占星コラム


2009/7/5 竹中平蔵について


小泉政権時代に政府の経済政策の責任者として舵をとった竹中平蔵は日本の愛国者、民族主義者からは、「聖域なき構造改革」の名のもとに多くの企業を倒産させ、産業再生機構送りにして、外資に安く売り渡し、 また郵政民営化を進め、郵貯、簡保資金を外資に提供することにつなげた売国者として、激しく批判されている。

またアメリカ追従の新自由主義政策を推進し、グローバリゼーションを推し進め、日本に格差社会をもたらしたとして厳しく責任を追及されている。

悲劇は、アメリカでブッシュ政権が誕生し、国内ではそれに呼応するように森政権が発足し、小泉政権がそれに引き続いた時に、清和会系の外資族による、新自由主義、規制緩和の推進役として、まず、2001年に第一次小泉内閣で、彼が経済財政政策担当大臣として、起用されたことから始まっている。

以後、2006年9月28日まで閣僚として、緊縮財政、規制撤廃と、民営化を進めていくのである。

そこで、今回は、何故、彼はこれほどまでに批判を受けているのか?またそうした特徴は彼のチャートに表れているのかという観点から、チャートを作成したのである。

愛国者、民族主義者の立場からすると、彼の行動は外国資本の手先となって日本の国富を海外に流出させた行為として映るのである。

然し、海外の国際金融エリートからは、彼の行為は日本の経済をグローバリゼーションに組み入れた功労者として高く評価されている。

立場が異なると評価が全く180度変わってしまうようである。


彼のチャートを見ると、水瓶座にラーフ、木星、太陽、水星の4惑星が集中し、土星が水星と星座交換し、さらに逆行してアスペクトを自室に返している。

従って、水瓶座が非常に強い配置である。

これは以前から別のコラムでも言っていることであるが、金融業とは、水瓶座が表すのである。

春分点が水瓶座に近づいて、水瓶座の影響とともに世界に出現したのが、イングランド銀行を始めとする中央銀行制度である。

従って、彼の経歴を見て、金融の世界を実務者、評論家、政治家として渡り歩いてきた人物であることはこの水瓶座への惑星集中からよく理解できるのである。

2009/6/28付の『人類の真の歴史について 2』でも取り上げているが、彼は風の勢力で、米国の金融資本家と通じて、日本の規制を撤廃させて、彼ら外国資本の参入を招いたのである。

従って、米国のチャートの11室双子座惑星集中に見られる国際金融エスタブリッシュメント=フリーメーソン・イルミナティといった勢力と同一視されるのである。

この辺りはジャーナリストのベンジャミンフルフォード氏が竹中平蔵にインタビューして、彼が日本の銀行をロックフェラーに売り渡したのかどうかを問い詰めたところ、彼の紹介で、”忍者”と名乗る謎の人物とコンタクトし、その人物がフリーメーソンに加入することをすすめて来たという話が大変、興味深いのである。

フルフォード氏によれば、その筋の人の話によると、日本の官僚でも主要な省庁ではフリーメーソンに加入していないと出世は難しいそうである。


日本は水の国であるため、古い時代の魚座の価値観で存立している国家である。

護送船団方式とか日本株式会社とか言われたように、政府が深く銀行や企業に関与して、国家として経済活動を進めてきたのである。

日本社会全体が一つの宗教団体のようであり、また一つの大家族であるかのような国家なのである。

イルミナティの目的とは、国家や家族の廃止や解体であるため、日本の構造を改革して、政府の関与を小さくして、何でも民間で行っていくように国家の構造を改変するということなのである。そして、それを推進したのが竹中平蔵である。

これらはある程度は、魚座から水瓶座への流れとして理解せざるを得ない。

春分点が魚座から水瓶座に向けて移動しているという事実には逆らえないからである。


然し、 グローバリゼーションといった時に、米国が推進する新自由主義経済政策は、世界の発展途上国に、IMF、世界銀行といった米国の出先機関が開発資金を貸し付けて、返済できなくなった所で、構造調整プログラムによって、資源供給国として、支配するという非常に貪欲で冷酷なものである。

