2009/6/28 人類の真の歴史について 2
魚座と水瓶座の対立・葛藤から見えてくる西洋史
前回、2009/3/7付の占星コラム『人類の真の歴史』で、アリスベイリーの著作の中から引用抜粋し、
1850万年前からの人類の進化の歩みについて整理したのである。
今回は2000年前に春分点が魚座に入室してキリスト教が全盛となった時代から、
徐々に水瓶座に春分点が移動することにより、 哲学、思想、文化上に生じた西洋史における変化について、
最近読んだ著作などを引用しつつ、整理してみたのである。
西洋文化における魚座を表すものと、水瓶座を表すものを対比させて表1と表2に示してある。
(本文中最後の資料参照)
魚座から水瓶座への春分点の移動によって地球上の文明、文化に生じた変化という観点で見ると、
西洋史の個々にバラバラに思えた歴史的出来事が全て一つの大きなテーマによって貫かれていたことが理解できるのである。
政治家でも文化人でも各時代を代表する天才や偉人などは皆、星座のエネルギーの媒介として、一つの時代精神を体現するのである。
西洋史で特筆すべきは、キリスト教というものが魚座の時代とほぼ同時に始まった魚座時代の宗教であるということである。
それは献身、自己犠牲、隣人愛などを説く宗教である。
キリスト教は弾圧を受けたものの、拡大していき、ローマの国教となり、ローマ帝国に取り込まれたのである。
それにより、ローマカトリックが組織として絶大な力を持ち、 ローマ帝国崩壊後、ローマ教皇が各地の諸侯、国王よりも権力を持つ、暗黒時代がおとずれたのである。
この段階で既にイエスの教えからは乖離して教会という組織が重要になってしまっている。
魚座の負の側面である、分派主義や自分の組織に対する献身などによって、硬直したローマカトリック教会の支配体制が確立されたのである。
献身とは自分の属する組織や理想に対する献身のため、同じ神を信奉するイスラム教と対立し、聖地を巡る十字軍遠征などとして表現されることになっている。
その中世では迷信がはびこり、大衆は無知で、読み書きができず、考えることも出来ないので、各地の教会の神父に完全に支配されたのである。
この時代の大衆は個人というよりも群れに近かったとされている。
後に教会が認める天動説に逆らい地動説を提唱したガリレオ=ガリレイを異端審問して、地動説を捨てさせるなどのことを行っている。
そして、この時代の学問とはスコラ学であり、一般的、普遍的な前提から、より個別的、特殊的な結論を得る推論方法である演繹法が用いられた。
それは聖書の記述を普遍的前提とする学問方法であり、スコラ哲学はキリスト教の教義を哲学的に体系化するものだった。
事実や経験は重視されず、普遍的なテキスト(聖書)を演繹して、全てを解釈する方法がとられたのである。
そして、このキリスト教の神が創りだした自然の摂理に従わべきであるとする自然法思想が出現している。
この自然法は、結婚は男性と女性で行われるように神が創ったのであるとして、同性愛を禁止したり、
神の意志で授かった子供を堕ろすことは自然の摂理に従っていないとして、堕胎を禁止したりといった形で、表現されるのである。
これは現在では、アメリカのキリスト教原理主義者たちの間で頑なにこの自然法の考え方を保持しているのが見られるのである。
こうした中世の暗黒時代のキリスト教、スコラ学、自然法などに代わって西洋で始まったのが、
ルネッサンスであり、キリスト教以前の学問(ギリシャ文化)に立ち返り、キリスト教の影響から自由になって、 人間や自然を探求しようとする哲学、思想、芸術上の動きである。
この動きがまさに水瓶座のエネルギーの刺激によって起こったと考えられるのである。
このルネッサンスの時にロジャーベーコンが理論だけでなく実験観察を重視したため、近代科学の先駆者として評価されている。
そして、後に地動説を唱えたガリレオ=ガリレイと同時代人であるフランシスベーコンは「知は力なり」と唱えて、スコラ学的な議論のように一般原理から結論を導く、演繹法よりも、現実の観察や実験を重んじる帰納法を主張し、近代合理主義への道を開いたのである。
つまり近代科学とは、普遍的なテキスト(聖書 etc)の前提から演繹するスコラ学の手法との決別であり、実験や観察など個々の事実を重視することなのである。
ここで学問の探求方法におけるコペルニクス的転回が見られるのである。
また、これは神の倫理や道徳よりも人間の欲求や認識、判断(理性)が重要になったことを意味している。
こうした動きは、イギリス経験論に属し、ベンサムの功利主義などもこうした流れに位置している。
ベンサムは「正しい行為や政策は”最大多数の最大幸福”をもたらすもの」として自然法を批判したのである。
つまり、法とは人間が世界の中での事実や経験から判断して、多くの人を幸せにするために人間自身の必要に基づいて作成するものなのである。
あらかじめ神から(自然の摂理として)与えられたとされる法を重んじる必要はないとする人間中心の思想である。
こうした人間の必要に基づいて作られる法が自然法に対して、実定法と呼ばれている。
ピューリタン信仰者であったジョン・ロックは、利子率論争で自由放任を主張し、また人間の全ての知識は我々の経験の結果であるとする哲学上、または心理学上の立場(「人間は生まれたときは白紙である」)を主張している。
このロックの思想の中にも後の自由主義経済の市場原理主義の考え方や、教会の権威を否定して、人間を重視する立場、あるいは神から与えられる倫理などの前提を否定し、人間は自分自身の経験と理性によって、自分で判断できるとする人間中心の思想が見られるのである。
このようなイギリス経験論の流れとは別にそれとは一定の距離を置きながら、経験論を補うものとして、大陸合理論が生じている。
この代表者はルネ・デカルトであり、西洋科学史では「方法序説」により自然科学の方法論を確立した人物とされている。
心身二元論を唱え、精神界と物質界を区別したことで、それまで母なる大地であった自然を切り刻み、開発することが可能になったとしばしば解説される。
デカルトによる真理探究の方法は、理性の能力を用いた内省・反省を通じて原理を捉え、そこからあらゆる法則を演繹するというものである。
然し、これは演繹と言ってもスコラ学とは全く別物であり、理性の能力によって捉えられた原理を演繹するのであり、キリスト教の普遍的前提が重要なのではなく、理性の能力を重視しているのである。
