占星コラム


2009/7/27 クレオパトラの真実について

B.C1世紀のエジプト女王、クレオパトラは、「絶世の美女」として知られ、世界三大美女の一人とされている。

映画『クレオパトラ』 1963年アメリカ 20世紀フォックス
(ジョセフ・L・マンキウィッツ監督 エリザベス・テイラー主演)の一場面より

但し、wikipediaによれば、こうした評価は、後世の虚像にもとづいて作られたものである可能性が高いという。

歴史家プルタルコスは、クレオパトラ7世を、複数の外国語(メディア語・エチオピア語・シリア語・パルティア語・アラビア語・ヘブライ語など)に通じた、知的な女性と伝えている。ちなみに、容貌については「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるものでもないと言われていた」と評している。彼女は魅力的であったが、それは雰囲気や優雅で穏やかな話し方によるものであったと言われる。美の基準は人、地域、時代などによって異なるので注意が必要だが、少なくともプルタルコスの評価では、絶世の美女ではなかったようだ。冒頭に掲げられている女王の頭像(ベルリン博物館蔵)はこの事実を裏書していると思われる。

キケロはティトゥス・ポンポニウス・アッティクスへの書簡(紀元前44年6月付)の中でクレオパトラについて「女王は嫌いだ、こんな連中と関りたくない」と記した。ローマ市民のクレオパトラへの印象が窺える文章といえる。

フランスの哲学者ブレーズ・パスカルによれば、クレオパトラ7世がその美貌と色香でカエサルやアントニウスを翻弄したとして、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら(※正確には、短かったら 鼻参照)歴史が変わっていた」と評した。ただし、これは誤解に基づくものである。(最も、パスカルはこの話を単に例えとして記述しているに過ぎない。「人間とは、またその存在が紡ぎ出す歴史とは、何か少しを変えてしまうだけで何もかもが変わってしまう。それほど、それらは絶対的指針を持たぬ流動的で儚いものなのだ」という思想を体現する形で、『クレオパトラの鼻の例え』が用いられた。)

パスカルに限らず、後世の多くの人から世界で最も美しい女性であったと認識されている人物である(ハリウッド映画などでも名うての美人女優が演じる役と決まっている)。そのため、「実は美人ではなかった」という見解が、たびたび研究者によって発表されている。近年も、イギリスのBBCニュースで話題になった。

(wikipediaより引用抜粋)

上記引用箇所に記されているように、 フランスの哲学者ブレーズ・パスカルは、クレオパトラ7世がその美貌と色香でカエサルやアントニウスを翻弄したとして、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」と評したそうである。

その話自体、よく聞く話である。

クレオパトラが絶世の美女であったということは神話となって、世間に広く定着していることが伺えるのである。

そのため、クレオパトラが実は決して美しい女性ではなかったという見解は、非常に興味深い学説である。


クレオパトラは本当は美人ではなかった?

私自身、 この「クレオパトラが決して美女ではなかった」説を聞いて、この説は非常にあり得る話ではないかと自然に受け入れられたのである。

それは、私が推測するクレオパトラの人物像に一致するからである。

以前見た映画(おそらく『アントニーとクレオパトラ』だと思われる)の一場面で、マルクス・アントニウスがクレオパトラに魅惑され、結婚して子供が出来ると、尻に敷かれた夫のようになって、全く戦意を喪失して、腑抜け状態になってしまう様子が描かれていたのであるが、私はこれを見て、このアントニウスとクレオパトラの関係が、火の属性と水の属性の関係であると分かったのである。

まさにクレオパトラが水の属性で、アントニウスが火の属性であり、火の属性が、水の属性によって、力を奪われて、腑抜けにされたことを表わす歴史的実例である。

”火は水によって消されてしまう”とよく表現されるが、火の星座は水の星座に勝てないのである。

そのため、水の星座によって力を抜かれ、操られてしまう。

人物 職業、地位 属性
シーザー、アントニウス 政治家、軍人、戦士
クレオパトラ
エジプト女王

火の星座にとって、4、8、12室に位置する水の星座は自らの力を奪う勝てない相手である。

おそらく、クレオパトラは美人ではなくても、恐ろしく妖艶な癒しのエネルギーを発している女性で、現在の日本で言えば、銀座のホステスのような女性ではなかったかと思われるのである。