竹中平蔵はそれと全く同じ、新自由主義、グローバリゼーションを日本において推進したのである。

従って、水瓶座を推進しているといっても、アメリカ帝国の中に顕現した物質主義に加担する者として、米国の貪欲な金融エスタブリッシュメントの代理人として推進したことになる。

因みに、この竹中平蔵のチャート(出生時間不明)を見て、気づいたことは、彼の水瓶座に在住する木星にラーフが緊密に接合していることである。

1°ぐらいしか離れていないかなり緊密なコンジャンクトである。そして、木星はさらに逆行の土星からアスペクトされており、グルチャンダラヨーガを形成しているのである。

さらにこの配置はナヴァムシャでも繰り返されており、木星はラーフと接合して、土星からアスペクトされている。

ラシと、ナヴァムシャで、グルチャンダラヨーガが形成されているのである。

このヨーガが形成されると、木星の道徳性、宗教性が損なわれ、恩知らずになったり、自分の師匠から譲り受けた思い出の品を売って金に換えたりするような行動を取るのである。また目的のためには手段を選ばなかったりするようである。

従って、竹中平蔵が何故、自分が生まれ育った日本国を裏切って、日本の同志たちの生活と未来を犠牲にして、アメリカの金融資本家たちに日本の富を売り渡したのかが分かるのである。それは彼が、グルチャンダラヨーガが示す特徴として、恩知らずで、お世話になった人(日本国、日本国民)を裏切る傾向があったからだと言える。

グルチャンダラヨーガが強固に築かれていることで、今までぼんやりとしか分からなかった竹中平蔵の人物像がはっきりとジョーティッシュのロジックにより、明らかになったようである。

然し、これが国際金融エリートの側から見れば、竹中平蔵は彼らのネットワークに忠誠を尽くした忠臣ということになる。


これが問題であり、木星は伝統を表す惑星であり、また水の星座である魚座を支配している。

この木星が傷つくことで、伝統の破壊を表し、今まで親しんできたものに離反する行為につながるのである。

例えば9室にラーフが在住する場合、父親の宗教に従わないという象意があるが、これは親から受け就いた伝統に逆らうことを表している。

ラーフは土星に似ているとされ、非伝統的な惑星と言える。そして、このラーフは水瓶座でムーラトリコーナとなるので強力である。

現在のように、魚座の古い価値観と、水瓶座の新しい価値観の移行期にある場合、水瓶座の立場からすると、親の宗教に逆らい、伝統を破壊することは、水瓶座への道を開く行為として正統化され得るとも考えられるのである。

これが恐ろしい所である。

立場が違えば善が悪になってしまい、悪が善になってしまう。


仮に竹中平蔵の行為を最もよく解釈したとして、ある意味、フリーメーソン、イルミナティの計画に対して、何が何でも従い、それを実現する先兵となるという強い意志や推進力を示したとも考えられるのである。

然し、最終的な世界政府という目的を実現するためにはその途中経過において、払われた、お世話になった日本国の同胞のいかなる犠牲さえも正当化されうるのかということである。

そのような観点から、彼のした行為が大義として正当化され得るのか?


アリスベイリーの『ハイアラキーの外的顕現』には以下のように記述されている。因みに新しい世界秩序とは”新世界秩序”のことである。

1.新しい世界秩序は、当面の必要を満たすものでなければならない。それは遠い未来の理想主義的なヴィジョンを満たそうという試みであってはならない。

(『ハイアラキーの外的顕現』p.257より引用抜粋)

これがハイアラキーの見解であり、遠い未来の理想のために今生きている人々の生活を犠牲にしたり、今目の前にいる人に暴力を振るうことはあってはならないとはっきり表明しているのである。

これが例えば、日本赤軍の「あさま山荘」事件の粛清の問題などと同じように、遠い未来の理想のために、今現在共に生きている同胞を犠牲にするということには問題があるのである。

そうした行動を取る時に問題となるのが、頭の中にある理論や数値などである。

これは新しい宗教であり、20世紀のアメリカで生まれたゲーム理論(ランド研究所)、計量経済学、金融工学など、何でも数値に置き換えて分析し、確率などによって未来を予測しようとする、冷たい学問が生み出した結果である。