従って、大陸合理論はイギリス経験論を補うものである。
個別的事実や経験から導き出された一般法則、普遍法則を、大陸合理論が重視する理性の能力によって演繹していくのである。
「我思う、ゆえに我あり(Jepense,donc je suis. )」という第一原理も結局は経験なのである。
経験と理性を使って、第一原理に辿り着いたということである。
従って、イギリス経験論と大陸合理論は相補うものであり、人間中心の思想であり、神を前提とするスコラ哲学と対立するのである。
大陸合理論に脱線したが、イギリス経験論の思想は、その後、アメリカでは、プラグマティズム(実利主義、実際主義)となり、
アメリカのビジネスや政治、社会についての見方として広く一般化し、20世紀初頭のアメリカ思想の主流となったようである。
行動主義心理学や統計学、工学などにおいてこの思想が顕著であると言われる。
数学者のジョン・ナッシュ(ランド研究所)のゲーム理論や計量経済学などは、アメリカの軍事戦略上の目的を推進したり、発展途上国に米国の巨大多国籍企業にインフラを開発させるために説得するための理論であり、ついにイギリス経験論はアメリカに渡って、米国の帝国主義を推進するための実利的な学問と化したようである。理性が善意や魂に仕えずに欲望に仕えているのである。
地政学も軍事戦略上で応用するための学問であり、またミルトン・フリードマンらの市場原理主義、新自由主義も、金持ちにより稼がせて弱者から搾り取るための学問である。
実際には、金持ちを富ませ、彼らがお金を使うことによって貧乏人はそのおこぼれにあずかれるという彼らの予見が全く外れているのである。
「人間は生まれたときは白紙である」というジョンロックの思想(イギリス経験論)は、人間が弱肉強食の世界観を培い、際限ない欲望と貪欲が、理性と結びついた時に、破壊的な力を発揮することを示している。
理性は善意や魂の道具とならなければならないのである。
西洋史において、魚座から水瓶座に春分点が移動していく過程で、キリスト教の道徳や盲目や迷信から自由になると同時に、人間の理性は道に迷う自由も手にしたのである。
然し、この理性は人間の未来を築くために重要である。
人間の未来は、イギリス経験論や大陸合理論によって示された科学的合理主義や理性の中にあるのである。
その理性によってもたらされるのが水瓶座の時代である。
然し、現在、水瓶座の時代を築く過程で、理性は欲望や悪にも仕えており、理性だけでは万能とは言えないのである。
理性が魂(真、善、美)に仕えないと危険なのである。
あるいは理性が愛や隣人愛で表現されたり、個人でなく共同体全体の利益に仕えないと危険である。
そのためには世界の歴史というものは神が物質に降下して霊に帰還する過程であり、それが創造として表れていることを哲学としてではなく、事実として知ること、あるいは、魂という形而上の存在やエネルギーに接触して、それを引き出す心理学が必要である。
現状の理性が扱える範囲を形而上の世界に拡大できたときに問題は解決されるのである。
輪廻転生やカルマの法則、惑星や星座の影響というものもその形而上の存在の一端であり、ジョーティッシュが果たす役割もその分野である。
陰謀論、イルミナティ、フリーメーソン
このように西洋の歴史が魚座と水瓶座の葛藤として現れているということを示してきたが、
哲学、思想、文化上の動きとしては、まずルネッサンスがあり、イギリス経験論、大陸合理論などの科学的合理主義が誕生し、
同時にこの時期に宗教改革も起こり、ローマカトリックの支配に対して、プロテスタントが反抗するのである。
そして科学的合理主義で近代科学が誕生し、熱力学の成果として蒸気機関が発明され、産業革命が起こり、
お金儲けが上手い、銀行家や経営者が台頭して金融資本や産業資本を形成するのである。
こうしたブルジョワジーが労働者と共に教会関係者や世襲の王侯貴族を打倒したのが、
アメリカ独立革命やフランス革命であると言われている。
従って、西洋史の中で起こっている全てのことが常に魚座と水瓶座の対立・葛藤の表現なのである。
そして、1694年にイングランド銀行が世界で最初につくられ、ヨーロッパの銀行業は、既にロスチャイルドらユダヤ人を中心として行われていたが、
中央銀行による国際銀行ネットワークが世界に広がって君臨し始めた頃がこの頃である。
産業革命とともに銀行家が台頭し、水瓶座が力をますます増しているのが分かるのである。
そして、そんな中で、1800年代に、ドイツにアダムヴァイスハウプトが登場するのである。
ドイツの哲学者でイルミナティの創設者である。
そのアダムヴァイスハウプトが以下のように述べたという。
「理性が人間の唯一の法典となるだろう。このことが私たちのもっとも大きな秘密のひとつである。
ついに理性が人間の宗教となるときにそのときに問題が解決するだろう」
理性を信奉し、それがあらゆる問題を解決する唯一の法典であるとする極端な思想の持ち主である。
このアダムヴァイスハウプトはロスチャイルドら国際ユダヤの巨頭たちの指示で イルミナティを創設したそうである。
最近、上映されているトムハンクス主演の話題作『天使と悪魔』にイルミナティが登場しており、ローマカトリック教会との闘争が描かれているが、
ローマカトリック教会とイルミナティの闘争とは、魚座のエネルギーと水瓶座のエネルギーの対立・葛藤を表したものである。
アメリカ独立革命戦争と、フランス革命はフリーメーソン・イルミナティの革命であり、彼らが裏で暗躍したと言われている。
キリスト教や世襲の王侯貴族の支配を打倒し、理性の光で、迷信や無知の暗闇を打倒しようとする過激な理性主義者たちである。
言うなれば(キリスト教原理主義に対比させて)、急進的な理性原理主義者ということができるかもしれない。
アメリカ南北戦争の英雄アルバート・パイクもイルミナティ最高幹部の一人で、世界政府を目指していたことが知られている。
イルミナティは水瓶座の象意の中でも最も急進的で過激なグループであり、目的の為には手段を選ばないのである。
その為、フランス革命が成立した時にフランス国内の多くの教会の施設が破壊され、
”理性の祭典”を催して、キリスト教の神にかわる新しい理性の神を発明することが模索されたのである。
