占星コラム


2009/12/25  イエス・キリストについて

今日はクリスマスである。

クリスマスとはAD1世紀前後にパレスチナで隣人愛について教えを説いたイエスキリストの生誕を祝う日として、キリスト教で定められた記念日であるが、

12月25日という誕生日はミトラ教の習俗を取り入れて、後から決めた日程で、実際には違うという説が存在している。

イエスの誕生日

伝統的に誕生日とされている12月25日はクリスマス(降誕祭。12月24日はクリスマス・イヴ)として、多くの教派で行われる祭りであるが、当時の伝統的な宗教ミトラス教の習俗を尊重し取り入れ融合した面も存在した可能性がある。今日では、その他非キリスト教国でも祝日とされ、毎年キリストの降誕を記念し、クリスマスが祝われるようになっているが日本では祝日、休日ではない。
イエスの本当の生誕の日はユリウス暦4月7日であったなど諸説ある。しかし、どの説も確実性に欠けるという見方もあり、現状ではイエスの生誕日について細かい点はよく判っていない。(wikipedia より引用抜粋)

それではイエスの本当の誕生日はいつかということであるが、

「マイトレーヤの使命V」 シェア・ジャパン出版 ベンジャミンクレーム著 石川道子訳)のp.162には、覚者からの情報として、イエスの本当の誕生日が、紀元前24年3月15日 パレスチナ であると紹介されている。

この説を採用して、Jagannatha Horaで、チャートを作成してみた所、以下のようなチャートになったのである。




魚座への惑星集中

まず、特徴としては、魚座に月、太陽、火星、水星、金星が在住して、魚座に惑星集中している。

魚座は献身と自己犠牲、理想主義の星座であり、魚座に惑星集中していることから、イエスキリストはまさに魚座の特質を示す為に生まれてきたということが理解できる。
魚座がラグナだとすると、同室する月は聖母マリアだったり、同室する高揚の金星はイエスに従ったマグダラのマリアだといえるかもしれない。

太陽は肉体の表示体であるが、魚座でヴァルゴッタマの太陽は、十字架に磔になったイエスの肉体を表わしている。

その太陽には火星が接合しているが、イエスの肉体を釘で十字架に打ち付けた、あるいは、エルサレムでイエスに鞭を振るった軍人たちを表わしていると考えることが出来る。

金星、水星、火星は、太陽と接合して、やや影が薄くなっているが、イエスこそが、聖書の物語の中心人物であり、それ以外の人たちは脇役であるため、それも理解できる。

太陽の圧倒的な光によって、周囲の人たちは脇役へ押しのけられている印象である。

このように魚座に在住する惑星群は明らかにイエスが磔にされた時に登場する人物たちの象意と一致している。

イエスキリストの生涯、そして、最後の3年間は、この魚座の象意の中で、展開されたと理解できる。

聖書の中で、イエスは、貧乏人に税金を払わないように勧めたり、金持ちの青年が、永遠の命を得るにはどうしたらよいかをイエスに尋ねた所、財産を全て貧しい人に施してから従いなさいと、言うのである。そして、青年が悲しい顔をして去っていくという一節がある。

この辺りのイエスのお金に関する考え方は極めて理想主義的であるが、現実には人はお金を稼がなければ生きていけないし、また資本主義のシステムの中で、うまく立ち回り、自由を得るには、最終的にお金によってお金を稼がせることによる、不労所得を目指さなければならない。それが現代のお金の教えであり、「金持ち父さん、貧乏父さん」の中で、ロバート・キヨサキが示したものである。

西洋史の中で、最初に金融業を始めたのがユダヤ人であり、株式会社や債権、証券市場などの仕組みを作ったのが、ユダヤ人であり、彼らがお金というシステムを発明したのであるが、イエスは貧しい人に一切の頭による計算をしないで、お金を施しなさいと説くのである。

魚座で減衰する水星

通常、富というのは木星や金星が現しているが、この資本主義社会におけるマネーシステムというものは、水星が表わしていると思われる。債権、証券、紙幣は印刷技術によって生み出され、さらに現代では、コンピューターによって、お金は単に電子情報となって、実体を持たない、思考の産物であり、数字と化している。このような進化したお金の形態は水星が表わしているのである。元々はユダヤ人が、現実の実際の富を、債権や証券、紙幣などに転換するという離れ業を成し遂げたことにより、生み出されたものである。