宗教の場合は、神の観念や指導者が抱く理想や計画が、人のマインドを占めて、人に原理主義的な宗教テロなどを実行させるとすれば、理性が数値や分析によって生み出した理論が、人のマインドを占めた時にも同じような効果があるのである。
このような数値や理論などが頭を占めているとき、目の前で、困っている人や身近な人間の必要などが見えないで、理論に従って、改革を断行できるパーソナリティーを形成するのである。

これが竹中平蔵の「聖域なき構造改革」である。

人が極端な行動を取るときは、どこか病的なのであり、それはイギリスで市場原理主義、民営化を断行したマーガレットサッチャーにも見られる。

そうした病的な状態にある時、数値による分析、理性がもたらした理論や結論などが重要になって頭を占めてしまい、現実の生きた世界を相手にしていない状態が見られるのである。

あるいは生きた世界に対する理解が足らない状態がもたらされる。

規制を撤廃して市場原理を導入して民(私=個人)を活性化することは必要だとしても、それが極端に行き過ぎて、民が他人の権利を侵害することに対する規制さえも取っ払ってしまい、全てを自由にした場合、今度は政府の代りに民が巨大化して他人の権利を侵害し始めて、独裁者の出現を招来するのである。

それがロスチャイルドやロックフェラーなどの強力な民(個人=私)なのである。
彼らが地球の独裁者であり、人間の際限のない欲望の象徴である。

市場原理が全てを解決すると考える時に、 強力で貪欲な人間の欲望というものが全く理解されておらず、それを野放しにすると、やがては湖のブラックバスが全ての魚を食い尽くすように、他人の生存権までも毟り取る行為にまで発展することが理解出来ていない。

それらは現実への理解力が足らなかったということであり、理性が創り上げた理論や予測の失敗である。

極端なことをする時には人は病気にかかっているのである。本来は人は中庸の道を取るべきであり、現実に目の前にある生きた人々や状況を相手にして、臨機応変に行動することが必要である。理論の適用ではなく、現実への感応といった方がいいかもしれない。

その時、頭の中に理論はなく 数値もなく、今目の前にいる人や状況が見えている状態である。

竹中平蔵が米国に渡って、ミルトンフリードマンに代表される市場が全てを解決するという市場原理主義やそれを標榜する学者や実業家たちとのネットワークを身につけて帰って来た時に、彼は現実の生きたリアリティ(日本の状況)よりも、その頭の中の理論やネットワーク(市場原理や金融エリートとの人脈)の方が重要になったのである。

西欧近代に起こったイギリス経験論、大陸合理論などの理性主義、近代合理主義は、アメリカに渡ってプラグマティズムとして実務的、実用的な役に立つ学問として応用されるのであるが、それがもたらした究極は、ゲーム理論(ランド研究所)、計量経済学、金融工学などの学問であり、恐ろしく頭のよい頭脳集団が結集して、理性が生み出せる最高の理論や技術を生み出していると思われるが、軍事目的や金儲けのために応用されている。

それがIMF、世界銀行体制と最新鋭の軍備による第二の帝国主義や、米ドルを基軸通貨とし、ニューヨークの株式市場で金融商品を世界にばら撒いて稼ぎまくるといった軍事やビジネス上の物質的繁栄をもたらしたのである。

理性が完全に人間の貪欲に仕えている状態である。

理性主義はついにアメリカにおいて貪欲に仕える道具と化したのである。

こうしたアメリカの惨状を表わした映画として、近年、コーエン兄弟が監督した『ノーカントリー』という作品がある。

アカデミー賞を作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞の4部門で受賞している。

原作は2005年に発表されたコーマック・マッカーシーの小説『血と暴力の国』(原題:No Country for Old Men”、扶桑社ミステリー文庫)だそうである。

この作品に冷酷な殺し屋アントン・シガーという人物が登場するが、この人物がストーリーの中で、コインを投げて裏が出るか表が出るかで相手を殺すかどうかを決めるシーンが何度か出てくるのである。

そして、最後にカーラ・ジーンという女性を殺しにやってきたシガーは、その女性のこともコインの裏が出るか表が出るかで決めようとしたが、カーラ・ジーンが「殺すかどうかは(コインを投げて決めないで)あなたが自分で決めなさいよ」と言うのである。

