2007/5/31 60年周期説について
60年周期説によれば現在はちょうど60年周期の末期に到達しており、過去の出来事から、これから起こることが予測できるという。
ネット上から60年周期に関する様々な情報を拾ってくると、非常に興味深い数多くの情報が収集できる。
それらは以下に引用するが、「インフルエンザ60年周期説」や「竹の60年周期説」、「気象の60年周期説」、経済学者ラビ・バトラ教授が主張する”60年周期説”など様々ある。
これらを見ると、政治や経済から、植物の生態、気象などの自然現象まで、様々な事柄に60年周期説が適用できるようである。
このように注目する現象のレベルが全く異なるにも関わらず、何故、こうも60年周期という単純な法則が成り立つのか。
これらはインド占星術的な考え方を学んだものにとっては明らかである。 つまり、結論を先に言うと、この60年という周期は木星と土星の公転周期を表している。
土星は30年で黄道帯を一周する。
木星は12年で黄道帯を一周する。
そして、60年というのは土星30年と木星12年の最小公倍数60である。
現象界に存在するものには必ず始まりがある。 それは人間と同じように生年月日を持つのである。 インド占星術で人の一生に起こる出来事がダシャーとトランジットの分析によって明らかになるように、
会社や国家、惑星といった存在者にも始まりがあるのであり、ホロスコープを描くことができるのである。
木星と土星は最も動きが遅い惑星で、その影響力は甚大であり、これらの惑星は60年で元の位置に戻ってきて、かつてとほぼ同じ条件を得るのである。つまり、60年前と同じ星座、同じハウスを運行し、同じハウスや星座にアスペクトするのである。
おそらく、それによって同じハウスが刺激され、またハウスのコンビネーションによって、同じようなテーマの出来事を引き起こすのだ。
従って、日本においては1868年に明治維新によって、政治経済に大きな変動があり、その約60年後の1929年に世界大恐慌で経済的大変動が起こり、再び、およそ60年後の1990年に日本でバブル経済が崩壊したのであるが、このいずれも木星と土星の位置は同じ位置にあったのである。
また1941年に太平洋戦争が勃発(真珠湾攻撃)し、60年後の2001年に9.11アメリカ同時多発テロが起こった。つまり、木星と土星の60年周期により、ある特定の国家のカルマが噴出していることを表している。
これらはインド占星術的なロジックで考えれば明白なことであり、政治、経済、社会、環境など、あらゆる自然現象に当てはめることができるのである。
そして、60年周期説が存在すること自体、マンデーン占星術が有効であり、地球上のあらゆる社会現象が占星術的に説明できることを表している。
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1941.12.8 ハワイ真珠湾攻撃
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2001.9.11 アメリカ同時多発テロ
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※木星の位置が多少ずれているが、土星と木星がほぼ同じ位置に戻ってきた時に似たような出来事が起こっている。 |
(資料)
▼「60年周期説」は単なる偶然か? 原因はなぜか?
