占星コラム


2007/9/27  銀行の秘密と6-8室の象意

 

銀行の誕生の秘密と、大衆に隠されている銀行業務の真実について、余すところなく解説しているストリーミングビデオ 『Money As Debt』があべ よしひろ氏のブログ『日本人の知らない恐るべき真実』で日本語字幕を付けて公開されている。
日本語の題名は『負債としてのお金』である。

『Money As Debt』日本語字幕版



このストリーミングを見て、現在、世界に流通している『お金』について非常に考えされられる結果となったのである。
そして、このことは、ジョーティッシュのロジックを使えばより明瞭に理解することができる。

このストリーミングビデオで解説されている”お金のつくられ方”について、街頭でインタビューしたところ、ほとんどの一般人が正確には分からなかったそうである。

かく言う私も全くこの年になるまで全く分かっていなかった。
このお金の秘密について知っている人が少ないからこそ、『金持ち父さん、貧乏父さん』のようなキャッシュフロー入門が近年、ベストセラーになったと言える。

外国為替証拠金取引(FX)や株取引などの証券市場がインターネットで、一般の人にも開かれてきて初めて、お金にお金を稼がせるという銀行家と同じような発想に多くの人々が目覚めたといえる。

それと同時にこれまで国際銀行家が世界を支配してきたやり方の一切が、白日の下に暴露され、明らかになる時がついに来たのだといえる。

メディアがテレビやラジオ、新聞などしかない段階ではそれらのマスコミを所有し、統制している国際銀行家が自らの本当の姿について暴露することは一切なかったのだといえる。

学校でもどこでもこれらのことを教えてくれなかったのである。
従って、私もこれまでこのような知識を得る機会が全く無かった。

然し、インターネットの普及によって、規制のメディアを経由しない情報が得られるようになって初めて、このような世界の重大な真実を知ることができるようになったのだと言える。
そもそも、パソコンとは人と人とがコミュニケーションする道具というコンセプトで、シリコンバレーなどのIT発祥の地にて、電子工学の分野で優れた技術力や創造性を持つ志ある人々によって開発されたのであり、それはネットワークによって、相互接続して使うことを前提としていたのである。

そして、インターネットも既成の権威からの一方通行の情報ではなく、誰でも対等な立場で情報を発信でき、受信できることを目的として創られたのできる。創った人たちのコンセプトはそのようなものだった。

この『負債としてのお金』が伝える真実は私が理解した範囲で、簡単に要約すると以下のようなことである。

・銀行が保有している現金は実際は少ないのであり、保有している金額の10倍、20倍、多ければ30倍もの額のお金を『信用創造』によって作り出している。

・『信用創造』とは口座にある預金を送金したり、小切手を切ったりしてもその相手がそれを現金化せず、そのまま口座に預金したままにして、預金を人々が実際には引き出さないことから、実際に保有しているよりも多くのお金を貸し出すことができることである。つまりお金を貸しているのではなくお金を創り出している。

・従って、実際に保有する現金よりも多くのお金を貸し出すということは、自分が保有していないお金を銀行は貸し出すということであり、無からお金を作り出しているということである。そして『信用創造』とは人々がお金を銀行から借りる瞬間生み出されるのである。『負債としてのお金』という題名はそういう意味である。そして、その貸し出したお金はいずれ利子を含めて、返済されるため、銀行は人にお金を貸すとその分のお金を無から作り出して利子を含めてまるまる自分たちの利益とするのである。

そして、30倍の『信用創造』をして、お金を人に貸し付ければ例えば1億の現金しか銀行は保有していなくても何名かの人に30億円分の貸付を行えば30億円を新たに創造したことになり、やがて返済を受けることで30億円をまるまる利益とすることができる。しかも利子も付いて30+数億円を利益とすることができる。

・銀行は信用創造によってただ元金だけを創造するが、借り主が返済するための利息は創らない。
借り手が利息を支払うためにお金を得られる唯一の場所は市場経済の中だけであるが、その市場経済のすべての貨幣供給は銀行の信用創造によって作られたものである。従って、我々は創られた以上のお金を返済しなければならない。

