占星コラム


2007/4/5  映画「イージーライダー」に学ぶ

 

映画は占星術的な象意の宝庫である。
少々古いが、『イージーライダー』もそんな映画の一つである。
撮影されたのは1969年で60年代〜70年代のアメリカのカウンターカルチャーを代表するような作品であり、アメリカンニューシネマと呼ばれている。

私は最近になってようやくDVDで見たわけであるが、非常に古くて新しい映画だと分かった。
30年以上前の作品であるにも関わらず、作品の中で取り上げるテーマは今にも全く当てはまっている。

この作品の主人公ワイアットとビリーはコカインの密輸で大金を稼ぎ、それをハーレー・ダビッドソンのタンク内に隠して、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるニューオリンズ目指して旅に出るのであるが、彼らは完全に魚座の人々である。

基本的に目的地というのはあるものの、その途中で方々に寄り道して、目的に対して、一直線に歩まず放浪するのである。
魚座には放浪という象意があり、またコカインなどの薬物も魚座が表している。 彼らの乗り物はオートバイであるが、この乗り物も魚座的な乗り物である。魚座には海運業とか、船乗りという象意があるが、船というのは基本的に船長一人の意志によってその方向が定まるのである。従って、個人主義的な乗り物なのである。オートバイもそうで、基本的に一人で操縦し、一人の意志で目的地が定まる個人主義的な乗り物である。

船乗りでよくあるのが、途中で嵐にあったり、難破して島にたどり着いたり、とにかく、目的地に一直線に勧めないで方々に寄り道して、様々な人、事、物に出会うのである。

この主人公たちも、オートバイで目的地に進みながらも途中で、出会ったヒッピーに連れられて、ヒッピーのコミューンに寄り道するのである。そのコミューンの人々は、何もない乾いた荒野を必死で耕して、作物を育てて自給自足の生活を営むことを目標とする人々の共同体であり、基本的に定住して暮す人々である。その彼らは非常に水瓶座を象徴する人々である。

主人公ワイアットはコミューンで生活する女性に気に入られて親密に話をするが、会話の途中で、あなたの星座は魚座かどうかと聞かれる場面があり、魚座だったので女性がやっぱりと言って納得する場面があるのである。そして、女性は私は水瓶座だと答えるのであるが、それがまさに放浪者であるワイアットとビリーは魚座であり、定住するコミューンの人々が水瓶座であることをはっきりと会話の中でも示している。脚本の中に占星術的な知識を取り入れており、当時の精神世界の文化(秘教、オカルト、瞑想)を取り入れた知的雰囲気がよく出ている。

そして、ワイアットとビリーは祭りのパレードに無許可で参加したことで留置場に入れられ、そこで出会った弁護士ハンセンと意気投合し、彼の口利きで釈放され、彼と共にニューオーリンズを目指すのであるが、この留置場は12室の象意であり、12室はもともと魚座が表している。弁護士ハンセンは留置所内でひどく酔っ払っており、酒は魚座の象意である。

そして、途中の茂みの中で焚き火をして暖まりながら、彼らは話をするのであるが、弁護士ハンセンの口から、いろいろUFOの話や宇宙人が地球上に住んでいるという話などを聞かされるのである。

こうしたUFOや宇宙人の体験は霊体験と紙一重であり、これも魚座の象意である。然し、これらはジョージ・アダムスキーなど、当時のUFOコンタクティーの最新情報を引用したものだと思われ、非常に最先端を行っていたと思われる。

こうした会話の後で、弁護士ハンセンは昼間に出会った町の人々に襲われて撲殺されてしまう。
ワイアットとビリーは彼を置いて、ニューオーリンズに旅立つが、売春宿で出会った娼婦たちと、一緒に町に繰り出し、LSDを試して、幻覚状態に陥る場面が出てくる。これも当時のカウンターカルチャーの風景であり、悟りの状態を擬似的に体験するためにLSDを試すという当時のヒッピー文化である。この薬物による幻惑、幻覚状態も魚座の象意である。

そして、最後に主人公たちは、彼らの自由気ままな行動を憎む保守的な南部の伝統固執主義者にライフルで撃たれて死んでいくのである。この辺りの死に方も魚座的な死に方であり、ナザレの地において、愛を説いたイエスがユダヤの伝統固執主義者、律法学者、保守的支配層によって磔にされて死んでいったのと似ているのである。

魚座の象意は理想主義と自己犠牲であり、受難をして最後に非業な死を遂げるのも一つの魚座の典型なのかもしれない。

このように見てくると、この映画のテーマは当時のカウンターカルチャーの雰囲気を伝えながら、主人公たちの自由気ままな魚座の典型的な生き様を描いてみせている。

映画の中では放浪、麻薬、UFOなどの魚座に典型的な象徴と、飲酒、売春宿などの水の象徴が出てくるのであり、これらは魚座の象徴である。

そして、放浪の途中で寄り道したヒッピーのコミューンなどはまさに典型的な水瓶座の象意を示しており、魚座や水瓶座の象意を理解するのには非常に役立つ作品である。

この作品を見ると、アメリカという国の基本構造が根本的には変わっていないことを感じるのである。

それはブッシュ大統領のイラク戦争を支えた南部のキリスト教伝統固執主義者たち、そして、ハリウッドやカリフォルニア州に代表される若き頃、カウンターカルチャーを経験した世代、民主党政権を支える人々など、その登場人物たちは現在も昔も変わっていないような気がするのである。

然し、環境問題や、政治経済問題など、現在の地球が抱える問題は、当時よりもより巨大化して、地球的規模に拡大して、解決するための臨界点に達しているが、地球の問題の解決を目指すNGO、NPOなどの第三セクターの勢力も当時とは比較できないくらい巨大に成長してきている。カウンターカルチャー世代の人々がより成熟した社会運動に転身して洗練された結果である。また当時の精神文化も若い世代に広く浸透している。

(資料-Wikipediaより引用抜粋)

イージー・ライダー

『イージー・ライダー』(Easy Rider)は、1969年のアメリカ映画。 ピーター・フォンダとデニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマの代表作。1969年(第42回)アカデミー賞で助演男優賞と脚本賞にノミネートされた。

あらすじ

コカインの密輸で大金を得たワイアット(キャプテン・アメリカ)とビリーは、金をフルカスタムされたハーレー・ダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるニューオリンズ目指して旅に出る。 農夫の家でランチをご馳走になったり、ヒッチハイクをしていたヒッピーの住むコミューンへ立ち寄ったりと気ままな旅を続ける2人。しかし旅の途中、無許可で祭りのパレードに参加したことを咎められ留置場に入れられる。そこで二人は弁護士ハンセンと出会い、意気投合する。 そして、ハンセンの口利きで釈放された2人は、ハンセンと共にニューオリンズに向けての旅を続ける。しかし、「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の人々の思わぬ拒絶に遭い、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面する……。