「ベツレヘムからカルバリーへ」アリスベイリー著 AABライブラリー翻訳H発行 P33−P35
より引用抜粋
第一章 イニシェーションに関する序説 【P33−P35】
(略)・・・しかし、キリストは、一人ひとりの人間にもたらした教訓とメッセージを諸国家にももたらし、将来の世界統一と世界平和という希望を諸国家に提示した。彼は、私たちが「パイシス時代」と呼ぶ天文学上の時代が始まるときにやってきた。そう呼ばれるのは、この約二千年間、太陽がパイシスつまり魚座と呼ばれる黄道帯の宮を通過しつつあるためである。そのため、新約聖書を含むキリスト教の文献では、魚についてしばしば言及され、魚がシンボルとして使われているのである。このパイシス時代は、以前のユダヤの時代(太陽がアリエスつまり牡羊座を通過した二千年間)と太陽が今移っていこうとしているアクエリアス時代の間に位置する。これは天文学的な事実である。なぜなら、私はここで占星学的な結論について述べているのではないからである。太陽がアリエスにあった時期には、旧約聖書の教えに羊や贖罪の山羊が頻繁に現われ、過ぎ越しの祭が行われていた。キリスト教の時代には、魚がシンボルとして使われ、聖金曜日[キリストの受難記念日]には魚が食べられることさえある。アクエリアスのシンボルは、古代の黄道帯の絵すべてに見られるように、水瓶を担ぐ人である。その時代のメッセージは統一、霊的な交わり、兄弟としての私たちの関係である。というのは、私たちはすべて、一人の父の子供だからである。キリストは、都に入りなさいと告げたときに、弟子たちへの教えの中でこの時代のことについて指摘し、「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行きなさい」(ルカによる福音書・第22章10節)と述べた。彼らはそのようにし、後にその家で聖なる交わりの偉大な祝宴が催された。この言葉は間違いなく「水の運搬人」と呼ばれる黄道帯の宮に入る未来の時代について述べたものであり、そこで私たちもすべて、同じテーブルにつき、お互いと霊的に交わることになるであろう。キリスト教の摂理は二つの大きな世界周期の中間に訪れた。そして、ちょうどキリストが自身の内に過去のメッセージを集約し、現在のための教えを与えたように、キリストはまた、私たちが必然的に向かうことになる目標である統一と理解の未来についても指摘した。私たちは今日、時代の終わりにあり、キリストが予言したように、アクエリアスの統一の時代を迎えようとしている。「二階の広間」は、私たちが一つの人類として速やかに向かいつつある高い到達点の象徴である。いつの日か大聖餐式が催されるであろう。現在行われているあらゆる聖餐式はその先触れでしかない。私たちはゆっくりとこの新しい宮へと入りつつある。二千年以上にわたって、その力とフォースは人類に働きかけ、新たな様式を確立し、新たな意識拡大を促進し、同胞愛についての実際的な認識へと人間を導いていくであろう。
太陽がアリエスつまり牡羊座にあったときに私たちの惑星に働きかけていたエネルギーが、宗教的なシンボルとして、山羊や羊を強く打ち出したのはどういうわけか、また、現在のパイシスつまり魚座の時代においてその影響力がどのようにして私たちのキリスト教のシンボルを色づけし、その結果として、魚が私たちの新約聖書や私たちの終末論的な象徴において重要視されるようになったかに注目するとよいであろう。流入しつつある新しい光線、エネルギー、影響力は確かに、物質的な現象の領域だけではなく、霊的な価値の世界においても同様の結果を生み出すよう運命づけられているはずである。人間の脳の原子はかつてないほど「目覚め」つつあり、今は不活発な休眠状態にあると言われている膨大な脳細胞が活発に機能するようになり、来たるべき霊的な啓示を認識する直観的な洞察力を生み出すようになるであろう。・・・・(略)
第二章 第一イニシェーション ――― ベツレヘムでの誕生 【P82−P110】
(略)・・・キリスト教の信仰は、ドグマと教義、観念的な神学者による歪曲と少数の非理知的な教会人による押しつけがあったにもかかわらず、神と人間を一つにし、キリストの中で融合させ、各々の人間もまた実験を試み体験に耐えるだけの信を持つことができるという真理を提示した。極めて重要で劇的な、そして神秘的に描写されてはいるが生き生きとしたこの真理は、マインドによって把握され、ハートによって理解されたとき、キリスト教の秘儀を目指す各々の熱誠家が光への新たな誕生の門をくぐり、その後、その光の中をさらに歩いていくことを可能にする。なぜなら、「神に従う人の道は輝き出る光、進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる」(箴言・第4章18節)からである。この真理は今なお生きた真理であり、私たちすべての信を豊かにし、彩りを与えてくれるものである。