このシーンは非常に印象的であり、アメリカのランド研究所に象徴される究極の悪を描いているのである。

ゲーム理論や金融工学、計量経済学など数値化と数理を使って、どのように行動すべきかを計算で導き出したり、結果を確率で場合わけして、リスクを分散したり、現実の経済現象を単純な数値に置き換えて未来の経済成長を予測したりすることは、人間が、自分の善意や人情、正義感など、人や状況に相対したときに出てくる人間らしい感受性や判断力に基づいて行為するのではなく、いくつかの数値を用いて、その数値に基づいたコンピューターの計算結果をただ実行するという、非常に非人間的で冷たい合理的判断を表わしている。

コインを投げて、2分の1の確率で命を助け、2分の1の確率で、命を奪うというのも、人間的に判断を下したというのでなく、数学的な処理である。

そうした数学的な処理の過程で、生きた現実の人間などはどうでもよく、生きた人間の必要に対する感受性や共感などを失っているのである。



シガーのコイン投げはそのようなアメリカの理性主義の成れの果ての究極を描いたものである。

話が少し脱線したので、竹中平蔵に話を戻すと、彼は渡米して、アメリカの理性主義、市場原理主義に染まって、この映画でシガーが示したようなコイン投げを日本で行って見せたのである。

それで倒産しつつある企業をみながら市場原理によって淘汰されることで真の構造改革がもたらされるなどと、彼の頭の中にある理屈を押し通したのである。

これは銀行家に見られる思考方法で、福井俊彦が日銀総裁だった在任中に失業率は8%ぐらいに抑えるべきだと発言したことがあるらしく、逆に言えば、8%の人は失業しても仕方がないという考えを披露したのであるが、銀行家は象牙の塔に君臨して、現場で失業している人の姿は見えないで、ただ政策金利○%とか数字でしか考えていないので、そのようになるのであるが、この数字の微調整で、失業者が増えたり、減ったりするという意味において、見た目は暴力的に見えなくても隠された形で、巨大な権力を振るうことの可能な立場である。

竹中平蔵はアメリカに顕現する理性という名の宗教に完全に染まってきたようである。
彼の頭の中は、マクロ経済理論と数字でいっぱいであり、フリードマンの全てを民営化すれば市場が全て解決するという信念で固まっている。


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彼のチャートのグルチャンダラヨーガが彼の行動にどのようにして表れたのかという手がかりが、wikipediaの中に示されている。

博士取得まで

1973年、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。1977年、同設備投資研究所勤務、1981年、ハーバード大学、ペンシルベニア大学客員研究員。ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。1982年、大蔵省財政金融研究室(後の大蔵省財政金融研究所)に出向し、次席主任研究官となる。当初2年の予定だったが、行動力がありローレンス・サマーズやジェフリー・サックスの知り合いだった竹中を気に入った長富祐一郎次長(元大平正芳総理大臣首席補佐官)の希望で、5年間研究官を務める。長富は、日本開発銀行から研究所への移籍もすすめたが、断る。 同研究所在籍中の1984年には留学中の研究成果をまとめた『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)と題す著作でサントリー学芸賞を受賞(ただし佐々木実『竹中平蔵 仮面の野望(前編)』(月刊現代2005年12月号)では当時の設備投資銀行の同僚の鈴木和志氏(現在明治大)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大)の実証分析の結果を無断で使用していた事実が指摘されている)。当時の同研究所は、上司として次長(当時)の長富祐一郎や筆頭主任研究官(当時)の吉田和男が、同僚として植田和男、高橋洋一がいた創設期の黄金時代であった。 本間正明の誘いで、1987年、大阪大学経済学部助教授に就任。以降研究者としての道を歩む。しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会での審査に不合格となる。この教授会の決定について、竹中の指導教官であった山澤逸平(一橋大学名誉教授)は、一橋大の失態であると後年述べている。1994年、大阪大学にて博士(経済学)を取得(論文名『日本経済の国際化と企業投資』)。