借り手は全体の資金量が元金分しかないところから死に物狂いで元金と利息を返済しようとするが、市場には元金分の資金しか供給されていないため、市場にある元金分のお金を奪いあって利息を返すしかない。そのため、必ず全員が元金+利息を返せるわけではなく、中には元金も返せなくなってしまう借り手が出てきてしまう。

つまり、現在維持されている金融システムは、その本質として市場経済の中で不足しているお金を奪い合うように競争を助長する仕組みであるというのがその本質である。

金利を取るという行為は実質的にお金の供給量以上に返済するために人々に競争させるという非倫理的なものである。
中世のヨーロッパにおいてカトリック教会は金利を取ることを禁止していたが、直感的に金利を取ることが不道徳であることが分かるからである。上記のストリーミングビデオなどの登場によって現在では現在の国際的金融システムがもたらす弊害について知的に理解可能である。

そして、あべ よしひろ氏によれば、公定歩合(金利の率)は自殺率と相関関係があるという。これはお金を苦にして自殺する人がいる以上、明らかに相関関係があるはずである。

・もし長期ローンや政府の借金で利息の総額が元金を上回ってしまうと利息を支払うための充分なお金が創られない限り、非常に高い確率で返済できない分の抵当を失うことになる。
しかし、社会的な破綻を招かないためには抵当権が実行される割合を低くすることが必要である。これを成し遂げるためにはさらなる新しい借金が以前の借金の利子を払うために創られなければならない。

これは全体の借金を大きくすることにつながる。そして結局もっと多くの金利を支払わなければならなくなり結果的に山のような借金の渦の中から逃げられないことになる。

・新しくローンとして創造されたお金が全体的な不足分に追いついている間だけシステムの破綻を免れているにすぎない。しかし銀行の飽くことを知らないクレジットの化け物は次第に大きくなっている。さらにさらなる借金を創る必要性が緊迫している。貨幣供給が増加するにつれて生産と取引量が同じように成長しない限り、お金の価値が下がってインフレになる。従って経済、すなわち、生産と取引量は成長していかなければならない。

年3%の経済成長をしている時 私たちは経済が一定のレートで成長していると思っているがそれは違うという。今年の3%は昨年の3%より商品とサービスが増加していることを意味する。

1   × 1.3 =1.3   昨年度   (1.3  −1    =0.3  )
1.3 × 1.3 =1.69  今年度  (1.69 −1.3  =0.39 )
1.69× 1.3 =2.197 来年度   (2.197−1.69 =0.507)

つまり昨年度よりも今年度の方が増加分が0.09多い。
そして来年度の方が昨年度より0.207多い。
これが毎年繰り返しされていくと、幾何級数的に成長の割合が増えていくので、限りある地球資源がそのような経済成長に耐えられないのは明らかである。現在の金融システムは無限の経済成長を地球に強いるのである。

これをジョーティッシュの論理で考えると、
現在の世界の金融システムを支配する国際銀行家たちは人にお金を貸すことで信用創造により無からお金を作り出して市場経済に供給しているのである。
従って、地球に負債者(6室)を延々と増やし続けているのである。
その負債者たちは死に物狂いで借金を利子を含めて返済せねばならず、市場で流通しているお金を奪い合って、返済しなければならないのである。つまり、誰もが欲しいが市場には必要充分にない限られたお金を人から貰い受けるという商行為は必然的に暴力的であり、特に法外な報酬や値段を設定することは非常に暴力的である。

然し、市場経済の中で成功するにはそのように市場に存在する実際には少ないお金をかき集めなければならない。つまり、社会的経済的成功者とは必然的に暴力の中を勝ち残ってきた人々(11室)である。(11室=6室から6室目)

そして弱いものはお金を得ることができずに死んでいくしかないのである。
この世界に負債者を延々と増やし続け、そして、数%の死者を出すことをやむを得ないとするのが現在の世界を支配している国際銀行家のオペレーションである。