例えば、ラオ先生のチャートでは9室支配の水星が12室で高揚して、ケートゥと接合しているが、この配置が、ラオ先生がお金を嫌い、無料で、鑑定をしている理由である。

水星が強いと、株式や債券などの金融知識に長けており、それを利用して、お金を稼ぐことが出来る。
お金に関する極めて合理的な計算ができ、お金によってお金を稼がせる仕組みづくりを検討することが出来るのである。

ファイナンシャルプランナーなどが考える、生涯収入と、それを金利によって増やしていくシュミレーションなどは、まさにその水星の力によるものである。

銀行と企業が合体してこの世界に富を創出する金融資本主義はまさにそうした水星の力(土星の力もそこに加えられるかもしれないが)によって生み出されたものである。

そして、現代では、それは商業至上主義、市場原理主義として、人間活動の全てを、最大限の利潤を追求する(利益を最大化する)という人間の合理的な欲望の原理に委ねたのである。

そこでは人間は目的ではなく、お金を稼ぐ為の手段と化すのである。

水星が強いと、このお金に関する合理的な姿勢が生じ、社会奉仕をする場合でも、キャッシュフローや売り上げやコストなどを考慮して、通常の民間企業の経営の手法を取り入れて、何とか資本主義の枠組みの中で、それらを行なおうとする。これが現代のNGOやNPOのような社会奉仕事業体が採っている方法である。

例えば国連系の特定非営利活動法人などでも、寄付を募るのに、クレジットカードの仕組みを利用しているが、現代では奉仕事業を行なう場合でも、そのような資本主義が発達させた仕組みを利用せざるを得ないのである。

水星が魚座で減衰し、ナチュラルゾーディアックでは魚座12室に在住することとなる水星は、そのようなお金の仕組みに疎いのであり、お金の現代的意義も分からないが、極めて理想主義的で、お金に関する高度な理論が理解できない。

まさに市場原理主義的な発想と全く正反対に位置するのが、魚座の水星である。

魚座の水星は、資本主義の仕組みを悪とし、それでも、奉仕のためにその仕組みを利用していくという現実路線を摂ることに疎いと言えるのである。

つまり、奉仕を継続していくには人は、ある程度、 資本主義の枠組みの中で、現実路線を摂る必要があるのである。

魚座の水星というものは、極めて理想主義的であり、お金というものに疎いと言うことが出来る。

イエスが、金持ちの息子に対して、全ての富を貧しいものに施してから従いなさい、と言ったのは、そのような魚座の水星のマインドによるものであると理解出来るのである。

現在では、金融危機によって、市場原理主義の欠陥が明らかになりつつあるが、然し、今後の社会はそれでもお金という高度に洗練されてコンピュータ上で管理され、電子化された仕組みを利用していくことになるのである。

然し、連邦準備銀行などの中央銀行は廃止されなければならず、お金は政府が管理して負債ではないお金(政府紙幣や地域通貨)などを生み出していく必要があるのである。そして、国際通貨はIMFの特別引出権(SDR)のようなものになっていく必要があり、米ドル基軸通貨体制は終わる必要がある。

然し、お金が要らなくなる(お金を意識しない)社会が到来するには、ますますお金の仕組みを質的に洗練させることが必要であり、それは水星の力によって、成し遂げることが出来るのである。

聖書にあるこのイエスキリストと、金持ちの息子のやり取りなどを見ながら分かることは、イエスは水星が魚座で減衰していたがために、お金に関する教えの部分が極めて素朴で、現実路線に合わない、理想主義的なものに終始したのであり、この点に弱点があったと思われる。

然し、イエスは当時の社会のパリサイ派や立法学者など、ユダヤの慣習や律法にとらわれて、全く思いやりや同情心という観点を持たない当時の支配者階級と闘っていたのであり、彼が貧乏人に税金を支払わないように勧めたり、金持ちの息子に貧乏人に全ての富を施すように告げたことは、当時の状況としては理解できるのである。

今日のような社会の高度に洗練された仕組みは当時では分からなかったのであり、お金に関して理想主義的で素朴な考えを示すことは、当時、採り得る唯一の方法だったと思われる。


獅子座に在住する木星と土星、獅子座と水瓶座の軸へのダブルトランジット

アリスベイリーなどの秘教文献によれば、このレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の図は、水瓶座の時代を象徴したものだというのである。