イルミナティが現在に存続しているかはともかく、その精神は現在に受け継がれており、
現在の多国籍企業や王室関係者、国際銀行家などのグローバルエリートは 新世界秩序(ニューワールドオーダー)を目指している。
国際主義、グローバリゼーション、新世界秩序には善い意図のものと悪い意図のものがある
ところで、この新世界秩序(ニューワールドオーダー)というのは、陰謀論の用語である。
この陰謀論(conspiracy theory)は元々はキャロル・キグリー博士の『悲劇と希望(Tragedy and Hope)』から来ているそうである。
国際銀行家が経済的、政治的に世界を支配する体制(新世界秩序)を構築しようとする陰謀について告発している本であるという。
陰謀論の中では、新世界秩序(ニューワールドオーダー)はプラトンの『国家』で描かれたような少数の哲人(エリート)によって階層秩序で大衆を管理する社会である。
それで一部の哲人(エリート)とは、多国籍企業の経営者や王族や貴族、国際銀行家などのグローバルエリートを指しており、彼らが一般大衆を家畜のように管理する社会だとされる。
新自由主義によって支配者階級(エスタブリッシュメント)が一般大衆のいのちを搾り取り、経営者と労働者の賃金格差が400倍にもなるような貧富の差が生まれた過酷なアメリカ社会を見るにつけて、新世界秩序を目指すエリートたちが善い意図を持っているとはとても思えないのである。
従って、各国の愛国者、民族主義者はこのグローバルエリートたちの国際主義、グローバリゼーションを警戒し、監視するのである。
グローバリゼーションとは彼らグローバルエリートが政治的経済的支配体制に各国を組み込むための侵略行為であると認定しているからである。
然し、このグローバリゼーションという時に金融業におけるグローバリゼーションは確かに貪欲な金融資本家たちに悪用され、彼らの経済的支配を推進していると言えるかもしれないが、グローバリゼーションというのは人道部門においても行われているのである。
世界の貧困とか環境問題などはグローバルな非政府組織(NGO)にいる人々による国際規模の活動によって改善の努力が重ねられている。
この第三セクターと呼ばれる部門の発展による成果には大きなものがあり、これら人道部門の発展と活躍がなければ地球が抱える問題の改善は難しいのである。グローバリゼーションは必ずしも悪いものばかりではないことも銘記すべきである。
然し、グローバリゼーションを盲目的に受け入れるべきでもなく、善いものと悪いものの識別が必要である。
水瓶座のエネルギーが強くなるに従って、 この善い意図のグローバリゼーションと悪い意図のグローバリゼーションの二つが活性化し、勢力を拡大している状況である。
新世界秩序とは本当は世界政府を作り、戦争を過去のものにして世界の資源を分かち合う仕組みである
この新世界秩序(ニューワールドオーダー)という用語は、アリスベイリーの著作の中にも出てくるのである。
アリスベイリーは、1919年からブラヴァツキー夫人やヘレナ・レーリッヒに続いて、ハイアラキーの覚者方から提供された教えを筆記して普及に努めた女性である。もともとは神智学協会で学んで後にルーシストラストを設立して、覚者の教え(不朽の知恵の教え)を普及させる啓蒙活動に没頭している。
このアリスベイリーがジュワルクール覚者の依頼で筆記した「ハイアラキーの外的顕現」(『The Externalization of the
Hierarchy』 1957) (AABライブラリー)の中には”新世界秩序(New World Order)"という用語が実に何十回も登場するのである。
然し、この”新世界秩序”は陰謀論で使われている用語とは全く意味が異なるのである。
この場合の新世界秩序とは、世界資源を分かち合い、各国がそれぞれの独自の文化や社会機構を維持しながら協力し平和に統合して生きる社会を指している。
このアリスベイリーの「ハイアラキーの外的顕現」(AABライブラリー)のp.249〜252に新しい世界秩序(New World Order)に関するジュワルクール覚者の見解が掲載されている。(文末の資料参照)
この記述を見れば、ジュワルクール覚者がアリスベイリーを通じて示した”新世界秩序”のビジョンは、陰謀論で、誤解され、曲解された、おどろおどろしい管理と隷属の社会でないことは直ぐに分かるのである。
従って、”新世界秩序”という言葉は使い方によって善くも悪くもどのようにも取れる一般的な言葉である。
”グローバリゼーション(Globalization)”という言葉に肯定的な意味と否定的な意味があるのと同じである。
光の勢力である霊ハイアラキーの覚者方が示す”新世界秩序”というのは、人類にとって明るい未来を示す希望の計画である。
この辺り、右翼思想家や民族主義者が陥りがちな誤解が生じやすい部分であり、今回、示した解説によって、その誤解を解いておきたいと思うのである。
これから世界教師マイトレーヤ=キリストとハイアラキーの覚者方が人類社会の前面に出てきて、 公に活動を始めるが、彼らは長い輪廻の中で人間としての進化の旅路を終えて大悟して覚者となった方々であり、長い間、人類の背後にあって、慈悲深く、人類を見守り、援助してきた方々である。
彼らは意志と愛と知性を完成させ、もはや転生する必要がないほどにまで進化して、人類の進歩や教育、福祉に関心を持つ方々である。
そのような覚者方が人類を家畜のように扱うはずがないのである。
またマイトレーヤと覚者方は、ロスチャイルドが用意した偽の救世主や預言者あるいは、アンチキリストでもないのである。
右翼や民族主義者たちは、世界教師マイトレーヤのことをユダヤの陰謀のための偽のキリストとして警戒している人もいるかもしれないが、全くの誤解であり、間違った考えである。
彼らは国際銀行家たち、グローバルエリートによって、準備された偽者ではなく、また傀儡でもない。
この辺りも、ネット上で、そのような誤解をしている言論がいくつか見られたため、それも訂正しておきたいと思うのである。
世界教師マイトレーヤ=キリストは、むしろ、彼らグローバルエリートの怠慢や不正に断固として反対する方である。
また人類一般大衆が不正に対して、声を上げることを鼓舞する方々である。