銀座のNO.1ホステスは、容姿が必ずしも美しい女性でもなく、 隣に座ると、やたらと気持ちがよくなって、癒されてしまう女性なのである。何か発する雰囲気とか、気配りとかそうしたものが優れているようである。

そのため、決して、モデルのような美形は必要ないのであって、容姿は普通でも、癒しの能力というものが、ものを言うようである。

従って、歴史家プルタルコスが、彼女は魅力的であったが、それは雰囲気や優雅で穏やかな話し方によるものであった」(wikipediaより)と評したのは、そのことを言い表したものであると思われる。

ホステスとか水商売をしている女性たちは、そばに近寄るだけで彼女たちの周囲は何か違う空気に包まれているのが分かるはずである。

何か非常に粘着性のある性的で誘惑的なオーラに包まれているのが分かる。

以前、 銀座でホステスをしていた女性から聞いた話であるが、彼女が付き合う男性は、会社経営者だったり、ビジネスマンだったり社会で緊張感を持って戦っている人たちであったが、彼女と付き合うと、皆、仕事をしなくなってしまい、頑張らなくなって、戦闘能力を失ってしまうのだという。

その女性が、「私と付き合う男性は皆、ダメになっていくのよ」と言っていたのが印象的である。

これは大変、面白い、興味深い証言である。

まさに火の属性である闘う戦士であるビジネスマンが、水の属性である銀座のホステスの女性に接触したとたんに戦闘能力を奪われて、腑抜けのダメ人間になってしまったことを示す貴重な証言である。

こうした話から考えて、火の属性の戦士にとっては、水の属性の水商売に勤める女性(ホステス等)は要注意である。


サラリーマンの男性が水商売の女性にお金をつぎ込んで、身を滅ぼす話などはよく聞く話である。

以前、青森県住宅供給公社の職員の男性が公社の資金14億円を横領し、チリ人妻アニータ・アルバラードに貢いだ事件(青森県住宅供給公社巨額横領事件) があったが、 アニータ・アルバラード(出生時間不明)のチャートを作成すると、蠍座に金星、火星、水星が惑星集中している。


もし社会で活躍している戦士が銀座のホステス通いなどをすると、4室、8室、12室の象意を経験し、相談に乗らされて仕事をさせられたり、上手く嘘をつかれて操られたり、金銭やエネルギーを消耗させられて、散々な目に会うはずである。

アニータ・アルバラード(Anita Alvarado)

ホステスが居るクラブに行くこと自体が、蠍の生息する洞窟に入っていくようなもので、油断をしていると毒針で刺されたり、かなりの金銭やエネルギーを消耗したりするはずである。

クレオパトラの経歴をウィキペディアで参照すると、中々ずる賢く、世渡り上手で、次々と、シーザーやアントニウスなどの愛人となることで、権力者たちを操り、彼らの後ろ盾を利用して、エジプトで実権を握るなど、女性としての能力を最大限に用いた権謀術数に長けていた印象である。

戦士たちは、彼女と交際する過程で、骨抜きにされてきた印象である。

例えば、wikipediaにはクレオパトラの経歴について、 以下のように書かれている。

混乱と骨肉の争い

クレオパトラの誕生以前よりプトレマイオス朝は権力を巡る骨肉の争いが常態化しており、実際に紀元前55年(クレオパトラ14歳)には父(プトレマイオス12世)と姉(ベレニケ4世)が王位を巡って争い、ローマの支援も得て勝利した父王がベレニケを処刑したようにエジプト国内は安定には程遠い情勢であった。

紀元前51年、クレオパトラが18歳の時にプトレマイオス12世は死去したが、父王の遺言及びプトレマイオス朝の慣例に則って、兄弟で最も年長であったクレオパトラが弟・プトレマイオス13世と結婚し、共同で王位(ファラオ)に就いた。

弟王との共同統治は弟王の側近の介入もあって当初より齟齬が生じていたので、ローマの支持を必要としていた。ローマでは、カエサルとポンペイウスが対立していたが、クレオパトラは父王の関係から、ポンペイウス派に与していた。ポンペイウスの子グナエウス・ポンペイウスがアレクサンドリアを訪れ、クレオパトラに兵員と食料の協力を要請した。女王は、この小ポンペイウスに対し、予想を上回る兵員及び食料を提供した。この際、クレオパトラは小ポンペイウスの愛人となった。 しかし紀元前48年の春、これらクレオパトラの動きに不信を募らせたプトレマイオス派はアレクサンドリア住民がクレオパトラに対して起した反乱に乗じてクーデターを実行し、クレオパトラを東部国境のペルシオンへと追いやった。