このようなことが連続して行われる中で(それは神の愛への私たちの信の基礎になるものであるが)、これまでにも見てきたように、中心から多くの言葉が発せられた。多くの神の子らが時代時代を通して、「可能性の高み」についてのヴィジョンを次々と人類に啓示し、神の大計画をそれぞれの時代と気質に合った言葉で人類に説明してきた。彼らの生涯の物語が一致していること、処女の聖母が何度も登場していること(その名前はマリヤという名前の変化したものであることが多い)、誕生の物語が細部において類似していること、これらはすべて、一つの真理が絶えず繰り返し演じられてきたことを示している。その結果として、その特質が劇的なものであり、その出来事が繰り返されることによって、神は人間の救済に不可欠ないくつかの偉大な真理を人間のハートに印象づけているのである。そういった真理の一つは、神の愛は永遠であり、自らの民への神の愛は揺らぐことも変わることもなかったということである。時が熟し、民の困窮が今がまさにその時であると告げたときにはいつでも、神は人々の魂を救済するためにやってくる。古代インドにおいて、クリシュナはこの真理を荘厳な言葉で宣言した。
至るところで法がすたれ、・・・・無法がはびこるとき、そのときはいつでも私は姿を現わす。
正しき者を救済し、悪しきことを行う者を破滅させるために、そして、法を揺らぐことなく確立するために、私は時代ごとに生まれてくる。
神としての私の誕生と働きをありのままに認める者、・・・・その者は私へと至る。アルジュナよ。
(バガヴァッド・ギータ、第4章7、8節)
繰り返しこのような教師がやってきた。そして、人類の発達に応じて、神の性質を明らかにし、諸国民の文化と文明を決定づける言葉を語り、芽を出し実を結ぶよう種子を蒔いて去っていった。時が熟してキリストがやってきた。もし進化に何らかの意味があるならば、そして全体としての人類が意識を発達させ開花させてきたならば、彼が与えたメッセージと彼が送った人生は必然的に、過去の最良のものを要約しているにちがいなく、それを完成し成就させ、過去がもたらしたすべてのものを遥かに超える将来の霊的な文化の可能性を宣言しているにちがいない。これら偉大な神の子らのほとんどは、不思議なことに、洞窟で、しかも通例として処女の母親から生まれている。
処女懐胎については、初期のキリスト教文献である使徒たちの手紙では言及されていないということは重要である。逆に、聖パウロはイエスについて「肉によればダビデの子孫から生まれ」(ローマの信徒への手紙・第1章3節)と語っている。つまり、ダビデの子孫であるヨセフの子であると述べている。紀元七十年から百年の間に書かれた最も初期の福音書である『マルコによる福音書』でもそれについては触れられていない。紀元百年以降に書かれた『ヨハネによる福音書』も同様である。また、紀元六九年から九三年の間に書かれた『ヨハネの黙示録』もこのことには言及していない。しかし、処女懐胎が当時、信仰の重要な信条であったならば、それは疑いなくその作品の神秘的な象徴として出てきたのであろう。(The
Paganism in Our Christianity, by Arthur Weigall, p.42)
イシス神は、三日月の上に立ち、頭には十二個の星が取り巻いているように描かれることが多かった。ヨーロッパ大陸のほとんどのローマ・カトリック教会にある「天の女王」マリアの絵や像には、三日月の上に立つ彼女の頭を十二個の星が取り巻いているのが見られる。
古代の聖母と女神の非常に多くが同名であることは偶然とは思えない。バッカスの母はミュラ(Myrrha)であり、マーキュリーやヘルメスの母はミュラやマイア(Maia)であった。シャムの救世主―ソモナ・カドム―の母はマーヤ・マリア(Maya
Maria)つまり「偉大なるマリア」と呼ばれた。アドニスの母はミュラ(Myrrha)であり、仏陀の母はマーヤ(Maya)であった。ミュラであれ、マイア、マリアであれ、これらすべての名前は、キリスト教の救世主の母の名前であるマリア(Mary)と同じである。五月(Mary)はこれらの女神に捧げられてきたが、現在でも五月は聖母マリアに捧げられている。彼女もまた、マリア(Mary)と呼ばれていたのはもちろんであるが、ミュラ(Myrrha)ともマリア(Maria)とも呼ばれていた。(Bible