住民税の納付

1993年から1996年の4年間にわたって、日本と米国に住民票を移動させることによりこの間日本国内で住民税を払っていないのは脱法行為ではないかとの疑惑が写真週刊誌『フライデー』で報じられた。この問題を国会で追及された際、竹中はその期間に関しては、アメリカでの所得は原則として得ていなかったが、同国で地方税(住民税)を払っていたこと、日本では慶應義塾大学の助教授として毎年の春期講座に対する給料を受け取っていたことなどを明らかにした。

竹中は住民税脱税疑惑報道をした『フライデー』を発行する講談社に対し、名誉毀損を理由に損害賠償等請求訴訟を起こした。2006年2月23日、最高裁判所は講談社側の上告を棄却し、講談社側の敗訴が確定した。法学者の北野弘久(日本大学名誉教授)は判決に問題があり、住民税脱税犯(地方税法324条1項)における偽計行為に該当すると断じている。


郵政民営化広報チラシ問題

2005年、内閣広報室が郵政民営化をアピールするための『郵政民営化ってそうだったんだ』という折り込みチラシの発注に関し、竹中の口利きがあったのではという疑惑が持ち上がった。設立して1年にもならず実績もない有限会社(社員が二人)に1億5千万円(チラシ1500万枚)もの巨額の発注を出したこと、その会社の社長は竹中の政務秘書官と親しい間柄であり、かつ会計法により160万円以上の広報、印刷物などは一般競争入札を法的に義務づけられているのにもかかわらず随意契約で作られたことなどの問題点が指摘された。竹中は秘書官に同社の社長とは面識はあるが利害関係はないことを確認したとし、契約の経緯については決裁権者でないので、詳細は知らないと説明した。また、契約も配布先も決まっていない段階で仕事が進められていたことや、登記簿を調べないで契約していたことなどが明らかにされた。また、広報の作成並びに契約等々の経緯についての政府参考人の答弁や説明において意図的な資料の改ざんがあったのではという疑惑を持たれたことに対し、内閣官房長官の細田博之が謝罪した。竹中も大臣として謝罪を求められたが、個別の契約行為は自分の所管外だとして謝罪しなかった。また、この契約が会計法違反だという指摘に対しても所管外だとして、「答弁はする資格がない」として回答を避けた。また、契約についての想定問答集やIQ(知能指数)の低い層にターゲットを絞った広報戦略を示した同社の資料についても承知してないと述べた。


ミサワホーム売却問題

ミサワホームが産業再生機構を経てトヨタ自動車に売却される過程で、竹中らによる「公権濫用」があったと指摘されている。
2004年12月28日、ミサワホームが経営不振から産業再生機構の管理下におかれ、翌年3月31日、トヨタ自動車がミサワホームのスポンサーになることが決定した。このミサワホーム売却を巡り、ミサワホーム創業者の三澤千代治側が竹中を警視庁に刑事告発した。


2002年5月、竹中平蔵(当時内閣府特命担当大臣(金融担当))の兄にあたる竹中宣雄(当時ミサワホーム東京社長)が「弟の平蔵と話しているのだが、(産業)再生機構を活用したらどうか」と三澤千代治(当時ミサワホーム会長)に提案した。三澤はその提案を拒否したが、その後ミサワホームの経営状況は悪化の一途を辿り、不良債権化の懸念が強まった。2003年10月、竹中宣雄が「弟から電話があった。トヨタの奥田会長と会ってほしい」と三澤に再度要請した。くわえて、会談の前日には平蔵自らが三澤に日時の確認を行っていた。

これらの行為に対し、三澤は「国務大臣としての職務を逸脱した一企業への圧力であり、職権濫用にあたる」と主張し、刑法193条に基づき「公務員職権濫用罪」容疑で警視庁に刑事告発した。竹中側は「適正な職務執行であり、職権濫用ではない」と反論しており、三澤の主張を否定している。国会審議でも竹中の言動について取り上げられたが、竹中自身は指摘された事実はないとして、三澤側の主張に反論している。


共同研究

2005年、『月刊現代』は竹中の処女作『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)の内容は「設備投資研究所」時代の同僚との共同研究の成果であり、その同僚は自分単独の名前で発表したいとの竹中からの申し出を断っていたのに、勝手に竹中の単独の著書として出版されたことにショックを受けたことなどを報じた。