(wikipediaより引用抜粋)

エジプト国内での権力闘争の中で、ローマからの支持を取りつけるためにポンペイウスの子グエナウス・ポンペイウスに彼らの予想を上回る兵員及び食料を提供して気をひき、愛人となって、ポンペイウス派の後ろ盾を得ようとする辺りが、かなりの策略家なのである。

これらの狡猾さはクレオパトラのラグナや惑星集中しているハウスを蠍座と考えて、8室支配の水星がもたらしているのではないかと思われる。

水星が8室を支配すると水星が支配者となるため、ずる賢い人に騙されやすいのと、自分自身のマインドも狡猾になって自分自身をも騙して、ずる賢いことを行う場合があると思われる。

その際、当の本人はまさか自分がそんなにずる賢いことをしたなどとは考えてもいないのであり、まったく自分の動機などが気づいていない場合があると思われる。つまり、自分自身でさえも騙してしまうのである。

カエサルとの出会い

ジャン=レオン=ジェローム 1866年紀元前48年9月、ポンペイウス追討のためエジプトへ入ったカエサルは、アレクサンドリアで両共同統治者を招集した。当時、クレオパオラはエジプト東部のペルシオンで戦闘中であり、容易にアレクサンドリアへ出頭はできなかった。プルタルコスによると、女王は自らを寝具袋にくるませ、カエサルのもとへ贈り物として届けさせ、王宮へ入ることができたといわれている(絨毯に包んで届けさせたと説明されることが多いが、歴史史料では確認できない)。このとき、クレオパトラはカエサルに魅了され、彼の愛人となった。これを知ったプトレマイオス13世は「怒り心頭に発し、王冠をはずし、地面に叩きつけた」といわれている。一応、カエサルは両共同統治者の和解させるのに成功したものの、この和解は15日間しか続かなかった。カッシウス・ディオによると、プトレマイオス13世側がカエサル軍を攻撃したので、カエサルはちょうど到着したローマの援軍によって、紀元前47年のナイルの戦いでプトレマイオス派を制圧し、プトレマイオスをナイル川に溺死させた。プトレマイオス13世と結託し、クレオパトラと敵対していたアルシノエ4世は、捕らえられ、ローマへ送られて、のちにカエサルの凱旋式で引き回されることになった。

プトレマイオス13世敗死後、クレオパトラ7世はもう一人の弟プトレマイオス14世と結婚し、共同統治を再開した。紀元前47年、女王はカエサルの子カエサリオンをもうけたとされる(カエサル父親説については異論もある)。プトレマイオス14世との共同統治は、カエサルの後ろ盾を得て成立しており、実際には、クレオパトラ7世が単独で統治し、カエサルの傀儡であったと言える。

紀元前46年、カエサルが10年間の独裁官に任命され、凱旋式を挙行したころ、クレオパトラ7世はカエサリオンをつれてローマを訪れた(アルシノエが市中を引き回されるのを見たかもしれない)。クレオパトラ7世は、カエサルの庇護のもと目立たない形でローマに滞在していたが、紀元前44年カエサルが暗殺されると、カエサリオンを連れ、急遽エジプトに帰ったらしい。

(wikipediaより引用抜粋)

エジプトに入り、両共同統治者を招集したカエサルの元に自分を寝具袋にくるませて届けさせるなど、やはり、この辺り、ホステスや娼婦などに該当すると思われる行動パターンを示しており、水の属性をいかんなく発揮している。

本来、カエサルからみれば、クレオパトラはポンペイウスの支援者であり、敵側に与していた相手である。

然し、クレオパトラが誘惑し、愛人として振舞うことで、うまくカエサルを懐柔したのではないかとも思えるのである。

そして、カエサルを味方につけて、自分を東部国境のペルシオンへと幽閉したプトレマイオス13世を倒すのである。

この火の属性の戦士であるカエサルを上手く操って、自分の政敵を倒す辺りは、水の星座の典型的な手法であるように思われるのである。

カエサル死後

クレオパトラ7世は、嫡子のいないカエサルの後継者にカエサリオンを望んでいたと思われるが、カエサルは、庶子に当たるカエサリオンを後継者に指名してはいなかった。紀元前46年、既にカエサルは遠縁の養子ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌスを後継者と定め、遺言書を遺していた。