Myths, by T.W. Doane, p.332)
秘教の象徴的な用語において、洞窟はイニシェーションの場所と見なされている。これはいつもそうであった。洞窟で起こったイニシェーションのプロセスと新たな誕生について古代の文献で言及されている箇所を集めて分析するならば、それらに関する非常に興味深い研究になるであろう。イエスが生まれた馬屋はほとんど洞窟に近いものであった。なぜなら、当時の馬屋の多くは、地面を掘って造られたからである。これは初期の教会では認められており、「福音書ではイエスは宿屋の馬屋で生まれたと述べられているが、殉教者ユスティヌスやオリゲネスなどの初期のキリスト教著作家たちがイエスは洞窟で生まれたと述べていることはよく知られている」(Pagan
Christ, by J.M.Robertson, p.338)ということである。
福音書の物語に記されているこの五つのイニシェーションについて研究することで、そのうちの二つが洞窟で、二つが山頂で、一つが深い谷と高地の中間で起こったことが分かる。最初と最後のイニシェーション(生命への誕生と「豊かに受ける命」[ヨハネによる福音書・第10章10節]への復活)は洞窟で起こった。変容と磔刑は山頂や丘の上で行われた。そして、第二イニシェーションは―その後、キリストは公衆の面前で聖職者としての仕事に着手することになるが―ヨルダン辺りの平野にある川で行われた。それはおそらく、人々の直中で生活し働くという彼の使命を象徴するものであろう。[同じレベルで会う]というフリーメイソンの言葉がここでもう一つの意味を帯びてくる。山頂での体験を経験するたびに、その後キリストは日常生活のレベルに下り、その高いレベルでの出来事がもたらした効果つまり結果を実際に示した。
ミトラも洞窟で生まれ、また別の多くの聖者たちもそうであった。キリストも洞窟で生まれ、他の聖者たちと同じように、奉仕と犠牲の生活を送り、世界救世主の仕事を行う資格を得た。彼らは光と啓示を人類にもたらし、多くの場合、彼らのメッセージを理解しなかった人々や彼らのやり方に反対した人々の憎しみの犠牲になった。彼らはすべて、「地獄に降り、三日後に復活した」。何世紀にもわかる人類の歴史にはこのような物語が二十も三十も散りばめられている。そして、それらの物語と使命は常に同じである。
イエスの物語には、これから見ていくと分かると思うが、それ以前の太陽神たちの物語や天空を巡る太陽の実際の運行と一致するところが非常に多くある。実際あまりにも多いため、単なる偶然とは言えず、悪魔の冒涜的な策略のせいにさえできない。そのいくつかを列挙する―(1)処女の母親からの誕生。(2)馬屋(洞窟または地下室)での誕生。(3)十二月二十五日(冬至の直後)の誕生。(4)東方の星(シリウス)。(5)東方の三博士(三人の王)の訪問。(6)子供の大虐殺と遠い地への逃走(クリシュナや他の太陽神たちもそうであったと言われている)。(7)光の増大を象徴する蝋燭の行列が行われる聖燭節の祭(二月二日)。(8)受難節つまり春の到来を祝う祭。(9)太陽の赤道横断を祝う復活祭(通常は三月二十五日)。(10)エルサレムの聖なる墓での光の一斉噴出。(11)復活祭三日前の聖金曜日に行われる神の子羊の磔刑と死。(12)木への釘打ち。(13)空の墓。(14)喜ばしい復活(オシリスやアティスなどの場合もそうであった)。(15)十二人の弟子(黄道帯の宮の数)。(16)十二人のうちの一人の裏切り。(17)クリスマスに対応して、六月二十四日に愛弟子ヨハネの誕生に捧げる真夏の祭日。さらに、神の乙女座の通過と一致する(18)聖母被昇天の祝日(八月十五日)と(19)聖母誕生祭(九月八日)。(20)キリストと弟子たちによる秋の星座―蛇使い座と蠍座―との戦い。そして最後に、(21)復活の真実を疑った聖トマスに教会が冬至その日を捧げるという奇妙な事実がある(その日は、誰でも太陽が再び生まれることを疑っても極めて当然なこととして許される)。(Paganand
Christian Creeds, by Edward Carpenter, p.50)
比較宗教の研究者であれば誰でもこれらの信憑性を検証することができ、最後には神の愛の忍耐強さとこれらすべての神の子らが示した自己犠牲への意志に驚かされるであろう。したがって、次のことを覚えておくことは賢明であり時宜を得ている。