それは弟子たちが皆、一同に食卓に着いている状態が、円卓会議など、近代に入ってから各国が一同に会する国際連合などの形式と同じなのである。

秘教文献によれば、イエスというのは体格がよく屈強な軍人タイプの人物だったようである。

決して、中世のキリスト教美術の中で描かれる青白い顔をして貧相で、痩せた人物ではなかったようである。

この「最後の晩餐」の状況が皆で、一同にテーブルに着いているという図であるが、その真ん中にイエスキリストが陣取っており、この場の中心的な存在、リーダーとして、君臨しているのが分かるのである。

これは明らかに獅子座の象意であり、この図は明らかに水瓶座-獅子座の軸を書き表したものである。

イエスが屈強な軍人タイプの人物であったとすると、ラグナが火の星座である可能性が高いが、 牡羊座、あるいは、獅子座の可能性が高くなるのである。

イエスは大工の息子であり、建築、土木関係に縁があり、屈強な肉体とも考え合わせると、獅子座の象意が考えられるのである。

射手座ラグナだと、4室に惑星集中するので、4室惑星集中だと、イエスの生涯とは一致しないと思われるため、まず、最初に除外されるのである。

そして、牡羊座か、獅子座かということになるが、牡羊座だと、ラグナロードの火星が12室に在住し、5室支配の太陽と、2、7室支配の金星、4室支配の月、3、6室支配の水星と絡んでいる。

5室支配の太陽が弟子、7室支配の金星がマグダラのマリア、4室支配の月が聖母マリア、3、6室支配の水星がユダと考えると、 辻褄が合うのである。

そして、5室には9室支配の木星と土星が在住し、多くの弟子がいることを説明できるのである。

従って、牡羊座ラグナ説というのは非常に有効であると思われる。


一方、獅子座ラグナと考えてみると、ラグナロードの太陽が8室に在住し、4、9室支配の火星、3、10室支配の金星、12室支配の月、2、11室支配の水星と接合している。

そして、ラグナに5室支配の木星が在住し、6、7室支配の土星も同室している。

ラグナに5室支配の木星が在住していることは、弟子たちが常に身近にいて、一緒に行動を共にしていることと解釈できるが、6、7室支配の土星がラグナに在住することは、肉体に掛けられる重圧や制限を表わしていると思われ、後にイエスに加えられる肉体的抑圧とも考えられる。

ラグナロードの太陽が8室に在住することは、パリサイ人や律法学者、ユダヤの支配者階級の人々の陰謀、支配(8室)に苦しみ、最終的に肉体を拘束され、十字架に掛けられたことを考えると、説明可能なように感じられる。

ラグナから8室に惑星集中しているというのは、木星や土星のダシャーが来た時に類似の状況がおとずれるだろうことが考えられ、いずれにしても、獅子座ラグナとしても考えることが可能である。

獅子座としてのイエスキリスト

獅子座ラグナとしてのイエスが表わされているのは、ローマ総督ピラトの裁判で死刑宣告を受けた後、イエスが兵士たちに茨の冠を載せられて、「ユダヤ人の王、万歳」と 嘲られ、平手打ちにされたり、辱めを受けている場面からも理解出来る。

嘲られ、辱めを受けてはいるが、それでもやはり、王様なのである。

十字架につけられた後は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書いた罪状書きのプラカードを 掲げられるのであるが、それらの事柄からも、イエスが王様であり、獅子座の象意で表されることが分かるのである。

C・S・ルイス著のナルニア国物語の『ライオンと魔女』という作品の中でも、

イエスキリストの象徴としての、ナルニア国の統治者アスランをライオンとして描いていた。

イエスキリストは明らかに獅子座の象意で表わされるようである。

 



魚座ラグナ、獅子座ラグナとして考える

魚座に月と太陽が在住し、魚座に惑星集中していることから、魚座ラグナとして考えることが出来るが、

そうすると、6室に土星と木星が在住しており、6室−12室の軸にダブルトランジットを形成している。

6室は部下や目下の者と関わるハウスであり、6室にダブルトランジットが形成していることは、彼が、貧しい人や病で苦しむような社会の末端の人たちに奉仕する生活を送っていたことを表わし、自ら現場でそうした人たちと同じ目線に立って、現場で汗を流して活動することを表わしている。

6室に木星が在住する配置は、しばしばヒーラー(治療家)に見られる配置である。

そして、12室は損失、出費、自己放棄の象意であり、十字架上の死を意味しているのではないかと思われる。

12室が死を表わし、そして、1室に戻ることで、復活を表わしていると解釈できる。

ナチュラルゾーディアックで、12室の象意を持つ魚座に惑星集中するイエスキリストの生涯を最大に象徴するのが、十字架上の犠牲であり、十字架上の死であると考える事が出来る。

