークホルダーの不安を吹き飛ばすような、出来すぎとも言えるストーリー。「立つ鳥跡を濁さず」を絵で描いたような引き際の裏話だけに、ついうがって見てしまいそうになる。だが、これこそが南場の経営者としての真骨頂とも言える。

 DeNAを創業してまもなくネット株バブルがはじけ、潮が引くようにITベンチャーへの資金が枯渇した。2001年1〜2月、DeNAも資金ショートに悩まされ、会社が潰れるかどうかの瀬戸際に立たされた。この時のことを、かつて南場はこう振り返っていた。

 「あの時、よく自殺しなかったですねと言われるくらい、状況としてはあまりに壊滅的だったんですね。10社、20社と資金集めに奔走して、前向きに検討すると言われつつ待たされ、結局は全部ダメで。だけど私は一瞬たりとも会社を畳もうと思ったことはないんですよ。客観的に見たら100%成功しないだろうなという状況なのに、絶対に何か道はあると。楽観的なんですよ。それだけは、それ私の特技というか、特殊な性格と言えますね

■トップを張るということは……

 それから10年。早稲田大学の大教室で教壇に立った日、「トップを張るというのはどういうことなのか、心得を聞かせてください」。そんな学生からの質問に、南場はこう答えた。

 「いい質問だね。私よく言うんだけどさ、例えば目の前に濁流があって、川の向こうに肥沃な土地がありますと。そこへ行くべきとか、渡り方はこうするべきとか助言するのが参謀やコンサルタント。一番最初に濁流に足を突っ込むのがトップ。そうするとね、水だと思ったら熱湯だったとか、下に剣山があったりとか、何でこんなことが起きるんだということが起きるんだよね」

 「その時に、どういう背中を見せるかということなんだけど、ホントは社長であっても迷いやおびえでいっぱいなんだよね。だって同じ人間じゃないですか。社長も普通の人。でも、それを出さないで、びくともしないふりをしながら渡りきる。あたかも何事もないかのように、大丈夫だよっていう背中をいかに作れるか。ってことなんだと、私は思いますね」

 その経営者としての心得を最後まで見事に体現して見せた南場。彼女の目はすでに次の闘いに向いている。

 「SNSでもモバゲーは圧勝したけど、やっぱり同じように夫の病気にも圧勝したいと思っている。次のバトルはこの病気。完全にやっつける。こちらでも絶対に、圧勝してみせる。という気持ちでいます」

 圧勝した暁には、また社長に復帰する可能性もあるのか、と問うと、南場はこう言い残してハイヤーに乗り込んだ。「それはないよ。私の権限で戻ることはないね。人事権は完全に後任に渡さないと。やっぱり、後は若いヤツにやらせたいしね。DeNAは50歳のおばさんがやっちゃいかんよ、うん。じゃあ、よろしくね!」

(敬称略)

(電子報道部 井上理)
モバゲー南場社長 夫の看病の美談は大ウソか?(前)
特別取材2011年6月25日 07:00 NET IB NEWS

 誰もが彼女の言い分を疑っただろう。モバゲーでおなじみのディー・エヌ・エーの南場智子社長(49)が5月25日に公表した、「夫の看病のため社長を退任する」という美談を、である。その約2週間後の6月9日に、公正取引委員会が「ディー・エヌ・エーが独占禁止法に違反した」として、排除勧告をしたからである。

<「美談」の退任理由>

 ディー・エヌ・エー(DeNA)は、携帯電話上のSNSゲームサイト「モバゲータウン(現在はMobage)」を運営する東証一部上場の新興企業だ。「無料」とふれ込んで子どもや若い人を誘い込み、熱中するとアバターや架空通貨モバコインの購入を働きかけて課金する。

 DeNAは1999年の創業後しばらくは経営難にあったが、03年のパケット定額制を追い風に成長気流の乗り、折しもパソコンから携帯電話やスマートフォンにネットユーザーが移行したことも手伝い、急成長を遂げた。今や会員数は2,700万人を突破。11年3月期決算は、1,127億円の売上高に対して経常損益は562億円の黒字で、売上高経常利益率が49.8%という脅威の好業績企業である。借入金はゼロで、純資産は1,272億円もあるピカピカの企業で、手元の現預金は626億円もあるキャッシュリッチ企業である。