それは1918年の「スペイン風邪」の時代を生き抜けた人々は、言葉を換えれば、みな「スペイン風邪(H1N1)」に対する免疫抵抗力を身につけた人ということができるわけであるが、それから約60年を経て、当時のスペイン風邪に対する免疫力を持っていた人たちがほとんどいなくなった(死去した)ということが原因であると考えられる。これが、いわゆる「インフルエンザ60年周期説」という考え方である。専門家ではないので、この説がどれほどの科学的根拠を持つかは知らないが・・・・・・。他にもこの世には「60年周期説」と呼ばれるものがたくさんある。
最も有名な例は竹である。竹は60年に1度だけ開花し、ある竹藪で竹の花(註:イネ科に属するタケの花は、稲穂とほとんど同じ形をしている)がいっせいに開花し出すと、その竹藪の竹はすべて枯れる(註:竹は地下茎を伸ばし、筍によって増えるので、親竹と子竹は遺伝子的には全く同じクローンである。そのほうが、環境さえ変らなければ有利である。しかし、何十年に一度だけ実を結ぶ(有性生殖をする)ことによって遺伝子のシャッフルを行ない、新しい子孫を遺すシステムを採用しているのである)と言われる。そのことによって、竹の実を食べる野ネズミが大量発生し、その高栄養価の竹の実を食い尽した野ネズミが、今度は人間の田畑から穀物を食べ、大飢饉の原因(しかもペストの流行も重なる)とも言われている。これが「竹の60年周期説」である。
他に、もっと日本人の生活に直結した「60年周期説」としては、いわゆる十干十二支の組み合わせ(干支=えと)である。古来、中国より伝わったこの暦は甲子(きのえね)から始まり、癸亥(みずのとい)までの60通りの組み合わせで一回りするシステムになっている。それゆえ、人は60歳を迎えると、暦が一回りした「還暦」として祝う(註:近代に至るまで、ヒトの平均寿命は60歳よりはるかに短かったので、生まれ年を表わす干支も60通りあれば、十分間に合った)。因みに、阪神タイガースの本拠地である甲子園球場は、大正13年(1923年)の「すべての始まり」という縁起のよい甲子の年に造られたので「甲子園」と名付けられ、また初代の天皇ということになっている神武天皇が即位した年も、実際に考えられていた年数に何百年も下駄を履かした紀元前640年の甲子の年の1月1日(註:この太陰暦の1月1日が太陽暦が2月11日の「建国記念の日に相当する)ということに“即位”後、千年以上経ってから決められた。
このように、古代中国の影響を受けた地域では、60はたいへん神聖なナンバーであった。同様に、古代メソポタミアにおいても、天文観察との関係で60進法が使われていたのである。確かに60という数字は、30、20、15、12、10、6、4、3、2と実に9通りの数で割ることができるので、何らかの基本的な単位にするのには非常に適したマジックナンバーである。数千年を経た現在でも、われわれはその影響を受けて、1時間は60分であるし、1分は60秒ということになっている(註:天空全体を表わす円の1周は360°であり、これは正六角が内接する円である)。このように、「60」という便利な数字が一人歩きしだすと、他にも、何らかの合理的な根拠がなくても、いろいろな「60年周期説」というのが、まことしやかに言われるようになるのである。先ほどの1918年のスペイン風邪から1977年のソ連風邪までがあしかけ60年であったように・・・・・・。
さらに、この「60年周期説」は、経済や政治の分野でもその信奉者を有しているのである。例えば、日本の近代史を見る時、1868年の明治維新から60年が経過した1929年(昭和4年)、ウォール街における株の大暴落に端を発した世界恐慌が近代資本主義経済への発展過程にあった日本社会を直撃し、その後のテロ(註:「2.26」や「5.15」事件)と戦争(日中戦争や太平洋戦争)の時代へと導いていったことはあまりにも有名だ。しかも、それから60年が経過した1990年に、今度はバブル経済が弾けたのである。同様に、真珠湾攻撃によって太平洋戦争の幕が切って落されたのは1941年(昭和16年)のことであるが、それからちょうど60年経った2001年、アメリカは再び「9.11」米国中枢同時多発テロによって、新たな戦争へと導かれていったのである。世界貿易センターのツインビルが崩壊した映像を見た時、多くのアメリカ人が「パールハーバー」を連想したのも当然だ。他にも、歴史の年表を繰っていけば、いくらでも「60年周期説」を当てはめることができる。このように、今回の鳥インフルエンザの問題がわれわれ21世紀に生きる人類に投げかけた課題というのは、あまりにも多くの示唆に富んでおり、その意味で、われわれは風邪見鶏でなければならないのである。
【http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-198.htmより引用抜粋】
開花の周期 新聞の報道などで60年周期とか、120年周期で、一斉に竹に花が咲き、その花の咲いた竹は集団で枯れてしまう。