彼ら我々人類の教師たちが人類社会の前面に出て来る時、おそらくそのような誤解や警戒は全くの間違いであったことに気づくのである。
世界教師マイトレーヤ=キリストは、世界の一般大衆の声を代弁する地球家族の民族主義者であり、我々人類の代理人として、世界の貪欲なグローバルエリートに対して我々一般人類が権利を主張し、政府の不正に声を上げることを鼓舞する支援者である。
彼の姿を見るときに我々の全てが彼と協力し、そして新しい時代を開くために共に仕事をするのは確実である。
光の覚者方と物質性の大主方の戦いはハイアラキー内部のお家騒動である
人類の1850万年前からの進化の旅路において、世界教師マイトレーヤは、アトランティス時代の中頃に高度に進化して(第三段階のイニシェーションを受けて)、その後、覚者となり、現在はキリストという役職に就いて、人類を舞台の背後から教え導いている。
この太古の時代に覚者方に背いて、イニシェートの法則から離脱した人々がいたのである。
それが黒魔術の起源であり、物質性の大主方(ブラックロッジ)が出現してきた背景である。
(これについては『人類の真の歴史について』にも記述してあります)
そしてアトランティス時代の末期に光の覚者方と物質性の大主方の両陣営の対立が激しくなり、戦争となって、それでアトランティス文明は滅んだのである。
その文明崩壊は旧約聖書や世界各地の宗教に”大洪水”として記述されている。(※旧約聖書のノアの箱舟の物語である)
それでアトランティス文明崩壊後は、光の覚者方は世界の高山脈や砂漠地帯などの隠遁地から人類を見守り、教え導くことで現在に至っている。
そして今、10万年ぶりに覚者方が人類社会の公に戻ろうとしているのである。
現在社会で世界の支配者階級となっている多国籍企業の経営者や王族、貴族や国際銀行家などのグローバルエリートは富の中に安住し、貪りの中にいて、自己満足して惰性に陥っており、むしろ、物質性の大主方に影響され、囚われている人々であると言えるかもしれない。
グローバルエリートの頭の中にある新世界秩序=世界政府というものと、覚者方が計画する世界資源を分かち合う、新世界秩序=世界政府の間には似た部分もあるが、その動機や本質的な内容において大きな隔たりがあるのである。
世界教師マイトレーヤと覚者方は、世界の飢えと貧困を終わらせて、誰も飢えることのない、全ての人類に住まいと、食料と、健康管理と教育が基本的な人権として提供される社会の実現に優先事項として取り組むのである。
そうした仕事をすすめるために、20世紀に入ってから世界奉仕者の新団体が結成され、その人々が新しい水瓶座の時代の表現に見合う、政治、経済、教育など、様々な分野における実際的な仕事(改革)を行っているという。
おそらく、人道部門ではグローバルな非政府組織(NGO)や非営利組織(NPO)などで教育、環境、福祉などの分野において、そうしたグループの立ち上げや経営に携わるレベルで働いている人々がそうした世界奉仕者の新団体の人々に該当すると思われる。
世界教師マイトレーヤが公に姿を表して、権利を求める大衆を鼓舞することで、グローバルエリートが惰性的に保持して既得権益を守ろうと意図する、新世界秩序=世界政府の計画が、大衆の要求に妥協して変更せざるを得なくなり、最終的に彼らの権限は縮小し、既得権益は手放さざるを得なくなり、計画は、ハイアラキーの覚者方の分かち合いの計画に近づいていくことになる。
物質性の大主≒グローバルエリートがすすめてきた新世界秩序=世界政府の計画は、こうしてその最後の段階になって、光の覚者方の公への顕現と大衆の奮起によって精神的な善い意図に基づくものに変えられるのである。
以上が、今までに読んだ書籍から、引用、抜粋した情報を整理して、自分の解釈を加えて、まとめたものである。
(資料)
魚座から水瓶座へ
新しい世界秩序にむけてのステップ
全体主義的な世界秩序と対比して、世界の他の国々はどのような計画を立てるべきであろうか。民主主義諸国は、どのような世界目標を目指して活動すべきであろうか。ユートピア構想、理想的な統治形態、文化的な生活過程は、何世紀もの間ずっと人間のマインドの玩具であった。しかし、こうしたユートピアはとても実現できそうにないものであったため、そのような提示は無駄であるように思える。そのほとんどは全く非現実的なものである。
しかし、人類に善をなさんという明確な意志と忍耐心があれば、いくつかの当面可能なことや達成可能な目標を実現することはできる。
新しい世界秩序を計画するあらゆる努力の背後には、いくつかの主要かつ霊的な前提がなければならない。その一部を列挙したい。
1.新しい世界秩序は、当面の必要を満たすものでなければならない。それは遠い未来の理想主義的なヴィジョンを満たそうという試みであってはならない。
2.新しい世界秩序は、壊滅的な危機を切り抜けた世界にふさわしく、その体験によってひどく打ちのめされた人類にふさわしいものでなければならない。
3.新しい世界秩序は、回復と復興と再建の時期を経た後に初めて実現可能になる、将来の世界秩序の礎を築かなければならない。
4.新しい世界秩序は、すべての人が起源と目的地においては平等であるが、異なった進化段階にいるという認識に基づくと共に、指導者としての適否は、個人の統合性、知性、ヴィジョン、経験、加えて、善意が顕著であるということによって決められるべきであるという認識に基づくであろう。ロシアのような、労働者階級による貴族階級とブルジョア階級の支配、最近までイギリスに見られたような、強固に身を固めた貴族階級による労働者階級と中産階級の支配は消え去らなければならない。資本による労働者の支配や労働者による資本の支配もなくならなければならない。
5.新しい世界秩序において、国の統治機関を構成する人々は、最大多数の最大幸福のために働くと共に、個人の自由が守られるように配慮しつつ、すべての人に機会を提供する人々でなければならない。今日、ヴィジョンを持った人々が認められるようになってきており、そのため、指導者たちを正しく選出することが可能になっている。これは今世紀[二十世紀]まで可能ではなかった。
6.新しい世界秩序は、積極的な責任感に基づいて築かれるであろう。「皆は一人のために、一人は皆のために」がルールになるであろう。国家間でこうした態度を培っていかなければならない。それはまだ存在しない。