これらの出来事は様々な太陽神の生涯で繰り返し演じられており、古代の遺物にはこれらが多く描かれている。ベツレヘムのマリアと同様に、エジプトのイシスも汚れのない女性、海の星、天の女王、神の母であった。絵画では彼女は三日月の上に立ち、星々の冠を戴いており、息子のホルスを抱き、彼を膝の上に座らせる彼女の台座の後ろには十字架が描かれている。黄道帯の乙女座は、古代においては子供に授乳する女性として描かれている―神聖な赤子を抱く将来のすべての聖母のモデル。これがこの象徴の起源である。デヴァキも腕に神聖なクリシュナを抱いているように描かれ、バビロンのミリタつまりイシュタルもまた星々の回転する王冠を被り、膝に子供のタムズを乗せている。マーキュリーとアスクレピオス、バッカスとヘラクレス、ペルセウスとディオスクロイ、ミトラとゾロアスターもすべて、神聖かつ人間的な生まれ方をした。(Esoteric
Christianity, by Annie Besant, p.158)
パリのノートルダム大聖堂が古代のイシス寺院跡に建てられていること、そして初期の教会がキリスト教の儀式や神聖な記念日を決定する際にいわゆる異教の吉日を非常に頻繁に利用したことを思い出すべきである。十二月二十五日のクリスマスの日でさえ、そのようにして決定された。先に引用した著者は次のように書いている。
イエスの誕生日を十二月二十五日に決定したことに関して、ウィリアムソンは次のように述べている。「十二月二十五日が現在ではイエスの誕生日として認められた祝日であることはすべてのキリスト教徒が知っている。しかし、ずっとそうであったわけではないことを知っている人はほとんどいない。キリスト教の様々な宗派が百三十六種類もの異なった日付を定めていたと言われている。ライトフットは九月十五日にしており、二月や八月にしている人々もいる。エピファニオスは二つの宗派について言及しており、その一つは六月に祝い、もう一つは七月に祝う。この問題は紀元三三七年にユリウス法王によって最終的な決着がつけられた。聖クリュソストモスは三九〇年に次のように述べている。「この日(つまり十二月二十五日)をキリストの誕生日と最近ローマで決められたが、その理由は、その日は異教徒が自分たちの式典(バッカスを祝するブルマリア)に忙しくしている間に、キリスト教徒が邪魔されずに自分たちの儀式をできるようにするためであった」と。(Esoteric
Christianity, by Annie Besant, p.160)
この特別な日付の選択には宇宙的な意味合いがある。昔の賢人たちがこのような重大な決定を何の意図もなしに下したりはしなかったことは確かである。アニー・ベサントは次のように述べている。
彼はいつも一年で最も日の短い日である冬至の直後、乙女座が地平線に昇る十二月二十四日の夜中に生まれている。この星座が上昇するときに、彼はいつも一人の処女から生まれ、彼女は太陽の子を生んだ後も処女のままである。それはちょうど太陽が天の乙女座から昇ったときも乙女座が変わらず汚されていないのと同じである。日が最も短く夜が最も長いときに彼は一人の幼子として弱々しく誕生するのである。(Esoteric
Christianity, by Annie Besant, p.157)
次のことも覚えておくとよいであろう。
尊者ベーダは八世紀初頭に「古代アングル族は、私たちが主の誕生日として祝う十二月二十五日を一年の最初の日にしていた」(Bede,
De Temp. rat., xiii)と述べている。この古代アングル族とは紀元約五百年にイギリスに定住する前の異教徒であったイギリス人のことである。また、十二月二十四日から二十五日にかけての夜、「現在の私たちにとって神聖なこの夜は、式典が徹夜で行われるため、彼らの言葉でModranechtつまり『母の夜』と呼ばれた」とも述べている。それらの式典がどのようなものであったかについて、彼は言及していないが、それらが太陽神の誕生に関係していたことは明らかである。イギリス人が六世紀と七世紀にキリスト教に改宗したとき、十二月二十五日のキリスト降誕の祭はローマでは以前からすでに厳粛な式典として確立されていた。しかし、古い異教徒が行っていた楽しいユール(クリスマス)――「宴会」を意味すると思われる言葉――と一致したため、イギリスでは、南方では見られない陽気な特徴が付け加えられることになったのである。この特徴は今でも残っており、ラテン民族の式典の性質とは際立って対照的なものである。ご馳走し、クリスマス・プレゼントを交換する北方の習慣は最近までラテン民族には知られていなかった。(The