クレオパトラ7世がエジプトに帰国したころ、名目上の共同統治者であったプトレマイオス14世が死亡すると(死因不明、クレオパトラによる毒殺説もある)、クレオパトラは、幼いカエサリオンを共同統治者に指名した(プトレマイオス15世)。

紀元前42年、クレオパトラは、フィリッピの戦いで、三頭政治側ではなく、マルクス・ユニウス・ブルートゥスら共和派を支援した。共和派の敗北にともない、三頭政治側のマルクス・アントニウスはクレオパトラに出頭を命じた。これに対して、クレオパトラはアプロディーテーのように着飾り、香を焚いてムードをつくってタルソスへ出頭した。逆にアントニウスを自らの宴席へ招待するなどし、瞬く間にアントニウスを魅惑したといわれる。アントニウスはエジプトに近いシリアなどの東方地域では勢力を維持しており、クレオパトラと良い関係を作ることは、アントニウスにとって好都合であったことは事実である。 他方、アルシノエは小アジアのエフェソスにあるアルテミス神殿に聖域逃避していたが、クレオパトラは、アントニウスに頼んで殺害させた。

その後、2人の間には紀元前39年に双子の男女のアレクサンドロス・ヘリオスと、クレオパトラ・セレネ、紀元前36年には、もう一人の男の子プトレマイオス・フィラデルフォスが誕生した。アントニウスはエジプトと同盟したが、パルティア遠征で惨敗を喫したあと、オクタウィアヌスの姉オクタウィアと離婚した。クレオパトラとアントニウスは結婚したのかもしれない。アントニウスは、再度東方遠征を試みる。今度のアルメニア遠征では凱旋してエジプトのアレクサンドリアに戻り、そこで凱旋式を挙行した。さらに、エジプトに埋葬されることを望むなど(アントニウスが書いたとされる遺言状をオクタウィアヌスが元老院で読みあげたもので、真偽は定かではない)、ローマを見捨てたかのように振舞うアントニウスにローマ市民は失望し、アントニウスとの決戦を望んでいたオクタウィアヌスを強く支持するようになった。最終的にオクタウィアヌスがアントニウスに宣戦布告したとき、それは私闘ではなく「ローマ対エジプト」の構図になっていた。

(wikipediaより引用抜粋)

このカエサル死後の描写についても、所々に蠍座の水の性質が持つ、怖さを感じさせるのである。

例えば、カエサルが生きていた頃、既にエジプトはカエサルを後ろ盾としたクレオパトラが統治しており、共同統治者であったプトレマイオス14世に実権はなかったのであるが、カエサルが暗殺されると、直ぐに、プトレマイオス14世が死因不明で死亡するのである。

この辺り、カエサルという後ろ盾がなくなると、共同統治者であるプトレマイオス14世が勢いを得て、クレオパトラの権限に挑戦してくることを見込んで、先手を打って、毒殺することで後に想定される権力闘争の芽を摘んだとも考えられるのである。

そうした当時の権力バランスの状況理解から毒殺説というものが浮上してくるのではないかと思われる。

もしクレオパトラが蠍座の象意を持っているとすると、大いにあり得る説ではないかと思われる。

蠍はそぶりには全く見せずに毒針で一撃で相手を倒すのである。

他には、マルクス・アントニウスに出頭を命じられて、アフロディーテーのように着飾って、アントニウスを誘惑したことなども、やはり、ホステスや娼婦の行動パターンを示している。

そして、アントニウスに頼んで、 アルテミス神殿に聖域逃避していた妹のアルシノエを殺害するのであるが、蠍座は、絶対に恨みを忘れずに、最終的に復讐を完遂させるのである。

クレオパトラの誘惑に負けて魅了されたアントニウスを、何でも言うことを聞くように、うまく操縦している様子が分かる一文である。

然し、決して、アントニウスは自分がクレオパトラに操られて、アルシノエの殺害を仕向けられたとは考えていなかっただろうと思われる。アントニウスが自分で決断したかのようにうまく誘導したのだと思われる。