7.新しい世界秩序において、画一的な統治形態、合成的な宗教、標準化のシステムが国々に強制されることはないであろう。各国の主権が尊重され、その独特な才能、独自の傾向、民族の特質を十分に表現することが認められるであろう。統一を生み出そうという試みは、ただ一つの分野だけで行なわれるべきである。それは教育の分野になるであろう。
8.新しい世界秩序において、世界の産物、地球の天然資源と富は、一国だけのものではなく、すべての国が分かち合うべきものと認識されるであろう。「持てる国」の範疇に入る国はなくなり、逆の範疇に入る国もなくなるであろう。各国の必要、国内の資源、自国民の要求に基づいて、世界の小麦、石油、鉱物資源を公正かつ適切に分配する組織的な方法が開発されるであろう。これはすべて、全体を視野に入れて実施されるであろう。
9.新しい世界秩序に向けた準備期間において、統制された着実な軍縮が行なわれるであろう。選択の自由は与えられないであろう。破壊的な目的のために武器を製造し準備したり、他国の安全を脅かしたりすることは、どの国にも許されないであろう。将来の平和会議でまず最初に取り組むべきことの一つは、この問題を規制し、各国の軍縮を徐々に実施することである。
こうした簡潔で一般的な前提に立って、新しい世界秩序はその活動を開始しなければならない。こうした予備段階は流動的で実験的なものに保たれなければならない。可能性についてのヴィジョンを決して失ってはならず、基盤が侵されることがあってはならないが、中間の過程や実験は、有機体の生命を維持しつつ組織の細部を変更することのできる、全体の最大の利益を常に心に留めている人々によって推進されなければならない。
(『ハイアラキーの外的顕現』p.249〜252より引用抜粋)
経済問題
この問題は基本的に、遥かに解決が容易である。健全な常識によって解決できるからである。人類の生活を維持する資源は十分にあり、科学の力でこうした資源を増大させ、開発することができる。世界の鉱物資源、石油、農作物、動物王国の寄与、海の幸、果物、花々などすべてが、人類に自らを差し出している。人類はそのすべての管理者である。それらは皆のものであり、一つの集団や一つの国家や一つの財産ではない。(この高速輸送の時代に)食べ物が腐り、廃棄される一方、大勢の人々が飢えているのは、ひとえに人間の利己主義のせいである。地球の資源が何らかの賢明な分配システムのもとであまねく行き渡っていないのは、ひとえに人間が作り上げた強欲な仕組みや財政的な不正行為のせいである。世界のどこかの地域で生活必需品が不足していることを正当化する言い訳は存在しない。そのような欠乏状態は、近視眼的な政策が行なわれていることや、何らかの理由で必需品の自由な流通が妨げられていることを示している。こうしたあらゆる嘆かわしい状態の元になっているのは国家や集団の利己主義であり、人間が必要とするものを世界の隅々に供給する賢明で公平な仕組みができていないためである。
それでは来たるべき世代に分かち合いの必要性や、あらゆる生活必需品を自由に流通させることの必要性を教える以外に、何を行なわなければならないのであろうか。こうした悪い生き方の原因はとても単純である。それを生み出した原因は、過去の間違った教育方法、競争、無力な弱者が搾取されやすい状況にある。無知な人々に思い込ませようとしている特定の狂信的な観念論者たちほど、このことに責任を負っている集団はない。現代は人類の利己性が最高潮に達している時代であり、人類がそれによって破滅するか、あるいはそれを知的に解消させるかのいずれかである。
贅沢にふける一方で極度の貧困があり、少数の人々がひどく食べ過ぎている一方で大勢の人々が飢え、さらにそれぞれの国で、世界の産物が一握りの人々の管理下に集中しているというこの状況は、次の三つのことを行うことで終わるであろう。第一に、世界には全人口の必要を満たすのに十分な食糧、燃料、石油、鉱物資源があるということを認識すること。したがって、基本的に、分配の仕方が問題なのである。第二に、正しく分配することで十分な供給が行われるようになるというこの前提を受け入れなければならない。そして、人類の健康、安全、幸福になくてはならない物品が入手できるようにならなければならない。第三に経済問題全体と、必要な規則や分配機構の創設は、経済における一種の国際連盟が担当すべきであるという点である。この連盟において、すべての国がそれぞれの役割を担い、(人口や国内資源などに基づいて)自国が必要とするものや、国際社会に寄与できるものを知るであろう。すべての国が、世界全体の福利に貢献しようという意志――おそらく最初は便宜やその国のニーズに基づくであろうが、それが実現したときには建設的なものになる、善をなさんという意志――に鼓舞されるであろう。
いくつかの明白な事実がある。古い秩序は失敗に終わった。世界の資源は利己的な人々の手に落ち、公正な分配は行なわれてこなかった。多すぎるものを持ち、余剰物資を搾取している国もあれば、持つものが少なすぎ、そのため国民生活と財政状況が破綻している国もある。この戦争の終わりには、全ての国が財政的な苦境に立たされるであろう。すべての国が再建を必要とするであろう。すべての国が、地球の将来の経済生活を安定させ、より健全な方針に基づいて調整することに積極的に取り組まなければならなくなるであろう。
この調整期間中には、切実に必要とされる徹底的な変化を達成し、新しい経済秩序を確立する機会が提供される。そうした経済秩序の基盤になるのは、全体に対する各国の貢献、基本的な生活必需品の分かち合い、万人の利益になるようなすべての資源の賢明な共同管理、そして賢明な分配システムである。このような計画は実現可能である。
ここで提示された解決策は、シンプルであるというまさにその理由のために、広く訴えかけることができないかもしれない。このように経済の焦点を変えようとする人々に必要な特質――善をなさんという意志――も、シンプルであるために見過ごされるかもしれない。しかし、シンプルさと善意がなければ、世界大戦後に達成できるものはほとんどない。ヴィジョン、広い心を持った思いやり、専門知識、国際的な関心を持つ人々が、大いに必要とされるであろう。彼らは民衆の信頼も勝ち取らなければならない。彼らは会合をもち、世界に食糧を十分に行き渡らせるための規則を制定しなければならない。各国ができる貢献の性質や範囲を決定し、各国に対して行うべき供給の性質や範囲を定めなければならない。そのようにして、世界の資源が公正に循環する状態を作り出し、人間の利己性と貪欲を相殺する予防措置を講じなければならない。