Paganism in Our Christianity, by Authur Weigall, p.236,237)
キリストが誕生したとき、東方の星であるシリウスが子午線上にあった。そして、東洋の占星学者が「三人の王」と呼ぶオリオン座が近接していた。そのため、聖母である乙女座が東方に昇り、黄道、赤道、地平線がこの星座で交わっていた。乙女座で最も明るく大きな星がスピカと呼ばれていることに注目することも興味深い。その星は乙女座にある「一本のトウモロコシ」(肥沃の印)に見られるはずである。ベツレヘムは「パンの家」を意味するため、この二つの言葉の間には明白な関係が存在する。この星座はまたコップの形をした三つの星からなっている。これは生命の血を入れる真の聖盃であり、神聖なものの器であり、神性を中に隠すものである。これらは天文学上の事実である。これらの星座に古代から添えられた象徴の解釈は宗教そのものと同じくらい古いものである。これらの星座の印がどこからきたのか、それらに関係する意味と象徴がどのようにして生まれたのかは、時間の暗闇の中で見失われている。それらは何千年もの間、人々のマインドと思考と著作の中に存在し続け、今日の私たち共通の相続財産になっている。
(キリスト教よりも数千年も前の)古代デンデラの十二宮図はこのことを十分に証明するものである。黄道帯を巡る太陽の旅において、この「天空の人間」はついにパイシス(魚座)に辿り着く。この宮は十二宮図では乙女座とは正反対の位置にあり、すべての世界救世主たちの宮である。キリスト教の時代がパイシスの時代であったことを私たちはすでに見てきた。私たちの太陽がこの宮に移行したときにキリストは聖地にやってきた。したがって、乙女座で始められ存在するに至ったもの(幼子キリストの誕生)がパイシスで頂点を極め、そのとき、成人した幼子キリストが世界救世主になるのである。
もう一つの天文学的事実は、これに関連して興味深いものである。乙女座と密接に関係する三つの星座が天空の同じ区域に見られる。生まれ、受難し、死に、そして復活する子供の物語が、この三つの星座に象徴的に描写されている。髪の毛座と呼ばれる星団がある。それは幼子を抱いた女性である。そして、ケンタウルス座と、ヘブライ語で「来たるべき方」を意味する牛飼い座がある。まず最初に、女性から幼子が生まれ、その女性が処女であること、そして次に、ケンタウルスである。ケンタウルスは古代の神話において常に人類を象徴するものであった。なぜなら、人間は動物であると同時に神でもあるからである。そのため、ヒューマン・ビーイング(人間的な存在)なのである。そして次に、来たるべき方が人類すべてに覆い被さり、彼らをオーバーシャドーし、誕生と人間としての化身を通してもたらされる完成を示すのである。実に天空の絵本には、見る目を持ち、正しく解釈するための直観を発達させた人々にとって永遠なる真理が秘められている。予言は聖書だけに限らず、天空に人々の目の届くところに、ずっとあり続けているのである。
このように、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す」(詩篇・第19篇1節)というように、キリストがベツレヘムつまり「パンの家」で生まれ、乙女座が地平線に昇り、東方の星が輝いたときに起こった世界的な出来事は予言されていたのである。
そのとき、キリストは自身の肉と血を持つに至った。人々の世界が彼を引き寄せ、父の愛が彼にそれを強いたからである。人生に目的と成就を与え、私たちに道を指し示すために、彼はやってきた。「欺くことのない」(ローマの信徒への手紙・第5章5節)希望によって私たちを活気づけ、「上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」(フィリピの信徒への手紙・第3章14節)ことができるようにするために、彼は私たちに模範を示しにきたのである。
ここで、誕生に先立つ旅もまた、神に遣わされた他の教師方の生涯の物語にも見られることに注目すべきである。例えば――
待望されるメシア(仏陀)の母が満たすべき三十二の徴のうち、五番目の徴は「子供の誕生のときに彼女は旅をしているであろう」というものであると記録されている。したがって、「予言者が語ったことが成就されるために」、天による受胎の十か月目には、処女マーヤは父のもとに向かう旅に出ており、そのとき、見よ、樹木の下でメシアが誕生したのである。ある記述によると、「彼女は、仏陀が生まれたとき、宿に泊まっていた」とある。