従って、イエスキリストの生涯というものは、6室−12室の軸で表わされると思われる。

6室は貧乏人、病で苦しむ人たちに対する奉仕、そして、6室は暴力を表わすハウスでもあるが、イエスがエルサレムの神殿内で、商売をしていたユダヤ商人たちの屋台を叩き壊して、追い出したことは新約聖書に記されている。

イエスは積極的に人を助ける奉仕の人であると共に、時には怒りを露にして攻撃的にもなる人物なのである。

そして、一方の12室の方は、拘束、監禁や、損失を表わしている。 あるいは、隠遁も表わしている。

イエスが砂漠でしばしば一人で過ごし、サタンの誘惑を受けたことも記されているが、砂漠というのは人里離れた隠遁地であり、12室の象意である。

このようにまず、基本的に魚座ラグナとしてチャートを解釈することが可能である。

そして、獅子座にも木星、土星が在住しているので、上述したように獅子座ラグナとしても解釈が可能である。

その場合、ラグナロードの太陽が8室に在住して、8室に惑星集中するので、ヨーガやオカルトの実践者としてのイエス像が浮かび上がってくるのである。

これはイエスがエッセネ派と呼ばれるユダヤ教の神秘主義的なグループに所属していたとする説を採用すると、納得できるのである。そのエッセネ派では輪廻転生とか、カルマの法則などの東洋的な真理が教えられていたとされる。

イエスはチーズやミルクや木の実などの菜食に近い食生活をしながら、瞑想的な生活を送っていたというのである。

そうした情報から考えると、8室に惑星集中というのは分かるのである。

またイエスは豚の大群を湖に突進させたり、パンを増やしたりといった超能力を用いたので、それも8室の象意と考えることが出来るのである。

またイエスの生涯は、あたかも計画通りに進んでおり、ユダヤの僧侶たちによって拘束され、ローマ総督ピラトに引き渡される前にも、その運命が既に分かっていたようである。

そのことで、事前にイエスが、神に祈る姿が聖書にも描かれている。

これは何か運命が自由にならない状況を示しており、これも8室の象意らしいのである。

ユダヤの僧侶たちの陰謀、悪意によって、捉えられることを事前に分かっていたし、またユダが裏切ることも分かっていたにも関わらず、ユダに「去れ、行きて汝のなすことをなせ」と言って、その予定されている運命を実行させるのである。

これはラグナロードが8室に在住している第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディにおいても見られるのである。 彼も自分が暗殺される運命を事前に知っていたかのようである。然し、それらを避けることが出来ない。

インドの霊的教師であるバグワン・シュリ・ラジニーシも、米国のオレゴン州にコミューンを建設して活動を開始した際に、アメリカ合衆国大統領との会食に招待され、その席で、CIAから致死量に満たない毒を盛られた可能性が示唆されている。ラジニーシ自身が自分の体調が異変して病に冒されたことについてそのように語っていたようである。

このラジニーシも牡牛座ラグナで、8室射手座に惑星集中しており、8室の陰謀、悪意に巻き込まれるという象意を示していたと理解できるのである。

従って、そうした8室の別ケースから類推して、イエスは、獅子座ラグナで、ラグナロードの太陽が8室に在住し、8室に惑星集中しているという象意も十分に示していたと考える事が出来る。

魚座ラグナと考えると、金星は3、8室支配で、1室で高揚しているが、獅子座ラグナと考えると、金星は、3、10室支配で8室で、高揚している。

トムハンクスが主演した映画『ダヴィンチコード』やもっと以前に作られたマーティンスコセッシの『最後の誘惑』などでも、イエスがマグダラのマリアと結婚していたとか、結婚して子供をもうけるという誘惑が存在したという文脈で作られる映画が多いのであるが、金星は配偶者の表示体であり、それが月や太陽と接合していることから理解出来るのである。
配偶者の表示体である金星がラグナに在住しているということは配偶者が常に身近にいるようなイメージである。

従って、そのようなことから、そうしたイエスとマグダラのマリアの男女関係に結びつけた作品が作られるわけである。

(資料)

イエス・キリスト  wikipedia

「マイトレーヤの使命V」 ベンジャミン・クレーム著 石川道子訳 シェア・ジャパン出版