そのような人々のグループを見つけることができるであろうか。私はできると信じている。人間性を深く学んでいる人々、広い人間的な思いやりを持った科学者、人間の苦痛や困窮という問題に長い間――古い残酷な制度のもとで――取り組んできた良心的な男女が至るところにいるからである。
新しいシンプルな時代が到来しなければならない。新しい世界秩序によって、よりシンプルな生活が始まるであろう。そのような生活は、十分な食糧、正しい思考、創造的な活動、幸福を基盤にするものであり、こうした必要不可欠なものは正しい経済法則のもとでしか可能ではない。このような簡素化や世界の資源の賢明な分配は、上層と下層、富裕者と貧困者の区別なく、すべての人に平等に恩恵をもたらすものでなければならない。
(『ハイアラキーの外的顕現』p.257〜260より引用抜粋)
|
西洋文化における魚座(6光線)と水瓶座(7光線)の対立 - 表1
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6光線 魚座 木星
献身 理想主義 イデオロギー 地域主義 国家主義 民族主義 神秘主義 |
7光線 水瓶座 土星
和合 多様性の中の統合 現実主義 国際主義 科学 |
プラトン(2光線)
イデア・観念実在論 師のソクラテスが6光線
個別の事物の背後には、その本質であるイデア (Idea) =形相(エイドス)が実在する
普遍が存在する 実在論
cf. アンセルムス 聖人、スコラ学の父、『神の存在証明』
トマス・アクィナス 実在論の立場から両者を調停
スコラ哲学
広くキリスト教の教義の哲学的体系化をめざしたものを指す
スコラ学
キリスト教、神学者、哲学者によって確立された学問スタイル
聖書などの著名な学者の記したテキストを題材として選び、そのテキストに関連のある文献を参照し、不調和点や論議の点が抜き出される。聖書であれば、古代から同時代にかけての学者たちによって書かれた
文書と聖書の間の矛盾点、論点がすべてあげられ、偏見なしに考察を行なう。矛盾点や論議となる点が明らかになると、弁証法的に二つの対照的な立場が示され、やがて合意点が見出される。
合意に至るための二つの方法
1.哲学的分析 ・・・ 用語が徹底的に吟味され、筆者の意図する意味が検証される
2.論理の規則に従った理論的分析で矛盾自体を読者の主観として解消してしまう
演繹法
一般的、普遍的な前提から、より個別的、特殊的な結論を得る推論方法
実際的には前提が間違っていたり、適切でない前提が用いられて、誤まった結論が導き出されるケースが多い ・・・ 神を前提とする
自然法
事物の自然本性から導き出されると想定される法
法の源は神か自然か理性
cf. アウグスティヌス ・・・ 古代キリスト教神学者
自然法の法源は神の理性または意思
トマス・アクィナス ・・・ スコラ学の代表的神学者
「神学大全」 実在論の立場
自然法とは宇宙を支配する神の理念たる永久法の一部である
cf. 結婚は普通、雌雄で行われる
→ 同性愛の禁止
→ 堕胎の禁止
イマヌエル・カント 1 7 2 4 - 1 8 0 4 ( 6光線)
ドイツ観念論哲学の祖
スウェーデン・ボルグの「霊視者の夢」(1766)を読んで、霊界は特別な実在的宇宙を構成しており、感性界から区別されなければならない英知界であると述べる。
「純粋理性批判」の前半部は、超越論的演繹論
道徳と宗教と神概念への関心
従来、人間外部の事象、物体について分析を加えるものであった哲学を人間それ自身の探究のために再定義した(「コペルニクス的転回」)
純粋理性、実践理性、判断力、とくに反省的判断力の性質とその限界を考察
(倫理学) カントは、物自体の英知的秩序を支配する法則を人格としての人間が従うべき道徳法則として提出する
「なんじの意志の格率がつねに同時に普遍的立法として妥当するように行為せよ」
(認識論)
理性推理による理念はいわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である神あるいは超越者がその代表例であり、これをカントは物自体と呼ぶ
イギリス経験論を受容
カントにより、経験論と合理主義との総合が行なわれたとされる
(西洋哲学史の一般的な見解)
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アリストテレス(7光線)
形相(エイドス)と質量は分離不可能で、形相は内在的なものであり、実在するのは具体的な個々の個物 である (観念実在論を採用しない)
唯名論 個物しか存在しない
cf. オッカムのウィリアム − 経験論哲学の先駆 ※異端審問のため、当時アヴィニョン(フランス)にあった教皇庁に召還される
アベラール − 普遍論争において異端とされる
ロジャー・ベーコン 1214-1294 (ラコーツィ覚者の前世)
理論だけでなく経験知や実験観察を重視したので近代科学の先駆者といわれる
フランシス・ベーコン 1 5 6 1 - 1 6 2 6 (ラコーツィ覚者の前世)
「知は力なり」という言葉とともに知られる
「ノヴム・オルガヌム」(新機関)
スコラ学的な議論のように一般原理から結論を導く、演繹法よりも、現実の観察や実験を重んじる帰納法を主張し、近代合理主義への道を開いた
イギリス経験論
帰納法
個別的、特殊的な事例から一般的、普遍的な規則を見出そうとする推論方法
経験論
人間の全ての知識は我々の経験の結果であるとする哲学上、または心理学上の立場 cf. ジョン・ロック 「人間は生まれたときは白紙である」
イギリス経験論に属する哲学者
アリストテレス
フランシス・ベーコン
ジョン・ロック
デヴィッド・ヒューム
ジョン・スチュアート・ミル ・・・ ベンサムの功利主義の擁護者
cf. ベンサム
正しい行為や政策は”最大多数の最大幸福”をもたらすものであると論じる 功利主義の立場から自然法を批判的に論じた
功利主義
善悪は社会全体の効用あるいは功利(功利性、公益)・機能(有用性)によって決定されるとする基本的に倫理学上の立場であり、それは法学や政治学でも応用される
