占星コラム


2007/9/13  ヒラリー・クリントン失速

2007/5/6の『米大統領選の行方』の中で、ヒラリー・クリントン落選に関する記事を掲載したが、今日付けのニュースで大口献金者ノーマン・シュー容疑者の違法献金の問題で、85万ドルを返還するとの記事が掲載されていた。

ヒラリー・クリントンは8月にもイラク戦争の開戦決議に賛成したことについて釈明を求められ、「後悔」していると振り返ったことが報じられていた。未だに支持率はトップだというが、今日付けのニュースの雰囲気から察するに、ヒラリークリントンの支持率は今後急速に低下していく前兆が見られるのである。

彼女は今現在は太陽/月期であるが、2室支配の月が10室魚座に在住し、10室支配の木星が定座と月にアスペクトを返して、大衆の注目を浴びて、人気を得ているが、今月の9月20日より太陽/火星期に移行するのである。

火星は6、11室の支配星で、2室で減衰している。また太陽から見て、2、7室支配の火星が10室で減衰している。
この配置からすると、不正な献金(収入)で人々から非難されたり、彼女の足元がぐらつくことが示されている。

火星はナヴァムシャで高揚しており、6室の支配星が減衰しているため、特別な法則が働く余地がある。
然し、2室に在住する火星である。彼女は2室で減衰する火星が表すように不正献金に対する非難に必死で弁解し、防戦するが、上手く防戦できないかもしれない。火星が高揚しているので底力はあるかもしれないが、彼女の口調は減衰して土星と接合する火星が示すように重々しく軽快に毅然と発言することが難しいと思われる。

2室では8室支配の土星と6室支配の火星が接合している。つまり6−8室の絡みであり、これは不正な献金を利得するということを示していたと今でこそ理解できる。土星は9室の支配星で、2室に在住し、11室支配の火星と接合し、ダナヨーガが成立しているため、彼女は上手く献金を集めることができるかもしれないが、それと同時に犯罪に巻き込まれるという結果となったようである。

9月20日から年末にかけて、6、11室支配のアンタル火星期は、今までのように彼女に人気をもたらさず、もっと厳しく彼女のあり方について追求されることになるだろう。そして、来年の2008年1月25日になるとマハダシャーラーフ期に移行して、彼女の失速は決定的になるだろう。

この今のタイミングで、違法献金問題がリークしてきたのは太陽/火星期への移行を物語っている。


(資料)

ヒラリー氏 シュー容疑者の政治献金85万ドルを返還へ 
9月12日8時0分配信 産経新聞

 【ワシントン=古森義久】米国大統領選民主党有力候補のヒラリー・クリントン上院議員は10日夜、中国系ビジネスマンのノーマン・シュー氏が集めた選挙活動用の政治献金総額85万ドルを返還する決定を発表した。シュー氏は民主党への資金集めでは全米トップ水準にあるが、逃走中に逮捕された刑事被告人であり、献金の動機や出所もナゾに包まれている。

 クリントン議員事務所は10日、シュー氏が2004年以来、同議員の上院選や大統領選の資金用に集めた献金合計85万ドルという巨額を数日中に計260人ほどの献金者に返還することを発表した。これまで同議員はシュー氏自身から直接に寄付を受けた2万3000ドルだけを放棄して、慈善事業に寄贈する措置を明らかにしていた。

 しかしクリントン陣営ではシュー氏が他の人物たちから集めた献金のすべてにあたる85万ドルを返還することにしたわけで、同陣営内でシュー氏の献金、募金の活動に違法性があるという懸念が高まったことを示している。

 シュー氏は香港出身の中国系米人で、1992年にカリフォルニア州の裁判所で窃盗や詐欺の罪で禁固3年の有罪判決を受けたものの、逃走し、ニューヨークでここ数年、州や連邦のレベルでの民主党政治家に大規模な献金を続けてきた。8月末に米国メディアの報道で逃走中の身分が明るみに出て、いったんカリフォルニア地裁に出頭したが、また逃走し、コロラド州内を走る長距離列車内で急病となり、逮捕された。

 クリントン陣営ではシュー氏の献金・募金活動自体が連邦選挙法に違反する恐れがあるとみて、この巨額の返還に踏み切ったとみられ、連邦当局もシュー氏の背景などを捜査し始めた。

イラク戦争開戦賛成、ヒラリー・クリントン氏が「後悔」  【ワシントン=貞広貴志】米大統領選で支持率トップを走る民主党のヒラリー・クリントン上院議員は19日、イラク戦争前の2002年に開戦決議に賛成したことについて、「(ブッシュ大統領が乱用した)職権を与えたことを後悔している」と述べた。ABCテレビが主催する民主党候補討論会で発言した。  クリントン氏は、「大統領に公式、非公式に接触し、戦争権限を慎重に行使するとの保証を得ていた。しかし、大統領にそんな意図はなかった。私は大いに後悔している」と振り返った。 (2007年8月20日13時4分 読売新聞)