不祥事

国民年金保険料の未納
2004年4月28日、国民年金の保険料を支払っていなかったことが発覚した。小泉政権では、同問題の責任を取り福田康夫が内閣官房長官を辞任したが、竹中は内閣府特命担当大臣を辞任せず直後に参議院議員に立候補した。なお、一般市民により国民年金法違反容疑で大阪地方検察庁堺支部に告発されている。
wikipediaより引用抜粋

この中で、注目すべきなのは、海外生活中の税金逃れであり、これは欧米の国際金融エリートが、タックスヘイブン地域に拠点を移して、税金の支払いを免れたりする国際主義者によく見られる動きである。

またミサワホーム売却における職権の乱用などが見られ、三澤千代治氏に刑事告発されているところなど穏やかでない様子である。

政治家の口利きなどはよくあることであるが、その場合でも、普通、政治家は地元の人に便宜を図ったことで、地元の人からは感謝されていて、自民党の田中角栄の経世会人脈に見られたように地元の人や自分の子分たちの面倒をみて慕われたりしていたのが普通である。それが自民党の金権政治として汚職と評価されもしたが、それがこの日本の伝統社会で行われてきた慣行である。

然し、竹中平蔵の場合、法学者の北野弘久氏から住民税脱税犯(地方税法324条1項)における偽計行為に該当すると断じられていたり、三澤千代治氏から警視庁に刑事告発されていたり、一般市民により国民年金法違反容疑で大阪地方検察庁堺支部に告発されていたり、「設備投資研究所」時代の同僚との共同研究の内容を、竹中平蔵が自分単独の名前で出版したいとの申し出を断ったのに勝手に出版したとして、元同僚からショックを受けたと批判されていたりなど、人から恨まれることが多いのである。

単に職権乱用をしたり、違法行為をしたということ以上に人から恨まれていることがポイントである。

田中角栄が国民から慕われていたのとは対照的である。

これがおそらくグルチャンダラヨーガの恩知らずで尊敬されない特徴としてよく表れているようである。

法律で裁かれなくても、彼と関わった人々が直感的、経験的に彼の行為に判定を下していることが分かる。

最後にチャートの特徴をもう少し見ていくと、月をラグナとすると、3室に9室支配の太陽、7、10室支配の水星、1、4室支配の木星、ラーフが在住しており、1−7、1−9、1−10、4−9、7−9、9−10などの多くのラージャヨーガを3室に形成して、出版関係で成功することを表わしている。

但し、ラーフも在住しているため、共同で研究していた同僚の実証分析のデータを無断で使用したり、 同僚の同意を得ないで、共同研究を単独で、出版してしまったりと、かなり手段を選ばずに強引な面が見られる。

月から見た10室に土星が在住し、4室に火星が在住しているが、ケンドラの4−10室の軸に土星と火星が絡んでおり、さらに土星は4室と7室にもアスペクトしている。

このケンドラの強力な4室と10室の軸に土星と火星が絡んでいることは、大舞台で活躍して大きな物事を動かす力があるが、それによって問題も生じる配置である。

特に10室に在住する土星が大舞台にたつと同時に悪名も轟かしたり、地位が転落するということも示しているかもしれない。それはアドルフヒトラーの10室に在住する土星から推測される。

またナヴァムシャを見ると、太陽が土星と接合し、火星からアスペクトされていることが分かるが、太陽は自信、プライド、社会的地位を表わしており、その太陽が激しく傷ついている。

従って、人から批判を受けたり、社会的地位に傷がつくことを表わしている。

米国で、サブプライムショックで、経済が低迷し、規制のない金融業界がリスクのある金融商品を世界中にばら撒いたことが世界経済に大きなダメージを与えていることを目前にして、近年、行われてきた経済政策についても冷静に振り返ることが可能になり、市場原理主義者への批判と懐疑の目が向けられている。

彼もその批判を受ける立場であり、ナヴァムシャで土星と接合し、火星からアスペクトする太陽は、後から批判を受けて、地位が揺らぐことを表わしている。それは潜在しており、後から浮上して来るのである。


(参考文献、資料)

wikipedia 竹中平蔵

副島隆彦 学問道場