⇒近代経済学の基本的立場
実定法
人為により定立された法、又は特定の社会内で実効的に行われている法 自然法と対立する概念
ルネ・デカルト( 5光線)
フランス生まれの哲学者・数学者
方法序説
原題:「理性を正しく導き、もろもろの科学における真理を探究するための方法序説」 有名な命題:「我思う、ゆえに我あり(Je
pense,donc je suis. )」
この命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、信仰のうちに限定してではあれ、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする
⇒ 近代哲学の父
大陸合理主義
17世紀、フランスのデカルトに始まり、オランダのスピノザ、ドイツのライプニッツやヴォルフ、フランスのマールブランシュなどによって継承・展開 ⇔ イギリス経験論と対比される
人間は生得的に理性を与えられ、基本的な観念・概念の一部をもつ、もしくはそれを獲得する能力をもつとする
真理探究の方法は、理性の能力を用いた内省・反省を通じて原理を捉え、そこからあらゆる法則を演繹するもの⇒ 演繹法
※帰納法は当時のスコラ学の演繹法に代わって実際的な経験を重視したが、デカルトから始まった大陸合理主義は主に数学的な能力により進める演繹法であり、スコラ学の演繹法とは違うもの
cf. プラグマティズム |
ジョン・ロック 1632 - 1704
イギリスの哲学者・ピューリタン信仰者
利子率論争で自由放任を主張
王権に対する政治・信教の自由を論じた
1683年に彼が失脚するとオランダに亡命する
cf. 当時、オランダにはユダヤ商人が移り住んで大いに栄えた
日本における長崎の出島貿易
アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与える (認識論)
われわれの心はいわば白紙として生得の観念を有していない。観念の起源は、あくまでも経験であり、この起源は外的な感覚と内的な反省とに区分される
「人間は生まれたときは白紙である」
アダム・ヴァイスハウプト 1748 - 1830
ドイツの哲学者・イルミナティの創設者
インゴルシュタット大学教会法教授(72-85)
カントに反対し、ロックを信奉した。理性の支配と世界主義の立場を主張する。1776年に、イルミナティ(光明会)を創設。これが禁止されてから、レーゲンスブルグ及び、ゴータに移った(1785)
「理性が人間の唯一の法典となるだろう。このことが私たちのもっとも大きな秘密のひとつである。ついに理性が人間の宗教となるときにそのときに問題が解決するだろう」
(副島隆彦学問道場より引用抜粋)
(参考)
政治学者の副島隆彦氏によれば、理性とは我々日本人が考えるような生易しい概念ではなく、利益計算、損得勘定の思想であり、金銭崇拝の精神であると言う。
彼は、上記の訳文の本当の意味は以下のようになると主張する。
「われわれイルミナティは、理性(りせい、reason , vernunft フェルヌンフト)すなわち、利益欲望の思想、金銭崇拝の精神を、われわれ人間にとっての唯一の法典(規則の体系)にするであろう。これこそが、これまで人間(人類)が解明できなかった最大の秘密なのだ。金銭崇拝(利益欲望の精神、すなわち理性)が、人間にとって信じるべき信仰、宗教となる時に、その時に、ついに、われわれ人間が抱えてきた最大かつ唯一の大問題が、解明され、解決されるのである。」
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西洋文化における魚座(6光線)と水瓶座(7光線)の対立 -
表2
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6光線 魚座 木星
献身 理想主義 イデオロギー 地域主義 国家主義 民族主義 神秘主義 |
7光線 水瓶座 土星
和合 多様性の中の統合 現実主義 国際主義 科学 |
キリスト教の公認
ローマ帝国にてキリスト教が公認され、後にローマ帝国が崩壊する
ヨーロッパにて、諸侯が、割拠する封建時代
中世 暗黒時代 − キリスト教会が諸侯、国王よりも権力を持つ
カノッサの屈辱
聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立していた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、1077年1月25日から3日間、教皇による破門の解除を願って北イタリアのカノッサ城に赴いて許しを願ったことをいう。
ハインリヒ4世は北イタリアにおける影響力を増すべく、自分の子飼いの司祭たちをミラノ大司教、フェルモやスポレトの司教などに次々と任命していった。教皇は司教の任命権(叙任権)が王でなく教会にあることを通達し、対立司教の擁立中止を求めたが、ハインリヒ4世は聞き入れなかった(これを叙任権闘争という)。グレゴリウス7世が王の破門と皇帝権の剥奪をほのめかしたため、ハインリヒ4世が激怒。1076年1月に独自の教会会議を開いて教皇の廃位を宣言した。ここに至って教皇も、1076年2月にハインリヒ4世の破門と王位の剥奪を宣言した。かねてからハインリヒ4世への敵対意識の強かったザクセン公はじめドイツの諸侯たちは、これを機会にとばかりハインリヒ4世に叛旗を翻し、1077年2月にアウグスブルクにおいて会議を開いて新しいドイツ王を決めることを決定。権威の付与者にして仲裁者として教皇を会議へ招聘した。諸侯はハインリヒ4世が教皇に謝罪しなければ後継王が決まらずとも王位を空位とみなすことも決議した。ここにいたってハインリヒは完全に手詰まりとなり、教皇に使節を送って許しを乞うた。
教皇がこれを拒絶したため、皇帝は自ら教皇に謝罪することになった。(ウィキペディアより)
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絶大なキリスト教の影響力 ― 魔術や迷信が信じられていた時代
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ルネサンス
人文主義者とは?