 こんな絶好調を絵に描いたような企業なのに、創業社長で14.67%の株式を保有する南場智子社長が突然退任するというから、周囲はビックリした。しかも、今どき珍しい「病床に伏す夫の看病」が理由というから、なおさらである。

 彼女がDeNAを創業する前に勤めていた大手コンサルタント会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーの同僚だった夫が、5月の連休明けに体調を壊し、手術や術後の安静・介護が必要なため「夫の看病をするために社業に集中することができない」と、退任を発表した。後任には、東京大学大学院で航空宇宙工学を学び、日本オラクルを経て創業間もない同社に入社した守安功取締役(37)を起用し、6月25日開催の株主総会後の取締役会で交代するという。

 このときは、誰もが「美談」を疑わなかった。

<公取委からの排除勧告>

 南場氏の実家は新潟市の石油卸商で、身長180cmを超える長躯の父は、戦前の家父長のようにきわめて厳格だった。機嫌を損ねれば、お膳をひっくり返すようなことは平気でやる父である。彼女が東京の大学に行きたいというのにも猛反対している。そんな時代錯誤とも言える厳格な家父長支配の家に生まれ育った女性だけに、意外に夫に甲斐甲斐しくかしづくのか―そんな見方も、IT関係者の間では広がっていた。

 そんな最中の6月9日、公取委はDeNAに排除勧告をした。昨年暮れに立ち入り検査をしていたので、いずれは排除勧告されるだろうという読みは、業界内やマスコミ各社にはあった。彼女自身も退任の記者会見で、「排除勧告の見通しがあって辞めるのではないか」と記者に聞かれて、「そんなことはありません」とやや気色ばんで答えている。排除勧告されるというのは、あらかじめ想定される事態だった。

 とはいえ、退任発表と今回の排除勧告発表は、時期的にあまりにも近い。そこで「排除勧告後に夫の看病で退任すると、引責辞任と受け取られるのを恐れた、という見方があります」(ライバルIT企業の広報担当者)と言われている。

 そのあたりの真偽は定かではないが、問題は排除勧告に至った行状である。

 公取委審査局によると、昨年夏の段階でDeNAのモバゲー内には数百のゲームが提供されていたが、そのうちとくに人気だったゲームを供給していた約40社に対して、DeNAが「ライバルのグリーにゲームを提供しないでほしい」という独禁法違反行為(競争者に対する取引妨害)をしたというのだ。もし、DeNA側の要望を聞き入れないでグリーにも供給するようであれば、モバゲータウンのサイト内で「イチオシゲーム」「新着ゲーム」などの表示をしないという嫌がらせまでしたのである。

(つづく)
【尾山 大将】
講談社 現代ビジネス

2010年10月29日(金) 週刊現代 社長の風景
一度決めたら必ずやり通す。母を看病し続けた父に学びました。

DeNA 南場智子

『怪盗ロワイヤル』『農園ホッコリーナ』など大人気のソーシャルゲーム(多人数参加型で、ユーザー同士の交流もあるゲーム)が楽しめるサイト『モバゲータウン』。「7月には月間アクセス数が740億回を突破した」と話すのは、設立12年目を迎えた『ディー・エヌ・エー(DeNA)』の南場智子社長(48歳)だ。

人生の鍵

 新卒で外資のコンサルに入社したんですが、当時は周囲にどう評価されるかなど余計なことばかり考えていて、効率も悪く、実績も出せず・・・。焦って眠れず、睡眠は2時間程度という悪循環に陥っていたんです。今思えば、毎日辞めることばかり考えていました。

母の看病をやり続けた父を見て学びました。一度決めたら必ずやり通す、って

なんば・ともこ/'62年、新潟県新潟市生まれ。
津田塾大学学芸学部英文学科へ進学、米国ブリンマー大学留学を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社。

2年後にハーバード大学へ留学しMBAを取得、'96年にマッキンゼー役員に就任。
'99年にDeNAを創業し『モバゲータウン』などを運営する
 でも退社直前に尊敬する先輩に頼まれて、ある情報通信企業の改革に加わったんですね。

 その時「もう辞めるんだから」と力が抜けていたからか、初めて「ここどうするべき?」とか「ここの詰めはよろしく」と周囲の手を借りて仕事をしたんです。

 すると、今までの辛さが嘘みたいになくなって、うまく行き始めた。そしてクライアントの役員がずらっと並ぶ会議で、「あのお姉ちゃんの言う通りにしろ!」などと言われるうち、嘘のように仕事が楽しくなってきました。