処女懐胎で生まれた中国の賢人、老子の母親は、子供が生まれたとき、家を離れていた。彼女は樹木の下で休み、処女マーヤと同じく、そこで息子を産んだ。(Bible
Myths, by T.W.Doame, p.5)
福音書には、聖母マリアは幼子のキリストを身籠って、夫のヨセフと共にガリラヤのナザレからベツレヘムに行ったと述べられている。時として、聖書や伝説に見られる名前の意味を研究することで、エピソードそのものに多くの光を当て、その隠れた意味を明らかにすることができる。聖書の物語を研究するとき、私はこれまで聖書そのものとクルーデンの用語索引だけを用いてきた。名前の説明はクルーデンの用語索引から引用している。そこには、「ナザレ」は「聖別されたもの」つまり他とは切り離されたものを意味し、「ガリラヤ」は「車輪の回転」――
回り続ける生と死の車輪 ―― を意味するものと記されている。人生の課題を学び終え、「貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの」(テモテへの手紙二・第2章21節)になるまで、私たちはすべて、この車輪に巻き込まれ、仏教徒の言う「存在の車輪」に乗り続けるのである。
生きるという長い旅路はキリストにとってはすでに過去のものになり、彼は母親と共に道の最後の部分を旅している。永劫なる過去から聖別され、世界救済というこの仕事を任されて、彼はまず最初、誕生と幼児時代という普通の過程に従わなければならない。キリストは聖別の地であるナザレから出て、パンの家であるベツレヘムにやってきた。そして、そこで彼は特別な仕方で、飢えた世界にとっての「命のパン」(ヨハネによる福音書・第6章33、35、41、58節)になることになっていた。彼は救済の仕事のために(すべての目覚めた神の子らと同じように)他とは引き離され、自らを他から引き離したのである。彼は飢えた人々に食料を与えるためにやってきたのである。これに関して、聖書の二つの節が彼の仕事とその準備に光を当ててくれる。イザヤは「麦を砕く」(イザヤ書・第28章28節)と言い、キリストは「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書・第12章24節)と言った。これが、ベツレヘムで誕生したときに彼を待っていた運命であった。そのとき彼は、彼を「砕き」、彼を死へと導く生涯を開始した。
用語索引によると、マリアという名前は「主の高められた者」という意味である。この言葉を聞くと、三日月の上に立ち、天の雲の中に引き上げられた聖母を描いたムリーリョの絵を思い出す。栄光への聖母の昇天はこのようなものである。乙女座に関連して興味深い点がもう一つある。それに触れたい。聖母マリアは、古代の知恵の象徴では原初の物質を表わし、幼子キリストつまりキリスト意識を培い、育て、覆い包む質料を表している。結局のところ、神が明らかにされるのは形態と物質を通してである。そのようにして神は化身してくるのである。三位一体の第三位格である聖霊によってオーバーシャドーされた物質が、三位一体の第二様相をキリスト――宇宙的、神話的、一人の人間としてのキリスト――の位格として誕生させるのである。
天空の童話に関連して言えば、女性が象徴になっている星座が(乙女座以外に)三つある。王位に就いた女性であるカシオペア座。これは、人間の人生において物質と形態が優位で勝っている段階を象徴する星座である。この段階において、内的な聖なる生命は深く隠れているため、その兆候は見られず、物質的な性質だけが統御し支配している。次に、人類と個人の歴史において、象徴的に言って髪の毛座――幼子キリストを身籠った女性――が現われる段階が訪れる。ここで物質は、すべての形態内にキリストを誕生させるというその真の機能を表わし始める。大いなる人生の車輪が回転し、その役割を果たし終えたとき、マリアはガリラヤから出て、救世主を産むためにナザレからベツレヘムへと旅することが可能になる。最後に、アンドロメダがある。これは鎖につながれた女性、つまり魂に奉仕させられる物質である。
・・・・中略・・・・