古典の教養(キリスト教以前の学問)を持ち、人間の生き方について思索する知識人 キリスト教の影響から自由、あるいはキリスト教と調和して表現しようとする動き
経験知や実験観察を重視した近代科学の先駆者である
ロジャー・ベーコン 1214 - 1294(ラコーツィ覚者の前世)もこの時代の人物である ルネサンスの時代は明るい時代ではなく、ペストの流行や政争、戦乱の続く波乱の時代であった。文化を享受していたのも宮廷や教皇庁など一部の人々に過ぎず、魔術や迷信もまだ強く信じられていた。
ルネッサンス期の人物
ダンテ 1265 - 1321
「神曲」 ローマ古典文学とキリスト教による救済との調和を図る 一大叙事詩
ペトラルカ 1304 - 1374
古典古代の時代こそ人間性が肯定されていた理想の時代とする
キリスト教公認後の中世を暗黒時代と考える
フィチーノ 1433 - 1499
プラトンアカデミーの中心人物 プラトンの著作を翻訳する
ミケランジェロ 1475 - 1564
彫刻家、画家、建築家
レオナルドダヴィンチ 1452 - 1519
絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じる
ラファエロ 1483 - 1520
画家、建築家
マキャベリ 1469 - 1527
政治思想家 『君主論』
マックス・ウェーバー 1864 - 1920
ドイツ社会学者・経済学者
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
妻帯して金儲けを肯定するプロテスタントとは、まさにユダヤ人を指している
cf. ヴェルナーゾンバルト 1863 - 1941
ヴェルナーゾンバルトの考えでは、プロテスタントの考え方は、ユダヤ教の考えに近く、プロテスタントとはユダヤ人を表している
つまり、ゾンバルトの考えでは、資本主義を生み出したのは、ユダヤ人である
「恋愛と贅沢と資本主義」(1912)
「戦争と資本主義」(1913)
ユダヤ教 ・・・ 唯一金儲けを肯定する宗教
オランダ・イギリス・アメリカなどカルヴィニズムの影響が強い国では合理主義や資本主義が発達したが、イタリア・スペインのようなカトリック国やルター主義の強いドイツでは資本主義化が立ち遅れた。こうした現象は、偶然ではなく、資本主義の精神とカルヴィニズムの間に因果関係があるとウェーバーは考えた。
オランダ・イギリス・アメリカ ・・・ イギリス経験論(7光線)が普及し、また、これらの国は、ユダヤ商人が移り住んで、経済発展した。つまり、イギリス経験論は合理主義、資本主義の発展をもたらした。
イギリス経験論を引き継いだプラグマティズム(実用主義)が、後に2 0世紀初頭のアメリカ市民社会の中で通俗化され、ビジネスや政治、社会についての見方として広く一般化する
c f. プラグマティズム(実用主義、道具主義、実際主義)
経験不可能な事柄の真理を考えることはできないという点でイギリス経験論を引き継ぎ、物事の真理を実際の経験の結果により判断し、効果のあるものは真理であるとする。
「プラグマティズム」の合作者たちはロックやバークリなどのイギリス哲学に影響されている。
さらにさかのぼれば、スピノザ、アリストテレス、プラトンに行き着く
カルヴァン
フランス生まれの神学者
カルヴィニズムが広まった地域
スイス ジュネーブ
スコットランド
オランダ
ドイツの一部
フランス
ハンガリー トランシルバニア
ポーランド
マルティン・ルター 1483 - 1546
ドイツの神学者、牧師、説教家
アリストテレスの手法を適用したスコラ学的なアプローチに限界を感じる
神を理性で捉えることは困難であるという理解に達する
聖書をキリスト教の唯一の源泉にすることを呼びかける
キリスト教に改宗しないユダヤ人を批判、反ユダヤ主義的
イタリア・スペイン ・・・ 伝統的なキリスト教の影響が強い国。スペインは、ユダヤ商人がいた頃は商業的に栄えていた。
(参考資料)
「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」 副島隆彦 編
※ 資料の大部分については、ウィキペディアより引用抜粋、一部編集、加工
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(参考・引用文献・資料等)
「マイトレーヤの使命T〜V」ベンジャミンクレーム著 石川道子訳
「ホワイトマジック」アリスベイリー著AABライブラリー
「ハイアラキーの外的顕現」アリスベイリー著AABライブラリー
「秘教心理学第一巻」アリスベイリー著AABライブラリー
「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」安部芳裕著
アンチロスチャイルド同盟 (webサイト)
副島隆彦学問道場(webサイト)
「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」 副島隆彦 編
※資料のほとんどの記述をウィキペディアより引用抜粋、一部編集
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