この辺りは、赤坂の料亭の女将や銀座のママが、自分に好意がある政治家に頼みごとをして、うまく利用するなど、おそらく現在の日本社会でも行なわれている光景ではないかと思われる。

こうした水商売の女性たちは、権力者に近づき、うまく利用する術を心得ているのである。

アクティウム海戦・自殺

紀元前31年、クレオパトラ・アントニウス連合軍とオクタヴィアヌスが率いるローマ軍が、ギリシャ西岸のアクティウムで激突した(アクティウムの海戦)。この海戦の最中にクレオパトラ7世は戦場を離脱し、アントニウスもクレオパトラ7世の船を追って逃亡し、ともにアレキサンドリアへ戻った。結局、アントニウスの連合軍は敗北を喫した。アントニウスは部下を置き去りにし、女を追って戦場を後にしたと嘲笑された。

クレオパトラ死去の誤報に接したアントニウスは、自殺を図った。アントニウスは瀕死の状態でクレオパトラ7世のところにつれてこられ、息を引き取る。クレオパトラ7世自身はオクタヴィアヌスに屈することを拒み自殺した。贈答品のイチジクに忍ばせていたコブラに身体を噛ませて自殺したとも伝えられている。さすがのオクタヴィアヌスも彼女の「アントニウスと共に葬られたい」と言う遺言だけは聞き入れたようである。

エジプトを征服したオクタヴィアヌスは、紀元前30年、「カエサルの後継者」となる虞れがあるカエサリオンを殺害してプトレマイオス朝を滅ぼし、エジプトをローマに編入して、皇帝直轄地エジプト(アエギュプトゥス)とした。ちなみにクレオパトラがアントニウスともうけていた他の子供達はアントニウスの前妻オクタウィアに預けられ、養育された。

(wikipediaより引用抜粋)

そして、アクティウム海戦で、戦場を離脱したクレオパトラを追って、自らも逃亡し、兵士を置き去りにして敗北を喫したアントニウスは、敵方に嘲笑され、プライドや威厳を失い、戦士として、見る影もないほど、ぶざまで、哀れな境遇に陥っている。

水の属性の女性はここまで火の属性の戦士を、骨抜きにし、何も出来ないダメ人間に変えてしまうのかと愕然とするのである。

そして、最後にクレオパトラ死去の誤報に接したアントニウスは自殺を図るのであるが、クレオパトラに溺れ、彼女がいなければ生きていけないという非常に軟弱な態をさらしている。

ここに水の属性によって 力を抜き取られ、名誉や地位や権力を失った火の属性の男の哀れな末路が示されている。

クレオパトラはアントニウスの死後、オクタヴィアヌスに屈することを拒み、コブラに乳房を噛ませて死んでいくのである。

因みにこの毒蛇というのは蠍座の象意である。

クレオパトラは元々、カエサルの敵側であったポンペイウスを支援し、また、カエサル死後は、共和派を応援して、三頭政治側のマルクス・アントニウスに敵対していたにも関わらず、そのいずれも敵側の権力者を虜にして、相手の愛人となって、うまく取り入り、自分の思うように操ってしまう恐るべき女性である。

この壮大な史実の中に蠍座の水の女性の原型が見られるのである。

おそらく歴史上どこを見渡してもこれ以上、蠍座の女性(ホステス)の生き様を壮大に表わした出来事はないものと思われる。

まさに一つの神話であり、クレオパトラを巡る歴史上の物語は、人類史上で最も有名なホステスと、それに溺れた男の物語である。


その他の興味深い点


当時のクレオパトラについての客観的評価を示す資料として、再び、wikipediaを引用すると、以下のように記されている。

キケロはティトゥス・ポンポニウス・アッティクスへの書簡(紀元前44年6月付)の中でクレオパトラについて「女王は嫌いだ、こんな連中と関りたくない」と記した。ローマ市民のクレオパトラへの印象が窺える文章といえる。

キケロのような哲人政治家は、クレオパトラのような男性を誘惑することで願望を実現していく、ホステスか水商売のような女性には関わりたくないということだったと思われる。

真面目な哲人政治家にしてみれば、この手の水の象意の、特に蠍座の権謀術数に長け、本心を深く心に隠して、自分の目的の為に権力者を利用することを考えている女性を本能的に避ける気持ちが働いていると思われる。