 人生で一番大事なもの、それは成功体験かもしれませんね。

お姉ちゃん

 といっても、当時の私は20代なかばの小娘で、しかも、あまりに自分が動かなかったから、クライアントの首脳は私をコンサルだと思わなかったらしい。

 首脳に「あのレポーターのお姉ちゃん」と呼ばれた時はちょっと可笑しかったですね(笑)。

勉強家

 今、弊社に入社してきた東大卒の新入社員に『リーマン予想』(素数の並びの研究)について講義してもらっています。私は、たとえば「パケットというのは情報を小包に入れて送るようなもので・・・」といった丸めた言葉で物事を捉えるのが嫌いなんです。

 最近は『フェルマーの最終定理』の本を読みました。たった1問の数学の証明問題に、人間が350年間、世代と大陸を超えて挑み、解決するというロマンがありますよね。

視点

 私、新幹線がすごいスピードで走り抜けるのを見ると、胸が熱くなるんです。だって一人の力、一代の力では、絶対あんなすごいものは作れません。人類の叡智がすごい勢いで走り抜けていくような気がするんですよね。

父と娘

 実は私の父は「女は勉強なんかしなくていい!」「それより肩をもみなさい」という人でした。だから家で宿題ができず、よく学校で黒板に頭をぶつけられていました。夕食も正座で、絶対に残せない。反対に母は天使のように優しい人で、父の機嫌がいい時に私がやりたいことを持ち出すなど、いつも味方になってくれました。

転機

 その後、大学へ進む時も「女子大で、寮に入るなら」と条件付きで津田塾大学に進ませてもらいました。

 そして4年生の時、「父に頼んでもムダだから」と、奨学金で米国留学できる権利をとったんです。これが転機になりました。

 外国で「好きな時に好きな友達と遊び、好きな勉強をすることがこれほど楽しいとは!」と実感したんですよ。もちろん、留学する時は父に大反対されました。教授のところまで怒鳴り込んで来られたくらいでしたが・・・。

介護

 しかし、父には感謝しています。一度決めたことはやる、という意志を植え付けてくれたのは彼でしたし、あと、母が病に倒れたあと、父は17年間ずっと面倒を見続けたんです。

 怖かった父が母を献身的に介護していました。今ですか? 父は82歳になって、脚が悪いのに、「人生を楽しみ尽くすんだ」と毎週ゴルフをしていますよ。しかも、よく食べる。元気ですよね(笑)。

ドラム

DeNA創業10周年記念パーティーで。社員たちとサザンオールスターズの「希望の轍」などを演奏した

ローコスト

 私はインスタントラーメンが好きです。子どもの頃、よく母に作ってもらっていて、特にスープが好きでした。

 母に「スープを集めておいて、将来はこれを売って商売をする」と言うと、彼女は「はいはい」とラーメンを別の調味料で味付けしてくれて、私もいろんな味ごとに整理してため込んでいました。

 世の中に賞味期限があると知った時の衝撃は忘れられませんね(笑)。今は「どん兵衛」が好きです。

嗜好

 情報収集にはもっぱらネットを使います。特に、動物が好きなもので、つい「柴犬のチコ。」など、犬の写真が載っているホームページを見てしまうんです。そういえば、私、動物図鑑を眺めるのも好きなんですよ。先日は、怒ると目から血が出る変な動物の存在を知りました(笑)。

社業

 ゲームですか? もちろんやります。朝6時半とか7時とか、みんながやっていない時間にやるとアドバンテージがあるんです。だから起きると、もうろうとしながらすぐ携帯を取り出します。ポチポチやる音で旦那が目を覚まします(笑)。

オススメ

 『農園ホッコリーナ』ですね。たとえば『wii Fit』がゲームとスポーツの中間に位置するように、ソーシャルゲームはゲームとコミュニケーションの中間に位置するんです。仲間の農園に出てくるウサギを捕まえてあげたり、水やりをしてあげたりすると、知らないユーザーさんから「ありがとー!!」などとメッセージが入ったりします。

 出張で疲れ切った時、そんなメッセージを読むと、誰かとつながっている感じがして癒されるんです。そんなタイトではないつながり方がいいのか、ユーザーは30〜40代にも広がっています。みなさんも、ぜひ!