このイニシェーションの洞窟に、四つの自然王国すべてが私たちのために間違いなく象徴化されているのを見ることができる。洞窟を構成する岩は鉱物王国を表わしている。まぐさと干し草は当然のことながら植物王国を象徴している。雄牛とロバは動物性質を表わしているが、それらはまた、それよりも遥かに多くのものを表している。雄牛は、キリストがやってきたときに地上から姿を消していくべき運命にあった崇拝形態を表わしていた。多くの人々がまだ雄牛を崇拝していたが、それは太陽が牡牛座を通過していた時代に広く行われていた崇拝であり、当時、ミトラとエジプトの秘儀に残っていたものである。キリスト教の時代のすぐ前の宮は牡羊座であったが、これはベツレヘムを取り囲む羊小屋に象徴されている。
また、面白いことに、ロバはマリアとその幼子の物語に明らかに関係がある。二頭のロバが福音書には登場する。一頭は北から来て、マリアをベツレヘムに連れていき、もう一頭は彼女をエジプトに連れていった。これらは北ロバ座と南ロバ座と呼ばれる二つの星座のシンボルであり、それらは乙女座の近くにある。
人間王国はマリアとヨセフに表わされており、人間の統一性と二重性が存在そのものに不可欠であることを表わしている。新しく生まれた赤子は神性を表現している。このように、この小さな洞窟には宇宙が表現されている。
・・・・中略・・・・
キリストの幼年時代についての説明は福音書において非常に少ない言葉で片付けられている。一つのエピソードに触れられているだけである。それは、イエスが十二歳になったときに母親に主の寺院に連れてこられ、そこで初めて自分の天命を示し、一つの使命が自分に予め定められているという認識を明らかにしたというものである。その前に、彼の両親はユダヤの律法のすべての必要条件に従ってエジプトにも滞在したが、そこで彼が過ごした時間については何も伝えられていない。私たちが知っているのは次のようなことだけである。
親子は自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。(ルカによる福音書・第2章39、40節)
十二という数字がすべての信仰の秘教徒にとって完成の数字を意味することを覚えておいたほうがよい。これについては世界の様々な聖典で繰り返し述べられている。次の言葉はこれに関して興味深いことを述べている。それはこの数字の重要性とイニシェーションとの関係を示している。
十二歳になったということは、キリストの魂が一つのイニシェーションを受ける進化期間すべてを終了したことを意味する。これは内的なマインド(寺院)で起こり、魂の論理面と直観面の目覚めと同時に起こった。これらは父母原理であり、両親の参列がこのことを示している。(Dictionary
of the Sacred Language of all Scriptures and Myths, by G.A. Gaskel,
p.773)
そして、また、
この(十二人の弟子たちという)数字は旧約聖書において多くのことに象徴されている。ヤコブの十二人の息子たち、イスラエルの人々の十二人の指導者たち、エリムに湧き出る十二の泉、アロンの胸当ての十二の宝石、十二個のお供えのパン、モーセが送った十二人のスパイ、祭壇を造る十二個の石、ヨルダン川から採取された十二個の石、鋳物の海を支える十二頭の牛などである。また新約聖書でも次のようなものに象徴されている。花嫁の冠の十二の星、ヨハネが見たエルサレムの十二の土台、そしてその十二の門。(Bishop
Rabanus Manrus, A.D. 857)
このように十二という数字が繰り返し出てくるのは、おそらく黄道帯の十二の星座に由来しているのであろう。天空にあるこの想像上の帯を太陽は一年をかけて、そして約二万五千年という大きな周期で運行しているように見える。
準備的な仕事を終えて、十二歳までにキリストは再び、直観的な経験をし、ナザレ(聖別の地)から寺院へと行った。そこでその直観によって彼は仕事に関する新たな認識を得た。その使命が何であったかを彼が詳しく知ったという形跡はなく、彼は母親に何の説明もしなかった。彼は一番身近なところでできる仕事から取りかかり、寺院にいた人々に教え始めたが、彼の理解力と答えは人々を驚かせた。母親は狼狽し悩み、彼の注目を自分と父親に向けさせようとしたが、「わたしが自分の父の家にいる[訳者注:ここでは「わたしが自分の父の仕事を行う」と訳すほうが的確であろう]のは当たり前だということを、知らなかったのですか」(ルカによる福音書・第2章49節)という、確信に満ちた静かな答えが返ってきただけであった。その言葉は母親の全人生を一変させてしまった。この仕事は、年月を重ねるごとに彼の意識にはっきりとしたものになり、すべてを包含するその愛は、一般の正統派キリスト教徒が進んで認めると思われるよりも遥かに広大なものになった。