※因みに例えば日銀の福井総裁は失業率は8%に抑えるべきだと発言したそうである。(『福井日銀危険な素顔』あっぷる出版社より)つまり、8%の国民は死んでも仕方がないということを言っているのと同じである。彼も欧米の中央銀行と通じていて、一般国民の感覚と深い断絶があるようである。

そして、6室が生み出されるとき、その原因となった人々は8室である。
あるハウスから6室目は部下のハウスであり、奴隷のハウスである。つまり、我々は国際銀行家に借金づけにされて、奴隷化されていると言える。我々から見ると、国際銀行家は8室目であり、我々の死神(8室)である。

我々の天敵(8室)であり、最も苦手とする相手であり、我々の生命力を吸い取って、じわじわと死に追い込んでいく死神である。
つまり、中世のイタリアで金融業をはじめた人々(ロスチャイルド家、ユダヤ人)は近代に入ると国際金融ネットワークを築き上げ、国家の上に君臨して我々を支配するようになったのである。彼らは我々にとっては8室の表示体である。彼らはマスコミにも一切姿を表さずに、秘密裏(8室)に我々を支配しているのである。誰もお金が生み出される過程を知らないのはそのためである。彼らはあまりにも秘密裏にうまくやり過ぎて我々一般人は金融システムについての真実を全く何も知らされないで来たのである。

注:ユダヤ人が金融システムを作ったといっても全てのユダヤ人が不道徳であるわけではない。
もちろん、ユダヤ人の中には偉大な発見をして人類文化の発展に寄与した優れた人物も大勢いるが、情のない情け容赦ない合理的な思考をするのも彼らの全般的な特徴ではないかと思われる。(であるから以前、書いたようにユダヤ人が民族としてカルマを負っている可能性もあり得ると思われる)

彼らの一部が悪をなすときにはその力は巨大である。
国際金融家は金利をとって我々人類を馬車馬のように働かせているということからして、道徳的であるとは言えない。また持続可能な経済の観点からしても、現在の金融システムは限りない経済成長を必要とするのであり、その点でも地球環境にとって優しくないのである。地球の資源を利用し尽そうとするのがその本質である。

彼らは合理的なため、借金によって追い立てられてば人間は最も生産的になるということを知っているかのようである。
その冷徹なまでの合理主義によって、人間を馬車馬のように働かせ、地球の資源を開発して物質文明を作り上げることに成功したのである。そこには全く人間愛などというものは入り込む隙はなく、徹底的な合理主義を貫いた結果である。彼らの成果というのは結局のところ、物質的な面のみの成果である。従って、世界の統治とコントロールを彼らが握っている限り、地球に精神文明は築かれにくいのではないかと思われる。

しかし、この世界には必要なものは存在し、必要でないものは存在しないのが常である。
ジョーティッシュの検証で我々が体験してきていることである。

水瓶座の文明が築かれて地球が一つになっていく前の段階において、人に負債を背負わせて欲望を助長して、無限の拡大、征服に向かわせた国際金融システムはそれでも人間の活動が大きくなり、地球を埋め尽くすぐらい拡大するための必要悪だったとも言えるのである。
『負債としてのお金』の中で説明されていたように、産業革命以後、帝国主義時代となり、諸国家の活動が世界規模に広がっていく際に大量のお金が必要となったため、政府が銀行の信用創造とお金の通用力について法的整備をしたことに必要悪の論理、必要だからこそ存在したという論理が見られるのである。

また必要悪という観点からは次のようにも考えられる。
例えば、人間はまだ進化していない段階においてはタマス(不活性、鈍性)によって支配されている。

人間に活動をさせるのにはラジャス(激性)の要素が必要である。銀行が信用創造によって人に負債を背負わせて、どんどん負債者を世界に生産するという行為は人類のラジャス(激性)の様相を刺激して、人間に強制的に活動をさせ、地球の隅々まで探検し征服し尽くすという積極的な行動を促すという役割は果たしている。
もし、これらがなく人間がタマス(不活性、鈍性)に支配されていたら、人間は何もしようとはせず、全く物質的にも進歩しないのである。