このキケロの言説から、当時のローマ市民のクレオパトラへの印象が窺えると記されているが、おそらく、現在であっても、そうした性や色香を武器として成り上がった女性に対しての世間一般の評価は、そのようなものに近くなると思われる。

そうした女性のなりふり構わない手法や実力に一定の評価を与えるとしても、 尊敬するような感じとはならないのである。


こうしたクレオパトラのような権謀術数に長けた蠍座的な魅惑的な女性の例として、

以前、2005/2/7付の『映画「アレキサンダー」に学ぶ』 の中でも扱ったアレキサンダーの母親オリンピアが該当すると思われる。

この映画では、母親オリンピアが夫を毒を盛られて死亡し、その時、息子であるアレキサンダーがマケドニア王の地位を受け継ぐのであるが、この父親の毒殺はオリンピアが仕組んでいたことを匂わせるような描き方をしていた。

この辺りは、シーザー暗殺後に共同統治者のプトレマイオス14世が原因不明で死亡して、その後、クレオパトラがシーザーとの息子・カエサリオンを共同統治者に指名しているのと状況設定は同じであり、クレオパトラ毒殺説が出てくるのも理解できるのである。

その後で、小アジアのエフェソスにあるアルテミス神殿に聖域逃避していたアルシノエを、おそらくクレオパトラに溺れて言いなり状態だったと思われるアントニウスをそそのかして、殺害させる辺りも、一度、抱いた復讐心を保持し続け、復讐を最後まで完遂するという恐ろしい粘着性のある水の星座の特徴を表わしている。

その際には世間の道徳とか、慣習などは無視して、規範を踏み越えて、自分の願望を遂げるという傾向が観察されるのである。

因みにインターネットで、”聖域逃避”を調べてみると、以下のような論文が見つかった。

古代ギリシア人社会の聖域逃避は,聖なる空間で血を流すことを禁ずるケガレ(miasma)の論理と,祭壇上や神域内の人間は神の所有物であって,引きずり出したり傷つけたりしては神への不敬であるという,聖物窃盗(hierosylia)の論理から支えられるものであったが,それに加え,神域に逃げ込んだ者はそこの神に保護される,神の嘆願者(hiketes)であって,その者に危害を加えることは保護者である神への不敬であり,同時にhiketeiaの掟を司る神格ゼウス・ヒケシオスへの不敬でもあるという論理も存在した。

(地中海学会月報261 古代ギリシアの聖域逃避と”嘆願(hiketeia)”池津哲範著 より一部を引用抜粋)

”聖域逃避”している戦士は、敗北して命乞いをしている状態を表わしており、 本来は殺害の対象とはならないはずであるが、その命乞いをしている状態の相手を、アントニウスに頼んで殺害させる辺りは、かなり、徹底した復讐心の表現であると思われる。エジプト人であるため、ギリシアの規範が分からなかったからだとも考えられるし、また戦士同士が持つ、ルールが通用しない相手なのだとも理解できる。 こうしたことに加えて、願望のためには社会のルールも規範も無視する傾向もあったと思われる。

こうしたエピソードから、クレオパトラの人物像が見えてくるのであるが、執念深い蠍座の象意に該当していることが分かる。

また、クレオパトラが14歳の時の父親と姉との骨肉の争いから、彼女のチャートを推測することが出来る。

混乱と骨肉の争い

クレオパトラの誕生以前よりプトレマイオス朝は権力を巡る骨肉の争いが常態化しており、実際に紀元前55年(クレオパトラ14歳)には父(プトレマイオス12世)と姉(ベレニケ4世)が王位を巡って争い、ローマの支援も得て勝利した父王がベレニケを処刑したようにエジプト国内は安定には程遠い情勢であった。

クレオパトラの父親のプトレマイオス12世と姉のベレニケ4世が王位を巡って争い、最終的に姉が父親から処刑されたということは、11室の象意が傷ついていることが想定されるが、11室は地位の高い人々との交流、社交を表し、また6室から6室目で、暴力、闘争を表している。

王位を巡る権力闘争に勝利するためにローマの後ろ盾を得ようと、カエサルやアントニウスなどの権力者と関係を築いたことは、政治的工作であり、全て富や権力欲など、トリシャダハウスの一つである貪りの11室の象意の表現ではないかと思われる。


(参考文献、資料)

クレオパトラ7世 wikipedia

クレオパトラ wikipedia