この使命の内容が彼の若いマインドにゆっくりと明らかになり、真のイニシェートであるすべての神の子らが否応なしにそうしなければならないように、ヴィジョンを認識するやいなや、彼は神の使者として働き始めた。しかも、そのときにいた場所で働き始めた。このように、将来の仕事を把握することで、「イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。・・・・イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカによる福音書・第2章51、52節)のである。
福音書には「下る」という言葉が何度も出てくる。キリストは母親と一緒に「エジプトに下り」、彼は「ナザレに下って」いった。そして、彼は山頂や孤独の場所から、何度も何度も人々の中で自らの責務を果たすために下っていった。エジプトでの秘められた経験(なぜなら、これについては聖書には書かれていないからである)の後、そして寺院で啓示を受け、果たすべき仕事を受諾した後、キリストは責務の場所へと戻っていった。この場合、誕生のイニシェーション後の三十年間、彼は大工の店で一人の人間として、そして家で両親と一緒に日常生活を過ごしたと言われている。この家庭での生活は彼が受けた試練であり、その重要性をどれだけ評価しても評価しすぎるということはない。彼がこの当面の義務を果たさなかったならば、彼の残りの仕事は失敗に終わったであろうと言うならば、冒涜のように聞こえるであろうか。家庭や彼が住む運命にあった小さな町で神性を示すことに成功しなかったならば、彼が世界救世主として働くことは決してなかったと言うことはできないであろうか。私たちがベツレヘムへの長い旅を終えたときに私たち人類がなりえるもの、そして、なるであろうものを彼は私たちに啓示するためにやってきた。これが彼の使命のユニークな点である。
キリストは家で両親と静かに過ごし、家庭生活という最も困難な経験に耐えた。それは、退屈で単調な日常、集団の意志と必要への求められる服従、犠牲と理解と奉仕という課題を伴うものであった。これは常に、すべての弟子たちが最初に学ばなければならない課題である。それを学び終えるまで、さらなる進歩を遂げることは不可能である。神性を家庭で、また私たちをよく知る親しい友人たちの間で表現できるようになるまで、神性を他のところで表現することは期待できない。私たちは運命が定めた――退屈で単調な、時としてむさくるしい――ところで神の子として生きなければならない。この段階でそれが可能なところは他にはどこもない。私たちが今いるところが私たちの旅が始まる場所であり、私たちはそこから逃げるべきではない。私たちがいるところで、もし弟子として立派に振る舞うことができないならば、そうできるようになるまで、他の機会が私たちに与えられることはないであろう。ここに私たちの試練があり、ここに私たちの奉仕の場がある。多くの誠実で熱心な熱誠家たちが、もし自分が違った家庭や違った環境にあったならば、本当に周囲に感化を及ぼし、神性を表わすことができたのにと感じている。別の人と結婚していたならば、もっと多くのお金や余暇があったならば、友人たちがもっと同情してくれたならば、身体がもっと健康ならば、と言う人もいるであろうが、それでは自分には何ができないかが分からない。試練とは、私たちがどれぐらい強いかを試すものである。それは、私たちの中にある最高のものを呼び起こし、自らの弱点と欠点がどこにあるかを明らかにする。現代は、頼りになる弟子たちを、困難が訪れ人生の闇に遭遇したときに挫けないよう試練で鍛えられた人々を必要としている。それを認識できさえすれば、まさに私たちの中にある最高のものに従うというこの課題を学ぶことができる環境と境遇に私たちは置かれているのである。私たちはまさに私たちの中にある神性を表現できるタイプの肉体をまとっており、そのような物理的な状況にある。私たちは弟子の道での次なる前進、神への次なる一歩を踏み出す上で必要な交際をこの世で行っており、そのような種類の仕事に従事しているのである。熱誠家たちは、この本質的な事実を理解し、奉仕と自らの家庭で愛を込めて与えるという生活に喜んで身を落ち着けるようになるまでは、どのような進歩も不可能である。
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