6室の表示体は火星であり、火の要素であり、地球に比べてまだ人類の活動があまりにも小さかった間は火の要素によって、ラジャス(激性)を刺激して、人類の活動を地球規模に広げさせる必要があったのである。

だからこそ、まだ人間が不活性で、タマスの要素に支配されている時は、人間は行動に喚起されなければならず、それは強制力を必要とし、それが資本家と労働者の対立や、主人と奴隷の関係などが必要悪として認められなければならないということかもしれないのである。というよりもだからこそ、そのような関係が存在してきたのである。
だから人がタマスの様相を抜け出て、ラジャス(激性)やサットヴァ(純性)に支配されるにつれて、資本家と労働者の対立は解消されていくのである。

アリス・ベイリーの著作に「資本家と労働者の対立とは、知恵の殿堂を通っているか通っていないかの違いである」というようなことが書かれている。

つまり奴隷や労働者にされてしまうのはその人自身にも問題があるのである。その人自身がラジャス(激性)に支配されて野心的に能力を開発して、労働者の立場から資本家や独立者として身を立てることが出来るようになれば、その人は奴隷や労働者の立場から抜け出すのである。単にシステムに問題があるばかりではない。その人自身の進歩とシステムの改善が必要である。

しかしそのように肯定的に考えたとしても国際銀行家がそのような創造主の代理人のようなことを考えているわけではなく、彼らは自分たちの自己利益を追求しているに過ぎない。彼らは単なる利益計算で動いており、そのような広大な神の経綸のようなことを考えているわけではない。彼らが国際金融システムを作り出したのは純粋に自分の利益のためである。然し、もっと大きな観点に立てば、彼らも神の創造の一過程として利用されているのかもしれないと考えることも出来る。

しかし実際には、彼らの動機は利己的であり、他者を傷つけているため、カルマをどんどん築いているのである。彼らが生産しているのは負債者である。お金の奴隷である。これは6室の象意を世界に生産していると言える。6室というのはドゥシュタナハウスであり、トリシャダハウスである。
トリシャダハウスとドゥシュタナが絡む場合、欲望によってさらなるカルマを築いていくコンビネーションと言われるのである。この6室は単独で、トリシャダハウスとドゥシュタナハウスの絡みが成立しており、国際銀行家は自分たちの物質欲から世界に苦しみをもたらし世界にカルマをもたらしている。

従って、それは打倒されなければならないのである。
もし我々が銀行からお金を借りない時、そこにはお金は存在しないのである。つまり、国際銀行家は人を支配することができなくなるのである。

もし我々がラジャスを通り超して、サットヴァ(純性)の要素を自己にもたらせば、もはや私たちは借金をせず、また国際金融システムの不正を暴き、そのシステムを打倒して、内側と外側の改革をもたらせば、もはやそこには6室という要素はなくなるのである。部下と上司とか、奴隷と主人とか、資本家と労働者とかいう関係性は6−8室の関係性であり、新しい時代には相応しくないのである。人類が進歩して、カルマを解消していくに連れて、6室や8室の象意とは人生の中で主要な位置を占めなくなるのである。

しかし国際銀行家や一部のユダヤ人は物質的な欲望に取り付かれ、人類を支配しようという野望を捨てないのである。以前、『ユダヤ民族のカルマ』というコラムの中でユダヤ人のカルマについて検討したのであるが、この国際銀行家と国際銀行家の中にいる一部のユダヤ人もまた世界に争いと苦しみをもたらし、カルマを築きつづけているようである。彼らはカルマの苦しみからさらに新しいカルマを次々と築いているようである。

(資料)

日本人が知らない恐るべき真実 http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/

あべ よしひろ氏のプロフィール

環境問題は経済システムの問題であるとの認識からオルタナティプなお金である地域通貨に希望を見出し、1999年、地域通貨グループ「レインボーリング」を立ち上げる。講演や体験型ワークショップを全国の自治体・商店街・商工会・大学・NPO/NGO等で数多く行ない、その実践もサポート。著作に『だれでもわかる地域通貨入門』『なるほど地域通貨ナビ』 『ボクらの街のボクらのお金』等。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/
『日本人の知らない恐るべき真実』より引用抜粋