竹の開花は珍しいので、その時は不吉な現象が起こると海外だけでなく、日本でも言われています。まるで昔のほうき星「彗星」の現出のようなイメージを抱かれるかと・
不思議な現象で、滅多にお目にかかってない、と思われるでしょうが、写真を見たら、何度か見ているのではと思います。 少なくとも私は何度か見ています。しかし、確実に写真に収めたのは2度だけ。
昨年のヤダケの開花「県外」と、今回のメダケの開花の2回。 一般には、竹はモウソウチク、ほかにマダケくらいしか、竹と認識してないようで、孟宗が67年周期・マダケが120年の周期で開花した事例で、報道などされたようですが、この開花周期は詳しくわかってないようです。
【http://www.minc.ne.jp/~hotei/takekaika.htmlより引用抜粋】
■気象は60年周期で変わる
私の気象予測は、長年にわたる気象データの分析や太陽の黒点の働きなどを勘案し、総合的に判断するものです。ご利用いただいている農家の方からは、的中率75%という極めて高い評価をいただいています。この予測の方法は、父・金吾の方法を引き継いだものです。県会議員を務めながら農業の振興に情熱を傾けていた父は、戦後になって杉山式農法を開発者である杉山善助氏に学んだこの気象予測をもとに、東北一円の農業指導に奔走していました。
父が学んだ杉山氏の理論とは、気象は60年周期で繰り返しているというものです。杉山氏は明治初期から大正にかけて60年間、毎日欠かさず気象観測に努めた結果から、この事実を突き止めました。父はその理論を基に、少しでも農家の手助けになればと毎年、気象予測を行なっていました。私はこの父の遺志を受け継ぎ、昭和42年から毎年12月1日に、農業経営の羅針盤として翌年の気象予測を発表。1年を2ヵ月ごと6期に分けて、気象の巡り合わせによる農作業の注意点などを冊子にまとめ、希望者に配布しています。
【http://www.asahi-net.or.jp/~kj8j-krd/ja/H1401/co.htmlより引用抜粋】
バトラ博士は資本主義経済の基軸である「貨幣」に注目、この200年のアメリカ経済の「貨幣増加率」を解析し、 マネーサプライの増加率とインフレの連動の相関関係を突き止めた。
そしてその周期が30年/60年の「波」を伴っていることを発見し、次のように指摘している。 「30年に一度の恐慌が、運よく小規模に終わったとしても、その破壊のエネルギーは、
さながら地底にたまったマグマが巨大な地震を起こすがごとく、次の30年に向かって蓄積されていく」と。
【http://www5d.biglobe.ne.jp/~cats_eye/topics_door131.htmlより引用抜粋】
◆ ラビ・バトラの60年周期説 インドの経済学者ラビ・バトラは,60年毎にショッキングな出来事が起きるというサイクルを発見しました。
【http://www1.pbc.ne.jp/users/corinth/myRoom/economy/60years.htmより引用抜粋】
30年周期と60年周期 2007-05-09 01:19:11 / Weblog 経済の波、流行の繰り返しなど30年と60年の周期で繰り返すそうです。
ファッションでは、ミニスカートが30年ほど前はやったのが、ぼんやり記憶に 残っています。今は廃れているものでも、またブームがくるかも。江戸時代は、
60年周期で伊勢参りが流行ったそうです。今から60年前は、アメリカの占領下 にあったはずです。直接その頃の日本を知りませんが、アメリカの文化が、ダイレクトに日本伝わったのが、当時の映像や、流行ったファッション、歌などから推測
できます。最もその当時生きていたはずの人に尋ねても、食べるのに精一杯で良く 覚えていないとのつれない答えしかかえってきませんが。今もここ数十年に比較するとアメリカの文化、風俗、ファッションがかなりブームになっているようです。
少し形を変えて、周期を繰り返していくようです。年金や健康保険といった社会保険は、第二次大戦前戦争を遂行するにあたっての飴と鞭の飴の施策として推し進められました。60年以上の歳月を経過し、崩壊に向かっているのも仕方無いかもしれません。終身雇用制度、年功序列制度は第二次大戦後の高度経済成長下にあって、いかに低賃金でしかもロイヤリティを持たせるかといった両側面を満たすために、企業が取り入れた制度で、低成長時代に人件費を抑圧するにはリストラと成果主義といった、第二次大戦前の手法がめぐりめぐって取り入れられたのも周期的流れなのでしょうか。この流れの果てにはかつてと同じ大きな落とし穴が待っている気がしてなりません。
【http://blog.goo.ne.jp/herher1010/d/20070509 より引用抜粋】
開花現象
【http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkakd107/D14.html より引用抜粋】
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